何やら不穏な話です
明らかにほっとした様子を隠さないシェリルに、それを見つめる二人の表情も知らず緩む。
クレアはシェリルの背中をゆったりとさすりながら、話を続けた。
「もちろん、例外というのは当然あるから、これからもしばらくは経過観察を続けさせてもらうけれど、貼り付いてまで様子を見続ける必要はなくなる。だから、今日の午後から訓練に戻ってもらって問題ないわ」
「わかった。本人にも伝えておこう」
「それから、シェリルちゃんがこれまで所属していたギルドについては、まだ調査中よ。キーストン領内ではないから、どこまで追求できるかはわからないけれど…ただ、最近あの辺りできな臭い動きもあるみたい。シェリルちゃんも、少し気をつけておいた方が良いかもしれないわね」
「え……?私が、ですか?」
クレアの言葉に、シェリルは目をぱちくりと瞬かせて二人を交互に見やる。
どうしてここでシェリルの名前が出てきたのかはさっぱりわからないが、どうやら二人とも真剣な様子で、冗談を言っているようには見えない。
首を傾げ、助けを求めるようにウィリアムへと視線を向けると、困ったように口を開いた。
「……自覚はないかもしれないが、君が作ったあのポーションは、相当質が良い。うちの調合部隊は国の中でも指折りの腕を持つ二人だが、その二人でもこのレベルのものは作ったことがなかった」
「……そう、なんですか?」
「ああ。当然、ギルドにこのポーションを卸していたなら、効果も当然彼らは知っていた筈だ。なのに、シェリルに支払われていた賃金は相場の約6割程度。これはあまりにも酷すぎる。つまり、彼らは意図的に君から、技術と労力を搾取していたということになる」
『搾取』という言葉が妙に胸の中でざらついて、シェリルはこくりと生唾を飲み込む。
これまでシェリルが考えることすらしていなかった、第三者の視点から見たシェリルを取り巻いていた状況。
そのどれもが、まるで夢の中にでもいるような現実感のなさを伴っていて、足元が覚束ないような心細さを生んでいた。
膝の上でぎゅっと握り締めた両手を、ウィリアムがぐっと眉間に皺を寄せて見つめている。
何か刺々しいものを飲み込んだような痛みを伴う表情に、不安感はさらに増した。
「これだけの効果があるポーションを、従来のポーションと同等の値段で提供していたなんてあり得ない。そこには必ず、大きな利益を得ていた誰かがいるはずだ。でも、そんな金の卵を産む鶏だったシェリルが消えた。その誰かは、今頃相当焦って、君を探している可能性が高い」
苦々しい表情を浮かべて述べられた事実に、衝撃を隠せない。
シェリルが作った改良ポーションを卸していたのは、ここにくる直前まで所属していたギルドのみ。つまり、そのギルド内の誰かが、これまで長くシェリルを騙し続けていたということだ。
そんな悪意に晒されていたことも知らなかったということ、そして真実を知った今でも、もし無理やり連れ戻されてしまったら逆らう術を持たないのだということも理解してしまい、恐怖に身体が震える。
気遣わしげな顔で背中を擦ってくれるクレアのことも、余裕がなくなってしまったシェリルの視界には入らない。
この一ヶ月、多くの人たちの好意に触れながら心と身体の傷を癒してきたシェリルにとって、以前の生活に戻るなんて考えることはできなかった。
救護隊に入らないかという打診があるまでは、以前と同じ生活に戻ることに躊躇いなどなかったはずなのに。
血の気が引いて、握りしめた両手の感覚がなくなってきたのをぼんやりと感じていると、その上にそっと、大きな手が乗せられる。
温かい熱にふっと視線をあげると、いつの間にきていたのか、ウィリアムが向かいのソファから立ち上がり、シェリルの目の前に膝をついてこちらを見つめていた。
視線が絡み合うと、乗せられていた手がぎゅっとシェリルの両手を握り込む。その強さに不思議と安堵して、ようやくシェリルは少し肩の力を抜いた。
「……悪い、怖がらせたい訳ではないんだが…でも、君は自分の価値を正しく知っておくべきだ。そうでなければ、いくら守ろうと思っていても、手が届かないことがある」
「………まも、る?私を…?」
「ああ、そうだ。シェリルはもう、我が軍の大事な隊員の一人。君を不当に扱う奴らになど、絶対に渡しはしない」
「そうよ、シェリルちゃん。こう見えて、ウィルは結構強いの。それに私たちも、シェリルちゃんのことをとっくに仲間だと思ってるわ。他のみんなだって一緒。だから、用心するに越したことはないけれど、安心してくれて大丈夫よ」
二人の言葉がじわじわと、シェリルの強張ってしまった身体をほぐしていく。
背中と両手から伝わる熱は、その言葉が確かに嘘ではないということを教えてくれているようだった。
そのことに勇気をもらい、シェリルはおずおずと口を開く。
「わ、私……ここに、いたいです。前のギルドには、戻りたく、ない」
「……ああ、もちろんだ。私の全てを賭けて、君を絶対に守ると誓う」
その力強い声に、シェリルだけでなくクレアも目を見開いた。
ウィリアムが、シェリル相手に騎士の正式な誓いの礼をとっているのだ。
いくら安心させるためとは言えやりすぎでは…と思い、慌ててウィリアムを立たせようと手を伸ばすと、思っていたよりもずっと強い意志を秘めた瞳と視線がぶつかった。
そして、不安そうに眉を寄せるシェリルに向かって、ウィリアムの唇が笑みの形をとる。
「はいはい、もう……シェリルちゃんがいると、ウィルは本当にポンコツね…ほら、もう少し具体的に、今後の話が必要なのよ。騎士様も席に戻んなさい」
しっしっと手で追い払う仕草を見せたクレアに、ウィリアムが嫌そうに顔を顰めると、ようやくシェリルの手を離して元の場所に戻ってくれた。




