ディンゼル軟膏店の見習い 後半
「おいおいおい、あの兄ちゃん、すごすぎるだろ。なんだよ、あの身のこなしは……」
にいちゃの走って行った屋根を見上げながら、感心したように目をパチクリさせているのはこの軟膏屋のご主人。
わたし達を少しのあいだだけ見習いの見習いとして雇ってくれている、女将さんの旦那さんだ。
後ろから肩を引かれて振り向けば、女将さんが引きつった笑いを浮かべて店の奥にいるように、とわたしと赤毛の姉ちゃんに言った。
「あ――…、うん。君達は奥の方に入ってて。護衛だって聞いてはいたけど、あんなに凄い動きが出来るほどのものだとは思ってなかったよ。あれと比べられたら僕や父さんじゃ役不足だ。安全が確認できるまで、君らは大人しく隠れていてくれると助かるなぁ」
「……わかったわ。連れがまた迷惑をかけてごめんなさい。あたい達は奥でじっとしてるから。さぁ、行こう」
赤毛の姉ちゃんに背中を押され、キイロと一緒に休憩室と呼ばれている部屋の椅子に腰かけた。姉ちゃんが難しい顔をして座っているから、なんとなく茶シマ兄ちゃんの話も切り出せずにじっとしていた。
するとすぐに、大きな木箱を抱えた売り子のお姉さん達がやって来た。
「あんた達、ただ座ってるだけじゃつまんないでしょ?折角だから、一緒に薬草の仕分けをやってよ」
「え?あ、あの、わたしとキイロは薬草には触っちゃダメって……」
フンと鼻を鳴らしたお姉さんの一人が、がたんと引いた椅子に腰かけて、わたし達の前に乾燥させた薬草の束を並べていった。
薬倉庫の中には香りの強い草が沢山収納されている。
ウカが部屋に入った途端に鼻をつまんで逃げ出した場所だ。あんまり強過ぎる匂いは辛いんだって言っていたけど、わたしにはよくわからない。わたしはいい匂いだと思うんだけど。
「普通の見習いは薬草の事なんて全然わからないから触らせないけど、あんた達は自分で薬草摘みもしてるんでしょ?ちゃんと違いがわかるんならやってもらうわよ」
もう一人のお姉さんもクスクスと笑いながら、丁寧に仕分け方を教えてくれた。
まだ昨日と今日の二回しかディンゼル軟膏店のお手伝いをしていないけど、お店の人も、このお店の周りでお店をやっている人もみんなわたし達を笑顔で受け入れてくれている。
知らない人の中に行くのはとても勇気がいることだったけど、本当にやりたい事はどんどんやってみようってアズが言ってくれたから……。
「じゃあ、茎から外した葉はこっちの瓶に、茎は箱の中に入れといて。崩れちゃった物とか変色とかで品質が落ちてる葉っぱや薬にならない茎はあとでお茶用にまわすから」
「お茶にもなるんですね……」
「あら、あなたたちもさっき飲んだじゃない」
「え?あ、もしかしてあのきれいな色の甘い飲みもの……?」
驚いて手元の赤茶けた薬草を見ていると、お姉さん達が教えてくれた。
いくつかの薬草や花を掛け合わせると、美味しくて健康にもいい薬草茶が作れるんだって。
「あとで少し分けてあげるから、今は仕事を頑張ってね」
「「はいっ」」「あい」
隣に座る赤毛の姉ちゃんが目を細めて嬉しそうにしている。わたしたち三人は、薬草を言われた通り茎から外して作業を始めた。
お客さんがいるところでは絶対にしなかったお喋りも、ここでは許されている。
「あなた達は手先も器用だし、真面目だし、これからも見習いとしてこの店で働くといいわよ。薬作りに興味があるんでしょ?」
話をしたい相手は赤毛の姉ちゃんらしく、お姉さん達は姉ちゃんをじっと見つめている。けれど、姉ちゃんはそれにはすぐに返事が出来ないようだった。
次に、黙って手を動かす姉ちゃんから視線を外したお姉さんの一人が、わたしに話をふってきた。
「あんたも、薬に興味があるからうちの店に来たんでしょ?このままここで働きなさいよ。わたし達がちゃんと教えてあげるからさ」
ここで働き続けたいのかどうか、まだよくわからない。
そもそも、ここへ来てみようかと思ったのも初日にウカのワガママに振り回されて、行きたいと言う子が減ったからだ。
ただ外に出る理由を作りたかったのだと言ったら、みんなは嫌な気持ちがするんだろうか。
「……わたし、このお店の軟膏はすごいって思うし、お姉さん達も女将さんも旦那さんもお兄さんもいい人ばかりで、すごく感謝してます。だけど、わたしがここにきてる一番の理由は働きたいからっていうのとはまた違うの」
わたしが言った言葉に一番驚いたのは、赤毛の姉ちゃんだった。『じゃあ、何できたの?』とお姉さんに言われて、思っていることをちゃんと伝えられそうな言葉を探しながら、一生懸命話してみた。
「あのね、わたしがね、お家の中にずっといると、にいちゃもずっとお家から出ないの。でも、シヤの泉に行きたいってわたしが我がまま言ったらついてきてくれた。お山を登ってるときのにいちゃは、すごく楽しそうだったのに、次にアズが誘ってくれた時には行かないって言ったんだよ」
アズが苦労しながら登っていたお山の岩棚も、騎士の人やにいちゃは楽しそうに登ってた。わたしも本当はアズと同じように怖くて足がすくんでいたんだけど、にいちゃがずっと助けてくれたから頑張れた。
でもやっぱり、お山で魔獣と出くわしたことが怖くて、シヤの泉にもう一度行かないかって誘われた時には嫌だと思った。
……そう、思ったんだけど。
「そうね、あいつはあんまり自分からなにかやろうって気はないみたいだもの。動くのはチビが絡んだ時だけ……。あぁ、だから最近あんたがなんでもやりたがるようになったの?大変ね、面倒な兄を持つと」
ようやくわかった、と言って呆れたように息を吐いた姉ちゃんの様子に、恥ずかしくなって俯く。するとお姉さん達の方から笑う声が聞こえた。
「にいちゃって、さっき屋根の上を走ってった男の子のことよね?うちの兄貴も似たようなもんだったわよ。子どもの頃は家の中でごろごろ本ばっかり読んでたけど、いつの間にかやりたいことを見つけたみたいで、今じゃこの辺の人達から先生なんて呼ばれるようになってさ」
「せんせい?」
「そう、先生。今は昼まで王宮で薬学研究の助手をして、午後からはこのあたりの子どもらを集めて手習い所で勉強を教えてるの。手習い所の方はお金にはならない仕事だけど、優秀な人材を育てるんだって楽しそうにやってるわ」
「……やりたいこと見つけたら、にいちゃも楽しくなる?」
「あら、やりたいことをやってれば全部が楽しいだなんて私は思わないわ。でも、自分がやりたいって思ったことなら大変でも頑張れるんじゃないかしら?キイロちゃんみたいにね」
お姉さんが優しく笑いながら見ている視線の先には、薬草を手に持ったまま机につっぷしてスヨスヨと寝息をたてるキイロの姿があった。
いつの間に眠っていたのだろう。
朝早くから起きて、眠い目をこすりながら洗濯ものの手伝いもちゃんとこなしてここにいるキイロ。
この子の頑張りを思い出して、本当にやりたい事を見つけたらこんなふうに頑張れるんだなと思った。
「それにしても、名前がキイロだのチビだの赤毛だのって……。聞いてるこっちが哀しくなるわね。どうせ愛称呼びしてるんなら、わたし達がもっと可愛い呼び名を考えてあげるわよ?」
「かなしい?」
言われていることがよく分からなくて首を傾げると、横で聞いていた姉ちゃんも作業の手を止めて顔をあげた。
「そうよ、だって一緒に働いてる仲間が色の名で呼ばれてるなんて、ちゃんとあんたたち自身を見てないみたいじゃない。私だったら嫌よ。これから、もっと仲良くなって、あんた達の帽子についてる飾りとか、その背中の刺繍とか教えてもらうんだから。どんな呼び名がいいかしらね?」
茶シマに青兄ちゃん、ノッポにズングリ。灰目に土の目、今まで何も考えずに口にしてきたみんなの呼び名。だけど、それをかなしい、と他の人が思うだなんてわたしは思いもしなかった。
前に騎士団のおじさんから、精霊につけてもらってないなら、名付けに意味なんてないと言われて、自分でもそう思っていたから。
おじさんの話を聞いてもアズはわたし達に名前を付けたがっていて、だけどそれは自分が呼ぶのに不便だとか、つらいって……。
「つらいって、呼びづらいっていうんじゃなくて、かなしくてつらい、だったのかしら……」
姉ちゃんも同じことを思っていたみたいで、なんだか変な顔をして笑っている。
……かなしくてつらい。
アズがそんな風に感じて名前をつけたいって言ってくれてたなんて思わなかった。
にいちゃがチビって呼んでくれるのが嬉しかったから、他の呼び名なんていらないって、本当はそう思ってた。
だけど、わたしが名前を持つのなら、つけて欲しい人は決まってる。
「あの、お姉さん。わたし達の名前を考えてくれてる人がちゃんといるので、大丈夫なんです」
「あら、そうなの?じゃあ、呼び名が変わったらすぐに教えてね。楽しみにしてるわ」
そのあとはウカの名前の話とか、お姉さん達の知っている変わった名前の人達の話を沢山聞かせてもらって、沢山笑いながらお喋りをした。
箱いっぱいの薬草が全て仕分け終わった頃、戸口の方からいい香りがしてきた。
「あれ、女将さんが何か作ったのかしら?」
「えぇ!?そんな、私、ちょっと用事を思い出したわ。昼休憩がてら、一度家に……」
「……これって、アズの料理の匂いじゃないかな。大丈夫だよ、お姉さん達。アズのご飯は美味しいから」
くんくんと鼻をくすぐるいい匂いにつられて廊下へ顔を出すと、ホカホカ湯気をたてる皿を両手に持ったウカが歩いて来るところだった。その後ろには旦那さんとお兄さん達の姿もある。
みんなそれぞれに料理の盛られた皿を両手に抱えてにこにこと機嫌良さそうに笑っていた。
「ウカ!帰ってたの?茶シマとにいちゃは?」
「お腹すいたからボクだけ先に帰っていいって言われて、戻って来た。茶シマ兄ちゃんと青兄ちゃんは班長さんに呼ばれて詰め所で報告してるよ。悪いやつらを何人も捕まえたから、なんか大変そうだった」
「……あんたがお腹すいたから帰りたいってダダ捏ねて、戻って来たってことね。アズサが料理してるってことは、みんな無事なの?」
「うん、ドロボウとゆかいはんとサギの人と、食い逃げした人は痛がってたけどね」
……ゆかいはん?
頭の中でよく意味のわからない言葉の数々がくるくるとまわっていると、お兄さんの後ろからアズがひょこっと顔を出した。
「それを言うなら誘拐犯でしょ?愉快な人を捕まえてどうすんの。ほら、休憩室に料理を運んでよ。温かいうちに食べよう。みんなお腹すいてるでしょ?」
取り皿とフォークを人数分持っているアズからフォークを受け取って、わたしも食卓を整えるお手伝いをした。最近では自分で自分のことをしようと食器を並べたり、自分の食べたあとの片付けもするようになっているので、こんな時まよわずに動ける自分が誇らしく感じる。
……何でもやってみたらいいって、色んな事をさせてくれるようになったから、出来ないことも出来るようになったの。みんなアズが言ってくれたからだよね。
「今日のメニューはまだ食べたことないやつだねっ」
濃い黄色をしたソースの中にコロンとした丸い形のものがたくさん入っていて、アズがよく言う”いろどり”に薬草の葉っぱが乗せられている料理だった。
「なんちゃってカルボナーラのニョッキ的なものだよ」
「な、なん?かるぼにょ?」
「いいの、名前は気にしないで。卵とクリームで作ったソースに、小麦粉とお芋を練って茹でた物をからめただけだよ。冷めると美味しくないから、すぐ食べちゃおう」
よそを見ながら説明したアズは、みんなの分をお皿にさくさく取り分けていく。
騒がしさの中で目を覚ましたキイロもアズのご飯に大喜びして、みんなが席に着くとすぐに食事が始まった。
「!!うまいっ」
「何このもちっとした食感。いや、なによりこの卵とクリームのソースが絶品だわっ」
みんなが喜んでアズのごはんを食べてくれているのが分かって、すごく自慢したい気持ちになる。わたし達はアズの作ってくれる美味しいものをいつも食べてるんだよって。
「でしょ?料理長のごはんも美味しいけど、やっぱりアズのごはんは違うんだよねぇ」
まるで自分が褒められてるみたいに胸を反りかえらせて話すウカは、すごく楽しそうだ。いつも通りあっという間に自分のお皿をからっぽにして、アズにおかわりを要求してつぎ分けてもらっている。
「くっ、こんなに美味しいんじゃあ、あたしの料理よりこっちが食べたいってのも仕方ないさね」
悔しそうに眉根を寄せて、もぐもぐと口を動かしている女将さんのまわりでは、なぜかみんなが口を閉ざしている。
お兄さんがニョッキの中に入ってる薬草に気がついて、その話にお店の人達が驚いて。とても賑やかで楽しい食事になった。
「今日はご迷惑をおかけしてすみませんでした。何日も、本当にありがとうございました。子ども達に素晴らしい体験をさせてもらって、感謝しています」
アズがお店の前でふかぶかと頭を下げている。
おじぎは感謝の気持ちを表してるって言ってたけど、頭を下げてお礼を言うアズの姿を見ていると、本当にすごくありがとうの気持ちが伝わってくるのがわかった。
わたしも慌ててアズの隣に並んで頭を下げる。
「あ、ありがとうございました!」
「おじたん、おばたん、ねえたん、にいたん、おてわにないまちた。またね」
わたしよりも小さなキイロがしっかりとお礼を言っているのを見て、少し恥ずかしくなる。
もっと、ちゃんとゆっくり言えば良かった。もっともっと、ありがとうの気持ちを伝えたいのに、うまく言葉がみつからない。
「なんだい、なんだい、あんた達、明日っから来ないつもりかい!?小僧っ子の方はもう諦めたけど、あんたらとおちびさん二人はずっと来てくれて構わないんだ。いや、来てほしいと思ってるんだよ」
「だけど、今日もこんな風に迷惑をお掛けしてしまいましたし……」
申し訳なさそうに女将さんを見上げるアズの姿に、お腹のあたりがきゅっとする。アズは何にも悪くないのに、そう思った言葉が、旦那さんの口から出てきて驚いた。
「君達は何にも悪くないだろ。どっちかって言うと、君達が来てくれたおかげでこのあたりの治安がちょっと良くなったんじゃないかな。騎士団とつながりのある君達や、腕っ節の強いあの子らが足しげくここに通ってくれたら、おじさん達も安心して商売ができるよ」
「――ありがとうございます!でも、今すぐには決められないので、一度みんなで話し合いたいと思います。そのあとでまた、相談させていただいてもいいですか?」
「ああ、もちろん…」「ちょっと、まったぁ!!」
突然、向かいで染物屋をしているおばさんやお隣で置物を売っているおじさん、その向こうで洋服を売っているお店の売り子さん達が走ってきて、女将さんを囲んだ。
一体何が起きたのかと、道行く人達までが立ち止って、どんどん人だかりが増えていく。
「話が違うじゃないか!お前さんとこで何日か見習いして、自分とこが選ばれなかったらウチの店に紹介してくれるって話だっただろ。こっちは首を長くして待ってたってのに、あんたんとこは選ばれなかったんだからすっぱり諦めな!」
「そうよっ、ここ何日かで自分とこだけ売上伸ばしちゃって。可愛い子を占有するなんて許さないわ!うちの息子と交換してもらいたいぐらいなんだからっ」
「かぁちゃん、ひでぇ!」
「うるさいねっ、あんたもあの子らを見習って騎士団に入れてもらえるくらい鍛えてきな!言ってるだけで入れてもらえるとこじゃないんだよっ」
なんでなのか、ぜんぜんわからないけど、いつの間にか周りを囲んでいる人達の中に赤ちゃんから、にいちゃくらいの大きな子まで大人と一緒になって、ずらっとこっちを見ていた。
怖くなってすぐにアズの後ろに隠れたけど、背中側にも沢山の人がいてどこにも隠れる場所がない。
「うはぁ、なんってかわいいの?なに、なんなの抱きしめて離したくないようなこの気持ち……」
「おぉ、ありゃあ将来が楽しみな娘っ子だなぁ。お前の嫁さんになってもらえよ」
「ばっ、バカ父ちゃん!!」
周りの人達から見られているのが怖くて、怖くて。足が震えて涙が出て来た時、にいちゃの声が聞こえた。
「チビ!大丈夫か!?」
驚いて顔を上げると、ぐいっと引っ張られて気がつけばにいちゃの顔が近くにあった。
「にいちゃ、……こわかったよ」
にいちゃの首にしがみついてぽろぽろ涙をこぼしていると、にいちゃがぽんぽんと背中をたたいてくれた。
「ごめん、なんか捕まえた奴らの事をあれこれ聞かれて、話が長引いちまって。ライル班長にはまた山で報告するからって、これでも急いだんだけど。ごめんな」
謝って欲しかったんじゃない。そう言いたかったけど、涙で喉が詰まって言葉が出て来なかった。
代わりに首を振ってみたけど、気持ちは伝わらない。
「怖い思いさせたな。もう、夕方だもんな。待たせて悪かったよ。帰ろう」
背中に感じるにいちゃの優しい温かさにほっとして、しがみつく手に力を込めて頷く。
……はやく、みんなとお家に帰りたいよ。
集まった人達がざわざわと騒ぐ中、にいちゃはぎゅっと抱き上げる腕に力を込めて風を切った。
「じゃあ、オレ達は先に帰るからな。お前らも遅くなるなよ」
「え……!?ひっ、きゃぁぁぁぁぁぁっ」
助走をつけて屋根の上に跳び上がったにいちゃは、軽い足取りで屋根の上を走っている。
にいちゃに抱えられたわたしは、途中から悲鳴を上げることさえできなくなってしまった。
「置いてかれた……」
「チビのことしか目に入ってないからね、あいつは」
「なんか、派手な騒ぎになってるけど、僕達も帰りたいよね?あいつみたいに屋根の上登る?」
「あんた、あたい達三人とも抱えてあそこまで上がれるの?」
「……三人は無理かな」
通りには騒ぎに集まった人垣がどんどん増えて、もう何が何やらわからない状態になっている。
流石に、これほどまで職場を提供しようと手を上げる人達を想定していなかったが、これはわたしのミスなのだろうか。
「おいっ、見たか?あの小僧っ子、軽々とかわいい女の子抱えて屋根の上まで跳んだんだぞ!さすが、数年ぶりに騎士見習いに抜擢されただけはあるなぁ」
「いやあぁぁん、かっこいい!あたいもあんな風に抱えられて連れ出してほしいぃぃぃんっ!」
「この街にあんなに可愛い子達がいたなんて、俺、人生損してた。ちょっとあの娘さんとお知り合いになってくる」
……赤毛の姉さんが狙われてる!?
見知らぬ街の人達がどんどん集まって来て、流石に子ども達の身の危険を感じた頃。軟膏屋の若旦那がそっと店の中から手招きしてくれているのが目に入った。
茶シマ君に目で合図して、ウカとキイロを先に連れてってもらい、頃合いを見計らって赤毛の姉さんと建物の中へ走る。
裏口の戸を開けて待っててくれた若旦那が、愉しそうな笑顔を浮かべて手招きしてくれていた。
「大変なことになっちゃったね。でも、これに懲りずまたうちに手伝いに来てよ。もし、キミ達が本当に薬師見習いを目指すなら大歓迎だから」
……それは暖簾分けしてもらえるってことですかい!?
打算的なことを考えているうちに、キイロを抱きかかえた茶シマが潜めた声を上げた。
「こっちなら人通りが少ないよ。裏通りから帰れば大丈夫そうだ。いそいで」
「ありがとうございました!また連絡しますから」
「……お世話になりました」
一言だけ告げてすぐに背を向けた赤毛の姉さんに手を伸ばした若旦那は、彼女に届く前にその手を下ろし苦笑した。
「気をつけてお帰り。待ってるから、いつでもおいでね」
既に走り出していたウカ達の後を追って、わたし達も駆けだした。
裏通りには表通りの喧騒は届かないようだ。安心して胸をなで下ろしていると、並走していた赤毛の姉さんが前を向いたまま話しかけてきた。
「あたい、アズサにお願いがあるの」
「ふん?どんなお願い?」
彼女から改まってお願いをされるなんて初めてのことだ。見習いを続けたいとかだったら、全力で応援しちゃうつもりで笑いかける。
「あんたにあたいの名前を考えてほしい」
「……名前」
走っていた足がゆっくりとした歩きにかわり、立ちどまる。
真摯な瞳で見つめて来る彼女の目には強い意志が感じられた。
「あんたはあたいに、どんな風に生きたいか、どんな大人になりたいのかって聞いたね?」
「……うん」
「あたいはずっと、アニヤの役に立てるようにってやってきた。バネッサみたいにアニヤに頼ってもらえるようになりたかったんだ。だけど今のままじゃ、あたいはずっとアニヤの世話になるばっかりだ。だから、ちゃんと一人前に見てもらえるように頑張りたいと思うんだよ。アズサが、何者にもなれないあたいたちに道を示してくれたから、自分が何をしたいのかちゃんと考えることができたんだ」
「……そっか。やりたいことが見つかったんだね?」
こっくりと頷いた彼女は一度口を引き絞ってから、恥ずかしげにスカートを握りしめた。
「あたい、アニヤが癒しの魔法を使う姿が一番好きなんだ。もらった軟膏を塗って、傷が良くなって喜ぶみんなの笑顔がすごく嬉しくてさ。あれから、自分も誰かを癒せるようになれたらなって思うようになった。今日、薬の作り方をほんの少しだけ教えてもらって、すごく楽しかったんだ。だから……」
「アニヤさんのように人を癒してあげられる大人になりたいのね?」
強くスカートを握りしめて、真っ赤な顔をした赤毛の姉さんは、それでもわたしから視線を逸らさずに思いを伝えてくれた。
「本当はずっと、アニヤみたいに魔法の力が自分にもあったらって思ってたんだ。だけど、どんなに憧れたって出来ないものは仕方ないだろ。だから、自分でも出来る事を身につけたい」
「……若旦那が大喜びだよ」
「は?」
あの帰り際の淋しそうな若旦那の顔が一発で笑顔に代わる予想に、思わず苦笑いする。だけど多分、彼の前途は多難だろう。
「ううん、気にしないで。でもさ、男の人、本当は苦手なんじゃない?なんなら、女の人しかいない薬屋さんを探してみてもいいよ?」
わたしの言葉に、一瞬目を見開いた彼女は怯えたように表情を変える。
「アニヤから何か聞いた?」
「何にも。でも山に行った時に騎士の人達とか、お店で大人の男の人が近くに来ると強張った顔をしてたから、苦手なのかなって。どうする?お店、変えてもいいんだよ?」
わたしが何もアニヤから聞いていないと確認して、少しほっとした様子の彼女は首を横に振った。
「男はどこにでもいるし、せっかくあっちが来てもいいって言ってくれたんだ。あたいはあそこで働いてみたい」
「うん、わかった。あなたへのはなむけに最高の名前を考えるからね」
彼女の強張った手をスカートからはがして、手を繋いだ。
二人で笑いながら、どんな名前がいいか話していると『遅い!』と言いながら戻って来た茶シマとウカも話に加わって、夕焼けに染まる城を見ながら帰路についたのだった。
夜も更け、就寝の鐘が鳴り響く。
昼間に鳴らされる物より数段小さく落ち着いた音階を奏でるそれを聞きながら、小さな子ども達をベッドに誘っていくのが一日の最後の仕事だ。
ぐしゃぐしゃになった掛け布を元に戻してやりながら、ウカの額にそっとキスを落とす。
アニヤが自分にしてくれたことを、小さな子達にも同じようにしてあげる。子どもらの嬉しそうにはにかんだ笑顔を見ると、自分がアニヤに大事にされていたって事を思い出すきっかけにもなった。
そっと身を起こそうとしたとき、ウカが囁くように話しかけてきた。
「アズに名前つけてもらってから、ボク、色んなことが出来るようになったんだよ?赤毛の姉ちゃんも楽しみだねぇ」
「……はぁ?」
「そうだねぇ、たとえばアズがちょっとしか採れない薬草がもっと欲しいって言った時にはボクがこっそり増やしてあげるの。ズルはダメってアズは言うから、ナイショね?」
「……あんたそれ、他の誰かに言った?」
ウカは眠たげな瞳をとろんとさせながらガルロックじいちゃんは知ってる、と話すと目を閉じた。
「ボクがなまえ、つけてもらったとき……、アズ…こわいってないたんだって。だから………ねえちゃ…も……いわな…で……」
途切れ途切れに言葉を紡ぎ、そのまま眠ってしまったウカを見下ろしながら途方にくれる。
「そういうことはもっと早くいいなさいよ……」
食べ物のことしか考えてないと思ってたこんなチビが、アズサの事を心配してひとりで悩んでいたんだろうか。いつからだっだんだろう、ウカに変化があったなんてまったく気付かなかった。
「明日、ガルロックさんに聞いてみるか」
庭師をしているガルロックは本当はまだじいちゃんなんて年じゃない。
髭のある男の人は子どもにはみんなお爺さんに見えるのだろうか。彼は彼でみんなにじいちゃんと呼ばれて嬉しそうにしているので問題はないのだろう。
若手では腕利きの職人だと言われているらしいが、髭もじゃなあの姿では誰も彼がその人だと気付かないらしい。
それがいい、と隠居老人のように庭木の世話を楽しんでいるガルロック。魔法の素養もあると言っていたから、きっとウカにあれこれ教えてくれているはずだ。
「……オヤツでも持っていこうかしら」
冷たい感触の自分のベッドに潜りこみながら、何とお礼を言おうか考えを巡らせる。バネッサが喜んでくれたジャムを使うのもいいかもしれない。
「……ちょっと待って」
布団に潜りこんで目を閉じ、すぐにガバリと起き上がる。
「え?あたい、アズサに名前つけてって、まさか……あたい、も……!?」
一晩中、頭をかきむしりながら頭を悩ませたその次の朝、あたいは記憶にある限り生まれて初めての朝寝坊をした。
朝一でアズサに名付けを辞退したいと告げようと決めていたのに、起きた時には昼近く。最悪だ。
目の下にクマをつくっていい名前を考えたと言うアズサは、あたいが寝坊の恥ずかしさでもごもごするうちに『こんなのどう?』と、聞き慣れない言葉を口にした。
気がついた時には、あたいの名前は生まれた時からそうだったと思えるような感覚で、すんなりとあたいの中に落ち着いていたのだ。
今日この時から、あたいは『アロエ』と名乗るようになった。