試し引き
「ちゃんと、お兄ちゃんお姉ちゃんの言うことを聞いてね。もし、迷子になったら絶対にその場所から動かない事。必ず迎えに行くから、時々何か音を立てたり歌ったりして待ってて。約束だよ」
昼食の片付けが済み、わたし達の手が空く頃には騎士たちが忙しそうに弓を並べていた。
そのうちのいくつかは見覚えのある物で、少し前にバルドと街で買い求めた弓だとわかるが、半分以上は見たことのないものが並べられている。
整然と並べられていく弓に気を取られている間に、午後の調査へと向かう一行の仕度が終わっていた。
騎士と薬学者達の後ろに二列になって並んでいる子ども達は今、ウキウキとした様子でわたしからの注意事項を聞いている。
「「「「「「「「 はーい! 」」」」」」」」
ここのところ、何だかんだと理由を作っては少人数ずつ街にくりだしていたので、集団行動も慣れたものだ。
いつものごとく年長者と幼い子の組み合わせで、本日のウカの横には赤毛の彼女が目を光らせ見張ってくれている。
ついさっき不思議体験をしたばかりだというのに、二つ目のズタ袋を手に持つウカは晴れやかに笑いながら、次はもっといっぱい収穫してくると意気込んでいた。
「いってらっしゃい!お土産待ってるからね」
いってきまーすと手を振ってくれる子の中には年長者の姿もある。最近ようやく距離が縮まって来た彼等とも、これからはもっとお喋りしていきたいものだ。
そして、ほんのちょっとでいいから撫でさせてほしいと密かに狙っている。
時々、着替えの時に目にする背中の羽とか、尻尾とか、耳とか角とかとかとか。
「アズサ殿、あの子ども達の背中に背負われている、ボロ取り用のスコップはなんですかな」
「はっ。……あぁ、バルドさん。もう、驚かせないで下さいよ。妄想がはみ出したかと思ったじゃないですか」
「…………。」
遠ざかって行く子ども達の背にはスコップが背負われている。それが木の実採りには必要ないのでは、と言われているのだと気付いて思わずほくそ笑んだ。
わたしも確信があるわけではないのだが、前回、日本の山で見慣れたハート形の葉っぱを持つ蔓草を見かけて、ずっと気になっていたのだ。
「この世界に本当にあるかどうかは判らないんですけどね?」
と前置きして、山芋の存在について熱く語っているところに、準備完了の知らせが届いた。
今回、弓の試し引きをあまり多くの人に見せない方がいいという判断がなされ、当初から午後は子ども達みんなが山遊びに繰り出す予定だったのだ。
まぁ、それが待ちきれなくてダダを捏ねたウカがやらかしたわけだが。
バルドは護衛の人数を増やして子ども達を送りだしてくれていた。泉から離れればそれだけ浄化の力が薄くなって魔獣と出くわす率があがるのを見越しての対応だそうな。
……危険だから止めろ、とは誰も言わないんだよね。
騎士団の人達はみんな、国中を廻って施設の現状を目の当たりにしている。
施設の子ども達が滅多に外に出られない現実に心を痛めてくれている人の多さに驚き、心強い理解者の存在に嬉しくなった。
「アズサ殿、水臭いですよ!子ども達の護衛ならば、俺達に任せてください!貴方には貴方にしかできない事があるのですから!!」
「私どももこの剣に誓ってお約束いたします。子ども達の安全はか・な・ら・ず、お約束いたしますから!何卒、何卒、陛下と団長の事を宜しくお願い致します!!」
……騎士団の人って、本当に真面目でいい人ばかりだと思う。
あんな俺様王様と脳筋バルドの為にこれほどの忠義を見せるとは。
わたしの手をがっしり掴んで揺さぶって去って行く彼らの男らしさに胸が熱くなる。
準備が整ったと呼ばれた場所では、いつの間にか天幕にかかる紗の方向が変わっているのに気付いた。あの中でティア王女が見てくれていると思うだけで、やる気がわいてくるのが不思議だ。
目前に置かれているのはクロス・ボウに近い形をした弩。
その横には、明らかに骨だとわかる素材や獣の皮が使われた複合弓と呼ばれる弓がある。それは人骨にしては小さすぎる物だった。
……サル?猿なの?でもでも、この髑髏ってわたしの知ってる猿の頭より格段に小さいんですけど!?
ゴルフボール大の髑髏に畏れ慄きつつ、その隣に目を向ける。
髑髏弓の横に鎮座するには、どうにも不似合いな弓。『どこのお宝ですか』と言いたくなる金銀宝石のあしらわれたまばゆい光を放つ弓がちらほらと並んでいた。
……あれはもう武器じゃなくて装飾品だよね?
さらに向こうの方に並べられた弓をちらりと見て悪寒を覚えた。
……うん、あんまり深く考えず流されるまま作業に没頭しようかな。無心、無心、無視……。
「ここに集めたのは、辺境部族の弓から国宝まで、現状、用意可能な全ての弓を持って参りました」
……いま、国宝っていいました?
恐る恐るバルドを見れば、イイ顔で頷いている。
間違いない、この男確信犯だ。
せめて壊れても替えのきくものをと懇願したわたしの配慮を返してくれ。
「アズサ殿、ここにある弓は全てティルグニア王に献上された品ですから、お気を楽にしてお試しください」
今、泉周辺にいるのは6人の騎士達とバルド、ティア王女とその兄、それからわたし。
こちらへ寄せられる興味津々という視線を居心地悪く感じながら、やるせない憤りをバルドにぶつけた。
「どうやったら気が楽になるんですか!ムリムリ、壊れても絶対に弁償できませんからっ」
前傾姿勢で地団太を踏めば、どこからともなく声がする。
「弁償などせずともよい。壊れても誰も咎めなどせぬ。どうせ、宝物庫で埃を被っていた品々だ」
天幕の中から聞こえた偉そうな声にぴくりとこめかみが疼く。やはり、この男とはどうにも価値観が合わない。最初から分かってたけどな!
「国宝は、国の宝であって貴方だけの一存でどうこうしていい物ではないでしょうが。代々の王様に怒られますよ」
「「 …………。 」」
バルドの背後で騎士達が妙に熱い面持ちで小刻みに頷いているのが視界に入る。
男どもの妙な間の後、咳払いをしたバルドによって騎士団の人達はその場を離れ周辺警護に向かって行った。彼らは少し離れた場所で護衛に当たるそうだ。
弓を手にしたバルドに促され、まずはお店で購入してきた弓から素引きすることが決められる。
恭しく差し出された弓に手をかけ、ずっしりとした重みに顔が引きつりそうになるのをなんとか堪えた。
取り敢えず、弦に触ったぐらいじゃ壊れないことを確認してほっと息を吐く。
かなり小ぶりな弓なのに予想以上の重みがあるのは、所々に使われている鋼のせいだろう。弦に使われている素材も、何やらテグスのような透明感のある太めのものだったりして何の素材なのか見当もつかない。
手に納まりきらない、ごつく角ばった握りを何度か持ち直し、納まりどころを探った。
姿勢を正して深く呼吸する。
矢束をわたしの限界一杯に押し、ぎりぎりと懸命に弦を引く。何の罠なのか、一定以上引くと途端に強さの上がるこの弓弦。
いつものような感覚を待つ余裕もなく、すぐに腕がぷるぷるし始めてしまう。
結局引ききることなく、我慢の限界に達した弦を離すとバインという訳のわからない音と共に両腕に激しい震動が伝わった。
かたちだけの残身をとるわたしの頬に、木々の間を吹き抜け泉の水面を渡って来た風があたり、涼やかな水の香りを運ぶ。
そこに響く鋼の音。
『ガランガランガランガラン……』
「「「「「「 ………………。 」」」」」」
「ふ―――…」
風に乱れた前髪を撫でつけ、みんなを振り返る。
ごめんね、やっぱり無理だった☆……そう言ってしまえればどんなに楽だろうか!
みんなの沈黙が痛い。
地面に落ち、虚しく響いていた弓の音も止んでしまえば、周囲の沈黙が重くのしかかった。
こちらのことなど気に留めず、平然と足元に転がった無骨な弓を回収したバルドに、無言で差し出される次の弓。それに手を掛け、『あ、これも無理』と感じたその感想をみんなに言ってしまいたい。
わたしのために用意された数十張りの弓の圧力を感じながら、何かが起きるどころか左手の持ち手さえ支えきれずに無様に形崩れていく姿勢を、必死に立て直し黙々と試し引きを繰り返す。
試し引きが二十張り目の弓に差し掛かろうという時、救いの声がかかった。
「アズサ殿、ここで少し休みましょうか」
「……ハイ」
がっくりと肩を落とし、休憩場所にと天幕の中を示されたわたしは、大人しく従うほかない。
わたしが天幕に入ると同時に周囲がザワついた。
「おい、この前のアレ今日はやらないのか?」
「俺、ちょっと楽しみにしてたのになぁ。なんか、あの時は悶絶するほど痛みが酷かったのに帰ったら調子が良くなっててさぁ」
「あ、それわかる。俺もなんかこう、スッキリ?気持ちが晴れ晴れとして嫁との喧嘩が減ったんだよな」
……わたしの素引きは、足ツボかなんかと同じですか。マッサージ的な癒し効果があったと?はい、そうですか。どうでもいいけど、貴方達離れて護衛につくって言ってませんでしたかねぇ!
もうどうとでも言ってくれ、と半ばヤケクソになりながら天幕の中を見渡す。
天井の中心から放射状に少しずつ明かりとりの空けられた布の間から差し込む光が天幕の中を少し明るくしているが、外に比べて大分暗い。
12畳ほどの広さのある天幕には、紗幕の前に陣取っている長身の男しか見当たらなかった。
「ティアさんはどこに?」
わたしの癒しがない。
チビちゃんはお出かけ中だから諦めるしかないが、わたしの癒しが無いならここにも用はない。と、外に出ようとした時、ティア王女が視界に現れた。
何もないと思っていた天幕の中央には厚手の絨毯が敷かれ、いくつものクッションが置かれている。クッションの一部になりかけているふわふわの癒しがそこにいるのを見とめて、喜びが湧き上がった。
「アズサ様、御苦労様でございました。さぁ、どうぞお座りになってくださいませ」
すすっと距離を詰め、そそっとティア王女の隣に座った。彼女の横に陣取って癒しスペースを確保し、絨毯の模様を指先でぐるぐると辿りながら、イヤミンの言葉を待つ。
「どの弓もそなたの力を発現させるには及ばぬようだな」
「ハイ、ソウデスネ。モウシワケアリマセン」
「アズサ様、なぜカタコトに……?」
驚いたようなティア王女に申し訳なくて、身を小さくしながら正直に話した。
「――握りが違うのですか。そう、一目ご覧になっただけでダメなものがお分かりになるのですね?……ならば、なぜバルドにそう仰られないのですか」
心底不思議そうに首を傾げるティア王女……かわいい。
少し元気をもらって、買い物の時に持つだけじゃなく、ちゃんと真剣に考えて見れば分かった事なのにそれを怠って用意させてしまったことを反省している、という旨を聞いてもらった。
「馬鹿馬鹿しい。そのような気遣い、あいつには無用だ。どちらかといえば、無駄な事をして時間をつぶしている現状の方に不満を持つのではないか」
「―――はっ!?」
またまた日本人気質が発動していた。
気を遣っているつもりが、相手に不信感を抱かせてしまうとは。
はっきり物を言わないのは日本人の美徳でもあるが、悪いところでもある。察するというスキルは高くなるけど、はっきりと物を言わないのは相手に失礼になるし、自分の不利益になることもある。
……いけない、いけない。はっきり、きっぱり、セールスお断り!詐欺ダメ、絶対!
「ちょっとバルドさんと騎士さん達に言ってきます!多分、全部ダメだって!!」
「……全部、駄目だったのか」
慌ただしく席を外したわたしはティア王女にいつもの元気がないことに気付くのが遅れた。
午前中の元気がなくなってしまった彼女は、毛並みが少ししょんぼりしていたというのに……。
「そうですか、わかりました。では、取り敢えずどの辺りが駄目なのかというくだりから伺いましょう」
「はい、まず鋼、骨、その他装飾全部ダメですね。違和感しか感じません。持ち手にわたしの手が回らない弓はもちろん、バカみたいにこってり装飾されて重たい弓なんてありえない。ついでに言えばあの辺とあの辺、触るのもイヤな弓が何張りか混じってますけど、なんでしょうねアレ。見ているだけで気持ち悪くなります。どっか見えないところにしまってもらえませんか?」
「ふむ、承知致しました。おい、いまアズサ殿が示した弓を片付けておけ。それから、握りの太い物も片付けろ。華美な飾りで重量の重くなっている弓もだ」
木の影から見物していた騎士の人達に、鋭い視線を送ったバルドの指図により、ほとんどの弓が片付けられていく。その中、どこかで見たことのあるような弓だけがその場に残された。
「……本当に、あの時に私がもってきた弓が一番最適な弓だったのですな」
そう感慨深そうに言ったバルドは目を輝かせている。なぜだ。
そこに並んでいる弓は全て木製。複合弓と呼ばれる雑多な素材の使われた弓は武器としての性能は高いらしいが、わたしにとっては何の意味も持たないものだ。
……むやみやたらに弓を破壊することにならなくて良かったけどね。
「ここにある弓も、素引きしてみますか?いくつもないからすぐに終わるし」
「一応お願い致します。だが、気落ちされぬよう。駄目だと分かっていてこちらがお願いしているのですから」
こくこくと頷いて残った弓を素引きしていく。弓の握りは悪くない、素引きしたあとの弓返しは出来ないが和弓とは違うのだから仕方ないとわかっている。
前回わたしが壊してしまった弓が本当に奇跡的な一品だったのだと改めて思った。
「どうして弓を創ろうと思ったか、ですか」
予想通りの惨敗結果の後、危惧していた弓の大量破壊は回避した。
だが、何のためにここへ大量の弓を運ばせたのかという苦悩に身をよじりつつ、バルドと反省会という名のお喋りが始まる。
弓の出所を聞くと少し目を泳がせたバルドがいつになく言い淀み、恥ずかしそうに口を開いた。
「私が幼少の頃、母方の祖父から鍛錬のためにと頂いた手作りの弓を懐かしく思っているところに、いい流木を拾いまして……」
国境警戒にまわっていた時、川岸に流れ着いた流木を見つけて持ち帰ったそうだ。弓なりに曲がったフォルムを見てこれで弓をつくろうと思ったらしい。
「さっき見せてもらった弓はどれも弦が違う素材のようでしたけど、あの時の弦は何の素材だったんですか?」
泉のふちに腰を下ろして話しこんでいるわたし達の向こうでは、暇になった騎士達がちょっと弛んだ空気の中で警護に当たっている。
「あの弦は、我が家の作業場にあった物を使っただけで素材のもとがわからないのです。手元に残った切れ端はシャムロック爺に見せましたが、駄目でした。あらゆる素材に精通している爺でも分からないそうで」
一応もっと調べたいからと言って素材探しの旅にその弦も持って行ってしまったらしい。
通常の弦は強く弾力のある蔓草を加工したものや生き物の一部を使っているものが多いらしく、それが何から創られているのかというのは部族ごと、工房ごとの秘伝なのだという。
日本でも一子相伝の技術やらなんやらがいろいろとある。技術を必ず残す、という意味では心もとないが、秘匿する事で得られる物もあるのだとバルドは言う。
なぜお兄ちゃんに弓をあげようと思ったのか、という話になると彼は優しい顔になった。
「人を助けることを当たり前に行えるあの少年にならば、弓という武器も悪くないと思いましたのでな」
思いがけない言葉に目を丸くするが、そういえば、お兄ちゃんとチビちゃんを助けたのはこの山付近を巡回中のバルドだったと言っていたのではないか。
「じゃあ、あの弓はもともとあの子のためにつくってくれたもの、だったんですね。うがぁ!わたし、本当にとんでもないことを……!!」
頭を抱えて唸るわたしの背中をバルドがたたいて慰めてくれる。
「あまり気になされますな。あの弓の犠牲があったお陰で、我々はこうして浄化への一歩を踏み出せているのです」
そう言って笑う彼は、こっそりと教えてくれた。
「それに、あの少年に贈る弓はもう用意してありますから。シャムロック爺が出かける前に届けてくれましたので、離宮へ戻ったら渡すつもりでおりますよ。私の使い古しですが、品はいいものです。何せ、名工と謳われた祖父の創った一品ですからな」
「それって、バルドさんが子どもの時にもらったっていう弓ですか」
「ええ、その弓は先程アズサ殿が駄目出しされた複合弓にあたる部類です。これで心おきなく彼に譲れますよ。あの俊敏さに、弓を扱える力が上乗せされれば、その分守りたいものを守る力になることでしょう」
今回の試し引きにも一応その弓を持ってきてはいるが、出そうかどうしようか、流石のバルドも悩んでいたらしいとわかってつい笑ってしまう。
脳筋だけの男じゃない、とまた一つ彼への好感度が上がった。
話も一区切りがつくと、天幕のある方へと目を向け、あのあまり明るいとは言えない天幕の中でクッションに埋もれ佇む彼女の姿を思い出す。
「ねぇ、バルドさん。せっかくティアさんもここまで来たんだし、泉の周りだけでも散策させてあげられないですか」
「……そうですね、調査隊が戻るまでにはまだ時間もありますし、出来ないこともないでしょう。王女殿下と主に伺ってみましょうか」
「はい、ぜひ!」
そうして、ティア王女のお散歩が実現することになり、泉の周りにいた騎士達は今度こそ、離れた場所から泉を取り囲むような隊形をとって警護についてくれることになった。
「ティアさん!?どうしたの、なんだか元気がないよ?毛艶にもいつもの輝きが……!?」
「まぁ、アズサ様ったら。わたくしの毛はいつも通りの濃紫ですわ。輝いていたことなどございませんのよ?」
そう茶目っ気たっぷりに言う彼女の姿は普段通りのティア王女だ。でも、毎朝のブラッシングと言う名の毛繕い権を獲得したわたしには隠しても無駄!
恐る恐るというように天幕から陽の光の下に出てきた彼女のもとへ駆け寄り、跪いた。
「ダメだよ、隠していてもわかるんだから。つらい時はつらいって言って」
彼女の艶を失いつつある毛並みにそっと指を通して撫でると、心細そうに眉を下げたティア王女のアメジストの瞳にわたしが映る。
「アズサ様には敵いませんわね。自分の心も隠せないなんて、淑女失格ですわ」
ぽつりと呟き俯いた彼女の瞳からこぼれた水滴が、乾いた地面にしみ込んだ。
うん。ティアさんを悲しませた原因、ぶっとばす!!
「外に出るのが怖いんですか?」
そう問えば、首を横に振られる。
「あの男どもに、何か言われたんですか?」
「……アズサ様、そのようにお怒りにならないでくださいませ。わたくしは臣下としての義務を怠り、お兄様に御迷惑をお掛けしたのですから」
事のあらましを聞いて彼女の落ち込みを理解した。
ティア王女の提案でナグを通し、困っている妊婦さんを助けようと動いたことに、手順の不手際があったらしい。
しょんぼりと猫背に拍車のかかる彼女を抱きしめてゆっくりとその背を撫で、わたしなりのエールを送ることにした。
「今が頑張り時ですね」
わたしの言葉に意味が分からない、と視線を上げた彼女にニヤリと笑って言葉を続けた。
「ティアさんはこれからどんどん王女としてのお仕事を覚えて行くんでしょう?今までお兄さんの役に立ちたい、支えたい、この国に住む人達をもっと幸せにしてあげたいって努力してきたことが、これからの貴女の力になるはずです。新しいことに挑戦する時、失敗は付き物ですよ。これから、国政に携わって行くために必要な知識と経験を積んで行くんですもんね」
「わたくしが、国政に……?そのような事、出来る筈がございませんわ。このような身で……」
心底不思議、というような彼女の様子に力強く答える。
「見た目なんて関係ないでしょ?ティアさんはこの国になくてはならない存在だと思います。女性の気持ちを解さない、我が道を行く男どもには絶対に考え付かないことが、貴女にならわかる。……前にも言いましたね。やりたいことがあるなら、出来ることから見つけて行けばいいって。今、ティアさんのやりたい事は何ですか?」
ハッと目を瞠った彼女が、以前交わした会話を思い出すかのようにしばし沈黙したあと、目を合わせ、言葉を紡いだ。
「……わたくし、わたくしは――…みんなの役に立ちたい。もう、隠し守られているだけのわたくしでいたくない……」
不安に揺らいでいた瞳に強い光を湛えて、そう告げる彼女の強さに自然と笑みがこぼれる。
「よく言った!それでこそ、わたしの自慢の友達だよ!ティアさんカッコいいっ」
王女様、だなんてことをすっかり忘れてワシャワシャと撫でくりまわすわたしに、ティア王女が目を回しそうになった頃。頭上から手が伸びて彼女を攫って行った。
「我が妹姫をもみくちゃにし過ぎだ。手加減してやれ」
溜め息を吐きながらティア王女を抱え上げた王様は、彼女の乱れた毛を撫でつけて毛並みを直している。
彼女を見つめるその瞳には慈しむような感じがあった。
「お株をすべて奪われたようだな。ティア、これからはお前にも帝王学を学ばせたいと考えている。今までのように心易きもの達とだけ関係を持つのでなく、万民の上に立つ者としての視点を持って私を支えてほしい」
「お兄様を、支える。それは……」
「私と同じ視点に立ち、国政に携わって行くということだ。自由に動くことの出来ないお前には苦労も多いだろう。これより先、そなたを教え導き、鍛え、支え、手足となる者たちを側に置く。……その筆頭に立つのはアニヤだ」
王様に抱きあげられたまま話しこんでいるティア王女の瞳に力が籠って行く。力強く肯き、自分の進むべき道を見据えた彼女からは、光が放たれているようだった。
「うぅ、ティアさん。よかった、よかったね!何だか、ティアさんから後光が差して見えるよっ」
「あれは後光ではなく、王女殿下自身の輝きですな」
いつの間にか横に立っていたバルドを見上げれば、また小さい子の成長を見守る父性本能(?)丸出しの顔をしている。目の端にあるのは涙だろうか。
……貴方、わたしと一個違いですよね……?
今回ばかりはわたしも同じ顔をしているだろう事がわかるので敢えて口に出しては突っ込まず、もう一度ティア王女に視線を戻し光源を見つめた。
「あ、本当だ。ティアさんの毛色が変わってる……。紫銀?光っているのは彼女の毛並みなんですね」
彼女の濃い紫色をした長毛の毛先が揺れ、きらきらと銀色にきらめく光が生まれている。陽を浴びて透けるような輝きを放つそれは、彼女の兄と同じものだった。
「王女殿下のお母上、前王妃もそれは美しい銀色の髪をお持ちでした。銀髪は魔力を帯びている証。今は亡き妃殿下の血を継ぐお二人は、この世界で最高位の魔力保持者です。……これは、行く末が楽しみですな」
くつくつと笑い始めたバルドが獲物を品定めするかのように王女殿下を見ている!
脇腹にグーパンをお見舞いして、バルドを睨みつけた。(ちっ、硬い)
「ティアさんを無駄に試そうとするのは止めてくださいね?彼女の邪魔をするようなら、容赦しませんよ?」
それを受け、目を丸くしたバルドは豪快に笑って、わたしの頭をぽむぽむとたたき目を細めた。
「王女殿下は力強い味方を手に入れられましたな。私のこの性格は代々、素材を見定めてきた種族の本能とでも申しましょうか……。御不快に思われたのなら申し訳ないことを致しました」
「種族?」
「えぇ、正しくは母方の種族ですね。ほら、シャムロック爺、あれが我が母の故郷にいる典型的な性質です。私は父の血を色濃く継いでおりますようで、あまり見た目には人族と変わらないのですがね。……いつか、アズサ殿にも我が故郷に足を運んで頂きたいものです」
「へぇ、どの辺りにあるんですか?」
「ティルグニア西南に位置する鉱山地帯、この世界の中央山と西国ファフニアに挟まれた場所にあります。王都から馬で三週間程度かかりますね」
「……遠いよ」
「ハッハッハッ!遠いですよ。だが、その分南に近くなるので暖かく、農作物にも放牧にも適した土地でして、家業以外にも手広くやってますな。是非、アズサ殿には地元の美味い物を振舞って差し上げたい」
チーズにお肉に山の幸・川の幸、それから地酒と聞いて、涎を垂らさずにいられようか、いや無理!
「行きましょう、その場所へ。食べましょう、地元料理!」
未知の郷土料理に目を輝かせ、涎をたらしながらそう伝えている所に、不機嫌な声が聞こえた。
「……勝手にどこかへ消えてもらっては困る。どこかへ向かうのならば、必ず私と共にだ」
両腕を組んでおかしな威圧感を放っている王様を放置して、ティア王女へと視線を向ける。地面に下ろされて一人、凛と立つ彼女は今も紫銀に輝いていて誇らしげに微笑んでいた。
「ティアさん、その色、すごく素敵です。お兄さんと一緒ですね」
「えぇ、そうですわね。……アズサ様には以前弱音を吐いてしまったから言い繕いも出来ませんわ。ふふふっ、わたくし、この身に銀を纏うことが幼いころからの憧れでした。何もしていないのに、叶えたい願いがひとつ叶ってしまいましたわ」
「今まで身の内に閉じ込めていた魔力が一気に放出されたようだな。今日は早くに休んだ方がいい。バルド、私は一度ティアを離宮へ送り届け、また戻る。……留守を頼んだ」
ちらりとこちらに向けられた視線で、何も騒動を起こすなと言われたような気がしてムッとする。
……言われなくても、ティアさんに心配をかけるような事しませんよ――っだ!
心の中で舌を出し、あれ、と気付く。
「ティアさんも、わたしと同じように魔力酔いを起こす可能性が高いってことですか?」
紫銀を身に纏う彼女を抱き上げてみれば、心なしか目元が潤んでいる。身体もポカポカしているようだ。
わたしの問いに頷いた王様は、わたしの手から彼女を抱え直して数歩下がった。
「折角の外出だったが、また日を改めて出直そう。これから熱が上がるだろうから今日はこれで終いだ。いいな、ティア」
「お兄様のご随意に」
軽く頷いたティア王女がお兄さんの胸に頭を傾け身を預けた。一瞬の後、足元から舞い上がった風に身体を包まれた二人の姿はもう、その場にはなかった。
「……瞬間移動もできるんですか」
「えぇ、あれは転移魔法ですな。我が主の魔力操作に今のところ不可能はございません。使い過ぎると少々問題が起こりますが」
言葉を濁すバルドに気付いて、俺様王様の様子を振り返って見た。
……あぁ、例の縮んでた時って魔力が少なくなってたのか。
そういえば、ここに着いて早々魔力枯渇がどうのこうのと聞いた気がする。それでも記憶を元に戻せと言った結果があの騎士見習い姿だったわけだ。
……魔力が足りなければ省エネモードで身体を縮めるって、どんだけ?
銀髪を持つ王様の武勇伝を熱く語るバルドの話に耳を傾けながら、みんなが戻って来るのを待つ。
その後、いい調査結果が得られてご機嫌な薬学者さんを筆頭に、泥んこになって野山を堪能した子ども達と沢山のお土産を抱えて帰路についた。
結局こちらに戻って来ることのなかったあの人だが、あちらはあちらで色々と忙しいことになっていたらしい。
そして、その事をきっかけにわたしの生活が一変することになるのだった。