職人街
足を踏み入れた工房通りには、武具や防具、アクセサリから金物雑貨までを置く店が軒を連ねていた。これは槌を打つ音だろうか、一定の間隔で金属が打ち鳴らされる音がそこかしこから響いている。
あちこちの工房の屋根から上がる黒い煙。あたりには薪の焚かれる匂いだけでなく、熱された金属の発する独特な匂いが漂っていた。
何軒かの工房を通り過ぎる間にも、並べられた剣や盾、防具などを見つけた子ども達が目を輝かせて店を覗いている。
どうやら目的の工房に行きついたらしく、バルドが足を止めこちらを振り返った。後ろから工房を覗きこむと、白髪のまじったさび色の髪を短い三つ編みにした職人が一人座っている。
こちらに背を向けている小柄だががっしりとした男性は、汚れた布を手に何かを磨いていているようだった。
「シャムロック爺、邪魔するぞ」
バルドが声をかけると、その声に気付いた男性がゆっくりと振り返った。
思いのほかずんぐりとした男性の体には、服の上からでもわかるほどに筋肉が盛り上がっていて、顔に刻まれた深いしわが年齢の高さを感じさせる。
わたしと並んでも同じくらいの身長であろう老人は、声を掛けたのがバルドだとわかったとたん、嬉しそうに色黒の頬を赤くして相好を崩した。
「バルド様!よういらっしゃった。今日は何をお求めかの?預かっとる弓はまだ仕上がっておらんのじゃがのう」
長い時間、作業に没頭していたのだろう。シャムロック爺と呼ばれた老人は、固まった膝と腰を億劫そうに動かして立ちあがった。
「いや、そちらは急ぎではない。それとは別件で子ども用の弓を見せて貰いに来たのだ。合うものが無ければ一から作ってもらうつもりでいるが、頼めるか?」
バルドの言葉に一瞬虚をつかれたようなシャムロックだったが、後ろに並ぶわたしや子ども達に気付くと笑みを深めて中へ入るよう勧めてくれた。
「あぁ、これはこれは。今年はこんなに才気あふれる見習い達が集ったんですのぅ。ここ数年、騎士見習いが姿を見せませなんだが、爺は安心しましたよ。バルド様」
「いや、すまんなシャムロック爺。この子達は騎士見習いではない。……そう、社会見学なんだ。今はこの街の様々な仕事場を見せてまわっているところだ」
「……ほぉ?よくわかりませなんだが、この工房を見に来たということですかな?」
首を傾げるシャムロックに、重々しく頷いたバルドが目的を繰り返した。
「見学させてもらいたいのも用件の一つだが、本来の目的は弓を買い受けることだ。既存品が無いのであれば、こちらにいるアズサ殿に合う弓を打ってもらいたい。矢はいらぬ、急ぎ弓だけ必要なのだ」
視線でわたしを示したバルドに気付き、わたしもシャムロックに向かいぺこりと頭を下げて挨拶する。
「はぁ?矢はいらぬ、とな……」
一瞬こちらに視線をよこしたシャムロックだったが髭をしごくと、探るようにバルドを見た。表情は笑顔だが、目が笑ってない。
「何か、事情がおありのようじゃな。まずは一服どうじゃろう。その間に、若い奴に頼んでこのあたりの工房を子ども達に見せてやればよかろう?」
それまでの好々爺とした笑みのまま鋭い視線を送って来るシャムロックの様子に、バルドは溜め息を落とし頷いた。老獪な笑みを深めたシャムロックがそれに頷き返し、工房の奥へと入っていく。
「おい、ちょっと用足しを頼む!」
シャムロックが声をかけながら工房の奥へ進んで行くと、若い、とはいいにくい壮年の男性が奥から顔をのぞかせた。
「師匠、俺はこれから飯を買いに…」
「うるさいわい、お前さっきまで頂き物の饅頭を頬張っておったじゃろうが。いいから、馴染みの工房を何軒かまわってこの子らに見せてやれ。将来、お前の弟子になる子がおるやもしれんぞ?」
カカカ、と大口を開けて笑うシャムロックを嫌そうに見た男性は、目を瞬くと少し興味を持ったように子ども達へと近付いた。
ぼさぼさの赤髪を短髪にして襟足の部分だけを三つ編みにしている彼は、バルドよりも背が高くてガタイがいい。のっそりと歩く姿は熊を連想させた。
「俺は武器職人のジルザだ!おめぇら、職人を目指してんのか?それにしては年取り過ぎてんじゃねえの」
わたし達をじろじろ見ながら無駄に大きな声で自己紹介を始めた彼に、内心で眉をひそめる。子ども達がみんな硬く、不安そうな表情になってしまっていた。
ここでは職人になるつもりなら、5・6歳の頃から職人の許に手伝いに入るのは珍しくなく、10歳までには一端の職人見習いとなっている子が多いと聞いている。
ついてきてくれた男の子のなかには、10歳を超えている子もいるのだ。職人になるには遅い出だしだなんてこと、言われなくてもわかっているのだろう。敢えてそれを指摘しているジルザの言葉に、男の子たちは硬い表情で拳を握りしめている。
そんな彼らの前に一歩進み出て、ジルザに向かい笑いかけた。
「わたし達は、お屋敷の下働きをして働いています。小さい子も薪割りから洗濯までいろいろな雑事をお手伝いさせてもらっているんです。今回、縁あってバルドさんに街を案内していただける事になったので、ティルグの街ではどんなお仕事をされている方がいるのか見せてもらいたいと思って、ここへお願いに来たんです」
背後の子ども達に視線を送りながら笑いかけると、どこかほっとしたような空気が伝わった。
ジルザに悪気が無いのはわかるが、彼の声は怒鳴りつけるように大きくて、その言葉の荒さもあいまって子ども達は委縮してしまうようだ。
「このままお屋敷で勤めて行くという事も可能なんですが、お屋敷の奥様が外で働く方たちの姿を見て来るようにと言ってくださったんです。見分を深め、自分のやりたい仕事見つけて来るようにと」
社会に出れば、色んな人と関わりあって行くことになる。今まで屋敷の外にでる機会さえなかったこの子達には、見る物すべてが彼らのこれからの糧になるだろう。
「どの子も健康で働き者の良い子達なので、将来を考えて手に職を付けられないかとは思っています。でも、今すぐにどうこうしたいという訳ではないんです。ジルザ様にはお忙しいところ大変申し訳ないのですが、ぜひ、職人の方々が働く姿をこの子達に見せていただけないでしょうか?」
ジルザの目を見て真摯に思いを伝えると、ポカンと口をあけてわたしを見ていた彼は、なぜか身悶えながら身体をわしわしとかきはじめた。
そのあまりの豪快な身体のかき方に、ノミでも飼っているのだろうかと疑いたくなる。
ぼさぼさの赤髪、無精ひげ、服のあちこちからのぞく毛深い体毛から立つ埃や何やらに、顔が引きつるのを我慢するので精いっぱい。
「っか――――!!ジルザ様だってよう!聞いたか師匠!?俺、なんか偉くなった気がするぞ」
本当に、この人に子どもを達を託しても大丈夫なんだろうか。
わたしがほんのり不安になっていると、身震いしてかゆみを振り払ったらしいジルザは、年長者一人ひとりの手をぐいぐい引っ張って、握ったり揉んだり身体をばしばし叩いていった。
少年達はとっさの事に戸惑っているようだが、目を泳がせながらも我慢している。大変素晴らしい忍耐力だ。ジルザの迫力に圧倒されているとも言えるが。
……離宮ではこんな扱いを受けたことないだろうからなぁ。おうおう、みんな戸惑ってる、戸惑ってる。あ、チビちゃんが涙目に……!
「ほれそっちの坊主も、手ぇ出せ。……下働きをしてるってのは本当みてぇだな。まぁ、ガキん時から槌を握ってる奴らには及ばねえけどよ。ほれ、そっちのちんまいのも。……あぁ、こんなにちんまいのに赤切れた手ぇしやがってよぉ」
みんなの手を確認したジルザは面白くなさそうに口を尖らせていたかと思えば、ぱっと顔をそむけ壁に向かい鼻を指ですすった。悪い人ではなさそうだ。
薪割りや土仕事、洗濯仕事などに従事する子ども達の手はどうやら彼のお眼鏡にかなったようだと内心でほっとする。
わたしはそっと自分の手を後ろ手に隠しながら、バルドの方へ身を寄せた。
「おい、おめぇらこのジルザ様についてきやがれ。何軒か知り合いの工房に連れてってやらぁ。騒ぐんじゃねぇぞ、職人てぇのはお喋りなやつを嫌うからな!」
ふんふんと鼻息荒く外に出て行ったジルザを、呆気にとられた子ども達が見送っている。
「ほらほら、みんな!”ジルザ様”についてって。色んなものを見て、わたしにもあとで話を聞かせてね?」
子ども達の背を押して外へと促すわたしに、ずっと黙っていたお兄ちゃんがぽつりと声を掛けてきた。
「……お前はいかねぇのかよ」
そう聞かれて、わたしは視線でバルドを示して苦笑いを浮かべる。
「今日ここへ来たのは、わたしの弓を選ぶのが目的だからね。本当は一緒に行ってみたいけど、ここに残るよ。みんなは折角の機会だし、色々見てきて。多分、小さい子達はここにずっといるよりも外の方がいいでしょ」
じっと同じ場所に立っている事に耐えられなくなってきた小さな子達が、そわそわしはじめている。そんなちびっこ達を必死に押しとどめている男の子達に気付いて、お兄ちゃんは嫌そうな顔をした。
……チビちゃんは大人しいから、そんな心配はないもんねぇ。
彼は今回もしっかりと妹の要望に応えて同行してくれている。
外から怒鳴るように子ども達を呼ぶジルザの声が聞こえると、お兄ちゃんは戸口に向かって『スミマセン』と返事をしてみんなを引き連れて行ってくれた。
手を振ってみんなを見送り工房の奥へ戻ると、ヒゲをしごいて笑うシャムロックとムカつく笑顔を浮かべたバルドが待っていた。
「ジルザの野郎、自分が一番お喋りだというのに、どの口がほざいておるんだか。まぁ、あいつもお前さんらが気に入ったようだから悪いようにはせんじゃろ。さぁバルド様、そろそろ”矢を必要としない弓”を所望されるワケをお聞かせ願えますかの?」
「あぁ、だが、この事は他言無用にしてくれ。いま結界を張る」
その声で真顔に戻り、観念したように溜め息を吐いたバルドは、腰にさげていたポーチの中から指輪を取り出した。中指にはめられた金冠の中央には、青黒い輝きを放つ石がついている。
じっと指輪を見つめていたルドが顔を上げた時には、わたし達の周りに白濁したシャボン玉のような膜がかかっていた。
膜の向こうの風景が霞んで見え、膜自体が光を取り込むように淡く光っている。
バルドは土床を確認して一つ頷いたようだが、何に納得したのだろう。木くずの散らばる足元を見て、違和感に気付いた。
――影が、ない。
「空間を閉じ込める魔法です。この中にいるかぎり、外の者にはわたし達の姿も声も届きません。人に聞かれたくない話をするときなどによく利用される魔法ですよ」
「へぇ。……なんか、犯罪臭がする魔法ですね」
「……犯罪臭ですか」
「カカカ、そんな風に使う輩もおるじゃろうが、長い時間使うにはそれ相応の魔力が必要じゃからな。この魔術具の指輪を手に入れられる上流階級の若者どもが、恋人との逢瀬に使うというのが一時期流行っておったかのぉ。バルド様も、早くいいお相手を見つけになられれば、そういった用途でも…」
「時間と魔力の無駄遣いだ。本題にはいりましょう」
むっつりと顔をしかめて返事を返したバルドは、わたしが召喚された者だということを省いて、泉での一件を詳しくシャムロックに話して聞かせた。
黙って話を聞いていたシャムロックだが、話が進むにつれ次第に難しい顔になっていく。最後には呆れた顔になり、匙を投げる様に慇懃無礼な態度になってしまった。
「のぅ、バルド様。わざわざ足を運んでもらっておいて悪いんじゃが……。この件、ワシにはちと荷が勝ち過ぎとるようじゃ。申し訳ないが、他をあたってくれ」
「……なぜだ?素人の自分が打った弓でもあのような効果が出たのだ。武器作りを生業とされるシャムロック爺であれば、より優れた物を打てるだろう?」
眉間に皺を寄せ、考え込むような姿勢をとっていたシャムロックは、首を横に振るだけでそれ以上何も言わない。押し黙る二人の間に、重たい沈黙が流れていた。
「あのぅ、バルドさん」
「はい」
硬い声で返事を返す彼もまた何かを考えているようだ。
少し非難するような視線をシャムロックに向けているのは、彼が納得していないからだろう。
「多分、シャムロックさんがわたしの弓を打てないって言ってるのは、長い目で見た話だと思うんですよ?」
「長い目、ですか?」
何を言われているのかわからない、と視線をこちらに向けているバルドに、溜め息を吐いたシャムロックがその考えを肯定してくれた。
「ワシは、使い捨ての弓を打つつもりなどない。打つとなれば、全身全霊でもって弓を打ってきたつもりじゃ。万物を浄化するほどの力を発揮する弓など聞いたこともないが、たとえワシがその弓を打ちあげたとしても、一度使えば灰となってしまうような欠陥品を世に出すなんぞ我が一族の恥。これは、ワシだけの問題ではすまん、ワシら種族の誇りの問題じゃ」
「使い捨て、欠陥品……」
バルドはシャムロックの言葉を聞いて衝撃を受けていたけど、悔しそうな表情を浮かべた次の瞬間、彼は思いきり頭を下げた。
「申し訳ありません。深く考えもせずに話を持ち込んだ自分をお許しください」
「……フン、若様がそのように軽く頭を下げるもんじゃないがの。分かってくださったのならそれで…」
「しかし!それでも、私どもは浄化の助けとなる弓を必要としておるのです。精霊の復活を願うのは、我らが里にとっても悲願でありましょう」
彼らは視線を合わせたまま微動だにせず、また沈黙が落ちる。
シャムロックさんが言うように、使い捨てのように扱われる弓を打ってもらうなんてわたしも嫌だしなぁ。壊れるの前提なら、そこらへんの棒に適当に弦を張った物だっていいんじゃないの?職人であるシャムロックさんに頼むんなら、それ相応の素材と時間、労力だってかかるんだし……。
「棒きれに、弦を張るじゃと!?カカカカカ!面白い事をぬかすぼんじゃの!……お前さん、ワシらを馬鹿にしとるのか」
「ひぎゃ!?わたし、口に出してました!?ち、違うんです。あの、その、わたしの祖父も弓師だったんです!だから、弓を打つ覚悟とか、誇りとかをないがしろにするぐらいならって、たとえで…」
「お主の祖父が、弓師じゃと……?ぼん、ちょいとその話詳しく聞かせてみぃ」
ぼんぼんって、この人もわたしのことを男の子だと勘違いしているようだ。それを分かってはいたけど、機嫌の悪くなったシャムロックが怖くて訂正する気は起きなかった。
職人である祖父の勘気に触れた人達の姿を思い出すだけで、未だに冷や汗がでる。
……職人さんの逆鱗に触れてはいけないのだよ。
シャムロックが聞きたがったのは、わたしが知る弓の種類や形状、素材、その作り方だった。分かる範囲で和弓の特徴も伝えたが、口頭での説明だけでわかるものなのだろうか。
「ぼんの故郷じゃ、弓を破魔の儀式につかっとると言いおったな?」
「はい、そうです」
「そもそも、弓は狩りのために創られた道具というのが始まりじゃ。次第に人同士の争いが起こるようになり身を守るため、武器としての意味合いも強くなった。バルド様の言うことを信じとらん訳ではないがの、ワシにはようわからんのだ。動物や人を傷つける目的で生まれた”弓”という武器が、なぜ神聖ともいえる浄化の力を持つと考えられるのか……」
シャムロックの言うことはわたしにも理解できた。
でも、日本は古来から妖魔、あやかし、妖怪なんていう存在が信じられてきた土地柄だ。普通の人には見えない敵に、目で見えない対処法を考えてもおかしくなかったんじゃないかと思う。
なにせ、月にウサギやかぐや姫が住んでいるなんて空想して嬉しくなってしまうような人種だし。
日本各地に八百万の神様が息づいているという考え方にだって、わたしは共感を覚えてしまうのだから。
山奥にひっそりと佇む巨木に。
荘厳な滝の流れに。
暗雲の中轟く雷鳴に。
地上へと降り注ぐ雨のひと粒ひと粒に。
感じる世界の全てに何かを感謝せずにいられない、そんな感情をもった時に自然と、”この感謝を捧げているのは八百万の神と呼ばれるようなナニか”だという気がするのだ。
「わたしも、”鳴弦”と呼ばれる儀式があることは知っていましたが、その儀式が本当に力を持っているなんて考えたこともありませんでした。わたし自身は妖怪やオバケなんて見たこともないですしね」
……見たことはないが、怖いもんは怖いのだ。
わたしの話す言葉に肯きもせず、ただ聞いているだけの二人。聞き役に徹してくれる彼らを見て、つるりと本音がこぼれた。
「迷信だと考えないわけではありませんが、不思議と”弓で魔を退ける事なんてできない”とも思いません。でも、祖父以外の誰かが打った弓に興味もなかったので、鳴弦の儀で使われていた弓というのを見たことがなくて……。お役に立てなくてすみません」
話し終えて彼らを見ると、シャムロックは三つ編みにされた髭を撫でながら、何かを考えているようだった。
バルドが彼に向って口を開こうとした時、ふいに工房の入口に人影が差す。工房見学に行っていた子ども達が帰ってきたようだ。
「あれぇ?師匠~、どっかに出かけちまったのかぁ?」
バルドが『指輪への魔力供給を止めます』というと同時、わたし達の姿が彼らの目に映ったらしい。大袈裟に驚いたジルザが目をまん丸くしている。
「ぎゃあ、し、師匠!?どっからわいて出たんすか!」
「人を蟲のように言うな!ほれ、客人に茶でも出さんか、馬鹿もんが」
首を傾げ、ぶちぶちと文句を言いながらも、ジルザはお茶の用意をしに工房の奥へと入って行った。わたしが帰ってきた子ども達へとかけよると、ちびっこ達が興奮気味に報告してくれる。
「アズ、あ、あのね、防具のお店に行ったら、こ、ここ、この間の騎士見習いさんがつけてたような鎧とか、ま、魔石のいっぱいついた腕輪とかがあってね、す、すっごくきれいだったの!」
「ぼくはねぇ、いつも美味しいお料理が入ってるお鍋の、もっともっと大きいやつを見つけたよ!あんなお鍋でお料理したら、きっとこの街中の人がお腹いっぱい食べられるんじゃないかなぁ」
一人ひとりに視線を合わせ返事をしていると、男の子達の顔に笑顔がないのに気づく。何かあったのかだろうか。話を聞こうとした時、目の前にお茶が差しだされた。
「おらよ、こっちはお前らの分だ。さっさと受け取れ。あ、師匠、大人は酒でも呑みますか?」
「こんの、阿呆め!さっさと茶をよこせ、冷めちまうじゃろが」
「へぇへぇ、冗談っすよ。さあ、召し上がってください。バルド様」
軽口をたたきながらみんなに飲み物を運んでくれたジルザは、『腹が減った』と言ってさっさと大通りへ姿を消していった。
彼の姿が見えなくなると年長者の少年達は緊張感から解き放たれたように、手に取ったお茶をがぶがぶと一気に飲みほしている。
そうして一息つくと、未だ興奮冷めやらず、はしゃいで工房の様子や武具に鍋釜の話をする小さな子達に相槌をうちながら苦笑を浮かべて話に乗ったりとみんなリラックスした様子になった。
「工房巡りに行って、鍋釜に興奮する子どもがおるとは驚きじゃの」
ほっとしたところでシャムロックの声が耳に入り、バルド達の方へと目を向ける。先程見せていた厳しい表情とは一変して、シャムロックは優しい目で子ども達を見ていた。
バルド達はふうふうと、手にしたカップのお茶に息を吹きかけ冷まし冷まし飲んでいる。
機嫌良さそうにオレンジ色の目に光を湛えたシャムロックは、バルドに向かって思いついた事をあれこれと話して聞かせているようだ。
「バルド様、取り敢えずその辺の適当ななまくら武器屋で何張りか弓を手に入れて、それで”試し”とやらをしてみたらどうかの?ワシはちょっくら素材集めに足を伸ばしてくる。しばらく王都を留守にするでな」
「シャムロック爺。ではこの件、引き受けていただけるのですね?」
「あぁ、まずはぼんに聞いた弓を再現してみようと思う。上手く行くかはわからんが、新しい弓に挑戦するのは腕が鳴りよるわい」
笑って意気込みを語るシャムロックの姿に祖父の面影を見たような気がして、懐かしさを覚える。だけど、なぜ突然やる気になったのだろう。
「何で急に、やる気満々になったんでしょうね?」
そのまま疑問を口にすると、バルドが身をかがめて声をひそめた。
「わかりません。ですが、そっとしておきましょう。また機嫌を損ねられたら厄介ですからね」
バルドの耳打ちにこそこそと話しをするが、蔭口はすべて聞かれていたようだ。じっとりとした視線に睨まれ、二人で口をつぐむ。
「何をいっとるんじゃ。世界を浄化することのできる弓作りに打ち込めるなど、弓職人にとって最高の栄誉じゃわい。完成形がわかったんじゃ、挑戦することに臆することなど何もないわな」
「完成形?」
わたしが首を傾げると、シャムロックは不敵な笑みを浮かべた。
「ぼんの祖父が打った弓は、お前さんが使っても壊れたりしなかったんじゃろうが。それを完成形といわずに何とする?」
……は?いや、いや、ここ異世界ですよね。普通なら弓は灰になったりしないし!
というわたしの反論は、バルドの大きな手によって口を塞がれていたため言葉にはならなかった。
空気を読め、という視線を受けて取り敢えず弓を打ってもらえることが最優先なのだと察したわたしは沈黙を守ることにした。
帰り道、バルドの意見を聞いて、もやもやとする罪悪感も少しは晴れた。自己欺瞞?なにそれ、美味しいの?
「一概にシャムロック爺の言葉を否定できないのでは?アズサ殿はお祖父様の弓以外を手にとって引いた経験がおありですか?」
それは、もちろん日本での話だろう。
思い返してみるが、覚えている限り祖父以外が打った弓を手にした覚えはない。他人の弓というくくりなら友人である茜ちゃんの白弓を試し引きしたことはあるが、あれも祖父の手によるものだ。
「ない、ですね。それでいうと、もしかしたらお祖父ちゃん以外の打った弓を手にしていたら壊してたかもしれないってことですか?……ヤダ、なにそれ怖い」
シャムロック工房を後にしたわたし達は、シャムロックの勧め通りにいくつかの工房を回って素材や形の違う数張りの弓を購入した。
強さを測るために、お兄ちゃんに素引きしてもらって物足りないなと思う程度の弱さの弓を選んでもらう。少しだが失敗の経験もここで生かされ、気持ちは軽くなっていた。
離宮にほど近い街路樹を抜けたあたりで、背後からバルドを呼びとめる声が届く。こちらに走り寄って来るのはジルザだ。息を切らせて駆けよる彼に、バルドは少し警戒を見せてわたし達の前に立った。
「バルド様~、お捜ししましたぜ~。寄り道なんてなさるから、王宮と工房を行ったり来たりしちまったじゃないすか」
ぜいぜいと息をきらす彼の手には、大きな瓶が握られている。
「それは悪かったな。で?何用があって追いかけてきたのだ」
「え、えぇと、んんっ、ゲフン、ガフン!……こ、これをその、ちんまい奴らに」
ジルザが差し出した瓶のふたをバルドが開けてみると、風に乗ってハーブのような植物の濃い香りが漂う。
「軟膏か。わざわざ、これを買いに行ったのか」
「あ、あのっ、そんじゃあ、俺はこれで!」
厳つい壮年の男性は顔を染めて、走って行ってしまった。
彼の思いやりに嬉しくなって子ども達を振り返ると、何やら複雑そうな顔をする年長者達と、素直に喜びを表し笑顔を浮かべる小さな子達との間に温度差を感じる。
「工房巡りで、なにかあったの?」
「……いや、ちょっとオレ達にも思い違いがあった気がする。少し考えてまた話すから、今はなんにも聞くな」
お兄ちゃんに会話を拒否されてチビちゃんに視線を向けると、彼女ははにかんで応えてくれた。
――うん、だいじょうぶそう。
初めての外出なのにずっと付き添えなかったのが気がかりだった。何か嫌な思いをしたのかとも思ったけど、彼らなりに色々思うところがあったようだ。
人の感じ方に正解なんてない。自分の頭で考えて、人と話して相談して、彼らなりの答えがだせるならそれでいい。
色々な人と出会って、色んな考えに触れて、少しずつ世界を広げていってくれたらと思う。
「ねぇ、もういっかい、匂いかがせて?」
「うん。いいよ、この軟膏すごくいい香りだよね」
危険はないと判断したバルドから軟膏の瓶を受け取って蓋を開けようとすると、団子っ鼻君から否定の言葉が返ってきた。
「ちがう。そっちじゃなくて、こっちの赤い果物の方だよ」
くいくいと引っ張られた麻袋の中には、お土産に買ったティティルの実がいっぱいに詰まっている。
お昼の残金を使ってお土産を買ってもいいかと確認したところ、バルドからOKが出たので帰り道にまた屋台に寄ったのだ。
人混みが減って来ると、片付けを始めた露店の人達は売れ残りを安く譲ってくれたから、わたし達はホックホクだった。
「こんな坂道で落としたら嫌だから、ここでは開けないよ。お家に帰ったらみんなでわけて食べようね。半分は甘く煮てパイにしたらいいかな、きっと美味しくなるから、楽しみにしてて」
ちびっこ達のはしゃぐ声に後を押されて、離宮へと早足で向かうわたし達の後ろからは男の子達が話す様子が見える。けれど、何を話しているのかまでは聞き取れない。
距離がそれほど離れないうちに年長者の子達もゆっくりと後を追ってきたので、みんなで家路についた。
「……ねぇあの子、お家に帰るってさらっと言ったね」
「あぁ、何かびっくりしたよな。帰る場所がオレにもあったんだって、今、気付いた」
「イヤな思いもしたし、外に出る事に何の意味があるのかって思ってたけど、ぼくらにも帰る場所があるんだってわかっただけで、今日、外に出てよかったって思ってる……かも……」
「……俺も」
「僕もだよ」
「あいつ、何考えてんのかよくわかんないし。面倒くさいことばっかり言うし。泣き虫だし。チビ達をちやほや甘やかして撫でまわす変態野郎だと思ってたけど、……少しは認めてやってもいいかもな」
「何を認めるのさ?」
「変態だけど、悪い奴じゃない」
「ぶふっ、それこそ今更じゃない?お前、とっくに認めてんだろ」
「あ、それって、赤チビに好かれてるあいつに嫉妬してるとか?」
「ほら、今も仲良く手ぇ繋いじゃってるし?赤チビって、すんごい人見知りで俺らにも懐かなかったのになぁ」
「あいつが来てから急に言葉のつっかえも減ったよね」
「顔をあげて笑うようになって、赤チビのやつ可愛くなったよなぁ」
「……チビはもとから可愛いぞ」
「これは、アレだな」
「は……?なんだよ、アレって」
「女の子が急に変わって可愛くなるなんて、一つしかないだろ」
「ヒュー♪春ですねぇ」
「いや、今秋だし。もうすぐ冬だし」
「「「そうじゃねぇ」」」
「み、み、み、」
「み?」
「認めねぇ!オレは認めねぇぞ――…」
「「「「あはははは!」」」」
ふいに響いた笑い声に後ろを振り返ると、男の子達が無邪気な顔で笑っている。
その楽しそうな表情に、自分もなんだか仲間にいれてほしくなって彼らに駆け寄ると、なぜか爆笑されてしまった。
チビちゃんと一緒に首を傾げれば、お兄ちゃんだけが憮然とした表情でこっちへやってきて、果実の入った麻袋をひったくるように取って行った。
そのままずんずんと進むのを見て、彼が荷物を持ってくれたのだとわかる。
「素直じゃないなぁ。本当はすごく優しいのにねぇ」
そうわたしが呟くと、手を繋いでいたチビちゃんが笑顔になった。お兄ちゃんを褒められて喜んでいる、誇らしげな顔だ。
「お兄ちゃんが大好きなんだね」
嬉しそうに頷いたチビちゃんはわたしの手を離すと、お兄ちゃんの許へ駆けより、荷物に手をかけて一緒に歩き出した。荷物を半分持とうとしているようだ。
「重いから、いいって。……ほら、危ないだろ。チビはこっち側歩けよ」
……むふっ、紳士!紳士ですよ。お兄ちゃん!!
馬車が通る道の反対側へとチビちゃんを誘導した彼は、手持ちぶたさになったチビちゃんに手を握られて動きがカクカクしだした。耳が赤い。
そんな様子もしばらくすれば普段通り。
緊張の面持ちでこの道を歩いた行き道。それとはうって変わった雰囲気の帰り道では、みんなが笑顔を浮かべて歩いていた。
坂を登りきると、遠目に離宮の尖塔が見える。
街路樹のてっぺんにとまっていた鳥が頭上を旋回し、わたし達を追いこして飛び去って行く。青い小鳥は大きく羽を広げ、さらに離宮へと向かって夕暮れの空へ羽ばたいて行った。