女達の噂話 Ⅱ
今日も下町の水路には、女達が日の出前から大量の洗濯ものを抱えて集まっている。
普段なら話の種に尽きることなどない女達の世間話。だが、ここ最近街のちょっとした変化を敏感に感じ取っている女達の口は、少し重くなっていた。
今は伏せっている隣の古馴染みにそのあたりの話を聞かせたくなくて、このところ足が向いていないのは私自身、戸惑っているからでもある。
「……もう冬だ。そろそろ、凍結防止の魔法が水路にもかかる頃さねぇ」
「このところ、頻繁にシヤの泉へ出入りしている騎士団も、馬車の車輪をそろそろ雪道用にしたいって注文を出して来たらしいよ。昨日、うちのがそう言ってた」
ぽつりぽつりと話される内容は当たり障りのないものであるが、王都の中で暮らす者の話はどこかでみな繋がって行く。
精霊の泉のある山は、一部は雪が積もらないようになっている。だが、そのほかの部分は雪のために通行が困難となってしまう。
今までならば雪の積もる山になど用はなかったが、今年の冬は変化があった。
冬支度の為に山に入った男どもが、バカみたいに騒いで帰って来た日から、私達の暮らしにも俄かな活気が生まれているのだ。
「今年はあまり作物の出来が良くなかったからねぇ。本格的に雪が降る前に、あたいんとこも子どもを連れて山に行こうかと思うんだ。少しでも蓄えは欲しいからね」
「……そうだけど、今、山には……」
歯切れの悪い言葉に女達が押し黙る。
「昨日、大店で一悶着あったって?」
暗い雰囲気を払おうとしたのか、このあたりの顔役をしている大婆が話に割って入った。
けれど、その噂の元も大きな声では話せない、いや、話していいものかどうか迷うものであると知っている私は顔を俯け、熱心に汚れを落とすふりをした。
その時の騒動を知らない女達によって、話は広がって行く。
「あ、それあたいも聞いたよ!あの、どけちの軟膏屋の女将に喧嘩吹っ掛けた奴がいたんだって?」
「へぇ、そりゃおもしろい。あの女にひと泡吹かせられたのかね?ちょっと自分とこが儲かってるからって、こっちの足元を見るあの店の連中には日ごろから言ってやりたいことがたまってんだ」
日頃からの鬱憤を吐き出しあう女達の喧騒の中、年若い女が話に乗った。どうやら、あのときの目撃者に彼女もいたようだ。
「……わたし、その時近くにいたから知ってるよ。女将がかんかんになってどなり散らしてたから、気になって覗きに行ったら、……怒鳴られてたのは見知らぬ小さな子どもだったよ」
しん、とその場が凍ったように静まりかえる。
水路を流れる水音だけがしばらく続き、少ししてから、また女達の洗濯棒を振り下ろす水音が響いていった。
このところ、見知らぬ子どもが王都を歩いている姿が目撃されるようになっていた。
この王都ティルグに住む幼い子ども達の多くは、朝からそれぞれの見習い仕事をして、午後から手習いへ行くことが推奨されている。そのため、昼を過ぎてから街中を歩く子どもは目立つのだ。
それが、見知らぬ子どもであったなら、尚更に。
その子どもがどこの子なのか、何者なのか、大きな不安とほんの少しの期待。みんなが想像しながらも決して口にしないその憶測。
知らず、洗濯棒を握りしめる手に力が籠る。
目の端に映り込む明るい黄色の髪をした女は、顔を上げずに洗濯を続けていた。俯くその顔に幽鬼のような陰りを帯びながら。
私もそろそろ覚悟を決めなきゃならないのだろう。
隣で熱心に泥のついた服を広げては流されないように重石を乗せている、まだ8歳になったばかりの幼い隣人の子を見下ろし、息を吐いた。
……寝付いている母親の為にも、今は私がこの子の母親の代わりになってやらなくちゃね。
「あ、そうだ。昨日聞いた大ニュースをみんなに話そうと思ってたんだ!」
ことさらに大きな声で話し始めた女の声にハッとする。止まりかけていた手を再度動かしながら、話に耳を傾けた。
どうやら、薬草の買い付けに来た隣国の商人から聞いた話のようだ。
「とうとう、南のベルニアで噴火があったって。最近じゃあ、黒煙を上げる火山が軒を連ねてる状態だったそうだから、いつ噴火してもおかしくないって話だったでしょ」
「まぁ!大変じゃないか。被害は?噂じゃ、あっちじゃここ何年も災害続きでろくに蓄えも出来てないって言ってたろうに」
その話に驚きの声が次々とあがり、先程までの沈んだような空気が消えていた。
「この頃じゃ、東国や西国に難民が押し寄せてるんだってねぇ。それをベルニアの王様がお怒りになられて、重い処罰をお与えになってるってんだから怖ろしい話だよ」
「その商人の話じゃ、なんだかあの国の人々は様子がおかしくなってるそうだよ。街では物騒な話ばかりが飛び交っていたらしいし」
「物騒って……?」
「ほら、あっちの方じゃ錬鉄業が盛んだろ?国政に反意を持った鍛冶屋組合が……」
街の中を流れる女達の社交場では、今日もたくさんの女が集まって洗濯をしている。
最近、家の手伝いでここへ来ることを許されたあたしも、冷たい水に泥んこになった父ちゃんの服を浸けて、土が柔らかくなるのを待っているところ。
すっかり秋の色も冷めつつあるここティルグニアに、冬が来ようとしているのを水の冷たさで実感して、冷えきった手に息を吐きかけた。
「ノルンも頑張ってるね。母ちゃんの具合はどうだい?」
隣に住むおばちゃんは、うちの事を気にかけてよく世話を焼いてくれる、母ちゃんの古馴染みだ。
大人の難しい話が始まったりすると、こうしてあたしに気を使って声をけてくれたりもする。
「まだ、産婆には寝床から起きちゃダメだって言われてるよ。でもさ、母ちゃんは寝床に居てもずっとお喋りしてるから、父ちゃんには赤子までお喋りになるからやめろって怒鳴られてるの。もう寝床にいるのに飽きたから誰かとお喋りしたいって、ずぅっと言ってるよ」
「ははは、元気そうで何よりだよ。近いうち、あたしも顔を出すって言っといておくれ。ほら、そろそろ叩いていい頃合いだ。服を流さないように気をつけるんだよ」
おばちゃんの言葉にひとつ頷いて、慎重に重石をはずす。水のしみた服を揉みこめば、土のかたまりがぽろぽろと落ちていく。大人の女達が使う物より小さめの洗濯棒を振り上げて叩けば、飛沫と共に泥が水に溶けだした。
溶けた泥が水路の流れにさらわれていくのを見ながら、冷たいのをこらえ絶対に服を離さないよう握りしめる。
隣で見ていたおばちゃんは問題ないと思ってくれたらしく、視線が外されたのを感じてほっとした。
母ちゃんの腹から赤ん坊が産まれたら、当分のあいだ洗濯はあたしの仕事だ。赤ん坊のおしめだって、産着だってあたしが洗ってやるんだ。
あたしは、姉ちゃんになるんだから。
胸のあたりにせり上がるくすぐったさを感じながら、誇らしい気持ちで棒を振りおろしていると、おばちゃんたちの噂話が聞こえてくる。
話の内容が、山で採れた薬草がいい値で売れたという話題に変わって、おばちゃんたちの笑い声が楽しそうに重なった時、あたしの隣に洗濯ものを抱えた子がやって来た。
「ここ、使ってもいい?」
顔を見上げなくても、誰だかわかる。
同年代の女友達は少ないし、この子はあたしが教えてやらないと何にも知らない、妹みたいな奴なんだから。
「いいよっ、今日は来られたんだね?昨日も待ってたんだよ」
「ありゃ、待っててくれたの?ごめんね、昨日は山に行ってたんだ」
妹分はカゴに山盛りになった子ども用の泥着を、何枚か重ねて水に浸し始めた。それを見止めたおばちゃん達に声を掛けられたその子は、笑顔で挨拶を返している。
妹分は愛想良く受け答えをしながら話題の中心だった薬草の収穫話をせがまれ、あたしを除け者にしてみんなで話始めてしまった。
この子はこの辺りじゃ見かけない顔立ちをした女の子だ。
無知で非力。だけど話し上手で、この子が冗談を言ってみんなが笑うのを見てると、難しい話が分からなくてもこっちまで笑顔なる。
つまり、一緒にいて楽しい相手なのだ。
「――そうなんですよ。昨日、軟膏屋の女将さんに吊るし上げられてたの、家の子なんです。あの子、鼻がいいもんだから軟膏の中に入ってる薬草をお店の人を相手に言い当てちゃったらしくて。覚えたての薬草の名前を言いふらしたかっただけなんですけどね?みんなが褒めるもんだから、調子にのっちゃって。多分あれは、お菓子でもくれるんじゃないかって期待してたんですよ。結局もらったのは女将さんの雷だったんですけど」
おばちゃんたちは薬草を言い当てたっていう男の子の話に興味津々だった。一番端にいる姉さんも身を乗り出して聞いている。
……なにさ、おもしろくない。せっかくお喋りできると思ったのにぃ。
なかなか話す順番が回ってこない事に苛立ちながら頬を膨らませていると、周囲から笑い声が響いてきた。
「おやおや、ノルンがふくれっ面になっちまったよ。お前さん、そろそろその子の相手をしてやってくれないか」
自分の名前が挙がったことに驚いて顔を上げると、周りの女達の視線が自分に集まっているのが分かってギョッとする。
「この子、母親が身重で家事仕事を手伝ってばかりで、手習い処にも行けなくなっちまったからねぇ。今は母親にも甘えにくいだろうし。あんたが来るのを昨日からずっと首を長ぁくして待ってたんだよ」
にまにまと笑ってこっちを見ているおばちゃんたちの視線や、おばちゃんの話す内容に恥ずかしくなって手を振り上げて抗議した。
「そ、そんなことないもん!この子が来なくたって、へ、平気だし?あたしはもう、母ちゃんに甘えるような子どもじゃないんだからっ。あたし、あたしは……」
「あ、洗濯もの」
握った拳の向こう側に、泥のこびり付いたズボンが流されていくのが見えた。
「あ」
茫然としているうちに、どんどん下流へと流される父ちゃんのズボン。
「ぎ、ぎゃああああああ!」
慌てて立ち上がり、下流へと流されていく服を追って走りだす。
すると、さっき身を乗り出してこちらを見ていた姉さんが、うまい具合に洗濯棒の先に服を引っかけてくれたのが見えた。
「あ、ありがとう!ミア姉ちゃんっ、父ちゃんのズボンを助けてくれて!」
半泣きになって感謝を伝えれば、ミア姉ちゃんは笑いながら絞ったズボンを渡してくれた。
「あはは、わたしが助けたのはあんたのお尻だよ。この前も、洗濯ものを流しちまって母ちゃんにこっぴどく叩かれたんだろ?気をつけなよ、こっちで降ってなくても、山が雨の日は水が増えて流れも速くなるんだから」
「うん、ありがとう。気をつけるよ」
ここへ来るようになって三回目の洗濯のとき、話に夢中になって下流へ流されていった母ちゃんの膝かけは、水路の終わりで泥んこになって見つかった。
赤子のおくるみ用にって用意したのに、とれない汚れがついてしまったのを隠そうとしてお尻を叩かれたのだ。
すっかりしょぼくれた気分になって一番上流の自分の定位置に戻った。
みんなは好きな場所で洗濯をするのに、あたしだけはこの場所で洗濯することを約束させられているのだ。
本当はもっと、みんなの話がたくさん聞ける真ん中の方で作業したいのに……。
「よかったね、ズボンが無事で」
自分の場所に戻れば、洗濯ものを叩き始めていた妹分が出迎えてくれる。
「うん、父ちゃんのズボンがこれ以上穴空きにならなくてすんだ」
ぶっきらぼうにそう言って、洗濯棒を手にしたけど、すぐに後悔した。
また、つっけんどんに喋っちゃった。この子みたいに、もっと優しい言葉で話したいのに……。
”いい姉ちゃん”になるために、いっぱい頑張ってるのに、なかなかうまく行かない。失敗ばかりするし、昨日もなべ底を焦がしてスープが焦げの匂いになってしまったのだ。
「あぁ、そうだね。このままにしとくと穴が広がっちゃうから当て布して塞ぐといいよ」
「当て布?」
襤褸を切って当て布にする方法を聞きながらお喋りが始まると、さっきまでの嫌な気分はすぐにどこかへ行ってしまった。
そして再確認する。
やっぱり、この子といると楽しいし、もやもやしていたお腹の中が、すっきりするのだ。
「ねぇ、前に家にネズミが出るって言ってたじゃない?あのあと、ネズミは見つかったの?まだ困ってるようなら、うちの父ちゃんが作ったネズミ取りを貸してあげてもいいって許してもらったの」
部屋に置いてあった果物や木の実がかじられているんだと聞いてから、ずっと気になっていた話題を持ち出すと、妹分は何だかものすごく嫌なにおいを嗅いだみたいな顔をした。
何があったのか、がぜん興味を惹かれたあたしは身体をよせて話に耳を澄ました。
「あ―――…。ネズミ、……ネズミね。わざわざお父さんに聞いてくれたの?ありがとう。だけど、もうネズミの件は片付いたから大丈夫なんだ。結局、飼うことになったの」
「えぇ!?ね、ネズミを飼うの??あの、だけど、ネズミって臭いし、病気を持ってるって……」
戸惑いながら、前に手習い処の先生から聞いた話をしてやると引きつった笑いが返って来た。
「正確にはネズミじゃなかったの。白いハムスターだったのよ」
「はむ…すたぁ?」
洗い上げた洗濯ものを絞りながら、首を傾げる。そんな生き物の名前を聞いたことがない。
それでも、飼う、と言われたのを思い出してうらやましくなった。
「いいなぁ、うちじゃあ絶対動物を飼うなんて許してくれないもん。エサ代だって馬鹿にならないし」
「餌は本当なら、あんまり必要ないみたいなんだけど。あのこは何でかよく食べるんだよね……。あ、でも大丈夫なの。お山で採れたものをあげるようにしてるから」
山で、という話にもやっぱりうらやましくて、またつっけんどんになってしまう。
「ふん、そうなの。あんたの勤めてるお屋敷じゃあ、そんなに何度もお山に連れてってもらえるのね。動物も飼わせてもらえるなんて、普通じゃ考えらんない。よっぽどいい人か、変わったご主人様なのねっ」
つんとあごを背けて視線をそらし、後悔する。
……なんであたし、こんなにイヤミったらしいことばっかり言っちゃうのよ!
鼻がつんとするのを我慢して、次の洗濯ものに手を伸ばすと、嬉しそうな声が聞こえた。
「そうなの。うちのお屋敷のお嬢様はすごく優しくて、可愛くて、ふわふわで、キラキラなのよぅ……」
意味のわからない褒め言葉に、思わず振り返ってみれば『匂いも好き』とおかしなことを言う妹分に目を瞬く。
勤めているお屋敷のお嬢様がとても好きなんだとは常々言っていたが、うっとりした顔で頬を染める程とは。
やっぱり、この子は変わってて面白いなぁと思う。
この子を見ているとつまんないこと考えてる自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。
「あんた、お嬢様の匂いかいでるの?ヘンタイ?」
「なに言ってるの?わたしが変態な訳ないじゃない。普通よ、普通。みんなだって好きなものの匂いは嗅ぎたくなるでしょ」
「……いや、あたしは別に嗅ぎたくならな…」
否定しようとして、黙った。
確かに、あたしも嗅ぎたくなる匂いがあることを思い出したからだ。
……母ちゃんの匂いは、時々すごく嗅ぎたくなる……かも。
母ちゃんに抱きついた時のあったかい匂いを思い出してしまうと、妹分の言うことも分かる気がして、何て言ったらいいのかわからなくなった。
「あんたら、馬鹿話してんじゃないよ。ほら、もうみんな洗い物終わっちまうよ」
隣に座るおばちゃんにそう声を掛けられて、ハッとする。
「わわっ、あたしこのあと鉈の受け取りにも行かなきゃいけないんだった!急がなきゃっ」
「鉈?職人街に行くの?」
いつの間にか洗い物を全部終えていた妹分に焦りが増す。
この妹分に教えることがあったのは最初の何回かで、色んな事をあっという間に覚え、見かけによらず作業も速いこの子にかなう部分がなくなっているのだ。
おばちゃんたちが一人、二人と去って行くと、妹分は下流の方へと座る場所を移してあたしの作業を待ってていてくれた。
この子がすぐには帰らないんだとわかってほっとする。
「わたしもこの後、職人街のシャムロック工房へ行く予定なんだ。またそっちでも会えるかもね」
そう言われれば、また気持ちが明るくなって自然と笑いがこぼれた。
「うん、会えたら嬉しい。洗濯ものを干せば、そのあとは鉈を受け取って母ちゃんの昼ごはんまでに家に戻ればいいの。工房通りに新しいアクセサリ屋さんが出来たって聞いたんだけど、一緒に行ってみない?一人じゃのぞきにくくってさ」
「へぇ、新しいお店?……いいよ。じゃあ、わたしも洗濯ものを干したらまたここに戻って来るから一緒に行こうか。その時、お屋敷の他の子も連れてきてもいいかなぁ?」
「っ、いいよっ!女の子?男の子?」
「……今日は女の子かな。まだこの街に慣れていなくて恥ずかしがり屋なんだけど、ノルンの妹分にしてやってくれる?」
「もちろんだよっ、あたし今、姉ちゃんの修業中だからね。いい練習になるよっ」
胸を張ってそう応えるとなぜだか背後から笑い声が聞こえた。
去って行くおばちゃん達に笑われてムッとする。
だけど、新しく会える子が女の子だと思い出して、がぜんやる気がわいてきた。その子の話を聞きながら作業をすれば、泥のひどい洗濯ものもあっという間に片付いてしまうのだった。
「ねぇ、あの子。どこのお屋敷に勤めているのか知ってるかい?」
子ども達の楽しそうな会話を聞きながら、建物の影に自分たちの姿が隠れたことを確認し、みんなに聞きたかったことを口にする。
「……そういえば、聞いたことないねぇ。秋の半ばぐらいからここに顔を出すようになって、今じゃすっかり顔馴染みになってるのにね」
そこで、核心に迫る言葉を告げた。
「じゃあ、あの子の持ってくる服って、子ども用の物ばかりだって気付いてた?」
「あ、それ、あたしも気になってたのよ。この街のどこに、そんなに子どもがいたんだろうって。お貴族様のとこの子かとも思ったんだけど、おかしいんだよ」
「そうだね、洗っている服はどれも泥にまみれた着古しだもの。それに、あの子の話を聞いてれば、山に頻繁に出入りしてるのに、ここいらの子どもが集まるような場所であの子を見かけたこともないしね」
年配の女達が冷めた顔で口を閉ざす中、若い女達の中で話題は盛り上がった。
予想通りのみんなの見方に、あたしも確信を深めて頷き返す。
「だから、あたしこの前、ちょっとあの子の後をこっそり追いかけてみたの」
その話にはみんなに眉を顰められたけど、調子づいた勢いを殺したくなくてそのまま一気に言いたいことを話した。
「金持ち街に向かう坂道を走ってったあの子のあとを、必死で追いかけたんだよ。そしたら……」
「……そしたら?」
みんなが息を飲むのを感じて、してやったりと内心でほくそ笑む。
「消えたんだ。坂の途中で。ぱっと煙みたいに」
きゃあっ、と声をあげる友人たちに視線を送りながら、話を進める。
「きっと、あの子は……」
「もうお止めよ。どうせ、あんたの好きなほら話になるんだろ。そんな話聞きあきたよ」
顔役の大婆が口を挟んで来たことに腹を立てながらも、最期まで話し切りたい気持ちが買った。
「獣雑じりの……」
「お止めったら!!」
大婆の金切り声にその場の空気が冷えた。
すっかり興に乗っていたあたしの作り話もその空気にしぼんでいく。
「……なんだってんだい、せっかく考えたお話がおじゃんじゃないか。そんなに怒ることないだろ。……悪かったよ、獣雑じりの子を面白おかしく物語にしようとして」
口を尖らせて謝罪すれば、大婆は目を瞠ってあたしを見た。
……なんだい、その顔は。
「で?その話の続きってどうなるんですか?すんごい気になるんですけど」
明るい子どもの声に振り返れば、噂の少女が小脇に洗濯かごを抱えて立っていた。バツが悪くなってしどろもどろに話しの先を聞かせてやると、予想以上の反応が返って驚かされる。
「わたしが獣雑じりの子を求めて攫って行く人間で、山では獣雑じりの子の遺体を掘り返している、と。で、新しく産まれて来る赤子を求めて昼間っからこの場所に現れては次の獲物を狙ってる……。ウヒョ、何それ恐っ!ミアさん、お話を考える才能があるんですね。恐いけど、今度別のお話も聞かせてくださいよ」
「あ、あぁ。かまわないよ……。じゃあ、わたしはこのあと予定があるから」
少し青ざめた顔で身震いして見せる少女を見て、少し悦に入りながらも、他の女達の目が気になって気まずくなり足早にその場を後にする。
背後から若い女達の失笑が追いかけて来るような気がして走って逃げた。
……もう、なんなのさ。大婆のせいで、新作披露が台無しになっちまったよ!
そう憤りながらも、なかなか反応の良かったあの子の表情を思い浮かべてほくそ笑む。
「また、次の話を考えたら、聞かせてやろうじゃないか。ふふん、楽しくなってきたね」
機嫌のよくなったあたしは鼻歌交じりに洗濯ものを抱え直し、家路についた。
建物の影になって、陽の当らない場所に立っていた女達はすぐに歩き出した。日の出を迎え、通りの向こうにはもう日が差している。
背後を歩くノルンとその隣に立つ少女へと意識を向けそっと横目に見れば、先程ミアの話を聞いて何でも無さそうに会話を続けていた少女の手から、震えが消えているのを確認して少しほっとした。
暗い場所だったからみんなには分からなかっただろうが、あの子が内心を隠して気丈に振舞っているのに気付いてしまったのだ。先程、小刻みに震えていた手先がそれを示していた。
「ミア姉ちゃんはねぇ、あの通りお話し好きでね。いっつも何か思いついてはお話にして本当のことみたいに言ってくるのよ」
「お尻を叩かれた話とか?」
「そ、それは本当の話なんだけどっ。あ、もう、なに言わせるのよ!」
ノルンとの楽しそうなやりとりに複雑な気持ちになりつつも、この少女から話を聞かなければならないという気持ちが強くなっていた。
私が話の切り出しに迷っているうちに、こちらの気持ちを代弁するかのように顔役の大婆が口火を切る問かけをしたのを聞きつけて、思わず息をのんだ。
「……お前さん、どこに住んでるのか聞いてもいいかね」
後ろからかけられた嗄れ声に少女が振り向くと、大婆と少女が対峙した。若い女は興味津々に、ある程度年齢のいったものは緊張しながら耳を傾けている。
「はい、わたしは紫水宮で御厄介になっています」
「しすいきゅう?」
初めて聞く名に首を傾げるノルンの横で、さっと顔色を変えた大婆が眉間に皺を寄せていた。
「そうかい、あそこには王女殿下がご静養なさっていると聞いているが……」
「はい。今は王女殿下もすっかりお元気になられていますよ。時々はお庭を散策なされるほどになりました」
「まぁ、それは本当に!?生まれてすぐに王妃様が亡くなられて、お姫様は病弱だとも聞いていたから心配してたんだよ。あぁ、もっと話を聞きたいけど、……また今度聞かせておくれよ。頼むね!」
好奇心いっぱいの顔で、別々の路地に入って行く若い女達を見送った。
家事仕事に不慣れな彼女たちは、昼に帰って来る旦那や子どもらの為にやることが多いのだろう。
すでにいつもの時間から大分過ぎているのだ。走り去ったあとを横目に進めば、あと少しで私やノルンの家に向かう分かれ道になる。
「じゃあ、あたしもここでいったんお別れだ。またあとでねぇ」
ノルンが大きく手を振って走りだせば、『またあとでね』と少女から言葉が返って笑顔で家路についていった。きっと、家に帰って喜びを母親に聞いてもらうのだろう。
話題に飢えている今のあの母ならばきっと、熱心に聞いてくれるに違いない。私が足を止めて向き合うと、少女も何かを察したのかこちらへと向き合った。
「ノルンの相手をしてくれてありがとうね。あの子の母親は今ちょっと不安定でさ……」
「いいえ。わたしもノルンと話してると楽しいですから」
そう笑いながらも、ノルンがいた時とは少し変わって、少女には緊張しているような様子がうかがえた。
「ノルンの事はあの子の母親に代わって礼を言うけど、正直、私らはあんたのことを不審に思ってるんだ。……あんたが見かけほどには子どもじゃない事は察してるよ。あんたのノルンへの気遣いを見れば、保護者のようにあの子を可愛がってくれてるのもわかる。だけど、あんたの本当の目的はなんなんだい?」
ノルンを見送り、5人ほど残った女達で新入りの少女を囲む様子は、傍から見れば陰湿なものに見えるかもしれない。
それでも、この場で何も問い質さずにいることはもうできないと思った。
この少女が信用に足る人物かどうかは、ここ半月ほどの短いやりとりでも察している。
だけど、この子が何のためにここを訪れ、ノルンと関わるのか。それを確認しなければならない。
あの子の母親の代わりとしてもせめて、この子が何をしようとしているのかを知るまではこれ以上ノルンと関わることを許容できないのだ。
「街に住む人達の様子が知りたかったのと、どうすれば仲良くできるか知りたくて……。簡単に言ってしまえば、情報収集のためですね」
微笑んでそう答える少女に、目を瞬かせる者、眉を寄せる者、無反応な者、それぞれ反応を示した。
「どんな情報が欲しいんだい?仲良くして情報を集めて何をしたい?なぜ、ここでそんなことを始めたんだ」
少女に質問を重ねた大婆が一歩前に出て、冷たい目を向けた。
「お屋敷でメイドとして働いているバネッサさんに”下町女の社交場はあそこしかない”って言われて来てみたんです。そしたら楽しそうなお喋りが聞こえて、仲間に入れてほしくなっちゃって……。下町をちょろちょろして少しずつ、じわじわと、交流を深めたいなぁ……なんて」
「バネッサって、あっ、あの子だくさん一家の長女?バネッサ・シャンディのことかい?」
バネッサと聞いて昔、しばらく下町で生活をしていたひょろっとした背の高い、ソバカスの若い女が頭に浮かんだ。
親の爵位が低くて領地も少なく、家族を養うために王都に働きに来たといった少女だ。
たしか、あの子はどこか大きなお屋敷の奥様に認められて下町を出て行ったはずだ。
若い女の子が都会で一人暮らしながら働くのを見かねて、よく世話を焼いたのが懐かしく思い出される。
「あ、じゃあ、貴女がグローシアさん?バネッサさんから宜しく伝えてって言付かってたんです。よかった、伝えられて」
ニコニコ笑って無邪気にそう話す少女に、何となく気勢がそがれる。張りつめていた緊張が抜け、長い息を吐き出した。
私と少女とのやり取りで少し弛んだ空気の中、言葉を掛けたのはやはり大婆だった。
「ひとつだけ、確認させておくれ。お前さんのところにいる子どもは……」
言葉に詰まった大婆のその先の言葉を、少女は察した、とでも言うようにきれいな笑顔で微笑んだ。
「元気ですよ。みんな明るくて優しい、いい子なんです。いつか、みなさんにも紹介したいのでその時は……連れてきても、いいですか?」
真剣な表情になってこちらを向いた少女の顔からは幼さが消え、一端の保護者の顔をしているように見えた。
「あ、あのっ……!」
意を決したように声を上げたのは、年若いシェラという名の女だ。
明るい黄色の髪をした彼女はもともとぽっちゃりな体型をしていたが、ここ数年で痩せこけてしまっていた。
「き、黄色の、髪をした…お、おんなの……っ…っ、うっ……ぅ…」
シェラは3年ほど前に子どもを流産したと言って落ち込んでいた。
彼女の泣き崩れる様に、あぁ、やっぱりと思う。みんなが察していながらも、ずっと目を逸らして来たもの。
胸にあるのは苦悩と懺悔。
ここの女達は自責と後悔という目に見えない枷を引きずって生きている。自分が産んだのではないとしても、自分が殺めたのではないとしても、自分が捨てたのではないとしても。
どんなに目隠しされていても、一度知ってしまったものを忘れ去ることなどできない。
当事者でない自分達に出来る事は、苦しみに喘ぐ女にそっと寄り添い、時間が癒してくれるのを待つだけだった。
――今までは。
この少女は先程、震える手を後ろ手に隠しながら、何と言った?
仲良くなりたい、少しずつ交流を持ちたい。そのために情報を集めていると言ったのが、偽りだとは思わない。
彼女が自分自身の人為りを見せながら、少しずつ歩み寄ろうとする姿は不快なものではなかった。
ある日突然、街に現れるようになった見知らぬ子ども達。
その子ども達が自分の家の子だとこの子は言った。自分の家族のようなものなのだと、彼女が言葉と態度で示している。
それは下町で、自分の子だろうが隣の子だろうが分け隔てなく接する私らの姿と重なるものではなかったか?
熱い物が込み上げてくる胸をなんとか押さえて、わざとバカみたいな言い回しをするように大げさな身振りをとった。
「う、噂に聞いたんだけどねぇ?」
殊更に明るい声を出して、上ずりながらも言葉を紡ぐ。
泣き崩れたシェラのもとに駆け寄って、背中を撫でている少女も、この場に残っていた女達も驚いた表情でこちらを見た。
「最近、このティルグの街に子どもが増えたって話だよ。うちの旦那が働いてる工房に、可愛いほっかむりをしたチビ達が来て仕事の邪魔をしたってんだ。困ったもんだね!」
私の話す内容に、合点がいったと便乗してくるのは近所に住む金物屋の女房だ。
「あぁ、知ってる知ってる。うちのも『ガキどもが熱心に見てた割に、一向に働かせてくれって言ってこねぇっ』て、ぶつくさ言ってたよ。あれは、そうとう気にいった子がいたんだと思うね。きっとあのバカのことだから悪態でも付いて嫌われたんだろうけど、逃した魚はでかいって思ってるんだねぇ」
こっちのやりとりを聞いていた少女の黒い瞳が大きく見開かれ、次第に涙が浮かんでくるのが見て取れた。
気丈にして見せていても、私達にどう反応されるかを恐れていたのだとちゃんとわかって、なぜだか心の底からほっとする。
彼女がこんな子だろうと予想していた通りの反応を見せてくれたことに、嬉しさが込み上げた。
……なんだい、立派な言葉を喋ったってやっぱり普通の女の子じゃないか。
「あんたも知ってるかい?そんな子ども達の話をさ」
こちらを見上げる華奢な身体をした少女に話を振れば、涙をぬぐって笑って見せたその子が話に乗って来た。
「……はい、昨日も見かけない顔の、食いしん坊の男の子が薬屋の女将さんを怒らせたそうです」
「まぁ、あの業突く張りのすました女を怒らせたって?そりゃあ、愉快だね。今度、その食いしん坊を連れといでよ。お菓子を用意して待ってるからさ」
少女は笑おうとして失敗し、ぼろぼろと涙をこぼしながら何度も、何度も頷いて見せた。
そして、傍らで今も泣き続けるシェラの背中を撫でて、語りかける。
「黄色の髪をした女の子は、あまーい物が大好きなんですって。大きくなったら、その食いしん坊な男の子とお菓子屋さんになるんだって、今から張り合ってるんです。お菓子が貰えるって知ったら、きっと喜んでやってきますから。……みんな元気で可愛い子達ばかりなの、本当に楽しみにしていてくださいね」
シェラは顔も上げられないほどに泣き崩れてしまっている。それでも、しっかりと少女の手を握りしめていた。祈るように両手を前に差しだしながら。
……大丈夫だよシェラ。こんな子が側にいてくれるんだ。きっとこの子の側にいる子ども達は、ノルンのように嬉しそうに笑っているはずさ。
みんながみんな、私らのような考えをする訳じゃないだろう。
だけど、獣雑じりの子ども達を気に掛けている者たちの存在を知っておいてほしいと、今やっと腹をくくれたのだ。
何の力もないただの職人の女房に、何がしてやれるわけでもないのは分かってる。でも、顔を知っていれば、いざという時に子どもらを背に庇うことくらいはしてやれるじゃないか。
少しずつ、少しずつ、距離を縮めていこう。
この少女が、そうやって私らと距離を縮めようとしていたように。