表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
4/57

施設の現状


「どういうことか聞かせて貰おうじゃないか、バルド!」


 人払いを済ませたアニヤが、応接間のドアが閉まったのを確認して息子を睨みつけた。

 凄みの効いた低い声で問い詰められたバルドだが、彼の厳つい表情にはあまり変化が見られず、動じていないような態度がまたアニヤの怒りに一役買っているような気がする。


「母上、落ち着いてください。説明致しますから、どうかお座りになってください」


「あたしを怒らせるんじゃないよ!この鼻たれが!!今ですら、人手不足できちんとした運営が出来ているとは言い難いのに、どうしたらこれ以上の人数を受け入れられるっていうんだい?ステイシア様もシェーラ様も善意でこちらへ通ってくださっているからこそ何とか凌げているが、いつまでも甘えてはいられないだろ!?このままじゃ、ここは子ども達を閉じ込めておくためだけの牢屋じゃないか!受け入れ人数を増やしたいという目的があるのなら、ちゃんと先を見据えて環境を整えた上で根回しをしろって、子どもの頃からあれほど教えてやったのに。図体ばかりでかくなって、あんたの頭の中はお花畑かい!あたしは情けないよ!!」


 たまりにたまった鬱憤を吐き出すようにアニヤが声を荒げると、バルドは強面な顔にほんの少し困ったような表情を浮かべつつ真摯に母親の叱責を受けていた。


「母上方に大きな負担を強いていること、大変申し訳なく思っております。またそのご尽力に宮廷官吏一同、深く感謝しているのです。今回の急な要請で母上のご負担が増すことに陛下もお心を痛めていらっしゃいました。ですが、どうか聞いていただきたい」


 王様の名前が出たことで彼女に少し冷静さが戻ったらしい。アニヤは長椅子に腰かけ腕を組み、視線で息子に話の先を促した。

 わたしも手前の一人掛け椅子にそっと座ると、バルドは母の対面に腰かけ、説明を始めた。


 どうやら、彼女はこの施設に新しい子どもを受け入れて欲しいというお願いをされているらしい。さっき、お昼寝部屋で聞いたこの施設の現状を考えると、今以上の受け入れは確かに厳しいと思う。


 この施設は半獣の置かれた立場を憂えた王女が、兄王に進言して半獣とその保護者の救済のために創られたものだという。


 ”この国で生まれた者は等しく王国民である”と王の意思を国民に知らせることで王の庇護下にあることを明示し、非人道的な行いをする者に牽制を掛けつつ、保護者の意識改革を狙ったそうだ。

 要は産まれたのが人間の子どもでも半獣の子どもでも構わないよ。と伝えたかったらしいけど、現実はそう甘くなかったようで。


 権力者が半獣の産まれた家庭を吊るし上げ、私刑に走る者が多数でたそうだ。もともと、我が子とはいえ、半獣を恐れ受け入れられていなかった親達の心は王の政策によって軟化するのではなく、堅く閉ざされてしまったようである。


 それを受け、半獣達の身の安全を確保することが決まった。

 生まれてから成人となる15歳までの間、虐げられた者、生活に困窮する者、奴隷商に売られた者、獣化が激しく人間社会では生き(にく)い者を保護するというお触れを出して、子ども達やその親に救いの手を差し伸べようとしたのだ。


 それに対応し取り締まるべく、宮廷騎士団がこの施設の総括管理者となった。

 各領地にて保護施設建設のため多くの人材が地方に派遣され取られていった結果、本来なら真っ先に見本となるべき王都が手薄となった。


 その穴を埋めるべく白羽の矢を()()()のが、アニヤだったという。彼女は長年王家に仕えて乳母を務めていたが、現役を引退してからは自宅で隠居していた。だがこの現状を知り、半分放置状態の赤ちゃん達を半ば強引に引き取ったそうだ。


 人材に余裕も無く、王都の施設計画が頓挫(とんざ)する中、子どもだけは集まって来る。そのため、取り敢えずの緊急措置として病弱な王女が静養に使っていたこの屋敷が提供されることになった。


 王女殿下の許しを得て使用人を増やし対応しようとしたが、半獣の子どもに対する忌避感から人手は集まらず、元から仕える屋敷の家人も少数で切り盛りしていたため、子ども達をみてもらうだけの余裕もない。


 アニヤの伝手(つて)でやっと見つけたご婦人2人も乳児組を面倒みるだけで手一杯の現状、大きな子達には最低限の衣食住を与えるだけで、集められた子ども達に下の子の世話を任せっきりになっているという話をさっき聞いたばかり。


 そして彼女は、それを良しとしていなかった。


「この度、国境において東国から西国に渡る商人の荷車の中に、半獣の子どもが詰められておりました。食事や水も与えられず、国境警備兵が荷を解いた時には半数以上が死んでいたそうです。我が国では人身売買を法律で禁じていますゆえ、犯罪者の積荷を没収するという形で生き残った者を保護いたしました。しかし、弱り過ぎていて近隣の保護施設では受け入れられないとの判断がされ、ここまで運ばれることとなったのです」


 わたしへの説明も兼ねて話を進めてくれているのだろう。バルドに感謝しつつ、わたしの内心ではアニヤの話を聞いて憤った気持ちが再燃していた。


「ただでさえ弱っている子どもを、荷馬車に乗せて国境からここまで運んだのかい!?馬鹿なことを……!」


「母上……」


 バルドの話を聞き、アニヤは焦ったように席を立った。そのまま飛び出すようにして、部屋の外に出て行く。わたしも。アニヤの言葉を聞いて居ても立ってもいられなくなり、急いで彼女の背中を追いかける。


 ……あの荷馬車の荷台に掛けられた布の下に、子どもがいたなんて!


 彼女はあの下に子どもがいることには気付いていたようだが、まさかそこまで弱った状態だとは思っていなかったのだろう。


 アニヤは正面玄関ではなく、屋敷の裏手に出る通路を通って庭に出た。

 先程、使用人用のシャワー室だと紹介された辺りに荷馬車が止められている。それを囲むように立つ子どもの達の人だかりが見えた。馬車の荷台からは布が取り払われ、地面に敷かれている。

 アニヤは子ども達を掻き分け、地面に敷かれた布の上に膝をついた。


 どうやら布の上に子ども達が乗せられているようだ。

 近づくにつれて、野犬のような臭いが強くなった。それに加えて、嗅いだ事のない異様な臭いが漂ってくる。


 彼女が膝をついている場所に駆け寄って見れば、そこには7・8歳ほどの子どもが3人仰向けで横たえられていた。

 虚ろな瞳は虚空に向けられ、微かに上下する胸が子ども達の生存を教えてくれる。


 顔や体は黒ずみ、放置されて伸び放題の髪はべっとりとかたまり、異臭を放っていた。

 手足や頭、身体中至るところに包帯が巻かれているが、その下には酷い傷があるのだろう。酸化したどす黒い血と、未だに出血の止まっていないことを示す赤い血。滲みだした黄色い体液と血液の混ざりあった染みが包帯に(にじ)んでいる。


 アニヤは一人ひとりの身体の状態を視診して包帯を取り除いていった。衣服を脱がせて傷口の顕わになった子ども達の身体には、無数の痣や深い傷が見える。

 ボクサーのように腫れあがった目をしている子、長く伸びる蚯蚓腫(みみずば)れと裂傷が体中に刻まれている子。長い間縄で縛られていたのか、手足に刻まれた深い傷と筋肉の全く付いていない棒のような足。多分この子は立つことも出来ないのではないかと思う。


 どの子にも生気がなく、今にも呼吸を止めそうな様子だった。骨の浮き出たやせ細った身体に、腹部だけが異様に膨れ上がった姿は栄養失調の子のそれだ。


 足の上に乗せていた自分の手の甲に、ぽたりと滴が落ちた。

 いつの間にか涙が頬を伝っていた。わたしは何もできずにただ、アニヤの動きを目で追っていた。


「――そのまま、死なせてあげればいいのに」


 背後から淡々とした呟きが聞こえてくる。見上げてみれば、先程洗濯場で見た赤毛の女の子が冷たい眼差しで横たわる子どもを見下ろしていた。


「死なせないよ。あたしのところへ来た子は、死にたくたって絶対に死なせない。そう言っただろ」


 振り向きもせず、アニヤがそう答えた。

 何度も繰り返したやり取りなのだろうか、女の子はそれ以上を口にはしなかった。ただ、冷めた目で3人の子どもを見つめている。


 アニヤは、意識が混濁し虚ろな目をした子どもの傷をすべて顕わにすると、胸元からネックレスを取り出した。ペンダントトップには大きな黄緑色の石が輝いている。

 その石を両手で包みこみ、額を押しつけ祈る様に目を閉じた。


「水と大地の精霊よ傷ついた幼子に癒しのご加護を授け給え、願わくば目に見えぬ傷を負った心の癒しとともに―――…」


 アニヤがそう祈りを捧げていると、周りに立つ子ども達から歓声の声が上がる。その視線を追って横たわる子ども達に目を向ければ、小さな傷が徐々に消えて行くのが見えた。


 驚きに目を見張り、じっとその光景を見つめていると、腫れあがっていた両瞼は少しずつ腫れが退いて行く。出血が止まり、酷かった傷口も徐々に閉じて行くのがわかった。


 わたしはその光景への衝撃よりも、子ども達の顔に少しずつ生気が戻っていく喜びの方が勝って、堪え切れなくなった涙と嗚咽を両手でおさえた。


 その間ずっと祈りのポーズをとっていたアニヤが顔を上げた時、彼女は目に見えて憔悴しており、顔面が蒼白になっていた。


「母上!力を使い過ぎです!!」


 アニヤは両手に包みこんでいたペンダントを服の中に戻す仕草さえ億劫そうにしている。額に浮き出た脂汗を拭う彼女の手は、微かに震えていた。


「……うるさいね、あたしに任せたらこうなるって分かっていて連れて来たんだろ。静かにおしよ、みっともない」


 気丈にふるまっているが、今にも倒れそうなのがわかる。わたしは急いで涙をぬぐい、彼女に駆けよった。


「アニヤさん、無理せず休んでください。赤ん坊の面倒をみるために夜も子どもの傍で過ごしているんですから、少しでも休養をとらないと倒れてしまいますよ!」


 わたしの声を聞いて驚いたようにこちらを振り返ったバルドは、すぐに言われたことを理解したのか母に詰め寄るとその肩を支えた。


「母上、申し訳ありません。自分達がふがいないばかりに……!すぐに休んでください。後は私にお任せくだされば…」


「バカ息子になんか任せられるかい!……赤毛の姉さん、後を頼んでもいいかい?」


「わかった」


「あの、わたしもお手伝いします。ですからアニヤさんは休んでください!」


 母に一喝されたバルドは落ち込んでいるようだが、この状態の子ども達を荷馬車でここへ連れてくるような人に、弱った子どもの介抱が出来るとは思えない。アニヤの判断は間違っていないと思う。


「あぁ、それは心強いね。あんた達に任せておけば大丈夫そうだ。宜しく頼むよ」


 彼女が休む姿勢を見せたことで、ほっと胸をなでおろしたバルドは、すごい勢いで母を横抱きにして屋敷の中へ運んで行った。『このバカ息子!おろしなさい!!』と叫ぶ彼女の表情は見えないが、本気で怒っているような声ではなかった。


 その背を見送る子ども達から視線を落とし、横たわる3人の子どもに目を向ける。傷口からの出血はなくなり、目を閉じて眠る表情は穏やかなものへと変わっていた。


「赤チビ、あんたは水を汲んで来て。青と緑は調理場で沸かしたお湯をもらってきてちょうだい、ぬるくて構わないからあるぶんだけ急いでもらってきて。そのあとでまた沢山お湯を沸かしてもらうようにして。あと剃刀(かみそり)もおねがい」


 赤毛の女の子の指示で次々と子ども達が動き出す。使用人の男の人は馬車を戻しに行った。わたしも何か手伝おうとあわてて声をかける。


「この子達をきれいにするんだよね?まずはこびり付いた血を落とそうか。身体が冷え過ぎないようにタオルの他に毛布もあるといいな」


 胡散臭そうなものを見るように目を細めた赤毛の子だったが、すぐに側にいた男の子に呼びかけて用意を頼んでくれた。


 わたしはチビちゃん達が運んできてくれた温い水に、あまり汚れていなかった包帯を浸して、手前に眠っている一番出血の酷かった子の身体をそっと拭っていく。


 小さな傷痕はもうどこにあったのかも分からないほどだ。

 深く大きな傷痕はカサブタをはがした後のような薄皮がピンク色の肉を覆っている。えぐれたような場所や肉が盛り上がった場所があったが、生々しい傷が短時間でここまで回復していることに、感謝した。


「……良かったね、治してもらえて。ほんとに良かった」


 身体にこびり付いた血と長年放置されていた(あか)を拭うと、白かった包帯は見る間に黒ずんでいく。赤毛の女の子とそれより少し年下と思われる子達もみんなで汚れを拭き、届いたお湯と麻布で髪の毛や身体を丁寧に拭っていった。


「あんまり力をいれないで、身体の垢を無理に落とそうとすると皮が剥けるから気をつけて。頭は念入りに洗うからあたいがやる」


 そう言って彼女は、眠っている子の頭を横にして剃刀(かみそり)で髪の毛を漉き始めた。べっとりとした髪だが器用にザリザリと切り落とし、あっという間に3人の頭が短髪になる。


 桶に張られたお湯の中に、意識のない子どもの頭を浸けていく。耳に水が入らないよう慎重に、丁寧にお湯をかけて撫でていた。

 頭のあたりからは一番きつい臭いが漂っているが、彼女は気にした様子もなく黙々と一人ひとり丁寧に洗っている。


「わたしも代わるよ。腕が疲れたでしょ、少し休んで」


 赤毛の子にそう声をかけると、一瞬じっとこちらを見て、黙って場所を譲ってくれた。


 その後は、何度も何度もお湯を替えて、お湯に汚れが見えなくなるまで続けた。その頃にはあたりはすっかり夕暮れに変わり、かなり冷え込んできていた。







「そろそろ終わりにするわよ。あんた達の分も沸かして貰ったからお湯を浴びてらっしゃい。濡れた身体がすっかり冷えてるじゃない」


 赤毛の子が小さな子を追いたたててシャワー室へ送ると、あたりがしんと静まり返った。溜め息を吐く音が聞こえ、立ちつくしていたわたしのもとへ彼女がやってくる。


「ほら、もう涙は止まったんでしょ。あんたも一緒に行くわよ」


 目の前で横たわっていた子達はもうここにはいない。先程男手によって毛布に包まれ屋敷の中へ運ばれて行ったから。


 ずっと、泣きながら傷ついた子どもを洗っていたわたしを、他の子達が心配そうに見ているのはわかっていた。……だけど、涙は止まらなかった。


 傷ついた子どもを目の前にして、何もしてあげられない自分の無力さを悔しく思う。

 自分よりよほど泣きたいだろう子ども達を前にして、泣き続ける自分を恥ずかしく思った。

 だけど、一生懸命になってお世話している子ども達より大人であるはずのわたしは、嗚咽を堪えるのだけで精いっぱいだった。


 今はもう乾いた涙の跡を、涼しさの増した風がなでていく。


「ごめんね、何も出来なくて」


 わたしの中で()()()()()()()という言葉がなぜだか心に重くのしかかっている。ぽつりと呟いた声は掠れていたが、彼女の耳には届いたようだ。


「はぁ?何いってんのあんた。……わけわかんない」


 半ば強引に腕を引かれて連れて行かれた先はシャワー室だった。

 血と汗で汚れた身体を温かいお湯で洗い流し、身体が温まってくると、重たく沈んでいた気持ちが少しだけ軽くなっていた。


 汚れた服は脱ぎ、用意されていた服に着替える。男の子用だと言われたが、動きやすい服を貸してもらうことにした。


「……男だと思ってたわ」


「よく言われる」


 疲れていたがバルドが帰ってしまう前に話をしたくて、待っていてもらえるよう頼んでいた。うす暗くなった廊下をランプを持った赤毛の女の子に付き添ってもらい応接室へと向かう。

 その途中、自己紹介もしていなかったのに気がつき名前を聞いてみた。


「わたし、アズサっていうの。あなたの名前は?」


「…………。」


 彼女は足を止めて唇を引き結び、目を細めてこちらを警戒するように見た。


「どうしたの?」


 不思議に思って声をかけるが、こちらの反応を見るように押し黙った彼女は返事をしない。首を傾げて、しばらくじっと見つめ合っていると溜め息が聞こえた。


「あんたって、常識知らずなのね。……あたいには名前なんてないよ。半獣は名付けの儀式が受けられないからね」


「……名前がないの?それも半獣への差別なの?」


「差別ってあんた、本人に向かって」


「……ごめん」


 今度こそ本当に呆れたという顔でわたしを見る目は、残念なものを見る目になっている。彼女は子どもに噛み砕いて話すように教えてくれた。


 この世界では名付けは神聖な儀式だそうだ。

 本来ならば生まれてすぐに親や保護者によって仮名(かりな)を受け、善き日に精霊の力を借りて本名とする名付けの儀式が行われてきた。

 だが、精霊の力が失われつつあるこの地では強力な魔力を持つ者でなければ、名付けの儀式を行うことが出来ない。そのため、相応の対価を用意できる者のみが名を受けられるということだった。


 ()()()()が、わたしが生まれた育った場所とは違う世界なのだと、もう疑う気持ちはなかった。


 わたしにはアニヤが何をしたのか分からない。


 ただ彼女が祈っていただけのように見えた。けれど、彼女が祈ったあとで、子ども達の傷は見る間に回復していったのだ。


 今にも死んでしまいそうな子ども達の血が止まり、傷が塞がり、不規則で弱々しかった呼吸が整って、顔にほんの少しだけ朱がさした時、……わたしは自分が救われたような気がしていた。

 そして、この現象が”魔法”なのだとすんなり受け止められたのだ。


 わたしが泣くだけだったあの状況で、幼い命を救ったのは確かに彼女だった。アニヤが魔法を使えたおかげで、あの子達は救われたのだ。


 人と獣が混ざった半獣と呼ばれる子ども達。今にも消えそうだった命を救った魔法。ここは、わたしの知る世界とは異なる常識のある、異世界だ。


 なぜ、自分がこんなところに居るのかわからない。わからないけれど、もう少しこの世界のことを知りたいと思いはじめている自分がいた。

 ここに暮らす、アニヤや子ども達の事を。


「儀式をしなければ名前をつけてはいけないの?名前が無かったら辛いし不便じゃない」


 赤毛の女の子は思ってもみなかった事を言われた、という顔をして目を瞬かせた。髪の毛と同じ色をしたまつ毛がパタパタと動き、灰色の瞳はあちこちをさまよっている。


「初めて言われた、そんなこと。たしかに、不便ではあるわね」


 我慢できなかったようにくすくす笑う彼女の笑顔がとても可愛らしい。大人びた目をした彼女が初めて見せた子どもの顔だ。


「みんなも名前がないなら、あとで一緒に考えようよ。バルドさんと話した後、子ども達の部屋に行ってもいい?」


「みんなにも言ってみるけど、どうなるかわかんないわよ」


 目的の扉の前に着くと、彼女は『じゃあね』とランプを掲げて行ってしまった。

 応接室の両脇には、昼間にはなかった照明器具が掛けられている。ガラスのランプのようだが、火も電球も使われている様子はなく、ただ明るく光を放っていた。


 一度、呼吸を整えてからノックをする。

小鳥の彫り込まれた重厚な二枚扉がゆっくりと押し開かれてきたので、慌てて三歩ほど下がった。『どうぞお入りください』と声がかかり、わたしは握る手に力を込めて明るい室内へと足を踏み入れていった。


















評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ