純粋な思い
大地から湧き出てきた光の珠が、灰の積もった地面を離れる瞬間に羽を広げ虚空へと飛び立って行きます。
シヤの泉で見た精霊の姿は緑光をまとった光の珠でしたが、いまウカの周りに飛び交っている精霊は虹色の羽を持つ昆虫のような姿をしていました。
「これは、精霊……?」
まだ微かに降っている霧雨の中でも軽やかに飛びまわり、まるで蝶が鱗粉を落とすかのように焦土へ七色の光を振り撒く精霊たち。
溜め息がこぼれる程の美しい光景に目が離せません。
「精霊に頼んで地中に埋もれていた種を見つけ出しているのか……?すごいな。これならば黒山の実りが爆発的に増えたという件にも説明がつく」
感心したように声を上げたお兄様も驚きに目を瞠っています。
よく見れば大地から飛び上がった精霊たちは、小さな木の実や種、植物の根など、様々な物を抱えていました。
じっと精霊の動きを追っていると、一際大きな種を抱えた蝶が目の前を旋回し、場所を定めたかのように大地へと潜って行くのが見えます。
種を緑光で包み込んだ精霊が地中に吸い込まれて行くのを見守っていると、その場所からすぐに土を押し上げる新芽がぴょこりと顔を出しました。
そのまま天に向かって伸びあがった芽は、あっという間にギザギザの葉をつけた小さな若木へと生長して行きます。
「……これって、ティティルの木じゃないですかね?」
頭をかきながら、まじまじと目の前の若木を見ているのはナグでした。
護衛中はあまり声をかけて来るような事はないのですが、今は目の前の光景に驚いて素に戻っているようです。
「……ティティルですか。ティティルはファフニアの特産品ではなかったかしら?」
ティティルはファフニアから買い付けて来た商人が王都でも売っている、手のひら大の赤い果実です。甘酸っぱい味でその栄養の高さから人気があり、秋頃によく流通する果実だったと記憶しています。
じっと木の生長を見守っていると周囲からもにょきにょきと様々な葉の形をした木々が伸びあがり、あっという間に膝丈ぐらいまで大きくなって行きました。
「どうやらウカは、この山を果樹園にするつもりのようですな」
隣で笑って見ているバルドの様子から、ここに芽吹いている木が全て果樹なのだと察しました。
……この辺りの山では、香木や珍しい菌類の収穫物が採れるので有名なのですけれど、他国の果樹でも育つものなのかしら。
「どこから種を見つけ出して来たのだか……。あとで大掛かりな手入れが必要になりそうだな。まぁでも、元々生えていた木も芽を出していることだし、焦土のままより幾分かマシだろう。ティア、そろそろ止めてやらんと食い物に目がくらんで倒れるまで続けそうだぞ」
「はっ、ウカ!?待って、もうやめて!もう十分ですわ!ウカ!?」
いつのまにやら、一帯には膝丈よりも低い若木がそこかしこに生えていました。
雑草の類はほとんど見られないので緑が増えたとは言い切れない状態ですが、ここ以外の二つの山にも精霊が向かっていたので、きっと全ての山で同じようになっているのでしょう。
ウカは祈りの体勢をとったままピクリとも動きません。お兄様が敷いてくれた花の中に埋もれるようにして固まっています。
「ねぇ、ウカったら、もうおよしになって!」
「殿下、失礼いたします」
慌てるわたくしの横にバルドが跪き、ウカに向かって声を張り上げました。
「ウカ、ごちそうがなくなるぞ!」
「!?だ、だめぇ―――…」
バルドの声に勢いよく飛び上がり顔を上げたウカでしたが、すぐに力なく地面に沈んで行きました。どうやら、魔力を限界まで放出してしまったようです。
「……ご、ごちそう……」
気を失う最後の瞬間まで、食べ物の事を口にするこの執念。恐れ入ります。
倒れたウカがもぐもぐと口を動かして幸せそうに笑いながら寝入っているのに気がついてほっと息を吐き、笑いがこみ上げてきました。
「……もう、ウカったら。目が覚めたらお約束通り、美味しいものを食べて帰りましょうね」
わたくしがそう言って笑うと、バルドたちも苦笑を浮かべていました。
ウカの魔力は土の属性が強いようです。シヤの精霊との親和性が高く現れているウカとアロエの能力は、わたくし達では真似のできない領域にあるのだと実感させられました。
わたくしや本来の力を取り戻したお兄様であれば、似たような事が出来ると思います。でも、ここまで精霊が力を貸してくれることはないでしょう。
アズサから名付けの加護を授かった彼らは、今後この国を変えて行くことになりそうです。
ウカが気を失ってからも精霊の水による効果は続いていましたが、小さな芽は少しずつ生長がゆっくりとなり、やがて止まりました。
わたくしの足元ではお兄様が咲かせてくださった花が数を増やし、一面に花畑が広がっています。
役目を終えた精霊たちはシヤの泉へと還って行くようです。
七色の光の帯を引いた精霊の群れが、大空に魔力の残滓を残し羽ばたいて行きます。自然に発生していた虹の横に、七色に輝く美しい半円を描きながら。
その姿を見送ったあとで、お兄様から改めて今後のお話を伺うことになりました。
「ノックス宛てにグランニアの情報は送ってある。今からこちらへ進路を向けたとしても、あちらにいる魔獣程度では国境に張ってある結界は越えられないだろう。一応、国境付近には東軍騎士団を向かわせるよう手配はしておいた。もしグランニア王国が救援要請でもしてきたら、その時は吹っ掛けてやれ。あの国から来る犯罪者どもには迷惑をかけられ通しだからな」
お兄様は例え城にいらっしゃらなくても、全ての事を把握し、しっかりと政務をこなしているようです。わたくしが口を挟むような隙など、どこにもありません。
もっと頼りにしてもらえるよう精進しなければ、お兄様の重責を分けて貰えるようにはならないのでしょう。
今のところわたくしが役に立てているのは魔力を使うことだけ。それがお兄様の指示通りに描いた、まる写しの魔法陣だったとしても。
……お役には立てているのですから、今はこれで満足するべきなのでしょうね。
お兄様が息をするように魔法を行使されている姿を思い返し、感嘆の溜め息がこぼれます。わたくしは魔法の使い方を、もっと実用性重視で学ばねばならないようです。
今回は新入りの使用人見習いと一緒にアズサから学んだ話術で、なんとかウカをその気にさせることが出来ました。ですが、お兄様のお気遣いがなければウカもあれほど早く機嫌を治してはくれなかったかも知れません。
「承知致しました。お兄様、他には何かございますか?」
今回の反省を踏まえつつ、お兄様に最後の確認をしました。お兄様はきっとこの後も、アズサを追って行かれる事でしょう。
アズサにはお兄様のお世話や監視から離れ、ゆっくりする時間をもう少し過ごさせてあげたかったのですが、全ての事を完璧にこなしているお兄様をこれ以上足止めしておくことは難しいようです。
「……そうだな。ひとつティアに頼んでもいいだろうか」
「えぇ、なんでも仰ってくださいませ」
わたくしは先を急ぐお兄様に代わり、国庫を取り仕切る財務長官へ討伐で得た収穫物を届ける役目を任されました。何か所かに分けて置かれているとのことで、大まかな場所と数を記した書きつけをバルドから手渡されます。
「詳しい説明を……」
「大丈夫ですわ。お兄様が張った結界を探せば、問題なく辿りつけますもの。……バルド、お兄様が無茶をしないようお願い致しますわね」
バルドの申し出をやんわりと断り、幻獣の身体に触れて見分されているお兄様に視線を送りました。
国境を守る結界の張り直しは、お兄様の描いた魔法陣を使ってわたくしが修復することになっています。
お兄様は幻獣との戦いで魔力を大分消費されてしまったと仰っていましたが、見た目にはそれほどの変化はみられないようです。
本当ならばアズサの許へ一刻も早く駆けつけたいのだと心中を察し、少し罪悪感を覚えます。
ですが、アズサのところへ駆けつけたいお気持ちを堪え、しっかり責務を全うされるお兄様の姿は、小さなお体だとしても頼もしさに溢れています。
……これでこそ、わたくしの自慢のお兄様ですわね。記憶を失くされていた間の事は水に流してさしあげてもいいかしら。
「記憶を取り戻されてからのお兄様は、とてもお優しくなられておいでですわね。きっとアズサのお陰で心身ともにご成長されたのですわ。これならば、アズサの心労も軽くなることでしょう」
「……それは、どうでしょうね」
「え?」
囁いた言葉にバルドの否定が返りました。
バルドを見上げると、唇を引き結んで目を泳がせています。
「……まさか」
一瞬視線を鋭くして、幻獣の魔力を調べているお兄様にさりげなさを装い声をかけました。
「お兄様?」
「……あぁ」
魔力の見分に夢中になられているお兄様は、わたくしの声掛けに空返事です。何事かに熱中しているとこうなることが多いのですが、今はそれも好都合でしょう。
「アズサは今、何をしておりますの?」
「ん―――…?さっきまで男爵邸の庭を走ってたが……。あぁ、今は夫人達と茶を飲んでるな」
なんの躊躇もなくそう言い切ったお兄様に、戦慄を覚えます。
「お、お兄様。アズサの居場所が分かっていらっしゃったのですか!?それに、また使い魔を飛ばして覗き見をしていらっしゃるのですね……!」
わたくしの動揺を見ても、何のことだと言わんばかりに首を傾げているお兄様に空いた口が塞がらなくなりそうです。
「あぁ、報告してなかったか。ドワーフの里で目撃情報をもらってすぐに周辺を探して見つけたんだ。以前、ティアが送り届けたサイファ・オルゴン夫人の実家に滞在している。茶飲み話をしたり、集まった夫人の子どもらと遊んでいるから、今のところ心配はない。男爵邸の使用人たちが部屋を用意しているから、今日はあそこから動かないと見た。急がずとも夜の間には追い付くだろ。そうか、ティアに転送してもらえればもっと早く…」
皆まで言わせず、お兄様を睨みあげます。
「やはり、性懲りも反省もなく、まだアズサを監視されていらっしゃるのですわね!」
お兄様の横で溜め息を吐き、やれやれと頭を振っているのはバルドです。
確信はなくとも、バルドはお兄様のご様子からこの行動を察していたようです。
……これだから、この二人は!
実は、アズサの居場所はわたくしも存じていました。
お兄様がご政務をこなしている間に、アズサからの書簡がわたくしとアニヤ宛てに届いていたのです。昨日届いた書簡には、アズサが男爵邸に到着した旨が書かれてありました。そこにはオルゴン夫人からの丁寧な礼状も入っていて、アズサの旅に必要な援助を申し出る内容も記されてあったのです。
わたくしはお兄様にこの事を黙っていました。
旅先で、アズサが気分転換をしながらゆっくりと過ごせているのならば、少しの間ぐらいはこちらのことを考えずにいられる時間を確保してあげたかったのです。
他人の痛みを自分のことのように感じてしまう、優し過ぎるアズサのために。
……このままでは、また同じことの繰り返しですわ。すべてお兄様がいけないのです。落ち込んでいるアズサを追い込んだのは、他ならぬお兄様なのですもの!!
先程まで虹のかかる晴天を見せていた空に、暗雲が立ち込め始めた。
見る間に寄り集まった雲は、やがて積乱雲となりゴロゴロと不穏な音を立てている。薄暗くなった周囲の様子に慄きながら、ティアの機嫌を探った。
……なぜ、いきなり機嫌が悪くなったんだ。
アズサの安否を聞かれて応えたあたりから雲行きが怪しくなったように思う。(比喩ではない)
……アズサが安全だということがわかって怒るはずがない。だとすれば、ティアに頼んだ件が原因か?
あちこちに置いて来た収獲物は、あとで転送の魔法陣で送ろうと思っていたが、ティアが引き受けてくれたから任せることにしたはずだ。
……無理強いはしていないしな。
顎に手を当て考えこんでいると、眩しい程の笑みを浮かべた妹がバルドの腕を掴んでこちらへやってきた。なんだか嫌な予感がする。
「お兄様?わたくしは体調を崩されて床に就かれているティルグニア王の名代として、王権の行使を許されておりますわね」
それは私が朝議に出ない言い訳として代理を担うノックスがよく使う言い訳だ。今回名代になっているのはティアだが。
「……そうだな。いきなりどうした」
「アズサは今、休暇中ですの」
「…………?」
「休・暇・中ですのよ!!」
凄みを増した妹の迫力に圧される。ティアの背後で稲光がたち、その光を受けた暗雲があちこちでくぐもった音と光を拡散させていた。
休暇中を連呼するティアと空模様を困惑しながら見上げていると、表情を消した妹から重々しい声を投げかけられた。
「バルド、及びその庇護下にある騎士見習い、二ーアへ命じます!」
「!?」
さらっと、妹が知るはずもない大昔の呼び名を持ちだされて驚いたが、問題はその後だった。
「今すぐにグランニアへ赴き、ベルニアから侵入した魔獣を掃討すること。グランニア王国へは無償での協力を申し出ることとします。待機させている東軍騎士団の派遣は、正規の手続きを踏みますのであしからず」
「……は?何を言っているんだ。余所にかまっている暇などない!お前は、アズサを一人にして心配ではないのか!?」
反論すると、半眼になったティアがこちらに視線を向け、うすら寒い笑みを浮かべた。
「まぁ、何を心配すると仰るのです?アズサの事はお兄様がいつも見守っていらっしゃるではありませんか。アズサに何かあれば、お兄様がじっとしているはずがございませんものねぇ……!バルド、これ以上アズサに負担をかけないようお兄様をしっかり監視なさい!」
「はっ!」
「バルド!なにを勝手に返事して……!あっ…」
……バルドに文句を言おうとした途端、風に包まれ視界に映る景色が変わっていた。
剣戟が飛び交う森の中、泥と血にまみれた騎士達が巨大な火蜥蜴を前にして混乱状態に陥っている。
怒声を上げ、戦闘を繰り広げている騎士の前では、首周りの襞を振わせ不快な音を立てる火蜥蜴が後ろ足で立っていた。
……だが、その獣には傷一つついていない。
「総員、引けぇぇぇぇっ!奴は精神魔法を使う!無闇に突っ込むな!一度下がって立て直せ!」
枯れた巨木が立ち並ぶ森の中。
馬上で鉾を振り上げながら叫ぶ騎士が身につけているローブは、深緑から若草の色味をしたものだった。馬上の騎士は必死になって声を張り上げているが、その命令に従う者はいない。
魔力の少ない者は魔法に対する耐性も低くなる。
あの火蜥蜴の放つ音には混乱か幻惑の作用があるらしい。鍛えられている筈の騎士が翻弄されているのは、穢れによる狂化で精神攻撃に弱くなっているためか。
騎士たちは剣を打ち合い、必死になって戦っている。――――互いに同胞を相手にして。
巨木の間から見える前方の崖の上からは、大きな滝から落ちる膨大な量の水が飛沫をあげていた。
見ずともわかる、その更に上に佇んでいるのは蔦の絡む青竜城。
湖上の都、王都グランだ。
「ティアの奴、勝手な真似を!」
足元の土を踏みにじって憤慨していると、空気を読まない男が愉しげな声を上げた。
「おお、グランニアへ来るのも久方の事。懐かしいですな!それに、火蜥蜴とはまた……面白い」
ニヤリと口角を上げたバルドに即、突っ込みを入れる。
「面白くない!!やりたいのなら、お前だけ残れ!私はすぐに帰るぞ!」
「宜しいのですか?王女殿下のあのご様子ですと、逆らうのは得策ではないと思われますよ。それに、魔石の補充も必要でしょう。先程、火属性の石は使い果たしていたはずです」
「………………。」
無言の私に、意を得たりと口角を上げたバルドは更に余計な口出しをしてきた。
「あの魔獣は良質の石を抱え込んでいそうですね。お気づきになりませんか?火蜥蜴の首周りにある襞。あれはたしか、昔宮廷魔術師たちが効果を上手く判定できずに涙を呑んだ因縁の素材では?」
……なぜ、今ここでそんな話を蒸し返す。
確かにあの素材には失敗し過ぎて現物がなくなり、それ以上研究が続かなかった苦い思い出がある。そもそも、半分焼けていて使い物にならない部分が多過ぎたのが原因だ。
それまでニヤニヤ笑いをしていたバルドが表情を改めて、今度は嫌味を言いだした。
「困っている者を見捨てて貴方様が自分の許へ来たと知ったら、アズサ殿はどんな反応をするでしょうね」
「うるさい!」
……そんなこと、お前に言われずともわかってる!
同志討ちをさせて獲物が弱るのを、ギョロリと動く黄ばんだ目で見計らっている魔獣の姿が癇に障った。忌々しい火蜥蜴を睨みながらしぶしぶ宣言する。
「くそっ、……一日で片付けるからな」
「まぁ、なんとかなるでしょう。東軍の仕事は素材の回収ですな」
薄い笑みを浮かべたバルドは、シャムロックの鍛え上げた黒ミスリルの剣に手をかけた。
バルドが地面を蹴り上げる靴音と同時、火蜥蜴の頭上に向けて氷の魔法陣を展開していく。
……こうなったら、その首の襞ごとぜんぶ氷漬けにして持って帰ってやる!!
――魔力の自然回復が見込めないグランニア王国での討伐作業は、想定以上の困難を極めた。八つ当たり気味に最初から大掛かりな魔法を使ったのが悪かったのか。
ベルニアから流れて来た魔獣とグランニアで凶暴化し過ぎて手を焼いていた魔獣を討伐し終えた頃には、余剰魔力が底をついていた。
「無闇に転移を繰り返すからです。少し時間はかかっても馬を使っての移動で十分な場面もあったのに」
呆れたような声を出すバルドの全身はわたしと同じくボロボロだ。体力的に劣る私の方は、もう目を開けているのもつらい。
「……うるさい。もう、寝る」
お前がいなければ、一人分の消費で済んだんだ。とは言わなかった。
わかっている、バルドを連れていかなければ討伐にもっと時間がかかったはずだ。だからと言って、宣言通り一日と少しで討伐を終えられたのを感謝するなんてことはしない。
すっかり陽の落ちた外の景色から視線をはずし、正面に座る説教くさい男に目を向けた。
昔はまだこいつにも可愛げがあった。
出会ったばかりの頃は毎日勝負を仕掛けて来るのが煩わしくて、転移であちこちに飛ばしたりしていたが、戻ってくるとまた同じことを繰り返していた。
……こいつは頭の悪い子どもだったからな。
それが落ち着いた後は、ずっと後を着いて来るのが煩わしくて、こっそり魔獣狩りをしに行った先で置いて帰って来ることが増えた。それでも、何日かすればまた戻ってきて性懲りもなく後を着いてまわるのだ。
何をされてもくじけない、こいつの根性だけは昔から変わっていない。
討伐中は嬉々として私を急かしながら戦っていたバルドも、今はこちらを心配そうに見ている。その情けない顔が、チビだった頃のバルドを思い出させた。
ボロボロになった姿でひょっこり戻っては、こちらの機嫌を伺って変な顔で笑っている小さな姿が重なる。
子どもの頃に引きずられそうになる思考を、頭を振って追い払い、座席の上で横になった。
「お疲れさまでした。ゆっくりとお休みください」
バルドが差し出して来たボロボロのローブに包まると、意識を保っているのにも限界が訪れ瞼が勝手に閉じてきた。
国境を越えたあたりで運良く移動していた東軍の馬車を一台手に入れられた。いまは目的地に向けてティルグニア東部を移動している最中だ。
目指すはシャムロック爺のいる中央領の洞窟、通称竜の塒。
アズサとの現地合流を図って進む竜の領地付近では、磁場が狂いやすく転移魔法が上手く作動しない。更にその先の鉱脈に潜ることになれば、自分達の足で進むしか方法がなくなる。
少しでも眠り、体力を回復させておく必要があった。
意識を手放す寸前にアズサの姿を見ておこう、としたところまでは覚えていたのだが……。
お茶会から始まった女子会はやがて酒盛りに変わり、そのまま夜通し行われた宴会も朝方になってやっとお開きとなった。
昼を過ぎても起きて来ないママたちは放っておくことにして、子ども達と遊びまわっているうちに時間を忘れていた。メイに愚か者と言われても何も言い返せない。
結局、男爵家で二泊目のお世話になっているのだから。
恐縮しながら今日も同じ部屋を借りて泊まらせてもらっているけど、夜半を過ぎても眠気がやって来ない。
諦めてベッドから起きあがりカーテンを開けると、テラスにはほんのり灯る常夜燈が設置してあった。二枚扉になっているガラス窓をそっと開けて外に出ると、テラスの端に黒いかたまりが落ちているのを発見する。
そっと近づいてよく見てみると、それは黒い羽毛がボサボサになったヒヨコもどきだった。
「…………。」
常夜燈の灯りで照らされた黒い羽毛は、かすかに青く透けているようにも見える。
「…………。」
ちょっと近づいて突いてみたが反応はない。
わたしには、こんなにボサボサで今にも死んでしまいそうな黒いヒヨコに、見覚えなどない。
「…………。」
見覚えはないはずなのだが、このまま放置するにはボロボロのヒヨコ姿が憐れ過ぎて、しょっぱい気持ちになった。
じっと観察してみたが、やはり黒いヒヨコが動く気配はない。
風にそよぐ羽毛が淋しく揺れているだけだ。
今は目を閉じているヒヨコだけど、目を開けたらきっと、想像通りの色をしている確信があった。
「…………なんて姑息な」
正面から来ないで、憐れなモフモフを演出してくるとは。
「よし、…………寝よう」
巣穴から落ちたのではないかと思しきボロボロの黒い羽毛をすくい上げ、くっついている落ち葉と埃を払った。
そのまま部屋の中に連れて戻り、ランプの小さな明かりで照らされているふかふかベッドへ潜りこむ。
ふと、不安になって臭いを嗅いでみた。
……獣臭なし。
よかった。いつもの調子で寝台に入れてしまったが、とりあえず汚くはなさそうだ。
ヒヨコからは、今ではよく知っている嗅ぎ慣れた匂いがした。
温かい体温が手の平に伝わってきてほっとする。
……使い魔って、分身みたいなものなのかな?
赤ん坊になったときに見かけた鳥はカワセミっぽかったけど、あの時もヨレヨレしていた。その時の健康状態や精神状態でフォルムが変わって来るものなのか。
またひとつ、ぼっちゃまの生態についての知識が増えた。
「……何か言いたいことがいっぱいあったはずなのになぁ」
小さな呟きに返事はない。
メイは起きているのかもしれないけど、今はそっとしておいてくれているようだ。……きっと色々と言いたい事はあるのだろうけれど。
手の中に伝わってくるほわりとした温もりと黒に近い群青の羽毛は、まだ目つきの悪い赤ちゃんだった頃の記憶を呼び起こした。
落ち込みそうになる気持ちに蓋をして、ついでに思い出した不満を言っておくことにする。
「…………来るのがおそい」
あれだけ毎日、あじゅあじゅ言ってたくせに……。
少し拗ねたような声が出て、何とも言えない微妙な気分になった。
「……仕方あるまい、あれだけ一緒にいたらちょっとぐらい情もわく。にんげんだもの」
照れてしまったのをごまかしながら独り言を呟いて、ボサボサの羽毛を丁寧に撫でて整えていく。
明らかに弱そうなヒヨコだけど、使い魔を出せてるということは、少しは魔力が増えたのか。
「……セッカの泉で拝んどいた甲斐があったかな?」
ドワーフの里にある聖域は、セッカの泉という素晴らしい場所だった。
また訪れた際にはぜひ、ティア王女と満喫したい。自分の故郷だと思っていつでも帰って来いとお墨付きをもらったことだし。
……セッカの精霊は魔力に関する御利益が高いって聞いたけど、願掛けしといて正解だったな。
ずっと心配していたのに、すぐに後を追いかけて来なかったという事に対するモヤモヤも、大分魔力が回復していそうだという嬉しさに上書きされていた。
トコトコと手の平に伝わってくる、早いけれど一定のリズムを刻む鼓動が心地よく感じられる。
ぐっすり眠っているヒヨコにつられて、瞼が重たくなってきた。
「おやすみなさい」
呼吸に合わせて動く柔らかなヒヨコに触れながら、わたしは幾日かぶりの深い眠りへと落ちていた。