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梓弓  作者: 長月 夜半
第二章 朧月
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不穏な動き


 先程、炎舞象に水を掛けようとした奴らをどうしようもない愚か者だな、と思って見ていたのだが、今はその考えを改めている。

 あの水が撒かれたおかげで煙と埃が少しはマシになったからだ。


 ……あの女冒険者の投じた水がそのまま炎舞象(こいつ)にかかっていたら、自分たちが熱傷を負っていたのだから、愚かなことに変わりはないんだけどな。


「初めて目にする魔獣です。これをどうなさるおつもりですか?」


「うん?」


 鎮静化した巨大な生き物を前にして、少し気を抜いていたところにバルドから声を掛けられた。

 魔法陣の効果が切れたのを見計らって獲物の値踏みをしていたが、もう戻ってきていたようだ。バルドに期待の籠った目を向けられ、首をひねる。

 すっかり大人しくなっている獣には、もうこちらに対する敵意は感じられない。


 多分この生き物は、昔じい様達が熱心に文献を読んで研究していた炎舞象だろう。まぁ、幻獣だろうが竜の眷族だろうが、こいつが魔石を持つ獣であるということは確かだ。


「ン――――、潰すか……」


 古代から生息していると思しき獣から採れる魔石なんて、滅多にお目にかかれるものではない。そう考えた私の言葉は、憤慨したようなティアの声で否定された。


「お兄様、なんて事を仰いますの!幻獣は聖なる生き物、精霊と並んで敬われる存在ですのよ。このようにいたいけなものに危害を加えるなんて、可哀相だとは思われませんの?」


 バルドとの会話に乱入して来たティアは、宮廷へ登城したドレス姿のまま動きまわってくれていたようだ。

 濃紺の刺繍が入った光沢のあるドレスをたくしあげて歩く姿は、淑女としては少し残念な感じになっている。その豪快さは、生前の母上を彷彿とさせるものではあるのだが……。

 

 ……ティアには淑女としての嗜みから教えないといけないな。


 自分の身体の使い方にもまだ慣れていない様子の妹に心が痛む。後で防汚効果の高い魔法を教えようと考えながら、ささやかな魔法を使った。


「まぁ、ふふふ、お兄様ありがとう存じます」


 ティアの立っている周囲から灰を取り除き、少しだけ緑を生やすようにした。この辺りはもともと花が多く生息していた地域なのか、小さな花が一面に芽吹きティアを喜ばせている。

 ドレスの裾をそっとおろすティアの後ろには、突然の魔法に驚いて足をばたつかせ騒ぐ護衛騎士と、顔を覆って静かに俯いている子どもがいた。


 三人の突然の出現にも動じる様子がないバルドは平然と会話を続けた。


「王女殿下、これが幻獣だと言うのならば尚のこと、素材を詳しく調べさせてはいただけませんでしょうか」


「そ、素材?……バルド、貴方もう頭の中で炎舞象を解体していましたのね……」


 ティアも古文書の(たぐい)を読むのが好きな性質のため、一目で幻獣だと気付いたようだ。

 バルドの発言に目を瞬かせたが、呆れたような表情を見せた後に決然とした態度で否定した。


「この幻獣に傷一つつけてはなりません。幻獣を殺めようとするなんて、本当にお兄様方のなさることはわたくしには理解できませんわ」


 ……たとえ伝説の生き物と言えど、ファフニアから見れば自分達を襲った敵だと思うのだが。


 きっと、そう言ってもティアの意思は変わらないだろう。珍しくティアに食い下がったバルドを眺めた後で、元の姿に戻った炎舞象を確認した。


 対火耐性を上回る炎で焼き尽くしてやろうと思い、魔石と太陽の魔力を併用した結果。どうやら太陽の光を使った事で浄化作用が生まれていたらしい。もともと持っている属性とも適合性が高かったのか、すっかり穢れが払われている。


 身を包んでいた黒炎は消え、体色も古文書で見た記述と同じ花喰牛のような乳白色だ。ほんのりと白炎をまとい輝く姿は神秘的でもあり、幻獣の名にふさわしい容姿だと言えなくもない。


「白く発光する炎か……。どんな効果があるんだろうな」


「えぇ、私もこの生き物から採れる素材が気になります」


 なんとなく疑問を口にすると、隣に立ったバルドが激しく同意してきた。


「お・に・い・さ・まっ!」


 子どもっぽく頬をふくらませたティアに苦笑して、降参の手を上げる。


「わかったから、そう怒るな。こいつの処遇はお前に一任する。いいな、バルド」


「はい……」


 バルドはまだ諦めきれなさそうな視線を幻獣に送っているが、あとで頼めば研究観察くらいはさせてもらえるだろう。そう折り合いをつけて周囲を見まわし、延焼を続ける山々を眺めた。


「そろそろ火を消してしまおう。ティア、頼んでおいた準備の方はどうだ?」


 後ろへ振りかえったところで、今にも泣きそうな情けない嘆きが耳に届いた。


「もうやらぁ――――…っ」


 声の発生源はティアが連れて来た子ども。

 ティアの背後で鼻をつまみ、恨めしげにこちらを見ているのはウカだった。


「まぁ、ウカ。どうしましたの?鼻など押さえて……」


「ここ、くさいんらってば。もうおうちに帰りたいのっ」


 ティアは今にも泣き出しそうなウカの様子を見てしばらく考えこんでいたが、何かを思いついたのか表情を改めて微笑んだ。


 ……ティアの目が光ったような気がするのは気のせいだろうか?


 鼻をつまんで呼吸困難を起こしそうになっているウカは、なんとか早く帰りたいと思ってか、自分の症状を懸命に訴えている。

 だが、鼻をつまんでいるため言葉は聞き取りづらい。


「目も痛いし、鼻ものろも、ヒリヒリするんらってばぁ……っ……っ……ぶっしゅんっ!!」


「まぁ、本当につらそうですわね。……生木が燃えたせいかしら、煙や臭いが目に滲みますの?」


 くしゃみをして鼻水を垂らしたウカを見て、取り繕いきれなかったティアがオロオロしていると、バルドが自分の懐から何かを取り出してウカに差し出した。


 ……そ、そのハンカチは!


 私が手を伸ばす前に、ウカはハンカチを広げて思いきり(はな)をかんだ。


「…………。」


 礼とともにそのまま返却されたハンカチを何も言わず懐にしまったバルド。ある意味、奴の男気を見せつけられた気がする。

 少なくとも、引きつった顔で見ている男よりは好ましい。使われたのが私が欲しかったハンカチだと言う事を差し引けば、だが。


 洟をかんで少しすっきりしたのか、声に力の戻ったウカが恨めしげな視線をティアに向けていた。


「うぅ~、姫ねえちゃんのウソつきぃ。おいしいものがあるって言ったのに、こげこげのお山しかないじゃないかぁ!オヤツもガマンしてついて来たのにっ」


 ウカがいつもの調子に戻ってほっとしたティアは、あたりを漂う清涼な空気に気付いたのか、こちらを見て微笑んだ。


「ウカは大好きなオヤツを我慢して、ここまでついてきてくれたのですものね。ありがとう、感謝しておりますわ。ごめんなさいね、わたくしのお願いのせいでつらい思いをさせて」


「そうだよ、だからもう帰ろう!」


 上空から少しだけ綺麗な空気を持ってきてみたが、漂っていた不快な臭いが薄まって自分自身も息がしやすくなった。ウカの呼吸も少しは楽になっているようだ。

 ……洟はすぐには止まらないようだが。


「そう、ウカがそんなに言うのであれば、帰るしかありませんわね。けれど、残念ですわ。仕事が終わったらウカに美味しいものをごちそうしたかったのに……」


「ぐじゅ……?」


 また鼻が詰まり始めたのか、袖で洟を擦ろうとしたウカがティアの言葉に手を止めた。


「あら、お礼にごちそうするって話していたのは、嘘ではありませんのよ?それに、この仕事を終えたらごちそうがもっと美味しくなる予定でしたの」


「……お仕事をすると、ごちそうが増えるの?」


 ティアの話に興味を持ったウカは、洟を垂らしながら耳を傾けている。


「いいえ。ごちそうが増えるわけではありませんわ。わたくし、アニヤから聞きましたのよ。ウカは昼食に出た香草蒸しパンを食べ過ぎて苦しんでいたんですって?お腹がいっぱいでは、せっかくのごちそうも台無しなのではないかしら」


「えぇ……?そんなことないよう。それに、お腹が痛くなったのはちょっとの間だけだし……」


 痛いところを突かれたのか、決まり悪げな表情を見せたウカが腹をさすり、口を尖らせて言い訳を始めた。それを見たティアは問いかけるように口を開いた。


「アニヤもよく言うでしょう?空腹は……」


「最高のスパイス!!」


 間髪を入れずに目を輝かせて答えたウカ。


 ……うむ。それはアズサの言葉だな。


 だが、ティアの言いたかったことは伝わったようだ。笑みを深くしたティアがこくりと頷いている。


 アニヤが実際に言っていた言葉は、『空腹はより食事を美味しくさせるもの』だったか。

 『だから姫様もお腹が空くように身体をいっぱい動かして遊びなさい』、と食事をあまり積極的に摂らないティアへの苦言だったことを思い出す。

 胴囲の肉付きが大分良くなっている所をみると、食生活に気をつけるようになっているようだと気付く。


「うぅ、それにしたって、こんなこげこげのお山に連れて来ることないじゃない?ボク、この臭いイヤだよぉ。鼻がおかしくなっちゃう!」


 服で拭おうとしたウカの腕をさっと捕まえたティアは、転移で取り出したハンカチをウカに渡している。洟をかむのを見届けると、眉尻を下げてウカに謝罪した。


「それは本当に申し訳ないと思っていますのよ。でも、わたくしはエルテンス領で山火事が起こっていると聞いて、ここに暮らす者達のことを案じておりましたの。なんとかわたくしにも手助けが出来ないものかと」


 ここへ訪れることを決めた自分の思いを伝えるティアの言葉を、ウカはじっと聞いている。彼の手には行き場のないハンカチが握られていたが、結局自分のポケットにしまうことにしたようだ。


「わたくしがどうすべきか悩んでいたとき、ガルロックとアロエからウカの力が効果的だろうと教えていただいたのです。でも、ウカは体調が悪いのですものね。残念ですけど、諦めた方がいいのかしら。せっかくここまで来たのにごちそうを食べずに帰るのも、もったいない気がするのですけれど……」


 ティアが頬に手を当てて思案する様子を見せると、ウカは焦ったように身を乗り出した。


「食べないで帰るの!?なんで!?」


 ごちそうが()()()()()()、ということだけに衝撃を受けた様子のウカは、先程自分が『お家に帰りたい』と言ったことなどすっかり忘れているようだ。


「まぁ、言っていなかったかしら?”美味しい物”というのがあちらの畑で作られていて、ここでなければ食べられないごちそうだからですわ。でも、魔獣が討伐されても自分達の住む場所の近くがこのような状態では、わたくし達を歓迎してくれるとは思えませんもの。それにウカはここに居たくないのでしょう?今回は諦めましょうか、仕方がありませんものね」


 視線で示した先にはコルノ平野が広がっている。この時期、あの場所には春野菜が実っているはずだ。雪の下で冬を越した野菜は甘みが増すため、春先にコルノ平野で収穫される野菜は他国でも喜ばれている。


 ティアが溜め息を吐きながら残念そうに話すと、ウカが両手で拳をつくって口早にしゃべり出した。


「もったいないのはダメだよ!あのね、ボクもうちょこっとならガマンできると思うんだ。姫ねえちゃん!ボクはごちそうを美味しく食べるために何をしたらいいの?」


 ウカは夢中になって気付かなかったようだが、口角を上げたティアの表情を私は見逃さなかった。


 ……勝利を確信した顔だな。


 隣で黙って見ている護衛騎士も気付いたようだ。訴えるように話しているウカに同情的な視線を送っている。バルドはいつものように愉しげな様子で、ティアとウカのやり取りを見ていた。


「まぁウカ、やってくださるのね?うれしいわ!」


 喜んだティアは、ウカの頭を胸元に引き寄せ抱きしめた。

 アズサが子ども達によくやっている動作(ハグ)だが、いまのティアがやると大分印象が変わってくる。

 苦しそうにもがもがと呻いている憐れなウカに同情を覚えた。


 抱きつぶして気が済んだのか、やっとティアの胸から解放されたウカの顔は(あわ)れなほどに真っ赤だ。なんとか平静を保とうとしているようだが、いまだ目の前にあるモノを見まいとして視線を泳がせている。


 ……あれで無意識なのが性質が悪い。


 同情的な目で見ているとティアに睨まれた。視線が横にも逸れたので追ってみると、後ろに立っているナグはコクコクと頷き、バルドは無表情に見える目でウカを冷たく監視していた。


「ウカはしっかり者で素敵ですわ。あのね、わたくしは焼けてしまったお山を少しでも、もとの姿に戻してさしあげたいと思っていますの。あなたがわたくしに力を貸してくれたら、この場所の臭いも少しは減るでしょうし、ひと仕事終えた後にはお腹も減ってごちそうが美味しく食べられますわ」


 満足気にウカを褒めそやし、ダメ押ししている妹の手口に感心した。

 ウカが扱いやすい子どものように見えて来るから不思議だ。こいつは全然他人の言うことなど聞かないのに。


 ……いや、アズサが話をすると割と素直になっていたかもな。


 ティアの自信ありげな様子を見るに、何かコツでもあるのだろうか。そういえば、と新しく離宮に入った見習いの姿を思い出しているとウカがはずんだ声をあげた。


「はっ!?それは、”うぃんうぃん”ってヤツだね!?」


 双方が利を得る、という言葉を”うぃんうぃん”と言い表したのもアズサだ。

 ウカはオヤツの作れるアズサのことを崇拝しているため、アズサが一度しか使っていないような言葉もよく覚えて使いこなしていた。

 ティアが頷きながら微笑んでいる。


「ここに住む方々も、お山がこのような状態では哀しいでしょう。出来ればこの場所を綺麗にするお手伝いをお願いしてもよろしくて?」


「わかった!姫ねえちゃんのお願いだもん。こげこげのお山じゃ、あのゾウさんだってかわいそうだしね。だけど、こんなになっちゃったお山をどうやって綺麗にするの?」


 ……ゾウさん?あぁ、そういえばアズサが歌っていた歌の中にも炎舞象を言い表したようなものがあったな。


 子は親に似るといった当たり前のことを歌ったものだが、なぜか耳に馴染む不思議な歌だった。感慨深いものを感じながらふむふむと頷いて、今度その生き物についてアズサに詳しく聞こうと決めた。


 どうやらウカはこの白い獣が、まだ生きている事に気付いていたようだ。

 その上で怖がる様子がないということは、これが怖ろしい存在ではないということが匂いでわかるのだろう。ティアも同じことを考えたようで笑みを深めている。


「燃えてしまったものは元には戻せません。ですが、燃え残った灰は新しい植物を育てる栄養にもなるのですわ。先にわたくしが雨を降らせて大地が栄養を受け取れるように致します。ウカは植物たちへあなたのやり方で魔力を分けて差し上げてくださるかしら?」


「ふぅん、いつもみたいにすればいいだけなの?焦げてるから同じように出来るかわかんないけど、たぶん大丈夫かな……。早く終わらせて、ごちそうを食べに行こうね!」


 ティアと自分が立っている足元を確認しながら、ウカは自信ありげに笑った。


 子どもの扱いが上手くなった妹の姿に感心して見ていると、すっかりやる気になったウカから視線を外し、ティアがこちらへ向き直る。


「お兄様、始めてもよろしいでしょうか」


 ティアにはここへ来るまでに書簡で必要な指示を知らせてあった。魔獣を討伐したあとはティアにすべてを任せることになっている。


「あぁ、頼む」


 事前にティアへ頼んでおいたのは、魔法陣の設置だ。

 シヤの泉と精霊の嫌がらせ(いたずら)で発生した川にそれぞれ置いてもらった魔法陣は、ここにある魔法陣と繋がるように連動式の術が組んである。


 今、シヤの泉とドワーフ領に不自然に流れている川の底には、魔法陣の描かれた羊皮紙が沈んでいるはずだ。

 ティアの手元にある羊皮紙には、それらと対になった魔法陣が描かれている。

 一方に魔力を流し込んで発動を促せば、離れた場所にある魔法陣にも魔力が届き、それぞれが発動する手筈だ。


 魔力検知でティアの残滓を探ると、黒山、ドワーフ領、本人がいるこの場所にティアの魔力が確認できた。

 いまだ丸まって動かない炎舞象の横には、羊皮紙から移した魔法陣が焼けた大地に刻まれている。母上と似た魔力の波動は、ティアが行使しているというのに懐かしささえ覚えるものだった。


 同じように確認していたティアも三つの魔法陣が起動したことを感じ取ったのだろう。伏せていた瞼を開けるとこちらに真剣な目を向け頷いた。


「お兄様、このあとはどのように致しましょうか?」


「ティアの思うようにすればいい。気負わず、適当に撒け」


 必要な術式はもう魔法陣に入れてある。細かいことを気にしなければ、後は魔力だけ流し込んでおけばいい話だ。

 そう思って気負わずにやれと言ったのだが、我が妹はこれに不満があったらしい。


 ティアは額に手をやって、めまいを堪えるような仕草をしている。

 次に顔を上げた時には見事な作り笑いを見せた。


 ……なんで怒ってるんだ?意味が分からん。今のやりとりのどこに怒る要素があった!?


 たまにアズサもわけが分からない時に怒っていたが、未だにわからない。こちらがわかっていないことが分かるのか、ティアは自分の考えを話し始めた。


「泉や川の水だって無尽蔵ではございませんでしょう?それに、一度に流せばコルノ平野に被害が出てしまいますわ。広域に、まんべんなく水を浸透させるためには……」


 ぶつぶつと呟きながら思案していたティアだが、解決策を導き出せたようだ。決意の籠った目で大地に刻まれた連動式の魔法陣の外円にもう一重、拡散の術式を即興で刻みこんでいった。


「お兄様、これでちゃんと起動しますかしら?」


 顔を上げたティアが不安げに訊ねて来たので、魔法陣の近くまで寄って確認した。

 そもそも、上空の高い位置から風を使って撒く仕様にしてあったから拡散の術式はあまり意味がない。だが、ティアが細かくやりたいというのなら、好きにすればいい。

 拡散の術式がちゃんと起動しそうだと確認し、それならば、とひとつ提案をしてみることにした。


「水量の問題は気にしなくていい。この魔法陣にはちゃんと”増幅”が組み込んである。そうだな……ここに手を加えるとするなら、降雨の地域をもう少し限定的にしたほうが効果が上がるだろう。このままの術式でもコルノ平野全体に広がる畑の作物がいい実りを結ぶだろうし、被害地域へ集中的に泉の水が浸透すれば山の回復が早くなる。どちらも悪いことではない」


 目を瞬いたティアがじっと魔法陣を見つめ、驚いた顔をしていた。

 増幅の術式がどこにあるのか気づいていなかったようだ。少し恥ずかしそうに頬を赤らめていたが、すぐに気を取り直したように真剣な表情で魔法陣に向き合った。


「えぇっと、そうですわね。出来れば山の回復に重きを置きたいですわ。でも、地域を限定ってどうしたら……」


 魔法陣を睨みつけるように考えこんでいたティアだったが、口を尖らせ悔しそうな目をこちらに向けてきた。


「……お兄様、お手本を見せてくださいませ」


 まだ、ティアには難しかったようだ。

 魔法を本格的に使い始めてから一年もたっていないのだから、ここまで出来るだけでも十分才能がある。これからは国防に使っている魔法についても色々と教えていけそうだ。


 ティアを手招きで呼び寄せ、半分焦げている枝を拾って地面に円を描いて説明をした。


「ここに見本を描いてやるから、やってみろ。中に組み込むより、拡散の術式の外側にもう一重作った方がティアにはわかりやすいだろう?魔法円をもうひとつ足して、範囲の目安となる印をつけて……」


「えぇっと……?目安となる印……??」


 不可解そうにしていたが、私が描きあげたものをじっくり見て立ちあがったティアは、難なく魔法陣を組み上げた。さすがは我が妹だと心の中で称賛する。

 これはじい様達でも理解できずに根を上げた術式だ。もうこの世界ではティアに魔法の才で隣に並ぶ者などいないだろう。


「……お兄様、わたくしにお任せにならないでご自分でなされた方がもっと効果が上がったのでは?」


 なぜか少し不満げにこちらを見下ろしてくる妹に苦笑した。

 それは、前提が違う。そもそも、今の私ではこの連動式の魔法陣を三つ同時に展開する魔力が足りないのだから。

 首を振って否定を返すと、微かな音をたてて降り始めた霧雨が頬を打ち、すぐに髪や衣服までもをしっとりと濡らしていった。


 濡れて落ちた前髪は、炎舞象と一戦交える前よりも暗い青色になっている。溜め息を突きたくなるのを堪えて雨が降るさまを見ていると、次第に延焼が治まって行くのがわかった。


「ティアが行使した魔法は、私が考えていたものと変わらない効果が出ているよ。精霊の復活したシヤの泉の水を使ったんだ。どんなふうに撒こうとも、魔力で広がった延焼などすぐに消える」


 自分のやったことを過小評価している様子の妹に、言い聞かせるようにして語りかけた。


「それに、今の私には魔力の余裕がないしな。ありがとう、ティアがいてくれて助かった」


 感謝の言葉を口にすると、強張っていた顔を崩してティアが嬉しそうに笑ってくれた。


「感謝の言葉など……。わたくしこそ、お兄様のお役に立てて嬉しいのです」


 ティアの降らせた雨は風の影響を受けてコルノ平野にも少しかかっているが、ファフニアの方にも恩恵が行くよう計算した為、少しはあちらの国の復興の助けにもなるだろう。


 熱を逃がす白煙も見られなくなった頃合い。

 山を見渡して焼け落ちた灰の積もった山肌や、燃え残った倒木がしっとりと濡れそぼっているのを確認する。まんべんなく精霊の水が行き渡ったのを見て頷くと、それを確認したティアがウカに声を掛けた。


「ウカ、そろそろお願いしてもよろしくて?」


「うん、やってみる!」


 力強く応えたウカは、少しだけ生えた草地に膝と手をついて目を閉じ俯いた。

 瞑想するように動かなくなったウカを視界に入れながら、今回の魔獣急襲についてティアと話しあっておくべきことを思い出す。  


「ティア、ここにベルニア王国に生息する魔獣や幻獣がいることについてどう考える?」


「……ベルニア王国が魔獣を他国へ侵入させ、攻撃を仕掛けたと見えます。ですが、現状あの国には他国へ侵攻するような余力はございませんでしょう?何の意図があってこのようなことをしたのか、不可解ですわ」


「あぁ、西国ファフニアや東国グランニアも前者と捉えるだろうな。真の意味でベルニアに余力などないことを知っているのは我々だけだ」


「グランニア……?お兄様、まさか、魔獣の襲撃はグランニアでも起こっているのですか!?」


 視線を東に向けると、皆もそれにつられたように東を見た。

 遥か彼方、地平線の向こうにあるグランニア王国。ファフニアを襲った魔獣のように、あちらにもちらほらと魔力の大きい個体が確認できる。


「ファフニアはベルニア王国が宣戦布告を表明したと取るだろうな。グランニアじゃまだ混乱の収拾に躍起になっていて確かな情報が入っていないのだろうが、きっと同じように考えるだろう」


 ――――魔獣を放って、隣国を同時に攻撃した。


 今回の事はそうとられても仕方のないことだ。こちらは山三つ分の被害で済んだが、ファフニアはベルニア王国からここまで続く領地を幻獣に焼かれ、追われる様に逃げて来た魔獣によって村や町が襲われている。グランニアの被害も相当なものになっているのではないかと推測できた。


「あのクソ竜が新しい王を擁立させたと見ることも出来るが、王となってすぐに他国へ仕掛けるような輩をそのままにしておくはずがない。血が流れれば、それだけ多くの穢れも引き寄せるからな。いま他国へちょっかいを出すのは、支援を打ち切られるだけで、あちらにとっての利があるとも思えない」


 支援を受けられなければ、自国の民が死んでいくだけだ。


「彼の国で何が起こっているのか、詳しく調べてみる必要がありそうですわね……」


 ティアが話している途中で、足元に違和感を感じた。地表が動いているかのような感覚に、地面をじっと見ているとティアも言葉を止めて同じように下を見た。


「これは……」


 ウカへ視線を上げても地に手をついて跪いている体勢は変わっていない。だが、ウカのいる場所を中心にして地面が動いていた。


 伸びあがるように土を押し上げる小さな芽。


 光を求めるようにうごめく新芽たちは、大地へその瑞々しい葉をゆっくりと広げて行く。


「……お願い、手伝って」


 ウカの呟きが聞こえ、耳を澄ました。


「……まだ。もっと、もっと、もっと……」


「ウカ、何か…」


 動こうとしたティアの腕を引き、押し留める。


「違う。ティア、お前に言ったんじゃない」


「え……」


 蹲るように身体を丸め、祈るような形をとったウカの周囲に光の群れが浮かび上がった。無数の精霊がウカの呼びかけに応え、姿を現していた。
















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