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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第五話 燈花祭、天気雨。

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32.栢森あやめは見つけられる

「おやお嬢さん。こんなところに迷い込んだんですか」

 薄い光が舞台に上がった宮城さんを照らす。彼女に歩み寄った栢森は、照明の射程内に入った途端、数秒間ぴたりと動きを止めた。

 フードの隙間から僅かに見える顔と声で、自身の代役が宮城さんであることに気が付いたのだろう。まるで幽霊を見たような表情が栢森の顔に張り付いた。

 宮城さんは栢森に向かって手を差し伸べ、近くの椅子に腰掛けた。

「そんなに呆けてしまって。まるで病欠のクラスメイトがゲームセンターで遊んでいるのを目撃してしまった、みたいな顔をしていますよ。とりあえず、座って話をしませんか?」

「……そうですね。聞きたいことが山ほど出てきたので、そうしましょうか」

 栢森は諦めたように息を吐き、促されるまま腰を下ろした。元主役と現主役が、上部から降る照明に照らされている。

 息を吞む音が聞こえそうなほどの静寂の中、宮城さんは決められた台詞を吐き出した。

「で、お嬢さん。こんなところで何をしているんですか?」

「帰る場所がわからなくなってしまったんです。灯りを頼りにここまで来たんですが……。それも、正しかったのかどうか、わからなくて」

「なるほど。では、私が帰る場所を案内してあげましょう。ただし、私の相談に乗ってください」

「またそれですか」

「はて? なんのことでしょうか?」

「もういいです。わかりました。聞きますよ」

 ここからの展開は、全て栢森の知る台本とは違う。それでも劇は進み続ける。今回は成海の時と違って、逃げ出すことも出来ない。我ながら性格の悪い作戦だなと思った。

 宮城さんは頭に浮かぶ台詞を掴むように、視線を上に向け口を開いた。

「私には親友がいたんです」

「親友……」

「その子は何でもできる、とても明るい子。地味で自信のない私とはまるで違う女の子。何をやっても、私は彼女に勝てないというのが、きっと私たちの暗黙のルールでした」

 宮城さんの目が栢森の方を向く。栢森は何かを考えるように口を閉ざしていた。

「……でも、本当は気付いていたんです。私が本気を出せば、彼女に勝ってしまうということに。勝ってしまうと、二人の関係が崩れてしまうことにも」

 宮城さんの台詞の合間を縫って、栢森はわかりやすく舌打ちをした。勘の良い栢森のことだ。もう既に気が付いているだろう。これは他でもない、成海と栢森の話だ。

「……誰に聞いたの?」

「これは私の話です。誰に聞いたもありません。それに、まだ話は終わっていませんよ」

 宮城さんは視線を観客の方へと向けた。

「ある日、私はその子に勝ってしまいます。そもそも隠し続けることに無理があったのかもしれませんね。親友は怒りました。能力を隠して、今まで私を馬鹿にしていたんだろうと。力関係のバランスが崩れたことで、私と彼女との関係も崩れてしまいました。私は、どうするべきだったんでしょう?」

 ゆっくりと観客席全体を見渡した後、大きく手を挙げた宮城さんは栢森の方を向いた。

 観客席は、息を呑むように静まり返っている。下手に見えるクラスメイト達は、祈るような視線を二人に向け続けている。

 栢森は宮城さんに睨みを返し、大きく空気を吸い込んだ。

「……そんなの、決まっているわ。どんな手を使ってでも、負け続けるべきだった」

「頑張った自分を抑え込んだまま、負け続けるのが正解だったと」

「そう言ってるじゃない」

「本当に?」

「しつこいわね。言いたいことがあるんなら言いなさい」

 栢森は再び舌打ちをした。どんどん役が剝がれ、素の栢森に近づいてきている。それでも宮城さんは怯まない。

 この役に宮城さんを選んだのは他でもない、クラス内で一番栢森の圧に耐性があるだろうからだ。彼女は見事期待に応え、悠然と人差し指を上げた。

「では少し質問を変えますね。どうして私は頑張った自分を抑えようとしたんでしょうか? 最初から表に出していれば、関係が崩れることもなかったでしょうに」

「知らないわよそんなこと」

「例えばこんな仮説はどうでしょう。頑張っている自分に自信がなかった、とか」

 栢森の顔が歪む。下がった頭から、殺気立った何かがこちらに向けられているような気がした。

 二人に向けて照明が降り続けている。しばらくの間を置いて、栢森は諦めたように息を吐き出した。

「はいはいわかった。頑張りを否定されるのが怖いんでしょうね。世の中には、つまらない努力だと嘲笑う人間がたくさんいる。だから努力を見せたくない。努力に自信が持てないの。これでいい?」

「頑張ることは、そんなに悪いことなのでしょうか?」

「悪いとは言っていないわ。わざわざ表に出すことで非難されるくらいなら、出さない方がマシってこと」

「なるほど。ありがとうございます。ああ。あくまでこれは私の話ですから」

「わかってるわよ」

 栢森は呆れたように崩れた笑みを浮かべた。照明に反射する椅子の角が、ちくりと俺の視界に白を差した。

 舞台は暑かったと鈴木は言っていた。栢森も宮城さんも、それを感じさせないほど澄んだ顔つきを浮かべている。反して俺の額には、ぶわりと汗が浮かんでくる。


 やはりこのやり方はずるかったなと思った。架空のキャラクターに重ねて、大勢の前で栢森の本心を暴いてしまおうとしているのだから。

 この舞台は栢森のブランディングが崩れ去るまで終わらない。宮城さんの尋問は続く。

「結果を提示し続けるだけで満足できるのでしょうか? 頑張ったからには、過程を褒めてほしいと思う気持ちも湧くでしょうに」

「ええそうでしょうね。でもやっぱり、貶されるくらいなら隠しておいた方がマシなの」

「その結果、神様に愛された才能を振りかざすだけで、努力もしない嫌な奴だと、周りに誤解されていても?」

「負け続けることも難しいの。後々見下していると言われるくらいなら、過程だけを隠して最初から嫌な奴でいてやるわ。誰にも理解されなくていい」

 栢森は吐き捨てるようにそう言った。効果音なんて流れていないはずなのに、重々しい音が講堂を包んでいる気がした。

 栢森の言葉を、今すぐ舞台に上がって否定してやりたくなった。

 体育祭では労いをかけてくれた。倒れた俺を家まで運んでくれた。夏休みの一日を一緒に楽しんでくれた。あの栢森が演技だったなんて、俺は思わない。

 そもそも理解されなくて良いと思っている奴が、褒め言葉を強要したりするもんか。

 思い浮かんだ反論を述べる権利は、俺にはない。舞台袖で拳を握ることしかできない。それがなにより歯痒かった。

 少しの無音が続いた後、ぽつりと宮城さんがつぶやいた。

「私は……そんなの悲しいと思う」

 宮城さんは観客に背を向け、柏森に向き直った。

「だって、私はあなたと仲良くなりたいもん。もちろん世の中は同じ感性の人ばかりじゃないから、頑張りを非難する人もいると思う。でも、私は違う。ううん、みんなだってきっと違う。努力をしているという事実を知っても、馬鹿にしたりしない。信じてもらえないのは、悲しいよ」

「本当の自分なんてものは、見られたくないものなのよ。あなたもそうでしょう?」

 栢森は逃げる様に下手に視線を移した。宮城さんは怯まず栢森に一歩足を向けた。

 舞台にいるのは、ただの栢森とただの宮城さん。ひょっとしたら、もう二人には観客の姿が見えていないのかもしれない。

 俺が宮城さんに渡した台詞はとっくに尽きている。それでも彼女は、足りない隙間を埋める様に言葉を並べ始めた。

「ねえ、マジカルフルールって知ってる?」

「え、ええ。知っているけれど」

「よし! なら話は早いね! 第一シーズン三十五話、タイトルは?」

「はあ!? 何を……」

「はい急いで!」

 俺を含め、会場にいる宮城さん以外の全員が首を傾げただろう。当の彼女は、被っていたフードを外し堂々と腕を組み始めた。

 おそらくこの先の筋書きは、宮城さんの頭の中だけにある。

 困惑を前面に浮かべていた栢森は、宮城さんの圧に負けたのか、釣り出されるように口を開いた。

「ええっと……。たしか、信じる心! 立ち上がるリリー! だったかしら」

「正解! ……えっ、びっくりなんだけど。正解が出るんだ。いや違う違う、今はそこじゃない」

 宮城さんは身体を大きく左右に振った。

「自分の殻に閉じこもっていたマジカルリリーが、三十五話にしてようやく仲間と手を取り合うの。自信を持てなかったのは、仲間を信じられなかったからだ。仲間の言葉を信じることが、自信を育む何よりの魔法だったんだって、そう言うんだよ」

「信じる……」

 宮城さんは大きく頷いて、くるりとその場で一回転してみせた。艶やかなボブカットの髪が、淡い光を吸い込んで揺れる。

「私はマジカルフルールが好き。子ども向けだって言われても、幼稚だって言われても、その気持ちに嘘はつけない。正直、こんなにもたくさんの人の前でカミングアウトするのは恥ずかしいけど、それでも言う! 自分を表現することは怖いことじゃないって、あなたに信じてほしいから!」

 宮城さんは微笑んだ。

「努力に自信が持てないなら、ひとまず私を信じてほしい。私は絶対に、あなたの努力を否定したりしない。頑張るあなたは、きっと最高にかっこいい! それを全部を見せてほしいの!」

 所在なく泳いでいた栢森の視線が、宮城さんの指で止まった。栢森の目は、零れ落ちそうなほど見開かれている。

 俺の目も同じように開いているに違いない。緊張感の高まりで、呼吸の仕方もわからなくなってしまった。

 栢森の身体が揺れる。安い作りの椅子がぎいと音を立てる。

「こんな私が、今更違う道を選ぶなんて、出来るのかな?」

「出来る!」

「みんなに今よりもっと不快感を与えるかもしれない」

「その時はちゃんと言ってあげる」

「きっと、すぐには無理だよ」

「ちょっとずつで良いよ。マジカルリリーでもシーズン後半までかかったんだもん!」

 一流選手のような反射神経で、宮城さんは答えを並べ続けた。呆然と言葉を放っていた栢森の顔に、徐々に安心感が灯っていく。

「……ふふっ。そうだね。あなた、そんなにマジカルフルールが好きだったんだ。今まで気づかなかった」

「引いた?」

「ううん。とっても素敵だと思う」

 宮城さんに穏やかな笑みを向け、栢森は立ち上がった。舞台中へと向かう彼女を、照明が慌てて追いかける。

 これは終幕への合図。ラストシーンに向かう、最後の一件。栢森は観客席に向け、ゆっくりと手を伸ばした。

「ああ。私はいままで、迷子になっていたのね。ありもしない人の目を怖がって、間違った灯りを頼りにして、ずっと迷い続けていた。これはきっと、私の弱さが見せた夢。後悔が生み出した幻の自問自答。もう、迷いは晴れたわ。私はもっと、自分らしく自信を持って生きていいんだ」

 栢森がそう言うと、舞台が暗転した。数秒後、舞台全体を暖かい朱色の光が覆った。


 やはり安っぽいエンジン音に合わせ、座った栢森の頭がゆらゆらと揺れる。彼女ははっと目を覚まし、辺りを見渡した。

「……夢?」

 栢森はもう一度辺りを見渡し、驚いた様に立ち上がった。

「すいません! 次、降ります!」

「降車時はボタンを押してもらえれば……」

「あっ、はい、すいません」

 栢森は恥ずかしそうにもう一度椅子に身を預け、降車ボタンを押した後遠くの景色を眺めた。その眼差しは、憑き物が取れたように晴れやかだった。

 俺は拍手をしたい気持ちを必死に抑え、急いで踵を返した。


 あと数秒すれば、穏やかなBGMが流れ始め、俺たちの舞台が幕を下ろす。完全に幕が下りれば、栢森は俺の方に憤怒を向けに来るだろう。その前に逃げなければ。

 俺はしみじみと舞台を眺める鈴木に耳打ちをした。

「悪い、片付け任せていいか?」

「えっ、もう終わるぞ。みんなを労ったり——」

「やり残したことがあるんだ。先に教室で盛り上がっててくれ」

 足を止めずそう言い残し、俺は講堂を出た。

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