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梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
26/57

宝探し


「見つかりましたか?」


「いいえ、陛下の執務室や政務室、私室から書庫に至るまで全てお探しいたしましたが、見つけることはできませんでした。申し訳ございません」


 今、わたし達は離宮やアニヤの屋敷の使用人達、王宮に残っている騎士団や官吏、女官に至るまで総出で宝探しをしている。


 どこでと問われれば、王宮で。

 王様の宝物は城にあるだろうと考えるのはみんな同じ意見で、王様には悪いけどあちこちひっくり返す勢いで目当ての物を探している。


 何と言ってもこの国の王女様のたっての願いだ。

 みんなが総出になって探してくれるぐらい、ティア王女は王宮のみんなに大事に思われている。それが分かっただけでもわたし的には大収穫だった。

 子ども達にも頼み込んでついてきてもらったけど、あの子達の鼻や第六感的なものを持ってしても、未だ目当ての物は見つかっていない。


「う~ん、あと探してないのは隠し通路とか隠し部屋ですかねぇ。宰相さんはご存じありませんか?」


「確かに、王族のみが使用する通路や部屋はございます。だが現王に……、いえ、違いますね。代々このティルグニアを治めてきた歴代の王の多くがその部屋を使うことなく平和に過ごして来たため、今では隠されもせず時々掃除の手を入れる程度で開放されていると言うのが正しいのです」


「……それは平和で幸せそうな国で素敵ですね」


 隠しごとが一つもない王様業、大変結構。


 ……でも、あの王様が自分のことを全部さらけ出して生きているとは思えないんですが。


 思っていたことが顔に出ていたのか、ロマンスグレイの髪をゆるやかに束ねているノックス宰相は溜め息を吐いて同意の言葉を口にした。


「陛下は時折り、執務室に籠られ長い時間人払いをされることがあります。それについておられたのは側仕えを兼ねているバルド殿だけでしたので、もし、どこかへ転移されていたとしても我々は把握できていないのです」


 ……この宝探し、一生終わらない気がしてきた。


 そもそも、あの俺様王様は瞬間的にどこにでも移動できるんだから、王宮の中に個人的な隠し部屋があるとは限らない。という事実が思い浮かび、わたしと宰相様はそれぞれ頭を抱えて呻いた。


「遠距離転移の魔法陣は、お兄様がまだ転移魔法を使えない頃にお母様より受け継いだものだと教えられました。今も魔力を温存したいときにはお使いになられていらっしゃいます。原本があるとするならば王宮の中だと思っていたのですが……。宮殿内の見取り図を見ましても、もう探していない場所がございませんものね」


 哀しそうなティア王女の声を聞いて振り向くと、彼女は窓から見える景色を眺めていた。いくつもの物見台や塔、そこらじゅうを駆け回る人達の姿を見る目は、どこか淋しそうだ。


 わたし達三人がいま宝探しをしているのは王宮書庫の中。

 昨日のやり取りの後、取敢えずバルドの指示通り王様たちを迎えに数台の馬車が王都を出発した。


 そして、ティア王女との(安心安全な)検証の結果、彼女の転移魔法は相手の気配が追えれば自分の許へ呼び寄せることが出来る事がわかった。この半日ですごい進歩だと思う。


 それじゃあ、すぐにでも王様引っ張ってくればいいじゃんと思うだろう。(わたしは思った)だけど、ことはそう簡単なものでもないらしい。


「お兄様がとても衰弱なされているのか、わたくしには気配が追えないのです。バルドの居場所はすぐにわかったというのに。バルドの近くには、必ずお兄様がいらっしゃるはずなのに……。自分の力のなさが口惜しいですわ」


「殿下、ご自分を卑下なさることはございません。バルド殿の現在位置が分かるだけでもすごいことなのです。伝鳥ですぐに馬車へ方向を指示できるのは捜索時間の短縮になるのですから」


 ノックス宰相は慌てたようにフォローしている。本当にすごいことなのに、彼女はそれでは満足できないようなのだ。

 ティア王女はどうにか出来ないものかと悩むうち、ベルニアへ行ったあの日、王様も使ったという転移を補助してくれる魔法陣を使おうと思いついたらしい。


 現段階でティア王女の出来る事、出来ない事ははっきりしていた。


 まず出来ない事として、彼女が知らない人は気配を追えない。

 相手の居場所は分かっても、その相手の居る場所目掛けて自分が転移することも他人を転移させることも出来ない。

 出来る事は、気配を追えた相手とその人が触れていたものを自分のもとへ引き寄せられるということだ。


 まぁそこで、取敢えずバルドだけでも引っ張ってみるとしよう。

 運が良ければ王様のお世話中で身体に触れているかもしれないけれど、そうでなかった場合バルド一人だけが喚び寄せられる結果となり王様は置き去り。

 それでは弱っている王様をその場に一人残すことになる。


 すぐにそこへ人を送ることが出来ないのに、王様の気配が追えない状態でバルドだけ喚び寄せる事は出来ない、というのがみんなの総意だった。


「いいえ、わたくし自身が転移できれば、お兄様を今すぐにでもこの城へ連れ戻すことが出来たのですもの。……なぜ、出来ないのでしょう。本当に、悔しい」


 普段あまり自分から心情を吐露しないティアさんの悔しそうな姿に、胸が痛んだ。


 これは多分、今すぐにどうこう出来る問題ではないと、みんながうすうす感じている。彼女のトラウマが深く関わっているのだと思うから。


 外へ出ることに対する恐怖。

 彼女はまだ一度しか王都の外へ出たことがない。今、ティア王女をこんな形で悩ませていることすら、本当ならさせたくなかったと思う。


「ティアさん、出来ないことを考えるんじゃなくて、出来ることを探そうって言ったでしょ。後ろ向き発言ダメ。倒れる時は、いつだって前のめりだよっ」


「アズサ殿、それはまた少し違うのではないかと……」


 わたしが何を言っても状況は変わらない。流石にわたしも焦らなきゃいけないかと思い始めた時、ふとある光景が甦ってきた。




『――大きな問題はなさそうだな、そなたが聞く耳をもたないだけだろう。その控え目な頭が理解するまで何度でも繰り返そう。異世界からの救世主よ、今、そなたがいるのはティルグニア王国の王都ティルグだ。この部屋は、召喚のために造った塔の中にある』




 あ、イラッときた。




「……本当にムカつくわぁ。でも、そっか。あの部屋があった塔が一番あやしいのかも?」


 ティア王女とノックス宰相に思い出した話をすると、すぐに”召喚の塔(仮)”探しが始まった。







「窓も入口もない塔など、王宮の敷地内には存在しないはずなのですが……」


 困り顔で語るのは薄毛の北軍騎士隊長さんで、名前をザッカリアと言うらしい。


「そうなんですか。わたしが見た壁の石が地下に使われていた石壁のものと似ていたような気がしたので、ここにあるのかなと思ったんですよね。王様が嘘を吐いてたのでなければ、あの塔が王都の中にあるのは間違いないはずなんですけど」


「ひぃっ、決して陛下が嘘を吐かれるなどとは思っておりません!アズサ殿の仰られる通り、宮城の壁に使われている石などの素材は、魔力の高い霊山から採掘されたもの。街中で似た物が使われているとは考えにくい。今一度、虱潰(しらみつぶ)しに塔を探してまいります。もうしばしお時間をいただきたいっ」


「あ……」


 きびきびと去って行くザッカリア隊長は、とても王様を信頼しているらしい。


 ……わたしはとっくに嘘を吐かれてた方に一票入れてたんだけど。


 窓もない場所だから地下があやしいと思って探して貰ったけれど、よくよく考えればがんがん火も焚いていたのだから風通しも悪くなかったわけで。


 もんもんと考えながら雑穀の混じった酸っぱ苦いパンをちぎる。

 うん、さすが王宮。パンがふわふわだ。ちまちまと頬張っていると、同じテーブルについている子ども達から、楽しそうな声が聞こえてきた。


「お城の中って、すんごく広いし色々なお部屋に入らせてもらえて楽しいね」


「うん。探険してるみたいですっごく楽しい!午後は、もう一回塔の階段を登って上から王都を眺めたいなぁ」


「えぇ?ボクは、塔の方はもう行きたくない。獣臭いし、恐いし、食べ物ないし」


「そんなこと言って。ウカ、お前はちょっと探しただけで、そのあとはずっと厨房のまわりをうろついてただけじゃないか」


 みんなに呆れ顔で言われても我が道を行くウカは気にしない。

 探し物に参加してくれていた厨房の皆さんもいたので用意が昼の鐘に間に合わず、まずは子ども達から食事を、と言ってもらえてここにきた。

 なので他の方たちよりもお先に、食堂に準備してあった豆と肉の煮込みやパン、いつもはつかないサラダ類と果実のジュースを頂いている。


「お城はお花がたくさん飾られていていい匂いだし、薬草を煎じてる香りがする場所が多いけど、臭い場所なんてないじゃない。暗くてちょっと怖い感じの通路とか倉庫はいっぱいあるけどさ」


「うーん、別にお城が恐いわけじゃないよぅ。強そうな魔獣の臭いが残ってるから、なんだか落ち着かないだけだもん」


 ……ん?


「……ねぇ、ウカ。それってどのあたりから臭うのか分かる?」


「わかるよ。高い塔がいっぱいあるとこ。でも、風で臭いが飛んできただけだし、怖いからすぐ逃げちゃった。いい匂いが厨房からしてたしね」


 うん、そうだよね。獣臭いのはわたしも嫌だし、美味しそうな匂いがしたらそっちに行きたくなるのは良く分かる。


「ウカ、ちょっとわたしと一緒に来て。わたしの分も食べていいからさ」


「いく。アズのお皿こっちにちょうだいっ。すぐ食べちゃうから待ってて」


 すでに自分の皿がピカピカだったウカは喜んでわたしの分を食べきると、快くついてきてくれた。

 一緒に向かったのは王様の執務室だ。そこにはティア王女が隠れていて、宰相とアニヤとセバスが控えている。


「王城で獣臭、ですか?そんなはずは……。城に魔獣が侵入した話など一度も聞いたことがございません」


 首を横に振ったのは宰相であるノディアクス・サバディルド公爵。

 ティア王女がノックスと愛称で呼んでいるのでわたしもそれに便乗している。ノックス宰相は穏やかそうなお人だけど、眉間のしわが深くてダンディーなおじ様だ。


 空振りかと思ったその時、勢いよく身を乗り出して反応を返したのは、アニヤとセバスだった。


「お待ちください。今、ウカ君は強い魔獣、と言いましたね?」


「強い魔獣になら心当たりがあるよ。召喚の儀式の折りに、魔力を補うため各地から生贄になる魔獣を捕獲してきたとバルドから聞いたもの」


 ……生贄。そんなものまで用意してわたしは喚ばれたんですね?


 若干引き気味に話を聞いていたが、いざ、その場所へ案内してほしいという話になるとウカが渋り始めてしまう。その魔獣の臭いが本当に怖いらしい。

 青い顔をして後ずさるウカに助け船を出そうとした時、ティア王女が彼に声をかけた。


「ウカ、お願いです。お兄様を助けるために、あなたの力をわたくしに貸して頂けませんか?」


「うえぇ~?姫姉ちゃんが知りたいことだったの?うぅ、仕方ないなぁ。本当は嫌だけど、案内してあげるよ」


 ……ひめねえちゃん?


 なに、その可愛い呼び名。呆気にとられたわたし同様、この場に居た大人はみんな固まっていた。ウカの言葉に即座に応えたのは、そう呼ばれたご本人様だった。


「”姫姉ちゃん”とはわたくしのことかしら。……わたくしのことを姉と思ってくれているの?」


 おずおずと若干恥ずかしそうにそう問うティア王女は、もじもじと悶絶可愛い仕草をしている。


「だって、ボク達ずっとおんなじお家に住んでいるでしょ。アズが言ったんだ。おんなじ釜の飯を食べているんだから、みんな家族だって。ボク、姫姉ちゃんの事ずっと匂いしか知らなかったけど、泉に一緒に行く前から姫姉ちゃんのこと好きだよ。ボクらあのお家に住んでもいいよって言われて、本当に嬉しかったんだ。姫姉ちゃんからはいつもいい匂いがするしねぇ」


 ……うん、ティアさんはいい匂いがするの。思わず顔を擦りつけたくなるほどにね!


 思わぬところに仲間を見つけてしまった……。げふんげふん、イヤイヤ、そんな場合じゃなかった。


 ウカの発言は王族に対して不敬だと言われることかも知れない。けれど、この場にそんなことを口にする者などいなかった。


「お姉ちゃん……。わたくしが、みんなの姉……」


 喜びを噛みしめるティア王女は俯きながらぼそぼそと何事かを呟いているけれど、その喜びようは伝わって来る。


「うんうん、良かったね。じゃあ、早速探しに行こうか。ウカ、すぐに案内して…」


「わたくしも行きますっ」


「「「え……?」」」


 さっとソファから立ち上がったティア王女は音もなく扉の前まで移動すると、紫銀の毛並みをなびかせてこちらを振り返り、こう言った。


「もう、わたくし隠れているのはやめにします。だって、皆の姉なのですもの。これからは皆のお手本となれるような立ち居振る舞いをしなくてはなりませんわ。さぁ、セバス、ウカ、参りますわよ!」


 ハッとして扉を開けに行ったセバスと、呼ばれたウカが廊下の向こうに去って行く。残されたわたし達は茫然とその姿を見送っていた。


「……何あれ、かわいすぎるでしょ」


「やっぱり、兄妹ってのは似るもんなんだねぇ。坊ちゃまも妹姫がお生まれになった時、まだお小さかったのにおんなじこと言ってらっしゃったよ」


「……相当、嬉しかったようですな。あの少年に姉と呼ばれ、家族と言われたたことが」


 しばし、それぞれの感慨に耽ってから後を追いかけたわたし達は、塔の群立した王城敷地内、城壁左に位置する場所で立ち止まった。周囲には少しずつ高さや形の違う塔が立ち並び、厩もある。

 物見の塔やら武器保管塔、幽閉塔に鐘楼までが並んでいた。


「これ、一個一個塔にする必要があったんですかね?階段登るのが大変なだけじゃ……」


 わたしの言葉に返事を返してくれる人はいなかったけれど、昇る人の苦労を考えると拝みたくなる感じがした。

 今回なんて、探し物の為に何往復させられているのやら。想像するだけで申し訳なくなるのは、わたしだけなのか。


「ンゴホン。では、ウカ少年よその獣の臭いがするという塔がどれであるのか教えて欲しい。情けないことに、やはり我々では見つけられなかったのだ」


 すっかりあれこれしょんぼりしているザッカリア隊長を見て、ウカは少し向こうにある小屋を指差した。


「ここだよ。やっぱりすんごく、いやぁな臭いがする。あっちの上の方から」


 すっと上げられた指の先には何もない。空に浮かぶ雲だけがゆっくりと流れている。


 微妙な間をおいて、ザッカリア隊長たち自ら小屋のドアを開けて中を見分するも、小屋の中には飼われている馬のための藁が山積みにされているのみ。どうやらあれは飼料小屋のようだ。

 一目見れば分かることだが、飼料小屋は二階建ての木造で決して塔と呼べるようなものではない。


「……なんらかの魔法によって、隠されている塔があるということでしょうか」


 戻って来たザッカリア隊長がそう発言すると、ノックス宰相がしわを深くして眉間を揉みこんだ。


「そうであれば、我々に出来ることなどないではないか。現在この王宮にいる宮廷魔術師の中に、陛下の魔法を見破れる者などいない。もし、可能性が少しでもあるとすれば、それは王女殿下だけだろう」


 重い沈黙が場に広がる中、特に誰に何を言われるでもなく、そこにちょこんと座っていたティア王女が申し訳なさそうに声を上げた。


「申し訳ありません。この辺りにどなたかの魔法がかかっているということまでは気配で分かるのですが、とても強固な魔法でお兄様が掛けられた魔法ではないということしか、わたくしには……」


 ……あぁ、さっきまでぴんぴんしていたティアさんのおヒゲがしょんぼりしてる!


 ティア王女の声を、目をパチクリさせて聞いていたザッカリア隊長とその部下数名は、キョロキョロと何かを探すように辺りを見まわしている。


 まったくもって何の役にも立てないわたしは、みんなの後ろからこうして見ていることしかできない。大人達に(くさ)い場所を教え終えたウカがこちらへ戻って来るのを迎え、そのまま一緒になって空を見上げていると、ウカから意外な言葉が出た。


「メイだったら魔法の解き方も分かるんだろうけど、ネズミは喋れないもんねぇ」


 ……んん?


「ねぇ、ちょっと疑問なんだけど。なんでメイだったら分かるの?」


「だって、メイもおんなじように隠れる魔法使ってるじゃない。だから捕まらないんでしょ」


 ……んんん?


「え、でもウカはメイの居場所がすぐに分かるじゃない。わたしの肩に乗ってるとかポケットにいるとか、頭の上とか。わたしは言われるまでわからないけどさ」


「うん、匂いだけならね。メイはいつもシヤの泉あたりの山の香りがするから、すぐわかるよ。でも姿は見えないんだもん。大体いつも、アズの頭の上にいるっぽいけどね」


「…………。」


 少し考えて、右の手の平を前に出してみた。


「メイ、ちょっと出てきてくれる?」


 ふっと柔らかな感触と小動物の小さな足が手の平を刺激し、メイが姿を現した。


 ……本当にいたよ。


 え、今までもずっとわたしにくっついてたってこと?ちょっと待って、この世界のハムスターは魔法が使えるの?


 ……あれ、この生き物、ハムスターじゃなくね?


 怒涛のように色々な考えが頭をよぎり、最終的にどうでもよくなった。わたしの知ってる常識なんて、この世界じゃ何の役にも立ちやしないと悟ったから。


「メイ、あなたを見込んでお願いがあるの」


 そう話しかければ、メイは鼻先をこちらへ向けてわたしを見上げてきた。


「もしかして、メイならわたしが召喚された塔に掛けられている魔法を解けたりしない?出来るなら、中に入って転移の魔法陣を探したいの。それがあればティアさんがお兄さんを迎えに行けるかも知れないんだって」


 わたしが話すにつれ、可愛らしい黒の瞳が細められていく。

 話を聞き終え、少し後ろを振り返ったメイはまたわたしと目を合わせた。しばらく見つめ合っていたけれど、舌打ちでも聞こえてきそうな表情をした瞬間、手からぴょこんと飛び降りたメイは地面を歩きだした。


 ――とても億劫そうに、のろのろと。


「なんて嫌そうな態度!でも、やってくれるんだね?……なんていい子なの」


 こちらの声が届いたのか、小さな耳をぴくりと動かしたメイの足取りが、少し軽くなったようだ。

 ふとすれば見失ってしまいそうなほど小さな存在に、他の人達は気付かない。


 結構な速さで飼料小屋前の空き地まで辿りついたメイは、鼻をつきあげ周囲の様子を窺い、何もない芝の上を右に走りだした。

 草むらの中に消えたメイを探していると、ウカが『ぐるっとまわって帰って来るみたい』と教えてくれる。

 じっと左側を見ていると、三分ほどで白いハムスターが草むらの影から姿を現した。


 こちらを背にしたメイが小さな手を振った時、周囲が一瞬で暗くなり、太陽から届いていた暖かさが失われた。


「うわっ、なんだ、何が起こった!?」


 そこにあるのは、黒々とした岩塀が周囲を囲む高い塔。

 慌てふためく騎士達を尻目に、頭上をぽかんと見上げていると、そびえ立つ塔の影の中に立っているわたしの手元にメイが戻って来た。


「メイ、あなた本当に魔法が使えるんだね。すごいわぁ。ちょっと引くぐらいすごい。……ありがとね」


 手の中にすっぽりと納まり、丸くなって不貞寝を決め込んだメイの背中にそっと感謝のキスをした。

 ウカの言うようにメイからは若葉のようないい香りがする。


 丸くなって動かなくなったメイをポケットにしまっていると、突然、頭上から羽音が聞こえてきた。


「うぎゃっ、な、なに!?頭になんか乗っかった!虫!?虫取って――!」


 自分の頭をはたいて騒いでいると、周囲の人が駆けつけてくる足音がする。

 その場でしゃがみこむと、小さな羽音と共に視界の中に鮮やかな青い色が入った。


「アズサ、落ち着いて。それは虫ではございません。お兄様の使い魔ですわ」


「……は?」


 動きを止めて恐る恐る顔を上げると、青い羽を持つ小鳥がわたしの肩口で羽を休めていた。じっとこちらを覗きこむ瞳の色は見覚えのある金緑色をしている。


 てんてんてんと、肩を移動してきた青い鳥は、わたしの顔の側まで近付くと、その尖り気味の(くちばし)で顔面をつついてきた。


「い、いたっ。ちょ、やめて、痛いから。そのくちばし、刺さってるから!」


 小鳥が明確な意思を持ってつついてくるのは口元。地味に痛い。


 鳥からこんな攻撃を受ける覚えはないと、追い払おうと伸ばした手に小鳥の羽根が触れる。その瞬間、以外にも小鳥は地面に叩きつけられ簡単に退治することができた。


 ……弱い?いや、待てよ。あの俺様王様の使い魔って言ってたし、わたしに八つ当たりしてるのかも。何て奴だっ!


 あんまり腹が立ったので、起き上がった小鳥を捕まえるべく追いかけまわした。


「――お兄様、弱っていらっしゃる身で何をされておられるのですか。そのようなお元気がお有りなのでしたら、早く塔の中を案内してくださいまし!」


 ティア王女の冷たい声音にぴしりと周囲が固まると、静寂の中に静電気が迸る音がした。


「ご、ごめんね。ティアさん。今すぐ、塔の中に入って探そう。ほら、あんたも急いで!」


 追いかけていた小鳥を急き立てるように塔の方へ向かうと、怒りを露わにしたティア王女と身近な人達だけが小鳥の飛んで行った壁へと進んで行く。


 改めて見ても、塔の外壁には入口など見当たらず、小鳥が飛んで行った先も石壁で覆われた場所だった。


「どうやって中に入ればよろしいのでしょう?」


 ティア王女が青い小鳥に向かって問えば、頭上を旋回していた使い魔は羽音を立てて彼女の背中に降り立ち、壁の一点を見つめた。


「行きましょう」


 ティア王女が石壁の前、ぎりぎりまで進むと小鳥が舞い上がり壁に向かって飛ぶ。ぶつかると思われたその身体は、何の抵抗もなく壁の内側に吸い込まれて行った。


 彼女が躊躇したのは一瞬の事。

 毅然とした態度で歩を進め、同じように壁の向こうへと姿を消したティア王女の後ろから、宰相とセバスが後を追って行った。


 続いてわたしとアニヤが中へ入るため、壁の前へ進む。

 一歩踏み出し、恐る恐る伸ばしたわたしの右手が壁の中へ消えた時、指先に痛みが走った。驚いたわたしは、壁の中に消えていた手を引っ込める。


「いたっ、何?あ、こら、ちょっと、なにすんのよ。やだ、いたぁっ」


 壁の中からまたあの青い小鳥が飛び出して来たかと思えば、今度はわたしが中に入るのを阻止すべく、羽を広げて威嚇された。


「もうっ!なんなのよっ、あんたなんて心配して損した!アニヤさん、わたしが入るのを王様は拒否されているようなので先に帰りますからっ。ティアさんにもそう伝えてください」


 もう一回、叩き落としてやろうかとも考えたが、こんなのに時間を割くだけ無駄だと思い直し、帰ることを決める。


 ここずっと庭木に泊ってこちらを見ていた可愛い鳥。あれがあいつの使い魔だったと知って腹立ちも倍増だ。

 自由にしてたと思ってたのに、ずっと監視されていたなんて。とんでもないストーカー野郎だ。


 怒りに頬を膨らませながら子ども達を連れて城を後にしたわたしは、宮城を出た途端に雪の積もる街並みに出くわし、非常に違和感を覚えながら帰路についたのだった。








「坊ちゃま、またアズサを怒らせるような真似をなさって。そのうち、本当に嫌われておしまいになられますよ」


 長い螺旋階段を、使い魔である小鳥の先導のもと昇っていくと、そこには円錐状の部屋があった。その部屋を取り囲む壁には本を納める棚が並び、それらの多くが本や紙の束で埋められている。

 アズサの言っていたような召喚の場ではないようだが、まだ魔法で隠された場所があるのだろう。


 本棚に所狭しと並んでいるのは古い魔導書の数々。

 古代文字で書かれたその書物は、何度も読み返されたのだろうことが、汚れ具合と膨らんだ紙の様子で分かる。


 こちらの言葉など知らぬふりをして、本棚の一角から大きな羊皮紙を引っ張り出そうとする小鳥を、セバスが手伝っている。

 広げられた紙面の上には見覚えのある魔法陣が刻み込まれていた。


「これは妃殿下がよくお使いになられていらっしゃった、空間転移の魔法陣ですわね。……懐かしい」


 あの痛ましい事件が起こる前までは、この魔法陣を使ってよくお忍びをされていた姿が思い起こされる。

 何度も共犯にされて、前陛下や宰相からお叱りを受けるのはもはや恒例行事のようだった。


 ある日突然この城へ現れ、陛下と婚姻し、ベルニアの悪魔を倒して世を平定に導いた立役者。

 平和が訪れた後、すぐにお子にも恵まれた国王夫妻に、国はこのまま安定していくのだと誰もが信じ疑わなかったあの頃。


「お兄様、この魔法陣をわたくしが組み上げさせていただいてもよろしいでしょうか。わたくし一人の力では不足でしたが、この魔法陣の補助があればこちらとそちらの空間を繋げることが可能になると思うのです。本当なら、お兄様がこうしてわたくし達と早々に接触を図って下されば、事はもっと簡単だったのですわ。なぜ、今まで近づこうとなさらなかったのです」


 王女殿下の言うとおり、もっと早くにこうして坊ちゃまの使い魔が干渉して来ていたなら、救出へ向かうことも早い段階で出来ていたはず。


 この使い魔では声を届け合う事こそ叶わないけれど、あちらが見ることは出来る。こちらが書いた文字を読んでもらえれば、意図を伝えることも出来ただろうに。


 青い小鳥の姿をした使い魔は王女殿下の言葉に応えることなく、魔法陣を床に落とし、それが広げられていくのをじっと見つめていた。


「了承、と捉えて良いのでしょうね。では、皆は下がってくださいませ。何分、魔法陣を組み上げるのは初めてのことゆえ、何が起こるか予想がつきません。なるべく丁寧に魔力を送り込みますから、時間がかかると思いますわ」


「大丈夫ですよ、あたしは何度もこの魔法陣で転移していますから。いざとなったら簡単な防御ぐらいの力はお貸し出来ます」


「ありがとう、アニヤ。――では、始めます」


 広げられた羊皮紙の上に描かれた魔法陣には、幾重にも円を重ね、幾何学的な模様と古代文字が羅列されている。

 その図柄のような術式を一字たりとも疎かにすることなく、己の魔力でもって組み上げていかなければならない。


 両の手を使わなくとも出来る、この方にとって唯一となるこの魔法陣の組みあげ方は、本来ならば熟練の魔法使いでなければ成し得ないような技術だ。

 一つ形が歪むだけでも、本来の術式は壊れ、厄介なことに別の術式へと変換される。


 何も手を出すことができぬまま固唾を飲み、組み上げられていく術式を見守った。

 静寂の中、次第に時間の経過さえよく分からなくなっていく。


 複雑に重なり合い、光を放って正しい場所へとはめ込まれていく魔力の線は滑らかに揺れ、時に花のような形をとる。

 幾つもの魔力で出来た光の花が咲き乱れ、その中心にいる殿下を彩るようだった。


「……できました。皆、外へ出てください。ここからは本当にわたくしも何が起こるか……」


「ティア様、自信を持ってくださいまし。大切なのは、自分を信じることだと教わったのでしょう。あたしらはここから動きませんよ。ティア様を信じていますし、外にいたらいざという時、お役に立てないじゃありませんか」


 軽口をたたきながら周りを見まわせば、セバスとノックスが鷹揚に頷いてみせた。


 ……大丈夫、貴女様が誰よりも努力していること、あたし達は知っているんです。


 魔法だって、坊ちゃまにお願いしてここにある魔導書を借り、読み解いてきたこと。

 おねだりして坊ちゃまの発動される魔法陣を食い入るように見つめ、ご自分の魔力量では組み上げられないと気を落とされていたことも……。


 泉にお出掛けになられてから、その膨大な魔力の制御に翻弄され、疲弊し眠ることも出来ずに苦しまれていたことだって。


 アズサに言われて、思い出した子守唄。


 幼い頃にはあれほどせがまれていたと言うのに、姫様が必要とされていた時にすぐ唄って差し上げられなくて、ごめんなさいね。

 これからは、姫様が不安な夜を過ごすことのないように、姫様の心を守れるようにずっとお側におりますから。


 王女殿下が紡いだ魔法陣を見ていると、郷愁を誘われるような感情が湧き起る。

 いつの間にか溜まっていた涙がこぼれた時、円形の床のその中央、淡い光を放った魔法陣がさらに輝きを増した。


 魔法陣の中央に光の柱が立ち、天へとつきあげた瞬間、光が霧散して人影だけが残される。


 光に眩んだ目が室内の様子をはっきりと捉えた時、そこに期待した坊ちゃまの姿はなかった。

 視界に入ったのは、大きな荷物を背負い、やつれた様子の息子と……。


「お兄様……?」


 その両手にぶら下がるように持ちあげられた、眠たげにあくびをする、群青色の髪を持つ赤子だった。


















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