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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第五話 燈花祭、天気雨。

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26.栢森あやめは付箋を貼る

 姉のユリはソファに身を預け、ほぼ寝転がるような形でテレビを見ていた。映っているのは録画した刑事ドラマだろうか? 眼鏡をかけた刑事が、犯人を追い詰める様に言葉を並べている。

 扉の音に反応し、姉はうつろな目をこちらに向けた。

「おかえり」

「ただいま。姉貴、ちょっと時間いいか? 話があるんだ」

 姉は少し怪訝な顔を浮かべた後、のっそりと身を起こした。

「あいあい。登から話だなんて珍しい。反抗期が終わったの?」

「とっくに終わってるっての。この間、うちに来た子を車で送ってくれただろ? そのことなんだけど」

「あーちゃんのこと!?」

 俺が言い終わるのとほぼ同時に、姉はテレビを消した。俺の言葉でここまでのリアクションを示した姉を、十年ぶりくらいに見た気がする。

 俺は勢いに圧され、フローリングに鞄を下ろした。

「あーちゃん?」

「久々に喋ったけど、随分と垢ぬけてたね。中学生から高校生に上がるだけで、あそこまでかわるもんかね。ありゃモテるでしょ」

「ちょっと待ってくれ、早い早い」

 俺は急いで姉の言葉を静止した。新幹線並みのスピード感で情報がすり抜けていった。あーちゃん? 久々? もう訳が分からない。

 俺は深い呼吸を挟んで顎に手を添えた。

「もしかして、姉貴は栢森のことを知ってたのか?」

「知ってたよ」

「なぜに!?」

「中学校にスクールカウンセラーのボランティアに行ったって言わなかったっけ?」

 思春期真っ盛りの俺が、姉の言葉に耳を貸していたわけがない。それでも、しつこく話してきた姉の言葉の断片が、ふと頭によぎった。

「言ってなかった……こともないな。言ってた気がする」

「おいおい、姉ちゃんに興味なさすぎじゃない?」

 姉はわかりやすくため息を吐いて言葉を続けた。

「敷江第二中学、あーちゃんの母校ね。二年前、そこに半年間ボランティアに行ってたから、面識があるってわけ。というか、そもそも面識もない子に留守番を任せるわけがないでしょ? 馬鹿なの?」

「二時間任せること自体が大概馬鹿だけどな」

「はあ!? 姉ちゃんなりの優しさでしょうが! あんなかわいい子と二人きりの空間を過ごせたんだから、感謝くらいしたらどうなの?」

 せめて俺が弱っていない時にその配慮はしてほしい。そのせいで俺の黒歴史が彼女の目に触れてしまったのだから。

 いや、そんな与太話をしている場合ではない。栢森の過去を知る人間が、すぐ近くにいた。リリーちゃんというヒントが形を成したことは、喜ぶべきことだ。


 頬を膨らませる姉に向け、俺は急ぎ足で言葉を吐いた。

「中学の時の栢森って、どんな子だった?」

「うーん。あんまりペラペラ喋るのはちょっと……」

「栢森公認だ。教えてくれ」

「公認? しょうがないなぁ」

 こんな時にばかり常識を振りかざす姉は、膨らませた頬から空気を吐き出した。

「あーちゃんはね、一言で言うとすっごく地味な女の子だったよ」

「地味?」

「慎ましいというかなんというか、同級生相手に何かを主張している姿をあんまり見たことがないかも」

「今と真逆だな……」

 自己表現の権化のような存在こそ、俺が知る栢森あやめだ。地味や慎ましいなんて言葉、彼女に当てはまるわけがない。

 姉は消えたテレビのほうを見つめ、ぼうっと言葉を続けた。

「それでも、私には素を見せてくれてた気がする。芯があって真っすぐで、こうだと思ったことは曲げない! みたいな。ボランティアっていう立場も良かったのかな? ほら、ボランティアって、いつかはいなくなるじゃん?」

「だから頼ってくれていたと」

「私の願望も込みだけど」

 姉は眉を下げてこちらに視線を戻した。

 過去の姿がわかったとて、まだ栢森が成海から逃げ出した理由はわからない。決定的な要素がまだ姿を現していない。

 俺は向けたことのないほど真面目な顔を作って、姉に視線を返した。

「成海と栢森に何があったか教えてほしいんだ」

「成海ちゃんか。……それも言っていいって言ってたの?」

「自分の口からは言いたくないから他から聞けって」

 少しの間、無言で俺に視線を向け続けた姉は、痺れを切らしたように息をこぼした。

「嘘じゃなさそうだね。ちょっと長くなるよ」

「頼む」

 姉から投げられたクッションを受け取り、俺はテーブルの横に腰掛けた。

 長い話を聞き終えた後、俺はどんな気持ちを栢森に抱くことになるんだろうか。窓の外に映る景色はどんどん暗くなっている。無駄に明るいリビングのライトが、姉の背後を煌々と照らしている。

 期待と不安を織り交ぜながら、俺はクッションに体重を預けた。


「成海ちゃんもあーちゃんも、同じソフトボール部に所属してたの」

「部活が一緒だったんだな」

「部活どころかクラスもね。親友って言ってもいいくらい、仲のいい二人だったよ。自分をアピールすることが得意で、何でもできる陽気な成海ちゃんと、気弱で物静かで不器用なあーちゃん。方やエースで、方や控え。真逆の性質だったけど、その凸凹さで波長が合っていたんだろうね」

 姉は間を作るように、テーブルに置かれたコップの淵を指でなぞった。

「あーちゃんはさ、本当は素養があるし努力もするから、多分もともと部内でも頭ひとつ抜けて上手かったんだよ。それを全く表に出さなかったんだけど」

「それっていうのは、努力をってことか?」

「努力も、実力も両方だね。努力をしないと不安だから努力をしているだけ。その努力に自信が持てないから、爪を隠し続ける。これが当時のあーちゃんのスタンスだったんだよ。テストでは真ん中くらいの順位、部活でもそこそこの位置、わざとそれくらいを狙って振る舞っていたんだよね」

「わざと……」

「そしてこの振る舞いが、悪い方向に働いた」

 姉はすっと人差し指を立てた。切りそろえられた爪が、綺麗に上を向く。ふと、スカイブルーに彩られた栢森の爪を思い出した。

 

「中学最後の大会のレギュラー発表で、成海ちゃんを差し置いて、あーちゃんがレギュラーに選ばれちゃうの。エースだよエース。陰で練習していたのを、顧問が見ていたらしいね」

「すごいじゃないか」

「それが普通の反応なんだけどねぇ。レギュラーを取られた成海ちゃんは、あーちゃんが努力や実力を隠していたことが許せなかったの。本当は出来るのに出来ないふりをして、ずっと私を馬鹿にしてたんでしょって、あーちゃんに怒りをぶつけたらしい。まあ……わからなくもないよね。二人の関係は、成海ちゃん優位で成り立っていたようなものだから」

 姉は言葉を言い切り、コップを手に取った。それに合わせ、俺も息を吐き出した。

 今や実力を遺憾なく披露している栢森。陰でこそこそと磨き上げた爪は、成海の反感を買ってしまったらしい。優秀な成海のプライドは、自分より劣っていると思っていた相手に負けたことで傷ついた。ひょっとしたら、親友と言えるほど仲が良かったからこそ、隠されていたことに腹が立ったのかもしれない。

 両者の本心なんてものはわからない。ただ多分、栢森あやめは当時から空回っていた。

「それで、成海と栢森は仲が悪くなったのか」

「成海ちゃんはなんていうのかな、クラスでも顔が利くというか」

「スクールカーストの上位みたいな?」

「そうそう。完全なる一軍ってやつ。成海ちゃんの怒りは、あっという間にクラスメイトにも伝染した。そして、次の日からあーちゃんはクラスで孤立したの。大人しい子だったから、みんなも攻撃しやすかったんだろうね。レギュラーを辞退しても、空気が変わることはなかった。中学生なんて、些細な出来事から大きく空気が変わっちゃうくらい繊細だから、その空気感が卒業まで続いたんだよ。結構地獄じゃない?」

「だれも栢森の味方をしなかったのか?」

「あーちゃん自身が周りに何も言わなかったからね。私も何もしないでくれって言われたし。悪いのは自分。本心を隠していたことで、成海ちゃんを傷つけたと思っているんだよ。努力をしたら馬鹿にされる。だから努力は見せたくない。でも弱気な態度は他人を傷つけるって、よく愚痴りに来てたっけ」

 姉の言葉が、すとんと胸の内に落ちた。

「登が感じた昔とのギャップは、多分そこから生まれたんだろうね」

「なるほど……。その結果があの空回りか。ありがとう、リリーちゃん。ようやく合点がいったよ」

「リリーちゃん!?」

「ああ、悪い。何でもない」

 俺は大きく息を吐き出して頭を掻いた。色んな情報が錯綜して、余計なことを言ってしまった。リリーちゃんは、ヒントどころか答えに近い部分をしっかり握っていたようだ。


「付箋を貼るように、しっかりと今までのことを思い返して、ヒントを読み解けば、きっと全てがわかってしまう」

 栢森はそう言っていた。逃げた理由も、今の彼女のことも、全てがわかると。

 栢森が成海から逃げたのは、間違いなく見たくない過去に直面したからだろう。負い目であり恐怖であり、負の感情の詰め合わせを想起したに違いない。

 努力は見せたくない。ただ、努力は止められない。努力の結果として身に付いた力に自信はないけれど、それを隠すことが他者を傷つけるのであれば、爪を見せびらかすことでバランスを取ろう。

 介入を許さないあの振る舞いこそ、彼女自身と他者を傷つけない檻なのだ。そして、窮屈な檻から逃げ出したくなって、彼女は屋上前に現れた。

 今までの栢森の言動と照らし合わせると、これが一番しっくりくる彼女の行動倫理だ。本心まではわからないが、これが今俺に出来る最大限の想像。ぐっと胸が締め付けられる。

 

 極端だ。極端すぎるぞ栢森。なにもあそこまでマウントに振ることはなかったんだ。成海としっかりと話をすれば、おそらく問題は解決していただろうし、そもそも努力を隠すなんてことをしなければそんなことにはならなかったはずだ。

 そこまで頭に浮かべ、俺はぽつりと言葉を漏らした。

「そういえば、なんで栢森は努力を見せたくないんだろうな?」

「小学校のころ、自由研究を馬鹿にされたらしいよ。そんなことに必死になってかっこわるーってね。小学生は残酷だ」

「それだけで?」

「それだけって。登だって……というか、登こそそれだけで止めたこと、いっぱいあるでしょ? 怖いから見せられないだけで、見て欲しくないわけじゃないんだよ」

 姉の言葉を躱す様に、俺は視線を落とした。潰れたクッションが悲し気に俺の体重を受け止めている。

 何も言い返せなかった。言い返す気力すら湧かなかった。本棚に眠った黒歴史たちが、ここぞとばかりに頭に浮かんでくる。

 言葉は素敵で残酷だ。簡単に人の気持ちを変えることが出来る。だからこそ俺は脚本に興味を持ったし、だからこそ書くのを止めてしまった。言葉に当てられないよう、陽気に振る舞うことを選んでしまった。栢森の気持ちは、痛いほどわかるじゃないか。

 押し黙る俺に向け、姉は言葉を続けた。

「些細な事かどうか、判断するのは本人。そこを間違えちゃいけないよ」 

「そうだな。その通りだ」

 俺は落としていた視線を姉に戻した。この気付きを、これだけで終わらせるわけにはいかない。


「例えばその反動で、努力を隠しながら周りを威圧する栢森が出来上がっていたとしたら、姉貴はどうする? なんて声をかける?」

「なにそれ、怖っ」

 顔をひきつらせた姉は、俺の表情をじっくりと吟味した後、思考を掴むように上を向いた。

「そうだなぁ。もっと周りを信用して良いんだよって言うかもね。肩肘張らなくても、あーちゃんが肯定される環境は作れるはずだから。というか、そういう空気を私が作っちゃう!」

「そういう、空気……」

「モノの見方は人それぞれ。良い物が良いように見られるとは限らないでしょ? あーちゃんが素敵だってことを正しく周りに伝えれば、勝手に受け入れられる環境が出来上がるはずだよ。そうすれば、努力を隠す必要はなくなるわけだし、威圧もしなくて済むんじゃない?」

「そうだよな」

 耳に納まった姉の声で脳を満たし、俺は立ち上がった。栢森が受け入れられる環境が出来上がれば、檻なんてものは必要なくなる。彼女の姿を正しく伝えることが出来るのは、あの教室で俺しかいない。

 栢森が屋上前に迷い込んだ時から、俺がすべきことは決まっていたんだ。

「ありがとう姉貴。ちょっと部屋に籠るから、晩飯いらないって言っといて」

「えぇー。自分で言いなよぉ。姉ちゃんはね、これでも就活で忙しくて……。って無視かい!」

 姉の声を背に受け、俺は急ぎ足で自室に戻った。燻ぶっている炎に息を吹き込むように、深い呼吸を繰り返す。


 栢森あやめは空回っている。栢森が見せたくないと思い込んでいる姿は、決して非難されるものなんかじゃないし、彼女の魅力そのものなのだ。他者の声を恐れ、わざわざ威圧的な少女を演じる必要なんてない。

 でもそれはきっと、俺にも同じことが言えるのだろう。過去の些細な出来事に怯え、本当の自分から目を背け、理想の安堵登を演じている。

 出力方法は違えど、俺と栢森は同じなのだ。結果としてクラスに迎合した俺と、ハマる先がない栢森。それだけの違いだったんだ。

 こんなにも簡単なことに今まで気付かず、挙句彼女の手を掴めなかった自分が憎らしい。


 部屋に入るや否や、荷物も置かずに本棚に向かう。書くのを止めてしまった不完全な舞台脚本を手に取ると、そこから藍色の付箋が剥がれ落ちた。

 見覚えのない、あやめの花が描かれた付箋には、『続きを書いたら見せること!』という綺麗な文字が書かれていた。体中の血液が沸騰したかのように体温が上がる。


 俺は筆を執らなければならない。自分が大切にしているものを公にしても、傷つかないということを身をもって示してやらねばなるまい。それこそが、彼女のメッセージに報いる唯一の手段。

 炎が完全に息を吹き返した。不義理を働いてしまった分、今度は俺が彼女の手を引く番だ。

 

 ノートパソコンに電源を入れ、途絶えてしまった物語を再び開く。キーボードを叩く指に、もう迷いはなかった。

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