初めての経験
ようやく一通り出席者全員と言葉を交わし、これまでフラストレーションを溜め込んでいた兵士たちも満足したように酒や料理のあるテーブルへと足を運んでいく。
シェリルも、もう一度頭の中で一人一人の顔と名前を思い浮かべ、脳に刻みつけるようにとんとん、と右手でこめかみを叩いた。
「……それは、君の癖か?」
「………え?」
無意識にやっていたその仕草を不意にウィリアムに指摘され、弾かれたように振り返って問い返す。
途中でシェリルが立ちっぱなしであることに疲れていることを察してくれた彼は、不機嫌そうな顔を隠しもせず、しかし至極丁寧にシェリルをエスコートしてくれ、そのまま腰に回した手を解くことなく隣に座ってくれていたのだ。
とはいえ、唐突にそんなことを聞かれるとは思ってもおらず、一瞬何を聞かれているのかわからなかった。
首をこてん、と横に傾げると、ウィリアムの大きな手がすっと伸びてきて、こめかみに当てていた人差し指を握り込まれる。
そこでようやく、ウィリアムが何を聞いているのかに思い至った。
「そ、そうです。こうすると、なんだか記憶が定着してくれる気がして」
「……そうか。しかし、無理に全員覚える必要はないんだぞ?君と頻繁に話をする機会がある者なんて、そうそういないだろうしな」
「いえ!先ほどお約束しましたし、それに…私なんかに興味を持ってくれて、すごく嬉しかったから」
「……やはり、許可など出すべきではなかったか…いや、しかし……」
気を遣ってくれるウィリアムににこりと笑み返すと、ぐっと眉間に皺を寄せてぶつぶつと何か呟き始めた。
その皺の寄り方から、どうやら怒っている訳ではないらしいことを悟ってほっと胸を撫で下ろすと同時に、そんなことがわかるようになれたことに妙な高揚感を覚える。
先ほど握り込まれた人差し指もそのままだし、恥ずかしいけれど積極的に振り解きたい訳でもないという相反する思いも重なって、むず痒い気持ちを抑えながらウィリアムの思考が完結するのをじっと待っていると、ウィリアムの背後からクレアが声をかけてきた。
「今度は何をぶつぶつ唸ってるの?せっかくの席なのに、シェリルちゃんが困ってるじゃない」
「あ、いえ…私は……」
「ん?……ああ、すまない。君を困らせたかった訳ではないんだが…」
「どうせ、歓迎会を許可するんじゃなかったとかなんとか、みっともないこと考えてたんでしょう?でも、そのままにしておいたらそのうち大暴れしてたわよ、あの子たち」
「………」
いかにも嫌そうに顔を顰めてみせたウィリアムに臆することなく笑い声を上げたクレアが、手に持っていたワイングラスをウィリアムに渡す。
グラスの中でゆらめく赤紫の液体が、シャンデリアの光できらきらと光っていて、とても綺麗だ。
思わず見惚れていると、その視線に気づいたウィリアムがシェリルのほうにグラスを傾けた。
「どうした。飲みたいのか?」
「あ、いえ…実は私、お酒って飲んだこと、なくて…どんな味、なのかなって…」
もごもごと、口の中で小さく言い訳を漏らす。
24歳にもなって一度もお酒を飲んだことがないだなんて、ウィリアムのような大人びた人間から見たら子供っぽいと思われるだろうか。
これまで、アルコールを口にしたことがないという事実を気に留めたことは一度もなかったけれど、ウィリアムを相手にしてしまうとどんな些細なことでも気になってしまう。
自分に自信がないからこそ、これ以上一欠片だって、ウィリアムに失望されたくはなかった。
どんな種類であれ、僥倖にも自分に好意を向けてくれているからこそ、その思いはいっそう強くなっていく。
内心びくびくしながら、ウィリアムの瞳の中に潜む感情を伺ったが、シェリルの言葉に思うところはなかったようだ。
それはそれで、大人の女性だと認識されていないような気もして、少しだけ落胆した気持ちになってしまう。
ままならない感情を、それでも外には出すまいと胸の前で片手を握り込んでいると、その様子を見ていたクレアが通りすがった使用人に何かを囁いて、新たなグラスを一つ持ってきてもらっていた。
オレンジ色の液体が入ったそのグラスは、一見するとオレンジジュースのようにしか見えない。
そのグラスはシェリルの元にあるテーブルにことりと置かれ、正体がわからないまま答えを求めるようにクレアを見上げた。
「お酒を飲んだことがないなら、今日試してみればいいわ。いきなりワインはきついと思うから、まずは度数低めのカクテルからどうかしら?」
「カクテル?って、なんですか?」
「お酒を、シロップや炭酸なんかで割ったもののことよ。中には、カクテルでも度数が高いものはあるけれど…持ってきてもらったものは、度数が低めのものだから、安心して頂戴」
にこりと笑ってシェリルの横にしゃがみこみ、グラスをこちらに傾けてくる。
慌ててテーブルからグラスを持って、ゆっくりとそのグラスに当てると、ちん、という小気味良い音が響いた。
同じように、隣に座っていたウィリアムもグラスを傾けてきたので、同じように軽くグラスを合わせる。
その様子に、満足したように笑いかけてくれたのが嬉しくて、熱に浮かされたように、そのままグラスに口をつけた。
「……!おいしいです!」
「そう?口に合ったのなら良かったわ。一気に飲むのは危険だから、少しずつ楽しんでね。…まあ、ウィルがいるから大丈夫だとは思うけど」
「当然だ。…ほら、あっちでジャックが呼んでいるぞ。行ってきたらどうだ」
ウィリアムが指し示したほうを見ると、確かにあちらのテーブルの一角でジャックとハナ、マークの三人が楽しそうにクレアを呼んでいる。
呆れたように、しかし笑みを浮かべながら三人の方向にグラスを持ち上げてみせると、くるりと振り返って「じゃあ、シェリルちゃん。楽しんでね」と一言かけて呼ばれた方向に歩いて行った。
クレアがいなくなったことで、一瞬二人の間に静寂が訪れたが、周囲の喧騒があったからなのか、ウィリアムの纏う空気が先ほどと違って穏やかなものになっているからなのか、シェリルもゆったりとした気持ちで会場を見回しながら、ほうっと満足げなため息を漏らす。
その様子に、ウィリアムもふっと笑ってワインを一口含み、かたりとサイドテーブルにグラスを置いた。




