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梓弓  作者: 長月 夜半
第二章 朧月
32/57

大切な物


 パチパチと薪の爆ぜる音が耳に入り意識が浮上する。

 重い瞼を上げると、霞んだ視界の向こうに見える景色は夜闇に包まれていた。


 ゆっくりと目を瞬くうちに焦点が合うようになる。すると、右側に焚かれた火から立ち昇る煙が上空へと上がって行くのがはっきりと見えた。

 咄嗟に身体を起こそうとして、左腕に重みを感じて動きを止める。視線を落として見れば、俺の腕に絡みついて眠るニールの姿がそこにあった。


「起きたか。傷は治っているが、削がれた体力は戻ってない。まだ寝てろ」


 子ども特有の高い声が聞こえ、俺達の他にも人がいたのだと身構える。だが、焚火の向こう側に座っているのがニールぐらいの子どもだと気付き、肩の力を抜いた。

 身体を起こしてそっとニールの腕を解き、俺に掛けられていた布をかけてやる。


「お前が俺達を助けてくれたのか?礼を言う。傷まで治してもらったようでありがたい。だが、一体だれがこんな魔法を?坊主の他にも連れがいるんだろう?礼を言いたい、どこにいるんだ?」


 身体を動かしてもどこにも痛みを感じない。腕や脇腹に負っていた深い噛み傷も、麻痺の症状も消えていた。ここまで見事な癒しの魔法を施せる者が、この国にもいるのだと知って純粋に驚きを隠せない。


「……質問の多い奴だな。黙ってこれでも食ってろ」


 子どもが火に()べていた棒をこちらに向かって差し出すと、その枝先には少し焦げて膨らんだ餅のような物がついていた。美味そうな餅だと思い、ありがたく頂戴する。

 だが、噛もうと被りついた途端、餅は空気が抜けたように溶けてなくなり、べっとりとした甘さが口の中に広がった。


「!?ング……ッ」


「どうだ?美味いだろ。”焼きましゅまろ”は私の好物だからな。お前は怪我人だったから特別に一個やったんだぞ。大事に食え」


 偉そうに腕組みしてそう言った子どもは、半眼の視線のままでじっとりとこちらを見ている。

 いや、見ているのは俺が食いかけている枝先の物体か。


 ……俺に自分の好物(おやつ)をくれたんだな。


 微かに苦笑して、そのまま何も言わずに甘いだけで食べ応えの全くないその菓子を食べた。


「ありがとうよ。お前の好きなもんを分けて貰っちまって悪かったな」


 甘いものはそれほど得意ではないが、貴重な栄養に変わりない。


「いい。病人と怪我人には親切にするよう言われている。……あ、こっちも食っていいぞ。私達の夕食の残りだから冷めてるけどな」


 突然思い出したかのように示した先には、大笹の葉で包まれた物が置かれていた。

 中を開けてみると、練った小麦を棒に巻いて焼いたものと素焼の肉が入っている。冷めて硬くなっているが、このまま包み直して少し火の中に入れておけば食べやすくなるだろう。


「ありがたい!腹が減ってたんだ!!」


 喜んで大笹の包みを焚火の中に押し込むと、また子どもが半眼でこちらを見ていた。


「私のやった物より喜んでるな……」


 ……これが、この面倒な子どもとの出会いだった。







「俺の名はトーチャだ。こっちで寝てるのはニール。双頭狐に噛まれたせいで毒と麻痺を受けちまって死ぬとこだったんだ。本当に助かったよ」


「そのチビから怪我を負った大体の事情は聞いてる。礼はそいつに言ってやれ。よくこちらを見つけたもんだ」


 ちらりと俺の背後に視線を送った子どもは、少し呆れたように息を吐く。


「あぁ、起きたらちゃんと言うさ。ニールは勘もいいし鼻も利くからな」


 そう笑って振り返ると、目の前の子どもは冷たい視線で俺を見据えていた。


「エルフがなぜティルグニア(ここ)にいる。自分で国境を越えてきたのか?お前らは自国から出たがらない種族なんだろ」


 尖った耳と薄い色素の肌、金の髪は生粋のエルフ特有のもの。

 一目見れば俺がエルフだと気付くのは当たり前と言えば当たり前だが、ニールと変わらないこんな子どもが、他国の少数部族の情報なんぞを知っていることに驚いた。


「物知りだな。訳あって国を捨ててきた。ニールは俺に付き合わされているだけだ。もし、何らかの咎めがあるなら俺一人が受ける」


 子どもが胡散臭そうなものを見る目を向けてきたが、ひるまずに胸を張る。


「好きにしろ。別にお前らに興味もない。もう少しすればベルニアからの難民を受け入れる体制が整うと聞いているから問題もないだろ。だが、そのチビをそのまま連れ歩くのはダメだ」


「……ニールと離れる気はない。こちらの国では獣雑じりも普通に生きていけると聞いて、わざわざ国境を掻い潜って来たんだ!あの話は嘘だったのか?」


 以前、商人から聞いた話では、ファフニアやグランニアじゃまだ獣雑じりを処分する土地があるが、ティルグニアでは殺される事はないと言っていた。

 だから国を一つ越えてまで、ここを目指してきたのだ。


「この国に夢を見過ぎだ。ここでだって、半獣はまだまだ迫害の対象であることに変わりないんだぞ。殺される可能性は低いが、酷い目にあう可能性は捨てきれない。特にそのチビは目立ち過ぎる。獣化の激しい個体は受け入れられるまでにまだ時間がかかると思った方がいい。……一部例外はいるがな」


 最後にぼそっと呟かれた言葉はこちらの耳まで届かなかった。

 湧き上がってくる悔しさに俯いて唇を噛みしめていると、子どもが立ちあがり、後ろに置いてあった大きな荷物に手をつっこんでかきまわし始めたのが目に入る。


「……あった。仕方ないから、お前らにこれを貸してやる。いいか、貸すんだぞ?やる訳じゃないからな。絶対に返すんだぞ」


 目の前に差し出されたものは二着の子ども着だった。

 ニールの体型に丁度合う。目の前の子どもには少し大きいくらいか。

 ものすごく不本意だという顔で大事な物を差し出してくる姿は、さきほど好物を分けてくれた時に見せた表情と同じものだ。


「こっちの”こうもり”って生き物の刺繍があるほうをそっちのチビに着せておけ。で、こっちはお前が着ろ。いや、お前じゃ胴囲が合わないか……。じゃあ、腹にでも巻いておけ。きっとお前らを助けてくれるから、肌身離さず持ち歩けよ」


 子ども着の背中に刺繍されている飾りは、黒いぎざぎざの羽をもつ変わった生き物のような模様と三角を組み合わせた模様のふたつだった。


「これは?」


「この模様には魔力で増幅された加護がついてる。”こうもりも鳥のうち”だとか何とか言っていたが、要はこれを着ていると相手が勝手に仲間扱いしてくれるらしいぞ。ついでに”やり過ぎは禁物”だそうだ」


「……そりゃ、どういう意味だ」


 ティルグニア王国の魔道具は質が高い事で有名だが、説明された内容がわからず眉根を寄せると、話をしている子ども自身も肩をすくめて首を振った。

 効果の説明をする子どもは、それまでのつまらなそうな顔から楽しげな表情へと一変している。自慢げに語るその姿を微笑ましく見ながら話の先に耳を傾けた。


「いや、私にもよく意味はわからん。こっちの籠目模様は魔獣避けの効果がある。これを身につけていれば狂化した奴らに襲われる心配がなくなるんだ」


「へぇ…」


 差し出された上着をしげしげと見ていると、それまで聞こえていた声が少し低くなったのを感じて視線を向ける。すると、唇を引き結んで不満そうな顔をした子どもと目が合った。


「……絶対に返せよ。返さなかったら許さないからな!?」


 ちょっと涙目になってまで大事にしている物を貸してくれると言う子どもの姿に、うっかりもらい泣きしそうになる。


 ……いかん、ニールと一緒に居るようになってから俺も少しおかしくなってるようだ。


「ありがとよ。大切に使わせてもらうよ。落ち着いたら必ず返しに行く。約束だ」


 こんな服の一枚二枚でこの先どうにかなるとは思えなかったが、ありがたく借り受けておくことにした。


「……そのチビの傷、ベルニアでやられたのか?」


 子どもの視線の先、俺の隣で寝息を立てるニールの頭部には包帯が巻かれている。顔半分を覆う包帯の下は酷い火傷と左目に受けた矢傷が隠れていた。

 町に避難して来た奴らから夜中に襲撃を受けて負った傷だ。


 ニールの夕焼け色をしていた左目は、ほぼ光を失っている。


「瘴気による人心狂化の影響だろうな」


 簡単にいきさつを話した直後、さらりとそう言った子どもの言葉に驚き、問い詰めた。


「ふざけるなよ、瘴気が人に害を及ぼすなんて、俺は今まで聞いたことがない。お前のような子どもがなにを知っている?」


「私もあの国で狂った奴らを見たからな」


 ……こいつも、ベルニアから逃げて来た避難民だったのか?


「詳しく調べたわけではないから確かな事は言えんが、瘴気による穢れは魔獣だけでなく生き物全てに溜まるようだ。魔力を持つ生き物が一定量を越え瘴気を溜めこむと、気が触れるというのが仮説として立つ。それに耐えられないほど脆弱な生き物は眠りに就く。……魔力の弱い者ほど影響を受けやすく、密度の濃い瘴気に曝され続ければ魔力の乏しい人間など簡単に堕ちるだろうな」


 自嘲するように嗤った子どもの表情は子どものそれとは思えない、苦さを含んだものだった。


 しかしこの発言を、子どもの戯言と笑う事は出来なかった。

 商人から聞いていた王都の人々の様子と合致する点が多過ぎる。ほぼ魔力のない動物たちが地中で眠りについていたのも、そういうことだったのかと納得が行く。

 

 もっと早くに避難民たちの変化に気付いていたら、ニールをこんな目に合わせずにすんだのだろうか。

 どうしようもない憤りが胸を焼いた。


「この先の鉱山地帯に、ドワーフの治める領地がある。そこでしばらく過ごすがいい。バルドの紹介だと言えば、すぐに受け入れてくれるさ。必要がなくなった時には、私の服もそこに預けておけ。いいか、絶対に返せよ?必ずだぞ?」


 そう何度も念押しした子どもは、また自分の座っていた場所に戻り、置いてあった布に包まって横になった。

 子ども達の寝息が重なるころには俺も、腹が満たされたためかひどい眠気に襲われた。だが、こんな山の中で見張りも立てずに眠ることなど出来ない。


 ―――そう思っていたのだが、襲い来る眠気に抗えず、そのまま意識を手放してしまった。


 翌朝、目覚めた時には燠火(おきび)がまだ燻っていた。

 だが大きな荷物と、生意気そうな金緑色の瞳を持つ青髪の子どもの姿は消えていた。


 夜の間に魔獣がここを襲ってきた様子はなく、少年が腰かけていた倒木の上には2人分の水と携帯食が残されてあった。








「良ろしかったのですか?あんなところへ放置して」


 足元にある石を、苛立たしそうに蹴飛ばして歩く少年に向かってそう声を掛けると、不機嫌そうな声が返ってくる。


「人聞きの悪いことを言うな。やれることはしてやったんだ文句を言われる筋合いは無い」


 こちらを恨めしげに見上げて来る少年の瞳には、涙が浮かんでいた。


「……本当は貸したくなかったんだぞ。でも、あいつがおんな子どもには優しくしろって、怪我人と病人にも優しくしろって言うから……!ふっ、ふぐっ……傷も治したし、大事な物まで貸し与えたんだ、あいつら、返さなかったら一生許さないからな!」


 泣きべそをかきながら自分のしたことをぐずぐずと言い募るのは、10歳ほどの身体に成長した我が主。断片的に記憶を取り戻されている途中だが、感情のコントロールをするのはまだ難しいようだ。

 以前の主に比べると、まだまだ精神年齢は幼く魔力も完全には程遠い。


 だが、嫌々ながらも人の事を考え、どうしたらあの方に認めてもらえるかを必死になって考えている姿は微笑ましいものだった。


「バルド、気味の悪い顔をするな。不愉快だ」


 ……相変わらず、主は私に手厳しい。


 表情を引き締め、主に合わせた歩調でゆっくりと歩く。

 手厳しさも気を許されているのだと思えば、誇らしさを覚えるものでしかない。こうしてこれまで通りこの方と共に過ごせることに深く感謝していた。


 日々成長の目覚ましい主は、ある日を境に記憶が甦られている。


 そう、アズサ殿がいなくなられたあの日から――…。













 何度も繰り返されるノックの音。だが、部屋の中からは何の応答も返らない。


「もう出ておいでよ。お腹すいたでしょ?キミの好きなおやつもいっぱい作ったんだから、機嫌なおしてよ」


「アズサ、もういいからあんたも食事を摂っといで。ここはあたしに任せてさ。アズサの分だけでも片付けてもらわないと調理場の仕事が片付かないんだよ」


 母上の言葉に力なく肩を下げたアズサ殿は、心配気な瞳を扉の向こうに向けながら、しぶしぶ食堂へ降りて行かれた。

 母上の言葉はもちろん方便だ。アズサ殿だけでもちゃんと食事が出来るようにと配慮されているのだろう。それがわからぬアズサ殿でもない。


「……坊ちゃま、ご自分のされたことを反省なさっておいでなのは分かりますが、これではアズサを困らせているだけなのですよ。謝るべきことはしっかりと謝罪なさればいいのです。アズサはちゃんと坊ちゃまの気持ちを受け止めてくれますから」


 怒りに駆られ(私の腕と間違えて)アズサ殿の腕に噛みつき、怪我を負わせてしまったことが余程身に堪えたようだ。幼い主はあの直後から部屋に閉じこもっている。

 昼にも出て来ず、好物の菓子にも反応はない。

 夕方の今になってもまだ籠城を続けているのは、もはや、あの方の意地なのではないかと思っている。


「仕方が無いね。バルド、お前も食事を摂ったら王女殿下のもとに集まっておくれ。このあとの判断はティア殿下にお任せする方向でノディアクスとも話はついてるから。……あれは早急に届けておきたいしね。お互いに無駄な時間を過ごす余裕はないんだ。あたしもセバスと交代したらそちらへ向かうよ」


「承知しました」


 一度、ドアの方へ振り返りじっと中の様子を探る。

 幼い主は泣き疲れているのか、ずっと動く気配が無い。眠っているわけではなさそうだ。先程からここで交わされている声はあの方の耳に届いているはず。

 だが、全てを忘れてしまわれている主には、母上とのやりとりを理解することはまだ難しいだろう。


 ひとつ息を吐いて、扉の前から移動した。

 この後の話し合い次第では、アズサ殿を頼りにすることになる。今の状態の主から離れて私が向かうことを許されれば話は別だが、そうはならない予感がしていた。






 少し遅れて王女殿下のもとへ向かうと、室内には浮かれた空気が漂っていた。


「本当にいいの?うわぁ、嬉しい!」


「えぇ、アズサにはずっと休みなしで働いてもらっているのですもの。ただ、今回の休みもお願いしたい用件のついでだというのが心苦しいのですけれど……」


 気後れする王女殿下の姿に、目を輝かせながら応えるアズサ殿の表情は明るい。

 ――先程まで主の部屋の前で見せていた意気消沈、というような姿は微塵も残っていなかった。


「いいの、いいの。シャムロックさんにはわたしも会いたかったんだもん。それに、ついでにのんびりして来ていいんでしょ?温泉があるんだよね?うわぁ、うわぁ、嬉しい~!」


 連続で跳びはねて喜びを露わにするアズサ殿の姿に、王女殿下も嬉しそうに声を弾ませた。


「シャムロックがいるアニヤの故郷までわたくしの転移魔法でお送りしますわ。10日後にお迎えに行くまでのんびりと過ごしてくださいませ」


「そんなに!?うわぁ~、楽しみ。……でも、ティアさんも一緒に行けたら良かったのに」


「申し訳ございません。でも、お迎えに行く時には少し時間がとれますのよ。一緒に里を案内していただけますかしら」


「うんっ!じゃあ、ティアさんが来るまでに、わたしが観光名所を案内できるようになっておくから!一緒に美味しいご飯と地酒も呑もうねっ。夜は月見風呂で一杯とか最高じゃない?」


 大はしゃぎのアズサ殿は主の見張り……いや、側に控える役目をセバスと交代した母上に荷物の相談を始めた。


「今日の夜から出発するんですよね?ぼっちゃまの荷物はアニヤさんにお願いしてもいいですか?わたしが行っても部屋に入れてくれないだろうし」


 アズサ殿は、最初に御自分が籠城したこともあって、主があのような態度に出ていると思われているようだ。


「アズサ、最初の移動には坊ちゃまは同行させないから、あんたはゆっくり羽を伸ばしておいで。坊ちゃまもしばらくは気まずくてあんたと顔を合わせるのに時間がかかるだろうし、本人が行きたがったら後から姫様に送っていただくよ。その間はあたしがお世話するから大丈夫。今回の旅はアズサへのご褒美だと思って、めいっぱい楽しんでおいで」


 土産に地酒を強請(ねだ)っている母上は、本当なら自分も着いて行きたかったのだろう。欲しい酒と特産物のリストをちゃっかりアズサ殿に握らせている。


「……わかりました。わたし、お土産いっぱい買ってきますね。育児のストレスなんて全部温泉で洗い流してきてやりますよっ」


 母上の言葉に一瞬、アズサ殿が表情を曇らせたように見えたが、気のせいか。

 次に顔を上げた時にはもう明るい表情で、拳を上げて意気込みを語るアズサ殿の頭には、旅のことしかないように見えた。

 弾むように部屋を出て行くアズサ殿を苦笑して見送る。


「じゃあバルド、竪琴の弦はちゃんとアズサに持たせてやっておくれよ。(おさ)殿への手紙はこれからあたしが書くから、シャムロック伯父上の方はお前に任せるね」


 必要なことをあれこれと話し終え、母上は足早に部屋を出て行かれた。


「では、ティア殿下。竪琴から回収した弦を預からせていただきます。アズサ殿の荷物の中に先に入れておいた方が安心でしょう」


 王女殿下の方へ振り向くと、殿下は複雑そうな表情を浮かべ、壊れた竪琴の残骸に目を向けていた。

 弦を全て外され用途のない竪琴だが、処分されることはない。だが、このままここへ置いておくことも出来ないと、このあと片付けられる予定だ。


「お母様の形見である竪琴に使われていた弦が、バルドの作った弓の弦と同じものだったなんて。なぜ今まで気づかなかったのかしらね。でも、やっとこれで一歩前進ですもの。お母様には申し訳ないことをしてしまいましたが、アズサが浄化に使える弓の弦が手に入ったのです。哀しいばかりではありませんわ」


 王女殿下から手渡された竪琴の弦は、太くしなやかで美しい銀色をしていた。弦の中に光を通したような魔力の流れが感じられ、確かに、自分が弓の弦に使ったものと同じ素材だと確認する。

 ここにある物は、端材を張ったあの弓の弦よりもかなり良い状態の素材だった。


「シャムロック爺には既に弦の発見についての書簡は送ってあります。これだけの長さがあれば、あの方ならすぐに試作品を作ってくれるでしょう。アズサ殿に託す手紙には、弓が仕上がり次第、連絡が欲しいと書き記しておきます。完成報告の書簡が来れば、こちらからすぐに向かう旨も綴っておきましょう。その折にはまた殿下にお力をお貸しいただければと思いますのでよろしくお願い致します」


 殿下からの頷きが返り、私はすぐにその場を辞して手紙を書き、荷づくりをするアズサ殿に弦とともに手紙を託した。

 その後しばらくの時間がたち、アズサ殿の準備が整っても主が部屋から出てくることはなかった。

 騒がれなくて丁度良かったと母上は言ったが、こちらとしては、アズサ殿の不在を知った時の主を思うと気が気ではなかったのだが……。






 その翌日の明け方、離宮にいた者達は甲高い絶叫で目を覚ますこととなる。


 アズサ殿が以前使われていた使用人用の寝室に跪き、頭を抱え呻き声をあげる幼子に、皆が驚き動揺した。魔術具で明かりを灯してみると、幼い主の足元には砕け散った腕輪の残骸が散らばっていた。

 何があったのか近寄って確かめたいが、それが出来ない。


 苦痛に耐えるかのように時折り絶叫する主の身体からあふれ出る魔力の波動は、空間が歪んで見えるほどのものだった。

 魔力に乏しい我が身では同じ室内に居るだけでも息苦しい。

 あまりにも強い魔力の放出に誰もが近づけずにいる中、遅れてやってきた王女殿下は、するりと足元を抜け主のもとへ難なく進まれて行った。


「お兄様、落ち着いてくださいませ。どうなされたのです」


 そう声をかけた王女殿下は、雪豹姿からナイトガウンを着こんだ姿へと変貌を遂げると人形(ひとがた)をとられた。頭を抱え泣き震える幼子をその両腕に抱えると、気遣わしげな表情で苦しむ幼子の背中をさすって落ち着かせようとされている。

 自身を包む腕に気付き、苦痛に歪ませた表情で殿下を睨んだ主は、絞り出すような声を出した。


「……どこだ」


「え?」


「……あいつを、どこへ……私から、離すなと……あれほど……」


「――!お兄様、思い出されたのですか!?」


「バル…すぐ……、……ベル…アが……」


 言葉の途中で主の意識は暗転したようだ。主はガクリとひざから崩れ落ちると、王女殿下に体を預けた。

 側にいた我々は事態を正確に把握出来ず、茫然とする。

 王女殿下は訝しむような表情をされた後で、何かを探るように眉間を寄せ、すぐに大きく目を瞠った。こちらへ視線を上げると、青ざめた顔で震えた声を出す。


「……アニヤ、わたくしは今からドワーフの里へ参ります。すぐにアズサの安否を確認しなければ」


 王女殿下の言葉に、駆けつけた子ども達や使用人たちも、何か不穏なものを感じて息をのむ。


「姫様、アズサになにかあったのですか!?」


「……いいえ、まだ、わからないわ。アズサの気配が追えないだけ。今までも、少しの間ならそのようなことはありましたもの」


 意識のない主の身体を抱え上げられなかった殿下は、仕方なく床にそっと下ろし姿を消した。王女殿下の起こした風が室内をふわりと包み、私達はその場に取り残される。


 意識を失った主は、そのまま高熱を出して丸一日、目を覚まさなかった。





 その翌日。


「あんのクソ精霊とクソ竜、ゆるさない、絶対ゆるさないぞ!次に見つけたら……潰す。叩いて捻って握り潰してやる!」


 目を覚ました主の第一声がこれだった。

 寝ずの看病についていた母上も、側に控えていた私も驚いているうちに、体を起こした幼子は自分の手を見て顔をしかめ、体を幾分か大きく成長させた。

 一気に幼子から少年の姿に変わられた主を見て、母上は声もあげず両手で顔を覆いすすり泣いている。


 あれからほどなくして離宮に戻られた王女殿下も、今は自室で休まれておられる。

 憔悴した様子で戻られた王女殿下からの報告は、私が想像していた最悪の状況ではなかったが、安心できるものでもなかった。


 成長の具合にいまいち納得がいかなかったのか、主はむっとした表情で手を握ったり開いたりして魔力を量っている。昔からよくされていたその仕草を見て、どこか安心している己を感じた。


「バルド、すぐにここを発つ。ついてこい」


「……!承知しました!」


『『 ゴスッ 』』


「ぐっ……。何をする、アニヤ……!痛いではないかっ」


 膝をついていた私とベッドに半身を起き上がらせていた主の頭に、いつの間にか立ちあがっていた母上が拳を落とし、揺らぐような怒りの気を立ち昇らせていた。

 静かな笑みを湛えた母上は、頭を抱え半眼で睨んでくる少年を見下ろしている。


「陛下?いくつになっても学習しない愚かな頭は、もう少し刺激を与えた方がよろしいかと存じますわ」


 母上の笑顔の中にある冷めた目を見て、私の中に立ち昇っていた熱い気持ちが急速に温度を下げて行く。頭を抱えたまま固まる主の顔色も悪い。


「お話を、致しましょう。まずはそこからです。……よろしいですね!」


「「 はい 」」


 ここは対応を間違えてはいけない、子どもの頃からの刷り込みが条件反射の応答をさせていた。



















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