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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第四話 夏休み、晴れのち曇り。

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21.栢森あやめはヒントを出す

 まもなくして、栢森が住むというマンションに到着した。俺は栢森を背負ったまま自動ドアをくぐり、正面にあるエレベーターのボタンを肘で押した。

 間接照明で照らされたロビーは、唾液を飲み込む音さえも響きそうなほど静まり返っている。俺も栢森も、空気に合わせるように口を閉ざし続けた。

 このまま家の前に行ったとして、うっかり家族と会ってしまったりしないだろうか。いや、別にやましいことをしてるわけじゃないから良いんだが。

 一〇階から降りてくる数字を眺めそんなことを考えていたが、直後響いた声で些末な思考は一気に吹き飛ばされた。

「あぁ! あやめが彼氏を連れ込もうとしてる!」

 ロビーを一瞬で駆け巡る声が、俺の耳を劈いた。慌てて声の方に視線を向ける。

 あちらは駐車場だろうか。おそらく俺たちが入ってきた入口とは別の箇所から、着崩したスーツ姿の女性がこちらに向かってきていた。

 あれは、栢森の母親だ。写真で見たことがある。あっけにとられる俺を置き去りに、栢森はぽつりと呟いた。

「おかえり。近所迷惑だよ」

「いやぁテンション上がっちゃって」

「今日は早いんだね」

「予定よりサクサク終わってさ。腹ペコ腹ペコ。見てほら、デパ地下のお惣菜! 良いでしょー」

「はいはい」

 ドラマをぼうっと眺めている気分だ。自然と流れる会話を聞いて、自分が本当にここにいるのかどうかがわからなくなった。

 気まずいシーンを見られているはずなのに、栢森はいつも以上に淡々としている。いや、背中越しに伝わる感触が強くなっているから、冷静を装っているだけなのか。

 所在なく視線を泳がせていると、手に下げた袋を愛でる栢森母と目が合ってしまう。俺は逃げるように頭を下げた。

「ど、どうも」

「こんばんは好青年。ご紹介遅れました。あやめのママでーす」

「同級生の安堵です」

「おお、安堵ちゃん! よろしく」

 顔を上げると、ぱっと笑顔を咲かせた栢森母の顔が映った。気がつくともう目の前まで迫ってきている。

 背中で身を縮まらせる栢森は、急いで母に言葉を投げた。

「あのね。これには訳が」

「皆まで言いなさんな。全部わかってるから。彼氏におんぶさせて帰ってくるなんて、罪な娘ねほんと」

「違っ」

 栢森の言葉を遮るように、間抜けな鐘の音が鳴った。エレベーターが一階に到着したらしい。

 おそらく栢森の心中を1%も理解していない栢森母は、開いたエレベーターに踊るように乗り込んだ。

「まあ立ち話もなんだから、ちょっとあがっていきんしゃいよ。車で送ってあげるからさ!」

「いえ、そんな」

「娘がお世話になってるんだから気にしない気にしない! というか私が話を聞きたいだけだから。馴れ初めは? うちの子は最近どう?」

「あ、えっと……」

「ママ。安堵が困ってる」

 栢森は溜息混じりの声でそう言って、掴んだ俺の肩をぽんぽんと叩いた。

「とりあえず部屋までお願いしてもいい?」

「お、おう」

 本当に助かった。栢森でさえ十二分に強烈なのに、その母となればここまで凄まじいのか。

 栢森よりも強い栢森母の圧に圧倒されつつ、俺たちは居室に向かった。

 栢森の家はエレベーターを出てすぐ正面にあった。五階も一階同様静けさが蔓延っている。ずっと喋り続けていた栢森母が、がちゃがちゃと賑やかな音を立てながら玄関の扉を空けた。

「さあ入って入って!」

「安堵、もう大丈夫。ありがとう。そこのスリッパを使っていいわよ」

 玄関扉の力を借り、栢森は俺の背中から降りた。この数分の休憩があっても彼女の体力は回復していないようで、壁を伝って奥に進んでいく。

 俺も彼女たちに続きスリッパを足に引っ掛けた。

 木目調フローリングの先にリビングが現れる。白を基調とした部屋に、ところどころキャラクター小物が見られる、至ってシンプルな部屋だった。漂う芳香剤の匂いは、なんとなく柑橘系っぽいということがわかる程度で、おしゃれな匂いという間抜けな感想しか出てこない。

「着替えるから適当に座って待ってて」

「わかった」

 栢森は俺の返事を聞き、自室であろう部屋に消えていった。

 適当にと言われても、知らない家で放置されてどうしろというのだ。俺はその場に直立したまま、借り物のようにおどおどと視線を漂わせる。

 同級生の部屋に慣れていないわけではない。女の子の部屋に慣れていないわけでもない。ただこの状況は未だかつて味わったことがない。

 棚の上に飾られた家族写真を眺めていると、背後に人の気配が現れる。

「君があの安堵ちゃんかぁ」

 イヤリングを外しながら、栢森母は見定めるような目を俺に向けた。悪戯っぽいその目は、確かに栢森の母親だなと思ってしまうほど栢森に似ていた。

「はい。ってなんで知ってるんですか?」

「頻繁に話題に上がるからね。あの子、あんまり友達いないから、登場人物が少なくてすぐ覚えちゃった。男の子だとは思わなかったけど」

「ああ……。なるほど」

 俺は視線を栢森がいる部屋の方に逃した。いえいえ栢森さんは友達がたくさんですよ! とでも言ったほうが良かっただろうか。相手方のスタンスがわからないと、どうにも動きが鈍くなってしまって困る。

 栢森母が息を吸い込む音が聞こえる。それを遮るように、扉の向こうから声が飛んできた。

「ママ! 余計なこと喋らないで! さっさとお風呂に入る!」

「へいへい。んじゃ安堵ちゃん、ごゆっくり。シャワー浴びてから送ってあげるわ」

「あ、ありがとうございます」

 栢森母は楽しそうに笑みを浮かべ洗面所と思わしき部屋に向かった。入れ替わるように栢森が扉から顔を覗かせる。

「安堵、着替え終わったから入っていいわよ」

 促されるまま栢森の部屋に足を進める。

 リビングのシンプルさとは一転して、彼女の部屋のメイン色はピンクだった。

 ぬいぐるみの数々が鎮座するベッド、何かしらの魔法少女のポスター、膨大な量の本が並ぶ本棚、ジャージ姿に髪を下ろした栢森。想像との乖離が激しすぎて、情報中枢が爆発しそうだ。

 俺は口を半開きにさせたまま、部屋の真ん中に置かれたクッションに腰掛けた。

「今回ばかりは感謝せざるを得ないわ」

 ぬいぐるみに並びベッドに座る栢森は、堂々と腕を組んだ。馴染みの動きのおかげで、ゆっくりと冷静さが返ってくる。

「気にすんな。言っただろ。帰るまでが遊びだって」

「そうね。……というか、あやめ様のオフモード及び高貴な部屋を見た割にリアクションが薄いんじゃないかしら? 今日も今日とて感受性がお休みなの?」

「夏休みだからな。でもまぁ、不思議な世界に迷い込んだみたいで、死ぬほど緊張はしてるよ。髪を下ろした栢森も美の極地だな。部屋も超個性的で良い」

「当然よ!」

 鼻息荒く頷いた栢森を見て、俺は笑みをこぼした。しばらく褒め言葉を咀嚼した栢森は、にんまりと期待するような笑みを浮かべた。

「で? あやめ様との一日はどうだった?」

「楽しかったよ。ここ最近で一番くらいの良い思い出。栢森のエンターテイメント力は天下一だな」

「ふふ……ん? ごめん、エンターテイメント力って何?」

「ニュアンスで感じ取ってくれ。とにかく楽しかったってことだから」

「なるほど。私はエンターテイメント力の化身だったのね!」

 栢森は満足げに微笑み、ベッドに体重を預けた。投げ出された足がふらふらと不思議なステップを踏み始める。

 栢森の様子はいつも通りに戻っている。戻っているからこそ、言動一つ一つが強がりに見えてしまった。

 貧血だのなんだの言っていたが、きっと栢森は体調を崩している。背負っていた時も、暑さだけでは説明がつかないほど体温が高かった。いつからかは全く分からないが、電車で隙を見せたのもそれが原因だろう。

 そんな中での成海と再会し、彼女が何を思ったのだろうか。本人が聞かれたくない空気を出している以上、部外者はうかつに踏み込まないほうが良い。

 それでも俺は、純粋に栢森のことが心配だった。

 体調不良も、成海のことも、全てにおいて強がりを見せる彼女。彼女がよく言うブランディングのためなのかもしれないが、すべて吐き出して楽になれよと思ってしまう。ただし、吐き出せない気持ちもわかってしまうから何も言えない。

 俺が風邪で倒れたときに助けてくれた彼女も、こういう気分だったんだろうな。

 俺は大きく深呼吸を挟んで口を開いた。

「この前と逆だな」

「この前?」

「看病してくれただろ? 思わぬ形で借りを返せて良かったよ」

「私は風邪を引いていないわ。看病もされていない」

「……そうだな」

 栢森の足がばたばたとカーペットを蹴った。

 強がりは時として事実を強調させる。俺はこっそり口角を上げ言葉を続けた。

「あの時は俺側の意見を言いそびれていたから、これを機に言わせてもらうぞ」

「ああん?」

「正直ちゃんと関わるまで、俺はお前のことをいけ好かない奴だと思っていた」

「なによ急に。怒るわよ」

 栢森は急いで身体を起こした。頬は膨らみ、眉はつり上がり、おそらくもう怒っている。お前だって同じような反応をするじゃないか。俺は口角を上げたまま言葉を並べ続けた。

「仕方ないだろ。教室で威張り散らかしていたり、悪い噂を聞いたり、良い印象を抱くポイントがなかったんだよ。でもさ、いろんな表情を知ったせいか、今はそう思っていない。だから逃げた時も、公園でしゃがみこんだ時も、結構心配したんだよ。何もできなかった自分に腹も立った」

「それは、悪かったわね」

「成海のこと。無理に聞き出そうとは思っていない。いつも通り、それがブランディングに関わるのかもしれないからな。でも、聞いて力になれるならなりたいとも思ってる。本心を隠されるのも、なんというか……。寂しいし」

 逃げ出したい気持ちをぐっとこらえ、俺は栢森に目を向け続けた。栢森自身が俺に言った言葉のオマージュのようなものではあるが、俺自身の気持ちとしても相違ない。

 過去の自分の言葉というのは、意外と力を持っている。これは栢森と関わって何度も痛感させられた事実だ。だから栢森の言葉を引用してやった。

 彼女自身もそれを理解しているのだろう。睨みは向けられているものの、すぐに言葉は返ってこなかった。

 少し間を空けて、彼女はカーペットに視線を落とした。

「それが、幻滅するような話だったとしても聞きたいの?」

「幻滅なんてするかよ。それに勝る姿を何度も見てきたからな。どんな事実があろうと、今の栢森がかっこよくて最高なことに変わりはない」

「……そうね。私はかっこよくて最高。可愛くて素敵。よくわかってるじゃない」

 栢森は穏やかに笑みを浮かべ、ゆっくりと視線を上げた。仄かに上気した優しい表情が、包み込むように空気を吸い込んだ。 

「今日という日を楽しい思い出で終わらせたいから、私の口からは言わない」

「……わかった」

「ごめんね」

「すぐに聞けるとは思ってなかったから、謝らないでくれ」

 理由が理由だけに、飲み込むしかなかった。この言葉を引き出せただけで俺の勝ちなのではとさえ思えた。

 栢森は依然として穏やかな表情を浮かべている。髪型や服装も相まって、知らない美人と見つめ合っているようだった。

 足を崩し笑みを返した俺の視線を誘導するように、栢森は部屋の隅に指を向ける。

「あの子、誰か知ってる?」

「あの子?」

 指の先にはステッキを天に構える魔法少女のポスター。たしか日曜日の朝に放映されている子ども向けアニメ番組のキャラクターだったはず。名前も知らなければ、なぜ今その話を始めたのかもわからない。

「知らねえ」

「リリーちゃんっていうの。魔法使いのリリーちゃん。お姫様みたいでかわいいでしょ?」

「そ、そうだな」

 ハムスター型の生き物を引き連れ、フリフリの衣装に身を包んでいる、金髪縦ロールのリリーちゃんとやら。名前を聞いてもピンとこない。栢森の意外性と、トークテーマのマイペースさが、交互に脳を殴ってきているような気分だった。

 先に突っ込むべきはどっちなのか。うんうんと魔法少女とにらめっこを続けていると、栢森の指が降りた。

「これが私から出せるヒント」

「ヒント?」

「ええそうよ」

「リリーちゃんが? 何の?」

「私が逃げ出した理由のね」

「話は終わってなかったんだな」

「言わないって言っただけで、終わったなんて言ってないでしょ。逃げた理由も、今の私のことも、安堵になら多分わかると思う。付箋を貼るように、しっかりと今までのことを思い返して、ヒントを読み解けば、きっと全てがわかってしまう」

 栢森はそう言って組んだ指の先を見つめた。スカイブルーに彩られた鮮やかな爪が、かちりと音を立てる。

 俺はもう一度魔法少女のポスターに目を向けた。少女が掲げるピンク色のステッキが妙に室内の景観とマッチしていて、なんだか面白くなってしまう。

 今のところヒントらしいヒントが増えていないというのが正直な感想ではあるが、少しでも歩み寄りを見せてくれた姿勢が嬉しかった。意外と俺は栢森の信頼を勝ち取っているらしい。俺がそう思っているように。

 しばらく無言が流れ、栢森は大きく息を吸い込んだ。

「さあ、湿っぽいのは終わりよ! 今度はちゃんとおしまい! ママがお風呂から上がってくるまで、秋に見るべき星座の説明をすることを許可するわ!」

「秋の星座……」

「星空、見せてくれるんでしょ? だったら事前に知識を入れておきたいもの」

 俺はふっと息を漏らした。ご機嫌に上がった栢森の口元が、俺に安心感を与える。

 高圧的な態度でかき消されているが、その周りで薄く輝きを放っている隠れた良さがたくさんある。しっかり向き合わないと、きっと見逃してしまう。しっかり向き合うと、輝きから目を離せなくなる。栢森あやめは難しい。

 彼女の過去を知りたい。それは間違いないが、今の優先順位はそこじゃない。そんなことは、家に返ってから考えればいい。

 今日を楽しい思い出で終わらせたいという先程の栢森の言葉が、魔法のように俺のスイッチを切り替えた。

「よし! じゃあまず——」

 大きく息を吸い込み、中学生時代の記憶を掘り返す。栢森が眠りにつくまで、俺は星空の話を紡ぎ続けた。

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