当たり前なんかじゃない
ウィリアムの眉間に久々に皺が寄り、少し声音が低くなったことには気づいたけれど、今更口を閉ざすこともできず、シェリルは引っ込めそうになった言葉を辿々しく紡ぐ。
「……昔、家族からずっと言われていたんです…私の家族はみんな、とても強い魔力持ちで……そんな中、私一人だけほとんど魔力がなかったから…」
「……だから、『おかしい』と?」
「……はい。私のせいで恥をかくって、両親はいつも怒っていて……双子の弟はとても優秀だったから、余計に私の至らなさが目についたんだと、思います……」
いつも鬱陶しそうにこちらを睥睨する両親と、そんな親子関係に全く興味がなさそうに、いつも冷めた目をしていた弟。
常に冷え切っていた家庭環境を振り返ると、今の境遇に慣れきってしまったシェリルは身震いさえしてしまう。
当時はなんでもないことのようにやり過ごせていた何もかもが、今では耐えられない程の胸の痛みをシェリルにもたらした。
その場の暗い空気感をなんとかしようと思ってへらっと笑って見せると、その場にいた誰もが痛ましそうにその眉を下げる。
それでも、『なんでもない』ことだと皆に言い聞かせる他、シェリルはやり方を知らなかった。
「で、でも…っ、さっきの『色』のことも、ですけど…ほら、やっぱり私は両親の言う通り、どこか変なんだと、思います。だから、家族の反応だって当たり前のことで、そんな風に……」
———優しい皆が気にすることではない。
そう続けたかったのに、そんなシェリルの言葉を遮ったのは、それまでに聞いたこともないようなウィリアムの咆哮だった。
「………当たり前なわけがあるか…!!!!!」
びりびりとその場の空気すら震わせる、まさに獣の咆哮のような叫びに、大きくシェリルが目を見開く。
ぎりっと音がするほど歯を食いしばり、何かに耐えるようにウィリアムは強くシェリルの手を握りしめていた。
その瞳がまるでシェリルを射抜かんばかりに睨みつけているから、ひゅっと小さく喉を鳴らして肩を竦ませる。
手を引っ込めようとするのに、ウィリアムに握られているせいでびくともしないことに焦りを感じていると、その場の空気にそぐわない呑気そうな声がウィリアムの背後からかけられた。
「…主、落ち着いてください。シェリルさん、すごい怖がってますよー」
その言葉にハッとしたようにウィリアムが眉間の皺を解いたが、未だ手は外れない。
シェリルに向けられる視線も少しは和らいでいたものの、やはりまだ何か怒っているような気がしてならなくてうろうろと視線を彷徨わせていると、不機嫌そうなウィリアムの声が頭上から降ってきた。
「……すまない。怖がらせたか」
「あ、あの、いえ…なんだか怒らせてしまって、すみません…!」
「違う、怒っていた訳では…いや、確かに怒ってはいたんだが、君にではなくてだな…」
今にも泣きそうになりながら謝っていると、殊更慌てたようにウィリアムが言葉を重ねてくる。
それに背中を押されるようにちらりと視線を上に向けると、ぶすっとした表情ではあるがしっかりとシェリルに視線を合わせ、口を開いた。
「……君を産んでくれたご両親には申し訳ないが、その考えは絶対に間違っている。君にはおかしいところなんて一つもない」
「………え?いえ、でも私は、変なものが見えて…」
「それは個性だ。しかも、薬聖ソフィーにすら認められる、素晴らしい個性。才能と言い換えてもいい。…君はその存在を尊重されるべき、素敵な人だ。決して貶められていい人間ではない」
そうして重ねられた言葉の意味を理解できず、しばらく思考が停止してしまう。
しかしたっぷりと時間をかけてその言葉が脳に染み込んでいけば、代わりに溢れ出したのは大粒の涙だ。
「……え?…あれ……」
ぼろぼろと、声を出すこともなくとめどなく溢れるそれは全く止まらなくて、拭いても拭いても全く意味がない。
すると、視線の先にいたウィリアムがぐっと一度眉を寄せ、「すまない」と声をかけられたかと思うと、優しく頭を引き寄せられ、その胸に顔を押し付けられた。
みるみるうちにウィリアムの服が濡れそぼってしまっていることには気づいていたけれど、後頭部に添えられた手は存外力強く、離れようと思っても叶わない。
仕方なく、おずおずと両手で軽くウィリアムの服にしがみつくと、その手がぽんぽん、と頭を撫でてくれた。
その甘やかな仕草にも慰められてさらに涙を溢れさせていると、抱き寄せられた頭はそのままに、ウィリアムがクレアに向かって声をかけるのが聞こえた。
「先ほどの話に戻るが、これまでにシェリルと同じような報告をしてきた者は一人もいないということか」
「そうね。少なくとも、これまで私がここで隊長になってからは一度も報告を受けたことはないし、国で保管されている調合関連の文献でも、そういった記述は見かけたことがないわ」
「では、一度確認のために救護隊には全員確認をとっておいてくれ。もし万一他の者にも同様の現象があるなら、それも資料作成に加えてくれ」
「わかったわ。…ちょっとハナ、ジャックと手分けをして、とりあえず救護隊にいるメンバー全員に今すぐ確認を取ってきて頂戴」
「わっかりました、隊長!いってきます!」
「それから、シェリルは嫌がっていたようだが…今回の資料作成はかなり大掛かりになるだろうから、速記士を複数用意するべきだと思う」
「……それもそうね、単純にポーションの話だけではなくなってきそうだし…でも、速記士が増えればそれだけシェリルちゃんの負担も増えるわよ?」
「……ふむ、それもそうか…シェリル、君はどう思う?」
唐突に声をかけられパッと顔を上げると、そこにはこちらを見下ろすウィリアムの顔があった。
二人の冷静なやり取りに気を取られて、いつの間にか涙も止まっていることに気づく。
思いのほか近くに顔があることに少し頬が赤らんだ気がしたが、まだ少し湿っぽい肌をごしごしと乱雑に擦って誤魔化し、くるりとクレアを振り返った。
「大丈夫です、クレアさん!やらせてください」
「……本当に、大丈夫なのね?」
「はい、任せてください」
「大丈夫です、クレア隊長。私たち護衛二人も、常にシェリルさんについていますから。無理しそうになっていれば、声を掛けるくらいはできます」
「そうです!絶対に俺らが無理なんてさせませんから!」
シェリルの言葉に重ねるように、リヴァイとマークの二人も口添えをしてくれる。
視線を向けると、なぜか二人とも目を潤ませているような気がしたが、その理由について問う前に、とんとん拍子で速記士を用意する準備が進められてしまい、確認することができなかった。




