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梓弓  作者: 長月 夜半
第二章 朧月
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思いがけない来訪者


 慌ただしい靴音が廊下をかけてくる気配に気づいて目を細める。

 部屋の前で立ち止まり、扉を守る護衛に何事かを言い募っているのは、先頃この屋敷に雇い入れた少女だ。


 王女殿下の居室である貴賓室には、竪琴と入れ替わるようにして新たに運び込まれた執務机がある。そこで書き物をされていた殿下が顔をあげ、こちらに覗うような視線を向けてこられた。

 これだけ騒々しければ、政務に集中できるはずもない。

 内心で少し憤っていると、弱り顔の殿下にたしなめられてしまう。


「セバス、そんな顔しないで。まだノルンは見習いとして離宮へあがったばかりなのですもの。あまり叱らないであげてね」


 表情の変化を読まれてしまったらしい。まったく、情けないことだ。

 肩をすくめてみせると殿下はクスクスと楽しそうな笑みを浮かべられた。場の雰囲気が和んだことを察し、殿下へ向け謝罪の言葉を口にする。


「あの者も見習いとして日々励んでおりますが、教育が行き届いておらず申し訳ございません。私に用があるのでしょう、御前を失礼して用件を聞いて参ります」


「ええ、大丈夫よ。隣国への親書の下書きはまだしばらくかかりそうなの。書き上げたらセバスにも目を通してもらいたいわ。その時には声をかけます。それまでは下がっていていいから」


「ありがとう存じます。じきにアニヤ様もお戻りになられるでしょう。御用の際はいつでもお声掛けください」


 鷹揚に頷きを返された王女殿下の目は優しげに細められ、すぐにまた手元の紙束へと視線を落とされた。


 使用人見習いのノルンは、この春に離宮へやってきた下町出身の少女だ。

 いままで平民との関わりしか持って来なかった彼女には、使用人としての仕事はおろか、言葉遣いや立ち居振る舞いをいちから仕込まねばならず、少々手のかかる見習いではある。


 だが、あの少女を連れて来たアズサ様の胸の内を思えば、それを無下にする選択など離宮の者にあるはずもなかった。






 ノルンがこの離宮に初めて訪れた日、彼女は泣きはらした顔もそのままに、アズサ様に支えられる様にしてやってきた。


「セバスさん、この子が先日お話した見習い希望の子です」


 少女の腫れぼったい目はどこか遠くを見るようで意気がなく、自分から何か話す様子もない。

 連れて来られた少女を一瞥し首肯して見せると、アズサ様は彼女の肩から手を放し、少し距離をとられた。


「まずは、自己紹介から致しましょうか。私はこの離宮の執事を任されているセバディクス・サバディルドと申します。私に貴女の名前を教えてください」


 腰をかがめ、少女の目線に合わせて声をかければ、ゆっくりと視線を合わせた彼女は掠れ声ながらもしっかりと名乗りをあげる。


「……あたしは、ノルン……」


 ノルンはそのまま室内に視線を巡らせると、側にいたアズサ様と目を合わせることもなく足を外へと向かわせた。


「どちらへ行かれるのです?」


「……あたし、帰らなきゃ……。きっとあの子が、さびしがってるもの……」


 この少女は、一月ほど前に弟を亡くしたという。

 身重だったノルンの母親が出産を終え、産み落とされた赤子は死産だったと、そう彼女や近隣の者には伝えられているそうだ。


 ノルンの泣きはらした目元や肌は赤く腫れ、頬はこけて目の下には深いくまができている。どれだけ弟妹の誕生を心待ちにしていたのか、この様子を見るだけでも伝わってくるものがあった。


 彼女は弟の死を告げられたその日から泣き暮らし、十分に食事も摂れなくなっているらしい。

 生まれくる赤子のために用意していたというおくるみを抱え、家から一歩も出なくなったというこの少女を案じたアズサ様の計らいで、彼女はいまここに立っている。


 嬰児(みどりご)の亡骸はもう土へ還したと告げられていると聞く。

 ならば、少女の”帰る”という話は、そのおくるみのもとへということだろうか。


 立ち去ろうとする少女を見て、痛みを堪えるような表情をされたアズサ様が彼女の手を引きとめた。


「待って、ノルン。ノルンにはこのお屋敷で働いてもらいたいと思ってるの。ノルンのお父さんやお母さんからも、そうして欲しいって承諾はもらってる。まずはお仕事の内容をちゃんと知ってから、ノルンがここで働きたいかどうかを考えてみない?」


「し、ごと……?あぁ、あたし、……ずっと休んでたから……クビに、なっちゃったんだ……」


 自嘲するように呟いたノルンに、アズサ様は首を横へ振った。


「違うよ。粉屋の女将さんは、ノルンが戻って来るのをちゃんと待っててくれてる。だから、どっちで働きたいかはノルンが決めていいの。あのね、ノルンをここに連れて来たのはわたしの我がままなんだよ。わたしがここでノルンに働いて欲しくて来てもらったの」


「……ここで、アズサと……?」


「そう。保育士見習いってとこかな。といっても、そんな職業ここにはないから、ノルンには使用人見習いってかたちで働いてもらうことになるね」


 泣きはらした瞼を重そうに持ち上げている少女には、この話の内容がどこまで理解できているかわからない。

 だが、彼女の気持ちにできるだけ寄り添おうとするアズサ様の思いはきっと、届いているだろう。


「まずは屋敷の中を見ながら、ゆっくりと説明して行きましょう」


 そう声をかけると、一瞬、アズサ様から乞うような視線が送られてきた。だが、それもすぐに真摯な表情へと変わる。


「はい。あとはセバスさんにお任せします」


 使用人の雇い入れは筆頭女官として殿下のお側にいるアニヤ様と、離宮の采配を任されている私で取り仕切っている。

 数日前、アズサ様から下町の少女を離宮で雇ってほしいと懇願された時には、少々面食らった。だが、アズサ様はこちらの職分を侵さないよう配慮することも出来る方だ。


「では、まずはこの屋敷で一番大変な仕事から見ていただくとしましょうか。さあ、ノルン。ついて来なさい」


 上階へと昇る階段に歩を進めると、アズサ様の小さな呟きが聞こえてくる。


「……セバスさんのそういう(ニク)いとこ、好き」


「はっはっ、光栄ですね。ですが、そういう発言は近くに誰がいるのかをしっかり確認されてからの方がよろしいですよ」


 ほんのりと鼻の頭を赤くして、そんなことを言ってくるアズサ様を微笑ましく思いながら、視線で足下を示す。すると、アズサ様から素の声があがった。


「……げっ……なんでまた静かに泣いてんのよ。……もう。ほら、こっちおいで」


 アズサ様はノルンとつなぐ反対の手で、足元にまとわりついていた幼子を軽々と抱え上げた。声もあげずに涙を流している坊ちゃんを抱き上げるアズサ様の目にも、うっすらとにじむものがある。


 戯れに掛けた言葉は見当違いの物ではない。現に坊ちゃんからは、先程まで大分居心地の悪い視線を向けられていた。

 だが、いまこの方がアズサ様の首にしがみついて涙をこぼしている本当の理由は、きっと大切な人の心を感じ取っているからだろう。


 年明けに片付けられたベッドの数以上に、離宮の中にはがらんとした空気が流れている。

 誰の目から見ても、そのことで一番深く悲しまれているのはアズサ様だった。


 その後、この離宮で働くことに決まったノルンには、様々な制約がつけられている。

 条件の中でも彼女にとって辛いだろうと思われたのは、ここへ住みこみ、当分のあいだ家には帰れない事。実の姉だと名乗らない事。弟を特別扱いしない事。といったところだ。


 一月前、ノルンの弟は半獣としての奇形を持って生まれてきた。

 出産のあいだ余所に預けられていたという彼女は、弟の産声を聞くことさえ出来ぬまま引き離されている。


 まだ未熟なノルンには、課せられた条件を厳守するのは難しいだろう。

 そう考え、働き方について考慮すべきだと話し合っていたところ、アズサ様が提案された決め事は、子ども達への愛を感じさせるものだった。

 ――――それは、まだ幼さの残るノルンに対しても同じこと。


「弟をかまったら、他の子も同じだけかまうこと。わたしからノルンに守ってほしい約束はそれだけだよ。……ノルンはお仕事でここにいるけど、ここに暮らすみんながノルンのお兄ちゃんお姉ちゃんで、弟と妹になったんだって思ってくれたら嬉しいな」


 アズサ様らしい約束の仕方だと、呆れるより前に納得してしまった。

 公私の区別は大人でさえ難しいことだ。

 だから私やアニヤ様は、ノルンを弟に関わらせない仕事につかせようと考えていた。


 それに対し、約束が守れなかったとして、どこに問題があるのかとアズサ様は言われた。行きすぎたところや不足があれば、その場にいる者たちでたしなめればいいだけだろう、と。


「ここではみんなちっちゃい頃から働くんだもん。見習いの期間って、大人になるための準備期間でもあるでしょう?ノルンの心と身体がちゃんと成長するまで、みんなで見守ってあげて欲しいんです。わたしも、彼女がここで働くために必要な知識と技術をできるかぎり教えていきますから」


 その日から、アズサ様の持つ子育ての知識とノウハウがノルンに伝授されることになった。

 成長に合わせた援助や見守り、子どもの心の成長までもを配慮に入れたその豊富な知識を、アズサ様は惜しむことなくノルンに伝えている。


 その内容は多岐に渡り、シェーラ様やステイシア様まで一緒になって参加を申し出て、最後には王女殿下までもが学びたがる始末だ。

 言葉のかけ方次第で、むずかる子どもを言い聞かせる方法などは、聴いていてこちらも納得してしまうものだった。知識欲の旺盛な殿下が興味を持つのも仕方がないのかもしれない。


 ……あれは、使い方次第では大人にも有効でしょうしね。


 ノルンに架けられた制約には、明確な期限などは設けられていない。

 だがそれは、決して解かれることがないという枷ではない。半獣を受け入れていこうとする苗床が、もうこの国にはあるのだから。


 いつかきっと、彼女が弟の手を引いてこの離宮から出て行く日が来ることだろう。







「だからっ、急いでるんだってば!大変なの、セバスさんにすぐ言わなきゃっ!」


「だーかーらー、その用件を取り次ぐからちゃんと話せって言ってるんだよ。そういう決まりなんだって、教わっただろ?」


「ナグさんじゃ話になんない!急いでるんだってば――――っ!!」


 扉を開けると、押し問答するベルベントス護衛騎士とノルンの姿が目に入った。喧々諤々と言いあう姿はその身長差に比べ、どうにも年齢差を感じさせない物である。


「ノルン、王女殿下の御前です。口を慎みなさい」


「あ……っ!ご、ごめんなさっじゃなかった、申し訳ございません、セバスさん!」


 扉を後ろ手に閉じながら、視線でベルベントスもたしなめる。

 護衛騎士はバツの悪そうな表情を一瞬で取り繕うと、口を閉じて扉前の警護に戻った。


「火急の用件があるようですね。下で聞きますから、一緒に…」


「そう、そうなのっ!聞いてください、セバスさん!!」


「ええ、ですから下へ…」


 どうにか階下へ促そうと声をかけるが、ノルンは焦るあまり周りが見えていない様子だ。

 お仕着せのブラウスに付けられたリボンタイが揺れるほど頭を左右に振り、両手で(うぐいす)色のスカートを握りしめ叫ぶように報告した。


「お屋敷の門の前に、まっくろでおっきな魔獣がいるんです――――っ!」


「「 はぁ? 」」


 曲がりなりにも王族の居住地である離宮の門前に、大型の黒烏で乗り付けて来たのは、思いもかけない人物だった。


「――――父さん!大烏で王都のど真ん中に乗り付けて来るなんて、いったい何を考えてるの!」


 アニヤ様が出先から戻られると、離宮の一室では久しぶりの親子の対面がなされた。

 母君であるサニヤ様とは里帰りの折りにお会いすることも、手紙での交流もあったが、バロック様とアニヤ様がこうして顔を合わせるのは、アニヤ様の婚礼前以来のことになる。


「おぉ、アーニャ!久しいな、元気にしておったか?懐かしいだろう、昔お前がよこした七つ仔があそこまででかくなったんだぞ?それよりもほれ、アーニャが呑みたがっとると聞いたんで、ワシが漬けたリンゴ酒と火酒も土産に持って来てやったからな」


 両脇に置いた樽酒を叩いて見せるバロック様に、アニヤ様は頭を抱えた。

 迎え入れる準備のために挨拶もそこそこだったことを言い訳に、横から口を挟ませてもらう。アニヤ様もバロック様の傍若無人さを相手にするのは久しぶりのこと。

 この勢いに慣れるまで少しかかるだろう。


「バロック様、お久しぶりにございます」


「ん?なんだ、誰かと思えばサバディルドんとこの甥子か、お前もずいぶん年を食ったもんだな」


「バロック様にはおかわりがないようで、安心しましたよ。荷物はこちらでお預かりしましょう」


「ああ、この酒以外にもガルドに土産を持たせとるから受け取れ。アズサが気に入っとったドワーフ特産大烏の卵と、花喰い牛の乳製品もたんまり持ってきてやったからな、みんなで食うといい」


「お心遣いありがとうございます」


「父さん!お土産を持ってきてくれたのはありがたいけど、来るなら来るで書簡の一つも出してくれたらいいじゃないか。母さんは何をして……まさか、アズサに何かあったんじゃあ……」


 バロック様の口からアズサ様の名が出た事で、アニヤ様に少し冷静さが戻られたようだ。


 部屋に入ったアニヤ様が自分の隣に座った事で気をよくしたバロック様は、アズサ様がドワーフの里でいかに勲しい姿を見せられたのかを語ったあと、オマケのように思いもよらない事を口にした。


「サニヤは里にはおらんぞ。お前も今の時期、女が忙しいのは知っとるだろうが。アズサは兄者を追って竜の領地に入っとるころだろうな。あいつにはおかしなネズミがついとるから心配なぞいらん。まぁ、あんなもんを飼っとるアズサにそれだけの器があるんだと考えれば、ワシが後れをとったのも仕方がないと…」


 ドワーフ地方ではもうすでに風の季節に入ってしまっていたらしい。サニヤ様が鉄製錬炉の方へ出向かれていて留守にされていたと聞き、アニヤ様が顔色を変えている。


「母さんがいなかったとは言え、アズサを勲しに参加させるなんて……。手紙に親身になってやってくれとあれだけ書き綴っておいたのに!」


 それを聞いたバロック様は鼻を鳴らして自慢げに胸を反らせた。


「手紙は事が済んでからアズサに読ませてやったからな。それに、ワシはちゃんとアズサをもてなしたぞ?もうあいつはドワーフの一員だ。自分の故郷だと思っていつでも帰って来いと言ってある。アーニャがあいつを娘のようだと言うのなら、ワシにとったら孫娘になるだろうが!カッカッカッ!」


「父さん……」


 高らかに笑う父君を見て、アニヤ様は両手で顔を覆われた。


 バロック様は本当にお変わりがない。

 里長になって長いというのに、いまだ文字を覚える気はないらしい。

 今もサニヤ様が代筆、代読をされているのだとすれば、アズサ様はきっと手紙を読ませるだけでも一苦労したことだろう。


 お二人の姿を生温かい目で見ていると、おもむろに懐へ手を差し込んだバロック様がこちらに何かを放ってよこした。


「おっと、……バロック様、これはなんでしょう」


 受け取ったのは魔力を通さない加工をされた宝石箱だった。

 ずしりとした重みがあり、中に宝飾品が入っているのだとわかる。


「今日はアズサとの約束を果たすためにここへ来たんだ。そいつは約束の印だとでも思ってとっておけ。あの小生意気な坊主にも会ってやろうかと思っとったが、留守にしとるようだから伝言を残す。早く戻らんとそろそろサニヤが帰ってきちまうからな」


「……では、これは陛下へ?」


 呆気にとられ、宝石箱に目を落としていると、アニヤ様がバロック様に詰め寄った。


「……父さんまさかそれ、ドワーフの長としての献上品なのかい!?いったい父さんに何が……はっ、そうだ、熱でもあるんだろ!?」


 アニヤ様に熱を測られて嬉しそうに照れているバロック様だが、献上品と言い表したそれに否定の言葉はない。


 本当に、どんな心境の変化があったというのか。

 前王から罰を受けたゆえの政略的措置にあれだけ反発し、貴族に嫁いだ愛娘に長年会うことすらせず、王族や貴族を毛嫌いしてきたというのに。


「だから、アズサとの約束を果たしに来たんだと言っとるだろうが」


 アニヤ様が首飾りを取り出そうとするのを制し、バロック様は大仰に顔をしかめた。


 下唇を突き出しておもしろくなさそうな顔をされているが、本当におもしろくないと思っているのなら、バロック様はこんなもの絶対に持ってくるような方じゃない。


「それじゃあ、いったいアズサと何を約束したって言うんだい」


 バロック様に問いかけたアニヤ様の顔は、ありありとした不信に満ちている。


「ドワーフの里への宮廷魔術師たちの立ち入りだ」


「……宮廷魔術師をドワーフの里へ?アズサはどうしてそんな約束を……」


「実際にあいつと交わした約束は、少し違う。アズサが言ったのは、恩は本人たちに返せだったか」


「恩?」


「お前らが持ちこませた弓弦を一本、アズサに頼みこんで譲ってもらった。アズサは出し渋っておったが、シヤの泉に精霊が復活した話を聞かされて、ワシがおめおめと逃がすわけがなかろうが。まぁ、最終的にいちばーん短い奴なら、と承諾させたがな」


 自分の成果を誇るようなバロック様の話に、私とアニヤ様は息を呑んだ。


「なんてこと……!父さん、精霊が姿を消して困っているのはドワーフの里だけではないんだよ!それを自分勝手に使うなんて!」


 激昂したアニヤ様が声を荒げると、バロック様は腕を組んで頷いて見せた。


「だから、こうしてわざわざその報告と、恩返しにやってきとるんだろうが。事後承諾になるのを直接自分で謝るのが、アズサとの約束に含まれとる。それから、母親の形見を分けてもらうのだから、それに見合った恩返しを考えろとも言われたな」


 いつものアズサ様であれば、王女殿下から預けられた品を安易に自分の采配で他人に譲るとは考えにくい。同じように考えたのだろうアニヤ様も、バロック様に責めるような視線を向けていた。


「……父さん、アズサに何を言ったんだい。あの子はすんなり承諾などしなかったはずだ」


 表情を消して静かに怒り始めたアニヤ様に、バロック様が喉を鳴らす。

 こういった怒り方は母君であるサニヤ様に似ているためか、途端にバロック様の目が泳いだ。


「あいつの白ネズミが泉の勝負でズルをしたんだ!だから、責任をとれと……言ったような……」


「そもそも、嫁取りに来た外部の者が受ける秤だって、最初の目利きだけだろ!なぜセッカの耐久鍛錬に女の子であるアズサが参加しているんだい!アズサは嫁取りに行ったわけでも、ましてや職人になるための修業に行ったわけでもないんだよっ!?」


 そう、勲しに参加資格があるのはドワーフの里の娘を娶りたいという奇特な外部の者だけ、ということになっている。そこに、外部からドワーフへ修業に来た職人たちは含まれない。


 職人としての技を持っている者は、嫁取りうんぬんの前に、鍛錬と称して何度も勝負に巻き込まれているからだ。


「アズサ様の飼っているメイがズルを?……それを理由に、アズサ様を追いつめて無理に言うことをきかせたのですか?」


「いや、ズルした事をちょっと突いてやったら、思いのほか落ち込んだのには驚いたが、別にワシがきつく追いつめた訳ではないぞ!?それに、勝負を始めた時はアズサが女子(おなご)だとは気づいとらんかったんだ!」


 髪が短かった頃とは違い、今ではこの離宮でアズサ様が女性だと気づいていないのはバルド様だけだ。

 鈍いところはドワーフの男の特徴なのか。


 そして、アズサ様はここに連れて来られた際に、坊ちゃんからされた所業で”ズル”をするということに敏感になっている、とアニヤ様から聞いている。

 あの方の中で苦渋の決断を迫られたのだろうことを察し、こめかみを押さえ目を閉じた。


「……アズサ様の性格からして、飼い主としての責任をとらずに済ますことは出来なかったのでしょう。バロック様も相手の弱みにつけ込んで、いやらしい手を使われる」


 こちらへ戻られれば、アズサ様は殿下に平謝りするのだろう。

 怒りのあまり口がきけずにいるアニヤ様に代わり苦言を呈すると、バロック様は苦虫をつぶすような顔をして、それでも開き直って見せた。


「……本当にお前は伯父貴とそっくりで、嫌味な奴だな!フン、とにかく、ワシはアズサと交渉するのに言ったことは守るぞ。宮廷魔術師の奴らには、セッカの泉での湯治を許可する。試してみなければ確かな事は言えんが、セッカに棲まう精霊の恩恵を受ければやつらの歪みも少しは改善されるだろうさ」


 バロック様の言葉を聞き、目を瞬かせる。


 ……交渉?では、アズサ様は意に反して承諾させられたわけではないのか……。


 シヤの泉とは違い、ドワーフ領の聖域はその名以外はあまり外に伝わっていない。そのため、アニヤ様と長く一緒にいる私でもセッカの泉の恩恵など初めて耳にする情報だ。


「セッカの泉での湯治……。そうか、それならアズサが承諾したのもわかるような気がするよ。じゃあ、セッカの泉の精霊も無事に復活したんだね?やっぱり、浄化には弓を使ったの?その実物はどこに?」


 納得するような様子を示されたアニヤ様は、矢継ぎ早に質問を重ねた。その表情に、もう先程までの怒りはみられない。


「兄者が拵えとった(すずめ)小弓を一本拝借して、アズサに試してもらった。あの震えあがるような音で酔いがいっぺんに冷めたわ。小弓も弦もその場で(ちり)になっちまったからな、手元には残っとらん。だが、アズサが言うには前回よりも音が悪かったらしいぞ。やはり、兄者の感じたように材料となる木の方に問題があるんだろうな…」


 思い出すように上を向いていたバロック様は、話し終えると満足気に顎鬚をなでた。

 それに少し考えるそぶりを見せていたアニヤ様が、口調を変えてこちらに指示をだす。


「そう、情報をありがとう父さん。セバス、すぐに宮廷へ連絡をとって、調査団の派遣準備をするようにノックスへ進言なさい。姫様が確認された、おかしな発生の仕方をしていたっていう川の調査と一緒に行えば手間も少ないでしょう。あと、父さんが姫様と面会が出来るよう準備をお願い」


「かしこまりました。早急に手配いたします」


「……面会?何の話だ、ワシはもう帰るんだぞ!」


「父さん?父さんがアズサからもらい受けた弦は、お二人の形見であり、今は王女殿下の持物なんだよ。本来であれば、しっかりとした手続きをとってから進めるべき話を、父さんの独断で強行したのだとわかってるかい?姫様に会う段取りはしてあげる。だから、ドワーフの長として姫様にしっかり言うべきことを言ってちょうだい。このまま帰ったら、母さんに直接、今回の件についての苦言をあげるからね……?」


 アニヤ様の迫力に真っ青になって震えあがったバロック様は、その後王女殿下との面会へ赴き、すっかり大人しくなって里へ戻られることになった。


 準備万端、大烏の背に取りつけられた鞍にまたがったところで、なぜかバロック様が渋い顔を見せた。


「……伝言を忘れるところだった。あの小生意気な小僧に伝えておけ。今度から頼みごとをする時はバルドの名など使わずに、自分の名を出せとな。まったく、厄介な奴らを里に誘導しおってからに……。これが外交問題に発展したからと言って、今度責任をとるのはワシではないからな!いいか、きっちり伝えとけよ!?」


 そこまで言い終えるとバロック様は盛大に鼻を鳴らした。

 渋い顔をしたまま下唇を突き出してはいるが、これもバロック様なりの譲歩だとわかる。これからは陛下ご自身の名を出せば、助力を惜しまないという意味だろう。


「バロック様からのご伝言、しかと伝えさせていただきます」


 腕を伸ばし、互いの骨を合わせ誓う。

 今度こそ満足したように手綱を握ったバロック様に、アニヤ様から声をかけた。


「父さん、これを持って行って」


「なんだ、サニヤに手紙か?」


 アニヤ様が手渡したのは、見覚えのある羊皮紙の巻き物だ。


「違うよ。これは父さんへのプレゼントだ。アズサが作ったものだから、アズサからってことになるかね」


「んん?アズサが作ったもんがあるのか?どれ、見てやろう…………って、なんだこりゃ」


 羊皮紙を広げたバロック様は、整頓された字の羅列表に首を傾げている。


「アズサお手製、文字の手習い表だよ。これで一つずつ文字を追っていけば、母さんがいなくてもあたしからの手紙を自分で読めるようになるだろ?使い方はガルド兄さんに伝えといたから」


 アニヤ様から視線を向けられたガルドは、もう一羽の黒烏の背から含み笑いで頷いた。


「あたしから父さんあてに手紙を送るからさ、かならず返事をちょうだいね。今日はここまで会いに来てくれてありがとう。父さんの顔を見られて、すごく嬉しかった。今度はこっちから会いに行くから、穴倉に隠れたりせずに顔を見せてね」


 最後、手を握りしめて微笑まれたアニヤ様に、無言のまま去って行かれたバロック様の表情は、涙を堪えたものだった。


 空高く飛び上がり、白雲に黒点が二つ浮かんだようになるまで見送った頃、アニヤ様が口を開いた。


「……これで父さんも少しは文字を覚える気になるだろ。なんてったって、可愛い娘とお気に入りの孫娘からの贈り物なんだから」


「はい」


 あの方の事だ。きっと、里に着いた途端に手紙はまだかと言い出すに違いない。


「さぁ、これから忙しくなるよ。両国は会談に応じる旨を書簡で送ってきたそうだね?姫様からの返信を送れば、三国会談の日取りもすぐに決まるだろう。それまでに、姫様が調べを進めていた誘拐の件についても他国の詳しい情報を仕入れとかなけりゃ」


「そちらの方は既に各ギルドの統括者たちに探らせておりますから、そろそろ報告があがる頃でしょう」


 アニヤ様は空を見上げていた顔を下ろすと、目元を拭われた。


「アズサ様に感謝しなければなりませんね」


「……本当だね。ドワーフの族長が名実ともにティルグニア王の下についたことが知れ渡れば、姫様も今よりはずっと動きやすくなるだろうさ」


 視線を合わせたアニヤ様は誇らしげな笑顔を浮かべている。


 アニヤ様の言うことはもっともだ。

 宮廷に先程の話と贈られた献上品を持って行けば、王女殿下を見る臣下達の目は違ったものになるだろう。


 けれど、いま私がアズサ様に感謝している思いとそれは別物だ。

 遊び心が芽生え、出合った頃の口調に戻して手を差し出してみる。


「私が言っているのはアーニャのことだよ。よかったな、バロック様と仲直りできて」


 こんなことをしたのは、バロック様から懐かしい愛称を聞いてしまったせいかもしれない。もう一度、口にしてみたくなったのだ。あの頃のように。


 そんな私の物言いに、アニヤ様は子どものように頬をふくらませた。


「まったく、あんたってやつは本当に無粋だね。言葉になんかしなくてもちゃんとわかってるさ」


 つんと顔を逸らせたアニヤ様が重ねた手をとり、歩き出す。




 私の敬愛する方々は、変わることのない信念を持っている。

 愛する者のためならば、自分が多少の損をしてもその道をつらぬけるのだ。


 私もそうありたいと願う。

 出来ることなら、敬愛する方の傍で。

 ずっと、その姿を見守りながら。

















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