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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第一話 日常、所により雷。
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2.栢森あやめは主張する

 放課後になっても、相変わらず屋上前は人の気配がない。隙間から漏れてくる光がわずかに空間を照らし、遠くからかすかに管楽器の音が流れ込んでくる。

 俺より少し遅れてきた栢森は、俺の顔を見るや否や溜息を吐いた。

「ああつまらない。高校生活っていうのは、どうしてこうも退屈なのかしら」

 人の顔を見るなりこんな言葉を吹きかけてくる倫理観の壊れ具合はさておき、どうやら栢森は退屈しているらしい。

 彼女はスカートを揺らしながら俺の隣をすり抜け、指定位置となった最上部に腰掛けた。俺は携帯電話を鞄にしまい、体半分を彼女に向ける。

「退屈? どのあたりが?」

「張り合いがないのよ。私がいくら自慢しても、みんなはまともなリアクションをとらないし。私の才能に怯えるのはいいけど、ちゃんと参りましたっていう表現をしてもらわないと困るわ」

 彼女はやれやれとあきれたように息を吐き出した。彼女の頭の動きに合わせ、屋上から差し込んでくるオレンジ色がゆらゆらと揺れる。

 違うぞ栢森。悲しいことに、みんなもうお前の態度に慣れてしまって、相手をするのが面倒になっているんだ。張り合いがないと分かればお前が去っていくことを、クラスメイトの大半が理解しているからな。

 今日だって自信満々に小テストの点数をひけらかして引かれていた現場を、俺はしっかり目撃している。厄介者を受け入れるような天使は、うちのクラスには存在しない。

 そんな言葉を吐けば余計な面倒になることは明白なので、俺は脳に反した言葉を返した。

「みんなシャイなんだよ」

「あれだけ騒がしい連中がシャイなわけがない」

「栢森は美少女だからな。喋る側も緊張するだろ」

「美少女なのはもはや語るまでもないとしても、流石に慣れるでしょ。クラスが始まって二か月よ二か月。あんただって緊張しているようには見えないし」

 なんだか餌だけを食われた気分だ。俺はわかりやすく顔を隠し口を開く。

「いや、俺もめちゃくちゃ緊張してるから」

「笑っちゃうわ」

「せめて笑ってから言ってくれ」

 まだ不服が治らないのか、彼女は全く笑わず口を尖らせた。

「私、すごいわよね? 古文の小テストだって満点だったし、もちろん中間テストも学年一位だったし、この間の体力測定もすごかったし、今日もかわいいし──」

 栢森は指を一つ一つ上げて自身の功績を語り始めた。中間考査や体力測定に対する自慢なんて、もう何度目かも覚えていない。

 黙ってお淑やかに微笑んでいれば、みんなもちやほやするだろうが、それらを自らでアピールしてしまうから褒める気力が削がれてしまう。容姿だって、彼女の言葉通り二か月も経てば流石に見慣れてしまうし、今更わざわざ褒めたりしない。

 しかし、ただの大口などではなく、何を取っても栢森は本当に優秀なのだ。運動であれ勉強であれ、必ず結果を残して帰ってくる。

 だからこそ、実力だけを冷静に査定すれば褒めることに苦労はない。ただただ鼻につくだけで。

 浴びせられる高言を聞き終え、俺はもはやテンプレートになった言葉を口に張り付けた。

「すげーな。文武両道、天才かよ」

「そのとおり! 私は天才なの!」

 栢森は嬉しそうにそう言った。栢森は基本的に単純なのである。メンタルケアをよろしくと言われたときはどうしようかと思ったが、ピントが合えばこの程度の褒め言葉で簡単にご機嫌が取れる。

 貴重な放課後にまでその範囲が及んでいる事実は、なんとも看過し難いが。

 彼女はうんうんと頷き腕を組んだ後、不敵な笑みをこちらに向けた。

「安堵は? 古文の小テスト、どうだったの?」

「一個間違えた」

「かぁー! 私の恩恵を受けてその程度とは情けないわ」

「むしろ恩恵を受けたからこそ、一個間違いで済んだんだよ。ありがとう」

「うんうん。そうよね」

 更に満足そうな栢森は、贅沢品を口にしたように顔中の筋肉を緩めた。褒めがいもなければ感謝のしがいもない。おそらくこういう部分にクラスメイトは辟易しているのだろうが、一線割り切ってしまえば嫌な感情は全くわいてこない。

 むしろ可愛らしいじゃないか。こう、単純な小学生みたいで。

 俺の失礼な視線に気が付いたのか、栢森はきゅっと口持ちに力を入れた。

「なにかこう、ばばーんと、みんなが私を羨むようなことはないかしら?」

「ばばーんと……」

「そう、ばばばばーんと!」

 たんたんと階段を叩く栢森の靴音が響いた。

 高校二年生ともなれば、次から次へと目新しいイベントが降ってくるわけでもない。中間考査も終わったばかりのこの時期は、彼女としてもマウント材料がないのだろう。何度も同じ内容を擦っているくらいだし。

 部活動にでも入っていれば純粋に優位に立てる機会も増えるだろうに、放課後わざわざこんなところに来ている彼女が何かに属しているとも思えない。

 俺は栢森の靴音の間を縫って言葉を放る。

「部活は? どこかに入ればみんなが羨むことも出来るんじゃないか? 栢森ってスポーツも勉強も出来るし」

 栢森は足の動きを止め、ゆっくりと首を振った。

「嫌よ。この高校の部活ってだいたい熱心だから」

「熱心だから?」

「暑苦しいのが苦手なだけよ。深い意味はないわ。アルバイトもしてるしね」

 栢森は口を尖らせてそう答えた。

 他人のことなどどこ吹く風という面構えをしているのに、暑苦しいという感性は存在していたのか。

 部活動にでも誘導してやろうという思惑は外れてしまったが、アルバイトをしているというのも意外な事実だった。

 俺が知っている栢森の噂として、彼女はたいそう裕福な家庭の育ちだというものがある。金持ちがアルバイトをするというのは、俺の常識とは少し違う。社会経験でマウントでも取るつもりなんだろうか?

 俺は小首を傾げて顎に指を添えた。

「アルバイト? バイトしてんの?」

「何か問題でも? ちゃんと教務に申請を出してるわ」

「意外だなと思って」

「ああ、普段はお金持ちをアピールしているからね」

 彼女はそよ風を浴びた程度に目を細めた。噂は噂に過ぎなかったようだ。その噂を流しているのが本人というのがまた滑稽である。意味不明だ。俺は更に首を傾ける。

「なぜわざわざそんなアピールを……」

「お嬢様属性が欲しいから。持ち物には妥協したくないし、そうなるとお金が必要だし、バイトも必須よね」

「えっ」

「なによ」

「お嬢様属性が欲しいからって聞こえたけど」

「そう言ったわ。髪型も縦ロールにしようと思ってるんだけど、どう思う?」

「ああ……。髪が痛むから止めたほうが良いんじゃないか?」

 二つ結びの髪を揺らし自信満々に語る栢森を見て、俺は一旦息を呑んだ。

 ブランド物を身につけているだとか、そう言う部分に関してはよくわからないが、裕福という噂も彼女のブランディングの一種らしい。理想のお嬢様像がアルバイトによって成り立っていると考えるとまた恐ろしい。

 栢森あやめはやはり空回っている。もはや栢森が裕福であれ貧困であれ、そんなことでどうこう思う人間はあの教室にはいない。もちろん縦ロールに関しても同じだ。

 俺は理解を諦めて視線を外し、彼女に向け親指を立てた。

「文武両道に加えて、バイトまでしていたとは恐れ入ったよ。忙しいんだな」

「ふふん。で? 安堵は?」

「見ての通り、部活もしてなけりゃバイトもしてないよ」

「見てわかることを私が聞くわけないでしょう。部活に入らない人間のほうが少ないのに、なんで入っていないのかって聞いてるの」

 安堵は? なんていう抽象的な質問でそこまで読み取れるものか。俺は頭を掻いて栢森のほうを見る。

 マウントの材料を探られているのかと思ったが、特有の意地の悪い顔つきが見られず、じっとりとした視線がこちらに注がれていた。

 これはきっと、ただ単に本心を喋れというサインだ。人の琴線をかぎ取るこの嗅覚も、おそらく彼女に与えられた才能の一つなのだろう。

 視線に耐えられなくなった俺は、諦めて息を吐いた。

「なんかに属して人間関係が濃くなるとしんどい。それだけだよ。入りたい部活もないし」

「あんたってほんと教室のイメージと違うわね」

「だいたいみんなそうだろ。全員に同じ振る舞いが出来るお前がすごいんだよ」

「えっ、すごい⁉︎」

 適当に放った俺の言葉で、栢森はうんうんと大きく頷きを返した。

「ふむふむ。なかなかいい褒めポイントね。結構気持ちよかったわそれ。よし、帰る!」

「おう、気をつけてな」

「言われなくても気をつけて帰るわよ」

 徹頭徹尾上から目線で、彼女は階段を降りて行った。彼女の欲求が満たされるタイミングは、いつだって急なのだ。

 本当に雷のような女。俺は大きく深呼吸を挟み、栢森の足音が完全に消えたのを確認してから文庫を取り出した。ここまで終えて、ようやく屋上前に平穏が返ってくる。

 栢森がいなくなった屋上前には、仄かに部活動の音が零れてくる。青春小説を読むには打ってつけのBGMだ。

 アルバイトにしても、部活動にしても、自分勝手に何かに打ち込めるというのは素晴らしいことだと思う。自己完結に納得しながら、ページをめくる。

 数分もすれば、諸々の音は聞こえなくなっていた。



「高校生活はときめきがたくさんあって楽しいよ」

 読み終わった文庫を閉じたタイミングで、五つ上の姉の言葉をふと思い出した。

 高校生活開始から一年半が経過した今。俺はまだこの言葉の意味を理解できていない。

 面のいい同級生の秘密を握ろうが、都合よく好意の矛先が自ずとこちらに向くわけではないし、青い春が自分から身を差し出してくることもない。そもそも自分が大好き栢森様相手にそんなことを期待するだけ無駄なのである。

 それでも人目を避けて、ときめきのとの字も落ちていないこの場所に来てしまうのは、純粋に教室という空間が苦手だからだ。

 俺にとって教室は水槽のようなもので、一歩足を踏み入れた瞬間に呼吸の仕方がわからなくなる。もちろん本当に息が出来なくなるわけじゃないが、なんとなく居心地が悪い。

 断じて言えるが、友達がいないわけではない。

 おそらくそれなりに活動的なグループに所属しているし、クラスメイトと満遍なく仲がいいし、クラスでの立ち位置は非常に良好だ。空気を読むことも得意なほうだと思うから、どちらかというと順風満帆側の人間だという自負がある。

 しかしながら、この像と俺の性質の間には、おそらく大きなずれがあるのだ。ここに関しては、おそらく栢森の見込み通りである。

 本音を言えば俺は大人数が一堂に会する場所が苦手だ。理由はいたってシンプルで、交友関係が増えれば増えるほど、自分自身に気を配る余裕が無くなってしまうから。その状況は俺にとってどうもストレス指数が高いらしい。

 それでも、充実した明るい高校生でありたいという願望を捨てられないから、積極的に周りとのコミュニケーションを取り続け、教室での立ち位置を維持している。

 そしてそのギャップが水滴のようにじんわりと俺の呼吸を乱してくる。好きと得意は、必ずしも一致するとは限らないのだ。


 とまあこのように日々を生き抜くだけでも精一杯なのに、ときめきなんぞを察知する余裕はない。この場所で息抜きでもしないとやっていけない。この部分だけは、栢森も同じなのかもしれないなんて考えが、ぼんやりと頭をよぎった。

 いや、あいつはそんなこと考えてないか。

 俺はうっすら笑みを浮かべ、立ち上がり帰路についた。

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