膨らみきった不安は溢れて
「ところで、シェリルちゃんさあ」
「はい、なんでしょう?」
「救護隊に来て、もう10日くらい経ったよね?」
「はい、そうですね」
「結構仲良くもなれたなーって思ってるし、お友達になれたよね?」
「お、お友達…!光栄です!」
「じゃあさ、そろそろ聞いてもいいかなーって思うんだけど」
「…?はい、何をですか?」
よほどお腹が減っていたのか、ものすごい勢いでビッグボアのステーキを平らげて満足そうにお腹をさすっていたハナが、不意に頬杖をついてシェリルの方を向く。
まるで要点の見えない話の進め方に、いつものハナらしくない気配を感じて首を傾げると、意を決したように両手を膝の上に置き、姿勢を正してシェリルに向き直ってきた。
「……シェリルちゃんって、ウィリアム様と付き合ってんの?」
むずむずと口を動かした後にようやく吐き出された言葉を、しかしシェリルは咄嗟に理解することができなかった。
もちろん、シェリルだって今年で24歳になる立派な大人だ。
いくらこれまで人との関係が希薄だったとはいえ、何も知らない子供では決してない。
いわゆる男女関係における『付き合う』というものが一体なんなのか、という程度の知識は持っていた。
それでもすぐに頭が追いつかなかったのは、その対象となる相手の名前が、シェリルにとって最も意外な人物のものだったからに違いない。
しばらくきょとん、とした顔で、緊張した面持ちのハナを見つめていたシェリルだったが、ようやく時間をかけて脳に『付き合う』という言葉が到達したのか、一気にぼんっと顔が赤くなった。
火が出ているのではないかと思うほど紅潮している顔の前でパタパタと必死に手を振り、なんとかハナの誤解を解かなければと口を開く。
「ち、違います!そんな、そういう関係ではっ」
「あれ、違うの?」
「も、もちろんです!そんなの、ウィリアム様に申し訳ないっていうかっ」
「えー…でもあれだよね、ウィリアム様は絶対シェリルちゃんのことお気に入りだよね?」
「えっ、えっ!?いや、まさか!」
「いやいや、それは嘘だって。初日からあんな姫抱っこで大事そうに抱えられといてそんな」
「ち、違っ…!あれはだって、私がまだうまく歩けなかっただけで!」
「いやいやいや。…いやいやいや!」
しかし何を言ってもニヤニヤ笑いを止めてくれないハナに、シェリルの顔はどんどん熱を増していく。
このままでは頭が爆発してしまうかもしれない…そう思って気が遠くなりかけたところに、それまで黙って二人の話を聞いていたクレアが、ようやくストップをかけてくれた。
「…はい、ちょっとストップ、ハナ。シェリルちゃんが気失っちゃう」
「えーだって隊長!隊長だって、そう思いますよね?」
「それは、うーん…まあ…でも、こういうのは周囲がどうこういうものじゃないでしょう?」
「えーつまんなーい!絶対みんな気になってますよーぅ」
「まあまあ。…でもシェリルちゃん。ちょっと私も気になることがあるんだけど、いいかしら?」
「う…はい、なんでしょう?」
二人が話している間に、すっかり熱くなってしまった顔をぱたぱたと手で仰いでいると、横からクレアに声をかけられる。
なんだろうと思って一瞬身構えたが、その視線が少し真剣なものになっている気がして、きゅっと表情を引き締めた。
「最近、なんだか考え事してることが多いわよね?」
「え、あ…それは……」
「仕事には特に支障が出てないから、それはいいんだけど…でも、何か悩んでるなら話してごらんなさい。何か役に立てるかもしれないわ」
にこりと笑んで差し出された、こちらを気遣うような言葉と気持ち。
この屋敷に来てからはすっかり馴染みのあるものになったが、それがどれだけ得難いものであるかをシェリルはよくわかっている。
だからこそシェリルは、これまでであれば絶対に誰にも話はしなかっただろう自分の心の内にある思いを、そっと二人に吐き出した。
「……あの、もし迷惑でなければ、相談に乗ってほしいんですけど…」
「ええ、もちろんよ。どうしたの?」
「……わ、私…ウィリアム様と、どんな顔をして話せば良いのか、わからなくて…」
一度口火を切ってしまえば、あっという間に言葉が溢れ出てきた。
初めてローダの街を見たときの感動。
買い物中に聞いてしまった、街の人たちのウィリアムに対する暴言。
マリーに聞かされた、ウィリアムの過去の話。
自分の中にある憤りと戸惑い。
ウィリアムに対する思い。
それらがぐるぐると胸の中を渦巻いて、自分の感情がわからなくなる、不安。
「あの人たちは、ウィリアム様のこと、何にも知らないのに…!あんなに優しい人、他にいないのに…い、今までウィリアム様は、どんな思いでここまで生きてきたんだろうって、思ったら…っ、な、なんだか胸がぎゅうってなってしまって…」
いつの間にか膝の上で握りしめていた両手の甲に、ぽたぽたと温かい雫が落ちる。
その熱に驚いて、そこで初めて自分が涙をこぼしていることに気がついた。
握った拳をそのまま持ち上げ、乱暴に両目を擦ると、力が強すぎたのか目の前が白く霞む。
なおも溢れそうになる悲しみを堪えるように、ぐうっと喉を鳴らして目に力を込めた。
「……でも、私も、何にも知らないんです。ウィリアム様のこと…。きっとウィリアム様は、マリーさんたちから、私が勝手にウィリアム様の過去の話を聞いたことを、教えてもらってるんだと思うんです…さ、最近避けられてるのも、きっと、私が勝手に話を聞いて、勝手に同情しているのを、嫌がっている、からで……っ。でもウィリアム様は、優しいからっ…目の前で泣いたら、きっと困っちゃうから……」
だから、会えない。
ぽつりと呟いて鼻を啜ると、無言でハナが隣にやってきて、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。
隣に座っていたクレアもその手を伸ばし、ゆっくりと背中を撫でてくれる。
二人の熱に、ようやく胸の中で膨らみすぎていた感情が溶け落ちるのを感じながら、また堪えきれなくなって嗚咽を漏らした。




