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迷子のアイリス  作者: 豆内もず
第四話 夏休み、晴れのち曇り。
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17.栢森あやめは待ち合わせる

 八月半ばの空は、青いペンキを零したように晴れ渡っていた。日陰にいても、襲いかかってくる熱が止むことはない。

 夏は本当に暑かったんだ! という今更過ぎる感想を胸に、ポケットに突っ込んでいたハンカチを額に当て、大きく息を吐いた。

 虚無に苛まれるかと思っていた夏休みは、息をつく余裕もないほど忙しなかった。

 栢森との約束通り夏期講習に参加したり、姉の紹介で短期の派遣アルバイトをすることになったりなど、普段入らない予定が組み込まれたことで、なんなら平常時より充実していたまである。

 そして夏休み二十日目の今日、俺は栢森との待ち合わせのため、地元から随分と離れた馴染みのない駅に来ていた。 

 土地勘がないのに、中央改札を出た辺りというざっくりとした待ち合わせで、本当に集まれるのだろうか。

 栢森ならマウントを取るため、間違いなく早めに集合場所に現れるかと思っていたが、今のところ彼女らしき姿は見えない。

 出口案内の看板を眺めていると、栢森の番号から着信が入った。

 俺は一つ息を挟んで通話ボタンを押した。

「おっす。着いたか?」

『おっすーじゃないわよ! どこにいるの?』

 電波になった栢森の声は、いつも通り高圧的だった。まだ待ち合わせ五分前。仮に到着していなかったとしても、文句を言われる時間ではない。

「どこって、改札を出たすぐの所だけど……」

『いないじゃない。遅れたなら正直に言った方が身のためよ?』

「そんなしょうもない嘘はつかんよ」

 お小言を零しながら周囲に視線を泳がせると、十メートルほど先で携帯電話を耳に当て、俺のいる方と真逆を探るように眺める少女の背中が見えた。挙動にも人の特徴というものは色濃く表れるようで、顔を見ていないのに一目で栢森だとわかった。

 俺は人の影を利用して、二つに結ばれた髪が垂れる背後にこっそりと回り込む。きゃんきゃんという声が、どんどん近づいてくる。

「ああもう、人が多いわ。本当にいるの? 目印は?」

「いるよ。後ろに」

「ひゃ!」

 肩を叩いて声をかけると、電気が走ったかのように栢森の身体が揺れる。少しの間の後、半分口を空けた栢森が、ゆっくりとこちらを向いた。

 低い位置で二つに分けて結われた髪。赤みのある口元。肩を露出した白いトップスにショートパンツを合わせた栢森は、普段より数倍大人びて見えた。直視出来ないほどの完成度。遭遇から数秒で気後れしてしまった。

 栢森は跳ねた髪を直し、鋭く唇を尖らせた。

「気色の悪い登場をしてくれるじゃないの。反射的に手が出そうだったわ」

 栢森は強く握った拳をこちらに差し出した。危ない危ない。リアクションと引き換えに一発貰うところだった。俺はなだめる様に両掌を彼女に返した。 

「お茶目なサプライズだよ。そっちこそ、久しぶりなのに随分な応対をしてくれるじゃないか」 

「久しぶりじゃないわ。夏期講習で会ったでしょ? そんなことより、まずはあやめ様の清楚系心臓をきゅっとさせたことを謝りなさい!」

 栢森は拳を俺の手にぶつけ始めた。夏休み中もメッセージアプリを介してやり取りもしていたし、夏期講習中も姿を見ていたし、久しぶりな感じがしないのは俺も同じではあるが、世間話くらい乗ってくれてもいいじゃないか。あとお前のメンタルは絶対に清楚じゃない。

 こんな苦言はもちろん彼女の前で意味を成さないので、俺は諦めて頭を下げた。

「驚かせてすいません」

「驚いてはいないわ! 心臓がきゅっとなっただけよ!」

「なるほど……。驚き耐性がある栢森はすごいなぁ」

「ふふん!」

 俺が両手を下ろすと、栢森も合わせて握った拳を解いた。いつもより赤い唇の端が、水を得たように上がる。夏休みであっても、風貌が大人びていても、栢森あやめの単純さは変わらない。

 栢森は解いた手を腰に当て、勢い良く息を吐いた。

「充実した夏休みは過ごせているかしら?」

「ぼちぼちな。栢森は?」

「アルバイトに夏期講習、新しく習い事も始めたし、ママと旅行にも行ったわ」

 逐一連絡を寄越してきていたから、もちろん全部知っている。母親と行ったという旅行の写真は、芸能人親子のオフショットみたいなきらびやかさだったこともはっきり覚えている。

 予定通りの言葉にほっとした俺は、事前に用意した口上を並べた。

「さすが栢森、大忙しだな。もはや世界が栢森を求めているといっても過言ではないよ」

「安堵、コミュニケーションには良い塩梅というものがあるの。いくら事実とはいえ、塩味が強すぎる褒めは食べられないわ」

 そう言いつつも、栢森は満面の笑みを浮かべた。

 悪くない手応えだ。俺はさらりと追撃を企てる。

「にしても、今日もビジュアルが爆発してるな。服装も相まって、なんか緊張するわ」

「えっ⁉︎ ほんとに⁉︎」

 栢森は目を見開いた後、こほんと一つ息を挟んで言葉を続けた。

「当然も当然よ。しっかりと目に焼き付けておきなさい」

「隣を歩くのが申し訳なくなってくるよ」

「あら、安堵だって、ちゃんと身なりを整えてきているじゃない。清潔感があって悪くないわ」

 栢森は嬉しそうに笑みを浮かべたまま、バシバシと俺の肩を叩いた。栢森の言葉を借りれば当然も当然。私服の良し悪しも、友人間での立ち位置を維持するための重要な要素になる。手を抜く道理がない。

 俺はわざとらしく肩をさすり、へらりと言葉を返した。

「そりゃ栢森様が遊び相手ともなれば、気合も入りますよ」

「良い心がけね。登場シーンの減点は忘れてあげましょう!」

 褒め言葉を噛み締めた栢森は、小洒落たショルダーポーチから小さなメモ帳を取り出した。

「じゃじゃじゃーん! やりたいことをメモしてきたわ!」

 向けられたA6サイズのメモには、ボウリングやカラオケなどの定番娯楽から、いちご狩りというファンシーなものまで、びっしりと文字が書き込まれていた。どう見ても一日が百時間以上ある人間のスケジュールだ。

「おおー。って多いな。全部は無理じゃないか?」

「当たり前よ。時間は有限なんだから。ちゃんと優先順位が高い順に書いているわ! 早速ボウリングから行きましょう! 時間がもったいない!」

「アグレッシブだなぁ」

 意気揚々と駅出口に向かっていく栢森に続き、俺も足を動かし始める。

 興味がいろんなところに向いているというのはこちらとしてもありがたい。しかし問題は、挙げられていた予定のほとんどが競争率の高いイベントであるということ。

 そのことに全く気付いていない栢森は、照りつける日差しを跳ね返すように肩を揺らし続けた。

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