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梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
25/57

ティアの祈り


 城から程近い場所に建てられた小さな離宮には病弱な姫がいる。


 ティルグニア王国の第一王女について王都に住む民ですらそれ以上の情報を持つ者はなく、国の重鎮とされる古い貴族たちの中でも、宰相を務めるノディアクス・サバディルド公爵のみがわたくしとの謁見を赦されている数少ない者の一人でした。


「お兄様からの連絡はまだありませんか」


「ええ。ファフニア王の要請によってファフニア及びベルニアの調査に向かわれたあの日より、陛下からの連絡はございません」


「そう、ですか。……やはり今は使い魔が姿を消していないことだけが、お兄様の安否を知るための(よすが)となっておりますのね」


 この国の王であるわたくしの兄は、使い魔を通して離れた場所をご覧になれる力を持っています。お兄様が他国に向かわれるにあたって、留守にするこの王都を心配し残された青い小鳥。

 お兄様が出立してからこちら、その小さな生き物がじっと一人の人物の動きを追い続けているのを皆が気付いていると言うのに、その見られている本人に気付かれていないとは少し切ない気も致します。


「こちらを出立されてから、はや二週間。平素の陛下であれば他国であろうと一瞬でお戻りになられる距離です。それがいまだお戻りになられないという事は、何か不測の事態が起こったと考えるのが妥当でしょう」


 ソファの向かいに座り、湯気の立つカップをゆっくりと傾けお茶を嗜んでいらっしゃるのは、我が国の宰相。幼くして王位を継いだお兄様を陰日向なく支え続けてくれているノディアクス公爵その人です。

 お兄様が不在のため、今この国の舵取りを一手に引き受けてくださっている方でもあるノックスおじ様は現在、わたくしの師でもあります。


「さて、ティア殿下。この状況下で考えられる不測の事態を殿下ならばどう読みますか?」


 師とはもちろん、帝王学及び国政などを教えてくれる教師ということ。忙しい合間を縫ってはこの離宮へと足を運び、こうした実地的な質問を交えて物事の見方や考え方の観点、つまり狭い視野しかもたない(わたくし)への基礎的な授業を施してくれているのです。


「この度、ファフニア王よりベルニア王国についての情報と救済要請が(もたら)されました。ですが、その情報には齟齬がありました。……ファフニア王からの情報には一月分の遅れがございましたもの。ですが、我々はベルニア王が民の蜂起により討たれたとの情報を、ファフニア王からの古い情報と同時期に得ておりました。お兄様はそのことを踏まえた上でこちらを出立されたのですから、不測の事態はベルニア王国に入られてから気付かれた事か、到着後に起こった事だと思われます」


 三日たってもお兄様のお帰りがないとわかってから、ずっと考え続けていることを言葉にして行くうち、胸に何とも言えない不安が込み上げてきます。

 それを表情に出さないように気をつけながら、淡々と言葉を紡ぐよう心がけました。


「えぇ、私もそう考えております。ファフニア王はベルニアの異変を早期に気付いておられたはず。にもかかわらず、何も対策を取ってこられなかった。自国への影響を甘く見ていたのか、それで自国の民に負担がかかるような事態となっている現状ですからな。明らかな失策です。……ひとまず、ファフニアは置いておきましょうか。我が国にとっての不測の事態は陛下と連絡が取れなくなっている事、ベルニアに商隊として送った密偵達からの報告も途絶えているという事の二つです」


「はい。お兄様は使い魔をいくつもお持ちですから、十分な魔力さえあればこちらに連絡を入れてくださるはず。なのにそれが途絶えているというのであれば、答えは明白。お兄様のお命にかかわる何かが起きたか、若しくはお兄様が余力のないほど魔力枯渇に陥る事態となっているかの二通りだと考えられます。先に話していた通り、この離宮には一匹だけではありますがお兄様の目が今も活動しています。ですから、前者の仮定は省けるかと」


 湯気のくゆるカップを見つめていた視線を対面に座るノックスおじ様に向けると、彼は厳しい表情でこちらを見据えていました。緊張にこくりと鳴る喉をおさえ、頭に巡らせていた考えを少しずつ言葉に変えて次に何を言うべきか整理していきます。


 ……少し前までお兄様の魔力は召喚の儀とその後の魔法によって、枯渇気味になっていましたわ。それも一週間ほどで完全な状態に戻られていたはず。ですから、問題は……。


「――我々の世界は魔力無しには存在できない。大地への魔力の流れが滞れば、国が天変地異に見舞われます。ティルグニアが安泰でいられるのはお兄様の魔力のお陰。その魔力奉納の儀式が滞れば、我が国もゆるやかに崩壊して行くことでしょう。ベルニアは今、大地へと送られるべき魔力が途絶えている状態なのだと予想できます。王やその側近までもが討たれたというのですから、儀式を行える状態ではないのでしょう。ですが、お兄様が駆けつけた上でも対処できないほどの事態……それはどれほどのものなのでしょうか」


 思考を深めても辿りつけなかったその答えをおじ様に求めてみるも、彼は眉間に力をこめて首を振るのみ。


「不測の事態が世界の根幹であるという見解、それは私の導きだしたものと同じです。そして陛下が何らかの原因で魔力を使い果たしているという予想も。それ以上の事は陛下のお帰りを待たなければ、いくらここで論議を重ねても答えは出ないでしょうな。ただ……」


 珍しく歯切れの悪いご様子に首を傾げると、おじ様はゆっくりと重たそうに口を開いて語りだしました。


「ベルニアでは半獣に対する虐殺行為が国法として認められていた。ですがご存知の通り、半獣は殺せば殺すほど出生率が上がるのです。報告ではベルニアで見かけるのは、二十代以降の男ばかりで村や町を見ても子どもが一人も見当たらないという。あちらでは半獣を産んだ母やその家までもを罰しているようだが、半獣の出生率が9割を超えていると予想される彼の国ではもう、子どもはおろか女性の姿すら見られないそうです」


 街や村に女性や子どもの姿が全くない、というその様子を思い浮かべるだけで身体が震えます。


 パチパチと音と光を放つ己の毛並みに気付いて、深く呼吸し息を整えました。

 ですが一度高まった感情は押さえこむことが難しいものなのだということを、最近では身に沁みて学んでいます。それでもなんとか気持ちを宥め、感情を押さえるよう目を閉じました。


 魔力が上がり始めてからこちら、感情の起伏によって勝手に魔法が発動してしまう現象に悩まされる日々が続き、気が休まる時がありません。

 銀をこの身に纏うことを長年夢見ていたわたくしですが、まさか我が身の膨大な魔力が暴走する事で勝手に自分の深層意識から魔法を創り出してしまうなんて、思いも寄らないことでしたもの。


「王女殿下は、感情の高ぶりと共に魔力が暴走しておしまいになられる。魔力操作を自分のものと出来るよう日々鍛錬ですよ。さぁ、お茶を召し上がってください。アニヤ様に新しい物を用意していただきましょうか?」


 少し冷めてしまったカップを差してそう話すおじ様の瞳は今、感情を灯していません。わたくしの未熟な部分を一つ一つ丁寧に、こうして自分の身で体現して見せてくださっていらっしゃるのです。


「いいえ、その必要はございませんわ。けれど、感情の高ぶりや気分の降下によって、無作為に魔法が発動してしまう現象がいつまで続くのかと心配でなりません。わたくしも早くお兄様のように自由自在に魔力を操作できるようになりたいと励んではいるのですが、なかなか思うようにいかない物ですわね」


 つい先日もお兄様が帰っていらっしゃらない不安に駆られ、魔法が発動してしまうことがありました。その時に御迷惑をお掛けしてしまったのはアズサ様です。

 それを思い出しひとつ息を吐くと、正面に座るおじ様から笑う気配を感じました。


「拝見したところ、王女殿下の魔力はもしかしたら陛下を凌ぐ物になるやもしれない、と皆が感じているのですよ。期待しておりますので、どうか精進してくださいませ」


 表情を崩し、愉しそうに微笑まれるおじ様の顔を見てわたくしは項垂れます。

 彼は教師として、時に先程のようにわたくしの心を乱す発言を故意にしてくるのです。それも、的確にわたくしの動揺を誘う言葉を選ぶから性質が悪いと思います。


「もう、ノックスおじ様も手加減してくださいませ。とくに、アズサ様にご迷惑をお掛けするような発言はお控えくださいまし。あの方は今、とてもお忙しい身なのですから」


 ふいっと顔を逸らして軽口を叩けば、おじ様の優しい声音が耳に届きます。


「ティア様、どうかあまり我慢はなさらないでください。特に、淋しい、不安だという感情を心許せる者にまで隠す必要はないのですよ。魔力の暴走でいきなり対象を移動させずに済むように、普段からたくさん交流を持たれる様にすれば宜しいのです。アズサ殿は遠慮せずにいつでも声を掛けてほしいと仰られたのでしょう?」


 その言葉に、先日起こした魔力の暴走でアズサ様を目の前に転移させてしまった時のことを思い出しました。熱が顔に集中するのを感じます。


「あ、あれはお兄様が帰っていらっしゃらない不安と、アズサ様の帰りが遅かったというのが一緒くたになってしまって……」


 もうすぐ離宮、という近くの坂道を歩いている途中でわたくしの許へと転移されたアズサ様には、すぐに事情を話し許していただけました。

 その上、淋しくて不安だったその様子を察して、アズサ様はそのあともずっとわたくしと一緒に居てくださったのです。


 腕の中で優しく抱きかかえられて背中を撫でられるうちに眠ってしまった自分を思い出すと、恥ずかしさのあまり、また涙が出そうになります。


 明け方、椅子に腰かけベッドにうつぶせたアズサ様を見つけて心底驚きました。

 その温かい手が一晩中自分の手を握っていてくれたのだとわかって、例えようもなく嬉しく、消えたいほどに恥ずかしかった思い出は記憶に新しいものです。


「はぁ、我が国の命運はあの方が握られていると言うのは本当のことだったのですね。騎士やバルド殿から話には伺ってはおりましたが。いや、まさかこれほどとは。彼の方は、今や世界の命運を握っていると言ってもいいのかもしれません。わたしは陛下が前言を翻してベルニアへと赴いていただけるなどとは、思いもしませんでしたから」


 ファフニアから救援要請が届き、お兄様にベルニアの不穏な様子が報告されたのはこのわたくしの談話室でのこと。これからは全ての情報をわたくしにも知らせると仰られたお兄様は、ノックスおじ様からの報告の場にも同席させてくださいました。

 熱を出して帰還した直後のやり取りに、アニヤは難色を示しましたがわたくしは嬉しく思っていました。


 ですが、それらの報告を聞いてもお兄様はこの国を離れてベルニアやファフニアへと向かおうとはなさらなかった。

 お兄様はご自分がお決めになられたことを簡単には覆したりなされない方です。

 この国の王としてそれは間違ってはおられない。

 けれど、崩壊寸前のベルニアを救えるのがお兄様にしか出来ないだろうことは事実で、他国の者達にさえわかりきっていた。そうでなければ我が国へ救援要請など端からしてはいなかったでしょう。


 現状この世界で、ほんの僅かにでも魔力に余裕があるのは我が国のみ。甚大な魔力をその身に宿すお兄様だけなのだから。


 皆が何も言えぬ中、そんなお兄様の頑ななお心をとかしてくださったのはアズサ様でした。








「ちょっとぉぉぉぉぉ!どういうことよ!?あなたまた意味の分かんないこと言って俺様発言してるって、アニヤさんが困ってるじゃないの!」


 この部屋のドアを開け放ちながら飛び込んで来られたアズサ様は、シヤの泉から戻られたその足でアニヤに事情を聞かされ、駆けつけてくれたようでした。


 慌てて扉を開けたセバスの向こうに、両手に木の根のような長細く泥にまみれた物を握りしめたアズサ様が立っています。

 後から追いかけてきた深緑色の髪の男の子がそれを受け取り出ていくと、両手をかゆそうにして一度手をすすぎに行かれた後、お話は始まりました。


「待たせたわねっ。さぁ、わたしを連れていけないから政務(しごと)をさぼるって馬鹿な事言ってる理由を聞かせてもらいましょうか」


 実際はそこまであからさまな言葉ではなかったのですけれど、要約してしまえばその通りでした。ですから、その場にいた誰もが口を噤んでしまいます。


 アズサ様が手を洗って戻られてからも、痛々しく赤くなった手をこすっているのを見たアニヤがペンダントに手を伸ばそうとした時、黙って座っていたお兄様が素早く動いてアズサ様の手を治し、またお座りになられました。

 その行動の速さに皆が驚く中、むっつりと押し黙ったまま席に戻られたお兄様に、これまたあっさりと礼を述べたのはアズサ様です。


「あ、ありがとう。で?王様が行くところには必ずわたしが同行しなきゃいけないなんて、聞いてないんだけど」


「そなたの耳はあまり良くないようだな。私はシヤの泉で昼間そう伝えただろう。そうだな、バルド」


「……あぁ、そう言われてみれば確か『勝手にどこかへ消えてもらっては困る。どこかへ向かうのならば、必ず私と共にだ』と仰っていらっしゃいましたね」


 ……そう、ですわね。確かに離宮へ戻る直前にそう仰られていましたわ。


 脱力した面持ちでアズサ様を振り返れば、半眼になられたアズサ様のお顔が目に入りました。


「助けて欲しいってお願いされて、助けてあげられる力があるのに放っておくの?……ベルニアの人を助けてあげないの?」


 アズサ様の静かな声が皆の耳に届き、誰も発言できないままに、アニヤもバルドもセバスもおじ様も、この場にいる皆が口を噤んでいました。

 もちろんわたくし自身、お兄様のお気持ちを変える様な言葉をもっておりません。

 けれど、アズサ様の仰られている言葉はわたくしの心と同じものでした。胸に痛みを覚える静寂の中、アズサ様がお兄様の目の前に立って視線を合わせられるのを、皆がただ見守っておりました。


「わたしが一緒にそこへ行くって言えば、王様はベルニアの人を助けてあげるの?」


 お兄様がソファに腰かけたまま視線をあげてアズサ様を見上げ、溜め息を吐いて首を横に振るのが見えます。それを見てわたくしは落胆の気持ちが強くなりました。


「そなたをベルニアへ連れて行けば、あちらの瘴気や穢れに触れてそなたの身はもたぬだろう。――だから連れては行けぬ」


「そう、なの?……あぁ、血まみれナグ的なアレの事……。確かに無理。いや、でも、頑張ればイケるのか……?うう、なに、何なの、このめんどくさい状況は!?あなた、ぐだぐだ言ってないでわたしを監視してたいんだったら、さっと行ってさっと帰ってくればいいじゃない!」


「ふん。なぜ、この私が自分のしたいことを我慢してまで、やりたくもないことをやらねばならぬのだ。それに、魔力は無尽蔵ではないのだぞ。余所に使えば、自国に何かがあった時どうする。いざというとき自国を守れぬ者など、王ではない。そう言ったのはアニヤやノックスだ。そうであろう?」


 苦虫を潰した様なアニヤと困ったように眉尻を下げるバルドとおじ様。皆が何も言えぬ中、動いたのはセバスでした。


「陛下、アズサ様に少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 憮然と視線を逸らしたお兄様の動きを了承と心得たセバスは、部屋の隅にアズサ様を連れて行き、何やら小声で話していました。しばらくして苦悩に顔を染めたアズサ様と共に戻ってきたセバスは、平然とした顔でわたくしの背後に回ってきます。


 ……セバスは何かアズサ様を困らせる様な事を言ったのでしょうか?


 左右にぴんと伸ばした腕の先、拳を震わせながらお顔を赤く染めたアズサ様は、お兄様の座るソファの足元に腰を下ろし、膝にのせたお兄様の手へ自身の両の手を重ねました。


「あ、あう、うぅ……」


「……どうした、セバスに何を言われた」


 怪訝そうに声を掛け、様子のおかしいアズサ様を心配なさったお兄様とアズサ様の視線が合った時、顔を赤く染めたアズサ様の瞳にうっすらと涙が浮かび、一度唇を引き結ばれるようにその小さな唇を湿したのが伝わりました。


 大分、緊張なさっておいでのようです。やはり、セバスがなにか失礼なことを言ったのでしょう。心配して腰を上げようとしたその時、少し甘いアズサ様の声が耳に届きました。


「あなたが遠くに行ったら、わたしも淋しいよ。……だけど、これ以上苦しむ人が増えてしまうのはとてもつらいの。ティルグニアの心配をするのは王様として当然だと思う。でも、わたしのお願いを聞いてもらえませんか?ベルニアの人を助けてあげて欲しいの」


「……だが」


「あなたがわたしの願いを叶えてくれるのなら、わたしもあなたの願いを1つ叶えると約束します。それでは……ダメ?」


 上目遣いに見上げるアズサ様の姿をお兄様はじっと長い間見つめていらっしゃいました。その様子をわたくしは固唾を飲んで見守っておりましたが、背後から潜めた声が聞こえてきます。


「坊ちゃまったら、ここぞとばかりにじっくりアズサを見てるねぇ。それにしても、セバス、あんたアズサによくもあれ程あざといマネを……」


「何を仰いますか。あれはアニヤ様がよく亡くなったご夫君やお父様になさっていた仕草や話し方ですよ。あ、そろそろ転がされそうですよ。見てください、アズサ様のあの羞恥に耐えるお顔を。あれはヤられますね。陛下ならばイチコロです」


 そう言われてお兄様をみれば、なぜだか先程までよりも自信にあふれ、威厳のある表情をなさっておられます。心なしか、青銀の髪にも光が増して。


「そなたがそれ程までに懇願してくるのであれば、仕方ない。すぐ行って、片付けてこよう。バルド、今夜出立する。魔法陣を使って一気に飛ぶぞ。荷物は最小限にとどめよ。ついてくるのはお前だけでいい。向こうの事後処理の為の派遣はノックス、お前に任せた。ファフニアへの対応はティアの意見を聞きながら進めよう。私が戻るまでに意見をまとめておくように」


 嵐のように言葉を残し、颯爽と扉へ向かったお兄様は扉の前で一度立ち止まるとアズサ様を振り返り、見たこともない様な笑顔を浮かべ去って行きました。


「ぐぐぐぐぅぅぅぅっ!何、あのドヤ顔は!?何なの、この敗北感!くやしいいぃぃっ!」


「お見事でした。アズサ様のお陰で、一つの国が救われましたよ。やはりアズサ様はこの世界の救世主ですね。陛下を手の平であれほど上手く転がせられるのは、アズサ様にしかできないことです」


 転がす、という表現は良く分からないものでしたが、その通りだと思って頷いているとアニヤもセバスの言葉に同意のようで一緒に頷きます。それを聞き、なぜだか頭を抱えて床を転がり始めたアズサ様を皆が憐れそうに見ているのが印象的でした。








「あのご様子ならば、本当に次の朝までにはお戻りになられるのでは、と思っていたのですけどねぇ。あ、ありがとうございます。アニヤ様」


 差しだされた茶受けに手を伸ばし、一息つくノックスおじ様の前にアニヤは茶器を並べていきました。


「本当に、坊ちゃまはどこで何をされているのかねぇ。いくらなんでも、遅すぎるだろうに。バカ息子は何をしてるんだか……」


 本日予定されていた勉強を終え、アニヤがお茶を用意している時にその知らせは届いたのです。


「失礼いたします。ノディアクス宰相様宛に宮城より急使がお見えになりました。書簡をお預かりしております。バルド様からの書簡のようです」


 カチャリと音を立ててティースプーンを皿に落としたアニヤは、急いでセバスの許へと駆けより、ノックスおじ様へと書簡を手渡しました。

 中が空洞になった軽い木筒の中に丸めた紙を入れた書簡はその端と端を蝋で封じられており良く躾けられた大鳥によって運ばれる手紙です。


 書簡を受け取ったおじ様がそれを勢いよく両手で挟みこむと、パキンと言う高い音と共に木は真直ぐに亀裂を刻み二つに割れました。

 丸められた手紙を読み始めたおじ様の言葉を、固唾を呑んで待ちます。


「……これは、なんと」


 読み進めるうちに大きく目を瞠ったおじ様は、やきもきしながら待っていたアニヤへと手紙を差し出し、眉間を揉みこむようにして考え事を始めてしまわれました。


 ……何が書かれているのでしょう?お兄様に何かあったのでしょうか?


 震える手先をもう一方の手で押しとどめながら、出来るだけ落ち着いた声を出すよう心がけます。


「アニヤ、バルドからの手紙には何と?」


 目を瞬いているアニヤの顔には困惑が浮かんでいます。横に立つセバスもなかなか言葉を返さないアニヤの様子に眉をひそめて見ていました。


「陛下が……、魔力の枯渇を起こして倒れたと、そう書かれております。魔法が一切使えない状況の為、馬でこちらへ帰る途中立ち寄った村から飛ばした書簡のようですわ」


 そう言いながらテーブルの上に手紙を広げてくれたアニヤの言うとおり、その手紙に目を走らせれば、紙の上にはバルドの字でこう書かれてありました。






『報告

このたびのベルニアにおける大地への魔力奉納は無事成功。

しかし、そのために消費した魔力は陛下の限界値を超えておられた。

回復薬などで取り敢えずの危機は脱したが未だ陛下の魔力は戻る気配が見られない。

国へと進路を進めてはいるが諸事情あって戻るのに時間がかかる旨を伝えておく。

この手紙がそちらへ着く頃にはファフニアとティルグニアの国境あたりにいる。

出来るのであれば、こちらへ向け馬車を出して欲しい。

現状のベルニアは危険地域と判断する。

救援での物資派遣は慎重を来たすべく配慮願う。

以上

ティルグニア騎士団 団長バルド・ペテリュグ』






「お兄様!――何があったというの?アニヤ、お兄様の身に何が……!?」


 文面を読み、感情が押さえきれず思わず、叫ぶような声をあげていました。わたくしを宥めようと伸ばしたアニヤの手がわたくしに触れた途端、火花が散ります。

 アニヤを傷つけるつもりはありませんでした。でも、感情の抑制がききません。


「ティア殿下、お気をお鎮めになってください。このままでは魔力が暴走してしまいます」


 紫銀の毛並みに、ちりちりと光が揺れ、輝きが増してくるのを自分でも感じます。

 けれど、不安な気持ちは膨れるばかり。

 胸の奥からこみ上げてくる押しつぶされそうな圧迫感に、吐き気を覚えた時、扉を蹴破る勢いでアズサ様が飛び込んで来たのが目に入りました。


「今日のオヤツは、お庭の雪で作ったかき氷だよ~。お味はスイと山ブドウ!……んん?どうか、しました?」


 エプロン姿にトレイを抱えたアズサ様と子ども達は戸口で足を止め、アズサ様だけが室内へと足を踏み入れていらっしゃいます。


「ティアさん。ほら、泣かないで。どうしたの?話してみて」


「あ、アズサ、今は触れない方が……」


 チリチリと放電し始めた逆立つ毛並みを物ともせずに、わたくしを包み込んで抱きしめたアズサ様はそっと背中をなでてくれます。


「だいじょうぶ、だいじょうぶだから。泣かないで、一緒に考えよう。何があったか聞かせて?」


 アズサ様のやわらかな腕の中で気持ちが落ち着いてくると、今度は涙が止まらなくなりました。見かねたアニヤが代わって状況の説明をしてくれるのを、ただ聞いています。


「それで、ここから国境までは馬車でどれくらいかかるんですか?……はぁ、馬車で、四週間!?だって、こないだバルドさんはそっちの方にある故郷まで馬で三週間くらいって、それも国境より遠いからって」


 単騎の馬と荷を引く馬車では機動力が違います。アズサ様にはそれがあまりよくお分かりになられないようでした。

 お兄様が苦しんでおられると言うのに、離宮から出ることも叶わないこの身を煩わしく感じていると、背中をまた叩かれ、ポンポンとリズムを刻む手の感触が心を落ち着かせてくれます。


 ……そうですわね、自虐でお兄様をお助けすることなど、出来ませんわよね。


 わたくしはわたくしに出来ることを探すところから始めなければ、と気持ちを改めました。


「一刻も早くお兄様をお迎えにあがれるよう、馬車を用意してくださいませ。ノックスおじ様、わたくしに出来ることがあれば何でも致しますから、お早く……!」


 涙を拭ってそう伝えれば、考えに沈んでいたおじ様はこちらへ視線を向けて首を横に振りました。


「殿下、ベルニアへ向かう馬車はすぐにでも出立できるよう準備を整えております。ですが、外を見てください」


 視線で示された先には庭園へと向かう大きな窓。その外には一昨日からずっと白い物がちらついておりました。視線をわたくしから外したおじ様が頷くと、セバスとアニヤが部屋を出て行くのが視界の端に移ります。


「……雪」


「はい。平地までの間、この王都の領地を抜けるまでの道が雪で閉ざされている可能性があります。恐らくバルド殿もこちらの積雪状況を鑑みてあのように”出来れば”との文言を入れたのでしょう。陛下がおられれば、結界を強めてこの雪を一時的に溶かすことも可能だったのでしょうが、そのご本人をお迎えに行くわけですからな。しかし、出来る限り早くお迎えに上がれるよう力を尽くしましょう。御前、失礼致します。取り急ぎ王宮へ戻ります故」


 おじ様が臣下の礼を取って去った後、部屋に残されたのはアズサ様とわたくしのみ。

 先程まで戸口に居た子ども達はアニヤに連れて行かれたのでしょう。姿が見えなくなっていました。

 震えるわたくしの身体を両手でぎゅうっと抱きしめてくれるアズサ様から、独り言のような呟きが聞こえてきます。


「そうかぁ、王様みたいに転移魔法が使いこなせてたら、すぐにでも迎えに行けたのか。でも、わたしには魔法が使える気配が微塵もないんだよねぇ」


 アズサ様は泉で一人の子どもの名付けの儀式を成されたあとから、意欲的に魔法の知識を求め、熱心に勉強されるようになりました。最近ではわたくしと一緒に初歩魔法を学んでいらっしゃるのですが、思うようには魔法が発動せずにいらっしゃるのです。


「ティアさんはできそう?」


「……何を、とお伺いしてもよろしいですか?」


 少し落ち着いてきた魔力の波動を平時まで押しとどめながら疑問を返すと、予想通りの答えが返ってまいりました。


「転移魔法」


 あっけらかんとそう言い放つアズサ様に思わず苦笑が漏れます。


「出来ませんわ。わたくしはやっと四大魔法を発現できるようになったばかりですのよ?」


 苦い思いでそう伝えるものの、アズサ様の瞳には強い光があるようでした。


「だけどさ、この前わたしを自分のところまで転移させたじゃない?あ、違うよ。責めてないから、そんな可愛い顔しないでっ。手放せなくなっちゃうから」


 情けない顔でアズサ様を見たのが分かったのでしょう。わたくしを励ますためにアズサ様が軽口を言いながらぎゅうぎゅうと抱きしめてくれるその安心感に、張りつめていた気持ちが弛んで行くのを感じます。


「あれは、魔力が暴走しただけで、わたくしが意図的に行ったのではありませんもの。それに、転移させられたのはアズサ様だけですし」


 あれから何度か花瓶や置物などを対象に魔法の発動を試してはいるものの、成功した例はありません。初歩魔法ですらたどたどしいというのに。そのように大それた魔法はわたくしにはまだ無理なのだと半分は諦めております。


 ……わたくしにもいつかはお兄様のように使いこなせる日が来るのでしょうか。


「それさ、ちょっと試してみない?わたし考えてることがあるんだよね」


「試す、とはどういったことをなさるのでしょうか?」


「ちょっと、この高そうなカップもらってもいいかな」


「え?えぇ、カップが欲しかったのですか?どうぞ、お好きなものを持っていらして」


 お言葉に甘えて、と言いながらわたくしから離れたアズサ様は、おじ様が飲みほして空になったティーカップを手にしました。そのまま歩を進めると、庭園を臨める大きな窓に手をかけられます。


 錠を外し雪の張り付いた桟を強く押すと、窓枠についていた雪がバサリと一階の地面に落下した音が聞こえました。すぐに強い風と舞い散る雪が室内に冷気を運びこんできます。

 暖炉の炎が揺らめき、風にあおられた薪が火花を散らすのが目に入ります。


「ティアさん、このカップ、わたし壊したくないんです。だから、もし、壊れそうになったら壊れないように大事に()()にしまっておいてくれますか?」


「え?えぇ。もちろんですわ。では、そのカップをこちらに……」


「あっ!」


「え?」


 『パリィン』と薄く硬質なものが弾ける音がして、アズサ様の手元を見れば、先程まで手にしていらしたティーカップが無くなっています。


「あーぁ。大事にしたかったのに、割れちゃった……」


「も、申し訳ございません。わたくしがもっと早くに受け取っていれば……」


「じゃあ、もう一回。今度は壊れる前に手元にしまってね?」


 そう仰ったアズサ様は、今度は中身の入ったままのカップと受け皿を手に取り、また窓辺へと向かいました。微笑みを浮かべたままこちらへと顔を向けるアズサ様の腕は、降り続く雪と風の唸る外へと伸ばされています。


「アズサ様、危ないですわ。また割れてしまいますわよ?早くこちらへ……」


「あ……」


「え……」


 『カチャーン』と、先程とはまた違う音を立てて壊れる音に困惑が広がります。薄く微笑まれたままのアズサ様は身を乗り出して、地面に落ちて割れてしまったカップを覗きこんでいました。


「あー、また割れちゃった。大切にしたかったのに……。ごめんね、カップさん」


 外に向かって両手を合わせ、落として割れてしまったカップに向かって詫びるその姿に、なぜだかうすら寒さを感じます。

 僅かに上ずった声を掛ければ、こちらへ振り返ったアズサ様は薄い微笑みをたたえて、窓の縁に腰掛けました。


「アズサ様、お寒いでしょう?もう、窓はお閉めになられては…」


「ねぇ?本当に大事なものだったら、ちゃんと手元に引き寄せてくれた?」


「な、にを言って……」


 わたくしが全ての言葉を発する前に、窓枠に足をかけ立ち上がったアズサ様は愉しげに笑っています。


「今度は助けてね。わたしはティアを信じてるから。バイバイ」


「ひっ、い、いやあぁ――――っ!!」


 別れの言葉を口にしたアズサ様が、窓から勢いよく外へと躍り出た瞬間、恐怖が感情を支配して何も考えられないままに叫んでいました。

 なぜ、アズサ様がカップを次々と割ったのか。なぜ自分から窓の外へと飛び出したのか。

 先程までの出来事が巡り混乱する思考の中で、強く思ったことはただ一つ。


「行かないで!」


 わたくしの絶叫だけが寒風の吹きこむ室内に響き渡ります。


「わたくしを、置いて行かないでぇ。う…ひっぇ――…、えぇ――…ん、アズサ、さまぁ…、お…にいさま……」


 室内に吹雪く風が一瞬止んで、ひやりとした気配が身を包むのを感じた時、聞き慣れた優しい声がしました。


「うぅ、こ、怖かった。いくら二階で雪が積もってると言えど、やっぱり洋館の高さは骨折確実だよねっ。ヤバい、今更震えが……っ、ティアさぁぁん怖かったようぅぅぅ!!」


 ガクガクと震えているのはわたくしではありません。

 わたくしを抱きしめるその腕と身体の持ち主であるアズサ様が震えておられるのです。わたくしを包むその腕の質感に、段々と温もりが届くその体温に、身体の力が抜けました。


 自分から窓の外へと飛び出しておいて、震え、恐がり、しがみ付いてくるアズサ様に、言いようのない激しい怒りが込み上げて来るのを押さえることが出来ません。


「……にを、何をしているのですか!アズサ、あなた、ご自分が何をなさったのかわかってらっしゃるの!?馬鹿っ!ばかばかばかっ!アズサなんて、もう知らないんだから、もう、もうっ、心配させないでっ。わたくしから、離れて行かないで」


「うん、ごめんなさい。助けてくれてありがとう。そんでさ、やっぱりできたじゃない?」


 お互いにぎゅうぎゅうと抱きしめあっていると、騒ぎを聞きつけたアニヤが部屋に飛び込んできました。


「何をしてるんだい、この忙しい時に!アズサ、窓から物を落としてたのはあんただね!?何してるんだいっ、ほんっとにもう、うちの女達はみんなはねっかえりばかりで困っちまうよ」


 そう文句を言いながら、窓を閉めて暖炉に新しい薪を足したアニヤはわたくし達の為に新しいカップを用意して、温かいミルクを注いでくれました。


「で、成功したのかい?その様子じゃ、本当にやったんだろ?例の実験とやらを」


 少しずつ舐めていたミルクをあやうく噴き出しそうになりながら、アズサとアニヤの会話に耳を傾けます。


「うん、やっぱり予想通りでした。足りない物はやる気と愛情。わたし、ティアさんに愛されてる実感も持てて最高に幸せですっ」


「……要するに、自分に自信がないから魔法を使えなかったっていうアズサの仮定が正しかったってことなんだね。愛情云々は良く分からないけど、ティア殿下の魔力がこれで使いこなせるようになっていけば、陛下の問題も何とかなるかもしれないよ」


「じゃあ、ちょっと隣の部屋から試して来ますね」


「……え?」


 訳がわからず茫然としていると、アズサ様が席を立って部屋の外へと飛び出して行かれました。


「アニヤ、アズサ様はどちらへ行かれたのです?」


「今度は違う窓から飛び降りて来るから、下に落ちる前に喚び寄せてくれって言ってましたね」


「はぁ!?」


 アニヤとわたくしが会話をしている最中、開かれたままの扉から隣室の扉が開かれる音が聞こえてきます。次に窓が開いて、先程と同じように雪が窓から地面に落下する音が聞こえ、旋律が走りました。


「あ、あ、あ、アズサ、の、ばかぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


「ひょえっ!?」


 怒りのあまり、全身の毛が逆立ち、室内にピシピシと稲光のようなか細い光が迸ります。席に戻れと念じたそのイメージ通りに、先程と同じように席に座っているアズサは目を丸くしていました。


「アズサ……、あなた、次にまた同じことをしようとしたら、もう二度と口を聞きませんことよ。――よろしくて?」


 バチバチと放電を始めた室内の様子にヒィとかギャアとかいう声を上げ始めたアズサの姿を視界に治め、アニヤにも釘を刺します。


「アニヤも、二度とアズサの危険行動を許さないと誓いなさい。例えそれがアズサの望みでも、わたくしはアズサが傷つくような行動を赦しませんから。アズサ、あなたも心しておくことね。約束を破ったら、部屋に閉じ込めてしまいますことよ?……ふふ、クスクス、あら?なんだかそれも愉しそうですわね?なんならお試しになられても宜しくてよ?クスクス」


「ティアさんが、キレた……」


「まぁ、キレるとは何のことでしょうか?あぁ、吹っ切れる?そう、そうですわね、わたくし、今そんな感じかもしれませんわ。ふふっ、ふふふふふっ」


 ヤンデレ?と聞き慣れぬ言葉を呟き、なぜか頬を染め愉しそうにわたくしを見ているアズサ。

 その様子に知らず、こめかみがピシリとしましたが、素直に謝られ抱きしめられれば、怒りはそれほど長くは続きませんでした。


 その後わたくし達は、お兄様を一刻も早く救出する術を考えることに思考を割きました。

 要となるのはわたくしの魔力。先程までとは打って変わって、今は出来ないことなど無いのではないかと思える己がおります。

 これも吹っ切れたおかげでしょうか。


 ……お兄様、必ずお助け致します。どうかご無事でいてくださいませ。





















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