新たな門出
あれよという間に話がまとまったあの日から、数日が経った。
完治したとは言え、弱った筋肉ではまだまともに歩けないシェリルだったが、すでに少しずつリハビリは始めている。
拙い動きではあったが、クレアたちの後押しと、相変わらずシェリルの元に訪れてくれるウィリアムの励ましのおかげで、部屋を移ることにはなんとか、杖をつきながらであれば一人での移動もできるようになっていた。
そうして迎えた、月曜日。
わずかな荷物をまとめたシェリルは、そわそわと指先をもじつかせながら、迎えが来るのを待っていた。
リハビリを始めていたとは言え、まだシェリルは一度もこの部屋から出ていない。
一体あの扉の向こうはどうなっているのだろう。
これからシェリルの家となる寮は、どこにあるのか。
もう、ウィリアムと今までのように会うことはできないのだろうか……。
期待と不安で扉をじっと見ていたから、その扉ががちゃりと開かれたとき、シェリルは部屋に入ってきたウィリアムとばっちり視線が合わさってしまった。
今の今まで頭の中を占拠していた本人が現れたことで、シェリルの顔が知らず赤く染まる。
それに気づいているのかいないのか、意に介した様子のないウィリアムはいつものようにシェリルが座るソファまで近づき、すっと膝を折った。
「待たせていたか。悪かったな」
「い、いえ!あの、どうしてウィリアム様が…っ?」
今日から寮に移るということは、シェリルは今日からウィリアムの軍に所属するということになる。つまりウィリアムはシェリルの雇用主、ということだ。
それなのに、わざわざ今日この日にシェリルの元にウィリアムがやってくる意味がわからない。
そう思ってシェリルが首を傾げるが、とうのウィリアムの表情はいつもと変わらない。
最初の頃はぐっと寄せられていた眉間のしわに気後れしていたシェリルだったが、それが視力の悪さによるクセだということを、シェリルはもう知っている。
シェリルの元を訪れている間はあまり遠いところにいないからか、そのしわが薄くなっているような気さえして、それがシェリルにはちょっとした喜びをもたらしていた。
ただ、今日のウィリアムのしわの様子を見る限り、いつもよりその深さは増しているように思う。
ますます意味がわからなくてウィリアムの言葉を待っていると、後ろからひょこっと顔を出したオリバーが、ニヤニヤとした笑みを隠そうともせずシェリルに告げた。
「今日は主が寮にご案内することになりました」
「え、え?どうしてですか?」
意味がわからなくてぽかんとしていると、少しバツが悪そうに視線を逸らしながらウィリアムがもごもごと口を開く。
「………この部屋は3階にある。まだ、階段は一人で降りられないだろう」
目線が高いことからなんとなく気づいてはいたが、この部屋はやはり上のほうの階にあったらしい。
しかし、それとウィリアムが迎えにきたことになんの関係があるのかわからなくて、そのまま続きを促すように見つめた。
それでもウィリアム自身はそれ以上語るつもりがないのか、敢えてシェリルの目線を無視し、後ろに控えるオリバーに視線を移す。
「お前は荷物を」
「はい」
「………シェリル。しっかり掴まっていろ」
「え………っ、きゃあっ!?」
ウィリアムが立ち上がったかと思うと、そのままシェリルの膝裏に腕を差し込み、軽々と抱え上げた。
突然視界が経験したことのない高さに変わったことにも驚いたが、それよりもシェリルを動揺させたのは、思いの外近くにきたウィリアムの端正な顔だった。
毎日鍛錬を欠かさないウィリアムの肌は、健康的に日焼けしてはいるものの、丁寧になめした革のようになめらかだ。
今までシェリルが見たことのない金色の瞳は、最初のうちこそ畏怖の対象になりうるものではあったが、切長の瞳がこちらを見るときだけ時折甘やかな光を帯びることを知っている。
鼻も口も、男性らしく大ぶりなものではあるが、それぞれが絶妙に配置されていて、眉間のしわさえなければ世の女性たちが放っておかないのでは、と思わせるほどの色気を放っていた。
そんな端正な顔が、突然至近距離にやってきたのだ。
シェリルが困惑してしまうのも、無理はないだろう。
しかし、悲鳴を上げたシェリルの身体を、ウィリアムの逞しい腕は危なげなく支えてくれる。
シェリルのほうも、ここで暴れればまた怪我をするのでは、という恐怖も浮かび、知らずウィリアムのシャツをぎゅっと握りしめていた。
「………それで良い。行こう」
言うと、マリーがさっと扉を開けた。
そのまま、マリーとキアラが扉の横ですっと頭を下げるのを見て、慌ててシェリルは二人に向けて声を上げた。
「あ、あの!マリーさん、キアラさん。ありがとうございました!」
「……とんでもないことでございます、シェリル様。お元気になられて、本当によろしゅうございました」
ウィリアムの前だからか、マリーの言葉はいつもより畏まっている。
それでも、その言葉の奥にある優しさをもう知っているから、シェリルは満面の笑みを返した。
「軍の人間と使用人たちの食堂は共同です。これからも二人に会える機会はいくらでもありますよ、シェリルさん」
「え、そうなんですか?」
「はい。ですから、声をかけてやってください。その方が、マリーもキアラも喜びますから」
これでもう会うことはないのだとしんみりしていたシェリルに、キアラは悪戯が成功したような笑みを向ける。
今の今まで知らせてくれなかったことに、本当なら怒っても良いのかもしれないが、シェリルは今後も二人に会える、しかも今度は同僚として会えるのだということに、嬉しさを隠しきれなかった。
「…ってことで、またすぐに会えるよ!またね、リル!」
「っ…、はい!」
そうしてシェリルは、一ヶ月もの間過ごさせてもらった部屋を後にしたのだった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
先ほど投稿しました短編シリーズものがなかなか書き終わらなくて、今日中の投稿難しいんじゃないかと諦めてました…
無事に毎日投稿続けられて、ほっとしております笑
短編シリーズ新作も是非!
https://ncode.syosetu.com/n0915hn/
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