これからのお話
———それから10分後。
シェリルの目の前では、それはもう額が膝にくっついてしまうのではないかという程の見事な謝罪を見せる、ウィリアムの姿があった。
「ちょ…っ、顔を上げてください!」
「………すまない…君に恥ずかしい思いをさせてしまって……」
あの後、すっかり顔を隠してしまったシェリルと兵士たちが囃し立てる声で、ようやくウィリアムはシェリルが恥ずかしがっていることに気づいたらしい。
ひとまず兵士たちは一睨みで黙らせてくれたものの、だからと言って恥ずかしさが消える訳ではない。
すっかり茹でだこのようになってしまった頬を押さえて熱を醒まそうとしていると、ひとまずシェリルを床に下ろしてくれたウィリアムが唐突にシェリルの前で頭を下げたのだ。
やっと静まってくれたと思った兵士たちが、またもやどよめきの声を上げる。
(も、もう勘弁してーー!!)
このままでは、また彼らに変な目で見られてしまう。
これまで誰にも興味を持たれたことのないシェリルにとって、初日からこんなに衆目に晒されるなんて想定外の出来事だった。
どうしようと慌てていると、ようやく背後からクレアが助け舟を出してくれる。
「ちょっとウィル。もうその辺にしてあげなさい。シェリルちゃん困ってるじゃない」
「しかし………!」
「はいはいはーい、こっちは忙しいんだから、あなたもあっち行きなさい。怪我の治療希望の人はいつもの部屋。もう準備できてるから、中の隊員に声かけて頂戴!ハナはシェリルちゃん連れて調合室に。後から私も行くわ」
「はーい、隊長!じゃあ行こっか、シェリルちゃん。怪我のことは聞いてるから、ゆっくり歩いて大丈夫だからね」
クレアの鶴の一声で、兵士たちもハナも何事もなかったかのように動き始める。
呆気に取られているシェリルの手を引いて、ハルは最初に顔を出した扉を開けて、シェリルを中に招き入れた。
ちらりと振り返ると、ひとまず顔は上げたものの気まずそうにこちらを見遣るウィリアムと視線がぶつかる。
何かを言いたそうに口を何度か開くと、絞り出すような声で「…あとで」と呟き、踵を返した。
何が「あとで」なのかがわからず声をかけようと思ったが、ウィリアムは足早に扉へと向かっていく。
そのまま建物から出ていくその背中を見て、少しだけ胸がちくりと痛んだ。
「シェリルちゃん?大丈夫、歩ける?」
「あっ、はい!大丈夫です!」
ハナの声に慌てて振り向き、後ろ手で扉を閉める。
ひとまず仕事に集中しなければ、と、シェリルは一度ぎゅっと目を閉じて、大きく深呼吸した。
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通された部屋は、シェリルの寮の部屋を2つくっつけたくらいの大きさだった。
入って右側の壁一面には薬品棚。瓶の中に入った薬草や薬効のある動物の皮などが綺麗に並べられている。
反対の壁にもこれまた一面に棚があったが、こちらは書棚のようだ。
ずらりと並んでいる本はどれも調合に関するもので、ぱっと見てわかるほど貴重な本も置かれていて、シェリルは目を輝かせてしまった。
一番奥の壁には大きな窓が三つ。大きな作業机が壁にくっつけるように置かれていて、シェリルにも馴染み深い調合のための道具などが置かれている。
そして部屋の中央には小ぶりなテーブルが一つと、それらを取り囲むように椅子が四脚。少し離れて、休憩用なのであろうソファーセットも置かれていた。
テーブルの椅子には、見事に真っ白な髪の老人が一人座っている。
目は眠そうに閉じられているように見えるが、シェリルがじっと見つめていることに気づくとにこりと笑ってくれるので、おそらく見えているのだろう。
促されるまま彼女の向かいにシェリルが座り、その間の椅子にハナが腰掛けた。
「じゃあ、まずは改めて自己紹介。私はハナ。この調合室で働いてる一人だよ。ここで働き出してからは三年目になるかな。で、こっちは私のお師匠様のジャックさん」
「初めまして、お嬢さん」
「は、初めまして!シェリルです」
ジャックが少し枯れたようなハスキーな声でシェリルに声をかける。
ぺこりとシェリルが頭を下げると、満足げにうんうんと頷いて、笑みを深めてくれた。
(優しそうな人)
向けられた笑顔が嬉しくて恥ずかしくて、思わず下を向いてしまうと、ハナから声がかけられる。
パッとそちらを向くと、手元にあった書類をぱらりとめくりながら、こちらに視線が向けられた。
「そういえば、シェリルちゃんは今後のことってどう聞いてる?」
「えっと……救護隊のことは先ほど少し聞いたんですが、それ以外のことはまだ何も聞いてなくて」
「あれ、そうなの?隊長、話しといてくれるって言ってたんだけどなー…まあいっか、私のほうから説明するね!」
「!お願いします」
「シェリルちゃんって、これまではギルドで調合とかの仕事を受けてたって聞いてたんだけど、合ってる?」
「はい。とは言っても、あんまり稼げるような腕ではなかったですが…」
「そっかそっか。あと、魔力もあんまりないって聞いてるんだけど、これも合ってるかな」
「………はい」
ハナからの質問に答えていくにつれ、少しずつ声が小さくなっていくのが自分でもわかる。
せっかくこんなに良くしてくれてるのに、本当にこんな自分で役に立てるのだろうか。
調合の腕も大したことがなく、魔力もほとんどない。
ギルドでも終始バカにされていたような、こんな自分に。
少し視線が落ちてしまったのに気づいたのか、それまで黙っていたジャックがコンコン、とテーブルを軽く叩いた。
その音に反応して顔を上げると、安心させてくれようとしているのか、先ほどと同じようにうん、と頷いてくれる。
そのまま横に目線をずらし、ハナも表情を変えることなく笑っていることに、どうしようもない安堵を覚えた。
口がむずむずするのを堪えるように、ぐっと唇を噛み締める。
この屋敷に来てから、他人に笑みを向けられる回数が多いことに毎回シェリルは驚いてしまう。
ウィリアムを始め、ここ一ヶ月でシェリルは一生分の優しさをもらったのではないかと勘違いしてしまうほど、多くの人の好意に触れている。
とはいえ、シェリルがそう感じているだけで、マリーに一度そんなことを言うと「これくらいは普通ですよ」と笑って返されてしまったのだが。
あの部屋から出て寮に入ると決めたときも、本当はかなり不安だった。
これまでシェリルはずっと一人で仕事をしてきたから、誰かと一緒に一つの仕事を続けていくなんて初めてのことだ。
しかも、ギルドで受けるような一度きりの仕事ではなく、シェリルが願えばずっと同じ人たちとやりとりをしながら続けていく。
そんなことが果たして自分にできるのだろうかと身構えていたのに、ハナもジャックも、そんな心配を吹き飛ばすほどの笑顔で出迎えてくれた。
初めはウィリアムの役に立ちたい、と思って決めたことだったけれど、改めてこの二人にも役に立つ人間だと思ってもらいたいと、シェリルは決意を新たにした。




