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梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
23/57

ディンゼル軟膏店の見習い 前半


路地裏の石畳を蹴るように走る中、先にある建物の切れ目から差す光の中に男の影が消えた。


「あ――、このままじゃ追いつけないな。僕はこっちから追うね」


 大した焦りもなくそう告げて、煉瓦の壁を蹴り上げ屋根の上に登って行った茶シマは、男の影が消えていった左側の屋根伝いに奴を追いかけるようだ。


 男の姿が見えなくなった光の中に飛び込めば、そこは見慣れた屋台通り。

 工房通りへ向かう途中、よく通る道筋へと出たおかげで自分が今どこを走っているのかがわかった。

 だが、昼の鐘が鳴ったばかりのこの時間は最も人通りが多いようだ。この時間にこの場所を歩いたことのなかったオレは人の多さに面食らう。


 人々のざわめき、すごい数の人間がひしめき行きかう足音、雑踏の全てが耳に響く。


「なんだよこれ、こんなんじゃ見つかるわけないじゃんか……」


「おいっ、邪魔だ!ぼけっとつったってんじゃねぇ!」


 肩がぶつかった大男の怒鳴り声も、すぐに喧騒の中に消えていく。ごった返す人々の中、流れる様な人の動きに突き動かされるままに左の道へと足を動かした。


 籠いっぱいに昼飯を抱えている者もいれば、頭にのせた大きな荷物を危なげなく運ぶ者、両側に並ぶ飯屋に足を止めて流れを抜けていく者。大人から子どもまで、皆自分の目的の場所へ向かうことに集中している。

 食べ物の匂いと行き交う人々の間に漂う臭いに顔をしかめた。


「くそっ、これじゃもうあの野郎を捕まえるのなんて……」


 無理だと、そう思った時、細く甲高い指笛の音が聞こえ頭上を見上げた。

 雑多な喧騒を涼しい顔で見下ろしている茶シマと目が合い、顎で男の行方を知らせるそぶりが伝わって来る。茶シマのいる位置へ自分も行こうとした時、目の前で叫び声があがった。


 驚いて視線を向ければ屋台通りの喧騒が一瞬止まり、また動き始める。

 叫んだ女とその正面で服の袖を女に掴まれている薄汚れた身なりの男。それを避けるように人並みが割れ、必然的にオレの周囲からも人が減った。


「この男、今あたしの懐から銭袋をかすめ取ったんだ!だれか、巡回兵を呼んどくれよ!」


「うるせぇ!このババァ、言いがかりつけてんじゃねぇぞ!手を放せ、こっちは急いでんだ!」


 目の前で言い争う二人から視線を上げると茶シマがオレの背後、右の方向をじっと見ているのに気付く。

 追いかけていた奴が、進む方向を変えたのだと思った。オレはとっさに茶シマの視線の先にいた小柄な男の腕を引き、地面に向かって倒す。

 人混みの中へ紛れるように歩を進めていた男は足を滑らせ転んだ。


 その拍子、重い金属音を立てて男の懐から様々な革袋が転がり落ちた。紐でくくり、口をとめてあるそれはベル硬貨や貴石をしまっておくためのものだ。


「この野郎、もう逃がさねぇぞ!」


 男の右手を引き絞るように背中側へと回すと、男は呆気なく降参した。


「ぎゃあっ、痛い!痛い、痛い!止めてくれ!骨が折れっちまうよっ!金は返すから、放してくれぇ!」


「アレ……?」


 オレが追っていた奴の声はこんなんだったかな、とそう思って屋根の上を見上げればニヤニヤ笑っている茶シマが目に入る。そのまま腕を上げたかと思えば、指を差し、ある建物の方を示した。かと思えば、屋根の上から下りて人混みの中へ紛れて行ってしまう。


 茫然としながら、騒ぎに足を止め見物を始めた人垣の中で、自分が腕をひねりあげている男に視線を落とした。


「誰だ、おまえ?」


「あっ、その革袋!それあたしんだよっ。じゃあ、そいつが盗人だね!」


 それまで掴んでいた男の手を振り払った女は、こちらへ小走りにやってくると緑色の革袋をひとつ拾い上げて中身を確認し始めた。

 言いがかりを付けられていたらしい男は女に向かって悪態をつくと、怒りのこもった足音を立てて野次馬の人垣をかき分けて行ってしまった。


 かき分けられた人垣の向こうから、聞き慣れた男達の足音が近づいてくる。

 どうやら、やっと助けが来たらしいとわかって肩の力を抜く。地面に組み敷いた男の腕に込める力はそのままに、オレはほっと息を吐き出したのだった。








「よぉ、今日もチビッ子のお守りか?大変だな、お前らも」


 朝から陽気な声を掛けてきたのは、屋敷の警護を任されている騎士の一人。

 山で魔獣と出くわしてから、自分の身も守れない奴に(ちび)が守れるものかと言っては武器の扱い方や撃退法なんかを教えてくれるようになった若手の騎士だ。


「バージさん、ゾイさん。おはようございます。昨日はありがとうございました。あの、実は相談があって……」


 鼻の下にちょび髭を生やしている長身の騎士はゾイ。自分の休憩時間を利用してオレ達の世話を焼いてくれる変わった男だ。


 ゾイに相談を持ちかけているのは、最近急に背が伸びてきた茶シマ。

 明るい茶髪に白の縞が入った毛色だから、そうみんなに呼ばれている。こいつは剣の扱いを教えてくれる騎士団の人達をソンケイしているらしく、最近じゃ自分用の剣が欲しいとか言い始めている。

 オレが自分の弓を持っていることを他のみんなも羨ましがっているんだと思う。


「今日もディンゼル軟膏店かい?」


 軽い調子で話しかけて来たのは、もう一人の門番で、げじ眉で細目のバージ。

 下っ端騎士達の教育係をしていて、騎士団の中でも世話焼きが得意なおじさんだ。そういえば最近じゃあまり騎士団へおいでと言われなくなったな、と思いながら返事を返す。


「それが、本当は軟膏屋に行くのも三日くらいで終わる予定だったんだけど、ウカの奴に近所の店から声がかかって、そっちでも見習い仕事をやってみないかって……」


「そりゃあ、大変だな。ウカ君は引っ張りだこじゃないか、クックック…」


「笑いごとじゃないんだよ。あいつらが向かう店が分かれたせいで、付き添いで行くオレ達もそれぞれの店について行かなきゃならなくなったんだから。山から採って来た薪やなんかの冬支度だってまだ終わってないっていうのに」


 バージはそれを聞いてまた愉快そうに笑った。


 門の外、眼下に広がる街並みにはうっすらと雪化粧がかかっている。

 昨夜からちらつき始めた雪がほんのりと跡を残している程度で、まだ本格的な冬の訪れではない。

 それでも、このあと本格的に雪が降ってしまえば、いつものように外へ出て冬越しの手伝いをすることも難しくなるだろう。


「収穫物の冬支度ねぇ。……本当に、すごいよなぁ」


「?……何にもすごくないよ。やらなきゃいけないことが増えてくのに、それをこなす以上にもっと仕事が増えてくんだから。こっちは大忙しで、他に何かする余裕もないってのに」


 ふいっと視線を屋敷の扉前へと移せば、チビ達に手袋やまふらーとやらを着けさせている世話焼きな奴の姿が目に入る。

 その手袋やまふらーは赤ん坊部屋にいる女の人達がみんなで作ってくれた防寒着だ。

 自分にも他のやつらと色違いのものが渡されていて、今もそれを身につけている。


 オレの視線を追って、同じようにチビ達を見たバージは日頃の鍛錬で固く、分厚くなった素手をこっちに伸ばして頭の上にごつんと拳を乗せてきた。


「今、お前らがやってることを誰もがやらせてもらえるわけじゃねぇんだ。やらせて欲しいって、頼み込んだ奴に信頼があるからこそ任せてもらえる。……まぁ、俺にしたらお前らがこうして街へ自由に行き来してること自体がおどろきだよ」


 そう改めて言われると、自分でも不思議な感じがした。

 ついこの前、夏ごろまでのオレ達は屋敷の外へ出る事はおろか、門前に立つことさえなかった。屋敷の中と裏庭だけが一日の行動範囲だったのだ。

 その頃のオレはチビ達を世話しながら窮屈な生活だと、そう思っていたんじゃなかっただろうか。


「……オレ達、バルド団長にシャムロック爺さんの店に連れてってもらったことがあるんだ」


「あぁ、聞いてるよ。あっちこっちの工房を見せてくれって破天荒なこと言うやつらが来たって、噂になってたぞ。そもそも、職人街なんて気の荒い連中や偏屈な奴らしかいねぇ場所に、よくも乗り込んだもんだよ。こんなに目立つ子どもらを連れてな。あいつら、あんまり度肝を抜かれたもんだから、つい工房の中に入れちまったとか、追い返そうとしたのに嫌味が通じなくて参ったとか言ってたな」


 バージは職人街の連中と繋がりがあるらしい。あの時のことを相手方から見た話をされて少し驚く。


「……そっか、そうだよな。本当なら職人の仕事の様子なんて見せてもらえるもんじゃないんだよな。シャムロック工房の職人が、オレ達の事を『ふらふら遊んでるガキだから、俺らの仕事ぶりを見せつけてやりてぇんだ』なんて触れまわって歩くもんだから、オレ達、その…」


「ぶはっ、ジルザは口が悪いからな!そんでも、それで他の工房の連中は見せてくれたんだろ?自分らの仕事場をさ。あいつらだって、本当にふらふらしてる奴らに自分の大事なもんなんか見せねぇよ。信用できるジルザがいて、直接お前らを見て、見せてもいいって判断したから入れてくれたんだ。無駄にすんなよ」


 一つ、店を訪ねるごとに奇異の目で見られ、正体がバレたのかとびくびくしながらチビ達の手を握っていた。


 あれから、シャムロック爺さんを訪ねてあいつが職人街に顔を出すたび、オレ達の誰かが付き添っている。バルド団長やアニヤからつき添うように言われているからだ。

 そのたびに、まだ戻ってないとジルザに言われ、笑って『また来る』と返事を返しているあいつが本当は何か焦っている様子なのにも気付いてる。

 それでもあいつは、その帰りにオレ達を引き連れて以前訊ねて回ったことのある店を自分にも紹介して欲しいと案内させるのだ。


 何度か前を通ったり訪ねて行くうちに、今じゃ向こうから話しかけてくる大人も増えた。あまり顔を合わせたくないと思っていた街の子ども達とは、なぜかほとんどすれ違うことさえなく。


「アニヤ様の言ってたことが、本当にこれほどまでに効果があることなんだって、俺も最近になってようやく骨身に染みてるとこだよ。根回しって、すげぇ大事なことなんだよなぁ。お、出発するみたいだぞ」


 手を繋いでこっちへ歩き始めたチビ達は、色々着こんでいるせいで丸っこい体型になっている。歩く姿が水鳥のようだ。


「ここんとこ、街にあんまりよくない奴らが出入りしてるって話だ。お前らも気をつけろよ。何かあれば、街の巡回警護にあたってる騎士に報告しろ。今日はライル班長が出張ってるから、その辺の兵士に声を掛ければすぐに連絡がつくはずだ」


 真剣な目で注意を促され、こっちも真剣に頷き返す。


 軟膏屋があるあたりの商店街は、比較的富裕層が多いらしく治安も悪くない。

 以前行った屋台通りは雑多な感じがして、ボロを来た奴から異国の商人までがひしめき合っていた。話に聞いただけだけど、あそこには悪質な物を売っている奴らも出入りしているらしい。


「ありがとう、気をつけるよ。……行ってきます」


「あぁ、気をつけて行ってこいよ」


 アニヤと居残り組の子ども達に見送られながら街へ続く道へと足を踏み出し、門扉を潜る。


「さっむ~いっ!!」


 門扉の先は所々に雪の名残があり、自分達の吐く息が白くなってみえた。もうほとんど溶けかかっている雪から染み出す水が石畳を濡らし、日蔭では少し凍りついている所もあるようだ。


「離宮は敷地内全部が床暖仕様だなんて……贅沢。さらに街全体にも保温効果の魔法って、至れり尽くせりじゃない」


 またなにかぶつぶつと意味のわからん言葉を呟きながら、アズサがこちらへ近づいてきた。アズサがつけている手袋もまふらーも白で、何も装飾のないシンプルな物なのに、こいつの黒い髪には映えていた。お揃いだと言って、女達の帽子には端切れで造った花が縫い付けてある。

 女達はそれをお互い褒め合っていたようだが……。


 ……もちろん、あの花が一番似合っているのはチビだけどな。


 淡い薄桃色の花へ嬉しそうに触れているチビに視線を向けたまま、以前聞いた話を思い出した。


 このティルグの街が魔法で覆われているのにはちゃんとした理由がある。

 この山はもともと人が住めるような場所ではなかったのにシヤの泉と言う聖域が発見されたため、その近くで一番街が作りやすい場所を選んだ結果ここに王都ができたらしい。


 他にも黒竜が降り立ったからだとか伝説は色々あるらしいけど、要は魔法を使わなければ住めないような土地だということ。王様の魔法が消えたら、こんな街なんて一晩の雪で何もかも埋まると、前にアニヤが言っていた。


「今日は、ウカの奴が向かいの染物屋に行くんだろ?茶シマがウカにつきあって、オレは昨日と同じくチビとキイロを連れて軟膏屋。お前は赤毛と一緒に裏の薬工房で手伝いだよな」


「そうだよ。軟膏屋さんじゃ商品の販売だけで、作ってるのは違う場所だったって知ってあの子に睨まれちゃったんだもん。作り方を教えてもらえるかもって誘った手前、一度は見せてあげたかったし。ウカは、草木染めと木の実染めで使われてる素材の匂いに誘われて勝手に出てっちゃったから、茶シマ君には頑張ってもらわないと……」


「大丈夫だよ。ウカが勝手なことしないようにちゃんと昼までは足止めしとくから。赤毛がすごく楽しみにしてただろ、アズはそっちに集中してやってよ」


 後ろを歩いていた茶シマが話に加わってきたので、少し後ろを向くと普段よりも若干機嫌のよさそうな赤毛が、ウカの首根っこを掴んで今日一日の動きを教え込んでいるところだった。


 山へは時々出かけるようになっていた赤毛だけど、オレ達が下町に出るようになっても絶対に行かないと言い張っていた。そんなあいつが薬屋には興味を示したと聞いてこっちが驚いたぐらいだ。

 折角やる気になった赤毛の望みを叶えてやりたいっていうこいつの気持ちがわからないでもない。


「ありがとう。お昼の鐘が鳴ったら、軟膏屋さんで合流しよう。じゃあ、茶シマ君、ウカ、またあとでね」


 ウカと茶シマが向かいの店に入るのを見送り、オレ達も目的の店へと足を向けた。

 大きな木板に”ディンゼル”と書かれた看板が飾られているその店は、この王都の中でもかなり大きな薬屋で、外国とも取引があるらしい。


「にいちゃ、じゃまだよ。もうちょっとそっち行ってて。あっ、女将さんこっちのから拭きは終わりました」


「あぁ、じゃあそこにこの箱の中身を綺麗に並べといておくれ。お客から見た時に何がどこにあるのか分かりやすく、手に取りやすいと思うような並べ方でね」


「はいっ」「あいっ」


 キイロとチビはちょこまかと動き回っては、雑用を任されて楽しそうに働いている。


 この女将さんの狙いはウカだったと聞いているが、初日、朝飯の時間から来るように言われて意気揚々と出かけたウカ達が半時もしないうちに戻って来たときは何事かと思った。

 『おばちゃんとこのご飯は美味しくないからお家に帰って食べて来る』といって聞かないウカの暴走につき合わされた奴らは、かなりの心労を味わったようだ。

 朝食後、また出直して行ったが結局仕事をしてきたのは赤毛やキイロを含む他の奴らだけだったらしい。


 ウカのやる気は薬倉庫に入った途端に萎えてしまい、外の匂いにつられて飛び出したあいつを付き添いでついてった男手のうち二人とアズサで追いかけてる間に昼飯時になったと言っていた。茶シマはその時も一緒に同行していて、『面白かったから』と昨日も今日も参加している。


「空箱、運んどくからこっちよこせ」


 商品を取り出したあとの木箱を店の裏に運び、店の中に売り物が揃うと女将さんが呼び込みを始めた。

 赤毛とキイロ以外の女どもは二日目には参加しなかったから、今度はチビが行くことになりオレは今日で二日目の護衛役をしている。


「さぁ、ディンゼル軟膏店が開店したよ!他所の店にゃマネできない、最高傑作!ティルグニア名産の薬草が入った一級品!お肌つるつる間違いなし、一度試したら病みつきだ!!さぁ、どんどん買って行っておくれ!」


「「い、いらっしゃいまて――!!」」


 女将さんの隣に並んで、真っ赤な顔をしながら叫んでいるチビとキイロ。制服だといって手渡された白いエプロンをつけて呼び込みを手伝っている。

 道行く人は何事かと目を瞬かせているが、あいつらを見ると笑って去って行く。


 掃除と商品の陳列、呼び込みがここ三日間のあいつらの見習い仕事らしい。


「あーぁ、チビの奴もキイロにつられて言葉が変になっちまってるよ」


「うん、あれは萌えるわぁ」


「おわっ!お前、いつからそこにいやがった!?」


 料理中の時にこいつがよくしている、髪を布で覆った格好のアズサが壁に半身を隠すように横にいた。いまは、店の裏路地にある工房で赤毛と一緒に作業しているはずなのに。


 ……こいつが、なんでここにいるんだよっ。


「今日はサクラをしこんどいたからさ、気になってちょっと抜けて来ちゃった」


「さくら?」


「ほほほ、まぁ、見てて」


 口元に手を当てて誤魔化し笑いをしたアズサが、『朝一で来てくれるはずなんだよ』と言ったその時、店に客が入って来た。


「ちょっと、傷を見てもらいたいんだけど」


「はいはい、どんな傷だい?あぁ、こりゃ……」


 女将さんが渋面を作って客を奥の椅子へと座らせると、なにやらその客と話しこみ始めた。


「ひどい火傷だね。薬と一緒に応急手当てもしちまうから、そこへ座って待ってておくれよ。そんで、その傷って、もしかして変な薬を塗って出来たんじゃないかい?」


「手当もしてもらえるのかい?悪いねぇ。こないだ、うちのバカが珍しく土産だなんて言って、軟膏を買って来てね。しばらく大事に取っといたんだよ。それを、今朝になって塗ってみたらこの有様さ。全く、本当に碌でもないことしかしない旦那だよ」


 一番客は腕に火傷をした老婦人だった。女将さんに治療の為の道具類を頼まれた売り子達は、奥の部屋へと姿を消していく。

 老婦人の皮がめくれ上がったような腕の傷を見たチビ達が、自分達も痛いような顔をして見ているうちに、次の客が入って来た。


「すみません、赤切れ用の軟膏が欲しいんだけど」


「あぁ、いらっしゃい。ごめんよ、いまこっち手が離せないんで、そこの見習いに注文をいってもらっていいかね?」


 店に入って来たのはチビと同じくらいの背恰好をした女の子だった。チビとキイロの姿を見て、一瞬笑ったかと思うと口を真一文字にしてつんとそっぽを向いてしまう。


「ふ、ふんっ、ちゃんとしたものを売ってくれるなら、誰だってかまわないけど。……じゃあ、い、一番小さい瓶の軟膏を見せてちょうだいっ」


「は、はいっ!ちょっと、お待ちくださいっ。き、キイロ、わたし、お薬取って来るから」


「うん、わかった。いらったいまて!ちょっとだけまっててくだたいね。ちびねーたんが、もってくるって」


 キイロの言葉を聞いた客は、両手を組んで震えている。そして、オレの横に居る奴も震え……、いや、身悶えていた。


「キイロったら、なんておりこうさんなのっ!今日のオヤツは奮発しちゃうからっ。そして、ありがとうノルン!ちょっと意地悪そうなお客さん役がどハマりしてるよ。流石、ツンデレを地で行く乙女!いいもの見せてもらったわぁ」


 気持ちの悪い笑みを浮かべながら独り言を言うアズサは時々変態になる。

 いや、こいつは大抵気持ち悪い笑いを浮かべているのだが。アニヤ曰く、そんな時は放っておくのが一番らしい。

 だが、その被害がチビにかかる時は見過ごせない。


「おいお前、何を…」


「しっ!来たよっ」


 口に人差し指を当てて声をひそめた視線の先には、チビが薬の小瓶を大事そうに持って来る姿があった。手の中にすっぽりと納まるサイズの小瓶を、ゆっくりゆっくり、落とさないように慎重に歩いているのが分かる。


「お待たせしました。こちらの小瓶が一番小さなものです」


 そう言ってカウンターの上に小瓶を置くと、試供品の小瓶を手にとって中身が同じものだと見てもらう。女将さんがしていることを見て覚えた接客なのだろう。

 それは、まだたった1日しか見習いをしていないとは思えない動きだった。


「もし、よければ塗ってみますか?」


「えっ、買わなくても塗ってもらえるの?今?」


 チビがこくんと頷いて見せれば、客の女の子は焦ったように自分のスカートで手を拭ってチビの前に差し出した。その手は以前のチビ達と同じように赤切れていて痛々しい。


「あんたみたいに、綺麗な手じゃないから恥ずかしいんだけど、……あたしの手も綺麗になるかな?」


「大丈夫。わたしの手も、一月前まではお客さんと同じだったの。でも、これを塗ってこんなにきれいになったのよ。はい、このくらいの量を手にとってよくもみこむようにしてください」


「わ、わかった。こんな感じ?うわっ、いい匂い……。これね、あたしの母ちゃんとお隣のおばちゃんが買ってきなさいってお金を出し合ってくれたの。だから今日、ここへ買い物に来れたんだ。自分の為の買い物なんて初めてだから、すごく、嬉しくて……」


 はにかんで笑う客の顔を見て、チビとキイロも嬉しそうに笑った。


「おねぇたんはとってもかわいいから、このおくすりでいいにおいになって、もっとかわいくなるねぇ」


「お、おねぇたん……?かわいい?」


 カウンターにベル硬貨の入った袋を叩きつけ身悶え始めた客を一瞥して、隣の変態に目を向ける。すると奴は衝撃を受けたような表情でまた訳のわからないことを呟き、目をぎらぎらさせていた。


「キイロ、なんておそろしい子……。あなたには商売の才能があるのね!?」


 溜め息を吐いて変態の首根っこをつまみ、裏口から追い出す。


「お前の担当は赤毛だろうが。さぼってないでしっかりついててやれよ」


「あぁあぁっ、今いいとこなのにっ!あとすこしだけぇぇぇぇっ」


 バタンと重い扉を閉めて中へ戻ると、チビ達が客に小瓶を手渡して見送るところだった。また会いに来るからと告げる客も、手を振って応えるチビ達も嬉しそうな顔で笑っている。

 怪我人の治療を終えた女将さんも二人の接客の様子に満足しているらしく、機嫌がよさそうだ。


「あんたら、客の扱いが上手いよ。店のもんが忙しい時にゃまたよろしく頼むね」


「はいっ」「あいっ」


 先程のやり取りを外から見ていた野次馬連中も引かれる様に店の中に入ってきて、見る間に店の中は賑やかになった。

 そんな忙しい時間があっという間に過ぎて行き、昼の鐘の頃になると客足も途絶える。ほっと一息ついていると店の裏手の扉が開く音がして、足音が聞こえた。


「おぅい、午後の分の薬が出来たぞぉ」


 ひょろりとした男が一人と、その後ろから体格の良い青年が一人、そのまた後から赤毛達が入って来た。

 どうやら薬作りの方も一段落したらしい。


「うぅ、ごりごりごりごり……。まだ頭の中ですりこぎの音がしてるみたい」


「お前は途中でさぼってたじゃねぇか」


 オレが呆れ顔で突っ込みを入れていると、荷物を抱えていた若い男が笑いながら話しかけてきた。


「いやぁ、二人ともよく頑張ってくれたんだよ。仕事も丁寧で、ちゃんと言った通り、指示通りに仕事が出来るってすごいんだ。薬は手を抜いたら効能が低くなっちゃうから、本当に丁寧に仕上げて行かないと粗悪品になっちゃうんだよ。その点、この二人はすごい集中力で休みなく手を動かしてくれて作業が凄くはかどったんだ。ありがとうね、助かったよ」


 目の前を歩いていた男が振り返って話し出すと、表情を硬くして後ろに隠れるように動いた赤毛はじっと黙ったままでいた。男はそんな様子を見ても特に気を悪くした様子もなく、荷物を持って女将さんの方へ歩いて行く。


「どうしたんだよ、つまんなかったのか?」


「うるさいわね。……すごく楽しかったわよ。あの軟膏があんな風に作られるんだって初めて知った。手伝わせてもらったのは、ほんの一工程だったけど……」


 ところどころ赤くなった右手の指を擦りながら、微かに笑う赤毛はとても嬉しそうに見えた。同じように手をさすっているアズサを見据えた赤毛に、つられる様に顔をあげる。


「ありがとう。あんたが、旦那さん達に頭を下げて頼みこんでくれたって聞いたの。あたいが、薬作りをしてみたいって軽い気持ちで言ったせいで、ごめん」


 ……こいつが、頭を下げて頼み込んだ?


 アズサは赤毛の奴に謝られてあたふたしている。

 自分がやりたくてやったんだとか、軽い気持ちなんかじゃないでしょとか、しょぼくれた様子の赤毛を励まそうとしているのがわかる。


 ……そうだ、こいつはさっきも”さくらをしこんだ”って言って、その後すぐにチビ達が接客に入って、それで……。


 この時やっと、出掛けにバージが言いたかったことがわかった。

 そうか、こいつは思いついたことに何でも飛びついてオレ達を振りまわしてるように見えて、ちゃんと根回しってやつをしてたのか……。


 時々、朝の散歩と言って日の出前から出掛けて洗濯ものを抱えて帰って来るのも、そういうことだったのだろう。


 ……この店の並びや向かいの店の人達が嫌な顔も見せずに、気軽にあいさつをしてくるのはこいつがいたからじゃないのか?


 アズサがオレ達のところに来てからどれほどの時間がたつだろう。

 夏の終わりに突然現れてから、長くみても二月ほどだろうか。そんな短時間で、こいつはどれだけの人と関わっていたのか。

 何のために、そんなに動きまわったのだろう。


「……すごいな、お前。ただの変態じゃなかったんだな」


「褒めたと思ったら、ディスられた!?」


 『二人とも今日は変!変だから、もうこの話はおしまい!』と勝手に話を切ってチビ達を構いに行ったアズサは、あの性格に似合わず照れているようだった。


「あんたもたいがい酷い奴だね……」


「は?何か言ったか?」


「……別に」


 ふいっと顔を逸らした赤毛は後を追って商品の陳列を手伝いに行く。

 丁度、昼の鐘が鳴り始めたとき、ウカが息を切らせて店の中へ飛び込んできた。


「アズ!茶シマ兄ちゃんが悪い奴らに叩かれてるの!助けて!!」


 ウカの叫ぶ様なその声に、その場に緊張が走った。ウカに詳しく話を聞きだそうと肩を掴んで詰め寄る。


「何があった!?お前ら、ずっと向かいの店に居たはずだろ。お前、また抜けだしたのか」


「待って、詳しく話を聞く前にまずは茶シマ君を助けよう。ウカ、茶シマ君はどこにいるの」


 ウカに掴みかかっていたオレの手を引きはがしたアズサは、ウカを連れ店の外へと出て行った。オレもその後を追いかけようとして、足を止める。

 ここにはチビ達がいる。オレまでここを離れればこいつらを守るやつがいなくなるのだ。


「僕は詰め所に行って来くる。兵士を連れて追いかけるから、誰か場所を教えに戻ってきてよ。君が行けば、アズサが戻れるんじゃない?この店に残る子たちは他の従業員と父さん達が見ててくれるよ。行こう」


「にいちゃ、わたし達ちゃんとお留守番してるから」


「早くしないと追いつけなくなるわよ」


 赤毛とチビに背中を押されて、店の外へと追い出される。


「もう姿が見えないな……。追いかけるのは無理か」


 ウカ達が走り去って行った方向に耳を澄ませば、雑多な音の中にウカ達の走る足音が聞こえる。まだ、大丈夫だ。今なら追える。


「女将さん、こいつらをお願いします。お前ら絶対にここを出るなよっ」


 足音のする方から、屋台通りの方角だとあたりをつけて石畳を蹴り跳び上がる。

 入り組んだあのあたりの道を通るよりも、建物の上を抜けた方が断然早く追いつけるだろう。ディンゼル軟膏店の屋根の上にあがり、向かいの建物目掛けて跳躍し、そのまま屋根伝いに走った。


 山の中で収穫を続けるうちに、木から木へと飛び移ったり、崖を飛び越えたりして身軽な動きが身についている。アニヤに引き取られてからというもの身体が重くなっていた意識があったが、あんなお遊びがこんなところで役に立つなんて驚きだ。


 屋台通りに近づくと、香ばしいにおいが漂ってきた。

 ウカの足音も近くなり建物と建物の間の路地に視線を落とせば、ウカの後ろを必死に追いかけているアズサの姿が目に入る。すでに息が上がっているようで、今にも転びそうな足取りだ。


「見つけた」


 四階建ての雑居ビルから飛び降りてウカの横に並べば、ウカが困ったような顔で笑う。


「青兄ちゃん、アズの足が遅くてこのままじゃ茶シマ兄ちゃんがやられちゃうと思うんだ」


「ふひっ、はっ、ひどいいぃぃっ、はっ、ふっ」


「こいつの事は気にするな。全速力で走れ」


「わかった」


 ウカが足に力を入れたのをみて、隣でよたよたしている奴を抱え自分も走る速度を上げる。

 ビルの隙間を抜けて、混み始めた屋台通りの人混みを縫うように走り抜けると人だかりが見えた。人垣の向こうから聞き慣れた声がする。


「茶シマが喧嘩してるな。なんだ、元気そうじゃねぇか」


「……ねぇ、茶シマ君は何て言ってるの?」


 小脇に抱えたアズサがまん丸く膝を抱えた体勢で目を細めている。こいつには、まだ茶シマがどこに居るのか分からないようだ。


「お前ら偽物だとかなんとか、金なんて払うな、なんなら金払え?意味わかんねぇ」


「あの年で慰謝料の請求なんて、やるわね。茶シマ君……」


 『やっぱりあの子には掛け算よね……』とこっちでも訳のわからないことを呟き始めたアズサを地面におろした。

 どうも嫌にへろへろしていると思ったら、案の定、アズサはいつか山で見せたような青い顔をしている。こいつは、人が争うような場が苦手なようなのだ。


「もうここでいい。お前らは女将さんの店に戻って、この場所を兵士に教えてくれ。あそこの兄ちゃんが詰所から兵士を連れて戻るって言ってたから。茶シマはオレが助ける」


「ウカの話だと茶シマ君と一緒にいる連中は、他所の国から薬を売りに来た行商人らしいよ。その薬が女将さんのところの瓶に似てて、塗ると火傷したみたいな怪我になるんだって。ウカがそのやり取りを聞いて、偽物だって騒いだら掴みかかられたって。気をつけて、あまり無茶しないでね」


 具合の悪そうなアズサの様子に気がついたウカが、手を繋いで来た道を戻って行くのを確認して茶シマの方へ近づく。

 物騒な話になりかけて、大男が茶シマに掴みかかろうとした時、その毛深い腕を掴んで止めた。


「もうすぐ兵士がくる。力任せに言うこと聞かせようなんてせずに、ちゃんと騎士団に立ち会ってもらって話をしようぜ」


「ぐあっ、この生意気な小僧が!うちの売り物にケチ付けたんだ、出るとこでて困るのはお前らの方なんだよ!放せっ!」


 すすけた色のマントを被った男の後ろには、同じようなマントを被った人影が三人いる。

 そのうち小柄な二人は地面に敷かれた粗末な(むしろ)の上で震えるように身をすくませ、何事かつぶやいている。マントの帽子がとれて顕わになっている顔は頬がこけていて、年はウカやチビ達と同じように見えた。


 その二人の後ろで男と同じく目深に帽子を被っているひょろっとした男はこちらと視線を合わせず、俯くように子どもらのマントの下から伸びている縄紐を握りしめていた。


「ヘ、ヘイシ……!?」


 小さな呟きをもらした男がロープを足元に投げ捨てて走りだす。突然の男の行動に目を向いたのはその男の仲間だ。


「ギャズ!?てめぇ、なに逃げてやがる!あっ、売上!?待ちやがれ、この野郎!」


 呆気にとられて見ていると、腕を引かれた。


「追いかけよう。なんか、あいつ気に食わないんだ」


「は……?気に食わないって、お前」


「いいから、追いかけよう。話はあいつを捕まえてからにしよう」


 腕を引かれるままに走りだしたオレは、逃げた男を追って入り組んだ路地裏へと足を踏み入れた。初めて通る道に不安を感じつつ、耳では男の足取りを聞き逃さないように神経を研ぎ澄ませる。

 また、次々と起こる面倒事に巻き込まれていることに溜め息を吐きたくなった。


 ……あいつと会ってから、こんな面倒事ばかりだぞ……。


 けれど、そのせいで日々の生活の中で感じていた窮屈さや退屈さなど、いつの間にか忘れ去っていた。鳥籠にいるようなこれまでの生活とどっちがいい?と心のどこかで囁くのはチビと出会う前のオレ。


「仕方ねぇよな。赤ん坊だったチビを助けた時から、あいつを守るのはオレだって決めちまったんだから」


「なに独り言いってんの?次はどっちさ」


「右の通りからまっすぐ走ってる」


「了解!」


 自分自身でもまだよくわからないその問いに、取敢えずの言い訳をしながら、まだ雪が残る路地を走り抜けた。

 陽が昇って気温が上がり、雪はもうほとんど溶け消えている。


 こんなにめいっぱい身体を動かして、街中を走ること。


 山で思う存分に動きまわって帰路につく温かい家。


 笑い声の絶えなくなった仲間達。それを見守るアニヤ。


 いつも窓辺からひっそりとこちらを窺っているお姫様。


 何くれとなく世話を焼いてくれたり、わざわざやることを作って仕事だと(うそぶ)いてはご褒美を子どもらに与えてくれる屋敷の大人達。


 胸の奥に湧き上がって来るこの感情がなんなのか。泣きたくなる様なこの気持ちをいつか、あいつに言ってみてもいいかもしれない。

 軟弱で、ひ弱で、時々意味のわからない言動をしてはオレ達を振りまわすあいつを今じゃみんなが慕っていた。みんなの良いところ探し、なんて訳のわからない遊びを始めて、子どもらを構い倒すあいつのことを。


「お前の良いとこは能天気でやさしいとこだよ」


 どこまでも能天気で突拍子もない事ばかり言う奴だけど、その言葉一つ一つに込められた優しさや思いやりをみんながわかってる。人見知りで、オレ以外の人間に懐けなかったチビがあいつに心を開いたことが何よりの証拠だと思う。


 男を追いかけて入った暗い路地の向こう。光の差す場所へ駆けこんだ男を追いかけて、自分も光の中へ駆けだした。

 暗い場所から抜け出し、温かい陽光を求めるように。


 全力で。













 







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