見たくないモノ
硬い岩盤を削り出した岩屋の奥に、ドワーフの細工場がある。
重い鋼の扉を開け放ち、かがり火の灯された通路を進むと、男達の低い歌声と腹に響く鎚音が届いてきおった。
ふいごのかぜに うずまくいぶき
もゆるねどこに うぶごえあげて
ははごはこづち あやしてたたく
ちちはおおづち きたえてのばせ
さむいとなけば かぜおこし
あついとなけば ふねにつけ
ねっしきたえよ いきりてねばれ
なましきたえよ しずめてねばれ
せっかのしずくに まじわりて
そだてじゅくせや はらからよ
通路を抜ければ天井の高い吹き抜けの広場に出る。むき出しのままの岩肌は、煙逃がしから差し込む陽光と、炉から放たれる炎の色で染め上げられておった。
じゃが、多くの釜に火が入れられた様子は無く、半分以上がひっそりと眠っている。
近年、休まず稼働しとるのは農耕具用の火床のみ。
火の入れられたいくつかの火床では、金床に向かい交互に鎚を振り上げ鍛造に励み、その横では鋳型にどろりと熔けた鋼を流し込む作業をこなす者たちがおった。
他にも、回転する砥台で火花や水しぶきをあげて研き作業をしている者など、その仕事ぶりは様々だ。
作業に没頭する大人達の周りでは、まだまだ毛の生えそろわぬ見習いたちが荷運びや炭切り、片付けなどに忙しく動き回っておるのが見えた。
ざっと細工場を見渡して、すみにある小さな火床のまわりに集まる男達の中に、目当ての人物を見つけ階段をくだる。鉄錆色の髪と髭を複雑に結い上げている男がこちらに気付き、被っていた作業眼鏡を外した。
「なんだ、兄者。木弓に飽きて鎚を振いたくでもなったか」
大鎚を肩に乗せ、からかうような口調で声をかけて来たのは、ワシの実弟であるバロックじゃった。このドワーフの里の頭をしておるのだが、バルド様から見れば祖父にあたる男でもある。
こ奴を探す時には大抵、細工場にくれば見つかった。
吹き出した汗を腕で拭ったバロックの顔や身体は、煤にまみれている。どうやら、また机仕事を抜けだして、朝から炭切りやら吹子での火起こしまで自分でやっていたようじゃ。
「うるさいわい。そっちこそ、上手くいっとらんようじゃないか。バロックよ」
ワシの返しに渋面を作ったバロックは溜め息を吐き、肩に担いでいた大鎚を下ろした。
「見てのとおりさ。やはり、ミスリル鉱石だけはウタをいじったぐらいではなんともならん。製鋼魔法段階での質の悪さは、どうしようもないな。……時間をかけてなんとか鍛え上げても、納得のいく仕上がりにはならんよ」
鎚柄に寄り掛かるように頬杖をつきながら、視線を火床の方へ送ったバロックが見ているのは、金床のまわりに集まる男達の姿じゃった。
鉱石を鋏で金床に固定している者の左右に四人の男が立ち並び、交互に入れ替わっては打ち鍛えておる。
ウタを詠唱しながら打ち鍛えるたび、ウタと鎚に込められた魔力が焼けて黄白になったミスリル鉱石に落ちて青白い火花を放つ。
じゃが、芯の方にはまだ魔力が浸透しておらん。魔伝導率が悪いのは不純物が多い証拠。使えるまでにはまだまだ時間がかかるじゃろう。
「これでも他の魔鉱石ならば、なんとか俺達の魔力だけで鍛え上げられるようにはなったがな。鍛造の過程で時間がかかるのは似たようなもんだ。加減一つ違えれば、軟すぎて使い物にならんようになる。ミスリルにいたっては、魔装強化した鎚で叩いとるのに大の男が六人がかりだ。一振りの剣を鍛え上げるのに一年近くもかかるようでは話にならん」
ドワーフに受け継がれるまじないウタには、魔力を含んだ鉱物を加工しやすくする効果がある。もとは精霊を謳いあげる意味合いの強いものじゃったが、今ではまじないウタそのものに頼る面が大きい。
「世の中じゃ、ミスリルを使った物品が馬鹿みたいに高騰しとるから、もとは取れるじゃろうがの。このままでは、こっちの身がもたんわなぁ」
魔力反発の大きい素材を扱うのも、一昔前であればそう難しいことではなかった。
じゃが、今は精霊の恩恵もなく、消費した魔力が完全に回復するのにも一週間はかかる始末。六人がかりとバロックは言うておるが、一振りの剣に一年近くかかることを考えれば、一体どれだけの人手と魔力が必要か。
……考えるだけでうんざりじゃわい。バロックにとっては、うんざりで済まないところが不憫じゃがな。
弟に身代を押しつけた手前迂闊なことは言えんが、気苦労が人一倍多いのは確かじゃろう。
前はこいつも仕事の事で愚痴なぞ口にするような奴ではなかったが、現状が大分堪えているようじゃ。増えた深いしわと白髪に、弟の苦労を垣間見た。
「ところで、ここには何しに来たんだ?」
「おぉ、そうじゃった。しばらく留守にするんで、その報告をな。ちょっくら素材採取に行ってくるわい」
「……なんだ、やっぱり丸木造りなんて弱い弓をやめて複合弓にするのか?なんならここにある素材を分けてやってもいいぞ」
「馬鹿を抜かすな。一度受けた注文を違えるドワーフ職人がどこにおる!……弓は、まぁ形にはなったが、どれも違うという気がしてな。もっと魔力の高い木が欲しい。じゃから、塒の辺りまで足を伸ばそうと思っとるんじゃ」
古くからある伝承には、中央の領地にはかつて賢竜がその身を休めた巨樹があり、その根元には霊草が咲き、地下にはお宝が眠っているとされておる。
”竜の止まり木”と呼ばれるその樹は、竜の魔力を溜めこんだ代物ということじゃ。
ワシはその樹がある竜の塒に、若い頃に一度だけバロックと共に行ったことがある。
その時には、そこにしか生えておらんと云われとった霊草を摘みに行ったのじゃが、それ以降、誰かがあの場所に到達したという話を聞かない。
少し前には、”竜探し”などと言って愚か者どもがこぞって竜の塒を目指していたようじゃが、奴らが無事に帰ってきたかどうかも怪しいもんじゃ。
「……狙いは竜の止まり木か。懐かしいな。竜の領地に入るとなれば、一筋縄ではいかん。儂も付き合おうか」
「いいや、年が明けてからは襲ってくる魔獣も減っとるらしいし、あそこは基本的に地下道には魔獣の類は出んしな。守りの付いた防具を身につけておけば、ワシ一人でも何とかなるじゃろ。あとは精霊の加護次第じゃな」
今もお宝目当ての冒険者が竜の塒に挑み、目的の場所へ行きつく前に迷わされ、ボロボロになって近隣の者に見つけられることも多い。
以前ワシらが通ったのは地下道じゃったが、そこでの記憶はあいまいで、実はよく覚えとらん。今思えば、あの時のワシらには大地と精霊の導きがあったのじゃろうと思うとる。
……竜の塒へは、賢竜に許された者しか足を踏み入れることが叶わんのかもしれんのぅ。
「……バルドが依頼して来た弓には、それほどの素材が必要なのか?」
「……あぁ。バルド様が流木を拾ったと言っとった沢も、中央領との境じゃ。ワシは竜の止まり木があやしいとにらんどる。一度、秋ごろに探しに行ったが、その時にはそれらしい物は見つからんかった。ひと冬かけて手元にある材木は一通り手がけてみたが、納得のいくもんは仕上がらんかったからの。もう一度付近の沢をさらってみて、枝が見つからなければ地下から潜って塒まで足を伸ばしてみるつもりじゃよ。まぁ、今回一人で行って無理じゃったら助力を頼む」
「弓弦の件では役に立てなかったしな。わかった。しかし、バルドの奴も厄介な依頼を持ってきたもんだ。兄者には苦労をかけるが、よろしく頼む」
「おう、任せておけ」
里に戻った折り、バルド様から預かった弓弦を里の者に見せてまわったが、あの素材に関するはっきりとした情報は得られんかった。わかったのは、魔力の高い生き物の体毛であろうということ。それが山の物なのか海の物かもわかっておらん。
取り敢えず、素材は手に入りそうなものから集めるのが基本じゃ。弓弦に関しては保留じゃな。
「シャムロックの鎚がよき音を奏でるように」
「バロックの吹子がよき風を起こすように。では、言ってくる」
ドワーフ流の挨拶でバロックと腕を交差させ、その場をあとにした。
里の者には王都の聖域に関する情報は伏せてある。
バルド様から口止めをされておったというのもあるが、春になって人の行き来が盛んになれば、何をせずとも勝手にシヤの泉の噂も流れるじゃろう。
噂が広がれば、どうやって精霊を復活させたのかと騒ぎになるのは間違いない。
そうなればここの者たちも冷静ではおられんじゃろう。弟は必ずアズサを引きいれようと動くに違いない。
してやれることは少ないが、ワシに出来る限りのことはしてやりたい。延いてはワシらの里のためになるのじゃから。
ワシは同胞のウタに背を押され、進む足に力をこめた。
細工場の扉を開けると、外からの日差しで目が眩む。
しょぼしょぼする目を擦り上げながら、土床に置いておいた荷を背負い、その足で里を出発した。
ゆらゆら、ゆらゆら……。
ふわふわとした心地よい揺れに身を任せていると、うっすらとした意識の中で穏やかな話し声が耳に流れて来る。目をつむったまままどろんでいると、それは急に興奮したような声音に変わった。
「わぁ!……ねぇ、メイ。ちょっと寄り道してもいいかな」
「……あまり時間はないぞ。程程にしておけ」
「やった!じゃあ、何も来ないとは思うけど、見張りをよろしくね」
カサカサと葉ずれの音がして、揺れがおさまる。次に衣擦れの音が聞こえたかと思えば、近くで聞こえていたアズサの声がどんどん離れていくのに気付き、慌てて意識を集中させた。
やがて、目の前の景色がはっきりとした形をもって見えてくる。
真っ先に感じたのは薄桃色の柔らかい光。次に、上下に伸びて林立する茶色い柱が見えた。
立ちあがろうと身じろぎをすると、不安定な足元でバランスを崩し、自分が柔らかな布の中に埋もれていることに気付く。
不思議に思って首をかしげ、あたりを見まわした。
目の前にそびえる茶色い柱は天井で放射状に組み合わされているようだ。柱の外側は、全体が薄桃色の布で覆われている。
どうやら自分は木枠の中にいるらしい。
木枠に触れようとして手をかざすと、目の前に青いものが広がった。
「ピィ?」
…………。
「チ、チチイ」
先程アズサの居場所を確認しようとしてそのまま寝落ちしたことを思い出し、とりあえず翼を元に戻した。
ここからは見えないが、アズサはすぐ近くにいる。
そう安堵してもう一度ゆっくりと周囲を見まわし、……自分がどこにいるのかを悟った。
「ピッ、ピュ――イ!?」
あまりの精神的動揺に、思わす羽を広げてしまい、バサバサとけたたましい音がたち鳥籠が激しく揺れた。ふっと身体が宙に浮くような感覚のあとで、ドサリと地面に落ちる音と同時に激しい衝撃が全身を襲う。
「……ピ、ピチュ」
使い魔といえど、意識すればある程度の感覚共有は出来る。だが、出来るのであって通常は機能させていないはずだ。
埋もれた布の中で身をよじって顔を出し、なんとか立ち上がった。
木枠のあちこちに身体をぶつけたが、一緒に入れられていた布が緩衝材となってくれたらしい。大分痛みは緩和されている。
だがしかし、この痛みはおかしい。
……なんで痛みを感じているんだ?
横倒しになった籠の中、乱れて収納しにくくなった翼をはらって整えながら視線を上げる。すると、布が外れた籠の外からこちらを睨みつけている白ネズミの黒い瞳と目が合った。
「チ、ピチッチ」
「去ね」
声をあげた瞬間、クソ精霊が鳥籠を足蹴にした。私を閉じ込めたままの鳥籠は、その反動を受け盛大に地面を転がった。
「ピィィィ!?」
「メイ!?どうし……ぎゃあああああ!?ちょっと、メイ、何してんの!カゴを見張っててって、言ったでしょ!?あ――ぁ…」
ぶくぶくと上がって行く水泡を見上げながら、熱い湯の中で必死にもがいていると、下から突き上げられるような勢いで水から引き上げられた。激しくむせ、鼻と口から入った水を吐き出しているとすぐ近くでアズサの声がした。
「あ、起きてたの?ごめんね。しっかり枝に掛けといたのに、なんで落っこちちゃったかなぁ。地面じゃ蛇に狙われちゃうかと思ったんだけど、やっぱり地面に置いとくべきだったか……。これこれ、暴れないで。いま拭いてあげるから」
身震いして水をはらおうとした途端、白い布が目の前を覆った。続けて、ものすごい力でわしわしと掴まれ、転がされるようにもみくちゃにされる。
「…………!……!?…………!!」
声にならない悲鳴を上げるが、アズサにはまったく届かない。近くで『ぷすっ』と嘲笑するような音が聞こえただけだ。
「もう、メイったら笑ってないで助けてあげてよ。わたしはもう上がるけど、いいお湯だったよ。メイも入ったら?」
……いいお湯?
「遠慮しておく。そのようにされるのは御免だ。梓も上がるならさっさと拭いてしまえ。風邪を引くぞ」
……風邪を引く?
「うん、ありがと。あ――、そっか。もう少し丁寧に拭かないと駄目だったか。焦ってつい、力が入っちゃった。ほら、もう乾いたよ。大丈夫だった?」
私を拭きあげていたアズサの手が止まる。
目の前を覆っていた布が取り払われ、ひんやりとした空気を感じた。ぐらぐらする視界をなんとか堪え、そっと視線を上げると、目の前には素足を晒すアズサがいた。
長いズボンのすそが太腿のあたりまでまくし上げられ、手には青羽がついた白いタオル。……もちろん、上衣は着たままだ。
何とも言えない気分で目を逸らし、周囲を覗うと、アズサの足元には先程まで自分が入れられていた鳥籠が、水浸しになって打ち捨てられていた。籠は底が抜けていて、もう使い物になりそうもない。
辺りに危険となりそうな生き物の気配は感じられなかった。
アズサの背後には鬱蒼とした森が広がっており、足元には白い石が敷き詰められている。目の前には湯気の立つささやかな水量の池が、その奥には碧い水をたたえた大きな川が流れていた。
一通りの安全を確認してから視線をアズサに戻すと、アズサの肩の上には先程私に狼藉を働いた白ネズミが乗っていた。
精霊のくせに、唾でも吐き出しそうな表情でこちらを見下ろしている。
「ねぇ、頭を打ってない?どこか痛いところはある?」
眉根を寄せて顔を近づけて来たアズサの様子を見て、ほっとした。
使い魔で見守っている余裕がなくなってからは、安否の確認もできず心配していたのだ。だが、見たところどこにも変わりはない。
最近、伸びた髪がうっとうしいと後ろで一括りにしている黒髪も、すらりと伸びた手足にも損傷は見られなかった。
満足して頷いていると、アズサが少し勘違いをした。
「あ、大丈夫ってこと?良かった。お腹は空いてない?何か食べる?」
ぼさぼさになった羽を手で梳いて元通りにしようと、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるアズサの様子に、少しこそばゆい気持ちになりながら首を横に振った。
前にいつ食事を摂ったかなんて覚えてないが、空腹も喉の渇きも感じていない。
「おぉ、やっぱり返事してる!前は飛ぶだけで何の反応もしなかったのに。やればできたんじゃない。ずっと寝てたけど、本当にご飯食べなくても大丈夫?……こっちは本体じゃないから平気なのかな。ちょっと待ってて、いま靴を履いちゃうから。足湯を堪能したかったけど、帰りにでもまた寄ればいいや」
羽を梳き終えると、アズサは湯気の立つ小さな池で泥のついた足を洗い、身支度を整え始めた。黙ってアズサの姿を目で追っていると、なれなれしい態度の白ネズミがアズサに向かって話しかけていた。
「……まったく、ドワーフの出湯にももう一度入りたいと言っておっただろうが。寄り道ばかりではいつになっても還れんぞ」
「くっ、そうだった。お遣いの途中だったんだよね。仕方ない、ここは諦めよう。でも、里の露天風呂には帰る前にもう一度入っておきたいなぁ。……よし!お待たせ、行こうか」
足を拭きあげ、靴下と靴を履いたアズサが見覚えのある大きなリュックを背負いこちらへ戻ってきた。じっとその姿を目で追っていると、アズサの腕がこちらへ伸ばされた。
「……どうしたの?行くよ?」
視線が一点に固定され、動かせない。
腕の関節部分までまくりあげられた袖の下、アズサの白い腕にはもう、あの時の傷痕は残されてはいない。こちらの視線を辿るように自分の腕を見たアズサが苦笑して、私を掬い上げるように持ちあげた。
「…………ピュルル…」
「ん?……今のは謝ってる感じかな?いいよ。取り敢えず、キミは許してあげる。……あれの落とし前は、記憶が戻ったらつけてもらうつもりだから……!」
「!?」
まくり上げていた袖を元に戻しながら、アズサが不敵な笑みを浮かべた。
簡単に許されたことよりも先に、記憶が戻ったら、と言われたことに動揺する。
……そうか、まだアズサは知らなかったか。
言葉を発せないことが、良かったのか、残念なのか判断がつけられずに黙っていると、仕切り直すようにアズサが諭して来た。
「さぁ、いつまでもくよくよしないで。キミは噛んだことをちゃんと反省したんでしょ。もう、人を噛まないようにね。言いたいことがあるのなら言葉にして伝えよう。ちゃんと聞くから」
「……ピィ、ピチチィ」
アズサの温かい手の平に包まれながら、泣きたい気持ちで俯いていると、またもや『ぷすっ』という不愉快な音が降ってきた。
「こら、メイ。人が反省してる時に笑ったりしないの。もう、わたしだって我慢してるんだから、やめてよね」
「?」
会話の意図が読めず顔を上げると、唇をぷるぷると戦慄かせ、ちょっと涙を浮かべているアズサと目が合った。首を傾げてそれを見ていると、アズサが突然噴き出した。
「……ぶふっ!」
「!?」
「ご、ごめん。も、無理。なにこの反省するヒヨコ!かわいすぎるんですけどっ」
身体を震わせて笑うアズサの肩の上では、クソ精霊が冷ややかな目でこちらを見下している。その態度に不快さを覚えたが、機嫌の良さそうなアズサにそのままわしわしと揉みくちゃにされ、頬ずりを受け始めるとそれ処ではなくなった。
その行動に照れていられたのは最初のうちだけで、後半は本気で逃げ出し、頭上を旋回して抗議した。空を飛ぶうちに、まだ思い出せていなかった記憶がうっすらと甦ってくる。
……そういえば、よくこうして構い倒されていたんだったか。
離宮の子どもらのうち、幼い者は喜んで構われていたが、ある程度大きい者は嫌がって逃げていたように思う。あの頃には独占欲で見えていなかったものも、今になって理解が追いついた。
それでも、あの時の私はそれ以上に構われたかったのだ。
……という記憶まで甦り、むずがゆさを覚える。
川周りを旋回しながら頭を冷やしていると、笑いをおさめたアズサが川の方へと移動を始めた。
「さ、冗談はそろそろ終わりにして、先に進もうか。結局シャムロックさんは、川沿いにいなかったもんね。それで、メイにはどの洞窟だかわかった?地図上では、三本杉?の真下ってなってるみたいなんだけど、この絶壁を登って確かめる気にはなれないよねぇ」
アズサが手にしている古びた羊皮紙には、川沿いにある洞窟の場所と、その上に目印となるへたくそな木が三本描かれていた。
今私達がいる場所は、背後は森で、川向こうは切り立った崖になっている。崖下には視界に入る範囲だけでも、三つの穴が開いていた。
地図から視線を外し、飛ぶ高度を上げて崖の上に出る。するとそこには、下にあるものと同じような森と峻嶮な岩山が広がっていた。だが、やはり上の方はまだ残雪が多い。
さらに視線を伸ばした先には、積雪で真っ白に覆われたままの連峰がそびえている。
絵に描かれていた物かどうかは判別しかねるが、崖のきわに同じ種類の木が三本並んでいる場所を見つけて、その崖下にある洞窟の入り口へと向け降り立った。
「あっ、どの入口が正解かわかったの?いいなぁ、羽があると便利。……やっぱり、見た目ヒヨコでもちゃんと飛べるんだね……」
水量の少なくなっている川は、飛び石のようになった大岩が顔を出している。アズサはそれを器用に渡り、難なく川を越えてきた。
……これも精霊の仕業か。
川のこちら側ではもう精霊の気配は追えないが、先程まで感じていた精霊たちの加護に間違いないだろう。そうでなければ、雪解け時期の川の水量がこの程度で済む訳がない。
楽しそうにこちらへ向かってくるアズサと、白ネズミを借り宿にしている常識はずれなクソ精霊に呆れた視線を送る。
「この洞窟が竜の塒かぁ。なんだ、もっと禍々しいのを想像してたけど、わりと普通?……シャムロックさん、あんまり奥まで行ってないといいなぁ」
洞窟の中を覗きこんで暗闇に怖気づいた様子のアズサが一歩下がった。
私は洞窟のきわから移動して、空いている右の肩口に止まり間違いを指摘しておくことにした。
「チュ、ピュ――イ、ピュルルル―チチチッ。チチチピュッピ――ィ」
視線を上げ雲に隠れて見えなくなっている山頂部分を示したが、アズサには伝わらなかった。
「ん―…、何言ってるか分かんないけど、道はここで合ってるんだよね」
シャムロックの魔力残滓が残っているし、それは間違いない。
ひとつ頷いて見せると、背負っていた荷物を玉砂利の上に下ろしたアズサが荷物の中から灯火具を取り出した。
中央に配置されている炉台の上には、蝋燭を置くことも石を置く事も可能になっている。魔石の消費を抑えるための両用型だ。アズサは革袋の中から赤い魔石を選び、直接炉台に転がし入れ光を灯した。
「むふ。これ、何度やっても楽しいよね。わたしも魔法使いになったような気分になれるもん」
「?ピチュピチュ、チチチチュ…」
「おっけ――!それじゃあ、はじめよっか」
アズサが言っていることがよくわからず、確認しようとしたが言葉を遮られた。
……会話できないのがもどかしい。
荷物を背負いなおし、腰に手を当てたアズサが大きく息を吸い込んだと思ったら、そのまま洞穴に向かって吠えた。
「しゃむろっくさぁ――――ん!!いらっしゃいますかぁ――――!?」
『かぁ――…かぁ――…かぁ――…』と、暗い洞穴の中にアズサの声が反響する。
外からでは判らないが、中は割と複雑な構造になっているらしい。
「「…………。」」
「……いや、だってね?近くにいたら、返事があるかもしれないじゃない。そしたら、こんなに真っ暗な所に入る必要もナイわけで……」
「……返事はないようだ。諦めて入れ」
「うぅっ、ハイ」
……そうか、アズサの世界では、暗闇には”おばけ”とやらが出るんだったか?
暗闇を恐れていた事を思い出し、何とか出来ないものかと考えているうちに、アズサが洞穴の中に足を踏み入れた。
魔石から魔力を吸い上げている灯火具からは黄色みを帯びた光が放たれ、土壁を照らし出している。所々、土肌から顔を覗かせている岩が影をつくり、奥へと続く道に伸びていた。
この辺りは水はけも悪くないようだ。なだらかにくだっていく道を進みながらアズサが明るい声を上げた。
「うん、里長さんの言ってた通り、蝋燭よりも全然明るいわ。流石ドワーフ製、これなら何とか進めそうだね。……メイ、ここから先は絶対、姿を消しちゃダメだよ?」
「承知している。さぁ、石の持つ効力が消えないうちに進め」
「いっぱい買っといたから大丈夫!これはわたしの命綱だから!!」
「「…………。」」
威勢よく歩き出したアズサの肩に乗り、洞窟の奥へと進んだ。
アズサが喋るのにも疲れた頃には、シャムロックの魔力の残滓も大分新しい物になっていた。
「チチッチュチュチュ」
「え、なに……」
「……ここで待つようにと言っている」
「へ?わ、わかった」
アズサの顔にも疲労の色が濃くなっている。アズサの肩から飛び立って、光の届いていない奥の方へと急いだ。
私は目もいいが、視覚に頼る光が無くても物の場所がわかる。左右にある鉱石の魔力を感じながら、低空飛行でシャムロックを探した。
愚か者が奥の闇に消えていくのを耳を澄ませて見送っていた梓だったが、しばらくしてぶつかるような音がしなかった事に安堵すると、側にあった石に腰をおろした。
洞窟の入り口を進んだ先は、洞窟の中でも大分開けた場所になっていた。その様相は鍾乳洞へと変化しているが、入り組んだ道も道先案内人がいるため、迷うこともなく進めていた。
問題なのは、アレが愚か過ぎる阿呆だということぐらいか。
「……ねぇ、メイはあの子の言葉がわかってたの?」
水筒を取り出し、喉を潤おしながら梓が訊ねて来たので、ついでに助言を加えておくことにした。
「鳥獣の感情は大抵理解できるが、あの愚か者は特に五月蠅い。先程も去るように言ってやったが、言うことを聞かん。愚か者だからな。早いうちに消した方がよかろう」
「そ、そっか。……ところでさ、今飛んでったあの子がちょっと透けて見えた気がしたんだけど、気のせい?」
「気のせいではない。だから今言っただろう、消せと。アレの本体が弱っているのだ。あの愚か者が自分で消えようとしない限りは、なかなか去らん。生き霊は厄介だからな」
「い、生き霊!?」
こちらの話を理解した梓が、顔色を青くして震えあがった。
なぜそんなことになったのかと聞かれたので、おおよその考えを述べる。
「あの愚か者はお前を追い縋る情念が強過ぎて、夢うつつの中でここへ来ているのだ。あれの本体は、まだどこぞで寝ている。思念だけでなく魂まで飛ばしてくるとは本当に愚かだな。ここ二日ほど惰眠を貪っておったし、そろそろ体力に限界が近づいているのだろう」
大人ならまだ持ったかも知れぬが、幼子の身体ではそうはいかないだろう。眠り続けるのにも体力がいるのだ。
話し終えると、しばらく口を噤んでいた梓が荷物の中をあさって小瓶を取り出した。中の物を手に握り込むと、熱心に呪いを唱え始める。
しばらくして洞窟の奥から鳥の羽ばたきの音と阿呆の声が届き、姿が見えた時には、愚か者の使役鳥は後ろが透けて見えるほどの存在感しかなくなっていた。
「ピ――イ、チチチピュルピュル――――!」
上機嫌で戻ってきた使役鳥に向かい、白い粉が振りかけられた。
「とっとと自分の身体に返れぇ――――!!」
梓によって勢いよく投げつけられたのは清めの塩。
「ピ、ピョロロオ―――!」
間抜けな声を残し、愚か者の思念は跡形も無く消え去った。
梓の唱えた呪いがよく効いたようだ。
「ぎゃああああ――っ!ほんとにきえた――っ!?」
……生き霊祓いをしようと思ってやっていたのではなかったのか。
お化けがどうのと叫び続ける梓に呆れていると、奥から人の気配がした。
「ふふぉ!?誰ぞおるのか!?」
叫んだ梓の声に応えたのは、ずっと梓が会いたがっていた老人。シャムロックだった。
シャムロックは叫んでいるのが梓だと気が付くまでに時間を要していたが、気付いた後は優しく背をさすって宥め続けている。
「アズサは嬢ちゃんじゃったか。よしよし、怖いもんでも見たんじゃろう?大丈夫じゃ、ほれ、そろそろ止めんと、他の悪いもんまで寄って…。いや、冗談じゃ、本気にするな。あぁ、泣くな泣くな。ワシが悪かったから……」
鍾乳洞の中でこだまする梓の泣き声に耳を押さえ、そっと息を吐く。
「……五月蠅い」
このあとしばらく、梓の涙は止まらなかった。
鍛人唄 ――かぬちうた――
吹子の風に 渦巻く息吹
燃ゆる寝床に 産声あげて
母御は小槌 あやして叩く
父は大鎚 鍛えて伸ばせ
寒いとなけば 風熾し
熱いとなけば 舟に浸け
熱し鍛えよ 熱りて粘れ
鈍し鍛えよ 鎮めて粘れ
赤火の滴に 交わりて
育て熟せや 同胞よ