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閑散とした家

「悟……」

「順爺?」


 暗闇の中、唐突に表れた順爺は、悟に話しかけている。

 しかし、順爺は悟の方を見ていない。いや、悟は触れられそうな程近くにいるのに、順爺が気づいている様子は一切ない。おそらく見えていないのだ。


「わしは、あの場所へ戻らねばならん」

「戻るって……いったいどういうこと?」


 そんな悟の呼びかけも、やはり順爺には届いていないようで、順爺はただ言葉を紡いでいる。


「最後に挨拶をしたかったが、どうやら無理そうだ……。お前にこれを渡しておく、ミスティア戦記は本当にあれで終わりだ。お主のおかげで描き切ることができた……ありがとう」

「ま、待ってよ、順爺っ!」


 満足げな表情でそう言った順爺は、急激に闇の中に現れた光にのまれて――


「あれ……?」


 目が覚めると、悟は自室にいた。

 そしてベッドの隣には、椅子に座ってうつらうつらとしている自分の母親がいるのが見える。


「お母さん?」


 悟が声をかけると、眠りが浅かったのか、母はすぐに目を覚ました。


「悟……!? 目が覚めたの?!」


 悟を目にした母は、覆いかぶさるように悟に抱きついた。


「い、いきなりどうしたの?」


 驚きの声を上げた悟の目を、母親は目に涙を溜めながら、キッと睨みつけた。


「どうしたも、こうしたもないわよ! こんなに心配させておいて!」

「ご、ごめんなさい……」


 母の圧力にさらされ、何故怒っているのか悟にはわからなかったが、経験上こういうときは謝るしかないことが分かっていたので、とりあえず謝っておく。

 悟の謝罪に少し心が落ち着いたのか、「もう!」と言いながらも、母はいつも通りの穏やかな表情に戻った。


「俺はどうしたんだっけ?」


 悟は悩みが解消したかのように頭がスッキリと軽くなっているのだが、思考だけが何故か定まっていなかった。

 もちろん寝起きだからという理由が一番しっくりくるのだが、何か大切なことを忘れているような気がして落ち着かない。


「……あなたは三日も眠っていたのよ」

「み、三日?!」


 思いがけないほどに時間が経過していたことに驚き、悟は思わず大きな声で聞き返した。


「そうよ! 偶に目が覚めても、うわ言のようにじゅんじじゅんじとしか言わないし……そんなに仲の良い友達がいたの?」


 母の言葉を聞いて、悟は風邪をひいている中、自身がどういう行動をとったかを少しずつ思い出していく。

 そして、記憶の最後。順爺の家まで行ったことは間違いないはずなのだが、その後のことが悟の記憶に一切残っていない。


「僕はどうやって家に……」

「近所の偏屈爺さんがいるでしょう? あの人が外で倒れていたって言って、あなたを抱えてきてくれたのよ。あのときは本当に驚いたわ」


 母はそのときのことを思い出しながら、呆れたような口調で悟に告げた。

 つまり順爺が悟を送り届けてくれたということらしい。


「そ、そっか……」

「安静にしておくように言ったのに……どうして外に出たの?」


 そこからは母親の怒涛の質問攻めであった。

 しかし、悟が要領を得ない返答ばかりをしていたので、母は彼が疲れているのだと判断し、「また後で聞くわ」と言って、部屋から出ていった。


「順爺に迷惑かけちゃったな……」


 母のいなくなった部屋で悟は小さく呟いた。

 恐らく今日は外に出ることを許してもらえないだろうし、これ以上順爺に迷惑をかけたくない。

 悟はそう判断して、順爺への謝罪は明日することを決めた。


「とりあえず、着替えようかな……」


 悟は先程から動くたびに、寝汗でべっとりと肌に貼りつく服を不快に感じていた。

 母との会話中はそこまで気にならなかったが、じっとしているとやはり誤魔化しきれなくなる。

 そこで、着替える為に立ち上がろうと、悟が体に力を入れると、彼の足に何か硬いモノが当たる。


「ん……?」


 硬いモノの正体を確かめようと、悟が布団を払いのけると、自身の寝汗にまみれた銀色の鍵がベッドの上ににポツンと落ちていた。。


「何の鍵だ?」


 悟は鍵をつまみ上げて注意深く見てみたが、鍵なんてモノはみんな同じように見えるので、どこの鍵なのかは分からない。

 だが、記憶にある限りでは、おそらくこの家の鍵ではないのだろうと悟は感じていた。


「もしかして……順爺の家の鍵?」


 確証はないが、言葉にすると、何故か根拠のない確信が悟の心に湧き上がった。

 順爺がどうして鍵を持たせたのかは分からないが、彼に認められたような気がして、悟は顔をほころばせる。


 服を着替え終えた後、悟は再び風邪がぶり返さないように、ゆったりと一日を過ごすのであった。






「やっぱり開いてない……」


 悟は順爺の家の前でひとりごちる。

 彼は謝罪の為にここまで来たのだが、いつも鍵がかかっていないはずの引き戸は何故か堅く閉ざされていた。

 その雰囲気は端から見れば、何人も受け入れることのない拒絶感を醸し出していたが、悟はむしろそれは聖域を守る結界のようなモノだと感じていた。


 勇者ジュンに認められた者しか入れない封印の祭壇……そこには世界(ミスティアせんき)の全てが記されているのだ――。

 そんな妄想と共に、封印を解く鍵をカギ穴に差し込みくるりと回す。

 すると、ガチャリと音を立てて、封印が解放された。


 いつもと違う雰囲気にわくわくしながら、悟は家の入り口をくぐり、内側から鍵をかけなおし、いつもの部屋へと進んでいく。


「あー楽しみだなー!」


 結局最後にミスティア戦記を見てから十日ほど経ってしまった。

 今の悟は、活字中毒と言っても過言ではないほど、ミスティア戦記を読みたくて読みたくて仕方がない状態なのだ。


「順爺、入るよー?」


 ふすまを開け放ち部屋の中を覗き込むと、ムワッとした暑さが悟を襲った。


「あっつぅ……! って……あれ? 順爺今日はどっか出掛けてんのかな?」


 部屋の中を見渡すが、薄暗い部屋に順爺がいる気配はない。

 いつも彼が執筆作業をしている机はもぬけの殻で、いつも置いてあるノートパソコンやプリンターなどは、

どこかに撤去されていた。


「掃除でもしたのかな?」


 悟はそんなことを考えてはみたが、その線は薄いだろうと否定する。

 何故かというと、順爺がいつも見る度に「そろそろ片付けないとな」と言っている、悟がミスティア戦記を読んでいる机と椅子が、普段通り紙の束で埋め尽くされたままであり、もし掃除をするならば、まず最初にそこを片付けるはずだからだ。


「うーん、まあいいか……待っていれば、その内戻ってくるよね」


 悟は暑さのせいか、思考を放棄する。

 普段から順爺には、今悟がいる部屋以外は無闇に入らないように言いつけられていたので、家の中を捜索する気は彼にはなかった。

 冷房をつけ、悟は大人しくミスティア戦記を読むことにした。


 順爺に謝ることも確かに大事ではあるが、それ以上にミスティア戦記を読むのが楽しみだったのだ。

 何せ、十日ぶりだ。悟は椅子に座り、貪るように物語に没頭した。






「ふう……これであと一つか……」


 勇者ジュンは世界を救い、元の世界に戻る方法を探し出し、たくさんの人に惜しまれながら、元の世界に帰る。

 そこまでが先程まで見ていた話だった。

 今悟が手に持っている紙束の表紙にあたるところには、大きく最終話と書かれている。


 泣いても笑ってもこれで終わり……そう思うと、悟は続きを見たいような見たくないような複雑な気分に陥り、文章に没頭していた頭が少しだけ落ち着いた。

 何気なく外を見ると大分太陽は傾き、夕暮れではないにしろ、もう一時間もしない内に、夕焼けの真っ赤な世界へと変わってしまうだろう。

 それに、何度も気になってはいたが、順爺も未だに部屋へやってこない。


「どうしたんだろう……」


 こうなると、順爺に何かあったのではないかと心配になってくるが、悟にはどうしようもないことだった。

 とりあえず今彼にできることは、ミスティア戦記の最後を見届けることくらいだ。

 悟は深呼吸し、少しだけ躊躇しながらも、ページをめくっていく。


 勇者ジュンが異世界から戻ると、自身がミスティアに飛ばされたと認識していた日から、二十年もの月日が流れていた。

 その世界に彼の仲間はいなかった。

 何度も命を救ってくれた魔法使いも、ライバルで何度もぶつかりあいながらも中を深め、何度も共闘していた剣士も、勇者を慕い一生懸命に仲間を守ってくれていた治癒師も。

 仲間だけではない。勇者ジュンを英雄とたたえていた人々も、何かあればすぐに勇者を頼る王さまも、勇者のおこぼれにあずかろうと何度も顔を合わせていた小悪党達も――誰もいなかったのだ。


 勇者ジュンは孤独になった。

 そして、勇者は自身の冒険譚を文章に起こし始めた。

 勇者ジュンは、自身が為した功績を伝え、無為に過ごしていたと思われていた二十年間を、意味のあるモノにしたかったのだ。

 あの世界をなかったことにしたくなかったのだ。


 しかし、世間は厳しく、勇者ジュンの英雄譚……いや、ただの人間であるジュンの妄想話をとり合う者はいなかった。

 ジュンは打ちひしがれ、自身の描いたものを全て処分しようと何度も画策するが、彼にはどうしても踏ん切りがつかなかった。

 今日は日が悪い、次の日は他のことをしなければならない……そんな言い訳をしながら一日、一週間、一カ月、一年、二年と年月は過ぎていった。

お疲れ様でした。読んでいただきありがとうございます。

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