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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第四話 夏休み、晴れのち曇り。

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20.栢森あやめは星を探す

 ジョギングを続けていてよかったと初めて思った。走ること五分、間近に迫った肩を掴むと、彼女の足はあっさりと足の動きを止めた。先に息が尽きたのは栢森の方だったらしい。

 フットサルコートサイズの公園には、明かりがほとんど差し込んでいない。歯を食いしばったような音が、遠くの方で鳴っているだけで、人の気配すらも見られない。

 俺は大きく深呼吸をはさみ息を整え、栢森の身体をこちらに向けさせた。

「どうしたんだよ急に」

「離して。帰るから」

 うつむいた顔はこちらを向こうともしない。掴んだ肩からは、気候だけでは説明できないほどの熱量が伝わってきた。息荒く上下に揺れる彼女に、俺はゆっくりと言葉を吐き出した。

「成海となんかあったのか?」

「なんでもない」

「だったら逃げる必要なんてないだろ」

「うるさい! 放っておいてよ!」

 勢いよく啖呵を切った栢森は、電源が落ちたようにかくんと膝から崩れた。バランスを崩したのかと思ったが、彼女は砂に腰を据えたまま立ち上がる気配がない。

 眼下で揺れる頭が、深い呼吸をただただ繰り返している。合わせてしゃがみ込むと、荒い呼吸音がより鮮明に聞こえた。

「おい、どうしたんだ?」

「ちょっとふらついただけよ」

「大丈夫かよ」

「答えるまでもないわ」

 言葉は強いが、彼女は一向に立ち上がらない。いや、立ち上がれないという方が様子に合っている気がする。

 しばらくして、栢森は諦めたように息を吐いた。

「ごめん、手を貸してもらってもいい?」

「お前まさか、体調が」

「大丈夫。ただの貧血よ。おかげで少し冷静になったわ」

 顔を上げた栢森とようやく目が合った。悪戯っぽく上がった口角、鋭い目尻、どれもいつも通りなのに、なぜか圧のない表情だった。気迫と言うかなんというか、普段の「やったるぞ!」という雰囲気が見えない。

 立ち上がりおずおずと手を差し伸べる。ぐったりとした手元が、無駄な時間をかけながら俺の手を掴んだ。全体重を引き上げてやると、栢森はようやく立ち上がった。

「家、ここから近いのか?」

「ええ。歩いてすぐよ」

「そうか」

「見送りはもう大丈夫だから」

 立ち上がっても、栢森は相変わらず俺に体重を預け続けていた。色香を意識する隙がないほど、ただただ心配を煽られる。

 俺は栢森の手を自身の肩に乗せた。

「とりあえず家までおぶって行ってやる」

「はあ?」

「いつかの恩返しだ。おとなしく受けてくれ。頼む」

 栢森の性格上、この提案が素直に承諾されないことはわかっている。だからこそ心の底からの祈りを込め、俺はそう言った。

 いつになく真面目な様子を悟ったのか、栢森は眉を下げ言葉を返してくる。

「……わかった」

「よし。多少汗ばんでるけど、そこは我慢してくれ」

「うう。言われなきゃ意識しなかったのに……」

 しゃがみこんだ俺に、栢森は唸りながら全身の体重を預けた。


「安堵。次、左。後はまっすぐ」

「はいよ」

 閑静な住宅街を、栢森の声を頼りに進んでいく。今どきカーナビでももっと愛想があるだろう。

 背後から指示を出す栢森は、一時の様子が嘘だったかのように落ち着いていた。

 異性をおんぶするなんて、それこそ小学校の頃の成海以来の経験だ。純粋だったあの頃とは違い、下品な感覚が尖ってしまうのは、もはや仕方がないことだと思う。

 首元に回された腕は柔らかいし、支えている太ももはやっぱり柔らかいし、背中に伝わる感触はどうしようもなく柔らかい。

 これを意識しないなんてこと、思春期真っ盛りの俺にできるわけがない。俺は必要以上に息を吸い込んだ。

 落ち着け。俺はでかいマシュマロを背負っている。ただそれだけなんだ。

 全力で感覚を切りながら足を進める。駅から離れたからか、光と物音は随分と少なくなっていた。たんたんと響く足音の間を縫って、栢森が口を開いた。

「ゆかりちゃんと知り合いなのね」

「……おう。小学校の時の同級生だよ。途中で引っ越してから会ってなかったけど、覚えてるもんだな」

「再会に水を差して悪かったわね。積もる話もあったでしょうに」

「気にすんな。何を話せばいいかわかんなかったし、帰るまでが遊びだからな。栢森を見届けずして今日の一日を終えられるかっての」

「やっぱり電車で眠ってしまったのは悪手だったわね」

 栢森はそう言うと、俺の首に回した腕に力を込めた。

 栢森が眠らなければ、俺はおそらく乗換駅で降りていたし、俺がコンビニに寄りたいと言わなければ、成海と会うこともなかっただろう。

「やっぱり理由は聞かないほうが良いか?」

 探りを入れてみたが、言葉が返ってくることはなかった。この話題には触れない方がいいんだろう。だからといって、場を華やがせる気の利いた一言なんて出てきやしない。

 無言が続く。足音が響く。俺は視線を上に向けた。雲一つない空で、夏の星々が俺たちを見下ろしていた。

「栢森。上を見てみろ」

 栢森の顔が上を向いた。熱っぽく細い息が、彼女の口からこぼれた。

「三角形が見えるだろ? 一番光っているのがこと座のベガ。その下がはくちょう座のデネブ。右側がわし座のアルタイルだ」

「夏の大三角形……」

「そう。流石栢森、記憶力抜群だな」

「そのくらい、小学生でもわかるわよ」

「俺が知ったのは中学時代だったけどな。意外とここら辺でも綺麗に見えるもんだなぁ」

「そうね」

 俺は足を進めるスピードを少し落とした。満天とは言わずとも、白い光達が煌々と夏の夜空で踊っている。

 話題を提供してくれるとは、やるじゃないか黒歴史。初めて中学時代の自分に感謝を述べたくなった。

 栢森は俺の背中で空を眺めながら言葉を続けた。

「こんなにも近くにあるのに、今まで気づきもしなかった。空にはまだまだたくさん、私が見つけられていない星があるんでしょうね」

 薄い笑い声が耳をくすぐった。数時間前言いあぐねた言葉が、今度は躊躇なく喉元を通過する。

「いつか一緒に星を見に行こうぜ」

「えっ?」

「満天の星空、見たいって言ってたじゃないか。良い場所を知ってるから、ぜひ栢森を連れていきたいんだ」

 俺は意気揚々とそう言い切った。照れからか足の動きが少し早くなる。

 栢森の目に星空がどう映っているのかはわからない。でもきっと、頭の片隅には先程の出来事のことが浮かんでいるのだろう。でなければ、あんな哀愁めいた声を発しないはずだ。

 満天の星空を見せて、それらがどうなるわけでもないだろう。ただ単に、小さな星々も漏れなく輝く場所に、彼女を連れて行きたくなった。

 薄い息遣いが聞こえる。心音をかき消すように、無駄に足音を立てる。気が遠くなるほどの間を作り、栢森が口を開いた。

「あやめ様を呼び立てるってことは、さぞ良いものが見られるんでしょうね」

「それはそれはもう。六等星まで肉眼でくっきりだぞ」

「あら、安堵にしては珍しく意気揚々と喋るじゃない。怪しいわ、遠慮しようかしら」

「怪しい⁉︎」

 らしさ戻った口調と、らしくない笑い方を混ぜて、栢森は小さく呟いた。

「……嘘よ。連れていって。楽しみにしておくから」

 きらきらと輝く言葉が、馴染みのない夜の街に溢れた。

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