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梓弓  作者: 長月 夜半
第二章 朧月
45/57

石の眠り

 素材置き場の扉奥。

 そこに広がる巨大な地下空洞には、幾つもの鎚音が響いていた。


 夜番だという職人たちが熱心に火床(ほど)の前で作業するのを横目に、まだ火の落とされていない炉を借りて”秤”とやらが続けられている。


 耳に不快な金属音の響く中、ウィンロックの脇にはとうに作業を終えたバロックが立っていた。だが、ウィンロックのすることに口を挟む様子はない。

 後方にいるよう指示された梓は、ただじっとそれを見つめている。

 この場に無駄口をきく者はなく、見物人たちが途切れることのないまじない歌を唱えていた。


 梓の頭上からその光景を見ていると、金床に向けもう何度目になるかもわからない鎚が振り下ろされて行く。

 渾身の力が込められた鎚が勢いよく石に当たり、火花を散らす。


 受けた反発の余韻を残す鎚。

 大きく肩を揺らし、荒い息を吐くウィンロックのゆっくりと下ろされるその持ち手が弛んだのを、バロックは見逃さなかった。


「ウィンロック、少し休め」


 時はもう夜半を過ぎている。休みなく鎚を打ち続けていたウィンロックの腕は、わずかに震えていた。


 これまでに、母石を開こうとして切断や削りなども試されている。だが、それが功を奏することはなく、今は最後の手段として熱を加えた試みが行われていた。


「まだだ!もう少しやらせてよ、まだ何も出来てないじゃないか!」


 バロックはウィンロックの頑なな様子にひとつ息を吐き、厳しい目を向ける。だが、口をついて出た言葉には教え諭すような響きがあった。


「勘違いするな。お前の腕を疑ってるわけじゃない。これほどやっても石が拒むのなら、この石はまだ熟しきっておらんのだ。そういう時は誰がやっても結果は変わらん。少し休んでアズサと話し合え。この勝負はお前の物ではないだろう」


 バロックの言葉で悔しげに顔を歪めていたウィンロックが、顔を上げ梓を見る。


「あ……」


 そんな様子をじっと見守っていた梓と目が合うと、ウィンロックは決まり悪げな表情で肩を落とし、承諾の意を示した。


「わかったよ」


「よし!休憩だ!見届け役のもんは、寝ちまった奴らを家まで運んでやれ!見習いはここまでで解散!」


 バロックの指示を受け、壁際に寄り掛かり熟睡していた子どもらが担がれていく。

 起きている中には最後まで見たいとだだを捏ねる者もいたが、バロックに諭されればしぶしぶといった表情で細工場から出ていった。


「……アズサ」


 ウィンロックが壁に鎚を立てかけ休む姿勢をみせると、梓は用意してあった水を差し出し、ねぎらいの言葉をかける。


 ――――以前には、このようなやりとりが祖父との間によくあったものだ。


「お疲れ様。大変だったね」


「ありがとう。……ごめんよ、期待に応えられなくて。爺さんはああ言ったけど、良ければ他の職人を指名してみないか?人が代われば、あの石だって開くかも知れない」


 水入れを受け取ったウィンロックは、視線を合わせないまま梓に提案した。そんなウィンロックを一瞥した後、梓は金床の上で静かに眠る石を見ながら口をひらく。


「打つ人が代わっても、きっとあの石は中から出て来ないよ」


「……どうしてそう思うのさ?」


「ウィンロックも聞いてたでしょ。里長は、仕事の事で嘘やごまかしをしない人だと思うんだけど、違う?」


「それは、……そうだけど」


「それにね、ウィンロックが鎚であの石を叩くたびに、『ねむいよ~、おこさないでよ~!』って聞こえてきたもん。きっと寝ぼすけな石なんだよ」


 逡巡を見せるウィンロックに、梓はおどけて見せる。

 梓のもの言いに驚いたウィンロックは、金床の上にひっそりと佇む石を凝視したあと、何とも言えない顔で梓と私を見比べていた。

 

「ちょっと待って、……え?アズサには、石の声も聞こえるの!?」


「ふふっ、ごめん、冗談だよ。でもね、里長は熟しきっていないから開かないんだって言ってたじゃない。あの石がまだ成長途中で、いつか開く時のために閉じこもってるんだとしたら……、今は寝かせておいてあげたいなって思ったの」


 母石に包まれ眠る石に、梓はまるで幼子を見るような目を向けている。

 そんな姿を見たウィンロックが肩に手を伸ばそうとした時、梓が勢いよく振り返った。


「ねぇ?最後にもう一回だけ、あの石を見てもいい?」


「……ああ、ちょっと待って。いったん舟に浸けて熱を冷ますから」


 ねだってくる梓へ向け、眩しいものを見るように目を細めたウィンロックは、行きどころをなくした手で頭をかき金床へと向かった。梓が後を着いて行くと、壁に並んだ火鋏(はし)をはずしながら相手をする。


「この舟に入ってる水って、歌の言葉にあったようにセッカのしずくっていう水を使ってるの?」


 ここで舟と呼ばれているのは、岩をくり貫いて造られた水桶のこと。

 中に張られた水は、薄暗がりのなか松明や火床の炎の色をうつして揺らめき、それ自体が熱を宿している。


「そうだよ。セッカの泉に湧き出る水は、ドワーフの物造りには欠かせない物なんだ。今じゃ精霊の恩恵も消えて、セッカの水だけじゃあんまり効果が出ないんだけどね」


「あぁ、セッカってドワーフの里の聖域なんだ……」


「里長の許可がないと外の者は立ち入りを禁じられてる場所にあるんだけど、アズサにはもう許可が出てるからすぐに見られるよ」


「そうなの?わぁ、楽しみ!」


 梓がシヤの泉以外の聖域へ足を踏み入れるのは初めてのこと。

 こちらとしても、関心の高い場所ではある。


 期待に声を弾ませていた梓だが、ウィンロックが石をとりにかかると黙ってそれを見守った。

 こちらも頭から肩に居場所を変え、石の様子を観察する。


 舟に張られた水へ火鋏でつかんだ石が沈められると、石の表面に触れた水がその温度差にはじけるような音をたて、白い蒸気とともに大きな気泡が浮かび上がった。

 しばらくすると気泡は止み、蒸気も治まる。


「そろそろいいかな。……うん。アズサ、手を出して」


 舟から揚げた石に触れ温度の確認をしたウィンロックは、布で水気を拭きとり梓の手に乗せた。両手で石を受け取った梓が、微かに笑う。


「……あんなにがんがん叩かれてたのに傷一つないんだね。意地でも起きないぞっていう意思を感じるわ~…」


 梓はその母石を肩口まで持ち上げ、こちらの手が届くところまで寄せてくれた。

 母石に手を伸ばすと、人肌のぬくもりを感じる。だが、石は静かなままだ。


「まだあったかいね。……いつかこの石が開いたら原石の形を見てみたいけど、その頃にはもういないかなぁ…」


「うん。石は悠久の時を超えるから、明日目覚めるか、千年後か。僕が長生きしたとしても、目覚めの時に立ち会えるか、こればっかりはわからないなぁ」


 梓の言葉を受け、ウィンロックは諦めたような物言いをする。

 その言葉に曖昧な笑みで応えた梓は、優しい手つきで母石を撫で、石へ語りかけるように呟いた。


「……眠いなら、寝たいだけ寝ればいいんだよ」





 ――――ゆっくりと紡がれる、細くやわらかな旋律。


 普段よりも高い声色は美しい音の響きとなり、思いのこもった(こと)()が石へ浸みこんでいく。


「おい、こっちで…」


 酒瓶らしきものを片手に声をかけて来たバロックに対し、腕を上げ続く言葉を遮ったウィンロックの視線は梓の手元へと固定されている。

 後から戻ってきた職人たちも囁くように歌う梓の声に気が付くと、喋るのをやめ、その場に立ちつくしていった。


 (てのひら)から伝わる熱と梓の口から紡がれる調べに、石の波動が高まりを見せる。仄かだった(ともしび)も、成長を願う梓の思いに応えるように徐々に光を増していく。


 ――――子守唄を歌い上げた梓の伸びやかでやさしい歌声は、静かに終わりを迎えた。





 歌が終わった後も男達が声を上げることはなく、その視線は梓の手元に集中している。

 ゆっくりと閉じていた瞼を開けた梓は、知らぬまに出来ていた人だかりに驚きの声を上げた。


「わっ、いつの間にもどったの!?……やだ、恥ずかしいなぁ」


 子どもと一緒ならば、人前だろうが公道だろうが気にせず歌っていられる梓だが、子らがいない状況では羞恥心が勝るらしい。

 梓が照れたように笑ったその時、男達の大歓声が巻き起こった。


「な、なに!?」


 何事を叫んでいるのかも聞きとれない騒音の中、驚き身じろいだ梓の手から、さらさらとこぼれ落ちていくものがある。


「……へ?」


 指の隙間を滑り落ちていく黒砂に、呆けたような声をあげる梓。だがすぐに、そこにあったはずの物が何であったのかを思い出したようで、雄叫びをあげた。


「ぎゃ――っ!?い、いし、石がぁぁぁっ!?」


 その勢いのまま、泥団子をかためるように砂を握り始めたが、水分のない砂は握れば握るほど手の中からこぼれていく。


「いやぁぁぁっ!?」 


「あ、おいっ、それ以上揉むな、馬鹿もんが!精霊石に傷がつくだろうが!?」


 慌てて酒瓶を置いたバロックが、混乱している梓の腕を掴んで動きを封じた。

 しゃがみこんだ梓に合わせ、バロックもまた床に膝をついている。


「ええい、落ちつけアズサ!中の石は無事だ、よく見てみろ!」


「ひぐっ、……無事?」


 梓が大人しくなると、バロックは腕を掴んでいた手をゆるめ、かたく握りしめられていた(てのひら)を解いていった。


「落とすなよ?」


 その注意に情けない顔で頷いた梓は、握り込んでいた手をそっと受け皿のように開いていく。


 解放された砂粒がさらさらと崩れ落ち、小さな砂山の中からは滑らかなおうとつを持つ、飴色の貴石が姿を現した。

 それを見た梓は目を瞬かせ、首を傾げている。


「……琥珀?」


「そこいらにある琥珀と一緒にするな!精霊石だといっとるだろう、この神々しい光が見えんのか!?」


「え……光…?」


 石に視線を落としても光を感じることの出来ない梓は、目を眇めて口を尖らせた。

 また自分にだけ見えないのだと、少し不満を感じているのだろう。


「…………お前さんもこの石と同じか」


 そんな梓を見つめ小さく呟いたバロックは、気の抜けたように肩を落とし、苦い笑いを見せる。そのまま疲れたように息をつくと埃を払って立ち上がり、声を張り上げた。


「この勝負はアズサの勝ちとする!お前らも異論はないだろう。今日はもう遅い、次の勝負は明るくなってからだ。この場は解散!お前ら明日もあるんだ、呑み過ぎるなよ!」


 それを受け、騒ぎたてていた見物人達が『祝杯だ!』と意気まいて外へ出て行く。目利きと技量、この場合は石の目覚めを促した梓の功績を認めたかたちなのだろう。

 職人たちは気分良く酒が呑めるのであれば、勝敗がどちらであっても大して気にしないらしい。


 騒ぎの静まったその場に、夜番の者以外で残されたのは梓と里長、放心状態のウィンロックだった。


「おいっ!呆けておらんでシャンとしろ、ウィンロック!」


「えっと、大丈夫?ウィンロック……」


 バロックには渇を入れられ、梓には心配気な声をかけられる。

 だが、とうのウィンロックは梓を見ているようで見ていない目を向けたままぼんやり立っていた。


 己が出来なかった事をあっさりとこなしたのが梓だったことに、衝撃を受けているのか。そんなウィンロックの無様を吹き飛ばすようにバロックが鼻を鳴らした。


「おいアズサ、お前さんの持っとる精霊石をウィンロックの手に乗せてやってくれ」


「えっ、……あぁ!」


 里長の意図をなんとなく察した梓が、力なく垂れたウィンロックの手をつかんで貴石を握り込ませる。すると、虚空にとどまっていたウィンロックの視線が緩慢に石へと向けられた。


 梓の(ことば)で目覚めた石は、まだその熱を失ってはいない。


「……明るい蜂蜜色。……内包物は混色液体と……昇り竜(ツイニング・ウィスプ)。魔力を流すと現れる針状結晶が1、2、……4方向……12条の星彩効果?は、はは、ははは……」


 虚ろな目をしたウィンロックの空笑いが虚しく響く。だが、その視線が石から逸らされることはない。


「……星彩なら丸い山形……方向性を見極めて…」


 そのまま何事かを呟くと、研磨機の置かれた場所へふらふらと行ってしまった。

 後を追うかどうか悩んでいた梓に、里長が就寝を切り出す。


「あいつの事はもう放っとけ。アズサはアーニャの部屋を使って休め。もう家の者に部屋の準備は指示してある。腹が減った時はいつでも声をかければいい。さぁ、行け。場所はわかるだろ」


「え、あの、でも…」


 様子のおかしい男を気にして梓が動けずにいると、バロックが不遜な笑みを浮かべた。


「ウタであの石を開いたのは確かにアズサだが、ここからは職人の領域だ。これ以上お前さんがここにいても邪魔になる。……あとはワシがいるから安心しろ。お前さんが起きる頃にはアレも仕上がっとるだろうから、楽しみにしとけ」


 邪魔だと言いつつも、言葉のはしはしに気遣いを覗かせるバロックに、梓はそれ以上言い張ることをしなかった。


「うん、……わかった」


 梓はウィンロックから視線を外すと、ポケットを探る仕草を見せた。

 何がしかを探り当て、バロックへ向かって差し出された手には、すっかり皺のついてしまった手紙がある。


「あのね、里長。このアニヤさんから預かった手紙なんだけど、やっぱり、わたしも里長と一緒に読んでいいかな?」


「……だれぞに余計な事を吹きこまれおったか」


 梓の言い分を聞いて渋面を作ったバロックは、憮然としながら強がりを見せた。


「ふん、お前さんが勝ったらなんでも好きにすればいいと言っただろうが。……ほれ、もう夜も遅い、早く寝ろ!」


「ふふっ、そうだった。あとふたつ、絶対に勝たなくちゃ。じゃあ、お言葉に甘えて先に休むね。おやすみなさい」


 いたずらを企むような笑みを見せた梓に、バロックも表情を緩める。


「……あぁ、アズサの寝床に精霊の訪れがあるように」













 ――――その数刻後。


「――――おい……、おいっ……おきろ!」


「……んん――…」


 アニヤが嫁ぐまで使っていたと言う部屋の寝床には梓が寝ている。

 昇ったばかりの陽が差し込む部屋の中には、なかなか起きない梓にしびれを切らしたバロックが仁王立ちをしていた。


「いつまで寝とるんだ、この軟弱もんがぁ!!」


 空も明け白む頃になりようやく寝ついた梓だったが、押し入ってきたバロックによって首根っこを掴まれると、着の身着のまま靴だけを抱え外へ連れ出された。


 そのまま朝霧に包まれた山へ分け入り、道なき道を進んでいくと無数の飛沫(しぶき)が噴き出す場所に出る。高熱の飛沫が治まるのを待ちながら進んだその先に、(くだん)の泉はあった。


 上段から落ちる白糸を受け止めるのは、鮮やかな赤色の水をたたえるセッカの泉。

 その水面には、白くけぶる湯けむりが漂っている。


「温泉!?セッカの泉って、温泉なの!?」


「カッカッカッ、驚いたかアズサ!世界を見ても冷泉の多い聖域の中、これこそドワーフの至宝、セッカの泉だ!!」


 叩き起こされ、山登りをさせられた梓の眠気はすっかり覚めているようだ。先程まで寒いだの寝不足だのと泣き言を洩らしていたが、目の前の光景を見て疲れも吹き飛んだらしい。


「天然温泉!しかも、間欠泉の絶景つき!?天然の打たせ湯に、血の池風呂――!!」


 鼻息荒く興奮する梓を里の者達がほくそ笑んでみている。


「里長よ!今こそ、ドワーフの威厳を見せつける時じゃあっ!!」


「アズサのような毛なしにこの試練はちと酷だが、悪く思うな!負けを知ることも鍛錬のうちだっ」


「「「 そうだそうだ――!! 」」」


 寝癖をつけた見習いの子どもらが野次に参加する中、バロックはおもむろに沸き立つ泉へ一歩踏み出すと、羽織っていた衣を脱ぎ捨てた。


「この世に生を受けし物は誰もが魔力という名の熱を持つ、ドワーフはその熱にどれだけ耐えられるかでその者の強さを量るのだ!!」


 そう高らかに叫んだバロックは、紅の布をたなびかせている。


「……ふんどし」


 顔や手足に比べると思いのほか白い身体にまとうのは、一本の赤褌(あかふん)


「懐かしいな」


「メイ、懐かしいの!?」


 こちらの呟いた一言にひどく驚いた様子の梓だったが、すぐに気を取り直すとバロックの横へ並び立った。


「二の秤は温泉に浸かって我慢くらべするって聞いてたけど、このセッカの泉に入ればいいの?」


「……お前さん、そんなの屁でもないって顔をしとるようだが、セッカの泉を甘く見るな!里のドワーフは魔力の底上げをするために、普段からこの泉に浸かる鍛錬をしておるが、今の泉は慣れた者でさえ気を失うような危険な代物だ。精霊が姿を消してからというもの、セッカの泉は足を踏み入れた者の器に関係なく魔素を送り込んできおるからな!」


 精霊が姿を消し泉に瘴気が蔓延する中、人海戦術で聖域の穢れを減らす努力をしてきたのだと語るバロックに、里の子どもらが熱い視線を送っている。


「この温泉に長くつかると、重度の魔力酔いを起こしかねないってこと?」


「理解が早いな!カッカッカッ!そうだ、その魔力酔いにどこまで耐えられるかという耐久勝負!温泉効果で熱が廻るのも早いからな、赤子の頃にかかる物とは違い、どんどん身体に吸収されるんだ。加減を間違えば死ぬ。というわけで、この勝負は先に根を上げた方が負けになる!」


「ふんふん、先にお湯からあがった方が負けってことでいいのね」


 一通りの説明を聞かされても、梓に大きな不安は見られない。

 シヤの泉に入り慣れている上、出湯(いでゆ)自体は身近にあるものとしての感覚が強いのだろう。


 ……まぁ、あちらではこれほど力のある水場はもう見られないがな。


「さぁ、勝負を始めるぞ!お前も早く服を脱げ!」


 無造作に突き出された手が梓の前合わせへと伸ばされる。

 目を眇め、その手を掴んだ梓はバロックに対し適切な行動をとり対処した。






 その後はおかしな誤解も解け、結局、梓は夜着として身に着けていた甚平(じんべい)で勝負に挑むことになった。


 ――――そして、出湯での勝負はあっけなく勝敗が決することとなった。


「あ――あ、もう、無理しちゃって。大人なんだから、のぼせる前に上がりましょうよ」


 梓の呆れたような声かけに返事は無い。

 視線の先では茹でられたタコのように、肌を真っ赤に染めたバロックが水際へと引き上げられていた。


「しっかりしろ、里長!おいっ、早く魔素抜き用の腕輪を持ってこい!そう、あのバカみたいに魔力消費量の高いやつだ!いそげ!」


「なんということじゃ――っ!?ドワーフがセッカの泉勝負で外のもんに負けるとは――っ!?」


 里の大人が大袈裟に騒ぐ中、梓は先程までの熱い視線を今度は自分に向けている子どもらから水を差し出され、受け取っている。


 梓もほんのりと火照(ほて)った顔をしているが、体に異変はみられない。


「ぐっ、……ま、まだだ、ワシはまだいける……!こんな毛なしにワシが負けるはずがない!もう一回やらせろ……っ」


「里長ってば、まだ入りたいの?折角ここまで来たんだし、わたしももう一回入りたいとは思ってるけど……。まずはのぼせた身体を冷まさなきゃ。水分はしっかりとってね?」


 気に入りの水筒を部屋に置いて来た梓は、貰った水を指でかき混ぜてから口に含むと『硬水か』と少し残念そうな顔をした。


 泉の周りでは、その後またすぐに男達の悲痛な叫びがこだますことになる。


「里長――――!だから無茶だって言ったんだっ!おいっ、早く魔素抜き用の道具を……なにぃ!?限界値を超えただと!?……止むを得ん、大婆を呼んで来るんだ!くっ、里長、どうか恨まんで下さい……っ!おい、熱さましに使う薬味も持ってくるよう伝えてくれ!一番太いやつだ!」


「ぐぅ……っ!……これぞドワーフの漢気(おとこぎ)、バロックは不撓不屈(ふとうふくつ)のドワーフ魂でワシらに漢を魅せておるんじゃっ」


「「「 いやあ――っ 」」」


 蜘蛛の子を散らすように逃げて行く子どもたち。

 むせび泣く年寄りの傍では、全身から蒸気をあげ太鼓腹を晒すバロックが昏倒している。


「……ん?メイ、どうしたの!?なんでそんなにパンパンに膨れて……。いや、最高だけど、毛なみもつやっつやで、手触りは最高だけど――――!?」


「…………けぷっ」
















 大きく伸びをして天井を仰ぐと、小鳥の飛び立つ小さな鳥影が岩の間を通りすぎていった。

 天井の亀裂から差し込んでくる光が、徹夜明けの目にしみる。


「もう朝か……、大分時間がかかっちゃったな」


 作業台の上には完成したばかりの首飾りが置いてある。

 傍らに立っていたはずの爺さんは、いつの間にか姿を消していた。

 細工場の連中に断りを入れて炉の始末を任せ、出来あがった首飾りを手に集落へ向かう。すると妙に静かな広場に違和感を覚えた。


「あれ?人がいない……?」


 細工場にはいつも通り昼番の奴が交代の時間に来ていたが、他の連中の姿がどこにも見あたらない。不思議に思いながら爺さんの家へ向かっていると、丁度、中から出て来る人影を見つけた。


「あっ、ウィンおじちゃん!精霊石の細工終わったの!?」


「ミーニャか。そんなに急いでどうしたんだ?この通り細工が終わったんでまずは爺さんに見せようと思ってるんだけど、爺さんは奥にいるかな」


 長方形の木箱を振って見せると、ミーニャは目を輝かせた。


 普段はミーニャと愛称呼びすることが多いミレニヤは、この春見習いになったばかりの姉の子だ。

 急いでこちらへ駆け寄ってくる姪っ子の背には、大きな荷袋が担がれていた。


「あのね、いまお爺ちゃまは泉にいるの。ウィンおじちゃんも一緒に行こうよ。わたしはおねーちゃんの荷物を持って来るようにって頼まれたんだ」


「泉?そんなところで何を…」


 ミーニャの話を聞くうちに、大事な事を思い出した。


「って、そうか、二の秤!?すっかり忘れてた!もう始まってたのか、急いで行こう!アズサが心配だ!」


 背負っていた荷物ごとミーニャを抱え上げると、不思議な物でも見るような顔でミーニャが首を傾げてくる。


「ウィンおじちゃん?あのね、秤はもう……」


「……え?」















 [証言2 ミーニャ]





 あのね、ミーニャは見ちゃったの。


 おねーちゃんの服を、お爺ちゃまがぬがそうとしたのよ?

 人前で女の子の服をぬがせようとするだなんて、ほんとうにしつれいよね。


 だけどおねーちゃんは、手が服にとどく前にお爺ちゃまの手を引っぱったの。

 それからはあっという間だったんだから。


 手首をつかまれたお爺ちゃまはそのまま前につんのめって、気がついたらおねーちゃんがお爺ちゃまの背中に乗っかってたの!

 うでを後ろに引っぱられたお爺ちゃまは、痛そうな顔をしてたけど、女の子の服を脱がそうとしたんだもの、じごうじとくってやつだよね?


 それでね、その後がまたすごかったの!


 おねーちゃんはミーニャたちがちょっと足を入れただけでも気持ち悪くなっちゃうセッカの泉に、”かけゆ”っていうのをしてから入ったら、お爺ちゃまよりずーっと長く入っていられたんだから。


 お爺ちゃまなんて、我慢しすぎて自分じゃ出て来られなくなっちゃったのにね。

 ミーニャたちも今度は足からお湯をかけてみようねって約束したんだ。


 そういえば、おねーちゃんが飼ってる変なもようのネズミ。

 あのこが勝負の前よりちょっとおっきくなってるって言って、お爺ちゃまがおこってたなぁ。

 ……なにか盗みぐいでもされたのかな。

 おやつは見つからないところに隠しとかなきゃダメなのよ?


 あとね、二つ目の勝負に何回も負けちゃったお爺ちゃまは、大婆に治してもらったの。

 だけど、ミーニャたちはもう見てられなくて……。自分のときのことを思い出して泣いちゃう子もいたんだから。


 でも、さすがはお爺ちゃまよね。大婆にちりょうされたらすぐに元気になっちゃった。

 だけど、みっつめの秤はどんだけお酒を呑めるかって勝負だったから、おねーちゃんはすぐに負けちゃったんだ。

 こうさんってやつ?


 その時のおねーちゃん、いい匂いって言ってたのに、ひとくちなめただけでまるで毒をのんじゃったみたいに苦しそうにしてたんだよ。

 りんごのお酒はミーニャもおっきくなったらぜったい飲もうと思ってたのに……。

 お酒って本当はおいしくないのかな?


 里で作ってるお酒って魔素がいっぱい入ってるから、のむことが”たんれん”になるんだって。大人のひとたちはそう言って毎日のんでるけど、ならどうして大婆はおこるのかしら。


 こうさんされたお爺ちゃまはふまんそうだったけど、大婆がおねーちゃんの”かんげい会”をするって言ったの。そしたら、おねーちゃんは自分が料理したいって言って、おいしいものをどんどん作っちゃったんだ。


 実はミーニャ、あんまりお肉が好きじゃないの。だって、かたいんだもの。

 そう言ったら、おねーちゃんは切り方を工夫したり、お酒の入ったタレにつけるとやわらかくなるんだよって、やってみせてくれたの。


 そうそう、おねーちゃんのお料理って変わっててね?ミルクやハチミツ、卵だってさいしょはなんでも手でまぜるの。なんでって聞いたら、お手てでいっぱいまぜまぜするとすっごく美味しくなるんだって。


 お母さんたちはそんなことしてなかったけど、おねーちゃんの作ったものはぜんぶおいしかったから、今度ミーニャもまねしてみようっと。


 ミーニャね、おねーちゃんの作ってくれた”しちゅー”も、”ふれんちとーすと”も、ぜーんぶ作り方を覚えたのよ?

 いまは風の季節だから、鉄をとかすのに忙しくってお母さんたちはいないけど、お家に帰ってきたら、ぜったいに食べさせてあげるんだ。


 おねーちゃんは仕事もできるし、お爺ちゃまより強くって、お料理までできちゃうなんてすごいよね!


 あんなおねーちゃんがウィンおじちゃんのお嫁さんになってくれたらいいのにねぇ。

 でも、ライバルはいっぱいいるみたい。


 がんばれ、ウィンおじちゃん!

















作中歌:シューベルトの子守唄

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