追憶 後半
暗闇に沈む空間が夜空だと気付いたのは、微かに見える星と小さな月があったから。
くるりと反転する視界の中、闇の中に鮮やかな光の道を見つける。
近づくにつれ、それが道ではなく小さな灯が寄り集まった光の集合体だと気付いた。
視界がはっきりしてくると月明かりに照らされ、海面に浮かぶ細長く伸びる島国が露わになる。
島は、夜だと言うのに真昼のように光り輝き、この地に生きる人々の生命の息吹を感じさせた。
その豊富な地気に圧倒される。
意識は魔力の波に押し流されるままたゆたい、地上へと近づいて行く。
気付けば建物がひしめき合い、光を放ち高速で移動する物体や様々な衣装を身につけた人間達が行き交う姿が目に入る。その中、小さな道に面し、煌々と光を放つ建物の中に入って行く人影を見つけた。
引かれる様にそこへ降り立ち、その人物に意識を向ける。
鼻歌を歌いながら、手も使わずにやすやすと硝子戸を開いた少女。
短く切られたやわらかそうな黒髪。
健康的に日に焼けた肌。
薄手の白いシャツに包まれた細く華奢な身体。
俯き加減で嬉しそうに笑顔を浮かべる少女は、正面に立つこちらを見ようともせずに通り過ぎていった。
通りすがりに見た少女の、長いまつげに縁取られた黒い双眸を追いかけるように振り向いた時、自分が召喚のために使った塔の中へ戻っていることを悟る。
そこかしこに溢れていた光は消え去り、光源は部屋の四隅に焚かれた松明のみ。
床に描かれていた魔法陣は跡形もなく消えていた。
少女が周囲を見まわしているのを何も言わずじっと見つめていると、小さな呟きが聞こえてくる。
「なに、ここ?」
怯えを含んだ少女の様子を見て、返す言葉に迷う。
まさか、召喚する相手が異世界の者だとは考えていもいなかったのだ。
そして、まず手始めに彼女の疑問に応えることに決める。
「――――ここは、ティルグニア王国。ようこ…」
「ぎいゃぁぁ―――――――っっ!!!?」
いきなり叫び声を上げた少女に、こちらも驚かされた。
少女は叫び続けたまま前方へ突進し、壁に体当たりしている。
「どこ、ここどこ!?なにこれ、どっきり!?やだ、ムリだからっ!怖いのはムリだからぁぁぁぁぁっ」
「……おい、落ち着…」
「いぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」
壁に張り付いたまま、素早い動きで横移動して松明のところまで逃げた少女を茫然と見送る。途中、つまずいて何度も転びそうになりながら壁を叩くので、手に持っていた荷物が放り出されて行く。
「おばけいやぁぁぁっ!あけてぇぇぇぇっ!!」
その姿を黙って見守る。正直、どうしたらいいのか分からないという所もあった。”おばけ”とは何なのか。
慌てた様子で騒ぐ少女の姿を見ているのも、なんとなく興味深い。
「ヤダヤダヤダぁ、来ないで、来ないで、あっち行って!!出して…、出してぇぇ……!!」
壁を叩いて泣きだした少女を見て、流石に可哀相になり声を掛けようとするも、彼女のお喋りは止まらない。
「あ、あ、あぁぁぁっ、悪霊退散――――っ!塩、塩はどこ!?ない、ないよ、そんなの持ち歩かないからぁ!おじいちゃぁぁぁぁん、助けてぇ、死んだ人同士でしょ、何とかしてぇっ!」
死んだ人間には何も出来ぬと思うが、この少女の世界では違うのだろうか。
……いや、待て、確かに母上も亡くなられる直前に私の夢の中に…。
あれは死んでいたのか、死ぬ前だったのか、埒のあかないことを考える。だが、周りがうるさ過ぎてなかなか集中できない。
「とにかく電気、電気つけて!ムリ、本当に、この暗さは無理ぃぃぃぃ!でる、出ちゃうから、なんか怖いのがでちゃうからぁぁぁっっ!はやく、お願いだから、明かりをつけてくださいぃっ」
思考に沈みそうになった時、少女の懇願が聞こえ、取敢えず部屋を明るくしてやることにする。
だが、号泣を始めた少女は床に座り込み、膝を抱えて顔を俯けてしまった。
どうやら、目を閉じて怖さに耐えているらしい。明るくなった室内にも、しばらくは気付いていない様子だった。
そんな少女の様子に苦笑して力が抜ける。ひとつ溜め息をつき、目の前の少女が落ち着くまでそっとしておくことにした。
……こんな子どもが、私の救いだというのか。
身体を縮めて泣いている少女からは、魔力の色以外、特段変わった何かを感じることはなかった。
……本当に、この少女が?
緊張していた気持ちがどこかへ消え失せて行き、どっと力が抜けて行くのを感じ壁際に寄りかかる。腕組みをしたところで、身体の違和感に気が付いた。
……足りない魔力は少しだと思っていたが、かなり持って行かれたようだな。
少し袖のあまった服をひと睨みして、この位で済んだことに安堵する。まさか、母上の用意した召喚の魔法陣が異世界に繋がっているなどと誰が予想できただろう。
膨大な魔力を必要とするはずだ。
遠く離れた異界と空間を繋げる魔法など、聞いたこともない。母上を規格外の生き物だと笑って言っていたアニヤや、まだ元気だったころの父上の姿が甦る。
……これは、本当に私にしか起動できない魔法陣だったのだな。
いや、いつかはティアにも使いこなすことは出来るのかもしれない。
私と同じくあの母上の血を継いでいるのだから。
胸に燻る怒りや後悔の念を払い、長い時間泣き続ける子どもの姿を、ただじっと見つめ続けた。
木が爆ぜる微かな音だけが聞こえる中、静かになった子どもが身じろぎをした。
汗をかいてしっとりと濡れた肌に、柔らかな短い黒髪が張り付いている。
ぼんやりした視線を上げた少女が周囲を見渡し、こちらと一瞬目が合ったように思うが、すぐに逸らされてしまう。
かと思えばじっとこちらを凝視して、値踏みをするような目を向けてくる。
しばしの観察の後、異世界からやってきた少女はやっと話すことに決めたようだ。
「……ここは、どこですか」
石壁に預けていた背を伸ばし、少女を見据えながら、先程口にしようとしていた言葉をそのまま伝える。
「ここは、ティルグニア、ティルグニア王国の王都ティルグだ。ようこそ、異世界からの救世主よ……」
そこからのやり取りは、正直苛立つだけで何の実りも感じさせないものだった。
今思えば、召喚で持って行かれた魔力と、寝る間を惜しんで魔力確保に明け暮れていた疲れが、たまっていたのだろう。
気付けば思ったままに言葉を吐き、それに腹を立てた子どもと言い合いをする形となっていた。
最初は確かに気を使って話すようにしていたつもりだ。
だが、頑なに目を合わせようとしない少女の姿に、なぜか腹立たしさを覚えた。
目が合った後は、わざとらしく溜め息を吐かれてその腹立たしさが倍増して行く。
その瞳に浮かぶ嫌悪を感じて、少なからず胸が痛み、彼女との間にある壁によくわからない苛立ちを覚える。
さりとて、こちらは真剣に話をしているというのに、少女はのっそりと動き出したかと思えば四つん這いで散乱した荷物を拾い始め、思いきり鼻までかむ始末。
あえて指摘する事はしなかったが、気を抜き始めた少女の姿に少々不安も覚えた。
……私が言うのもなんだが、見知らぬ場所にいきなり呼び出されてすぐに気を抜くのはおかしいだろ。
この少女はどう見ても、警戒心がザルだった。
ましてや完全にこちらを人として意識していないその姿。少しは恥じらえ、と思うのは当然のことではないのか。
彼女がゴミを片付けつつ呟いた、召喚に関する事柄を聞きとり、興味を誘われて話を聞いていたらまた溜め息を吐かれる。
しかも、今度は可哀相な者でも見るような視線を送られ、鼻で笑われたあげくに犯罪者扱いだ。
……失礼にもほどがある!
会ったばかりだと言うのに、無性にイライラさせられる。
腹を立てていた私は、遠慮なく少女に近づき、彼女の魔力を推し量ることにした。
普通の令嬢なら近づきたくもないし、気を遣って憚るところだろう。だが、そんなものどうでもいいと思えた。気になるものは仕様がない。
少女の魔力はこの世界にある魔力とは少し違う。それほど多くの保有量はないが、少女の魔力はやわらかな白光として感じられる。
適当に会話を交わしながら、魔力の色を見分して行く。
見つけた瞬間、離れていても気になって目を奪われた色。
だが、その中に少し異質な魔力が紛れている。集中して追って行こうとするが、捕えようとすれば逃げるように掴みどころがない。
……実体ではないのだから、捕まえられるはずもない、か。
それでも少女の中にあるその異質な魔力が気になって、しつこく調べた。あくまでもこちらを犯罪者扱いしてくる少女との会話に苛立ちを募らせながら。
一歩、また一歩と近づこうとするが、彼女が後ろへ下がるので中々距離は縮まらない。
苛立って視線をあげると、少女の顔色が悪くなっている事に気がつき足を止めた。
全身をカタカタと震わせる少女が、必死になって言い募るその姿に違和感を覚える。まさかと思いながら確認をした。
「そなたの国には魔法が実在しないのか?」
「私の国だけじゃなく、世界中どこにも魔法なんてないんですよ!お願いだから、現実を見てください!わたしを家に帰して!!」
必死な様子で反論する少女を、信じられない思いで凝視する。
……あれほどの地気を持つ土地で魔法が一切使われていない?
ではどうやってあの硝子戸を動かし、あれだけの光源を生み出していたというのか。少しの間考え、それよりも、この少女が魔力を使えない可能性に焦りを覚えた。
……いや、この少女が何らかの力を持っているのは確かだ。
これだけ美しい魔力を持つ者はこの世界にはいない。似通ったものといえば、自然界にある魔力ぐらいだろう。
多くの者が五色のうちのどれか。
母上や私のように魔力の豊富な者は色が重なり混色となって行くのだから。
動揺する自分をなんとか納得させ、落ち着かせた。
深く息を吐き、ゆっくりと言葉を選んで話をする。現実を知れば、もうここにいる以外どうしようもないのだと理解するだろう。
「今回、そなたを召喚するために私が行使した魔法は膨大な魔力を必要とし、その準備のために一年以上の時間を費やした。故に、召還の準備を整えるためには同じ条件が必要となるだろう……。まずはそなたがどんな力を持っているのか知りたい。協力してくれ」
冷たい石床に座り込んでいる少女へ、起き上がる手助けをしようと手を差し伸べる。だが、その手が握り返される事はなかった。
彼女から返されたのは力ない否定。
先程の言葉で、すぐに帰れない事だけは感じ取ったのだろう。青ざめた顔には拍車がかかり、その表情に疲労の色を浮かべている。
「わ、わたしに特別な力なんてありません」
「そなたには特別でなくとも、この世界では違うこともあるだろう。詳しくそなたの話を聞きたい。私は魔術を使う能力に長けているが、大切なものを救う力が私には足りない。そなたの力が必要なのだ……」
「わたしには出来ません……!わたしはただの保育士で、得意なことと言えば子どもの面倒をみることだけなんです!……魔法とか、貴方の言う力……とか、そんなもの知りませんから!」
いくら言葉を尽くしても、押し問答にしかならない。
力なく肩を落とし、黙りこみ俯いてしまった少女。だが、私は彼女の発した言葉にかすかな足がかりを見出した。
「……子ども?」
子ども好きな子どもなど、ただのままごと遊びだろう。
だが、子どもが好きだと言うのなら、ティアやアニヤに同席してもらい話を進めれば、この頑なな少女も聞く耳を持つだろうか。
それでも足りぬなら、この少女の同情を引くような何かを考えるのも手か。
最近議題に上がっていたいくつかの案件を選別しながら、少女へと呼びかけようとして、まだ名前も聞いていなかった事に気付く。
「そなた、名は何と言う」
「……守永、梓」
モリナガ・アズサ?
どちらが名だと聞けば、こちらとは違い、家族名が先に来ると教えられた。
アズサ、それが彼女の名前。
彼女の名乗りで、その名の持つ加護の力がふわりと漂う。
複数の加護が少女のうちにあるのを感じた。だが、それがどんなものなのかまではわからない。それに少しもどかしさを感じながら話しを続ける。
アズサの全てを徹底的に調べ、知るために。
「……では、アズサ。そなたに見せたい場所がある。この世界の現状を知ってもらい、アズサの魔力や能力も調べて行きたい。まずは瘴気の濃い場所の視察を――…」
考えていたことを次々と伝えるうちに、周りが見えなくなっていた。
彼女の力を量るための実験や、現状認識の為の予定に気を取られ過ぎていたのが今になってわかる。
――この時の私は、アズサの気持ちも、体調を気にしてやることもなく、ただ自分本位だった。
「……いで…」
「アズサに会ってもらいたい者達もいるが、今日はもう遅…」
「呼ばないで」
「?……なんだ、何を…」
「私の名前を、気安く呼ばないで。あなたに呼ばれたくない」
吐き捨てるようなアズサの言葉に、頭に昇っていた熱は急速に冷めて行った。
はっきりとした拒絶。
名を呼ぶ事を否定されたことで、浮かれていた自分に気付かされる。
「……わかった。配慮しよう」
動揺を悟られぬよう、なんとか平静を保ち言葉を返した。
俯くアズサの横顔は、血の気が引いた白い顔色。感情が抜け落ちたような無表情を見れば、心閉ざしているのがすぐにわかる。
ここでやっと、自分が何かを失敗したのだと思い至るが、……どうするべきかはわからなかった。
それでも、ただ無為に時間を過ごすことなど出来ずに話し続けた。たとえ嫌われても、この世界が救いを見出すには彼女に頼るしかないのだから。
二十年という時間が経っても復活の兆しを見せない精霊。広がって行く瘴気による穢れ。この世界で一番出生率が高かった種族の衰退。
他国の情勢を見ても、この世界の崩壊はそう遠くない未来の話だった。
私には失ったもの、残されたもの、その全てに責任がある。
何のために自分がここにいるのかを再確認し、顔を伏せたまま声だけで反応を返すアズサに質問を重ねて行く。
「次はそなたの血族について聞かせてほしい。両親や先祖に何らかの力を持っている者がいないか。それをそなたが受け継いでいる可能性は?」
彼女は観念したように話していたが、もう決してこちらを見ようとはしなかった。
「……父は会社員。母はずっと前に亡くなった。祖父も数年前に亡くなってる。それ以外の親族は知らない。わたしにも家族にも変な力なんてない。平凡などこにでもいる家族なの。わたしにはあなたの望んでいるような事はできないから。……家に、帰してよ」
膝を抱え話すアズサの顔は、家族のことを語る時にだけ少し和らいだ。
「……家族が大事か」
だが、そのやわらかな表情はすぐに消え去ってしまう。
「……あたりまえでしょ」
当然だと返す彼女の様子に、どうしてか腹立たしくなり、思わず口にしていた言葉。
「家族が欲しいのなら、私がなるぞ」
「…………死ネ」
「…………。」
とてもわかりやすい嫌悪の表情と、ひどい言葉遣い。
言葉の刃でぐさりと刺された気がする。
だが、どうせ嫌われたのなら、もう何を言っても変わらない気がして少し開き直ってみた。
「私はそうそう死なん。そなたより先に死ぬ心配はない」
「……心配してねぇ」
ふと、思い描いた想像に気を良くして言葉にした。
「私の子を産むか?」
私の問いに、ぴくりと肩を動かし反応したのは一瞬。考えたのも一瞬のようだった。
「……産めないから。そういうこと望んでるんなら、他の人当たって。ヘンタイ」
今までとは少し違う反応を見せたアズサは、壁際からじりじりと、こちらから距離をとるように動いた。彼女が離れて行く姿に、なぜか落ち込む。
「……そうか」
遠ざかる距離、目を合わせないままの返答。
その後も、苛立ちをごまかすように質問を重ねていくうち、いつのまにやら召喚の間は静まりかえっていた。
薪の爆ぜる音だけが妙に耳に響く。
反応が返らないことに怒りを覚えた頃、アズサが気を失っていることに遅れて気がついた。
――苛立っていた。
この異世界人に何が出来るのかもわからない。解明するのにも時間がかかるだろうと、先程の様子を思い出し重い溜め息がでる。
――何に対して苛立っているのかすら理解できないままに、不快感だけが募った。
救いへの希望など全く感じさせない、否定的な言葉ばかりが返って来るやり取り。本当にこの子どもが救いとなるのか。
――俯いたまま視線を上げないアズサの姿。
間違えているのかどうかすら判らない、先の見えぬ不安。だが、魔法陣は起動して、異世界の子どもを呼び寄せた。もう後戻りは出来ない。
――名前を呼ぶなと言った彼女の平坦な声。
手を取ることを拒み、拒絶するように距離をとったその行動。こちらを警戒しているこの様子では、話にならないだろう。だが、この少女が私にどんな感情を持とうとも、協力を求めることをやめるわけにはいかない。
――嫌われ、蔑まれたとしても、傍に……。
東の国境から届いた報告には、保護した子ども達の状態が絶望的であると書かれてあった。
全ての者に救いの手を差し伸べるなど無理なこと。
だが、ここまで生きて辿りつける者達がいれば余力を分けてやることは可能だ。現地での対応が難しい者達については、前もって救護班へ王都を目指すよう触れは出してある。
「子どもが何を、と思ったが……使えるか?」
この地で生まれた子どもの姿を見て、この少女の意識がどう変わるか。結果はやってみるまでわからない。
視線を下げれば、気を失い、身体を折り曲げるように床に突っ伏す少女がいる。
私を拒絶し、認めないアズサ。
抱き起そうかと手を伸ばすが、逃げるように後ずさった姿を思い出し、やめた。
危害を加えたわけではない。泣き疲れて眠っているだけだ。そう自分に言い聞かせて。
しばらく意識のない横顔を見ていた。
そしてふと、最初からやり直せば彼女の反応が違ったものになるのではと思い至った。
「……出会いからやり直せば…」
よぎったその思いのままに深く考えもせず、禁術を行使していた。
彼女を少しでも知った今の私ならば、その手が悪手だったと断言できる。その間違った行動のせいで、信頼を回復することがいかに大変かということも、身をもって知ったのだ。
だが、このときの私は思い通りにならないことに腹を立て、彼女の言うように幼子のように振舞った。
自分のしたことで、相手がどんな思いを持つかなど考えもせずに。
甦るのは、最初に見た嬉しそうに微笑む横顔。
本当は、あの時の表情がもう一度見たかっただけなのかもしれない。
記憶を消した後には、何とも言えない淋しさと苛立ちだけが残された。
ゆっくりと景色が離宮の簡素な部屋へ移り、抱き上げたアズサを寝台へ下ろす私と、部屋を出て行くバルドの背中が見える。
明かりのない部屋の中でも、それとわかる蒼白なアズサの顔。
……あぁ、あの時も魔獣の殺気が塔に残っていたんだな。
次いで、ティアの部屋でアズサと二度目の対面を果たし、結局やり直しなど意味のないことだと自嘲した場面が通り過ぎて行く。
額に触れて魔法を解除したあの夜。
小さく謝罪を口にすると、薄く目を開けて『もうすんなよ』と寝ぼけた声を出し、また眠ってしまったアズサの様子も流れ過ぎて行った。
黒山では崖を登る姿を見守っていた時に赤狼が出没し、少し目を離した隙に様子のおかしくなったアズサが怯えていた。
屋敷の外から窓越しに、眠るアズサが見える。
子どもらが押し寄せた後からは、次第に部屋を訪れる者が増えて行き、彼女に笑顔が増えていったあの頃。
……なんだ、胸が……苦しい。
そう感じた瞬間、周囲に流れる過去の景色が一気に速度を増した。
次々と送られてくる情報の多さに、吐き気が込み上げる。
離れたくなかった。
置いて行くのが心配だった。
無茶をして、つらい思いをしたとき傍にいたいと思った。
記憶の映像に乱れが入った時、その正面にはベルニアの姿があった。
自分では
あの国を立て直すことなど無理
だとわかった。
濃密な瘴気の中で、
呼吸することも辛そうなバルドは
常備していた結界の魔術具で
凌いで
いた。
ベルニアとのやり取りで
魔力を提供することにしたのは、
このままでは崩壊が止められないことが
わかった
から。
それでは
アズサをこの世界に召喚したことも
無意味に
なるし、
……還してやることも
出来なくなる。
最後に、
見た ベルニアの
薄笑い。
あれは、
そう だ、
私は、
あの 竜に、
なにを、
され
た?