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梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
29/57

おんぶおばけ


 昨年の暮れ、二人の妊婦が出産を迎えた。


 一人はノルンのお母さんで、産まれたのは男の子。

 もう一人はユイミアで待ちに待った赤ちゃんはなんと、双子の女児だった。


 でれんでれんになって可愛がるナグの姿は予想していた通り。出産の翌日には任務以外の時間をこの赤ちゃん部屋で過ごし、離宮から離れなくなった。


 聞き分けのない大黒柱を持ってしまった一家は、堪忍袋の緒が切れたセバスにり、家族そろって家に帰されることが決定している。


「本当に、お世話になりました。皆さまには良くしていただいて感謝してもしきれません」


 萌黄色の大きな瞳に涙を滲ませ、去りがたい雰囲気を切実に醸し出すユイミア。

 その後ろには籐製のベビーベッドを抱え、ヤニ下がった顔のナグがいる。ナグの抱えるカゴの中には、おくるみに厳重に包まれた双子の赤ちゃんがすやすやと眠っていた。


「また顔を見せに来て下さいね」


「もちろんです!うちの双子は紫水宮の子ども達と一緒に育てていただくつもりですもの。出歩けるようになったら、日参致しますから!」


 ……いや、日参って。


 産後のケアが癒し魔法によってなされるこの世界のお貴族様にとって、出産は日帰り感覚。ただし、短時間ごとに繰り返される、授乳による母の苦労は変わらない。


 だがそこはお金持ち。

 彼女のところではちゃんと乳母が雇われることになっている。

 それがまた冬の初めにこちらで出産して帰って行ったユイミアの幼馴染兼侍女だというのだから、彼女の子育てには何の心配もないだろう。


 出産を待つ妊婦はあと一人。

 赤ちゃん部屋が少し寂しく感じてしまうのは仕方がないことだけど、日参までしなくてもいいんじゃない?という心の声は言葉にせず笑顔で応えた。


 それに、彼女と入れ替わるようにこちらへ来ることが決まっている可愛い保育士見習いもいるので、赤ちゃん部屋は安泰なのだ。


 二カ月と少しを一緒に過ごしたユイミアとは、今日でしばしお別れになる。

 門を出て行く馬車を見送り、ほっと息を吐いた。


「……ちゃんと家族そろってお家に帰れてよかった」


「そうですね、これでベルベントス家の問題は全て片がつきました」


 一緒に見送りに出ていたセバスも、やれやれと息を吐いている。


 ちょっと前まで領主の跡継ぎ問題で揺れていたナグの実家だったけれど、ナグが跡継ぎ候補から外されることが決定して、悩みが一気に解消されていた。


 なぜかというと、突然の()()によって、ナグが王女殿下専属の護衛騎士に抜擢されたからだ。

 それを受け、跡継ぎが産まれたらすぐにでも領主として地元に迎えたがっていた現領主はナグをあっさり候補からはずしてしまったらしい。


 当てが外れたナグの両親は出産も待たずにさっさと領地へ帰って行き、無理やり引っ張ってこられたユイミアの両親も、一度仕事を片付けてからもう一度出直すと言って帰っている。


 ……裏であれこれと画策した方々がいる様な気もするけど、見ない聞かない言わない。わたしは何にも知りません……。


 ユイミア的にはちょっとばかり残念だったようだが、産まれてきた彼女の子には半獣特有の奇形は見られなかった。


 実家にも義父母にもこれから双子の初顔見せをしていくことになるらしい。


「それにしても、本当にアズサ様は器用でいらしゃいますね」


「?あぁ、これですか。さらしってけっこう便利なんですよ」


 胸の前でたすき掛けにしたさらしのひもをくいっとひっぱって位置をなおすと、背中にくっついているおんぶおばけの手足が揺れた。


 長い布一本でおんぶが出来るのは、昔ながらの母の知恵。

 ちょっと伸縮性のある布だから、さらしと言うより兵児帯(へこおび)に近いかもしれない。


「……本当に良くお眠りになっていらっしゃいますね。離れなければどれくらい眠り続けるのでしょうか。バルド様ではありませんが、限界を試してみたくなりますね」


 感心したように背中のおんぶおばけを見ているセバスに、引きつった笑いで返す。


「わたしとしても、寝た子を起こす趣味はないんですけどね。物には限度ってもんがありますよねっ」


 そう、ずっとわたしが抱っこしていたら、きっとこのぼっちゃまは一日中目を覚まさないのだと思う。


 この赤ん坊がやって来た初日、わたしは洗濯物を終えて、食事を摂って、足りなかった物を買い足しに行ったり、屋敷周りの雪かきをしたりした。(別に他意はない。ないったらない)


 まぁ、あれこれと思いついたことを全部やって、やることがなくなった頃、仕方なくティア王女の部屋へ向かったのだ。

 午後からお出かけというアニヤの為に。(ここ重要!)


 重い腰を持ち上げやっとこさ迎えに行くと、(くだん)の赤ん坊はまだ泣いていた。

 談話室にティア王女の姿はなかったが、憔悴した様子のセバスとアニヤに迎えられ、約5時間ずっと泣き続けていたと聞いて呆れるしかない。


 よくもそこまで体力が持つものだといっそ感心したのだけれど、それはまだわたしに襲いかかる困難の片鱗だったのだ……。


 ぼっちゃまの執念と言うか執着と言うか、根性(?)は本当にすさまじいということを、最初の数日で思い知らされている。











 セバスから受け取った赤ん坊は、わたしが抱くとぴたりと泣きやみ、寝た。


 気絶したと言われても仕方のない寝入りだったから、思わず呼吸を確認したほどだ。アニヤとセバスは引きつり笑いでそんなぼっちゃまを見ていたけど、二人にはお疲れさまとしか言いようがない。


 そのまま赤ちゃん部屋に合流して、ぼっちゃまを空いたベビーベッドの一つにそっと下ろしたわたしは、行きそびれていた場所へ用足しに行こうとしていた。


「シェーラさん、ごめんなさい。ちょっとお花摘みに行ってくるのでこの子をお願いしてもいいですか?」


「えぇ、構いませんわ。行ってらっしゃいませ」


 確かに、ぐっすり眠ったのを確認してその場を離れたのだ。しかし、快く送り出してくれたシェーラに任せ小走りでドアを閉めた瞬間、ぼっちゃまは泣きだした。

 それでも、トイレだけはと用を足して戻れば泣き声は雄叫びに変わっていた。


 その後も眠ったのを見計らってはベビーベッドへの着地チャレンジを繰り返すが、離れようとすると目を覚ます。何度やっても目を覚ます。


 ならばと、最初から抱っこせず、布団でトントンして寝かしつけ。

 爆弾処理班よろしく慎重に、慎重にトントンする感覚を伸ばして手を放し、寝かしつけに成功。そのまま息を殺すように後ずさり、少しずつ距離をとり、ほぼ一メートル離れたところで金緑色の目と視線が合った。


 蛇に睨まれたカエルのような緊張状態が場を支配する。

 後ろに一歩下がれば目が潤み、もどると止まる。


 ……なんじゃそれ。


 まぁ、起きてても機嫌よく転がってるならいいかと、隣の子の世話をすると泣く。


 他の子をあやしながらの()()()トントンもお気に召さないらしく泣く。


 ぼっちゃまと他の赤ん坊を両手で抱えた時など、相手の子を足蹴にしていたので思わずぺしりと払ったら、この世の終わりかと言うような絶望の表情をされた。


 いや、キミ赤ちゃんだよね?その顔は流石に怖いよ、と引いたわたしを見てぐずり始めたぼっちゃまは、しばらくシクシク泣いていた。


 シェーラ達には気を遣われ、『来たばかりの子だからアズサはその子だけ見ててくれればいいのよ』と言われたが、わたしは嫌だ。

 他の子たちも抱っこしてお世話したい。癒されたい。


 ……このぼっちゃま面倒くさいな。


 そう思ったわたしをどうか許して欲しい。





 その後、いろいろ試した結果がこうだ。





【 ぼっちゃま観察記録 】


①わたしの姿が見えないと泣く。


②他の子を世話すると必ずぎゃん泣きする。


③落ち着いている時であればアニヤとティア王女には抱っこすることを許し、ぎゃん泣きが免除される。


④わたしがぼっちゃまの見える範囲一メートル以内にいれば、抱っこしなくても基本泣かない。他の人の抱っこもしぶしぶ受け入れる。


⑤わたしが抱っこするかトントンしていれば寝る。離れると目を覚まし、怖ろしいことに一睡もせずにずっとわたしを観察している。


⑥食欲が感じられず、自分からミルクを欲しがらない。




【 考察 】


 人見知りが強く、特定の人間に対する依存心が強く見られる。実験の結果、生理的な現象(食欲・排泄・睡眠)で泣いているのではなく、特定の人物だけに固執して泣いていると確認。本児の中で優先順位があるらしく、妹が2位、乳母が3位、それでも我慢してるんだと言わんばかりにぐずぐずしている。それ以外は誰でも泣く。

 すぐに大きくなると聞いていたのに、一向に変化が見られないため医師に相談したところ、生命力が落ち過ぎているので、本来あるべき自己回復能力が低下しているのではないかとの見解だった。それを受け、睡眠による回復が不十分なせいで色々なところに不安定さが出ているのだろうと告げられた。

 

 


【 対応策 】


 安心して睡眠できる環境を作り、しっかりと栄養補給を行う。


① 出来る限りぼっちゃまが安心して甘えられる人が側に着く。(一人だけでは負担になるので交代制)

② 執着している対象が抱いているとミルクも飲まずに爆睡してしまうので、授乳時には他の人と交代する。(ぼっちゃまが泣いても飲んでくれないと体力が落ちるだけなので、譲ってはいけない)




【 結果 】 


 人見知りが強くなり、他の人が近寄ると泣くようになった。

 授乳時間が近づくとうなされる様になった。

 授乳中、わたしが哺乳瓶を持っていれば飲むが他の人では飲まなくなった。(最終的に授乳中は根性で起きていることを決めたらしく、必死になって目を開けて飲む姿にちょっと引いた)

 わたしが抱いていてもすぐには眠らなくなり、周囲を警戒しているような挙動不審さが見られる。





 ――ダメじゃん!って、あれぇ?わたしが悪いの?これ。


「って、ないないっ!言いなりになったら24時間家庭内ストーカー……って、わたしはキミの母ちゃんか!」


 例えそれが母でなく、熟年夫婦だったとしても離婚まっしぐらだ。

 母なら育児ノイローゼで決まりだろう。わたしだって流石に()()ぼっちゃまとトイレもお風呂も一緒なんて、ごめんこうむる。

 そして、今もなんとかその最後の一線だけは死守させてもらっていた。


 屋敷のエントランスへもどり、鼻息荒くフーフー過去を思い出していると、セバスに同情のこもった目を向けられる。


「赤子とはいえ、ずっとそのように背負われていたらお疲れでしょう。次に降ろす時には私がしばらくお預かりいたしますので、お声をお掛け下さい」


「ありがとうございます。激し泣きするから赤ちゃん部屋にも頼みにくいし、困ってるんです」


 素直に現状を伝えると、さもありなんとまた同情のこもった目を向けられた。

 同情するならトイレタイムを保証して欲しいと言ったら、セバスに腹を抱えて笑われてしまった。


 ……もちろんその後に快く了承してくれたけどさ。


 早速、ぼっちゃまには安眠のところ失礼して小用を済ませた。

 我慢良くない、病気ダメ、絶対!


 ……まぁ、あれだ。


 考察して、結果を見て、出来る範囲で生活環境を整えてやるしかないという結論を出したわたしは、ぼっちゃまの為に一つお部屋を用意してもらうことにしていた。


 ――だって、使用人部屋にはカーテンがないんだもの。


 睡眠優先。わたしが使っていた部屋は、昼間から赤ん坊が寝るには眩し過ぎたのだ。


 今は極力外への外出は控え、軟膏店の見習いとして働き始めたアロエとキイロには男の子達にボディガードをお願いしている。

 捕り物騒ぎがあった日に、街の人からちょっかいを出されそうになっていたから心配していたのだけど、服を変えたから大丈夫だと言われた。


 ……あの日はそれほど可愛い服を着ていただろうか?


 良く思い出せないが、その後も楽しそうに通っているのできっと大丈夫なのだろう。






 セバスとわかれたあとは、誰にも迷惑がかからないようまっすぐ客室へと向かう。


 最初の一週間で大分ぼっちゃまの生態にも慣れてきた今では、睡眠時間をかなり確保できるようになっている。

 それからのぼっちゃまは、お前はにゃんこか、というくらい一日中寝ていた。


 ちなみに猫の睡眠時間は一日の1/2~2/3。仔猫や老猫はもっと長く、一日に18~20時間程度眠るといわれている。

 このぼっちゃまはそれ以上寝ているのだが、それでも足りないらしい。夜はずっと起きないしね。


 まぁなんだ、こだわりを捨ててしまえば割と楽な子守にはなっている。


「ほれほれ、おやすみ~」


 ぼっちゃまをおんぶからベッドの上に降ろせば、しばらくじっと観察される。

 どこかへ行くんじゃないかと警戒している目は、実験による弊害か……。

 まぁ、その視線も最近じゃ慣れてきたからスルー出来るようになっている。


 体温を感じるぐらいの距離で寝転がし、ぼっちゃまと反対側に裁縫道具を用意すれば準備は万端。


 わたしが黙々と刺繍に没頭するうち、隣から微かな寝息が聞こえてくる。腿のすぐ横にある顔を覗きこむとぐっすり眠っているぼっちゃまが見えた。


「……こんだけ寝るってのは、それだけ体力を消耗してるってことだ。先生のみたてじゃ、キミは体力がしっかり戻らないと魔力の回復にまで行きつかないんだとさ」


 群青色の柔らかな髪をさらさらと横に流して、また縫物へ向かう。


 離れると泣くおんぶおばけを背負って日中の仕事をすませた後は、こうしてベッドの上で裁縫をしてすごすようになっていた。

 赤ちゃん部屋に針を持ちこむのが嫌で、結局個別保育状態だ。


 だけど、体力の落ちている子を集団の中にぶち込まなければならないほど、人手的にも困っているわけではない。

 だから仕方なくマンツーマン。気分は病児保育といったところ。


 このぼっちゃま、放っておくとミルクも飲まずにひたすら眠り続けることが判明しているので、授乳のときだけは強制起床だ。

 (主にわたしの)生活リズムもだんだんついてきて時間が読めるようになったので、自分のお花摘みタイムなんかも出来る限りその時間にいっぺんに済ませるようにしている。


 極力、泣かなくて済むように。無駄に体力を削らないように。……早く元気になるように。


「どんだけ無理したのよ」


 わたしの服の裾を、小さな手でしっかり握りしめ眠るぼっちゃまに、こっそりエールを送る。


「がんばれ」


 たくさん眠って、たくさん飲んで、早く大きくなあれ。









 まぁ、それはそれとして。


 アニヤが仕度してくれたぼっちゃま用の産着は、どれも昔使われていた物を引っ張り出して来たという感じのお古だった。

 上質な絹素材で作られている産着は縫製もしっかりしていて、とてもいいお品ばかり。


 最近、わたしが夜鍋してぼっちゃまの服に施しているのは、”背守(せまも)り”と呼ばれる産着のうしろ見頃に刺繍するおまじない。


 ――古来、邪気や災いは背中から入ると云われ、人の手によって施された縫い目には災いを遠ざける力があるとされてきた。


 大人の着物を仕立てる際には、通常反物を二本合わせて縫う。

 すると必然的に背中に一本の縫い目が出来る。その縫い目が背中から悪い物が入らないよう見張ってくれる役目をすると考えられていたのだ。


 けれど、子ども用の着物を縫う際には反物一本分の幅で足りてしまうから背中に縫い目が出来ない。そのため、子どもの着る物に刺繍を施したのが”背守り”だ。


 背中に縫い目がないのはほとんどの洋服も同じこと。

 今はその刺繍の形にも様々な意味や言葉遊びが掛けられていて、波を打ち砕くテトラポットとかパワースポットを表すような和洋折衷おもしろい創作背守りも生まれている。


 今、離宮で暮らす子ども達の背中には、それぞれ様々な刺繍が彩りを添えている。

 もちろんやったのはわたしだから、わたし好みの刺繍だらけ。ちょっといびつな形になったって気にしない。


 魔物や穢れといったものが本当に存在するこの世界で、気休めにしかならないおまじないだけど。気は心。


 子ども達が山へ入る時には籠目(かごめ)模様の服を好んで着てくれたりするので、嫌がられてる感はない。

 今のところ、彼らが山で魔獣に遭遇したことがないというのもコレのおかげかもしれない。


「ふふっ、なーんてね。ちゃんと騎士さん達が守ってくれてるから無事でいられるんだよね」


 まぁ、おまじないなんて本当に気持ち程度のもの。

 ちなみに普段使いの服で女の子からの一番人気は、ハートを四つ重ねたクローバーだ。


 男の子には木の模様、ぐんぐん大きくなるようにって、この世界で成長の早い植物を教えてもらったりもした。

 そんな感じでやってたら、メイの背中に時々浮かんでる模様が欲しいとかいう子が出てきたりして、刺繍のバリエーションも豊富になっている。


 本来なら背守りなんだから背中に刺繍するのが本当なんだろうけど、今じゃ襟のワンポイントとか胸元とかエプロンにしてほしいと頼まれることもあった。


 それならみんなも自分でやってみたらと言ったら、飾り刺繍は自分でやるから大事なとこはやって欲しいとせがまれてしまったり。


 ……えぇ、可愛いおねだりには敵いません。


 敵もだんだんわたしの性格を把握して来たのか、大きい子達はおねだりにチビッ子をけしかけるようになっている。


 ……そのままお願いされても断らないんだけどね。


 前に、やってあげるからモフらせろと言ったのを、あの子らはまだ根に持っているのかもしれない。


「はい、出来た!いやぁ、我ながらシブいなぁ」


 突貫で頼まれた刺繍が仕上がり、糸を切って目の前に広げてみる。


 左手をあげてるものと、右手をあげてるもの。


 意味を聞いて、そのどっちも欲しいと言われたのは”招き猫”の刺繍だ。

 まぁ、ディンゼル軟膏店でつけるエプロンとしては間違ってはいない。でも、アロエに言わせると赤い糸で刺繍した四つ葉の服を着て行きたくないからだ、と言っていたのは気にかかる。


 ……あれだって可愛いし、幸運のお守りには変わりないのになぁ。


 現にキイロは喜んで着てくれているのだ。まぁ、好みの問題なのか。アロエは可愛いよりシブいのがお好きなのだろう。


 彼女の名前も日本人的には渋めなものになったけど、イントネーションを変えればあら不思議。アニヤとアロエでちょっと似てる。


 アニヤのように癒しを与えらえる人になりたいと言った彼女の為、わたしなりに考えて薬草の名前に決めた。


 けどまぁ、ちょっとしたアクシデントが起こってしまったので、彼女には魂に刻まれちゃった方の文字は言うのをやめている。

 額に和蕗恵(あろえ)と浮き出ることを期待してたのに。イメージの方が優先されるなどとは思いもしないではないか。


 蕗はマメ科の多年草である甘草(かんぞう)を意味する字でもある。


 ……辞書には甘くて、鎮痛・解毒効果もあると書いてあるので、アロエの効能にないものを補うような当て字を考えたんだけど。


 多分、言ったら怒られる。いや、ショックを受けるか?……お墓まで持って行く秘密にしようと思ってる。うん、それがいい。


 嬉しいことに、アロエに名付けをしてから他のみんなも名前をつけて欲しいと来てくれるようになっているのだ。

それは本当に嬉しくて喜んだんだけど、……正直ギブ。


 回転の悪いわたしの頭じゃ、いっぺんにみんなの名前を考えるにはお粗末すぎた。

 それに、チビちゃんなんかはアニヤに名前を考えてもらって、それにわたしが考えた当て字をつけて欲しいってお願いされているし。


 だから、全部自分一人で考えるのではなく、このお屋敷で子ども達を一緒に育ててくれている人達みんなで考えて、それにわたしが当て字をする方向で今、少しずつみんなの名前が決められているところ。


「うっ、く…ふあぁ。……肩凝った。でも、これで取り敢えず刺繍は終わり。疲れた」


 大きく伸びてあくびをしたら、隣の坊ちゃまの手から裾が外れて目が開いた。


 いけない、いけない。また安眠妨害しちまった。


 隣に寝そべって、胸の辺りに手をのせてぽんぽんとリズムを刻む。

 ついでに子守唄を鼻歌で歌っていれば、まだまどろみの中にいた金緑色の瞳は、そのまま閉じられていった。

 













「やっぱり、寝ているようですよ。アズサも上掛けくらい掛ければいいのに」


「きっと、眠るつもりがなかったのですわ。アニヤ、お願い」


「はいはい。おや、もうこんなに刺繍したんだねぇ」


 アニヤの言葉でそちらを見ると、ベッドサイドに置かれたテーブルの上には、大小二枚のエプロンと赤ん坊の産着がたたまれてありました。


 エプロンには動物のような刺繍。お兄様用には色とりどりの糸で、様々な模様が刺繍されているようです。そのどれもが素敵な模様でした。


「これは、木の葉でしょうか。それにこちらは星?まぁ、蝶の模様まで」


「この模様はアズサの世界にある麻と言う名の木の葉だそうですよ。その木のようにしっかりと根を張って大きく育って欲しいと言う願いを込めているのだとか」


 椅子から膝掛けをとり、アズサにそっと掛けているアニヤは優しい笑顔を浮かべています。


「そちらの三角を二つ合わせた模様は籠目(かごめ)とか”ろくぼうせい”っていうらしくて、この模様にある隙間が、穢れたものや魔物を追い払う()の役割をするのですって。子どもの衣服に施す加護(おまじない)なんだそうですよ」


「まぁ、この模様にはそのような意味があるのですわね。では、こちらの扇や鳥の刺繍にも何か意味がありますの?」


 何着にも及ぶ刺繍の数々は、お兄様のご成長を見越し、今着ているつなぎ型の産着から大きなサイズまで用意されてありました。

 お兄様の成長を願うアズサの思いが伝わってきます。


 小さい刺繍とはいえ、これほど多くの物を刺すにはどれほどの時間がかかったのでしょう。


「まだ、お兄様の魔力は戻られないのですね」


 戻られた日からつい最近まで、全く変わりのないお兄様のお身体は脆弱な赤子そのものでした。


 年が明けてからはお身体に成長が見られるようになり、先ごろやっとよちよち歩きが出来るようになったところです。


 今となっては、御記憶を失くされて何の憂いもなくお休みになれるこの状況は、お兄様にとって良い事だったのだと思われます。


 二人を起こさないよう注意を払い、そっとベッドの上に乗ってお兄様の小さな手に触れると、不思議な感覚がありました。


「……?これは、結界?」


 手に触れようとすると、淡い光がお兄様を包みこみます。

 不思議に思ってアニヤを見上げれば、彼女は可笑しそうに笑っていました。


「姫様はアズサの刺繍した服を来た子どもに触れるのは初めてでしたね。アズサの刺繍には、この子が込めた願いがそのまま反映されるようなんです」


 身体の弱い子には治癒力が強くなるように。

 森へ入って迷子になる子には、必ず戻って来られるように。


「先程の籠目模様には、魔を退ける力があると言ったでしょう?これを着た子ども達と一緒にいると山奥でも魔獣に出くわさなくなったそうですよ」


「まぁ、そんなことが?アズサの使う魔法はやはり、わたくし達の知るものとは異なるのですわね」


 ……アズサが魔力はあるはずなのに魔法が使えないと言っていたのは、この世界の魔法の成り立ちと、アズサの世界とで違う何かがあるからなのでしょうか。


「……不思議ですわ」


 物思いにふけっていると、小さな笑い声が聞こえてきます。見ればアニヤがまた楽しそうに笑っているのがわかりました。


「なにかしら?」


「姫様は本当に物事を深く考えることがお好きですわね。宮廷の魔術師も姫様の探求心には敵いませんわ。そうだ、今度姫様もアズサの刺繍した服を借りて研究してみてはいかがでしょう?実は面白い効力を発揮する刺繍があるのですよ」


「面白い効力?」


 アニヤが両手を前に出してそれぞれの人差し指と親指を突き合わせ、不思議な形をつくりました。


「この形はアズサの世界で”心”や”愛しい思い”を表す形なんだそうです。この模様を四つ組み合わせた刺繍が可愛らしいと女の子達の間で流行ったことがあって、その微笑ましい姿を見守っていたのですけどね。ある時、男の子にもそれを着せてみて、やっとその効果がわかったんです」


「男の子と女の子で何か違いがあったのですか?」


「ええ。普段見慣れた子がとても素敵に見えたのですよ。愛らしくて、手放したくなくなるほどに」


「それは、まさか……魅了の魔法?」


「ふふ、さぁどうなんでしょう。ただ、アロエが街にそれを着て行った時、大分嫌な思いをしたらしくてね」


 シェーラ様方から刺繍の効果の話を聞いて以来、アロエはそれを着るのをやめたそうです。


「魅了の魔法で得られた好意だったのか、それとも本当に自分が受け入れられたのか。それがわからないと随分悩んでおりましたけれど、今は吹っ切れたようですし」


 魔法で得られる意識操作は、それを行使している間しか効力がありません。魔法を使うのをやめてしまえば、相手の好意はすぐにたち消えてしまう儚いものです。

 アロエが使い続ける決断をしなくて本当に良かったと安堵しました。


「他の子も、同じような効果のある服を今も着ているのですか?」


「ここからが面白いところなんですよ。姫様もきっと気になります。それが……」


 いつの間にか話に夢中になってしまい、赤子を抱える様に眠っていたアズサが身じろぎをして、目を覚ましそうになりました。

 わたくし達は慌てて口を閉ざし息を潜めます。


 手を動かして赤子がいることを確認し、安心したかのようにまた寝息を立てはじめたアズサ。その姿を見て胸が温かくなるのを感じました。


 ……相手が誰であろうと、アズサの優しさは変わらないのですわ。


 最初はお兄様だという事実を隠してお世話をお願いしようなどと、あさましいことを考えていたバルドとわたくしでしたが、もう気付かれているから素直にお願いしようとアニヤに言われ反省しました。


 だって、お兄様がアズサに好かれていないから、引き受けては頂けないと思ったのですもの。

 そもそも嫌われるようなことばかりなさっているお兄様のせいなのですけれどね。


 心地よく寝息を立てる二人からそっと離れて部屋を後にします。このまま、少しアズサも身体を休めるといいでしょう。


 お兄様の細かな反応を一つ一つ気に掛けて、どうしたら一番回復にいいのかと真剣に考えてくれるアズサ。アズサに任せておけば、本当に何の心配もいらないようです。


 お兄様がアズサにお世話になっている分、わたくしはわたくしに出来ることをして行くつもりです。


 少し前に街で起こった事件が大きな問題となっているのも、この問題にわたくしが先頭に立って指揮をとることになったのも。全ては運命だったのでしょう。


 出来ることを一つ一つ積み重ね、初めてできた友達に胸を張り、頑張っていると言えるよう。

 わたくしは堂々と前を向いて行こうと思います。


















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