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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第五話 燈花祭、天気雨。

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30/35

30.栢森あやめはスタートを切る

 初期脚本を閉じ、俺は息を吐いた。講堂には生徒たちの雑談声と、影アナの注意喚起が響いている。閉じた幕の先では、おそらく前のクラスが片付けをしていることだろう。俺たちの出番が目前に迫っていた。

 正午を過ぎたというのに、講堂の座席は八割程埋まっている。去年のこの時間は、たしか半分も埋まっていなかったと思う。

 学校の有名人でも登場するのかと思ったが、よくよく考えれば栢森あやめこそがその有名人だった。

 折りたたんだ脚本を無理やりポケットにしまう。俺がもう一度これに目を通すのは、おそらく全てが終わった後だろう。

 選択の後悔と迷子をリンクさせた会話劇、それが『迷子の終点』だ。

 見知らぬ暗闇に迷い込んだ少女が、灯りの元にいる人間達との問答により、自分自身の後悔と向き合うという物語。

 本当にやりたいことを諦めて、こうあるべきという灯りだけを頼りに歩いていたら、きっと人間は迷子になってしまう。この脚本には、そういう『高校前半の俺』を象徴するようなメッセージを折り込んだつもりだ。

 俺が書いた脚本を、クラスメイトが演じる。それをどう受け取るかは、観客の感性に委ねられる。創作物を公にする以上、受け手が存在することになり、表現された音や光が彼らの頭にどんな花を咲かせるかはわからない。思った通りの花畑を作り上げられる脚本こそが、きっと良い脚本なんだろうなと俺は思う。

 今回に関しては、そこに気を割く余裕も道理もないわけだが。

 俺は客席を一通り見渡した後、舞台袖へと足を運んだ。


 舞台はリハーサルの時より広く見えた。舞台袖には備品を準備するクラスメイト達と、堂々と舞台の方を眺める栢森がいた。見慣れない制服を着込んだ彼女は、もう役に入り込んでいるのか緊張からなのか、いつもよりおしとやかに見える。

 俺はクラスメイト達に一声ずつ発破をかけ、最後に栢森の元に向かった。

「どうだ? 大丈夫そうか?」

「ええ。視界良好、万事最高。主役の不良も心配無用。あやめ様は絶好調。いえーい」

 声をかけると、彼女は余裕しゃくしゃくな様子で言葉を返した。どうやら彼女に緊張という言葉は不要だったようだ。俺なんて緊張でうろうろしてしまっていたのに、頼もしい限りである。

 ラップ調でアンサーしてやろうと思ったが、良いリリックが浮かばなかったので、俺はとりあえず親指を立てた。

「さすが栢森。本当に助かったよ。ありがとう」

「そのセリフは、演じ終わってから貰うことにするわ」

「感謝はいつもらっても損があるもんじゃないだろ?」

「……確かにそうね。珍しく一理あるわ」

 栢森はふっと息を吐いて、穏やかに笑った。その微笑みを見て、俺は舞台照明に想いを向けた。


 幕が下りた後、俺が感謝を投げる機会を与えてもらえるとは限らない。多分今までと同じ関係性ではいられないだろうから。でもそれでいい。それでいいと俺が決めた。

 こつこつ積み上げた俺のブランディングは、もう既に書き換わってしまった。クラスメイトを巻き込んでまで、らしくない道を選んだということに、後悔は全くない。これは栢森のせいであり、栢森のおかげでもある。

 僅かな哀愁を浮かべた俺に、彼女は笑顔をむけ続けた。

「結局一回しか通しで練習出来なかったわ」

「緊急事態だし、フレッシュ感があって良いじゃないか」

「監督さんは気楽でいいわね」

「後はもう、みんなに任せるしかないからな」

 前のクラスの片付けが終わり、小道具班が準備を始めた。

 問答の繰り返しというシンプルなシステムを採用しているから、準備自体そこまで多くない。幕が上がるその時が、目視できる距離にまで近づいていた。

 栢森も横目でその様子を確認し、エンジンをかける様に大きく息を吐き出した。栢森の背景でぼやける舞台が、忙しなく形を成し始める。


 今から始めることが、正しいことなのか俺にはまだわからない。教室での正義と屋上前での正義が違うように、舞台上での正義もきっとある。それでもこの脚本の正義を決めるのは俺だ。

「なあ栢森」

 俺は口を開いた。栢森の視線が戻ってくる。

「ああん?」

「伝えたいことを芝居という枠組みを通して伝達する、これこそ燈花祭の醍醐味だっけか」

「なによそれ」

「どっかの栢森さんがそう言ってたんだよ」

「あら、そんなこと言ったかしら? 我ながらいいことを言うわね」

 相変わらずちぐはぐな記憶力だなと思った。忘れたふりをしているのか本当に忘れているのか、早いうちに聞いておけばよかった。

 俺は襟を正し、腕を組む栢森と正面から向き合った。

「俺の伝えたいことは、全部脚本に込めた」

「……急に改まって、緊張しているの?」

 悪戯っぽく口角を上げる栢森の声を遮り、講堂にアナウンスが響いた。

『まもなく二年八組の舞台、迷子のアイリスの開演でございます。休憩中にお使いになられました携帯電話、電子機器などの電源はお切りくださいますようお願い申し上げます』

 アナウンスが終わる。丁寧な言葉の流れに合わせ、栢森は首を傾げた。

「安堵、タイトルを間違えられてるわよ」

「間違ってないよ」

「えっ」

「ほら、板付きだろ。行ってこい」

 俺は栢森の身体を反転させ、力強く彼女の背中を押した。押し出される形で、彼女はよろよろと舞台の中心へと向かっていく。

 身体の向きに反した顔が、ぎろりとこちらを睨んだ。

「もうなんなのよ! 不穏!」

「俺が想いを伝えたい相手は他でもない、栢森、お前だ。全てを吐き出してきてくれ」

「はあ!? わけわかんない!」

 栢森はぶつくさと言葉を並べながらも、大人しく所定の位置に腰掛けた。栢森は責任感が強い。不平不満と開演とが天秤にかかれば、簡単に開演に天秤が傾くのだ。

 あとで恐ろしいほど怒られるだろうな。まあそれは、この計画を立てた時点で決まっていたことだが。

 舞台が暗転し、開演のブザーが鳴る。観客の拍手に合わせ幕が上がる。栢森あやめによる、栢森あやめのための舞台が始まる。

 緊張と祈りを織り交ぜた視線を、俺は栢森に向け続けた。

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