バレンタインハートルート
アフターストーリーです。バレンタインデーが近いのであげておきます。
本編ご一読の後、お読みいただければ幸いです。
「寒いわね、ここ。隙間風がびゅーびゅー入ってくるわ。ガムテープで塞いでやろうかしら」
いつも通り最上部に腰掛けた栢森は、コートを羽織ったまま身を小さくした。
冬場の屋上前は冷える。暖房器具はおろか、日も差し込まないこの場所は、談笑するにふさわしいとは言い難い。年越しから換算しても、この会話が何回目かもう思い出せないくらいだ。
俺は手を擦り合わせ、そこに向け息を吐いた。
「元々人が来るような場所じゃないからな」
「とはいえ外より寒いのはどういう事なの?」
「不思議だよなぁ」
震える栢森に合わせ、彼女の荷物がかさりと揺れる。じっとりとした視線をそれに向け、俺は大きく溜息を吐いた。
二月十四日。バレンタインデー当日の放課後。性別という有利があったにも関わらず、荷物からして栢森の戦果のほうが遥かに多い。物理的な寒さと感情的な寒さが、同時に俺に襲い掛かっているようだった。
俺は呪いを込めて紙袋に指を向けた。
「チョコ、いっぱいもらってたな」
「名誉のために、もらった数は言わないでおいてやるわ!」
「そんな配慮までできる栢森はかっこいいなぁ」
「ふふん!」
栢森は鼻息を荒くし、ぱんぱんに詰まったカバンを揺らした。数を聞かずとも、勝てないことはもう織り込み済みだ。まったく、半年前まで孤立していたとは思えない。
燈花祭以降、彼女に話しかける人間は段違いに増えた。完璧を自称する割にちょっと抜けていたり、褒めた時に怯んだりする様子が、今や愛嬌として受け入れられている。
元々が不思議だったくらいで、本来の彼女が持つ愛されスペックはこのレベルなのだ。
膨れた鞄に対し、しみじみと感慨深さを浮かべていると、悪戯っぽく口角を上げた栢森が口を開いた。
「で? あんたは? 何個もらったの?」
「十個くらい」
「い、意外ともらっているのね」
「板チョコ一欠片とか、今日貰ったチョコレートは全部カウントにしているから」
「ちゃんと貰ったものもあるでしょう?」
「多少はな。俺みたいな奴は、本命のカモフラージュにちょうどいいらしいぞ」
自分で言って悲しくなった。今日一日で、一生分の「可哀そうだから恵んであげる」という言葉を聞いた気がする。
カレンダーを見てワクワクしていた過去の自分をぶん殴ってやりたい。これがまた質の悪いことに、来年の俺はこの感傷を忘れてしまっているのだ。
可哀そうな俺を見て悦に浸るかと思いきや、栢森は不機嫌そうに唇を尖らせた。
「靴箱に入っていたとか、そういうのは?」
「あんなオープンな場所に入れるかよ。漫画じゃないんだから。義理チョコはぽいっと手渡しだよ」
「でも、全部が義理とは限らないでしょう?」
「そりゃな、相手の気持ちまではわからないから」
「へぇ」
俺は栢森の視線から逃げる様に紙袋に目を向けた。
相手の気持ちはもちろんわからないが、なんとなくの空気感くらいは察知できる。今日貰った全てが義理チョコだということも、漏れなくわかってしまっている。我ながら恥ずかしい虚勢を張ってしまった。
しかしだからこそ、今この瞬間が今日の俺に与えられた最後のチャンスなのである。ここで何かが起こらなければ、俺はバレンタインデーに敵意を向ける妖怪に変貌してしまうだろう。
期待を込め、じっと紙袋を見つめてみる。しばらくして視線に気付いた栢森は、むっとして声を上げた。
「何よその顔。なにか言いたげね」
「バレンタインデーだなと思って」
「たった今、その話をしているじゃない。そんなに話題がないの?」
「いや、そうじゃなくて……」
——その紙袋の中身が、俺へのチョコレートなら良いのになと思って。言えるかそんなこと。
相手は栢森あやめなのだから、欲しいならくださいと言えば良い。それは理解しているが、俺のちっぽけなプライドがそれを許さなかった。
意味深な視線を向ければ何かが起こるかと思ったが、どうやら何が起こるわけでもないらしい。俺は浅ましく言葉を続けた。
「栢森は誰かに渡したりしないのか?」
「結局、バレンタインデーって、チョコレートの売り上げを上げるための販売戦略でしょう? 商売に踊らされるのはまっぴらごめんよ」
「なるほど……。じゃあその紙袋は?」
「ああ、これ?」
俺が期待を込めて紙袋を指さすと、栢森は紙袋から食品玩具の包み紙を取り出した。満点笑顔の魔法少女たちが、キラキラした笑顔を浮かべている。
「マジョフルのシール付きウエハースよ!」
「えっ」
「リリーちゃんのレアが欲しくて買い込んだの。四十個目にして、ようやくご尊顔を拝むことができたわ!」
「ほう……」
栢森はコートのポケットから、ビニールに包まれたシールを取り出した。金髪縦ロールの魔法少女。もう覚えたぞ、リリーちゃんだ。
思いも寄らぬ状況に飲み込まれた俺は、喉を鳴らす程度の声を返す。
「紙袋一杯に、そのお菓子の余りが入ってるのか?」
「そうよ!」
「すごい量だな」
「悲しいことに、ウエハースはシールと違って一気に消費できないの。そして、封が開いたウエハースくんの寿命は、そう長くはない。だからバレンタインデーという体で、クラスメイトに撒いたわ!」
商売に踊らされてるじゃないか。バレンタインデーよりも滑稽に。目的のシールを手に入れる過程で余った、玩具を抜き取られたウエハースたち。恋人たちの日とも言われているこの日を、在庫処分のチャンスだと捉えている女に、俺は初めて会ったかもしれない。
そういえば何かを配っていたような気もするが、それだったのか。いやしかし、俺はそのウエハースすら頂戴できていない。
「俺は貰ってないけど」
「ふふん! 安堵には余った全部をあげようと思ったのよ! 普段世話にもなっているしね。感謝しなさい!」
「恩の返し方を習ってないのか?」
「遠慮しなくていいわ。まだ家にも余っているから」
「……ただの在庫処分じゃねえか」
「失礼ね。私なりの愛よ、愛。サービスで紙袋もプレゼントしてあげるわ」
シールが抜き取られたウエハースに、愛もへったくれもないだろう。
栢森は俺の返答を待つこともなく、勢いよく立ち上がった。
「よし! 在庫処分も済んだし、バイトだから帰るわ」
「おうおう、ついに白状しやがったな」
「あら、私ったらうっかり」
わざとらしく頭を掻いた栢森は、ふんふんと呼吸を刻み、機嫌よく階段を下り始める。俺の隣まで降りてきた彼女は、今までの流れなんてものは無かったかのように、さらりと口を開いた。
「さあ、働き者のあやめ様に一言!」
「……バイト頑張れ。今日も栢森は頑張り屋さんでかっこいいよ」
「ふふっ。よく出来ました。じゃあね。食べたらちゃんと感想を述べること!」
栢森は紙袋を俺に押し付け、階段を降りていった。フェードアウトする足音が、終了を告げる合図のように無慈悲に響いた。
冬を迎えようがクラスから受け入れられようが、栢森の唐突さは相変わらずだ。屋上前には、押し付けられた紙袋と仲良く身を寄せ合う俺だけが残された。
所在を失った俺の視線が、ゆっくりと紙袋の中に落ちる。さっき見たパッケージが、少なくともまだ十個ほど残っていた。全部封が開いてるし、泥棒が入った後みたいだ。こんなもの、喰わなくても味がわかる。
結局今日の戦果は、いくつかの義理チョコと玩具が抜き取られた魔法少女ウエハース多数か。賑やかさで言うと例年より大幅に増加しているが、同様に落胆度も例年とは比にならないくらい上がっている。
溜息を混ぜながらウエハースを取り出し、おもむろにそれをかじった。苦みも涙の味もしない。ただただ甘くて、ただただ口中の水分が奪われる。パッケージの魔法少女たちが、俺を慰める様に満面の笑みを浮かべていて、それが余計に哀れさを煽った。
腹いせにここで全部食ってやろうと思い、紙袋を弄ると、同じ顔をしたパッケージ達の影に隠れていた立方体の箱が姿を現した。俺は首を傾げ、それを紙袋の底から持ち上げた。
真っ赤な包装紙に、黄色いリボン。隙間に差し込まれたハート形のメッセージカードには、『I LOVE YOU』という文字と、菖蒲の花のイラストが描かれていた。
見間違えるわけがない。これは栢森の筆跡と、彼女が得意とするイラストだ。更に首を傾けながら包装を解くと、手作りと思われるチョコレートが並んでいた。
脳を直接がつんと殴られたような感覚がよぎり、俺は急いで箱の蓋を閉じた。やはり間違いない栢森の筆跡が、訴えかける様にこちらを見つめ返す。
「むっず……」
誰もいないことを確認して、俺はぽつりと呟いた。
好意を伝える口実がある日に、こんな遠回りをする必要があるのだろうか? 栢森あやめは、今日も今日とてややこしい。
ウエハースはおそらくカモフラージュ。要は、素直にくれてやるのが恥ずかしかったのだろう。渡した時の顔を見られるのが嫌だとか、悦に浸る俺を見るのが腹立たしいとか、そういう感情も含まれていたのかもしれない。
俺はきれいな字で書かれた英単語を凝視し、ふっと息を吐き出した。
何でも器用にこなす栢森は、こと心情表現においては途端に不器用になる。
その不器用さが意図しない愛らしさを生んでいることに、彼女はまだ気づいていない。




