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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第二話 体育祭、にわか雨。 
5/35

5.栢森あやめは駆け抜ける

 観客席に戻り再び鈴木の隣に腰を下ろす。少し時間が空いただけで、プラスチック製の固い座席が熱を帯びていた。

 競技場に目を向け続けていた鈴木が、こちらに気付き口を開いた。

「えらく長かったな。もう全組終わりそうだぞ」

「トイレの場所がわからなくて迷ってた」

「迷うほうが難しいだろ。よくそんな方向感覚で生きていけるな」

「とんちきな服装の奴に言われたくねえよ」

 次からはこの言い訳は使えないななんてことを考えながら、俺も競技場に目を向けた。

 鈴木の言葉通り借り物競走が終わったようで、競技を終えた生徒たちがだらだらと退場していく。

 前の競技が始まると同時に次の競技の招集がかかっていたはずだから、栢森は本当にギリギリで抜け出してきていたのだろう。

 しばらくの間の後、流行りのポップスに合わせて百メートル走の選手たちが入場してくる。

 プログラム表に目を通していた鈴木が、鼻歌混じりに競技場を指さした。

「次は百メートル走か」

「そうだな。というかお前、そんな格好してて走らないんだな」

「鈍足なんだよ。言わせんな恥ずかしい。あともう服装のことはいじらないでくれ。お前がトイレに行っている間、写真を撮られまくったんだ」

「ああ……。ご愁傷様」

 頭を抱えて項垂れる鈴木に、俺はわざとらしく携帯電話を向けた。この場から離れていてよかった。栢森様ありがとう。かしゃりとシャッターを切ると、この世に絶望した坊主頭がフォルダに収まる。

 鈴木はじっとりとした目をこちらに向けた。

「安堵。お前は酷い奴だよ」

「悪い、ついな。写真を撮るならあっちのほうだよな」

 俺は平謝りをしながら、適当な言葉で無理やり鈴木の顔を競技場に向けさせた。彼の興味はあっさりとそちらに向いたようで、ほうほうと通のように頷きながらクラスメイトを探し始める。

「うちのクラスからは……。横ちゃんにみーさんに佐々木……。あとは、栢森か」

「そうだな」

 俺は出来うる限り平坦な声を返した。興味のないふりをしたが、俺の目はいち早く栢森の姿を捉えている。隊列を見たところ、彼女はおそらく五走目を走ることになるのだろう。

 各クラスごとに決められたカラフルな衣装が、競技場の中心に向かって歩みを進めていく。全学年参加の種目とはいえ、二年生から呼び込みがかかり、学年ごとに競技が行われるため、三学年が同時に介するわけではない。

 とはいえ、競技場には五〇人ほどの走者が並んでいる。雑踏でもしっかりとわかるほど、栢森は煌びやかなオーラを放っていた。

 圧倒的主役感。彼女の噂を知らない人間からすれば、ただただ美人で清廉な女子生徒にしか見えまい。噂を知らない人間が、校内にどれだけ残っているかは知らないが。

 俺の心中と鈴木の心中は一致していたようで、彼は絞って出てきたような声を出した。

「こうやって見ると、栢森ってやっぱりかわいいんだよな。マジでもったいないわ」

「……遠目に見てるのが一番だな」

「そうだな。いくら面が良くても、性格が致命的過ぎる。神様に愛されただけの、愚かなマウント女だよあいつは」

 何もそこまで言わなくても、なんてことを思ってしまったのは、多少なりとも栢森に毒されてしまっているからだろうか。

 俺は言葉を返すことなく競技場を眺め続けた。

 放送部のアナウンスに合わせ、直走路に隊列ができ始める。遠くに見える栢森は、機を待つようにじっとりと一点を見つめていた。

「暇つぶしに何レーンが勝つか、ジュースでも賭けるか?」

「おう。身内で賭け事は気が引けるが」

「じゃあ第五レースにしよう。栢森相手なら心も痛むまい」

 流れで承諾してしまったことを俺は早くも後悔する。第一走者が位置につき、轟音と共に走り出した。

「おい安堵。お前にどこ行ってたんだよ」

 ほぼ同時のタイミングで、借り物競走を終えたよっさんが帰ってきた。彼は競技後とは思えないほどさらりとした面持ちで、俺の隣に腰を下ろす。

「どこにも行ってないが」

「嘘つけ! 借り物が帰宅部だったから探したのに」

「ああ、トイレ行ってたわ」

 まさかクラスメイトが都合のいいくじを引いているとも思っていなかったし。よっさんは眉間にしわを寄せ握りこぶしを作った。

「間が悪いことこの上ない! おかげで最下位だよバカやろう」

「こんなところまで来ててもどうせ最下位だっただろ。お前とお手手つないでゴールするのも嫌だし」

「言いたい放題かよ!」

 無念そうに拳を下ろしたよっさんに、鈴木が言葉を向けた。

「時に最下位のよっさん。ギャンブルに興味はないか?」

「ある。大あり。というか何でお前ユニフォーム着てんの?」

「その件、もう終わったから。第五レース、何レーンが勝つと思う? 一番外した奴が反対側の自動販売機に他二人分のジュースを買いに行くルールだ」

「いいねぇ。第五レースか。どれどれ……」

 レートが変わってんじゃねえか。無言で右隣に訝しい目を向ける俺を他所に、よっさんは競技場を吟味し始めた。

「おっ、栢森いんじゃん。身内がいるレースを選ぶなんて、悪い奴らだねーお前ら」

「選んだのは鈴木だけどな」

「俺は五組の八坂さんな。お前らは?」

 最初から決めていたように、鈴木はすっと言葉を挟みこんだ。それを聞いたよっさんが、飛びつくように競技場に指を向ける。

「八坂さん⁉︎ おいずるいぞ! どう考えても八坂さんの圧勝じゃねえか。陸上部のエースだろ。俺も八坂さんにジュース一本! 炭酸な!」

「ちっ」

 水気の少ない舌打ちが鈴木の口から響いた。俺には何レーンが八坂さんなのかもわかっていない。しかし二人の様子を見るに、第五レースの結果は走る前からわかるほど明らかなのだろう。

 よっさんが戻ってきてくれていて良かった。危うく鈴木のカモにされるところだった。

「じゃあ俺も八坂さんで」

 競技場を眺めながら、俺はさらりと予想を返した。遅れたように陸上部のエースという単語が頭をめぐり始める。

 栢森、そんなに悪いくじを引いていたのか。そりゃ百メートル走は各クラスの代表が出てくるだろうが、本職がしゃしゃってくるとは思っていなかった。勝てばかっこいいだなんて適当な言葉を吐き出したことが、今更ながら申し訳なくなってきた。

 もはや賭けにもなっていない状況に腹を立てたのか、鈴木が立ち上がり唾を飛ばした。

「なんだよ賭けになんねえじゃねえか!」

「レースが悪すぎるっつーの。八坂さん、百メートル十一秒台らしいぞ。ダントツだろ」

「それを知らない誰かが引っ掛かるかと思ったんだよ!」

「こずるいやつだな。そもそも知らねえ奴なんていねえよ」

「だよな」

 俺はぼんやりと同意をこぼし、自身の足元に視線を落とした。行き場を失ったような俺の踵が、せわしなく地面を叩いていた。

 百メートル十一秒台が、俺には速いか遅いかもわかっていない。よって十一秒台で走る八坂さんというのは、もはや未知の単語の組み合わせでしかない。それでも、話に上がるということは、さぞ立派なタイムなのだろう。それこそちょっと運動が出来るくらいの人間が勝てないほどに。

 日陰になっている観客席にも、じっとりとした熱量が届いてくる。頬から流れ落ちた汗が、コンクリートの色を変える。ふと勢いよく跳ねていたポニーテールを思い出した。

 ここでの模範解答は、このまま流れに任せて八坂さんに一票を投じたまま乗り切ることだ。条件が悪いだけならまだしも、クラスで圧倒的嫌悪の的になっている栢森を支持してしまえば、不審な目を向けられることは間違いない。

 しかし。しかしだ。うちの栢森だってすごいだろ。

 そりゃ高圧的で厭味ったらしくて、鼻に付くのはわかる。ビジュアルだけでは看過できないほどの嫌悪感を撒き散らしているのもわかる。

 でも、順当な賭け扱いはさすがに酷いんじゃないか? ハイスペックガールの秘めたる努力に期待を込めて、票を投じる奴が一人はいてもいいだろう。

 どれだけ嫌な奴に見えても、あいつは毎回ちゃんと結果を残している。今回も勝手にアップをしていたくらい準備万端だ。

 というかそもそもこれは体育祭なんだぞ。クラスメイトが応援してやらないでどうする。

 ……よし、整った。頭一杯に言い訳を浮かべて、俺はわかりやすく溜息を吐いた。

「いや、やっぱ俺、栢森にするわ」

 真っすぐ競技場を見つめ俺はそう言った。驚いたような顔つきを並べた二人が、同時にこちらを向く。

「マジ⁉︎ ギャンブラーだな」

「俺がギャンブルの手本を見せてやるよ」

「……俺は変えないぞ?」

「俺も変えない。勇気と無謀は違うぜ安堵。俺はもう最下位にはなりたくないんだ」

 立ち回りとしてはお前らが正解だ。単に不利筋ということに加え、空気としても栢森を応援するメリットはない。しかし、俺は隠れてでも彼女の背中を押した立場なんだ。

 うっかり賭けに乗ってしまった詫びに、今回だけは馬鹿なふりをしてやる。

「シャバすぎだよお前ら。呆れた。二人して俺にジュースを奢るがいいさ」

 堂々と言い切り腕を組む。競技場では、第四走者がゴールテープを切っていた。


 程なくして第五走者がスタート位置につくと、スターターが天高くピストルを構えた。

 栢森を応援するなんて、同じクラスの人間からすればあり得ない状況だろう。そのくらい栢森は忌諱されている。

 しかし、賭けのおかげで栢森を応援する大義名分が出来上がった。

 ピストルの音を皮切りに、第五走者がスタートを切った。前走の男子生徒たちの迫力にも負けず劣らずの熱気が会場を包んだ。

「行けー栢森ー! 走れー!」

 わずか十数秒。自分でも驚くほどのボリュームで、俺は栢森の背中に声を向け続けた。

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