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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第一話 日常、所により雷。
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3.栢森あやめは思い悩む

 六月だというのに、外は嫌がらせかと思ってしまうほど晴れ渡っている。放課後間近の教室に、気だるさが漂い始める。

 部活に行く準備を始める奴、携帯ゲームに勤しむ奴、煌びやかな爪と睨めっこをしている奴。高校生の楽しみは放課後に詰まっているらしい。

 各々自由な時間を過ごしつつも、教室での居場所を確立していた。

「先生! 体育祭の出場種目はいつ決めるんですか?」

 そんな中、オナモミの実のように棘だらけでハマる先がないのがこの女、鼻息荒く挙手する栢森あやめだ。

 まどろみを吹き飛ばす栢森の声に、ほんの一瞬だけ教室の空気がピリッと揺れた。しかしカウントも出来ないほどわずかな時間で、ふたたび教室に落ち着きが返ってくる。

 もはや栢森がこのクラスで生み出せるのは、一瞬の緊張だけ。慣れというのは恐ろしい。

 話を終えようとしていたのか、教師は面倒くさそうに短髪を掻いて言葉を返した。

「ああ。明日決めようと思ってるよ」

「明日ですね! ありがとうございます!」

 放課後間近とは思えないほど鋭利な動きを見せた栢森は、「私なら何に出ても一位なんだけどね」と隣の女子生徒にこっそりと呟いた。相変わらず生き生きしていて羨ましいことこの上ない。いや、羨ましくはないか。隣の宮城さんも迷惑そうだし。 

 教師はあっさりと引き下がった栢森に溜息を返した後、日誌を勢いよく閉じた。

「じゃあ今日はこれで終わり。日直、号令」

「きりーつ」

 日直が放った覇気のない締めの言葉を契機に、がやがやという話し声が教室を覆った。

 部活動が盛んな我校では、終業と共に大半の生徒が各々の活動に足を向け始める。主につるんでいる友人たちも例外ではなく、よって彼らと俺が放課後の時間を共にすることはほぼない。

「また明日」と挨拶を交わし教室を出ていく友人たちを笑顔で見送っていると、強めに肩を叩かれた。

「おう安堵。今日も真っすぐ帰るのか?」

 振り向いた先では鈴木が丸めた頭を掻いていた。野球部である彼も、皆と同様に部活に向かっていくのだろう。

「いや、さっき言ってたゲームが今日発売だから、買ってから帰るよ」

「いいねえ帰宅部は自由で。俺も髪伸ばしてえ」

「うるせえ野球部。さっさとグラウンド走ってこい」

「ははっ。今日は外周だよバカやろう。じゃあな、また明日」

「おう、頑張れよ」

 背中を叩き返してやると、鈴木は親指を立て走って教室を出ていった。ここまで終えて、俺はようやく大きく息を吐く。

 日直でもないのに嬉々として黒板を掃除する栢森を尻目に、クラスメイトに挨拶を配った後、俺は教材を鞄にしまいいつもの場所に向かった。


 薄汚れた屋上前に到着した俺は、階段の半ばあたりに腰掛けた。一日を終えたという疲労感が、ずしりと乗りかかってくる。

「いいねえ、帰宅部は自由で……か」

 なんとなく零した言葉が、薄暗い階段を降りて行った。目にかかった前髪を払っても、この場所にはろくに光が入ってこない。

 帰宅部が自由であれど、この学校でのマジョリティは部活に入っている人間だ。放課後にもコミュニティがあるほうが、どう考えても優位に立っている。だから皮肉に聞こえる。

 何の気なしに放られたであろう言葉が、こんがらがって転がっていく。俺は重々しい感情を溜息として吐き出した。

 こういう余計なことを考えてしまう癖が抜けないから、どうも教室は息がしづらい。わかりやすく上下関係を示してくる栢森のほうが、幾分反応が楽で扱いやすい。

「ねえ聞いた⁉︎ 体育祭の競技決め、明日だってさ!」

 失礼な所感を吹き飛ばすように、栢森が屋上前にやってきた。踊るような足取りで指定位置に腰掛けた彼女は、満面の笑みを浮かべて腕を組む。

 あれだけ馬鹿でかい声で質問をしていたんだから、聞いていないわけがないだろう。俺は静かに笑みを返した。

「らしいな。何に立候補するつもりなんだ?」

「そうねえ。やっぱり運が絡んでこない百メートル走かしら。体力測定のタイム的に、選抜リレーにも選ばれると思うけれど」

「栢森、足速いもんな」

「そう! 私は足も速いの! すごいでしょ!」

「すごいなぁ」

「実は長距離も得意なのよ!」

 ふふんと鼻息荒く、栢森はそう言った。女子高校生が足の速さを誇ってくるなんて、運動部でも見られない光景だと思う。

 栢森の自慢癖は、男子小学生くらいの守備範囲まであるらしい。なんと褒めポイントがお手軽なことか。

 次なる褒め言葉を待つ栢森を眺めつつ、俺は体育祭に想いを馳せた。


 この学校の体育祭は、全生徒が最低でも一種目以上の競技に参加することになっている。基本的には体力測定の結果から適正の種目に立候補し、そこに全員参加競技やらなんやらがオプションで追加される。

 クラス全体で一致団結するあの感じは何とも言い難いほど浮かれるし、去年は感極まるクラスメイトにつられて泣きそうにもなった。

 運営委員や部活動に属していれば話は別だが、俺や栢森のような人間はおそらく自身の競技を楽しめばそれでいい。比較大好き栢森様からすれば、恰好の餌場と言えよう。

 褒めの源泉を掘り当てるべく、俺は自信満々な栢森への質問を考える。

「部活も入ってないのに、どうして足が速くなるんだ?」

「こういう時のために、毎日走りこんでるからね!」

 ぼんやりとこぼした質問に、なんてことないようなトーンで返事がくる。俺は思わず大きく身を乗り出した。

「え? マジで?」

「大マジよ。体型が維持できて足も速くなるなんて、一石二鳥よね」

「なるほど……すごいな」

「別に、普通のことでしょう?」

「そ、そうか。それはそれですごいな」

 本当にすごすぎて、安直な言葉しか出てこなかった。驚いた顔を向けられた当の栢森は、本当に些細なことを言ってのけたように髪を払う。どうやらここは褒められて気持ちいいポイントではなかったようだ。 

 ここ数週間で見えるようになった事実として、栢森は小事大事問わず手を抜くことをしない。

 勉強も運動も全力を尽くすだけではなく、人一倍張り切って清掃もするし、移動教室には毎回一番乗りだし、勝ったとて何もない体育祭のために日頃から走り込みもしている。

 おそらくクラス全員が誤解しているし、注目をしようともしていないが、彼女は恐ろしく努力家なのだ。

 そのくせ努力を他人に見せようとしない。なんなら努力をしていない態度を取る。それが余計にクラスメイトからの反感を買っている。

 努力しなくても出来る天才な私という像を演出したいのだろうか? 悪手も悪手、一流の料理に嬉々としてソースをぶちまけるような荒技だ。本当にもったいない。俺から見れば、過程自体が誇るべきポイントなのに。

 しばらくの間硬直していると、栢森が唸るように声を上げた。

「でもねぇ。ちょっとばかり不安要素もあるのよ」

「不安要素?」

「ほら、百メートル走って大体どのクラスも足の速い連中が出てくるじゃない? 運悪く陸上部と当たったら、流石に分が悪いと言うか……。負けると気持ち良くないと言うか……」

「なるほど。確かに本職が出てくると分が悪いな」

「かと言って運が絡む競技は気が乗らないし、団体競技は論外だし、どうしようかしら」

 栢森は大きく溜息を吐いた。教室では一ミリも自信のなさなぞ表明しないくせに、ここでの彼女は簡単にこういった弱音を吐き出すのだ。こういう部分ももっと表に出していけば良いのにと心底思う。その方が俄然とっつきやすくなるだろうし。どうせ出さないだろうから言わないが。

 俺は溜息を掬うように言葉を用意した。

「いやでもさ。勝ったらめっちゃかっこよくないか?」

「かっこいい……?」

「栢森が有象無象に勝つのは当然だと思うんだよ。周知のとおり、栢森は天才だから。みんなもそれじゃきっと満足しない。でもさ、陸上部を倒したともなれば、順位関係なく自慢できると思わないか?」

 俺はそうは思わないし、みんなもそうは思わないと思うが。しかし、栢森自身が納得できればそれでいいのだ。

 この場で俺に求められているのは、いかに彼女が自己肯定感を高められるかということだけなのである。嘘か本当かなんてことは、もはやこのスペースにおいて意味をなさない。

 栢森は少しの間宙を眺め思案に耽った後、満面の笑みを浮かべて指を鳴らした。じっとりとした空間に、乾いた気持ちのいい音が響く。

「なるほど。確かに言う通りね。今の私に求められたハードルの高さを忘れていたわ。部活に属していない私が陸上部を倒す。なによ、かっこいいじゃないそれ」

「だろ?」

「うんうん。最高ね! それは絶対に気持ちいい!」

 栢森は立ち上がり、嬉しそうに目をキラキラさせた。高圧的であろうが弱音を吐こうが、彼女は単純なのである。

「よし、自信とやる気が湧いてきた! ありがと! そろそろ帰るわ。安堵は? まっすぐ帰るの?」

 いつも通りの意味のない質問。こちらに興味があるわけでもない、自分の忙しさをアピールするための罠に過ぎない。

「暇だから適当に寄り道して帰るよ。そっちは今日もバイトか?」

「ええ。私ってすっごく忙しいから!」

「さすがだな。かっこいいよ」

「ふふっ。知ってる。じゃあね!」

 栢森は一段飛ばしで軽快に階段を降りて行った。景気の良い足音が彼女の心情の浮きを表しているようだった。

 いつだって期待が見え見えな彼女の言葉は、俺にとってはありがたい。褒めてもらうため、自慢を振りまくためという目的がはっきりとした罠だからこそ、かかってやれば痛くも痒くもない。

 下手な読み合いも必要ないし、こちらに求められた言葉が明白な分、余計なリソースを割がなくて良い。こういうストレスフリーな部分は、人間関係を円滑に進めるうえで非常に重要だと思う。

 クラスメイト全員が栢森みたいにわかりやすい奴だったらよかったのに。

 いや、それはさすがに嫌だな。やかましすぎて心が折れてしまうかもしれない。そんなことを考えてにやりと笑みを浮かべた後、俺は読書に耽った。


 体育祭まであと二週間。彼女かここに来るようになって、初めて迎える大きなイベント。彼女が望むような出来事は、果たして起こるのだろうか。

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