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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第五話 燈花祭、天気雨。

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24.栢森あやめは提案する

 栢森の企みが明らかになったのは、その日の終礼後だった。

 早々に担任教師が去ったことから、放課後の教室にはどことなく気だるげな空気が流れている。普段であればすぐさま部活に向かう面々も、大人しく机に身を預けていた。

 音自体が多いわけではない。それでも湧き出る取っ散らかった雰囲気が、議題への注目度の低さをありありと示しているようだった。

「みんな部活もあるだろうから、さっさと決めてしまおう」

 進行を一任されたクラス委員の遠藤が、教室を一望して声を上げた。彼の背後にある黒板には、『燈花祭の役割決め』と書かれている。

「まずは演目だけど、とりあえず候補を上げて、そこから多数決でどうだろう? 意見がある人は挙手を」

 遠藤の一声で、クラスメイトが各々顔を見合わせる。

「定番のやつで良いじゃん。白雪姫とかどうよ?」

「だったらロミオとジュリエットがいい。このクラスの男共じゃ、華が無さ過ぎだけど」

「うわ、失礼な奴がいるわ。桃太郎は? 準備も台詞も簡単そうだし」

「高二にもなって桃太郎なんか出来るかよ。恋愛要素は絶対だろ」

 笑い声と共に浮かんできた案を、書記が黒板に記入した。口々に意見を出しているものの、どことなく投げやりなこの感じ。予想していた通り、クラスメイトのモチベーションは無いに等しいようだ。

 がやがやと騒がしい音が響く。その音を割ったのは、すらりと伸びた一本の腕だった。

「委員長、いいかしら」

 教室の最後方、ど真ん中の席で、栢森あやめが律儀に手を挙げた。海が割れたかのように、教室に静けさが訪れる。クラスメイト全員が栢森にその場の空気を譲った瞬間だった。

 コールを受けた遠藤は、息をのみ込んだ後、恐る恐る栢森に手を向けた。

「はい、栢森」

「オリジナルを提案するわ」

「お、オリジナル?」

「そう。一から台本を考えて、それをやるの。候補に加えてちょうだい」

 栢森は堂々とそう言い切って、悠然と腕を下した。栢森に気付かれないように交わされる視線たち。おそらく流れのまま有物での多数決になると思っていたのだろう。また面倒なことを、という言葉にならない声の大合唱が聞こえてくるようだ。

 さっきまでの穏やかさを微塵も感じさせないほどの苦笑いを浮かべながら、遠藤は慎重に言葉を並べた。

「今から新しいものを練るのは、ちょっと厳しいんじゃないか?」

「余裕、とまでは言わない。でも、確実に出来ないわけじゃないでしょう?」

「だとしても、脚本は誰が用意するんだ?」

「私が書く。これで文句はない?」

「えっ」

「さっさと候補に加えなさい」

「はい……」

 栢森は遠藤の言葉をばさりと切り捨てた。討ち取られた彼の姿を見て、クラスメイトの大半が顔を歪める。視線を向けられた書記が、おずおずと探るように黒板に文字を書いた。

 俺は流れに合った表情を作れず、上がった口角を無理やり手で隠した。視界の端に、満面の笑みをこちらに向ける栢森が映る。落ち着くため目を瞑ると、朝の光景が鮮明に蘇ってきた。


「脚本を書くのは安堵、キャラクターとやらを崩さないまま、バトンを渡してあげる」

 栢森はそう言っていた。ああ、あと主演女優賞か。まさかとは思うが、自身で脚本を書くと名乗り出て、影で俺に書かせるというのがあいつの作戦なのか? 直球過ぎて笑ってしまいそうだ。

 確かに俺が書いたとばれることがなければ、キャラに反しないし、からかわれることもない。書くかどうかは置いておいても、筆を執る舞台があっという間に整ってしまった。


 俺はゆっくりと目を開き、大きく深呼吸をした。

 静まり返る教室。空気は悪い意味で栢森の独壇場。歪ではあるが、それなりに見慣れた光景だった。勝手にやらせておくか、くらいのことは考えているのかもしれない。

 栢森の意見を適当に受け入れ、周りが諦めて引き下がるというのがこのクラスにおける定石である。俺を含めみんなもそれを理解しているから、ただただ嵐が通り過ぎるのを待っている。

 しかし、転機というのは往々にして、こういった何気ないタイミングで訪れる。栢森が脚本の話を吹っ掛けてきたように。


 数秒の静寂の後、空気に亀裂が入る嫌な音が聞こえた気がした。

 クラスの立場関係が変わってしまいそうな、そんな空気感。実際には静寂が続いていたのに、空気の流れが変わった瞬間を、目視できるほどはっきりと感じ取れた。

「あのさ、いい加減にしろよ。みんながみんな、お前みたいに暇なわけじゃないんだよ」

 出口に近いほうから飛んできた声に、全員が意識を向けた。声を発したのは、夏の間で一際日に焼けた腕を組み、栢森に睨みを向けている鈴木だった。

 彼は全員の視線を集めた後、呆れたように息を吐いた。

「部活をやってないお前と違って、みんな忙しいんだ。付き合ってられるか。迷惑なんだよ」

 再び教室に静寂が訪れる。これはさっきとは訳が違う。いままで口に出せなかったことをよく言ってくれたという、賛同と賞賛の静寂だ。確実に風向きが鈴木の方を向いた。

 しかし、敵の数が増えたところで、栢森あやめは止まらない。

「忙しさなんて、この行事が存在する時点でやむを得ないでしょう? 私に言うのはお門違いよ」

「だから楽な台本にしようって言ってんじゃねえかよ。オリジナルなんて論外だ」

「今、初めて聞いたわ。誰か一人でも言った? 行事に取り組めないほど忙しいので楽な台本にしましょうって。くだらない話が多すぎて聞き逃していたのかしら?」

「言わなくてもわかるだろそのくらい! 空気読めよ!」

 ガタンと鋭い音を立て、鈴木が立ち上がった。周辺の生徒が音に合わせ身を跳ねさせる。俺は両者の様子を交互に見つつ、神妙に手を組んだ。


 期待を孕んだクラスメイトの目を受けて、鈴木が勇者のような勇ましさを醸し出している。コップ一杯に溜まった栢森への怒りが、留まることなく溢れていた。

 まずいことになった。この一石は、他の連中が石を握るきっかけになりかねない。

 彼女優位のクラス構造は、あくまで切りかかる人間がいないという前提で成り立っていたのだ。そして、それが今崩れようとしている。

 たかだか俺に脚本を書かせるくらいで、栢森がそこまでのリスクを負う必要はない。

 俺の想いもむなしく、栢森は怯むことなく髪を払った。

「時間を言い訳にする奴らの気持ちなんて、聞いたってわからないわよ。それに、私はオリジナルはどうか? と意見を出しただけよ。咎められる要素がどこにあるの? そこまでして手を抜きたいの?」

「言い方って物があるだろ! 見下すのも大概にしろよ」

「丁寧に言えば頷いてくれるのかしら?」

「頼み方次第だろうな」

「そもそも部活をしているかどうかを引き合いに出してくるなら、最初から演目なんて適当に決めればいい。この会議もいらないわ。それこそ時間の無駄よ。一丁前にやる気があるような面をしないでよ。腹が立つから」

「お前っ!」

 足を進めた鈴木の身体を、俺は急いで止めにかかった。動線に入っていたから止む無いが、出来ればこの役割はやりたくなかった。

 俺は彼の肩を数回叩いて静かに声を出した。

「落ち着け」

「放せ安堵。さすがにムカついたわ」

「栢森の言葉も一理あるだろ。こんなことで熱くなってどうする?」

「……くそっ」

 真っすぐ目を向けたことで、鈴木はあっさりと留飲を下げた。宥めながら席へ戻ることを促すと、彼は大きく息を吐き出して椅子に腰かける。

 鈴木はそれなりに発言権のある立場にいるが、それでもクラスであれば俺のほうが票を持っている。席が近いせいでうっかり吊り出されてしまったが、はたしてどう振舞うべきなのか。

 背中にじっとりとした汗が浮かんで来た。仕切ってくれればいいのに、遠藤は教卓に手をついてただただ様子を見続けていた。

 存分に間を作り、俺は栢森のほうを振り返る。

「栢森も、意見を通すだけならそこまで言わなくていい。言葉一つで傷つく人間もいるんだ」

「あら、先に傷つけられたのは私だと思うけれど。私、間違ったことを言ったかしら?」

 間違っていない。それでも、言い方一つで物事の進み方は大きく変わってくるのだ。ここが屋上前であれば、余計なことを考えずに肯定できるのに、漂う空気がそれを許さない。こと教室において、正しいことが正義とは限らない 

「部活が忙しい奴の気持ちもわかってやれよ」

 俺は逃げるように吐き捨てて、栢森から視線を切った。

「遠藤、今ある案で多数決を取ったらどうだ?」

「お、おう」

 クラス委員にタスキを渡し、俺は椅子に身を預けた。こんな空気になってしまえば、栢森の案が採用されることなどあるまい。助けてやりたいのは山々だが、栢森をフォローする空気にする手段なんて思いつかない。

 頭を抱え大きく息を吐き出す。それに合わせ、再び栢森の声が響いた。

「安堵!」

「……なんだよ。まだなにか——」

 俺は渋々後ろを振り返った。大きく息を吸い込んで、栢森は言葉を吐き出した。

「あんたはどうなの? たしか、部活動に所属していないわよね? それでも同じように、忙しいから有物でよろしくと宣うのかしら? 参考までに意見を聞かせてちょうだい」

 何かを促すような言葉を丁寧に並べ、栢森はじっとりと口角を上げた。窓から差し込む西日が、何かに反射して光を放つ。


 教室では初めて見る、見飽きるほど見た表情だった。栢森は期待する言葉があるとき、決まってこの顔をする。俺は今、何を試されているんだろうか?

 頭を搔いたところで、ふと目の前に糸口が現れた気がした。

 この質問は栢森からのパスだ。ここで俺が多少なりともオリジナルに傾けば、おそらく流れが変わる。どちらでもいいという層が、安堵が言うなら乗ってやるかという風に動いてくれるだろう。

 教室を一望する。クラスメイトの視線が俺に集まっている。教室の全員が、俺の答えを待つように口を噤んでいる。

 栢森の期待も、進むべき流れもばっちり見えた。見えたはずだった。それなのに、俺は栢森から視線を外した。

「時間を取れない人がいるなら、有物で良いと思う」

 気付いたころにはもう言葉を言い終えていた。教室の空気とキャラクターが纏わりついて、栢森から垂れていた糸を掴むことが出来なかった。俺は無意識のうちに、栢森の側に立つことを恐れてしまったのだ。

 逃げた背中に栢森の声が降りかかってくる。

「……そう。悪いわね遠藤、投票を続けてちょうだい」

 呆れたように息を吐いた栢森。淡々と進む投票。驚くほどあっさりと、演目がロミオとジュリエットに決定した。遠藤が話を進める最中も、俺は黒板に書かれたオリジナルという文字から目が放せなかった。

 その後、配役は後日ということで、間もなくクラス会議が終わった。何事もなかったかのように元通りになるクラスメイトと喋っていても、浮世感が俺を取り巻き続けていた。これがどういう感情なのかは、自分自身にもわからない。


 栢森の肩を持つという、俺のキャラじゃない行動を取ることは恐ろしいから、あの返答は止む無くて、元を辿ればオリジナルの旗色が悪くなったのは栢森の振る舞いのせいなのである。そもそも俺は脚本を書くことを了承していない。

 他でもない自分への言い訳を繰り返し屋上に向かう。


 栢森が屋上に来るようになって早数か月。この日初めて、栢森は放課後の屋上に現れなかった

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