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梓弓  作者: 長月 夜半
第二章 朧月
33/57

追憶 前半


 目が覚めて辺りを見まわすと、外はまだ暗かった。

 部屋の中はしんとしていて、いつもいっしょに寝ているあずさがとなりにいないことに気付く。


 するとすぐに、喉がつまったみたいに苦しくなって、目の前がぼやけた。

 腕で涙の浮かんだ目をふさぐと、はれぼったい瞼にひんやりとした体温が気持ちよく感じる。


 目を閉じると浮かぶのは、昼間のこと。

 

「ふ……ぐじゅっ……」


 口の中には、まだあの時の感触が残っている。


 いつもと違う、焦ったような”ばるど”の声。

 噛みついたそれが誰の腕なのか気付いて、……頭がまっしろになった。


 目をつぶっているのに、頭の中には悲しそうなあずさの顔が浮かんでくる。


「……ちがう、ちがうのっ!ボクは…」


 あずさを噛むつもりなんてなかった。

 怪我をさせるつもりなんて、なかったのに。


 食い込んだ歯は自分じゃ動かせなくて、”ばるど”がこじあけてくれなかったら、いつまでもそのままだったと思う。ボクの口が外れて見えた、白い腕についた小さな歯型。そこからたくさんの血が出て、床にもこぼれた。


 ぎりっと音がたつほどに歯を食いしばってから、目の前にある自分の腕に噛みつく。出来るだけ力をこめて。

 昨日から何度も噛みついた両腕には、いくつもの歯型がくっきりと残っていた。


「ち……、でない」


 どんなに自分で力をいれて噛んでも、血は出てこなかった。歯の痕が紫色になるだけ。

 いま、これだけ力をいれて噛んでも自分の腕からは血が出ないのに、あのときのボクの口はあずさの腕を噛みやぶった。

 血が出なくても、こんなに痛いのに。


 ……ちがでたら、もっといたいよね?


「ごめ……なさい。ごめんなさい、ごめんなさい……。ひっ、う…ぅ…」


 ずっと、いっしょにいなきゃダメなのに。

 トイレだって、お風呂だって、ボクが入る時はずっといっしょにいてくれる。だけど、あずさは自分のときはいっしょに来たらダメって言う。


「なんでダメなの?ずっといっしょにいないと、ダメなのに。はなれたら、ダメなのに……」


 ずっと、ずっと感じているこの気持ちをだれもわかってくれない。


「……あずさ」


 いじわるされなければ、いつもはわかるあずさのいる場所。それが今はぜんぜんわからない。昨日、”ばるど”にこの腕輪をはめられてからわからなくなった。


 ”てぃあ”に、はずせと言ったらダメだと言われて、腹がたった。

 部屋の真ん中に”てぃあ”が大事にしてるものが目に入って、思いきり押して倒した。”てぃあ”は驚いて、かなしそうな顔をしたけど、ボクはすごく怒ってたから……あやまらなかった。


 どうしてみんな、ボクのすることを邪魔するのかわからない。あずさのそばにはボクがいなくちゃだめなのに。――離れたら、すぐに…。


「ぃたっ……」


 ……()()だ。


 何かを考えてるうちに、何を考えてるのかわからなくなる時がある。それが何だったのか思い出そうとすると、頭がいたくなる。

 大事なことを考えていたはずなのに。


「だいじなこと……」


 ぽつりと呟いた声がひとりぼっちの部屋に響く。すると、あずさの声が聞こえた気がした。


『家族や友達みたいにどんなに仲良しでも、相手のことをおもいやる気持ちをなくしたら仲良くできなくなっちゃうの。自分がやったことや言ったことで相手がどんな気持ちになるのか考えるのは、大事なことなんだよ。親しくても、礼義はまもる!これ大事なことだから!あ、二回言っとく?え、いらない?まぁそんなわけだから、トイレとお風呂は…』


「でも、ぜったいイヤだったんだもん!あずさがイヤがってるのはしってるけど、ボクがみてないうちにあずさがいなくなっちゃったらどうするの?てが、とどかないとこにいっちゃったら、もう、あえなくなっちゃったら……」


 ……あずさがいなくなっちゃうのが、こわい。


 でも、昨日ボクがしたことは悪いことだったっていうのは、わかってるし、自分で悪いことをしたって思ったら、どうすればいいのかも……知ってる。


『一緒に謝ってあげるから、ちゃんと”ごめんなさい”しようね』


「……ふ、うぇっ……ぐずっ……あやまったらあずさはゆるしてくれる?……ぐじゅっ……それに、”てぃあ”のだいじなモノもこわしちゃったんだもん……」


 悲しそうな”てぃあ”の顔。

 怖い顔して怒ってたおじいちゃん。

 変な顔してだまって見てた”ばるど”。


「……あずさに、”ごめんなさい”しなきゃいけないときは、どうしたらいいの?いっしょにあやまってくれるのは、あずさなのに」


 いっぱい色んな事を考えているうちに、また淋しくなって涙があふれてくる。


 ――一緒にいなきゃいけないと思う気持ちとは、別にあるもう一つの気持ち。


 あずさのとなりにいると、温かい気持ちになるし、安心する。ずっといっしょにいたいと思う。

 同じなんだけど、違う気持ち。


 あずさの周りにはいつもだれかがいて、あずさは嬉しそうに相手をする。そのたびにあずさがボクのことをかまってくれる時間は減っちゃう。


 もうあんまり、じかん、ない…のに……。






「――…え、と、なんだっけ……」


 また、何かを忘れちゃった気がする。こんな時、悲しい気持ちだけが胸の真ん中に残っていてちょっと不安になる。

 ベッドの上に寝転んだまま、ぱちぱちとまばたきをして、首をひねり考えていたことを思い出した。


「あ、ごめんなさい、だ。……でも、”てぃあ”にあやまるのは、ひとりじゃこわいから……やっぱり」


 ”てぃあ”は、いつもは優しいけどすごく怒ったり、びっくりさせたりするとピカピカになるから、ちょっぴり怖い時がある。でも、あずさがいっしょなら怖くない。

 だってあずさは、みんなと仲良しだから。


 ……むぅ。


「もう、いっしょにいられないのヤダから、あやまる」


 ボクがいっしょにいられないのに、他のひとがあずさといっしょにいるのを考えたら、なんだかすごくムカムカしてきた。


 もぞもぞと寝台をおしりから降りて、くつを履く。

 まだあずさは寝てるかもしれないけど、起きるまでとなりに潜りこんで待ってればいい。


 昨日の夜、いつもあずさといっしょに寝てるこの部屋にあずさは戻って来なかった。だから、多分、前に使ってた部屋にいる。


 明かりのない廊下を音をたてないように走った。


 暗いところでもよく見えるこの目は、間違えることなくあずさの持ち物がたくさん置いてある部屋へ導いてくれる。


 部屋に駆けこむと、窓から差し込む月光は部屋を明るく照らしていた。

 だけど、ベッドと棚がいっぱい並んでるその部屋にあずさはいない。


 いつの間にか胸元を掴んでいた手に力がこもる。足が動かなくなって、あずさの使っていた棚から目が離せなくなった。


 ベッドの横にある棚からは、あずさがお気に入りだと言っていた服がごっそりなくなっている。

 たくさんの荷物が入る”りゅっく”といっしょに。


『春になって山へ行く時のために、大きいリュックサックを作ったの。これなら収穫物もいっぱい入るし、遠くへのお出掛けもばっちりでしょ』


「……りゅっく、ない」


 嫌な予感に、視界が揺れる。


「ダメ、ちがう。あずさはボクをおいてったりしない……っ!」


 頭の奥で、誰かの低い声とあずさの声が響いていた。





『――どこかへ向かうのならば、必ず私と共にだ――』

『――あなたが遠くに行ったら、わたしも淋しいよ……――』







 突然襲ってきた強い頭痛に頭を抱えると、耳元で金属の弾ける音がした。


 その瞬間、世界が彩りにあふれ、感覚が広がる。目に見えないもの、世界に溢れるすべてのものが持つ魔力の波動が、一気に感じられるようになった。

 すぐに、いつも通りあずさの気配を追う。


 屋敷の中には、いない。


 裏庭にも、いない。


 街中に範囲を広げても、いない。


 よく行ったという精霊の泉へ意識をとばしても、いなかった。


 王国全土の地形を意識して、魔力検知の範囲をどんどん広げて行ったところで……限界が来た。


 感覚の遮断を受けて、視界が目の前のものだけに限定される閉塞感。

 自己防衛で、魔力の欠乏を防ぐため体が勝手に魔力を遮断するのだと、前に”あにや”たちから聞かされた。あずさが街へ行った時に体が縮むまで何度もやって、怒られた魔法。


 あの時はあちこちにあずさの残滓が残っていたから、()()()が意地悪してきても何度かやれば見つかった。でも今は、王都のどこにもあずさの魔力の名残りはなかった。


「……ぅう、うああああぁ――――――――――――っ!!」


 言いようのない不安感に、体中を流れていた魔力が逆流を起こす。

 すると、体の奥にあった何かが切れて、そこからたくさんの魔力が噴き出してくるのがわかった。


 膨大な魔力とともに頭の中をかけ巡って行く、記憶の断片。


 感情が追いつかないままに流れて行く記憶のかけらに、過去と現在の境界があやふやになった。

 目が回る程の情報量、流れ過ぎて行く色褪せた過去。


 過ぎ去って行く記憶に翻弄されながらも、その中に鮮やかな光を放つ人物を見つけて、時間が止まったように感じた。


 闇を(はら)うように輝く光を見て、ほっと安堵する。




 ……やっと、みつけた。




 そこにいたのは、始めて出逢った時のアズサだった。














 隠し塔に組み上げられた魔法陣は、召喚を目的に用意されたもの。

 母上の魔力でこの塔の床に刻まれた魔法陣は、緻密な模様が描かれてある巨大な円形魔法陣だった。


 部屋いっぱいに描かれている魔法陣の上には、魔力で縛り上げた魔獣たちが配置してある。

 国内を巡ってかき集め、ぎりぎりまで魔力を上げさせた魔物たち。巨体の中に魔力をふんだんに蓄えた獣は、そのどれもが狂化している。 


 穢れに触れ、同族への仲間意識すら完全になくした獣たちは、周囲にいる生き物を見境なく襲う。そしてその力を己が物とする。それが繰り返された結果、手練(てだれ)の冒険者にも討伐不可能とまでされる魔獣が生まれていた。


 この日の為に幼い頃より貯めてきた魔力も、貴水晶の中に封じ込めてある。

 魔法陣へ一緒に配置されている貴水晶に食欲を刺激された魔獣たちが、先程からずっと唸り声を上げ、束縛から逃れようとあがいてた。


「それはお前らの餌ではない。……すぐ楽になる、もうしばらくだ」


 全ての準備は整っていた。

 あとは月の魔力が満ちるのを待つばかり。  


 屋内に居ても意識を外へと放てば、すべてのものが持っている魔力を手に取るように感じられる。

 月影を隠していた雲が風に押し流され、眩しいほどの光を返す満月が姿をあらわし、そのままゆっくりとした動きで中天へとかかって行く。


 天井や壁を越えてくる月の魔力によって闇が照らされ、塔全体に魔力が浸透して行った。

 そのゆっくりとした動きに合わせ、月の魔力を溜めてうっすらと輝き始めた魔法陣に貴水晶が反応する。


 魔力の共鳴に、大気が震えた。


 魔力で編みあげた網は溶け、解き放たれた複数の魔獣が魔法陣の中で共食いをするように互いの魔力を奪い合う。それぞれの魔力が絡み合い、溶けあい、繋がるうちに、狂気に満ちていた魔獣の瞳も身体も全てが溶け合った。

 貴水晶に閉じ込められていた魔力もすべてが放出され、高く硬質な音をたててはじけて行く。


 その全てが形をなくしたとき、魔法陣の上にある魔力は一つのかたまりとなって、様々な色に変化しながら輝いていた。


「凄まじい量の魔力だが、……これでもまだ少し足りぬか」


 古の魔法で隠されたこの召喚の塔は、入る資格を持つ者とそれが許した者のみに、その入り口を開く。


 だが、幾重(いくえ)にも隠された空間の中に閉じ込めてあったこの魔法陣が、他者には危険な物なのだと、あの頃の私には気付くことが出来なかった。
















 宮廷魔術師たちが、母上が救いの為に遺された”召喚の魔法陣”というものを見てみたいと言い出したのは、父上が身罷られてすぐのこと。


「王太子殿下。畏れながら、私どもに今は亡き王妃様が遺されたという召喚の魔法陣を見せては頂けないでしょうか!」


 父上の葬儀が終わり、執務室で宰相から小言をもらっている最中に押しかけて来た宮廷魔術師たち。

 その無作法さに宰相は目くじらを立てていたようだが、ノディアクスにも話は通じていたらしく、すぐに話が進められた。


「殿下、お騒がせを致しました。先にお耳に入れておこうと、こちらへお越しいただいていたのですが……。この者らにはあとできつく言い含めておきます故お許しください」


「ノックスの話が長いからだろう?べつに気にしてない。直答を許す。好きに話せ」


「殿下……」


 頭痛を堪えるかのようにこめかみを揉んだ宰相は、溜め息を吐きながら魔術師たちを振り返った。


「王妃様が貴方様の救いのために遺されたという魔法陣がどのような物であるか、一度拝見させていだきたいと、長官らとも話していたのです。父王が身罷られてまだ日も浅いと言うのに、このような申し出をすることお許しください。古参の魔術師たちも、その魔法陣を大変気に掛けているようです。私からも何卒お願い申し上げます」


 宮廷に仕えている年寄りの魔術師たちと母上は、とても仲が良かった。

 私も時々母上に連れられて遊びに行ったこともあるので、じい様達の願いとあらば聞いてやるのもいいかと思うが……。


 母上の遺言は公に伝えてはあったが、それ自体を公開したことはない。

 召喚のために造られたという塔の存在は誰にも話していなかったし、あれは母上と自分だけの秘密の場所だ。


「見せてやってもいいが、魔法陣が置かれている場所はおしえたくない。だからダメだな」


 私がそう言うと、魔術師たちはあからさまにがっかりした顔を見せた。


「実物じゃなくてもいいんです!なんとかして、その魔法陣を羊皮紙へ写すことはできませんか?」


 そう食い下がってきたのは、年若い魔術師だった。

 彼は最近、見習いから魔術師へと昇進したばかりだったと記憶している。その若者の肩を抑えた中堅の魔術師が、焦ったように声を荒げた。


「お前!殿下に対して無礼にもほどが…」


「よい。直答をゆるしただろ。めんどうくさいから話をとめるな」


 私が溜め息まじりにそう言うと、しばしの沈黙のあとで宰相が口を挟んできた。


「魔法陣を見られるのは殿下だけでございます。殿下にその魔法陣を描き写していただくことは可能でしょうか?」


「やったことがないからわからん。でも、じい様達が見てみたいというのなら試してやってもいい。ちょっと待ってろ。……羊皮紙ってどれだ?」


「準備不足で申し訳ございません。少々、お待ちいただけますでしょうか」


 塔へ他者を入れるのは嫌だったが、魔法陣だけでいいなら難しい事はない。たぶん。

 そして、失敗はしたものの最終的にはちゃんとできた。


「だいぶ小さいが、見るだけならこれで十分だろ。めんどうなことをやってやったんだから、今度、じい様達とおもちゃを作るの大目に見ろよ?」


「……殿下、これを、貴方様が、お一人で?」


 もらった羊皮紙は失敗してどっかに消えて行ったので、新しく用意した魔獣の皮に描いた魔法陣を宰相に渡した。もちろん、ご褒美はしっかりもらう。


「他にだれがいるんだよ。あんなちっちゃい紙じゃ線も文字もくっついてうまく描けなかったから、ちょうどいい大きさの魔獣でわざわざ紙を作ったんだぞ。それでもいいだろ?」


 テーブルからはみ出している獣の皮は、ちゃんと加工して伸ばしてある。

 ほんとうにめんどうくさい仕事だった。ねむいから早く話を終わらせてほしい。 


「……ええ。紙に問題はないでしょう。殿下、少しそこへお座りになってください」


「なんだ?私はもう部屋で休みたいんだが……」


「昨夜、寝室へ入られた後に、どこで、なにを、されていらっしゃったのか教えて頂けますか?」


「…………。」


 私は理不尽にもまたお小言をもらうことになった。


 魔法陣を受け取って喜んだじい様たちは、すぐに宮廷魔術師を集結させ、広間で私が縮小した魔法陣の見分をはじめたそうだ。


 だが、その喜びもつかの間のこと。

 母上の魔法陣は彼らにとって、そのほとんどが理解不能な文字で描かれていたらしい。

 最初は熱心に見ていた老年の魔術師たちも、時間が経つうちに諦めたような表情を見せ、その場はお開きになったという。

 だが、その一方で若い魔術師たちは躍起になって解読に励んでいたようだ。


 私が小さく描き起こした魔法陣では、本来の大きさのものより質も威力も劣る。その上、全てを魔力で作りあげた魔法陣には、遠く及ばないものだった。


 だが、それでも悲劇は起こった。


 この召喚の魔法陣を構成している術式の半分は、母上がよく使う転移魔法の魔法陣と似ている部分があった。それ故にまだ幼かった私でも真似して描くことが可能だったことが、災いとなってしまったのだ。


 母上やアニヤからも、自分で制御しきれないものやその構造がわからないものに不用意に触るなときつく教えられていたし、まさか自分よりも経験があるはずの大人達が使えもしない魔法陣を起動させようとするなど、思ってもみないことだった。

 年若い魔術師たちは、自分達の力を過信しすぎていたのだ。


 その結果、もたらされたもの。


 それは救いでも何でもない、魔力枯渇を起こした魔術師たちの憐れな姿。

 自力でその魔法陣から魔力を断つことができた者もいた。それが出来ない者達は騒ぎを聞きつけてやってきた熟練の魔術師たちによってなんとか解放された。だが、その時に組み上げられた破魔の術式は、無理に魔力の流れを歪めて止めるものだった。


 そのおかげで魔術師たちの多くは解放されたが、もうすでに魔法陣に魔力を絞り取られて枯渇していた彼らの命を救うことはできなかった。

 そして、その場に立ち会い、大きな魔力の歪みを間近で受けた魔術師たちは、魔法をうまく使えなくなるという後遺症を抱えるようになってしまった。


 事故の直後、幼かった私に向け何も気にしなくていいのだと言った宰相。その時の私は、魔力が歪んでしまった魔術師たちをまっすぐに見ることが出来なかった。


 国の重鎮と呼ばれる宰相や大臣、各長官らは黒竜の降り立ったあの日、王都で何があったのかを覚えていた。

 そして、世界中で獣雑じりの子どもが生まれるようになったと知るや否や、彼らは他国を行き来する商人を使って噂という形をとり黒竜の残した呪いの言葉を流した。


 ――他国の辺境地から、すこしずつ、ひっそりと。

 獣雑じりが生まれるのと同時期に流された噂が人族の間にも行き渡ったころには、もう一年の時が過ぎていた。


 その頃、すでに病床にあった父上は無理を押して二度目となる大地へ魔力を流しこむ儀式に臨まれた。そして消耗しきった父上は倒れ、ほどなくして息をひきとられた。


 まだ、四つにしかならない王位継承者。

 若すぎる王には翌年の魔力奉納のために必要な魔力が、圧倒的に足りないことを宮廷関係者は皆、理解していたのだ。彼らにしてみれば、藁にもすがる思いだったのだろう。


 母上が最期に、私の救いのために遺した召喚の魔法陣。


 父上が身罷られた時、こんな時のことを考えて前王妃が遺された物なのではないか、と魔術師たちが言いだしたのがあの事件の発端だったらしい。


 だが、その結末は多大な魔術師の犠牲と、更なる魔力不足を生み出して終わった。


「……母上の隠し塔に入ることを許されている者が私以外になかったことを、もっと深く考えていればあんなことにはならなかったのだろうな」


 力を歪められた宮廷魔術師は、この国で最高位の魔法使いばかり。

 魔力を使いこなせる高位の魔術師がいなくなったこの国には、翌年の奉納の儀式までに必要な魔力を手に入れる術を得ることが急務となった。


 だが、当時の私にそんな膨大な魔力があるはずもない。

 母上が亡くなってからも少しずつ魔力は増えていたが、それでもあの頃のアニヤと同程度だったはずだ。

 私の浅慮で失った彼らへの償いのためにも、必死に魔力を高めようと一年の時を自己強化に費やしたが、それでも足りない事は肌で感じていた。


 一年後、拒否し続けていた王座へ就くことを決めたのは、償いの為。


 父上の喪があけるのを待ち、身を引き裂く思いで建国の竜の名を引き継いだ。そうして手に入れた竜の力は、その年の魔力奉納に足りなかった分の魔力を与えてくれた。

 無事に奉納の儀式を終え、国はかつての活気を取り戻し、魔力においてはなんの憂いもなくなった。


 ただ一つ、暗い闇が自分の中に残されただけ。


 母上を死に追いやった竜の力が、この身の中に流れている。ティアを苦しめている元凶が、自分の中にまだ生きている。


 己を嫌悪する私がここにいるだけだ。


「ティアを本来あるべき姿に戻すことが、私の望み。さぁ、私の救いとなり、この世界の救世主となる者よ。ここへ来たれ」


 わずかに足りていなかった魔力を魔法陣に流し込むと、魔力が水の流れのように波打ち室内を満たした。

 目を閉じて、流れの奔流に身を任せる。

 押し寄せる流れに意識が溶け込むと、不思議な光景が脳裏へと送られてきた。



















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