つい飲みすぎてしまいました
「一度にたくさんの人間と話をして、疲れただろう?」
「いえ!…あ、いや…実はちょっとだけ。こんなにたくさんの人たちに囲まれることなんて、これまでなかったですから…。でも、本当に、すっごく嬉しくて…だから、大丈夫です」
「…そうか。君が楽しんでくれているなら、良かった」
くしゃりと頭を撫でられて、その触れ方がいつもより甘やかなものであることにも、その顔に安堵したような柔らかい笑みが浮かべられていることにも、胸が高鳴ってしまう。
初めて飲むお酒に酔ってしまって、夢でも見ているのだろうか。
まるで恋人に向けるような、慈しむような仕草と視線に、錯覚を起こしてしまいそうだ。
(……本当に、そうなれたらいいのに)
ぼんやりとウィリアムを見上げるその瞳が潤んでほんのり赤くなっていることにも、シェリル自身は気付けない。
そして、それを見るウィリアムの瞳の中に、情熱的な色が宿っていることも。
頭をやんわりと撫でていた掌が、するりと頬を撫でる。
親指にすりすりと目元を軽く擦られれば、自分のそれとは違う少しかさついた感触に、ぴくっと肩が跳ねた。
「……目元が、少し赤いな。もう酔ってしまったのか?」
「っ…、…わ、わかり、ません…」
「ふらついたり、気分が悪くなったりはしてないか?辛ければ、私に寄りかかると良い。少し楽にはなるだろうから」
「だ、大丈夫です……あの」
そのまま軽く覗き込まれるようにされると、ぐっと顔の距離が縮まってしまって、シェリルの緊張感が一気に高まる。
こんなに至近距離で顔を覗き込まれていると、まるでそのまま口付けられてしまうような気さえして、戸惑いと喜びがない混ぜになってしまって身動き一つ取れない。
どうしよう、どうしよう、と思っていると、その緊張を破るように、不意に会場の入り口付近でウィリアムを呼ぶ声が聞こえてきた。
ぴたっと動きを止めて声のする方を向いたウィリアムが、ぐしゃりと頭を掻いて身を離す。
そしてそのまま立ち上がると、先ほどとは打って変わった、少し乱雑な手つきでシェリルの頭をぽんぽんと撫でた。
「……すまない。少し仕事の話が来てしまったようだ。すぐに帰ってくるから、ここで待っていてくれ。気分が悪くなったら、すぐに近くの者に声をかけてくれれば、部屋に案内させるようにしておくから」
「……わかり、ました…」
「ああ。…行ってくる」
シェリルが頷いたことに安心したようにもう一度頬をするりと撫でて、扉の方に向かっていく。
その向こうに、黒装束の男性が一人、扉に身を隠すように立っていることに気づいて、お酒の席でまで仕事だなんて大変だなあ、と、現実逃避のように思考を巡らせた。
先ほどまで二人を包んでいた濃密な空気が一気に霧散して、知らず息を詰めてしまっていたシェリルは、大きく深呼吸する。
新鮮な空気が肺の中を満たして、先ほどまでの酩酊感が一気に冴えた。
(……さっきの、なんだったんだろう……)
勘違いでなければ、ウィリアムも自分と同じ気持ちなのではないだろうか。
そんな風に期待してしまう自分と、まさかそんな自分なんかが、と期待を即座に否定する自分が、胸の内で交錯する。
これまでそんな色事に全く縁のなかったシェリルは、こんな時どうすれば良いのか、相手が自分に好意を持ってくれているのかどうかが全くわからなかった。
こんな時こそ誰かに相談したいのに、周囲を見渡しても普段仲良くしている人たちは皆、誰かと楽しそうに会話していて話しかける勇気が持てない。
つくづく自分は人とのコミュニケーションが苦手だな、と一人落胆していると、聞き慣れない足音がシェリルのほうに向かってきていた。
ふっと足元が陰ったことに気づいて顔を上げると、そこには先ほど囲まれた一人の男性が、二つのグラスと瓶を持って立っている。
「どうしたの、シェリルちゃん。総長は?」
「あ……ハウル、さん?」
「おお、正解。すげー…本当に全員覚えたの?あの短時間で?」
「はい、あの…覚えるのは、得意で」
「それだけでもすんごいね。今一人なんでしょ?隣、座っていい?」
「あ、はい…どうぞ」
シェリルから名前を呼ばれたことが本当に意外だったのか、驚きに目を丸くしたハウルがにかっと快活な笑みを浮かべて隣に座る。
綺麗な銀髪を短く刈り込んだすらっとした印象のハウルだが、近くで見るとマークたちに負けず劣らず鍛えられていることがわかる。
長身だからそう見えただけなのかな、とまじまじ見ていると、照れ臭そうに頬を掻いたハウルが苦笑いを浮かべた。
「何。そんな見つめられると、恥ずいんだけど」
「あっ…!すいません、失礼なことを…」
「いや、いんだけどさ。…ほら、これ。酒持ってきたんだ。乾杯しよーぜ、乾杯」
言われて、ハウルが持っていたグラスの一つを半ば無理やり持たされる。
そこに注がれたのは、先ほどまでウィリアムが飲んでいたのと同じ、赤紫の液体だった。
シェリルがグラスを持ったことを確認して、そのままちん、と彼の持っていたグラスと触れ合わせる。
そのままくいっとハウルが中身を煽ったのを見て、慌ててシェリルも口をつけた。
先ほど飲んだカクテルと違って、喉を通った瞬間にかっと体が火照るのがわかる。
一気に顔が赤くなってしまったシェリルを見て、ははっとハウルがおかしそうに笑った。
「すっげ、顔赤い。シェリルちゃん、酒弱いの?」
「えっと…わかりません。今日初めて、飲んだので…」
「え、マジ?俺と同い年だよね?」
「あ……そうなんですか?」
「そうそう。俺も24なの。もしかして酒、苦手だった?」
「いえ、そういう訳では…単に機会がなかった、だけで」
ハウルと会話をしているうちに、熱に浮かされたように気分が良くなってきて、少しずつ饒舌になっていく。
向こうもそれに気づいたのか、特に気にしていないのか、美味しそうに酒を飲んでは手酌でワインを注ぎ、シェリルの話に楽しそうに相槌を打ってくれた。
そのことにも嬉しくなって、シェリルも手にしたグラスに少しずつ口をつけ、気付けばグラスが空になる。
そこにまたハウルがお酒を注いでくれるものだから、気づいたときにはシェリルは、ふらふらになるまで酔ってしまっていたのだった。




