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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第五話 燈花祭、天気雨。

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27.栢森あやめは頭を下げる

 翌日の放課後。秋の陽気に包まれた教室には、前日と同じ状況が広がっている。昨日と違うのは、黒板に書かれた文字が『配役決め』になっていることだろうか。

 睡眠が不十分ということもあってか、緊張というところにまで意識が向いていない。今日こそが転機だというのに、俺の心は今日の天気のように穏やかだった。

「じゃあさっそく、配役を決めていこうか」

 プログラムのように予定調和な言葉を吐き出した遠藤に向け、俺はゆっくりと手を上げた。

「遠藤、その前に一ついいか?」

「えっ。お、おう。なんだ?」

 言葉を遮られるとは思っていなかったのだろう。遠藤は多少うろたえながら俺に手番を回した。

 俺は立ち上がり、バグさながらの動きで遠藤の横まで足を進めた。

「どうしたよ安堵。まさか主役に立候補か?」

「違う違う。もっととんでもないこと言い出すから、覚悟しとけよ」

 茶化しにかかるクラスメイトに笑みを向ける。表情筋が生きている自信がないから、ひょっとすると微笑みにすらなっていなかったかもしれないが。

 教室全体をじっくりと見渡す。興味と驚きが九割五分、一際目立つ怪訝な顔の栢森。予想通りすぎて笑ってしまいそうだ。

 俺は大きな深呼吸を挟んだ。

「演目、やっぱりオリジナルにしないか?」

 空気がぱきりと音を立てた。困惑に顔色を変えるクラスメイトに反し、俺はじっとりと口角を上げた。

 この音を聞きたくないがためにしてきた苦労が頭に浮かんで、さらに可笑しくなってしまう。仮初の城が崩れるのは一瞬だ。

 様子を伺うように静まり返る教室。口火を切ったのは、昨日同様鈴木だった。

「おいおい本当にどうしたんだよ。らしくもない冗談だぞ。ロミオとジュリエットに決まったじゃないか」

「こんなつまらん冗談を言うかよ。全員が演目に納得しているならいいんだ。でも、俺はそうだとは思っていない」

「安堵だって、有物で良いって」

「嘘をついた。お前が言った通り、らしくないと思ったから」

 あんなに窮屈に見えていた教室は思いのほか広くて、最後尾まで自分の声が届くのかどうか不安になってしまう。

 それでも想いを届けるため、俺は大きく息を吸い込んだ。

「俺、本当は舞台脚本に興味があるんだ。小さい頃に見た舞台がかっこよくて、あんなものを書きたいと思ってて」

「そ、そうなのか? そんなこと一言も……」

 鈴木はわずかに狼狽えてそう言った。欲しい時に欲しい言葉をくれるあの坊主頭には、後々褒美をくれてやろう。

 俺は鈴木に手のひらを向けた。

「とっくに諦めたつもりだったから、誰にも言わなかった。バレたら馬鹿にされるとも思っていたし。でも、昨日の栢森を見たら、また書きたいって気持ちが湧き上がってきてさ。みんなに隠れて屋上前で本を読むくらい、脚本に対しての未練が残っているのに、キャラじゃないという理由だけで逃げるのは格好悪いなと思ったんだよ。だから一本書いてきた」

「書いてきた⁉︎」

「ああ。今すぐにでもクラスチャットに送ることが出来る。もし、みんなが賛同してくれればの話だが」

 残った全てを曝け出すため、俺は肺中の空気全てを吐き出すように言葉を続けた。

「みんなが忙しいのも、俺のキャラじゃないのもわかってる。厄介なことを言っているという自覚ももちろんある。でも、これが俺の本当の気持ちなんだ。決まってから騒ぎだしてごめん。あと栢森、お前と同意見だったのに賛同できなくてごめん。みんな、俺の夢に協力すると思って、力を貸してはくれないだろうか?」

 全員に向け俺は頭を下げた。持てる手札は全て曝け出した。恥ずかしくて封印していた気持ちも、キャラじゃないから退けていた感情も、もれなく全てを。

 時計の針がかちりと音を立てた。しばしの沈黙を遮ったのは、聞き慣れた笑い声だった。

「よく言ったわ。私はもちろん賛成よ」

 声に合わせ、俺は顔を上げる。言葉を投げた栢森は、先ほどの表情が思い返せないほどの笑顔を浮かべていた。

 それは他のクラスメイト達も同様で、全員が全員穏やかな表情をしている。表情に温度なんてものはないが、じんわりと心が温まっていくのを感じた。

「なんだよ水臭い。最初からそう言えば、俺も栢森に突っかからず済んだのに」

「私も賛成! 安堵が書いた話、読んでみたいかも!」

 栢森から少し遅れて、教室の方々から声が飛んでくる。拒絶や嫌悪の目は、全く感じられない。

 星空のように輝いているこの光景を、俺はきっと生涯忘れないだろう。教室という空には、俺が見ようともしなかった星がたくさんあったらしい。

 そしてこれこそが、栢森に見せたい景色。

「みんなありがとう。反対意見があったら遠慮なく言って欲しい。もちろん、脚本を見て決めてもらっても良い。今からチャットにデータを送るから、あらすじだけでも目を通してくれ」

 俺は躊躇いもなく送信ボタンを押した。作ったものを見られる恥ずかしさとか、そんなものはもはや気にもならなかった。

 その後、何の引っかかりもなく、俺が作成した「迷子の終点」という演目が採用された。

 俺の心中に苦言を呈すクラスメイトなんて、結局一人もいなかった。


「私が主役じゃないってどういうことなの⁉︎ 本末転倒なんだけれど」

「仕方ないだろ。栢森に合う脚本が思いつかなかったんだから」

 いつも通りの放課後が訪れる。数分前まで猛っていた俺の心も、昨日の破片が見られない栢森の様子で穏やかになっていた。

 脚本及び配役案をクラスメイトに投げたところ、全員が脚本を読み込んでくるということになり、会議は十分程度で終了した。おそらく明日以降、放課後に練習の時間が取られることだろう。

 最上部に座する栢森は、端役に指名されたことがさぞ不服だったのか、口を鋭く尖らせている。もちろんこの程度で配役を変えるつもりはないので、俺は話題を昨日の一幕に戻した。

「昨日は悪かったな。流れに乗れなくて」

「過ぎたことよ。気にしてないわ。それより……全部を話してしまって良かったの? 大事なブランディングだったんでしょう?」

 栢森は口元から力を抜いた。それに合わせ、俺も目の端を下げる。

「良いんだよ。ただまあ、隠れて本を読んでるって言っちゃったし、もうここが安息の地じゃ無くなるかもしれないけどな」

「それは大丈夫よ。そこをピックアップして聞いていた人は、多分いないだろうから」

 栢森が零した息が、ふっと音を立ててほこりを揺らした。

「でも、昨日の今日でここまで思考が変わるものかしら? それが怖いわ。感情のコントローラーが壊れてしまったの?」

 確かに徹夜のせいで表情筋は息をしていないかもしれないが、相変わらず失礼なやつだ。しかしながら、話題を過去に向けるきっかけをくれたのは非常にありがたい。

 俺は精一杯おどけた顔を浮かべた。

「壊されたんだよ。リリーちゃんに」

「はあ? どういうこと?」

「栢森のこと。姉貴に全部聞いたよ」

 俺の言いたい事を悟ったのか、栢森はこちらに向けた拳をスッと下げた。

「……そう。辿り着いたのね」

「ヒントが難しすぎ。優しくねえな」

「すぐに掘られちゃったら、有耶無耶にした意味がないでしょう? それに、ユリさんがリリーを自称していた黒歴史を知っていたからこそ、ヒントを出したのよ」

「まあ、結局姉貴目線の意見を元に俺が想像しただけだから、栢森の本心まではわからなかったけどな」

 俺は栢森から目線を外した。遠まわしに本音を吐くように誘導するという、少しずるいアプローチだったかもしれない。薄暗い屋上前には、落ちかけた夕陽が差し込んできている。黒色と朱色がぼんやりと混ざる風景が特別感を生んだ。

 朱を差した栢森の髪が揺れる。深い息の音が聞こえる。

「私は結局、自分のことを信用できないくせに、弱気でいることが怖いだけなのよ。最初から才能を見せつけておけば、弱気な自分を隠しておける。だから私の高校生活は、自信満々なキャラクターじゃないといけないの。でもあの夜、ゆかりちゃんと安堵が一堂に介して、どう振る舞えば良いかわからなくなって、それで逃げ出したの。どう? 幻滅したでしょ?」

「するかよ。わかりきったことを聞くんじゃねえ」

「ふふっ。わかりきっていないから聞いたのよ。ちょっとホッとしたわ。とはいえ、今はこの振る舞いが馴染んでるから、苦でも何でもないんだけどね」

 差し込む日に目を細めたからなのか、悲しい思いがよぎったからなのか、栢森はへの字に眉を下げた。その表情は、なぜか俺を懐かしい気持ちにさせた。

 栢森の本心は、おおよそ俺の予想通りだった。やはりあの振る舞いこそが、他者の干渉を退けるための檻。幻滅なんて気持ちは微塵もわかない。

 しかし、苦でも何でもない奴が、この屋上前に迷い込んでくるわけがないんだ。薄暗くてときめきもなくて、だからこそこの屋上前は逃げ場になる。それは俺が身をもって証明している。

 自己暗示をしていたのも、俺を味方に引き入れたのも、どこかしら限界を感じていたからに違いない。だとしたら、俺がやろうとしていることは間違いじゃない。

 薄い影に視線を落とした栢森を、俺は真っすぐ見つめた。

「一つ、確認したいことがあるんだが、いいか?」

「……バイトまで、時間僅かよ。一分以内なら許可してあげる」

「全てを知った上で、お前の置かれている環境を、俺は変えたいと思っている。世の中は努力を否定する人間ばかりではないと、教室は絶対に栢森を肯定してくれると、この燈花祭でお前に証明したい。それは迷惑になるか?」

 三十秒弱。見事一分以内だ。それなのに、栢森は口元を尖らせた。

「わざわざ何を聞くのかと思ったら、当たり前のことを。もちろん迷惑よ。迷惑極まりない」

 栢森は立ち上がり鞄を担いだ。勢いそのまま言葉ほど棘のない表情を浮かべ、彼女は階段を下りはじめた。

「ただし、止めはしないわ。私もその、昨日は勝手なことしちゃったし。……ごめんね」

 栢森は語尾を縮めながら、早足で去っていった。鋭い足音がいつも以上の速度で離れていく。

 栢森の顔が赤く見えたのは、夕陽のせいかそれ以外か。ただ単に否定されたわけじゃないということだけははっきりと分かった。

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