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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第五話 燈花祭、天気雨。

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33/35

33.栢森あやめは指を鳴らす

 高い位置にある太陽に目が眩んだ。秋の穏やかな風がふわりと吹き抜ける。講堂の外では、ちらほら観劇を終えたであろう生徒たちが見られた。

 目当ての人物が現れるのを待つため、俺は柱の陰に身を預けた。感想を言い合う下級生たちの声に耳を傾けつつ、舞台に想いを馳せる。

 記念すべきデビュー作。演劇として見れたものかと言われればそうじゃない。話は破綻しているし、キャラクターもごった返しているし、演出も粗だらけ。でも『迷子のアイリス』はあれでよかったと思う。

 栢森の本質については、既にクラス全員に周知しているし、宮城さんの力もあって、俺の言葉が嘘ではないことも証明されたはずだ。これできっと、栢森の努力を嘲笑うような環境は教室に生まれない。承認欲求モンスターが、わざわざ屋上前に逃げ込む必要がなくなるのだ。


 しかし、幕はまだ下り切っていない。まだワンシーン残っている。

 秋風に似合わない感傷が胸をチクリと刺したタイミングで、講堂から見慣れない制服姿の女子生徒が現れた。

「成海」

「おお! 安堵!」

 こちらに気が付いた成海は、満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうな、見に来てくれて」

「そりゃあれだけ頼まれたら無視できないでしょ」

「成海には絶対に見てほしかったからな」

 燈花祭三日前。俺は友人のつてを頼り成海と連絡を取り、彼女を観劇に招待した。この成海こそ、俺が用意した最後の配役だ。

 成海は決して話が通じない奴ではない。十年前のキャラクターをそのまま信用するのもどうかとは思うが、栢森の本心を知れば、きっと仲違いが解消されると思った。

 俺はなんてことないような声色を浮かべる。

「劇、どうだった?」

「うーん。あやめの演技が超良かったから、そこは評価大だね。黒フードちゃんも熱くて良かったなぁ。でも終盤がごちゃごちゃっとしてたから、お話としてはマイナスだったね」

「厳しっ。初めてなんだ。多少大目に見てくれよ」

 最終的には監督の与り知らないところに筋が向いてしまったから、そこは本当に大目に見てほしい。俺は安堵と落胆を浮かべ、上がる成海の指を眺めた。

「あと一つ、脚本に間違いがあったよ」

「間違い? いや、あれはフィクションで──」

「親友が怒った原因は、力関係が崩れたからなんかじゃない。私は元々、あやめにはいつか負けるだろうなと思ってたから」

「はあ!?」

 成海は弱弱しく眉を下げた。

「親友だもん。あやめが隠れて頑張ってることも、手を抜いていることも知ってたよ。そもそも顧問の先生にあやめを打診したのは私だし」

「そうだったのか。……じゃあなんで怒ったんだよ」

「あやめはね、その場でレギュラーを辞退したの。怪我をしたって嘘をついてね。私は私なりにあやめの背中を押したつもりだったのに、それが無下にされたような気がして、なんか気まずくなっちゃって……。話をしようにも、あれ以降あの子は私を避けるようになったし。見たでしょあの逃げ足。私じゃ到底追いつけないもん」

 頭を抱える成海を見て、俺は耐えられなくなって声を出して笑った。笑う場面かどうか定かではなかったが、もう笑わずにはいられなかった。

 良い物が良いように見られるとは限らないように、好意が好意と受け取られるとは限らない。栢森側の目線でしか話を聞いていなかったが、成海は栢森を嫌っていたわけじゃ無かったんだ。

 だとしたら栢森、やはりお前は空回っていたよ。俺は目じりに浮かんだ涙をぬぐい、成海に笑顔を向けた。

「あいつが変な方向で頑固なのは、昔から一貫してるんだな」

「でもさ、今日のお芝居を見て、やっぱりあやめのことが好きだなぁって、再確認させられちゃった。呼んでくれてありがとね」

「いやいや、こちらこそありがとう。それが聞けて安心したよ」

 強い風が成海の髪を揺らした。それと同時に、遠く背後から殺気のような何かが近づいてきている気がした。

「安堵ー! ステイ、ステイよ! 本気で一発殴るから、その場を動くな!」

 振り返ると、見慣れたツインテールが物凄い勢いで近づいてきているのが見えた。もう片付けが終わったのか。それともいの一番に俺を撲滅しに来たのか。

 俺は身を震わせ成海に向き直り、校舎の方へと歩き始めた。

「今の話、あいつにもしてやってくれ」

「えっ? 安堵は?」

「捕まったらぼこぼこにされると思うから、この場は任せた」

「あはは。何したの?」

「それもあいつに聞いてくれ」

 背後から迫っていた栢森は、成海の姿を見て足を止めた。全ての勢いを削ぎ落され、栢森は眉を下げる。

「ゆ、ゆかりちゃん……。どうしてここに?」

「あやめ。久々にお話ししようよ。こんな馬鹿抜きで、二人っきりでさ」

「あっ、えっと……。うん」

 親指をこちらに向ける成海に一礼し、俺は急ぎ足で校舎に向かった。今回の栢森には逃げ出しそうな様子は全く見られなかった。

 二年という時を経て、ようやく雪が解ける。止まっていた時計の針が動き、二人の笑顔が咲き始める。迷子のアイリス、これにて終幕。

 演者の力ありきではあるが、我ながらなかなか良いエンディングを書けたじゃないか。この快感を味わえるなら、次回作を書くこともやぶさかではない。

 形を変えた脚本を押しのけ無理やりポケットに手を突っ込み、俺は跳ねるように身を揺らしながら屋上前を目指した。


「やぁっと見つけたぁ!」

 どすどすという無駄な音を立て、栢森が屋上前に現れた。舞台上での穏やかさはどこへやら、整った眉がぐにゃりと形を変えている。

 成海でも十五分しか時間を稼げなかったのか。ぽきりぽきりと鳴る指の音に寒気を感じ、俺は逃げる様に言葉を吐いた。

「おつかれ。さすが栢森、名演技だったな」

「ふふん! 当然よ! と言ってやりたいところだけれど、今はそれどころじゃないわ。私に何か言うことがあるんじゃない?」

「もろもろ黙っていて、というか、ルールを破ってすいませんでした」

「よろしい。素直に謝ったことだけは評価してあげるわ」

 栢森はふんと息を吐き、俺の横をすり抜けて定位置の最上部に腰掛けた。舞台衣装のままだということもあってか、足を組む彼女はいつもより気だるそうに見える。

 一喝が飛んでくる様子もなかったので、俺は階段に向け言葉を零した。

「成海と話は出来たか?」

「……ええ。しこりが一つとれた感じ。全部私の思い込みだったってこともわかった。まあ、ゆかりちゃんと仲直りできたから、一応感謝はしてあげる」

 栢森ははあ、と深く溜息を吐いた。

「あんたが自分のブランディングを崩した時点で、こうなることを予想しておくべきだったわね。自分の間抜けさが憎らしい。諸々の暗躍も、一旦処分は保留にしてあげる」

「そりゃよかった」

「殴る元気ももうないわ」

 そりゃ本当に良かったと、俺は胸を撫でおろした。小窓に視線を向けた栢森は、口を尖らせて手の甲に顎を乗せた。

 校内にほとんど生徒がいないこともあってか、屋上前はいつも以上に静まり返っていた。数分前まで舞台で照明を浴びていた栢森が、こんなにも薄暗い屋上前に鎮座している。なんだか不思議な気持ちだ。

 ふわりと舞台の映像が頭に流れた。

「良かったよな、宮城さんの台詞」

「あんたが指示したんじゃないの? 自画自賛?」

「俺が伝えていたのは、前半だけだよ」

 栢森は視線だけをこちらに向けた。立ち上がる俺に合わせ、栢森の目が動く。不機嫌そうではあるが、話は聞いてくれるようだ。

 ポケットに手を突っ込むと、もう原型もない脚本がさらにくしゃりと鳴いた。

「あの台詞、俺にも効いたわ。弱い自分を晒したくなくて、必死に空気を読んで明るく振る舞って、俺にとっての教室は、ずっと居心地の悪い場所だったんだ。俺もな、多分他人を信じられなかったんだよ。この場所の居心地が良かったのも、きっと、お前から似た部分を感じていたからなんだろうな」

 俺は手すりをこんこんと叩いた。鈍い音はあっという間に溶けていく。栢森はふっと息を漏らして口角を上げた。

「それは、なんとなくわかっていたわ」

 栢森はそう言って腕を組んだ。

「あんたはひょっとしたら私のことを不器用だと思っていたのかもしれないけれど、私も同じことをあんたに思っていたのよ。不思議なものね。人のことなら見えるのに、自分のことだと途端に分からなくなる。他でもない自分のことなのに」

「皮肉なもんだな」

「そうね」

 俺と栢森は顔を見合わせて笑った。埃っぽい空間に、穏やかな表情が灯った。おそらくこの場所でこの光景を見るのは、これが最後になるだろう。

 俺は差した陰りを振り払うように頭を振った。

「まあ迷子同士、今後はこんな場所に迷い込まないよう、しっかりと胸を張って頑張ろうぜ」

「一緒にしないで。迷子だったのは舞台の上だけよ! 私はいつも正しい道を選んでいるの!」

「そうだったな。栢森は今日もかっこいいな」

「ふふん!」

 やはり栢森はこうでなくては。俺は笑みを浮かべた後、栢森に背を向け歩き始める。

「さあ、教室に行こう。主役がいなきゃ締まんねえだろ」

「待ちなさいよ! 保留にしただけで、まだまだ絶賛ブチギレ中なんだからね!」

「ますます二人っきりでいられるかよ」

 猛追する栢森から逃げるように足を動かす。ジョギングを続けていて良かったと、改めて思った。

 教室に戻った俺たちを、笑顔のクラスメイト達が包んだ。心なしか受け入れられている栢森を眺めながら、燈花祭の幕が下りていく。


 握った秘密を話さないということが、俺と栢森の契約。脚本のためとはいえそれを破ってしまった以上、今後栢森が屋上前に現れる意義が無くなった。そもそも、栢森の自尊心を上げる空間が教室に出来上がったのだから、逃げ込む意味さえも無いだろうし。

 それはとても喜ばしいことで、同時に寂しいことでもある。

 それでも、クラスメイトから褒められてこそばゆい顔をする栢森を見られたのだ。これを大団円と言わずしてなんというか。

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