唐突な終わり
「読み終わったー!」
悟は紙束を机に置き、ソファーの上で体を伸ばす。
長い間同じ姿勢だった為か、ゴキリと骨の軋むような音が、室内に響き渡った。
「そうか……それで、どうだった?」
以前交わした約束の通り、順爺は悟の感想を聞こうと尋ねるが、その声色はどうでも良さげで、あまり期待をしているようには感じられない。
「面白かった!」
「ハア……、それだけか?」
順爺は溜め息を吐き、目を細めて悟の顔を見た。
何故彼が期待していないかというと、悟に語彙力がないからなのか、順爺の作品が純粋に面白いからなのか分からないが、悟は決まって「面白かった」という感想しか言ってくれないからだ。
「『それ以外に言葉はいらない』だよ」
「ミスティア戦記のキャラクターから台詞を引用すれば、わしがいつまでも納得すると思うなよ? ……まあそれでも、一応は紙束の裏に感想を書いておいてくれ」
なんだかんだ言っても、順爺は感想を貰えるのが嬉しいのだろう。
「うん!」
悟はいつものように近場に置いてあるペンを手に取り、紙の上で走らせる。
二人のこんなやり取りも、最早慣れたモノだった。
実際は、順爺もそこまで感想の内容に頓着しているわけではない。
彼の素直になりきれない性質が、言葉と態度に現れてしまっているのだろう。
いや……今はそれだけではない。
順爺はミスティア戦記の続きを描くつもりがなかった。
だからミスティア戦記の感想を聞くことが、これで最後になると思ったが故に、きちんとした感想が欲しかったのかもしれない。
「まあまあ、いいじゃんさ! それよりこれの続きはないの?」
悟は無邪気に順爺に尋ねる。
彼はミスティア戦記がこれで終わりだという事実を知らない。
いや、順爺はあえて教えていなかった。
順爺はその内に悟が飽きる可能性も考慮していたし、屈託なく作品の続きを求める悟に、どうしてもそのことを伝えることができなかったからだ。
しかし、彼は最初から最後まで良い読者であり続けてくれた。
順爺は嬉しく思いつつも、悟に事実を教えるときが来たことを憂鬱に感じていた。
「……その続きは、ない。ミスティア戦記はそれで終わりだ」
「え……? でも、まだこの話では勇者ジュンはこの世界に戻ってきてないけど……?」
悟の認識では勇者ジュン=順爺だ。
だから、物語が終わるとすれば、順爺がこの世界に戻ってきた話がなければ辻褄が合わないのだ。
「……とにかくその話で終わりなんだよ。明日からは別の話を用意しているから、今後はそれで我慢してくれ」
そうは言うが、ミスティア戦記のファンである悟からすれば、どうにも納得できる話ではない。
「イヤだ……! 俺はミスティア戦記が見たいんだ! 他のヤツも確かに見てみたいけど、それだけじゃイヤだ! あんな中途半端で終わるなんて酷いよ! 終わりは終わりで受け入れるしかないけど、せめて最後までは描き続けてくれないと、この気持ちは収まらないよ!」
悟の叫びに順爺は言い返す言葉が見つからなかった。
順爺だって、その気持ちは十分に理解できる。
だが、順爺はその結末を悟に見せたくなかった。
世の中の無情を突きつけたようなあの終わり方は、悟にはまだ早いと思ったからだ。
「その話はな……最後はバッドエンドなんだ」
「え……?」
いきなりの順爺の言葉に悟は言葉を失った。
ミスティア戦記内で、勇者ジュンは英雄として扱われ、何もかもが順風満帆だ。
それなのに、どういう展開になれば、あの物語がバッドエンドになるのか、悟には理解不能であった。
「ミスティア戦記は勇者ジュンが世界を救い、幸せの絶頂の最中、突如その幸せは終わりを告げる。異世界に行ったことは全部夢でしかなく、彼はただ病院のベッドで何十年と眠っていただけ……。ミスティアなどという異世界も存在せず、ただそこには無為に時間を過ごしたという事実だけが残った。そしてその老人が、このわしだ」
「そんな……」
悟の呟きに構わず、順爺は言葉を続ける。
「わしは全てを失い、異世界に帰ることもなく、その妄想と区別もつかない話を書き記すことで自身を慰め続ける……。それがミスティア戦記の終わりなんだ。昔はコレを世に出そうだなんてことも考えていたが、見向きもされなかった。お主が面白いと言ってくれた話は、創作の世界ではありふれた話の一つだったんだよ」
順爺は苦々しい顔で、過去の出来事を思い出しながら言葉を続けた後、自嘲気味に笑った。
「だからわしはもう諦めた。これ以上この話に縋っていても仕方ない。わしは忘れたいんだ、ミスティア戦記の存在を」
「嘘だ」
悟は俯きながら、順爺の言葉を遮るように言葉を紡ぐ。
「嘘じゃない、わしは本当に全てを諦めておる! わしにはあの世界を描き切ることはできんのだ!」
「……ならどうして順爺はそんなにつらそうな顔をしてるの?」
順爺の叫びを悟は平然と受け止める。
「本当は順爺だってミスティア戦記をみんなに知ってもらいたいんだよね? だって順爺は勇者ジュンだから」
「お主は何を……」
「だって勇者ジュンは言ってたよ? 『世界に自分の名前をとどろかすまでは絶対に挫けない』ってさ」
台詞の引用。
これは悟がミスティア戦記を何度も読んだからこそ出てくる言葉だ。
作者にとって、作品のキャラクターが話す言葉全てが名言なのだ。
その名言を引用されれば、誰だって心を動かされる。
しかし、あと一歩のところで順爺は踏み出すことができない。
「そりゃあわしだって、本当は……! だがな、わしはもう若くないんだ……。今更続きを描いたところで、人の心を動かすことなんてできん」
「何言ってるんだよ!」
悟は自身の胸を叩いて逸らし、得意げな顔で順爺に告げる。
「ここにいるよ。僕はミスティア戦記を見て心が動いた。あの紙束を処分しようと思っていた僕の心を変えるほどの力がミスティア戦記にはあるんだよ!」
「それは……」
順爺は悟が初めてきたときのことを思い出した。面白いと言ってくれた彼の言葉は、今思い出すだけでも胸が高鳴り熱くなる。
あのときの感動が順爺の心を染め上げていく。
「順爺は……本当はどうしたいの? 僕だって本当に描きたくないなら描かないでもいいと思ってる。でも描きたいのなら……やっぱり描くべきだよ」
悟の言葉を順爺は静かに聞いていた。そして彼の言葉に、順爺は自身の胸の内を思わず吐露してしまう。
「もし戻れるのなら、わしはあの頃に戻りたい……! 夢を追いかけ走り続けていたあの頃のように……!」
順爺は目を細め、遠くを見つめながら、そう言った。
悟はあの頃がどの程度の時系列を現しているかは分からなかったが、なんにしても送るべき言葉は決まっていた。
「戻れるよ、順爺。今からでも遅くないよ」
悟も思い出すように言葉を紡いでいく。
「夢は……いつか必ず叶うんだ。それが例え大人になっても、もっと歳をとっても……! 『夢を持つのは子どもの特権じゃない。誰にだって夢を持つ権利があるんだ!』」
それもまた勇者ジュンの言っていた言葉だった。
「……そうか、そうだな。まだ諦めるのは早いかもしれない。やれるだけやってみるとしよう……お主という一番のファンの為にもな」
「……うん!」
順爺の決意が嬉しくなり、悟は歳相応の笑みを浮かべて順爺の言葉を肯定する。
「それじゃあ、悟。明日から一週間はこの家に来ないでくれ」
「え……? どうして一週間も?」
「ミスティア戦記を描き上げるのにそれくらいはかかるんだよ。流石に一通りまとめないと、矛盾点も出てくるしな」
「うーん……でも……」
渋る悟を見て、順爺は仕方ないと呆れながらも、子どもが言われたくない正論を悟へと投げかける。
「お主、今が夏休みだからって、宿題などをほったらかしにしているだろ? これを機に全部終わらせておくことだな」
「ちぇっ、順爺ってば、いきなりお母さんみたいなこと言うんだもんな」
悟は少し不満に思いつつも、順爺の言うことももっともなので、大人しく彼の言葉に従うことにした。
それから悟は順爺の言う通りに、一週間で宿題を終わらせた。
ミスティア戦記を心置きなく読みたいという気持ちだけを胸に。
お疲れ様です。お読みいただきありがとうございます。






