半獣
「アズサ、待たせたね。あぁ、子ども達を見てたのかい?声を掛ければいいのに」
わたしの肩をたたいてそう言ったアニヤは、隣に立つと子ども達へ目を向けた。
わたしが子ども達から少し離れた場所で隠れるように見ていたことが不満なようだが、それ以上何か言われることはない。
彼女が子ども達を見る目は、穏やかで優しいものだった。
「みんな働き者ですね。洗濯や薪割りって結構重労働なのに小さい子達は楽しそう」
よく手入れされている庭木。花壇のある広い庭園の片隅には可愛らしく、こじんまりとした小屋がある。そのそばには屋根のあるポンプ井戸が設置されていた。
井戸近くの開けた場所には先程食堂に集まっていた子ども達がいる。
10歳前後の少年達が小ぶりの斧を器用に使いこなして薪を割り、割った薪を小さな子達が一生懸命に小屋へと運び入れせっせと働いていた。
3歳くらいの一番小さな子も大きな薪を嬉しそうに両手で抱え、ずり落ちるたび足を止めて抱え直す仕草が微笑ましい。
頬を真っ赤にしながら小屋から走り出てきてはまた、休まずに次の薪を選んでいる。
ポンプ式の井戸の側では洗濯板らしき物を使って布をこする、一番背の高い赤毛の女の子がいる。
青いスカーフを頭に被ったその女の子は、自分の手は止めないままに、小さな子達に目を配り声をかけていた。
太めの棒を振り回して遊ぶ子には使い方を教える横で、彼女より少し小さな女の子達も年下の子に持ち方を見せ教えている。
見よう見まねで衣類を叩いてる幼い子達は、飛んでくる水しぶきに大はしゃぎで、全く戦力にはなってなさそうだけど。
洗濯場には赤いスカーフを被ったチビちゃんの姿もあった。遊ぶ子達の中には入らず、熱心に洗濯物を叩いている。
よく見れば、薪割りをしていた男の子の一人はわたしを起こしに来てくれた男の子だった。チビちゃんのお兄ちゃんは慣れた手つきで大きな丸太を割っている。
小さな子の表情が豊かで生き生きとしていている反面、大きな子達はただ黙々と作業をこなしている子が多いようだ。中には、小さな子を避けるように距離を取っている子もいた。
わたしも体験学習で洗濯板や斧での薪割りに挑戦したことがあったけど、薪から斧が抜けなくなるし、なぜかわたしの洗濯だけがぼたぼた滴が地面に落ちて水たまりを作っていたなと思い出す。
体力勝負の活動では正直、あまり良い記憶がない。
慣れた手つきで仕事をこなしている子ども達は、日常的にこの仕事をこなしているのだろう。お屋敷の食堂には大きな暖炉があったが、寒くなればこの薪が使われるのかもしれない。
便利な電化製品に囲まれた生活に慣れたわたしには、耐えられそうにないなと若干の衝撃を受けて遠目から見ていた訳なのだが。
なんだか、胃がシクシクしてきた。これは心の問題か、はたまたさっきの水が原因か。
「ここは人手も予算も限られているから、子ども達にもやれることはやってもらわないと生活が成り立たないんだよ。もっと、手伝ってくれる大人が増えてくれたら嬉しいんだけどね。あんまり信用出来ない者を入れて、危害を加えられるのも嫌だしね……」
過去に何かあったのだろうか。
子ども達に向けられていた笑顔は、顰められた表情の下に消えている。
「いつまでここにいられるかは分からないですけど、わたしもお手伝い出来ることがあればやらせてくださいね」
彼らの仕事っぷりを見る限り、現代っ子のわたしが役に立てる可能性は低い。だが、一宿一飯の恩義は返さねば、と思いお手伝いを申し出た。気は心というじゃないか。
……すでに一宿一飯で済みそうにない事が問題だけどね。
「ありがとうよ、あとであの子達にもちゃんと紹介するからね」
彼女はそう言って微笑むと『まずは生活に必要な場所から教えとこう』と一階にあるトイレや炊事場の横に簡易で作られたシャワー室を教えてくれた。
この国ではあまり湯船につかる習慣はないようで、身体を拭いたり炊事場で沸かしたお湯を汲みあげたシャワーを使って清潔にしているそうだ。
トイレは下水道が整っていて自分達で井戸の水を汲み上げて水を流すタイプの水洗式だったので少し、いや、大分安心する。あの洗濯状況を見てトイレはボットンかもしれないと密かに怯えていたから。
祖父とよく利用した山小屋はボットンが多かったのだ。子どもの頃はあの臭くて深い穴にいつ落ちるかと想像するだけで叫びだしそうだったのを覚えている。
屋敷の中に戻り、早速トイレを使わせてもらって一心地つくと、どこかから聞こえてくる赤ん坊の泣き声が気になった。
「食堂に来なかった小さな子達はどこにいるんですか?」
「ああ、それなら二階にいるよ。ついておいで」
入ってもよい場所や使い方、気をつけることなどを細かに説明してもらいながら移動する。
一階にはトイレにシャワー、食堂に炊事場、会議室、応接室、大広間があって部屋数は多くはないが一部屋ごとが大きく、扉の装飾もそれぞれ違っていたのですぐに覚えられた。
階段を登って二階には貴賓室、賓客室、客間、執務室、使用人の生活スペースなどがあり、こちらもそれぞれ扉の装飾が違うので間違えずに済みそうだ。
今は客間と執務室が子どもたちに開放されていて、今後人数が増えたら一階の大広間に生活の場を移動する予定になっていると説明される。
大広間は子ども達が暮らしやすいように改築工事が行われていて、もうすぐ完成するらしい。
今朝わたしが使わせてもらったベッドは使用人用の生活スペースらしく、まだ自分の荷物を置かせてもらっていることを思い出し、それを伝えた。
「荷物はそのままでいいよ。息子と話せるのは夜遅くなるはずだから、今夜もここに泊って同じベッドを使うといい。あたしの他に、もう二人赤ん坊を面倒みている女性がいるんだけど、彼女達は家からの通いだし、あたしは赤ん坊と同じ部屋で寝ているからあそこは使ってないんだよ。今のところ、あそこを使うのはバネッサとアズサだけだから気兼ねなく過ごすといい」
「ありがとうございます。助かります」
このお屋敷の中を色々見せて貰っているが、やっぱり電化製品の類やコンセント一つ見つけられない。庭からみた限りでは電線のような物もなかった。思い切って色々聞いてみたが、結果からいえば、わたしの話はアニヤにほぼ理解してもらえずに終わったといえる。
信じられないことに電気自体がこの国には存在していないということがわかった。そして、アニヤから聞かされたこの国の便利アイテムは、予想外のものだった。
「申し訳ないけど、あんたが言ってることの半分もわかんないねえ。デンキってのは知らないけど、便利な物で周囲を明るくする魔術具は王宮関連では今もそこらじゅうで使われてるよ」
……は?
「魔術具を使えば色々便利なんだけど、なんせ魔力不足のご時世だからね。あと、高位の魔法使いは瞬間移動の魔法が使えるね。だが、やっぱり魔力不足で困窮している今じゃ、どこに行ったって起動している魔術具を見かけること自体が減ったし、すごい魔法を使いこなすような魔法使いにだってそうやすやすとお目にかかれるもんじゃないからね」
「ま、まほう……?」
当然のことのように話すアニヤからの、突然降ってわいたファンタジーな発言に固まった。わたしの中の常識が、どんどん追いつめられている。
何も言えず沈黙していると話が一段落ついたと判断したらしい彼女は、少し前から足を止めて話し込んでいた目の前の扉を示し、『ついたよ』と告げた。
どうやらとっくに目的地に着いていたらしい。
蔦の絡まる装飾が施されたドアをノックしながら、『ここが元執務室で、今は赤ん坊部屋さ』と気合を入れるかのように深呼吸したアニヤが両開きのドアを開ける。
その音に反応したかのように小さな泣き声が聞こえてきた。
「おや、起こしちまったかね」
重厚なドアを開けて中に入ると、ふんわり香るミルクの匂いとオムツの独特な臭いが漂ってくる。
赤ちゃんの泣き声と二人の子がオモチャを取りあいっこする声。それを大人が仲裁している横では、絨毯の上で指をしゃぶり、うとうとと舟を漕いでいる子がいた。
壁際と開け放たれていた窓際の近くには、子ども用のベッドがずらりと並んでいて、すでに数人の子が眠っている。内装は豪華なホテルの一室のようだが、この部屋はどこからどう見ても乳児の保育室だった。
「あらあら、大騒ぎだこと!」
アニヤは今泣きだしたばかりの赤ちゃんのもとへ足早に駆けつけていく。
中央にあるソファやテーブルなどが置かれた場所には、赤ちゃんにミルクを飲ませていた年配の女性がいた。赤ちゃんを抱えたアニヤに何事か話しかけているようだ。
オモチャの取り合いを仲裁していた女性は、あくびをしてぐずり始めた二人を窓際のベッドへ誘っていった。
室内を見渡して、数えてみれば計八人の乳幼児がいた。
3か月程の大きさの赤ちゃん二人と、1歳前後の赤ちゃんが三人。1歳半から2歳程度と思われる子が三人だった。
壁際に並べられたベッドに空いている場所あったので、絨毯の上で目を瞑り、舟を漕いでいた子をそっと抱き上げてベッドまで運ぶ。
シーツの上に下ろされると、寝返りをうったその子の前髪が横に流れた。
顕わになった額には、出っ張りのような瘤が一つ。たん瘤にしてはやけにとんがっているその瘤に見入っているとアニヤから声を掛けられた。
「アズサ、ちょっとこっちに来て手伝ってくれるかい」
「はいっ」
はっとして、子どもに上掛けをかけた後、すぐに彼女のもとへ向かう。すると、アニヤと話していた薄茶色に白髪のまじった初老の女性が、申し訳なさそうな顔でわたしを見ていた。
「初めましてアズサ。私はステイシア・ギルデランと申します。以後お見知りおきくださいませね。早速で申し訳ないのだけれど、少し席をはずしたいの。この子を見ていてくださるかしら?」
「初めまして。アズサ・モリナガです。こちらこそ宜しくお願いします。授乳の続きをすればいいんですね?大丈夫ですよ。ゆっくり行ってきてください」
一瞬驚いた表情を見せた後、恥ずかしそうに頬を染めたステイシアに身体を寄せ、ミルクを飲み続ける赤ちゃんと哺乳瓶ごと受けとった。
「おやまあ、慣れた手つきだこと。ほら、ステイシア様ったら、見とれていないで早く行ってらっしゃいまし」
「……あら、そ、そうね。では、失礼させていただきますわ。すぐ戻りますから、お願い致します」
ステイシアが立ち上がると、窓際のベッドに子どもを寝かしつけ終えたらしい女性がこちらへやって来るのを見つけ、アニヤが声を掛けた。
「お疲れ様でしたね。上手いことみんな眠っているのですから、ステイシア様もシェ-ラ様と一緒にそのままお食事を摂っていらして?ここはアズサと私で見ておりますから」
「まあ、ではお言葉に甘えさせていただきますわアニヤ様。初めましてアズサ。私はシェーラ・ファナデリウスと申します。大変だと思いますが、宜しくお願い致しますわね。大丈夫かしら?何かあればすぐに呼んでくださいまし」
頬に手を当て心配そうに眉を寄せたシェーラと呼ばれる女性は、アニヤと同い年くらいに見える。
花がほころぶ様な笑顔を浮かべ、ふわふわとした儚げな雰囲気をしている女性だ。
豊かな栗毛の髪はゆるやかに編み込んでアップにまとめてあり、少し垂れ気味の瞳は透き通るような碧眼だった。若いころはかなりモテモテだったのではなかろうか。
「初めましてアズサ・モリナガです。ちゃんと責任を持ってみていますから、ゆっくり休憩してきてください」
笑顔でそう伝えると、アニヤと同じワンピースにエプロン姿の女性二人は目を瞬いた。
だがすぐに、朗らかな笑みを浮かべ休憩へ向かう。
アニヤに聞いた話では、これまで一緒に休憩を取る機会がなかったらしい。
二人は優雅な足取りであっという間に扉の向こうへ消えて行った。
わたしの腕の中に納まる3カ月くらいの赤ちゃんは、まどろみながらも、んくんくと休まずにミルクを飲んでいる。大変良い飲みっぷりだ。
手近にあったソファに座って授乳をしていると、ぐずっていた赤ちゃんを寝かし終えたアニヤが隣に腰かけた。
「いきなり手伝わせて悪かったね。だけど、アズサ、あんた本当に手慣れてるねぇ。妹か弟でもいるのかい?」
感心した様子でそう言ったアニヤは、赤ちゃんのほっぺを突いて視線を合わせると嬉しそうに微笑んだ。迷惑そうに眉をひそめている赤ちゃんの表情が可愛い。
「いえ、一人っ子ですよ。わたし、子どもを預かる仕事をしているのでこういう事なら得意なんです」
「あんた、まだ小さいのに見かけによらず苦労してるんだね。その年で子守の仕事が身についてるなんて」
「いやいやそんな、苦労なんて言う程の事はしていませんよ?わたしが働き始めたのは二十歳からですから。それでも4年ちょいは働いているので育児のコツはつかめてきた気がします」
またわたしを小学生扱いする彼女に年齢を強調してみた。
「あんた、まだ自分は25歳だとか言うつもりかい?」
笑ってお喋りしながら、飲み終わった哺乳瓶をテーブルに置いて赤ん坊を立て抱きにする。
顎を肩にのせて背中をさすると、背中に何か入っているのか肩甲骨のあたりに柔らかい膨らみを感じた。気になって撫でていると、『ゲフッ』とゲップが出たのでちょいっと襟元を開けて背中を覗いてみる。
やっぱり、赤ちゃんの背中からは、左右の肩甲骨のあたりにそれぞれ、くの字に曲がった関節のようなものがつき出ていた。
「……アニヤさんこの子、背中に奇形があるんですね。何かの病気ですか?」
ダメ元で訊いてみたのだが、アニヤはあっさり教えてくれた。
個人情報うんぬんは、ここではあまり気にされていないのかもしれない。
「あぁ、その子は有翼種の半獣なんだよ。もう少し大きくなったら何の獣と混じってるのか判別がつくかもしれないけど、今はまだ羽のある種族だろうって事しか分からないそうだよ」
「――ユウヨクシュ?は、はんじゅう、ですか?」
何を言っているのか解らない。それ以前に、なんとか理解しようと思っても、言葉が頭に入ってこない。
……?あれ、なんだかこの感覚デジャビュ…?
既視感を覚え首を傾げていたわたしに、彼女は丁寧に教えてくれた。
「アズサは半獣を知らないのかい?人間の親から生まれたのに、獣の身体を持って生まれてきた子どもを半獣と呼ぶんだよ。色々な種類の半獣がいるけど、翼を持つ種類の獣が有翼種って呼ばれているのさ。この子の背中の羽はまだもう少し大きくなるだろうね」
その言葉で、自分が何を考えていたのかすっとんだわたしは。目の前で気持ちよさそうに眠る赤ん坊を凝視した。
「これが……翼になるんですか?鳥みたいに?」
「そうさ。だけど、飛べるほどの機能が備わっていない見かけ倒しのちっぽけな翼だよ。獣にもなりきらない、完全な人間にもなれない、歪な存在なのさ。ごく稀に獣の姿そのままに生まれてくる子もいるんだけど、そういう子は大体が世に出る前に……ね」
彼女は深い溜め息を吐きながら、苦々しく微笑んだ。
しばらくお互いに沈黙していると、子どもがぐずり泣きを始めた。さっきアニヤが寝かしつけた子が寝ぐずっているようだ。
他の子が起きてしまう前にと、急いで様子を見に行く彼女のあとに続いて席を立ち、一つだけ空いていたベッドに向かう。すっかり寝入った腕の中の赤ちゃんをベッドに下ろすと、『ふにゃぁ…』と力ない声を上げたが、トントンするうちに寝入ってくれた。
ぐずった子はオムツが汚れていたようだ。
わたしは他にやることもないので彼女についてオムツ替えの様子を見せて貰う。
部屋の隅に用意されたオムツ替えスペースには、オムツの替えが棚の中に丁寧に並べて用意されている。
褐色をした布の上に使いこまれて柔らかくなった麻の布を折りたたんで敷いて股を挟みこみ、前と後ろの布を押さえるようにお腹周りを晒しで巻いただけの布オムツだった。
褐色の布は予想以上の性能で通気性が高いくせに水をはじく優れ物らしい。だけど、これじゃすぐにずり落ちてしまいそうだと思った。
もう少し手を加えれば使い勝手が良くなりそうなのに。
そのまま彼女の後ろについてオムツを替える様子を見ていると、オムツを外された赤ちゃんの尾てい骨からちょろんと垂れる尻尾を発見した。
右に左にくねくね動いて、オムツを替えるのに邪魔だったのか、アニヤにぺいっと追い払われてくるっと丸まり、尾てい骨の上に収納されていく。
「この尻尾、本物……?」
「なんだい、やってみるかい?」
ぽつりと呟いたわたしの言葉を勘違いされたようだが、ちょっとやってみたかったので代わってもらう事にする。
左手で両足を少し持ちあげてお尻を浮かし、汚れた布と新しい布を交換した。
どうしても気になって、ちょんと縞の入ったふさふさの尻尾を指先で漉き下ろすようになでてみると、毛の中にしっかりとした筋肉を感じる。
それがすぐにまたくるんと収納されていくのを見ていると、横から『あ』というアニヤの短い声があがった。
『 ショワワ~… 』
「……アズサ、オムツ替えは手早くやらないと」
あきれ顔で注意されてしまった。面目ない。
「うぅ、すみません。つい、可愛くって……」
見とれていました。ごめんなさい、寒かったよねすぐにしまうから許してください。
そう心の中で懺悔して、予備の布オムツでさっと拭きあげ、手早くオムツを替える。するとその子はもうぐずることもなく、ベッドに下ろされ眠った。
「――本物だった…」
自分の手を見下ろし、まだそこに残る尻尾の感触を思い出す。
赤ちゃんの尾てい骨から生えていた尻尾は、近所に住んでるにゃんこの尻尾とそっくり同じ感触だった。
思わず笑顔をこぼし、子ども達が寝静まった広い室内を見渡す。
いくつもの小さな寝息が聞こえてくる様子は、わたしの勤める保育園のお昼寝と変わりない。違うのは、この子達には動物のような尻尾や耳、角や翼が生えているということか。
実際のところ半獣なんて今までの常識では信じられなかった。
でもこれは、作り物の特殊メイクなんかじゃない。この子達は特異な体型を持って生まれた生身の人間だった。
触れればしっとりと柔らかく温かい子ども達の身体。そのぬくもりが確かに生きているのだと実感を与えてくる。
……あ、これがわたしの見ている夢って可能性もあるかも?
ふっとまたおかしくなって笑いがこぼれる。
夢だって良いじゃないかと思う。いつか覚めてしまうとしても、わたしは今、この子達の存在を否定したくない。そう感じていた。
「……半獣ってなんだか悲しい呼び方ですね。この子達、こんなに可愛いのに」
寝静まった子ども達を起こさないように声を潜めて話しかけると、それに気付いたアニヤの声も同じように潜められた。
「そうだね、あたしもそう思うよ」
しばらく、声を潜めてお喋りをしていると小さなノックの音が聞こえて、扉の向こうからステイシアとシェ-ラが顔を出した。
どうやらお喋りしているうちに1時間も経っていたらしい。
この1時間でわたしとアニヤはすっかり意気投合していた。
わたしの気分的には仲良し母娘。
休憩を終えた二人に改めて自己紹介をしたあと、子ども達にもちゃんと紹介すると張り切ったアニヤに連れられて、わたしは赤ちゃん部屋を後にした。
掃除や薪割りが終わったあとは夕方まで自由時間があり、身を清めた後に早めの夕食を摂って就寝時間だそうだ。就寝時間までに彼女の息子が来てくれればいいな、と思いつつ階下へと続く廊下を進んでいると慌ただしい声が聞こえた。
「あれは、うちの息子の声だ。アズサの様子を見に来たのかもしれないよ」
アニヤの言葉でその来訪を喜び、二人、足早に階段を下りて行く。すると、正面玄関が大きく開かれていて、その向こうに数名の人影が集まっているのが見えた。
玄関扉を抜けて、外階段を下りた先には荷台付きの馬車が横付けされている。
その周りを取り囲むように黒っぽい騎士服に身を包んだ男二人がいて、この屋敷で働いているらしき人がそれに対応していた。
アニヤと同じ鶯色を基調とした色合いの使用人服を身につけていたのは男性使用人で、困っている様子が聞こえて来る。。
「このような場所で騒がしいこと、何かありましたか?」
背後からアニヤが声をかけると、全員がこちらを振りかえった
「あ、これはアニヤ様、今お呼びしようと考えておりました。どうぞ、こちらへ」
それに頷いて応えたアニヤは、階段を降りて息子らしき人と向き合った。
どことなく、アニヤの面影を感じる厳つい男性だ。
アニヤは先程のご婦人方との会話同様、わたしや子ども達と話すときとは別人のような口調になっている。貴婦人として取り繕うべきところ以外では楽にしたいからと言っていたが、この切り替えがすっと出来るところがすごいと思う。
「騎士団長様、私、貴方がたの訪問の先ぶれを受けた記憶がございませんが、何か行き違いがあったようですわね?」
彼女の鋭い視線にひるむことなく、男性は真摯に謝罪を口にした。
「申し訳ありません。本日の来訪は全くの想定外でございましたゆえ、先ぶれを出すことが困難でした。御不快だとは存じますが、何卒ご容赦を戴きたく」
アニヤは表情を変えることなく視線を荷車の方へちらっと向けた後で、許しを告げた。
「何か思いもよらぬ訳がおありのようですわね。承知致しました。では、話を伺いましょうか。門前の騎士の方は仕事にお戻りいただいて構いません。では、団長様はこちらへどうぞ。セバス、後は頼みましたよ」
「はい、お任せください」
セバスと呼ばれた男性は、布のかぶせられた荷台付きの馬車に乗り込むと、屋敷の裏手へと馬車を移動して行った。
荷台に何が乗っているのかは見えなかったが、馬車の去った後には野犬のような臭いが漂っていた。
「アズサ、貴女もついていらっしゃい」
「あ、はいっ」
そう告げるとアニヤは足早に応接室へと向かって歩いて行った。
彼女の背中から怒りを感じるのはわたしだけだろうか。
横に立つ騎士団長と呼ばれた彼女の息子を盗み見ると、栗色の髪を短髪に刈り込んだ無骨な印象の男性だった。背はそれほど高くはないが、正に”武人”というのが似合う厳めしい顔をしている。
唇を引き結び、眉間にしわを寄せて背中を見送っていたが、わたしの視線に気づくとさっと顔を背けるようにアニヤの後を追ってずんずんと歩いていってしまう。
わたしもその後ろに続いて、邸の中へ戻る。
こっそり後ろから彼を見上げてみるが、やっぱり見覚えのない人だ。
自分がなぜここに居るのか、明日には家に帰れるのか。
ここに居る子ども達の行く末など、気にかかることは山ほどある。
わたしは気を引き締めて、応接室へと足を踏み入れた。