28.栢森あやめは隠される
部活が終わるであろう時間まで、俺は屋上前で文字を打ち込み続けた。徹夜明けだというのに、一周回って眠気は全くない。顔を上げると、窓の外が薄暗くなっている様子が見えた。
ここまで黒色と静寂が支配すると、馴染みの場所であれ不気味としか言いようがない。俺は身を震わせながら急いでパソコンを鞄にしまった。
校舎から出ても、部活動の声はほとんど聞こえない。校庭に視線を向けると、ソフトボール部の面々が校門に向かう姿が見えた。俺は急いでそちらに足を進め、目的に人物に声をかける。
「みーさん」
「うわっ、びっくりした! 安堵!?」
突如声をかけられた宮城さんは、肩にかけた鞄で身を隠した。
「こんな時間まで何してたの? 今日も忘れ物?」
「違う違う。みーさんに用があるんだ。ちょっと時間もらえる?」
「私に? いいけど……。なんか緊張するし。大丈夫? 多分汗臭いよ」
「大丈夫だよ」
宮城さんは並んでいた友人たちに「先に帰ってて」と声をかけた。にやにやという居心地の悪い視線から逃げるように、俺は彼女たちに頭を下げる。
去っていく友人たちに手を降り終わった後、宮城さんはベンチへと足を進めた。
「どうしたの? お悩み相談かい?」
「みんなに送った脚本のことなんだけど、みーさんに協力してほしいことがあって」
「協力?」
「実は——」
俺はベンチに腰掛け、燈花祭の演出構想を宮城さんに説明した。
脚本に立候補したのは、栢森の後押しあってのことだということ。全員に送付した脚本及び配役は、当日に変更をかけるつもりだということ。そしてその変更内容。あとその他諸々。
わざわざ個別に話をしに来た時点で、宮城さんもなにかしらの違和感を覚えたのだろう。しばらくの間惚けたように話を聞き続けた彼女は、俺の呼吸の隙間を縫って手を上げた。
「はい! 質問!」
「どうぞ」
「じゃあ、あの脚本は偽物ってこと?」
「いや、大筋自体はあのままなんだけど、本番では要素を足そうと思ってて。栢森には内緒で」
宮城さんは目を丸くして身を引いた。安い素材でできた椅子が、ぱきりと音を立てる。
「な、なんでそんなことを……? 栢森さんに恨みがあるの?」
「ああ違う違う。むしろその逆というか」
「逆……?」
「そう、逆」
俺はへらりと笑みをこぼした。一瞬躊躇ってしまったのは、この話をすることで宮城さんがどういう反応を示すかが不安になってしまったからだ。
しかし、ここまで来て止まることは出来ない。
「みーさんを信用して言うけど、栢森って陰でめちゃくちゃ努力をしてるんだよ」
「えっ、そうなの?」
「その結果があの優秀さってわけなんだよ」
「全然気づかなかったよぉ。超意外!」
「だろ? 俺も知ったときは驚いたけど、同時に納得もしたというか」
俺は背もたれに体重を預け、頭の後ろで手を組んだ。
たまたまお互いの弱みを握り合ったという事実だけが、俺と栢森を繋ぐ唯一の鎖。それを俺は断ち切ろうとしている。
少しの寂しさを胸に、俺は言葉を並べ続けた。
「あれだけの才能があって努力もしていて、結果も残しているのに、それを隠して偉そうに振る舞うから、クラスじゃただの厄介者。でも本当は、努力を馬鹿にされるのが怖くて、高圧的に振舞ってしまうだけ。それが栢森あやめの本当の姿なんだ」
零れ落ちそうなほど目を見開く宮城さんは、驚いた小動物のようにこちらを見つめた。数秒間もふもふと口元を動かした後、彼女はゆっくりと声を出した。
「なにそれ、萌える。マジカルリリーが過ぎる!」
「えっ」
「今までの行動がこう、ぶわっと可愛く見えてきた! やっぱり今度リリーちゃんのコスプレをしてもら——」
「あ、ごめん。後日ちゃんと聞くから、一旦話を続けていい?」
宮城さんに両手を向ける。どうやら苦い反応を覚悟する必要は無かったようだ。昨日の様子を見ているから薄々わかっていたが、宮城さんは栢森のことを悪くは思っていないらしい。
途端恥ずかしそうに視線を落とした宮城さんに聞こえるよう、俺はこほんと息を挟んだ。
「その姿を知っているから、俺は栢森が神様から愛されただけと言われている現状に納得がいかない。頑張ることにケチが付かない環境を、教室に作ってやりたい。だから燈花祭を通して、栢森に伝えたいんだ。努力できる栢森は格好良くて、栢森が思っている弱みは弱みなんかじゃないってことを。直接言ったって、あいつは聞き入れはしないだろうし、サプライズがあったほうが刺さるかなと」
「なるほど。それで栢森さんに内緒なんだね」
「そう。要は栢森の居場所を作るため、こそっと一芝居打ちたいわけなんだ。みーさんにも負担をかけることになるから、無理にとは言わない。でも、協力してもらえると嬉しい」
俺は言葉を吐き出し終わり、ゆっくりと空を眺めた。校舎に遮られているのか、月は見えない。今日は三日月か、満月か。そんなことを考えていると、宮城さんの笑い声が耳に届いた。
視線を彼女に戻すと、宮城さんは声の通り、愉快な表情で俺の方を見ていた。
「……やっぱり無理か?」
「ごめんごめん。安堵ってそういうキャラじゃなかったから、違和感がすごくて」
「そう、だよな」
「悪い意味じゃないよ? なんというか、今までよりはっきりと顔が見えるようになったというか。今までは、安堵が何をしたい人なのかわかんなかったし」
「顔……」
「私的には、今の安堵の方が好印象かも!」
宮城さんはふんと息を吐いて人差し指を立てた。人差し指の奥に、たくましい彼女の表情が浮かんでいる。
宮城さんはこんな表情をする子だったのかと、意表を突かれた。活発で明るくて、クラス内での評判も良くて、栢森の隣に座っているからよく被害を受けている女の子。正直彼女に対してはその程度の認識しかなかった。
しかし、彼女の方はしっかりと見ていたのだろう。俺のことも、栢森のことも。彼女は大きく息を吸い込んだ後、勢いよく立ち上がった。
「なんで安堵が栢森さんのその姿を知ってるのかとか、そこまでする理由はなんなのかとか、細かいことはわかんないけど、いいよ。協力する! マジカルリリーには、ちゃんと幸せになってもらいたいからね!」
「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
俺は宮城さんに笑顔を返し立ち上がった。彼女がここまで敬愛するのであれば、きっとマジカルリリーはとても魅力的なキャラクターなのだろう。
息を吐いて上を向くと、校舎の隙間から満月が顔を覗かせた。
「時間を取らせて悪かったね。みーさんには編集版の脚本を送っておくよ。一応みんなにも一声かけていくつもりだけど、くれぐれも栢森には内緒で頼む」
「あいあいー。安堵も、ゾンビみたいな顔してるから帰ったらすぐ寝なよ」
よくゾンビみたいな顔の奴の話を聞いてくれたな。言い返してやろうかと思ったが、思い出したように眠気が襲い掛かってきた。
「おう。ありがと」
校門に歩みを進めた宮城さんに合わせ、俺も力感なく足を動かした。その様子が面白かったようで、宮城さんはけらけらと笑みを深めた。
「私、帰り道あっち。安堵は?」
「俺はこっち」
「そっか。じゃあまた明日!」
「また明日」
正反対の方向を指さした俺たちは、各々の帰路を辿る。少し歩いたところで、背中に声がぶつけられる。
「あっそうだ! この脚本って、なんていうタイトルなの?」
俺は振り返り首を傾げた。ファイル名にも記載してあるし、ちゃんと伝えたはずなのに。少し先行きが不安になってしまった。
街灯を背景に、笑顔の宮城さんが俺の言葉を待っている。
「迷子の終点って言ってなかったっけ?」
「違うよー! 裏脚本の方! やっぱこういうのって、コードネームがないと締まんないよね!」
宮城さんは自信満々に胸を張った。滑稽なその様子から僅かな栢森みを感じて、俺は吹き出す様に笑った。
裏脚本にタイトルなんてものを付けているわけがない。締まらないという彼女の意見はピンと来ていないし、考えるふりをする俺の頭には、もはや候補の一つすら浮かんでいない。
「あー……。なんも思い浮かばねえ。みーさん適当に考えてよ」
「えっ、いいの? うーんそうだなぁ。じゃあ迷子のアイリスはどう?」
「アイリス?」
「和名であやめだよ。要はこれって、栢森さんのための物語なんでしょ? だったら絶対にこれが良い!」
宮城さんの鞄に付いたキーホルダーが彼女の動きに合わせて揺れた。流石はマジカルフルールフリーク、と言わざるを得ないネーミングだ。
しかしながら、彼女の案がすとんと俺の中に落ちた。
「……そうだな。そうしよう。良いタイトルじゃん」
「でしょー? ふふっ。脚本、ちゃんと読み込んでおくね! 迷子のアイリス作戦、目指せ大成功!」
宮城さんは右こぶしを鋭く上げ、瞬く間に走り去っていった。選抜リレーに選ばれるだけあって、彼女も足が速い。背中が見えなくなるまで、俺は彼女の背中を目で追い続けた。
「高校生活はときめきがたくさんあって楽しいよ」という姉の言葉を、ふと思い出した。というか、ようやくこの言葉の意味を理解できた気がした。
高校生活には、俺が知らなかったときめきがたくさんある。色んな生徒が色んな輝き方をしていて、それがキラキラ光って輝いている。勝手にフィルターをかけて、ときめきを見えなくしていたのは俺自身だ。
栢森あやめに出会わなければ、俺はまだこのことに気付かないままだっただろう。まったく、感謝ばかりが増えてしまって憎らしい。
俺は不気味な笑みを浮かべながら、満月に照らされた通学路を辿った。




