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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第二話 体育祭、にわか雨。 
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7.栢森あやめは鼓舞する

 時刻は午後二時。体育祭は盛り上がりを維持したままつつがなく進行していた。

 競技場では、ダンス部の面々が音楽に合わせて華麗なステップを踏んでいる。俺はというと、相も変わらず観客席から競技場を眺めていた。程よく雲が出てきたことで、昼下がり特有のまどろんだ空気が浮かぶ。

 残りの種目から考えて、体育祭は終盤と言っていいだろう。午後からは部活動主体の競技がプログラムの大半を占めており、いまいち気持ちが乗り切らない。こういう時に限っては、部活に入っていればよかったなんてことを思ってしまう。

 うっかり欠伸を零すと、隣の坊主頭がぼそりと呟いた。

「もうちょいでクラス対抗リレーだな」

 気を紛らわせるため虚無を装っていたのに。土足で敷居を跨いできた鈴木に、俺は大きくため息を返した。

「気が重すぎる」

「ピンチヒッターだもんな。どうせリレーはスポーツ科と別組。そこまで大差もつけられまい」

「だといいんだけどな。まあ恥をかかない程度に頑張るよ」

 俺は競技場のほうに視線を向けた。ダンス部の演技が激しくなる。この演目が終わってしまえば、待機場所に向かわなければならない。さっきからずっと一生終わるなという念を込めているが、音楽は止まらない。聞き馴染みのある曲が、体感過去最速の拍を刻んでいる。

 クラス対抗リレーは男女それぞれ三人ずつが各クラスから選出される。他競技と違い、五十メートル走のタイムが優秀だった順に選抜されることが多いので、出てくる連中はそろいもそろって足が速い。

 そしてクラスで四番目にタイムが良かった俺は、運悪く三番手が怪我をしたことを理由に、まさかの補欠選出。たまたま中学時代サッカー部だったという名残があるだけで、普段は体育以外で運動の機会もない。レースにスポーツ推薦組がいないからといって、大差を付けられない保証は全くないのである。

 競技場に呪詛を向け続ける俺に、鈴木は楽観的な言葉を吐き続けた。

「クラス対抗リレーは花形種目だからなぁ。女子からワーキャー言われるじゃねえか。羨ましい」

「それはあくまで活躍した場合だろ。戦犯候補には縁のない話だよ」

「誰も勝ち負けにはこだわっちゃいないさ」

「どうだかねえ」

 お前は知らないかもしれないが、この体育祭には二位で泣く女もいるんだよ。真っ先に栢森の姿を頭に思い浮かべたが、今回の懸念材料はそれだけではない。

 同学年スポーツ科を除いた学科内で一位を取った場合、優秀賞というものがもらえるらしい。明らかな差があるがゆえの措置なのだろうが、余計なお世話この上ない。

 得点表に目を向ける。今現在、うちのクラスは二位。恐ろしいことにクラス対抗リレーの結果如何では、優秀賞が視野に入ってしまっている。勝ち負けにこだわる理由が無駄に増えてしまっているのだ。

 昼食時に他のクラスメイトとも喋ったが、どうやらみんな予想以上の順位に少し浮かれている。最初はあんなにやる気がなかったのに、人間の欲というのは恐ろしい。負けてもどうってことない空気感なら、ここまで緊張もしなかったのに。

 競技場に響く曲が徐々にフェードアウトしていく。終わりまでのカウントダウンのように、ドラムの音が消えていく。

「せいぜい熱い戦いに水を差さないように頑張ってくるよ」

「おう。バトンを落とすくらいのことをやって盛り上げて来い」

「戻ってきたらぶん殴ってやるから覚悟しとけ」

 俺は遺言を置き立ち上がった。寒くもないのに身震いが俺を襲った。栢森に向け堂々と「逆襲しようぜ」と言っていたくせに、状況が状況になれば自分自身が一番びびっている。こと体育祭において、空回っているのは俺のほうだった。

 鼻息荒く鼓舞するクラスメイト達に見送られ、集合場所であるバックスタンドに向かうと、気合の入った体育会系男子に紛れて同じクラスの佐金君がいた。

 俺は心の拠り所を確保すべく、すぐさま彼のもとに向かった。

「集合場所ここで合ってる?」

「おお、安堵君。大丈夫だよ」

 こちらに気付いた佐金君は気持ちのいい笑みを浮かべた。陸上部である彼からすれば、こんなものはお遊びに過ぎないのかもしれない。

 俺は佐金君の肩をゆっくり叩いた。

「マジで自信ないわ。頼んだよアンカー」

「ちょっと、緊張を煽らないでよ」

「そりゃ期待もしますよ。陸上部様ですから」

「いやいや、僕は長距離の人間なんだよ。安堵君こそ河野の代わり、期待してるよ」

「あはは。やめてくれ。俺には荷が重すぎる」

 俺はへらへらと笑みを浮かべて手を揺らした。自身の緊張を解くために軽口を叩いたはずだったのに、逆に焦りを吹っ掛けられることになってしまった。

 徐々に集まりつつあるリレー走者達が、筋骨隆々な兵士のように見えてきた。彼らに比べ俺の装備のなんと心もとないことか。いや、きっと俺のように補欠で選ばれた人間や、とびきり鈍足が集まったクラスもあるはず。あいつとか遅そうだし。

 汗を拭うフリをして周囲を見回すと、同じクラスの面々がずらずらと集合場所にやってきた。その中でも一際小柄なボブカットが俺に寄り、あいさつ代わりに肩を三発叩いた。

「やばくない? うちら二位だってさ! これに勝てば優秀賞だよ!」

 頭一つ低い位置からクラスメイトの宮城さんが声を上げる。みーさんの愛称で親しまれている彼女は、比較的活発な女子生徒であり、クラスでの支持も高い。栢森の隣の席という同情票も混みではあるが、一声でクラスの空気を変えることの出来る生徒の一人である。

 そんな彼女が優秀賞に目を付けているという事実が、俺の緊張度合いを一つ上げた。

「マジか。緊張するわ」

「嘘っぽいなぁ。安堵ってそんなキャラじゃないじゃん! 次の安堵が抜き返してくれるだろうからのんびり走っちゃおうかなぁ」

「煽んな煽んな。俺が補欠だったことを知ってるだろ?」

「あははっ。目指すは一着! がんばろぉ!」

 宮城さんはもう一度拳を上げ、クラスメイトを鼓舞し始めた。

 冗談っぽいやり取りで濁したが、煽ってほしくない気持ちは本物だった。本音で言えば今すぐ逃げ出したい気持ちが一〇〇パーセント。緊張するキャラじゃないことは間違いないが、そのキャラを維持するためにもここでしくじるわけにはいかないのだ。

「あれ? そういえば栢森さんはー?」

 一頻り声をかけ終えたであろう宮城さんは小首を傾げた。走者の一団に未だ栢森の姿はない。

「そういえば姿を見てないな」

「ええ⁉︎ 一〇〇メートル走の時も遅れて来てたのにぃ! 意外に時間にルーズなのかな?」

「隣の席のみーさんが知らないなら、俺にもわかんないよ」

 白を切りながら俺は辺りを見渡した。ちょうどそのタイミングで、遠くからずんずんと栢森が歩いてくる姿が目に入った。なぜだか汗だくで。

 もう既にひとっ走り終えたような貫禄を察したのか、宮城さんがこちらに小さく声を向けた。

「なんで汗だくなんだろう?」

「わからない。本人に聞いてみたら?」

「無理無理! ボッコボコに圧かけられて走るどころじゃなくなっちゃうよ! 安堵が聞いてよぉ」

「俺にだって無理だよ」

 小言を交わしているうちに、栢森がぬるりと俺たちの輪の中に入った。彼女に張り付いた違和感を察知したように、全員の口がぴたりと止まる。

 上気した顔、水気を帯びたシャツ。理由を聞くことは出来るし俺も気になるけれど、みんなの前では聞かないのが正解だろう。どうせアップをしてきたとかそんなところだろうし。

 栢森は全員の顔を一瞥し、ふんと息を吐いた。

「これに勝てば優秀賞らしいわね」

「み、みたいだねぇ」

 視線を向けられた宮城さんが、無理やり口角を上げる。栢森はもう一度息を吐き出し、今度は佐金君のほうを向いた。

「一位でバトンを渡すから、あとはよろしく」

「お、う、うん」

 彼女に肩を叩かれ、佐金君は委縮しきってそう言った。かわいそうに。栢森の次に走るなんて同情せざるを得ない。全員に威圧の目を向けた栢森は、運営委員の呼び込みに合わせ真っ先に競技場に向かっていった。

「安心してくれ。栢森の前は補欠の俺だ。どうせ火の粉は俺に飛んでくるから、リラックスして頑張ろうぜ」

 へらへらと笑いながら、俺は佐金君の肩を叩いた。人のことを励ましている場合などではなかったが、それを押してでも俺は味方が欲しかったらしい。滑稽この上ない。

 大きく息を吐き出し、俺も足を進めた。

 競技場は玉入れで踏み入れた時とは違う空気をまとっている気がした。鈴木の言っていた通り、クラス対抗リレーは体育祭における花形競技である。観客も選手も皆が皆、今日一番の熱気を持ってこの時間を迎えていることだろう。

 リレーは四〇〇メートルのトラックを半分ずつ、男女が交互にバトンを送り、一人あたり二〇〇メートルを走る。偶数走者である男子生徒は、入場口から遠い側のスタートラインに向かわないといけない。

 注目度の高い競技ということもあってか実行委員の誘導も緩く、各々が観客席とやりとりをするなどやや乱雑な形で指定位置に向かっていく。

 クラスメイトが待機する観客席に適当な反応を返しながら重い脚を進めていると、離れた場所で一人佇んでいる栢森が目に入った。

 俺は少しだけ足先を変え、何の気なしに彼女の方へと向かう。

「よう。なんで走る前から汗だくなんだよ」

 彼女は視線だけを軽くこちらに向けた。

「アップをしてきたのよ。今度ばかりは誰にも前を譲るわけにはいかないから」

「なるほど、すごいな」

「ふふっ。でしょ?」

 自慢げに語る栢森は、満足そうに額の汗を拭った。栢森はいつも通り全力全開だ。この様子を見て少しでも平静を取り戻そうとしたが、その当ても外れてしまった。平常心を取り戻そうとすればするほど、緊張感は強くなっていく。どうやら優秀賞のプレッシャーは、思いのほか深く俺を縛り付けているらしい。

 今の俺に栢森を励まし続ける余裕はない。

「じゃあな。健闘を祈る」

 震える足に力を籠め小さく言葉を返し、俺は栢森に背を向け歩き始める。

「安堵!」

 栢森の声が俺の足を止める。顔だけをそちらに向けると、悪戯っぽい笑みが真っすぐこちらを射貫いていた。

「どうした? 俺は向こうスタートだか──」

「あんたが順位を落とせば落とすほど、私のすごさが輝くわ!」

 俺の言葉を遮り、栢森は空を指差した。切れた雲の隙間から太陽が顔を覗かせている。わざわざ呼び止めて宣言することか。悪い栢森。今はいつものそれに付き合っている余裕がないんだ。

「お、おう……。頑張るわ」

 曖昧な言葉と薄い笑みを返し歩き進めた俺に、栢森は再度言葉を放った。

「違う違う! 貶しているわけじゃなくて、えっとその……。どう言えばいいのかしら。そう、リラックス。リラックスよ! 安堵なら絶対に大丈夫! 頑張りましょう!」

 栢森は堂々とした顔つきを崩し、きょろきょろ視線を泳がせながらスタート位置に向かって行った。賑やかな観客の声が遅れてきたように俺の耳に届いた。 

 まさかとは思うが今のは……。励まそうとしてくれたのだろうか? だとしたら下手だなぁ励ますことが。数少ない栢森の苦手分野をまた一つ見つけてしまった。

 しかし、その下手な励ましのおかげで身体の震えが治まっていた。

 励まそうとしてくれたのだ。あの栢森が。他のクラスメイトが気付かなかった俺の様子のおかしさを悟って。まさに驚天動地。このあと大雨でも降るのか。

「ありがとな。お前のすごさが霞むように頑張るよ」

 俺は聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、逃げていく彼女の背中に精一杯の強がりを投げた。

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