誰かを大事に想うということ
「……ふむ、まあこんなところか。あとは、シェリルの様子を見ながら進めていってくれ。お前の裁量で進めてもらって構わないが、なるべく早めに国に提出したい。できる限り、急いでくれ」
「わかってるわ。そうは言ってもシェリルちゃんの体調次第になるけれど…まあ、資料集めやデータのまとめは他にも人材を用意するから…2〜3週間、ってところかしらね」
「十分だ。それからオリバー。先日渡しておいた書類はどうなった?」
「全て滞りなく。申請を出しているものについては、もうじき詳細が届けられる予定です」
「届いたものは最優先で私のところに持ってこい。…絶対に逃すな」
「御意」
「それからリヴァイ、マーク。先ほども言った通り、別途指示があるまでは、お前たち二人は彼女の護衛が最優先任務だ。もちろん、交代で訓練に入るのは問題ないが、…彼女の身に何かあれば、私が許さん。それを肝に銘じて行動するように」
「「はっ!」」
鋭い二人の声に満足そうに頷いたウィリアムが、再度シェリルに向かって視線を落とす。
涙もすっかり止まり、胸の中に渦巻いていた感情の波も落ち着いてきたことで、今度は密着する彼の体温に意識が向いてしまっていたシェリルは、その熱からも視線からも逃れようと、ウィリアムの腕の中で小さく身じろぎをした。
恋心を自覚してしまった今、こうした触れ合いは意識してしまうからやめてもらいたいのに。
そんなシェリルの胸中に気づいているのかいないのか、ウィリアムは不服そうに少し眉を寄せると、渋々と言った体で手を離した。
代わりというようにまた軽く手を握られて、もう片方の手でシェリルの手を包み込むように覆われる。
まるで慈しまれているかのようなその仕草に、きゅっと胸の奥が締め付けられるのを感じた。
「……あとは、君だな。あまり無理をしないように…とは思うが、申し訳ないが今回の件は完全に君の知識と記憶を頼りにすることになる。できることであれば何でも手を貸すから、遠慮なく言ってほしい」
「い、いえ……すでにもう十分すぎるくらいで……!」
「君はいつもそうだな。自己評価が低いのは、おそらく君の過去が原因なんだろうとは思うが…さっきも言った通り、君は君自身の価値を、もう少し自覚した方が良い」
「……それは、その……」
「少なくとも今、君の周囲にいる人間は全員、君のことを大切に思っている。クレアにしろ、ハナにしろ、兵士たちにしろ。もちろん、私もだ。君が嬉しそうにしていれば幸せな気分になるし、君が悲しむようなことはできる限り取り除いてやりたい」
「………っ」
「思い出してほしい。君が大事にしていた人物、薬聖ソフィー。彼女がかつて何かに悲しんだり、喜んだりしていたとき、君はどう感じていた?」
ウィリアムに問いかけられて、かつての記憶を呼び覚ます。
あの村で、唯一シェリルに親切にしてくれていた、優しいおばあさん。
シェリルが初めて調合に成功したとき、まるで我が事のように喜んでくれていた彼女。
その満面の笑顔を見た時、胸の奥底がほっこりと温かくなったこと。
シェリルが両親に折檻を受け、ぼろぼろの姿でソフィアの元を訪れた時には、顔を真っ赤にしてシェリルを抱きしめてくれたこと。
彼女がこの世を去った時、まるで世界が終焉を迎えたように、何もかもが灰色に見えたこと。
家を追い出されてから、日々を生き抜くのに精一杯だったことで、いつの間にか心の奥底に閉じ込めてしまっていた鮮明な記憶に、ぎゅうっと胸が鷲掴みされたような気分になる。
シェリルの表情が変わったことに気づいたのか、ウィリアムがふっと唇の端に笑みを浮かべた。
「……そう。今、君が感じているその感情を、この屋敷にいる誰もが君に抱いていることを、忘れないでほしい」
「……っ、はい…!」
胸がいっぱいのまま力強く頷いたシェリルに満足げにウィリアムも頷き返すと、ようやくシェリルの手を離してその場に立ち上がる。
そうして、座ったままのシェリルの頭を軽くぽんぽん、と撫でると、オリバーと共に部屋を出ていった。
急速に訪れた沈黙を破るように、クレアがぱん、と手を叩く。
「……さて、と。では、シェリルちゃんは仕事に戻ってもらって良いわ。さっき言っていた速記士は、一人だけは明日にでも準備ができるから、悪いけれど今日はこれまで通り、シェリルちゃんの手で作業を進めてもらって良いかしら?」
「はっ、はい!問題ありません」
「来週にはもう一人増やしてみて、様子を見てみましょう。それ以上増やすかどうかは、シェリルちゃんの体力と相談になるかしらね…。それから、明日からもう一人、救護隊の人員をそちらの作業につけようと思ってるの」
「もう一人…でも、忙しいんじゃ…」
「あら、さっきウィルが言っていたことをもう忘れたの?今はあなたの作業が、救護隊の中での最優先事項なの。だからこれは、当然の措置よ」
「あ………」
軽く人差し指でつん、と額を突かれ、茶目っ気たっぷりに断言されてしまえば、それ以上は何も言えなかった。
元はといえば、シェリルの手が遅いからこその配慮なのだ。
これでウィリアムやクレアの期待通りの成果が出せるのであれば、それ以上否定するなんてできない。
「なるべく記憶力の良い人間をつけるから、あなたが言ったことと速記士が記述したことの間に齟齬がないかどうかの確認に利用すると良いわ」
「……はい、ありがとうございます」
そうして、今後の作業の進め方についてもう一度クレアと相談をしてから、シェリルはリヴァイとマークを伴って、作業部屋に戻ったのだった。




