騎士の誓いと少しの嘘
しかし、一度口に出してしまった言葉を取り消すことなどできない。
どうすれば良いのか、と軽くパニックになりながら、思わず縋るような目でウィリアムを見上げると、困ったように眉を下げて微笑むウィリアムが、ぽん、とシェリルの頭に掌を乗せた。
「……他の者が君をどう見ているのかは、それこそ今夜、彼らが十分示してくれるだろう。だから今は、私の話をしても良いだろうか?」
「…………はい」
声が知らず震えてしまったのは、ここまで来て怖気付いてしまったからだ。
それでも、聞かなければ。そう思い、意を決して瞳に力を込めると、そこにかけられたのは意外すぎる一言だった。
「私が、君を大事に思う理由は……そうだな、一言で言えば『君に救われたから』かな」
「…………え?」
「私が、君の言葉に救われたから。だから私は、君が大事だ。それこそ、今この世にいる誰よりも」
(救われた?……誰が?誰に?)
「あ、あの……ごめんなさい、言っている意味が、よく……」
「はは、そうだな。しかしこれは本当のことだよ。君はきっと、何気なく言ったことなんだろうけれど」
「……え、本当に?私が、ウィリアム様を…救った?」
一体、いつ。どこで。
全く身に覚えのない話に混乱して目をぱちぱちさせていると、その様子をウィリアムが目を細めて見つめてくる。
そして、未だに握り込まれていたシェリルの手を恭しく持ち上げると、そのまま指先に唇を寄せた。
完全に予想外のウィリアムの行動と、触れた唇の熱さと柔らかさに、シェリルはぴくっと肩を震わせたまま、目を見開いて固まってしまう。
そのままみるみるうちに顔が赤くなっていくシェリルに気づいているはずなのに、ウィリアムはそのまま身を屈めると口付けた手を掲げて自身の額に触れさせた。
「……この先何があろうと、私は君のそばにいる。私の心を救ってくれた君を、今度は私が救いたい。君を害する全ての者から、君を守ると誓おう。この身と、私の剣にかけて」
静かに、しかしとても大切に紡がれたその言葉と仕草は、騎士が忠誠を誓うときのそれだった。
この誓いを立てた者は、自分の命をかけてその誓いを守らなければならない。
この広大な土地を治めるウィリアムがそんな誓いを自分に立てたことが信じられなくて、口をはくはくと動かすが、結局心の中に渦巻く想いは言葉にすることができなかった。
「……これで、私の言葉が真実だと信じてくれるか?」
「っ……!こ、こんなことのためだけに、騎士の誓いなんて……!?」
「こんなこと、とは心外だな。当然、口にした誓いの言葉は全て本気だ。私は、君が許してくれる限り、君のそばで君を守る」
「……ほ、本気ならなおさら、困ります…!領主様が、騎士の誓いなんて…!」
「そんなことは関係ない。……私は、これ以上大事な者を何者からも奪われたくない。生半可な気持ちで誓いを立てた訳ではないんだ」
そうまで言われてしまえば、それ以上シェリルに言える言葉は何もなかった。
何より、その思いの裏にあるのが母親を守れなかったことへの後悔だとわかってしまうから、なおさらだ。
それに、これ以上ウィリアムからの言葉を聞いていると、まるで自分が彼に愛されているような錯覚に陥ってしまいそうで、それも怖かった。
きっと彼は、シェリルのことを女性として見ている訳ではないのだから。
だから代わりに、心のうちに閉じ込めた思いにほんの少しの嘘を混ぜて、自分の決意に変える。
「……じゃあ、私もウィリアム様を守ります」
「君が?」
「はい。ポーションだって、もっと高い効能が出せるものを研究します。魔法は…苦手ですけど、努力します。この先、ウィリアム様がどんなに危険な場所に行くことがあっても、絶対に私がウィリアム様を死なせません。ウィリアム様は、私の…私の、恩人だから」
そういって無理やり強気の笑みを作ってみせると、それを見たウィリアムが一瞬だけ表情を歪めた気がした。
その理由を問う前に、伸びてきた腕に腰を抱き寄せられ、そのままウィリアムの体にもたれかかるような体勢で腕の中に閉じ込められてしまう。
アーサーの上でも、ずっと同じ距離感だったはずなのに、少しだけその腕に緊張感が走っている気がして、シェリルもつられて鼓動が早くなっていく。
二人の間に漂う空気が一気に緊張感を増した気がして、でもこの緊張の糸を切るのも怖い気がして、身じろぎ一つもできる気がしなかった。
ふと気づくと、ウィリアムの厚い胸板から聞こえる鼓動も、いつになく早い。
ウィリアムもこの緊張感を共有しているのだと思えば、余計にこの瞬間を終わらせるのが勿体無いと思ってしまった。
一瞬にも、永遠にも思える沈黙の中、とうとうウィリアムが観念したように長い長いため息を吐く。
「…………恩人、か………」
ぽつりと、シェリルの耳元で呟かれたその声に、残念そうな色が混じっているのは自身の願望故だろうか。
その言葉の意味を知りたくてウィリアムの顔を覗き込もうとすると、その視線から逃れるようにウィリアムがすっと身を離した。
急に開いた隙間に冷たい空気が入り込んだ気がして、ふるっと身体を震わせる。
唯一の救いは、顔を背けてしまったウィリアムの手が、名残惜しそうにシェリルのそれを握り続けていてくれたことだ。
その掌から伝わる熱に縋るように、シェリルもきゅっと握り返す。
弾かれたようにこちらを振り返ったウィリアムに、少し歪になってしまった空気を戻すように、わざと明るい声音でねだった。
「あの、ウィリアム様!一緒にこの森、散策に行きませんか?」
「…散策?」
「はい、さっきアーサーに乗っているときも、あちこちに見たことがない草花が自生してたんです!もしかしたら、ポーションの改良に使えるかもしれません!」
「…あ、ああ…そうだな、行こうか」
「はい!じゃあ、先にごはん頂いちゃいましょう。…と言っても、もう私は結構お腹いっぱいなんですけど」
そういってわざとらしくお腹をさすって見せると、ようやくウィリアムの顔が緩む。
そのことに心底安堵していると、ウィリアムも立ち直ったのか、姿勢を戻して残った料理たちに向き直った。
「大丈夫だ。残りは私がいただこう」
「ふふ…ありがとうございます、ウィリアム様」
そうしてみるみるうちに残りの料理を平らげたウィリアムは、手早くその場を片付け、アーサーを水辺に残してシェリルと二人で森の中に向かう。
そうして森の中の草花に夢中になっていれば、時間が経つのはあっという間だった。
そろそろ日が傾きかけてきたかな、という時間になって、二人は再びアーサーの背に乗り、皆が待っている屋敷に戻っていった。




