昼食にしましょう
一気に上がってしまった体温を落ち着けようと、俯いてぱたぱたと手で顔を仰ぐ。
すっかり会話は途切れてしまったが、二人の間に漂う空気感はとても心地よく、沈黙が苦にならないというのはシェリルにとって初めての経験だった。
目線だけをこっそりと周囲に向け、俯いたまま辺りの風景を盗み見る。
シェリルが初めて目にする小さな紫の花や、木漏れ日に照らされてキラキラと輝く小さな粒子。
木の幹をちょろちょろと登っていくリスの姿に視線を奪われていると、ふとアーサーが足を止めた。
同時に腕の力が弱まったことに不安を覚え、パッとウィリアムを仰ぎ見ると、こちらを見下ろす金色の瞳と目があった。
「さあ、着いたぞ。お昼にしよう」
「え…?」
アーサーに登らせてもらったときと同じく、ひらりと馬上から降りたウィリアムに素早く腰を抱えられて地面に足をつける。
きょろりと見回すと、そこには小さな湖と、そのほとりに小さな丸太小屋があった。
シェリルの手を取り、ウィリアムが丸太小屋へと進んでいく。
「少し待っていてくれ」
そう言ってウィリアムは丸太小屋に入っていき、ちょうど二人で座れるくらいの大きさの敷き布を持って出てきた。
ばさっと軽快な音を立ててその場に布を敷き、シェリルを手招きする。
おずおずとシェリルが靴を脱いで布の上に腰を下ろしたのを満足げに見ると、もう一度アーサーの元に向かい、どこに持っていたのか、バスケットと水筒を手に戻ってきた。
シェリルの隣に座り、手慣れた様子でそれらを敷き布の上に広げれば、あっという間に昼食の準備が整う。
まさかウィリアムがそんなことまでしてくれると思わなかったシェリルは、驚きの表情を隠せずにいた。
「すごい…慣れてらっしゃるんですね」
「まあ、外で食事をすることは珍しくないからな。討伐の際には野営をすることがほとんどだし、ここに来る時には必ずこうして食事を持ってくる。…もっとも、ここまで立派な食事が用意されたのは初めてだが」
「そうなんですか?」
「ああ、普段は簡単な軽食と水くらいなんだが…よほど料理長が張り切ったんだろう。それに、水筒の中身はマリーが淹れたとっておきの紅茶らしい」
その言葉に、目の前に広げられた料理を眺める。
いろんな具が挟まれたサンドイッチに、鶏肉に香草をまぶしてこんがり焼いたもの、サラダにフルーツ、手早くつまめるチーズにナッツが練り込まれたビスケットなど、シェリルの好物を中心に、バラエティに富んだラインナップだった。
これらが全て調理室で働く人たちの気遣いだと思うと、口元を綻ばせずにはいられない。
そんなシェリルにウィリアムはにこりと笑いかけ、さっそくと言わんばかりに肉を摘んでかぶりついた。
「さあ、食べよう。ここでは誰も見ていない、行儀なんて気にしなくて良いからな」
「っ!…ふふ、はい。いただきます」
そういってシェリルも、好物のたまごサンドイッチを手に取り、口いっぱいに頬張った。
初めて食べた時に感動したのと同じ、少し甘めの味付けの卵に嬉しそうに目を細めて、ゆっくりと味わう。
そして、コップに注いでくれた温かな紅茶に口をつけて、ほうっとため息を吐き出した。
ここにはいない二人の姿が胸を満たしてくれたような気がして、ほっこりとした気分のまま、両手で胸を押さえて感謝を捧げる。
「君は、そのサンドイッチが好きなのか?」
「はい。ウィリアム様のお屋敷で初めて出されたのがこのサンドイッチで、あまりに美味しくて泣いてしまったくらいです」
「そうか…どこにでもあるサンドイッチだと思うが」
「そうなんですか?私は初めて食べたので、他のサンドイッチとの比較はできないですが、でも本当に好きで…そのことを料理長さんに伝えたら、お屋敷にいる間は毎日このサンドイッチを出してくれました。優しい方ですよね」
「優しいものか。……私は、昔苦手なものを伝えたら、完食するまで毎回同じものを出されたぞ」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるウィリアムに、思わず笑い声を上げてしまう。
失礼だっただろうかと、一瞬で口を押さえて笑みを消そうとしたが、その手をウィリアムに取られてしまってはそれも叶わない。
「隠さなくて良い。ここでは私しか聞いていない。私には、遠慮などしないでほしいから」
「いえ、でも…それではあまりに、失礼です」
「いいんだ。私が、そうしてほしい。それではダメか?」
そのまま手をぎゅっと握り込まれ、もう片方の手で手を覆うようにされると、まるで懇願されているような錯覚に陥ってしまう。
なんだか変な期待をしてしまいそうで、慌てて頭をぶんぶんと振ると、ほっとしたようにウィリアムが肩の力を抜いた。
真剣な金色の瞳は、ウィリアムの言葉が嘘でないことを伝えてくれている気がして、知らずシェリルの口から、ずっと頭の片隅にあった疑問が飛び出してしまう。
「……あ、あの…どうして、こんなに良くしてくれるんですか?」
「ん?」
「私、ずっと分からなくて…ウィリアム様も、お屋敷の皆も、軍の皆も。どうしてこんなに親切にしてくれるんでしょうか?以前ウィリアム様が、皆が私のことを大事に思ってくれていると言ってくれたことがありましたよね。でも、私がどうしてそんな風に思ってもらえるのか、全く分からないんです…」
そうして思うままに口にしてしまったものの、聞いてはいけないことだっただろうかと、言った傍から後悔してしまう。
一つだけ心当たりがあるのは、『薬聖ソフィー』の存在だ。
彼女の話を聞けば聞くだけ、どれだけ偉大な存在だったのかというのがわかってしまう。
そんな彼女から直々に教えを乞うことができた自分の存在は、きっと以前ウィリアムが言った通り、見る人が見れば魅力的なのだろう。
———ウィリアムたちにとっての自分が、同じように見られていたとしたら?
それくらいしか自分に価値はないのだから当然だ、と思う反面、本当にそうだったらきっと自分は悲しいと、贅沢に考えてしまう自分もいる。
とても気になるけれど、それを肯定されるのも、否定されるのも怖い。
きっとウィリアムは優しいから、もしシェリルのことを『利用価値が高い存在』だと認識していても、きっと上手に嘘をついてしまうのだろう。
だから、彼の口から登る言葉が肯定だろうが否定だろうが、疑心暗鬼に陥ってしまう気がした。




