婚約と不穏の足音
シンディ・パレット嬢。
俺はあのゲームの中で、婚約破棄を告げられ去っていく際の凛とした彼女の姿のスチルが一番好きだった。
『道は別たれるけれど、嫌な別れではなくお互いの未来の為』という文句が付いていた通り、婚約破棄をされた令嬢とは思えない程綺麗な眼差しをしていたのだ。
実際、彼女はこの後、女性文官として非常に活躍する。
婚約者でなくなっても国王として即位するアンドリュー殿下を支えるのだ。
けれど、どんなにヒロインであるキャロル嬢が良い子でも浮気した奴の為に女としての幸せを投げ捨てて、尽くすなんてあんまりじゃないか。
それくらいならば俺が貰って何が悪い。
彼女が文官として殿下達を支えないことになるけど、それくらい自分達で頑張れと言いたい。
あれだけ頑張っている人を捨てて愛を取るのだから当然の報いだ。
「改めて、シンディ・パレット嬢に婚約を申し込みます。どうか私と共に我がペッパー領を盛り立てて下さいませ」
数日後、婚約を申し込んだ俺がパレット家にご招待された。
シンディ嬢が好きな椿の花の花束を持ち、先手必勝とばかりに挨拶後流れるように再度婚約を申し込む。
「あらあら、本当に情熱的で素晴らしいこと」
「ふはははは。よくシンディを理解してるじゃないか。良かったな、シンディ」
「は、はい。その……よろしくお願いいたしますっ」
パレット侯爵夫妻は子供達をきちんと愛していらっしゃる。
だからゲームでもシンディ嬢の結婚せずに文官として生きるという選択肢を尊重したのだろう。
けれど、娘をきちんと愛し、婚姻を望む男が居るのなら、こうしてきちんと送り出してくれる。
目論見通りだった。
勿論、俺はシンディ嬢をきちんと慕っている。
浮気などするつもりもないし、相思相愛で幸せな家庭を築けたらと願っている。
同時にシンディ嬢の王子妃教育で培った知識も存分に活かして欲しいと思っている。
これ以上ない相手だと本当に思う。
キャロル嬢がアンドリュー殿下を選んだと分かった時は本当に嬉しかった。
最高の選択をしてくれてありがとうと心から思ったものだ。
スチル的にも俺の将来の為にもシンディ嬢と婚姻出来るのが一番最善の道だったのだ。
だから、シンディ嬢は貰っていくが、上手く行くよう遠くからお祈りするくらいはしてあげようと思う。
本当にシンディ嬢を手放してくれてありがとう、アンドリュー殿下!
***
テリー様と婚約してから、テリー様は積極的に我が家に足を運んで下さいました。
お父様やお母様、お兄様や妹とも仲良くして下さるお陰でアンドリュー殿下と婚約破棄したことなど、我が家では微塵も話題に上らない程でした。
勿論、外に出ると少し嫌味を仰る方も居なくはないのですが、あの場でテリー様が婚約を申し出て下さった為、そちらを話題にして下さる方の方が多数です。
お陰様で私の名誉は微かに傷付いただけで済みました。
正確には婚約破棄でなく婚約解消になったとお父様にお聞きしましたが、私自身はもう過去のことだと割り切っているのでどちらでも構いません。
いえ、テリー様にご迷惑が掛からないのならば、ですが。
だって私はもうテリー様の婚約者ですから。
テリー様との結婚話も早急に進んでおり、私はテリー様と共にテリー様のご実家のペッパー領に向かうことになっております。
そこで領主代行に就任するテリー様の補佐をお願いしたいとテリー様直々におっしゃって下さっております。
本来、女性がそのようなことに口を挟むことを嫌がる男性は多いと聞いていたのですが、テリー様はむしろ積極的に関わって欲しいとおっしゃって下さっており、本当に楽しみです。
「テリー様、ご領地の御屋敷にはどれくらいご本がございますか? 何を持っていくべきか決めかねているのです」
「あー……私もそんなに領地の方に行ったことがなくてですね……あまり覚えていないのです」
「そうですか……どうしましょう」
「迷うくらいでしたら持っていきましょう。書斎が小さければ拡張すれば良いのです。本が重複したら、貸本屋でも作りましょう」
「貸本屋、ですか?」
「本を買うのは高額で無理だという方向けに、一定期間少額で貸すことで対価を得る商売方法のことですよ」
「まあ、そのような商売があったのですね。勉強になります」
「どうであれシンディ様が不自由なく過ごせることが一番です。遠慮なく荷物はお包み下さい」
「はい、ありがとうございます!」
テリー様とお話をするのは楽しいです。
アンドリュー殿下はあまりお話し中に口を挟まれるのがお嫌いでしたから、このように気軽に言葉を交わすことは出来なかったのです。
ですからきちんと私の言葉を聞いて、疑問に答えて下さるテリー様とお話するのはとても楽しいです。ついつい必要のないことまで話しかけてしまいます。
それでも、全く嫌な顔をされたことはありません。それが嬉しくて、またお話をしてしまうのです。
そうして、瞬く間にテリー様との婚約期間が過ぎてまいりました。
***
ある日、いつものようにパレット家に行くと、侯爵様に呼び出された。
そこで衝撃的なことを聞かされた。
「アンドリュー殿下とキャロル嬢が、ですか?」
「ああ。しかもシンディ宛てに直接送ってきた」
「…………何を考えているんでしょう?」
流石にバカじゃないですか。とは言えなかった。
だけど、侯爵様も非常に苦虫を嚙み潰したような顔をしていらっしゃる。
それはそうだろう。
俺とシンディの結婚パーティーに参列したいなどと言ってきているのだから。
アンドリュー殿下とキャロル嬢はあの後、陛下達には勝手なことをしたことを怒られたらしいが、当然王族が公言したことだ。婚約しないわけにはいかず、2人は現在婚約している。
但し、キャロル嬢の教育が終わるまで結婚は出来ない。
お陰でアンドリュー殿下の立太子は絶望的ではという噂が一部で流れている。
「恐らくだが、我がパレット家と確執がないことを見せるのと、シンディにあのご令嬢の王妃教育を補佐して欲しいのだろう」
ああ、ゲームでも確かにシンディはキャロル嬢が王妃になる手伝いをしたとあった。
キャロル嬢が幾ら努力家でも今から王妃教育を受けるのがどれだけ大変かは理解出来る。出来るが、だからと言って協力できるかは別だ。
「パレット家と確執がないかという部分は私には干渉出来ませんが、王妃教育の方は遠慮させて貰いたいですね。シンディ様は我がペッパー領で辣腕を揮って頂く予定なのですから」
「ああ、私も今更シンディを王宮に戻すつもりはない。だが、こうしてシンディに直接送ってくるような者達だ。今回はこちらで防いだが今後もないとは言い切れない。だから君に話したのだ」
「お任せ下さい。シンディ様は私が守ります」
「期待している」
ようやく少しだけ顔を緩めてくれた。
が、すぐにまた顰める。
「しかし、結婚パーティーへの参列の方はどうだ? 君の意見を聞きたい」
「そうですね……シンディ様に直接送ってきたところを見ると、どうもシンディ様の心情を考慮されていないご様子。シンディ様を説得しさえすればなどと考えて直接出向いて来られても困りますので、いっそのこと結婚パーティーでシンディ様の今後の予定が詰まっていることを大々的にするのは如何でしょう」
「なるほど。アンドリュー殿下と確執があるから断るのではなく、シンディは既に君と新しい人生を歩んでいることをアピールするわけだな。ついでにシンディの良からぬ噂の払拭も兼ねているのかな」
「要らぬ傷を背負う必要はないでしょう」
「ふはははは。そうだな。やはり君を選んで良かった。これからもシンディを頼むよ」
「勿論です」
アンドリュー殿下が俺様なのは知っているけど、まさかゲームのシンディがアンドリュー殿下達に協力することになっていたのはこのせい?
俺の未来のお嫁さんをそんな都合の良い存在にさせてたまるか。
もう俺が貰うことは決まっていることなんだ。
お互い勝手に生きればいいじゃないか。干渉するなよと言ってやりたい。
不敬罪になるから言えないけど。
身分社会め。
いや、そんなことより、結婚パーティー当日にシンディが押し切られたりしないようになんとか考えないと。