召喚
わたしこと、守永 梓は仕事からの帰り道にコンビニへと立ち寄っていた。今週も頑張った自分へのご褒美にコンビニスィーツを買うのはささやかな週末のお楽しみ。
まだ日中は暑さの名残で汗をかく季節。だけど、日が沈んだ途端に涼しい風が吹く。暑さを追い払うように頬に当たる、夕暮れ時の風が心地よかった。
先日、憧れのベリーショートにカットしたばかりの首元がスースーする。
だけど、それもまた新鮮な感じがして嬉しかった。
小柄で子どもに間違えられやすいわたしが髪を切った事で、更に性別まで間違えられるようになったのには大きなショックを受けたのだけれども。
職場でも散々いじられて、園長には『園児と見間違えた』といわれ、保護者には笑いながら『誰かの兄弟が交じって遊んでいるのかと思った』などというひどい感想を告げられて、もうしばらくは誰の感想も聞きたくないと心を閉ざしたわたしを誰が責められようか。
しばらく園長とは口利いてやんない(姿を見たら逃げる)と心に決めている。
コンビニのエアコンの風で、白いブラウスの肩口についた控え目なフリル袖がさらさらと揺れた。デニム地のクロップドパンツから覗く足首にも過度な冷気を感じて、そろそろ衣替えしなきゃダメだと思いながらレジの列に並ぶ。
会計を終えれば後は家にまっすぐ帰るだけ。
好物のまんまるバナナに思いを馳せ、ニヤけた顔で自動ドアを通り抜けようとした時、前に人影を感じた。
それを横に避けて進むと突然、目の前に壁が現れとっさに足を止める。
あれ、こんなところに壁なんてあったっけ?と、レジ袋に向けていた視線を正面に向け、左右に目を走らせた。
目の前には、切り出した石をそのまま嵌め込んだような石壁が並んでいる。その隙間からはひんやりとした空気が漂っていた。
暗い室内の奥には、人の頭ぐらいの高さに炎が揺れているのが見える。
恐る恐る、後ろを振り向くとそこにコンビニの建物はなく、見覚えのない薄暗い空間が広がっていた。
四方を石壁に囲まれた暗い室内。四隅には松明のようなものが置かれ、それだけがこの場所の光源となっている。微かな獣臭さと木が燃えてはぜる音。
まだ突然の暗さに目が慣れず、瞬きを繰り返した。
心臓の鼓動がやけに大きく感じる。
臭くて生ぬるい空気がねっとりと肌にまとわりついてくる。突然感じた嫌悪感に、吐き気が込み上げ脂汗が滲む。
くらりと脳が揺さぶられたような不快感。それと合わせて視界がまわる感覚に顔を歪めた。
「……何、ここ?」
「――――ここは、ティルグニア王国。ようこ…」
「ぎいゃぁぁ―――――――っっ!!!?」
いきなり人の声がして、飛び上がって驚いた。
壁にしがみつく様にして逃げるが、パニックで先に進めない。
「……おい、落ち着…」
「いぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」
必死になって松明のところまで逃げた。あたり構わず振り回していたわたしの荷物やレジ袋は、どこかへ吹っ飛んでいったがそんな事にかまっていられない。
石の壁を叩きまくったが、逃げ道なんて出て来ない。
「…………。」
「ヤダヤダヤダぁ、来ないで、来ないで、あっち行って!!出して…、出してぇぇ……!!」
壁を叩きながら角まで逃げて、行き止まり。行き場を失くしたわたしは完全にパニックに陥って、大号泣。
本能のままに喚わめき散らし、叫び続けた。
わたしのパニックを余所に、暗いのヤダとかオバケ怖いとかいう単語を聞き取ったらしい何処かの誰かさんは、部屋を明るくしてくれたようだ。
冷静な誰かとは反対にわたしは明るくなってもすぐには涙が止まらず、ぐしゃぐしゃな泣き顔は涙と鼻水で酷いことになっていたが、どうしようもない。
動転していた気持ちが少し治まってからもしばらくしゃくり上げ、周りを気にする余裕ができた頃には体育座りで顔を足の間に伏せていた。
暴れまくって泣き疲れた体は重たくて、壁に打ち付けた両手がじんじんと痛む。先程からずっと続いている眩暈と吐き気も治まる気配を見せず、身体を動かすのも億劫だった。
どのくらいの時間が経ったのだろうか、涙は止まり、呼吸も落ち着いてくる。
泣いて発汗した汗はもうすっかり冷え切っていた。
しばらくは顔を上げないまま、耳に届く木が爆ぜる微かな音を聞いていたが、ぼんやりする視線をもち上げて部屋の中を確認すれば、正面の壁に寄り掛かっている男を見つける。
相手に動く気配はない。距離が開いているおかげか、少し恐怖心が薄らいだ気もした。
四方を石壁に囲まれたこの部屋には、窓もドアも見当たらない。
室内での松明を不自然に思うが、冷たい隙間風が流れてくるので換気は大丈夫なのだろう。
すっかり明るくなったこの部屋の光源を探してみたけど、天井には電球なんてない。なのにさっきまでの薄暗さがウソのように室内が明るい。
ただ、室内の中央上部あたりに一際明るい場所があるのが不思議だ。何もない場所から光が発生しているように見えてならない。
光に照らされて輝く男の髪は、濡れたような長い青銀髪。無造作に後ろへ撫でつけるような髪型だ。
不思議な金緑色をした切れ長の瞳がこちらを静かに見据えている。
鼻筋の通った端正な顔立ちに、何の感情も窺えないその表情は、他人を近づけさせない雰囲気があった。
青地に銀糸で刺された精緻な刺繍が目に入る。着丈の長い詰襟のコートには気品があり、男の印象を更に冷たいものに見せていた。
「……ここは、どこですか」
泣き枯れた喉に力をこめて尋ねてみる。
わたしがぼんやり見ていた間もじっと動かずにいた男は、視線を逸らさずに壁に預けていた体を起こし佇まいを正した。
きれいな所作だと感じつつ、こちらを冷めた様な目で見下ろす長身な男の動きを目で追った。
「ここは、ティルグニア、ティルグニア王国の王都ティルグだ。ようこそ、異世界からの救世主よ」
「………?」
首を傾げ、耳を素通りしていった言葉に思う。
「ああ、外国語か……。すみません、言葉が分かりません。誰か日本語を話せる人いませんか」
眼前に立つ男が可哀想なものでも見るかのように口を開いた。
「私にはそなたの話す言葉がわかるぞ?魔法による干渉をしなくても言葉が通じるのは不思議だが、都合はいい。そなたの話す言葉はこの国の言語と同じようだ。ニホンゴという言葉はわからぬが、そちら特有の言葉なのではないか?互いの国の言葉にないものはその意味を教え合うほかないが……」
「…………。」
……どうしよう、言ってることが分かるような気がする。
相手はどう見ても外人さんだ。
横文字の入った言葉を聞けばすべて外国語に聞こえるのはお約束。でも、言っていることが全部理解できてしまえば、それ以上逃げる言葉が見つからない。困った。
だがしかし、目は合わせないようにしとこう。
そう心に決めて聞き耳を立てていると、反論がない事を判断材料にされたのか、理解していると知られてしまったようで話しが続けられてしまう。
「大きな問題はなさそうだな、そなたが聞く耳をもたないだけだろう。その控え目な頭が理解するまで何度でも繰り返そう。異世界からの救世主よ、今、そなたがいるのはティルグニア王国の王都ティルグだ。この部屋は、召喚のために造った塔の中にある」
「何を言っているのかわかりません!」
「……………。」
ごちゃごちゃと訳のわからない話を始めた男を半眼になって睨みつける。すると、男が目を細めてこってを見ていた。怖い、なんか視線に冷気を感じる。
……あ、目を合わせちゃった!
自分でやってて悲しくなり、重い溜め息がでた。
だんだん乾いてきた涙と鼻水が、かぴかぴになっている。周りを見回し、鼻水をすすりながら散乱していた自分の荷物を回収に向かった。
のっそりと立ち上がり、まずはティッシュを探す。
まったく、召喚とか意味分からん。召喚なんて言葉、ゲームの中でしか聞いたことないわ。それも召喚魔法って変な生き物呼び出して変わりに戦ってもらうやつでしょ?わたしを召喚して何と戦わせるっつーのさ?
ぶつぶつ文句を言いながら散らばった荷物を拾っていく。
水色ストライプのトートバッグに回収した荷物を詰め終わり、最後に、無残な姿になってしまった愛すべきまんまるバナナをレジ袋の中に戻した。ついでに鼻紙も入れてしまう。
「……終わったか?そろそろ場所を変えてじっくり話をしたいのだが、そなたの使う召喚魔法とやらにも興味がある。どうやらこちらとは用途が違うようだが……」
この男、わたしの独り言に聞き耳を立てていやがったようだ。
「……昔やったゲームの話ですよ?あんまりゲーム自体やらないんで」
「ゲーム?遊戯に魔法を使えるほど、そなたの世界は魔力に恵まれているのか。ゲームで魔法を使う……か、魔力に余裕が出来たらやってみたいものだな。どうせゲームで召喚するなら変な生き物など呼ばずにもっと実用的で強い奴を呼んだ方がいいだろうに」
何やらくつくつと笑って黒い笑顔を浮かべている男から視線を外し、溜め息を吐く。
「何の話をしてるんですか……。召喚魔法で呼び出すのはゲームの中では伝説級のものでしょう?そもそも、架空のお話なんだし」
「架空?……ちょっと待て。そなたの国では魔法を使うのだろう?もちろん、そなたにも何らかの力があるはずだ……。私の喚び出しに反応したのだから」
「本気で言ってます?……そもそもわたしを呼び出したって何なんですか?わたし……」
ごくりと唾を飲み込んで、心の片隅に追いやって目を逸らしていた現実に向き合った。
「……わたし、誘拐されたんですか?」
覚悟を決めて質問したのに、また訳の分からない言葉で濁されてしまう。男はわたしの反応を見ながら一歩、また一歩と近づいてきた。
「……そなたをこの世界を救う救世主として、この場所に召喚した。誘拐という言葉は適切ではないが、そなたの任意なくこの場所に喚び寄せたのは事実だ」
その距離が近づくたびに、恐怖が足元から這い上がって来て喉がひりひりと引きつった。
ずっと感じている吐き気が酷くなって、目の前がちかちかする。
「み、身代金目的ですか?」
「違う。この世界を救う力のある者を喚び寄せたのだ。そなたに、この世界を救ってもらう手助けを頼みたい。異世界の力ある者よ、我々を破滅の道から救ってくれ」
手を背後の床について後退ると男は歩みを止めた。
わたしを無表情に見下ろし、紡ぎだされる平坦な声にうすら寒さを覚える。
……このひと、頭おかしい……?
「本当に、何を言ってるんですか?わたしに何の力があるって言うんですか。ゲームの中のように魔法を使えるとでも?ただの作られたお話の中でのできごとですよ?しっかりしてください!」
小刻みに揺れる唇を叱咤しながら、震える声で訴えてみたけど、彼の表情は変わらない。
「そなたの国には魔法が実在しないのか?」
「私の国だけじゃなく、世界中どこにも魔法なんてないんですよ!お願いだから、現実を見てください!わたしを家に帰して!!」
男は一つ溜め息を挟んで、淡々と話し続けた。
まるで落ち着け、と言われているような間の取り方だ。
「今回、そなたを召喚するために私が行使した魔法は膨大な魔力を必要とし、その準備のために一年以上の時間を費やした。故に、召還の準備を整えるためには同じ条件が必要となるだろう……。まずはそなたがどんな力を持っているのか知りたい。協力してくれ」
男がまた一歩距離をつめ、手を差し伸べて来る。
どうやらこの人は、本当に魔法があると信じ込んでいるらしい。
正気じゃないこの人と話しても無駄なんじゃないかという思いが頭をよぎる。しかも、わたしをすぐに帰す気がないのだという事だけは、男の言葉からも態度からも伝わってきた。
絶望感に目の前が暗くなり気が遠くなっていくような感覚がする。息が苦しい。
「わ、わたしに特別な力なんてありません」
「そなたには特別でなくとも、この世界では違うこともあるだろう。詳しくそなたの話を聞きたい。私は魔術を使う能力に長けているが、大切なものを救う力が私には足りない。そなたの力が必要なのだ……」
「わたしには出来ません……!わたしはただの保育士で、得意なことと言えば子どもの面倒をみることだけなんです!……魔法とか、貴方の言う力……とか、そんなもの知りませんから!」
埒の明かない会話に苛立って声を荒げるわたしにも、変わらず無表情で言葉を返す男。こちらのことを考えもしないようなその態度に腹が立つ。
「……子ども?」
その後も『お願いだから家に帰してくれ』と懇願するわたしを無表情に見下ろし、同じような意味のわからない質問を重ねてくる彼に、反抗する気力が段々と削がれていった。
ぽつりぽつりと質問に答える声が自分の物ではないような感覚の中、目の前が点滅するように暗くなっていき、わたしの意識は闇の中に沈んで行った。
目の前で身体を折りたたむようにうつぶせている異世界の子どもを、しばらく見下ろしていた。
先程まで質問を重ねていたが、いつの間にか応答がなくなったと思えばこの有様だ。
規則的に動く背中から呼吸は安定していると判断し、気を失っているだけだろうと推測する。
母の遺言を手掛かりに、やっとのことで召喚まで漕ぎつけたというのに。
現れたのが脆弱で今にも折れそうな身体をした子どもだったという事実に、少なからず衝撃を受けていた。
この子どもに何が出来るのかもまだつかめていない。
能力の解明までには時間がかかるだろう、と先程の様子を思い、溜め息が出る。
何か策を講じなければ無駄な時間を過ごすことになりそうだ。
どうすれば、話を聞く気になるのか。思いを巡らせ考えるうちに、使えそうなものが浮かぶ。
「子どもが何を、と思ったが……使えるか?」
そう一人ごちた後、目の前で倒れる子どもに伸ばした手を、触れる前に止めた。
止めた拳に力を込めて握りしめる。
しばらく逡巡したあと、意識を戻す様子のない子どもの肩口に手を置いて、魔法を行使した。
魔法の発動によって石床の上に起きたつむじ風。二人を取り巻く大気が波打つ螺旋を描き、中心にいる存在に一時の浮遊感を与える。
渦をまく大気の動きと共に部屋にあった灯はすべて消え去り、暗闇に包まれた私達二人は召喚の間から姿を消した。