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梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
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街の外


 子ども部屋になっている客間には、大小の木製ベッドがずらりと並んでいた。


 天井からかかる金細工のシャンデリア、壁や柱、窓枠には精緻な彫刻が施されている。重厚な深緑のカーテンには金糸銀糸があしらわれ優雅なドレープがつくりだされていた。

 大小のベッドに使われている木の材質は決して悪い物ではないが、豪華な内装に包まれたこの部屋には不似合いな簡素なものだった。


 ここは賓客として訪れた人の従者たちが使うように仕立てられた部屋らしい。

 そのうちの一部屋が子ども達に解放され、寝起きをする部屋として使われている。わたしには賓客室を用意すると言われたが、使用人室のベッドをそのまま使わせてもらうことにした。


 高級ホテルのような生活は一時ならば嬉しいが、毎日続くと思うと肩が凝る。自分でベッドメーキングが出来る程度の物じゃなきゃ、メイドさんのお世話にならなきゃいけないのが億劫だった。


「まだ起きませんか?」


 部屋の奥、窓辺にぎゅうっと詰めこむように二つのベッドが寄せられ、三人の子どもが寝かせられている。彼らは今朝見に来た時と変わらない仰向けの体勢で静かに寝息を立てていた。


 子ども達の身体に触れながら体調を看ていたアニヤの横に立ち、わたしも顔色や呼吸の様子を確認する。

 一定のリズムで寝息をたてる子ども達の表情は穏やかなものだ。顔色も陽の光を受けて血色がよくなったように思う。

 ティア王女の許を訪ねる前に様子を見に来た時と、特に変わったところも無さそうでほっとした。


「まだもう少しかかるだろうよ。魔法で癒しを与えても、死にかけるほどに衰弱した体力まではどうすることもできないからね。今はただ、眠ることがこの子達にできる一番の治療さ」


 そう答える彼女は優しい微笑みを浮かべて子ども達の頬を指の背でなでていた。


「アニヤさんが一晩中つきっきりで看病されたんじゃないですか?昨日、倒れそうになったばかりなのに、無理はしないでくださいね」


 頭一つ分背の高い彼女を見上げながらそう告げると彼女は笑みを深め、目を細めた。


 昨晩、彼女ならばこの子達を看るために一晩中付き添うのではと思い、わたしが付きたいと申し出てみた。だけどその申し出はすぐに断られてしまった。


 客人にそんなことはさせられないと固辞され、慣れないわたしがこの部屋にいれば他の子も落ち着かないと言われればそれ以上強くは言えなかった。

 見上げるわたしに彼女はおどけたように眉をあげると、片方の口角を持ちあげて笑ってみせる。


「この屋敷には、あたしのことを年より扱いする連中が多くて嫌んなるね。昨日はセバスに”この子達は自分が看ますから”って追い出されたんだ。赤ん坊の部屋にはバネッサが泊まり込んでくれたし、あたしは久しぶりに屋敷に帰ってしっかり休ませてもらったよ」


 だからもう大丈夫、と笑う彼女は確かにきちんと髪も整えられていて昨日感じた疲労感のような物が消えていた。


「そっか、よかった。わたし、今日はこの子達や赤ちゃん部屋のお手伝いをしたいと思っていたんです。だけど、さっきバルドさんから領内の視察につき合って欲しいと言われたのでこのあと出かけてきます。戻ったらいろいろお手伝いするので、何でも言ってくださいね」


 わたしの言葉を聞いて彼女は苦笑した。


「アズサの申し出は嬉しいよ。だけど、そんなにあたしらの事を気にすることはないんだ。あんたにはまず、この世界の事を知ってもらいたいよ。色んな物を見て、色んな人と話をして……。これは、あたしの勝手な希望だけど、あんたにこの国を好きになってもらえたらと思うんだよ。坊ちゃまのなされた事はこの国を思ってのことだ、あたしなんかが口を出す事じゃない。……だけど、あたしはアズサのことが気に入っちまったんだよ。あんたにも義務感や強制されたからじゃなく、出来るならばここで楽しんで暮らしてもらいたいと思うんだ」


 義務感や強制、その言葉はモヤッとしていたわたしの心情を表わすのにしっくりときた。


 ここへ、来たくて来た訳じゃない。


 だけどこちらの事情を聞いた今、そして子ども達の様子や人手不足で困っているアニヤ達を目の前にして、何もしないでいられるような性格をわたしはしていない。

 けれど、自分の本来するべき事、日本での仕事や生活をすべて放棄させられてここにいるのに、なぜ、わたしがこの世界のために何かをしなくてはならないのか。そんな不満が確かにわたしの中にあるのだ。


 ――そして、それとはまた別の思いも。


「アニヤさん、わたしも色々不満に思う事がありますし、あの王様には正直関わり合いたくないと思ってます。だけどわたし、ここで出会った人たちの事がもう気に入ってるんです。子ども達も、ティアさんも可愛くて一緒にいたいなと思うんですよ。どうせ最低でも1年はここにいなきゃいけないというのなら、わたしも好きな事をして過ごそうって決めました。自分が嫌な事は嫌だとはっきり伝えないとまったく通じない人にも出会いましたしね。我慢や気遣いを自分のため以外にはしない事に決めたんです」


「……それは、バカ息子たちの事だね。本当に申し訳ない、あたしの育て方に問題があったんだよ。いや、そういえば死んだ旦那の性格にそっくりな気も……」


 こめかみを押さえて(うめ)き始めたアニヤは、真剣に苦悩している。正直なところバルドは信用ならないが、彼女は違う。こんな風に飾らないところが好きだった。


「わたし、アニヤさんとお喋りするのがとても楽しくて、一緒にいるとなんだか安心するんです。目上の人にこんなこと言うのは失礼かと思うんですが、もしよかったらわたしと友達になってくれませんか?この世界でわたしが困ったときや、辛くなったとき話を聞いてもらえたら嬉しいです」


 彼女はこめかみに当てていた手を外し、視線をわたしに戻した。目を瞬かせ『友達?』と呟いたあとで、盛大に笑い始める。


「そりゃいいね。じゃあ、あたしとあんたは友達だ。それに、必要な時は母親役も引き受けようじゃないか。だから、いつでもなんでも話しておくれ。知らない土地へ来て、不安な事ばかりだろう?絶対につらい思いをを溜めこんで無理をするんじゃないよ。それに、友達なんだから助けあっても何の問題も無いねぇ。アズサの言うとおり、色々手伝ってもらえたら助かるよ。よろしくね」


 そう言って両手でわたしの右手を包みこんだアニヤは、その手を祈るように額につけた。暫くして顔を上げると、子ども達に向ける優しい笑顔をわたしも向けていた。

 ()()としてではなく、()()として待遇されたかったわたしの意図もしっかり汲み取ってくれた彼女の気持ちが嬉しい。


「はい!なんでも相談します。とくにバルドさんと王様から何かされたら真っ先に愚痴りに行きますからっ!」


 彼女はそれにもひとしきり笑ったあと、このあと繕いものをする予定だと言うのでバルドが迎えに来るまで手伝う事にした。


 隣の客室では朝食を終えた女の子達が、昨日の午後に干して乾いたオムツなどをたたんでいる。

 たたみながら繕いものが必要なものとそうでないものを選別しているようだ。小さな子ども達が穴を見つけては嬉しそうに報告しているのが見えた。

 ここにいない男の子達は外で力仕事を手伝っているらしい。


「あんた、裁縫も出来るのかい?」


 針に糸を通して、虫食いの穴をかがっていたらアニヤに驚かれた。


「簡単なものならなんとか。父は裁縫が苦手だったので、必要に迫られて練習したんですよ。割とこまごま色んなものを作ったので、簡単なものならワンピースでもいけます!学校で習ったのが役に立ちました」


 小学校で提出を求められた雑巾。玉止めもグシャグシャで一針一針の縫い目も2センチに届こうかというものすごい出来だったけど、担任の先生は褒めてくれた。

 最近では裁縫の腕も上達して、職員によるお楽しみ会の衣装作りなどで重宝されている。型紙付きの本を『これでよろしく』と手渡された時は無理だと思ったが、人間やろうと思えば結構なんでもできるもんだ。


「随分いいとこの出だと思っていたのに、勉強だけじゃなく、木工に農業、料理から服作りまで教える学校に通っていたのかい?そんなの、すぐにでも働く事を前提とした職人見習いみたいじゃないか。あんたの世界って不思議だねぇ」


「そうですね。正直何のために勉強しているのか分からない事も多かったですけど、身の回りの事を自分でやろうと思ったら割と役に立つ知識が多かったです」


 家庭科の話から小中学校で受けた授業の話をしていたらみんなの食いつきが凄かった。

 女の子達からは『いいなぁ』という声まで上がる。この世界にも学校らしきものはあるが、両家の子女、主に男の子が通うことはあるが平民では字を習う場もないそうだ。


 一般的には家業を継ぎ、幼いころから仕事を覚えて行くらしい。

 奉公に出る子は早い子で8歳には見習いとして働き始め、15歳になり成人を迎えるころには一人前に働いている子も多いらしい。だが、現状、半獣の子には仕事に就く見通しも、いつかお嫁にいけるという希望すら持てないという。


 そう考えれば、義務教育は自立して生きていくために最低限必要とされる知識や技術を教えられていたのだなと思う。

 あまり深く考えた事はなかったけど、浅く広く学んだのはすべてを吸収させるためというより、自分が知ったものの中からそれぞれ興味のあるものを見つけていけるようにとの配慮も多分にあったのだと気付いた。

 日本に生まれたわたしは恵まれた環境で育ったのだと改めて実感する。


「自立して生きて行くための知恵に技術、か。いつかこの子達にも自分の将来を自分で選べる、そんな生き方をさせてやりたいもんだねぇ」


 その言葉にわたしは針を進める手を止めて首をかしげた。


「いつか、ですか?今はダメなんですか?」


 わたしの言葉にみんなが呆れた顔をする。だけど、そんな呆れるようなことだろうか。


「アズサ、あたい達半獣は町にも出た事が無いし、普通の人間からは化け物のように扱われているの。このお屋敷の中でこまごまとしたお手伝いをして生かしてもらえているだけでも、他所の国より幸せなんだよ」


 わたしはむぅっと眉を寄せ、ちくちくと虫食いの穴を埋めながら考える。

 ここでは何年も前から、子ども達の出生率が下がっているという。20数年前から大人の数に比べ減っている子どもの数。単純に考えて少子高齢化が少しずつ進んでいると考えて間違いないのではないだろうか。


 現代日本と違って、こちらの平均寿命は60歳に届かないようだ。癒しの魔法では衰弱した体力の回復は出来ないと言っていたのだから、老衰を防ぐ方法もないだろう。そうすると、寿命から考えて働き盛りでいられる年齢を推測すれば、そろそろ労働者不足が始まっているのではないだろうか?

 そういうのは大体、肉体労働系の働き手から若手が減っていくと聞いた気がする。


 ……きつい、きたない、きけん、一昔前3Kと言われた職種の方を当たったら、もろ手を挙げて働き手を歓迎する処はあるんじゃないかと思うんだけどなぁ。


 日本で外国人就労者が増えているのも、働き手が足りない企業が人材を求めているからだ。……ただ、それが自国の人間が就きたいと思えないような過酷な労働条件下での職場が多いということには目を背けたくなる。だが、事実だ。


「働き手不足……?そんな話、あたしは聞いたことないね……」


 アニヤは難しい顔をして考え込んでしまった。


「そうですか。……じゃあ、もっと違う方向から考えなきゃダメか。イケると思ったんだけどなぁ。あ、そうだ!じゃあ、取り敢えずバルドさんにお願いして、騎士団の職場見学させてもらうとかどうですか?あれこれ見てみないと、どんな職業があるのかもわからないじゃないですか」


 わたしの能天気な提案に溜め息をついて、呆れを隠しもせずにまた突っ込みを入れたのは赤毛の女の子。昨日一緒に衰弱した子どもの世話を手伝ってくれた子だ。


「あんたバカなの?王宮所属の騎士団と言えば、男女ともに憧れる花形よ。半獣の子が就ける可能性なんてないの」


「なんで?半獣じゃなれないって規則でもあるの?それに、バルドさんて実力主義みたいなとこありそうじゃない。自分の実力を示せば、なんとかなりそうだと思うんだけど」


 なんせ、わたしにまで騎士団に入らないかと勧誘してくるくらいだもの。見どころのありそうな子だったら大喜びで引きずって行きそうだ。


 昨夜、あの青ギンパツを伸したわたしの動きを見て頬を紅潮させ、やり方やどこで習ったんだとぐいぐい来られてうんざりした。わたしのゆるい体術なんてお爺ちゃん達に仕込まれたなんちゃって護身術なのに。

 最後には自分にも同じ技をかけて欲しいと言われてドン引きした。わたしの代わりにアニヤがグーパンをお見舞いしてくれたのでスッとしたけど。


 ……アニヤさんのような肝っ玉母ちゃん、憧れるわぁ。


「騎士団か……、見学くらいならなんとかなるかもしれないよ。あたしからお願いしてみようかね。アズサがこれから領内の視察に出る時、行きたい子を募って参加させるのも悪くない」


「アニヤまでそんなこと言うの?いくら騎士団長があなたの息子だからって、騎士団全員が半獣を認めているわけじゃないでしょ……。この子達がどんな目に遭うかわからないじゃない」


 アニヤの提案にも否定的な赤毛の彼女は、俯いて針先をじっと見ている。彼女にはわたしの知らない、つらい経験があるのかもしれない。


 アニヤは昨日のわたしとの雑談で、いつか、ここにいる半獣の子達が社会で受け入れられるような国になってほしいと言っていた。わたしも半獣だからと引け目を感じて、狭い場所でこの子達を囲い込んで世間から隠しているだけではダメだと思う。

 この子達が大人になった時、いつまでもこの箱庭のような場所で守ってあげられるわけではないのだから。


「いや、いつかは町にも町の外にも子ども達を出したいと思っていたんだよ。それが今日になっただけの話さ。それに、無理に行かなくていいんだ。行きたい子だけ行けばいい。狭いところにいるだけじゃ、見えない物もたくさんあるんだってことを知ってほしいとは思うけどね」

 

 わたしもさっき彼女に言われたばかりの言葉。

 この世界を知ってほしい、色んなものを見て、いろんな人と話して、この国を好きになってほしいから、と彼女は言った。

 アニヤの思いは半獣であっても異世界人(わたし)であっても変わらない。それは、彼女が半獣の子を1人の人間として見て、向き合っている証に思える。


「たしか、今日の視察は王都の北にある泉の方からまわるって言ってたかな。山の中らしいから人も少ないだろうし、いいと思うんだけど。泉の名前は…し…、し…、あれ、なんだっけ?」


 わたしが思い出そうと頭をひねっていると、小さな声がした。


「……シ、シヤの泉?」


「あ、そんな名前だったかも。……チビちゃんも行く?」


 泉の名前を教えてくれたのは、赤いスカーフのチビちゃんだ。彼女がくりっとした目を輝かせてわたしを見ている。シヤの泉に興味があるようだけど、わたしが問い返すと慌てたように顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「勝手なこと言わないで。この子が行くわけないでしょ」


 赤毛の彼女の言いたい事はわかる。


「そうだね、行くにしてもお兄ちゃんの承諾と同行をお願いしないとダメだよね。お兄ちゃんを置いてったら、心配して絶対にあとから走って追いかけて来ちゃうもんね」


 わたしが真顔でそう言うと、子ども達がクスクスと楽しそうに笑った。ちがう、という声が聞こえた気もするけど……。うん、みんなもそう思うよね。心配症に見えるもん、あのお兄ちゃん。


 そのあとバルドが来るまでにお兄ちゃんとの一悶着があった。だけど、顔を真っ赤にして『行きたいの』と呟いた可愛い妹に根負けした彼に睨まれながら、2人の同行が決まった。


「よし、じゃあお兄ちゃんも一緒に行くので決まりね」


「な、なんでオレが行く事になってんだよ!?」


「行かないの?」


「……っ、い、行く!チビ1人じゃ危ないし、お前は信用ならないからな!」


 バルドの到着を待って、子ども達の参加をお願いすると予想通り、難なく了承の返事がもらえた。屋敷の前に到着した騎士団の乗合馬車にわたしと兄妹の三人が同乗させ貰うことになる。


 中には既に1人乗っていて、騎士見習いだと紹介された。

 高価そうな白銀の全身鎧に身を包んだ騎士見習いさん。座っていてよくは分からないが、それほど身長が高くもなさそうだ。

 その美しい白銀の鎧のせいか、一見して女性のようにも見える。兜で顔は見えないけど、ちょっとお高くとまっている感じがしたので、なんとなく距離を開けて席についた。


 兄妹は緊張した様子で縮こまっていたけど、こちらに難癖をつけるでもなく特に何か反応があるわけでもなかったので、わたしは無視を決め込むことにした。

 挨拶に返事もしない人に気を遣うなんてバカらしい。


 出発を前にアニヤは馬車の乗り口まで見送りに出て来てくれた。

 バルドと何か話して騎士の一人を残していたようだけど、話の内容までは聞こえてこない。


「じゃあ、行ってきます」


「あぁ、気をつけて行っておいで。宜しくお願いしますね」


 アニヤは奥に座っている見習い騎士にも声をかけている。ずっと無言でいた騎士見習いだったが、アニヤの視線を受けかすかに兜を動かし反応した。


 ……あ、ちゃんと中に人が入ってた。


 実は中身空洞なんじゃないかとも思ってたのでちょっと安心した。












 離宮の周りをとり囲む黒い鉄柵のアーチをくぐり抜け、石畳が敷かれた街中を通る。

 車輪が大きく、車高が高いため道行く人の表情までは見えない。石造りの壁や煉瓦の外装が続く街並みはノスタルジックで、家々から立ち上る煙がどことなく温かさを感じさせた。


「オレ、一度あの門を通った事がある。あれが、この街の正面門だ」


 緊張した面持ちで教えてくれたお兄ちゃんは、妹の手を離さず握りしめている。チビちゃんはしがみつくように兄の背に隠れ屋敷を出てから顔を見せていない。


 この街は、扇状に広がり最北に城があってその裏は崖だという。今目指しているのはその崖の更に向こうにそびえる黒い山だ。ここから馬車で3時間、山道を途中から徒歩で1時間程度登った中腹に目的の泉があるらしい。


 街と外とを隔てる高い壁の中央、石造りの通用門は頑丈な格子状の鉄柵と分厚い木の扉で閉じられている。門をくぐり抜けた先には跳ね橋が架かっていて、外から入って来る人や馬車の行列が出来ていた。


 城壁を取り囲む堀には水が流れ、眼前に広がる農地に張り巡らされた用水路へと流れているようだ。農地の間を進む道の両脇には長閑(のどか)な田園風景が広がり、腰をまげて農作業に励む人々の姿があちらこちらに点在している。


 しばらく進むと農地の中で十字路に出た。御者は右へと手綱をとり、城のある急峻な崖を迂回する道を通ってその先へと向かう。


 石畳で舗装された道からむき出しの土の道へ出ると、馬車の揺れはだんだん激しくなって行く。出来るだけ遠くを見ていなければ、と馬車の小さな窓から外を見渡して首を傾げた。


 眼下では収穫を待つ麦穂の群れが風に撫でられ、ざぁっと音を立てて波打っている。遠くには小高い山々が立ち並び、その姿を少しずつ秋の色に染めていた。


 だが、麦の穂も山の紅葉もなんだかくすんだ色で、日本で見るような鮮やかな彩りはない。その光景にちょっとがっかりした。何か物足りないのだ。


 景色を眺めているうちに少しうとうとしてしまったようで、気付けばもう目の前に鬱蒼とした雰囲気の山がそびえ立っていた。山に近づくにつれ、ごつごつとした石に乗り上げる様にして進む馬車の揺れが酷くなり、流石につらい。


 しばらくして馬車は動きを止め、外から扉が開かれた。ここからは徒歩になるらしい。

 見上げれば黒々とした木が生い茂る山がそこにあった。鬱蒼とした木々に覆われた山は、所々崩落でもあったのだろうか、削られた赤土が剥き出しになってそこに埋もれた岩が今にも落ちて来そうな様子だ。


 先導に立った騎士達は腰に剣を刺している。だが、その手には鎌を握っていた。

 すぐにその理由が判明する。


 何もない山道を進んでいると思っていたが、先導の騎士達が草を刈って行くと道が現れたのだ。以前には馬車も通っていたのだろう、地面には深い(わだち)の跡が残されている。


「昔は平民にしろ貴族にしろシヤの泉へ訪れる者が多かったので、道も整備されていてこのような苦労はいらなかったのです。ですが、凶暴な魔獣の出現や精霊の消失で道を使う者がいなくなり、今はこの有様です」


 わたし達の護衛についてくれたバルドが目の前を歩き、後ろには騎士見習いがついてくる。

 騎士達は草刈り隊と前衛後衛、左右に分かれてなんだかものすごい厳重警戒。まるで要人護衛をされている気分だ。


 道の傾斜が増し、ごつごつとした岩が目立つようになると頭痛と耳鳴りが始まり、一歩一歩がキツくなってきた。

 だけど、それはわたしだけだったようで、チビちゃんまでもが平然とした顔で岩を越えている。


「な、何でチビちゃんまでそんなに体力があるの?はっ、はっ、ちょっと休憩したいんですけど……!」


 わたしの言葉にお兄ちゃんが呆れた顔を見せた。


「お前、まだ山に入って10分も経ってないだろ。それに、これでもオレ達はお前に合わせてかなりのんびり歩いてんだよ」


「……はい?こ、これで、のんびりって」


 わたしとしてはかなりの強行軍だと思っていたのに。

 ゼイゼイと呼吸するわたしの姿を見て、バルドが少し休憩することを決めた。差し出された水は酸っぱかったが、それでも飲まずにはいられない。


「アズサ殿が登攀(とうはん)をつらく感じるのは、おそらく標高のせいだと思われます。山酔いですよ」


 そう言ったのは後衛に付いていた騎士の一人。

 王都から離れた領地より騎士団に入団したらしい。こちらへ来た当初は、頭痛や吐き気、息切れなんかに悩まされたそうだ。


 屋敷の中では感じることはなかったけど、聞けば王都のある場所の標高は2400M。ここはそこからさらに高くなって2600Mほどの地点だそうだ。

 山に囲まれた場所だな、とは思ったが、まさか周囲の山が全部富士山越えの標高だなんて思わなかった。


 ……山酔いって、高山病のことか。


 そうとわかったとたん、めまいや吐き気まで襲ってきた。


「では、アズサ殿は休み休み登られた方が良いでしょうな。私どもは騎士団を二手に分け、先遣隊として危険な魔獣の排除と道の整備に努めます。この者を含めた数名を残しますので、無理をせずに登ってきてください」


 それと、と言ってバルドは自分の馬に括りつけてあった短弓をお兄ちゃんに差し出した。


「これを君に渡しておこう。矢は10本しか持ってきていない。無駄にするな」


 急に厳しい顔つきになったバルドが、お兄ちゃんに弓を押しつけると返事も聞かずに去って行った。見習い騎士も先遣隊に同行するようだ。馬車と馬の見張りに2名を残してきたので、わたし達の護衛に4名、先遣隊にバルドを含めた8名が向かうことになった。


 ……バルドさんバルドさん、あんたわたしの護衛をしてくれるんじゃなかったんかい。


 と突っ込みたくなったが、それも一人足手まといになったわたしのせいだと思えば文句も言えない。ゆっくりと深呼吸を繰り返していると、カシャンと軽い金属がぶつかるような音がした。

 いつの間にか近くに白銀の鎧を付けた騎士見習いが立っていて、黙ってわたしを見下ろしている。何も言わずに伸びてきた手が、わたしの頭に触れる直前で動きを止めた。


 じっと指先まで覆う白銀の籠手(こて)を見ていたと思ったら、キュインとねじって外しだした。

 中から現れた手は思いのほか白く大きくて、真っ黒に日焼けしたわたしの手とは対照的だなとじっくり観賞した。


 その手が、今度は躊躇なくわたしの頭に乗せられる。その手の動きを黙って見ていると、身体が一瞬軽くなるような浮遊感を感じた。


 ……めまいがひどくなった、のか?


 訳がわからず目を瞬いているうちに、騎士見習いは籠手を戻してバルド達先遣隊について行ってしまった。


「何なんだあの人……」


 不審者を見る目で見送っていたが、そろそろ出発しようと促され、わたしも立ちあがる。

 高山病経験者を含む4人の騎士と共に、ゆっくりと歩き出せば、先程まで感じていた頭痛や吐き気がなくなっていて気分がいい。


 ……なにこれ身体が軽いんですけど!……と、はしゃいでいたのも束の間のこと。






「ひっ、ハァッハッ……ち、ちょっとたんま…!」


 わたしはいま、なぜか崖を登っている。


「……お前ってほんとに貧弱だよな。景色のいいとこを見に行きたいって言ったのはお前だろ?」


 先を行くお兄ちゃんの健脚は岩だろうが急斜面だろうが、ものともせず飛ぶように駆けあがっている。チビちゃんもまたその後を器用について行けているのが不思議でならない。


 一緒に来た騎士達はわたしの前方と後方から挟むように護衛をしてくれている。が、登るのはわたしの仕事。おんぶしてなんて言えない。

 だって、身体が軽くなった気がして調子に乗ったわたしが”もっといい景色を見たい”と提案してしまったのだもの!!


「ハヒッ、フゥッ!…ふひぃ―――っっ……も、もう無理ぃ…!休ませてぇ……」


 大きめの岩に跨がって、前面の壁にしがみついて息を吐く。

 わたしの何度目かも分からない休憩要求に、チビちゃんと騎士達は苦笑していた。もちろん兄の方は怒ってる……いや、呆れてる?


 わたしが動けずにいると、みんなが岩の突き出た急斜面を登る足を止め、近くにある岩に腰かけたり、根っこのしっかり張った木に寄りかかって休憩をとった。


 下から吹き上げてくる風に息をのんでちらりと眼下を覗くと、木々の間から遥か下の方に先程置いてきた馬車が豆粒大に見える。


「アズサ殿、あともう少しですから!ほら、あの先がこの崖の終わりです。シヤの泉への近道ですよ」


 ちょび髭のっぽの青年騎士が優しく励ましてくれる。


「だーかーらー、もうぜんっぜん近道じゃないだろ?この道に入ってから1時間は経ってんぞ。どう考えても普通に歩いた方が速かっただろ」


 わたしの泣きごとにつき合ううちに、猫を被っているのにも限界が来たお兄ちゃんは、騎士団の人にもため口になっている。

 しかし、彼の言う事は正しい。


 ……だがな、正しいからって、何でも言っていいと思ったら大間違いなんだよ!わたしの心はズタズタだ!!


「昔はお祖父ちゃんとよくお山巡りをしたから、平気だと思ったの!わたしだってまさか、命綱も着けずにこんなとこ登るなんて思わなかったんだもん」


 泣きべそになりそうな、ツンとする鼻を押さえて反論すれば、今度はげじ眉細目の騎士が助け船を出してくれた。


「そうですねぇ、この道はシヤの泉へ向かう近道でもあり、魔獣がめったに現れないから絶好の薬草や山菜の採取場所だったんですよ。ここには親の手伝いでよく登りました。慣れるまでは結構大変でしたね。よく兄には置いて行かれましたよ」


「ですよね!?慣れてなければ――って……?あ、あの、今、魔獣もめったに現れないっていいました?」


「ええ、足場が悪くて危険ですから。獣もわざわざここを通ったりはしませんね」


「それだけ、人間も危ないってことですよね!?なんで止めてくれなかったんですか?」


 獣も通りたくない道ってなんじゃそれ。軟弱な現代日本人の体力の低さを舐めないでほしい。半泣きで訴えてみるが厳しい一言が待っていた。


「今の聞いてたか?()の手伝いって言ってただろ?おじさん達がここに登ってたのは、幾つからか聞いてみろ」


 ちろりとバカにしたようにわたしをみるお兄ちゃんの視線を避けて、げじ眉さんを見てみたら苦笑いしている!ま、まさか……?


「う~ん、キミ頭の回転速いね?騎士団に来る?そうだなぁ、5・6歳くらいには兄ちゃんにくっついて登ってた気がするな。この崖は魔獣の出ない場所だし、ここなら置いてかれても薬草の採取くらいは出来たしね」


 わたしの体力、5歳児以下ですか。山に住む地元っ子なめちゃいかんです。

 そしてやっぱり、あなた方も(バルド)の仲間でしたね。


 ……騎士団にこんな意地悪な頭の回転って必要ですか?そういった勧誘は後でゆっくりお願いします!


「もういいです、それ以上わたしを追い詰めるのはやめて。あと少し、がんばりますから…」


「ア、アア、アズ、が、がんばって!」


 唯一の救いはチビちゃんとの距離が縮まった事かな、と胸をほっこりさせ、わたしは残りの急坂(崖)に取り掛かった。


















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