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梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
14/57

変化


「あれ、なんかきつい……」


 目が覚めて借り物の服に袖を通すと、肩がきつくて(たけ)も短くなっている事に気付いた。ゆったりとしていた胸元も今はぴったり。袖も八分袖くらいになっている。


 伸縮性がある布ではないので、これでは脱ぐときが大変だ。

 窮屈(きゅうくつ)な着心地の悪さを感じながら全身をチェックしていると、ノックの音が聞こえた。


「本当だ。おかしいねぇ、洗濯のあと持ってくる時に誰かのものと間違えたかね」


 男の子が来ている服は、みんな似たようなデザインでシンプルな物が多い。見間違えてもおかしくはないのだが、服の丈をいぶかしげに見ている彼女と並ぶと妙な違和感を感じた。


「アニヤさん、ちょっといいですか?」


「なんだい?」


 突然の接近に目を瞬く彼女と肩を並べてみる。そんなわたしの視線の先をみて彼女も気付いたようだ。目を大きく見開いている。

 つい先日までは、彼女の肩の位置に目線があったのに今は耳の高さ。

 瞬きを繰り返した彼女と目が合うとほわっと相好を崩して微笑んでくれた。


「アズサ、あんた身長が伸びたね?」


「アニヤさんもそう思いますよね?わたし、大きくなってる!」


 この部屋には身長計なんて無いので詳しい伸びなんてわからないけど、明らかに5センチ以上は伸びていると思う。


 ……身長なんて、10年以上前から止まっていたのに、いつの間に!


「アズサ、嬉しいのはわかったから。飛び跳ねるのはおよし。あんた病み上がりだって自覚はあるのかい?」


 喜びの踊りを繰り広げていたわたしを彼女の慌てた声が止めた。嬉しくて動きが止まらないわたしをみて溜め息を吐いている。

 それを見て大人しく足を止め、ジャンプするのをやめた。でも、嬉しくて嬉しくてじっとしてなんていられない。


「だって、だって、アニヤさん!わたし、大きくなったんですよ?嬉しくて、叫びたいぐらいです!」


 ばたばたと手足を動かしてほんのちょっと長くなった手足を振ったり、近くなったベッドの天蓋に手を伸す。そんなことが楽しくて仕方なかった。

 さすがに天蓋までは届かなかったけど。


 そんなわたしの盛り上がりを見て、アニヤは苦笑を浮かべつつも一緒に喜んでくれた。


「よかったね、アズサ。ほら、本当にそろそろ静かにおしよ。ふふっ、ここ数日の関節の痛みは成長痛だったってことかね?嬉しい痛みだったんだね」


 ”嬉しい痛み”というにはあんまりな激痛だったが、喉もと過ぎてしまえば今はどうでもいい気がする。喜びが先に立ってしまうのだ。


「成長痛!なんて素敵な響き!!わたしには一生縁のないものだと思ってましたぁ……」


「あれま、泣くんじゃないよ。ほら、それは一度脱いで。新しい服を用意するからね」


 涙ぐんだのも束の間。言われてすぐに服を脱ぎ、たたんで手渡すとわたしをじっと見ている彼女の視線に気付く。視線の先は胸元……?


「……ふくらんだね?」


「ちょっぴり、ふくらみましたかね……」


「女性物の服を用意した方がよさそうだ」


 慈愛に満ちた笑顔を浮かべる彼女の気遣いを嬉しく受け止め、はたと気付く。


「女性物はスカート丈が長くなくてはダメなんですよね?わたし、泉の掃除にも行くので出来れば動きやすい男の子用の服を貸していただけると嬉しいんですけど」


「だけど、それじゃあ胸元が気にならないかい?うーん、……そうだ、いいものがあったと思うからちょっと待っておいで」


 そう言いおき、彼女はすぐに部屋を出て行った。

 そのままでは寒かったので、また寝巻用のストンとした形のワンピースを着てベッドに腰かけ彼女の帰りを待つ。

 昨日までは確かにぺったんこだった胸にそっと手をのせると、ほんのりとしたふくらみが布越しに伝わった。それが泡ポンプ一押し分程度だったとしても、昨日までつるぺただった場所に肉がついた事は嬉しいものだ。


 ……胸!胸ですよ!!茜ちゃん、わたしにもついに胸が!!


 心の中で叫びながら、わたしは自分の胸を抱きしめて親友に報告した。彼女のナイスなバディを、もんで怒られた日々を懐かしく思い出しては、喜びのニマニマがおさまらない。一緒に色々悩んでくれた彼女に今すぐ報告できないのが何より切なかったけど。


 ……還れたら、真っ先に報告に行くから!驚くなよ……ぐふふ。


 この時のわたしをはたから見たらかなり不気味な光景だっただろう。

 ここティルグニアでは成人女性は基本、(くるぶし)までの長いスカートをはいている。仕事など必要に応じて絶対というわけではないらしいが、子どもサイズで女性用のズボンという物は売っていない。

 男女の区別が分かりやすいようにという意味もあって、女の子はスカート、と決まっているそうだ。

 女性物の下着がひざ下まであるドロワーズなので、実は今履いている下着も男の子用を借りている。ここへ来た時に身に着けていた衣類では目立つし、帰る時までにボロボロになるんじゃないかと指摘されて今は衣装棚にしまってあった。


「このまま大きくなったら、あの服着て帰れないかも……」


 身長が伸びたことが嬉しい半面、問題もでてくる。

 いかん、未来の問題よりも今の嬉しさの方が先に立って笑いがとまらない。


 少し考えてみたが、その時は作ればいいじゃんと思い至った。流石にこの世界の女性物の服を着てご近所を歩いている自分の姿が想像できない。手縫いの荒さを気にしなければ、布さえあればなんとかなると思う。


 ……マキシ型のスカート履いてる人最近見かけないしな。なんなら紳士物でも大丈夫だし?わたしの身長よ、どこまでも伸びるがいいさ!!


 現実問題、今わたしに必要なのは……。


「やっぱり、お金を稼げるようになりたい。いい仕事があればなぁ……」


 しばらくこの世界で暮らすのなら、この離宮の人達にあまり迷惑をかけ続けられないと思う。わたしは自分からお客様という立場を辞退したのだから。

 身長が少し伸びたと言っても、それでもまだ小学生の域を出ない。いいとこ中学生くらいだろうか。髪を染めてるでもなければ、化粧っ気も無いのだから仕方がない。


 まずはお手伝い程度からでも何か仕事を探して行こうと決意した頃合いで、アニヤが戻って来た。

 用意してくれた服は生成りの長袖と半袖のシャツにゆったりめの長ズボンが2本。女性用の下着2枚に、刺繍が施された皮のベストだった。


「このベスト可愛いですね。でも、女性下着はやっぱりズボンの中がゴワゴワしそうで…」


「この長い部分を切って、縫えばいいんだよ。あんた裁縫は得意だろ?いつまでも男性用の下着をはいてるなんて絶対に許さないからね」


 ぎろりと睨みをきかされ、他ならぬ彼女にそう言われれば(めんどう)とは言えない。

 動きやすい服装を認めて貰えるだけ良しとしようと手渡された衣服に視線を落とす。


 元々スカートを好んで履くような人間でもないので、女性は女性らしくなんて言われずにすんでほっとしたのだから逆らう必要もなかった。

 下着を手に取り、大まかなリメイクの形を彼女と相談するのも楽しい。


 女性騎士などはズボン着用が義務付けられているので、自分の下着は自分で作っているのだそうな。必要とする人が少ないため既製品では置いておらず、身分の高い人はオーダーメイドで発注するという。

 裁縫道具を借りて、ついでに予備の下着やお古の服も何枚かもらえる事になった。この日から時間のあるときには自分の着る服を作ることが日課となり、仕事にもなるのはもう少し先のこと。


「じゃあ、午前中は外のお手伝いをして、お昼には赤ちゃん部屋の休憩保障、その後は自由な時間として過ごしていいですか?」


「ああ、彼女たちの休憩時間がちゃんととれるようにしてあげられるのは本当に助かるんだよ。こちらこそ宜しく頼むね」


 アニヤが忙しい時などには休憩時間をしっかりあげられないこともあると聞いて、そこをカバーしたいと提案したのはわたしだ。わたしがそこに入れば、彼女も休憩をとれるだろうと指摘したら苦笑された。やっぱり、自分を後回しにしていたのだなとわかる。

 そして、突発的に入るであろうバルドからの依頼があった時にはそちらを優先する事に決まり、わたしの当面のスケジュールはうまったのだった。


「じゃあ、行ってきます」


 午後、こんなに自由時間をもらってもいいものかと申し訳なく思ったが、暇を見つけて仕事探しも出来そうなのはありがたかった。時間のあるときにはティア王女のところにも顔を出してほしいと言われているので、彼女と会える時間も待ち遠しく思う。


 ……可愛いティアさんもっふもふ~♪……毎日会いに行ったら迷惑かなぁ。


 食傷気味に子ども達と軽い朝食を終え、午前分の洗濯ものを片付けるため裏庭の井戸へとみんなで向かった。

 仕事の手を動かしながら、のびのびになっていた名付けについての話題を子ども達に振って見る。でも、わたしが思っていた程には皆に関心を持ってもらえずきょとんとされただけだった。

 赤毛の女の子からも、どうでもいいとでも言いたげな反応が返ってくる。


「あぁ、あんたまだそんなこと考えてたの?別にいいじゃない、困っているわけじゃないし」


「えぇ!?困ってるよ!」


 力強く裸足で踏んだ生成りのシーツから水が()ね、小さな子達の衣服にかかる。キャア、と楽しそうな歓声が上がって、我も我もと飛沫(しぶき)を上げて踏みだした。


「そう思ってるのはあんただけでしょ。コラそこ、ちゃんと端っこまで踏む!そんなに飛び跳ねてると転ぶわよっ」


「……そうなの?うぅ、でもでも、わたしもう色々考えてるんだけど!!」


 赤毛の子は小さな子を誘導しながら丁寧に洗い絞り、巻貝のようになった洗濯物たちがどんどん積みあがっていく。


 汚れの少ない衣類やシーツは叩かずに手や足で洗う。布が痛まないように丁寧に扱い、大切にしているのだ。

 午後は主に汚れの酷いものを洗うと決まっていて、昨日棒で叩いていたのは土仕事で汚れた物や赤ちゃんのオムツだったらしい。


 手足にあかぎれが目立つ、働き者の子ども達には本当に頭が下がる思いだ。

 赤毛の彼女のように上手に絞りあげる力のないわたしは、そちらを早々に追い出されシーツを足で踏み踏みする小さい子に交じって洗濯している。


「そんなら、勝手にあんたの好きに呼べばいいじゃない」


「そんなぁ、自分の名前だよ?希望があるなら自分たちで名前を考えようよ」


「そもそも希望ってなんなのよ。そんなに言うなら、あんたの名前にはどんな”希望”てやつがあるのか教えなさいよ」


 自分の名前の由来。彼女にそれを問われて小学生の頃の記憶が甦る。

 あれは何の授業だったのだろうか、自分の名前の由来について調べるという宿題だったのは確かだ。






「わたしの名前は守永梓です。わたしの名前はおじいちゃんがつけてくれました」


 教壇の横に立ってクラスメイトたちの視線を浴びながら、誇らしげに話すのは三年生のわたし。


「わたしの梓という字は、木の名前からもらいました。昔の日本では、かたくてだんりょく性のある梓という木が、弓の材料に使われていたそうです。梓の木のように状況に応じて変化できるようなやわらかい考え方や行動のできる人になってほしいという思いをこめてつけてもらった名前です 」


 祖父の仕事柄、弓に関連した名前がつけられるのは想定内だったけど、思いのほか可愛らしい名前を付けて貰って安心したと父が言っていた。

 名付けについては、わたしが産まれる前から母と口論になって大変だったらしい。

 母の話を聞くのが好きだったわたしは、何度もその話をせがんで聞かせてもらった。


 何度も、何度も。






「ふうん、あんたの国じゃそんな風に名前を付けるのね。……あんたのアズサって名前いいよ。本当にそんな風に生きられたらいいと思うもの」


「うん、わたしも自分の名前好きなんだ。ありがとう」


 彼女の素直な反応に胸が温かくなる。


「っ、なんでそんな顔して笑ってんのよ!……もうっ、それで?あんただったらあたいにどんな名前付けてくれるのよ」


 頬を少し赤らめてつっけんどんな言い回しをしているけど、照れ隠しだとすぐにわかってしまう。彼女はとても優しくて思いやりのある子だ。もっと、もっと幸せになってもらいたいと思う。


 いや、別にそれで幸子とかつけたりするつもりはもちろんない。

 ここはカタカナ言葉的な名前の人が多い。悩んだすえの答えがあるのだ。そう、ちょっと前に流行りに流行って今は廃れ気味のあの名前。

 それは……。


「キラキラネームだよ!!」


「……なにそれ」


 ふふふ、正直、わたしの語彙力やあいまいな漢字の知識じゃこの子達の名前を考えてあげるにも限界を感じたってのは仕方がないこと。


 ……そんなに頭の回転良くないしな!


 だけど、わたしにも出来る事を思いついたのだよ。海外から日本にやってきて名前を漢字変換したりする人達。とんでもない読み仮名を自由気ままにふるっては保育士や幼稚園教諭、小学校教諭泣かせのあの名前。


 その名も、キラキラネーム!


 正直、何度見ても覚えられない名前の読みに幾度くじけそうになったことか。でも、それももう過去の話。一時期のブームは去り、最近では安心できる名前の子ども達に心穏やかになってきた。


 今は割と古風な名前や海外でも通用するような名前にこだわる人以外は、名前の響きが綺麗だから、とかひらがなで読みを決めたあとに画数から漢字を選ぶ親達も多いようだ。

 名前の由来を調べるのに困る子ども達がいるとネットニュースで読んだ覚えがある。


 ……由来がなくて何が悪い!と呟いてる人もいたっけ……。


 なぜキレ気味だったのかは謎だが、その子のためにつけられたたった一つの名前だもの、胸を張っていいと思う。

 だけど、私は自分の名前に由来があることが嬉しかった。だから、わたしが名付けに携われるのなら素敵な由来を考えてあげたいと思ったのだ。


 でも、ここは異世界。ましてや漢字なんて通じないのは百も承知。けれど、そこで気付いたのだよ。だからこそどんな当て字でもいいんじゃね?ってね☆


 今欲しいのは呼び名であって、文字自体じゃない。日本語とこの国で使われている文字自体違う物だし。

 国が違えば名付けに対するこだわりも千差万別だろう。

 たまたま、わたしの国の文字に、一つ一つ意味があるのだから、この子たちの名前にちょっとした遊び心を加えてスペシャルな名前を付けてあげたいと思ったのだ。


 ……あと、大事なのはフィーリングでしょ!


 漢字の意味やその字に対してわたしの持ってるイメージなんかを名前に上乗せしつつもカタカナ読みで美しい響きの名前。そして、せっかく自分で決められるこの時を逃すなんてもったいない。

 自分の思いや希望を名前に持てるなんて素敵ではないか。


「自分の好きな響きの言葉とか、好きな物の名前や憧れる人の名前でもいいの。みんなが決めた名前にわたしが適当な当て字…ゴホゴホ!えーっと、そうだな、精霊様には及ばないけど、ちょっぴり加護を付けたいと思うの。本当の意味での加護は付けられないけど、精霊様が増えて、あなた達がちゃんとした本名をもらえる日までの仮りの名前としてつけてみようよ」


 本当に気分的なオマケだけどね。


「……あんた、精霊様の真似をして加護を付けようだなんて大それたことよく思いつくわね。みんな怖ろしくてそんな不敬な事考えもしないわよ」


「ふ、不敬!?だって、力のある魔法使いの人だって名付けが出来てるんだもん、精霊様以外が名前をつけちゃダメってことないって言ってたし!」


 不敬と言われてちょっと弱気になったわたしを半眼で見る彼女に、何も言えなくなりそうになったその時。


「ア、アズ。わたしにも名前、つ、つけて、くれる?」


 洗濯ものを絞り終えたチビちゃんがつぶらな瞳でわたしを見上げていた。


「て」


「……て?」


「天使――!」


「ひゃぁぁぁぁっ!?」


 心の叫びと共にわたしはチビちゃんの抱えた洗濯物ごとハグして、可愛いチビちゃんを撫でくりまわした。

 なぜ、チビちゃんはこんなにも可愛いのか。これはもう、お持ち帰りしてよいのではなかろうか?この天使を片時も手放したくないと感じるわたしを、誰が責めらようか。


「こんの、どヘンタイ!!チビをは・な・せ―――…!!」


 妹を溺愛する兄の神速タックルを受けて弾き飛ばされたわたしと、チビちゃんと、憐れな洗濯物が芝の上を転がる。その後、2人並んでお説教をいただいた。

 汚れた洗濯ものはもちろん、わたしとお兄ちゃんが責任を持って洗わせていただきました。


 そんな酷い目にあわされても、わたしを庇ってくれるチビちゃん。……あなたはやっぱり天使だと思うの。






「アズサ様、少し宜しいでしょうか」


 セバスの助け舟でお説教から愚痴に変わったお小言から逃れたわたしは、『ティア王女と昼食を』との誘いを受けてウキウキと貴賓室を目指している。


「少し、お話をさせていただいても宜しいでしょうか」


 道すがら、真剣な様子のセバスからティア王女のトラウマを聞いた。それでもわたしと外出したい気持ちがあるということも。


「……まずは、お庭の散歩から始めて、大丈夫そうならシヤの泉にも行けるかなぁ」


 どうやったら安心して外に出られるのか、と思案しながら彼女を連れて行きたい場所を考えていた。無意識にそれを言葉にしていたようで、先を先導してくれていたセバスの足がぴたりと止まる。

 『シヤの泉まで、ですか?』と低い声が聞こえてきた。前を見ると、仮面のような笑顔を張りつけたセバスがこちらに向き直っていた。


 ……め、目が笑ってないよ?


「ご無礼と承知でお伺いしますが、なぜシヤの泉なのでしょうか。流石に王女殿下を王都から外へ、となると大きな問題を引き起こしかねないと思われます。……確かにこちらから王女殿下の件をご相談致しましたが、安易なお気持でのご提案であれば、こちらも承服致しかねますもので……」


「ひぇっ!?だ、ダメでしたか?わたしも無理にとは言いません、けど……」


 わたしを値踏みするような視線になったセバスの視線にたじろぎながらも、言いたい事は言う……!!と手に汗を握って言葉を続けた。


「でも、出来ればティアさんもシヤの泉に連れて行ってあげたいんです。あそこが浄化されたという今なら、ティアさんにも何かいい影響が起きないかな、と思ったので」


 今度、シヤの泉に行く時にはまた弓を持っていく話になっていて、色々お試しをする事が決まっている。

 やる気満々で持っていく弓の提案をするバルドの様子には不安しか感じなかったが、あの時と同じように何かが起きるならば現状を打破する鍵が得られるんじゃないかとみんなが期待しているのだ。


 沼化していた泉が飲めるほどに浄化されたように。


「ティアさんと約束したんです。やりたいことを叶えるために、出来ることを一つずつ探して実践していこうって」


 あの泉や森を浄化したのがわたしだと言われても、正直実感など何もない。

 すぐに気を失ってしまったわたしには、あの後起こった”劇的な変化”というやつを見てもいないのだ。騎士達やお兄ちゃんの言を借りるならば、『世界が輝いて見えた』だそうな。


 なんのこっちゃかわからない。

 だけど、泉の水が綺麗になっていたのも、森の生き物達が息を吹き返したように感じたのも確かだ。

 今すぐに、なんて性急な事は言わないけど、行けるものなら連れて行ってあげたい。あの美しい泉の景色を彼女に見せたい。

 なにより、寂しげな彼女の瞳にも世界が輝いて見える様に。


「それに、わたしがシヤの泉へ行く時には必ず騎士団と陛下が同伴されると決まっているそうです。ティア王女も護衛の騎士やお兄さんがいる時に外に出られるなら、その方が安心なんじゃないかと思ったんですけど……」


 王女様が護衛も着けずに出歩けるとは思えないので、わたしが彼女を誘えるのは離宮のお庭か視察場所くらいだ。

 そう告げると、眉を下げたセバスという珍しい物を拝ませてもらった。彼は申し訳なさそうにこちらを見ている。


「浅慮なことを申したようです……。そこまでしっかりと王女殿下の事を考えて頂けているとは思いもよらず、申し訳ございません。これよりこのセバス、アズサ様のお言葉を決して疑う事はないとこの胸に誓わせていただきます。礼を失した私めをどうぞお赦しくださいませ」


 ……何が起きた。


 深く頭を下げたかと思えば跪いて胸に拳を当てたセバスが、わたしを見上げている。きりっとした表情でわたしを真剣に見つめる瞳は紺碧。ロマンスグレイの髪を後ろに撫でつけ、皺は刻まれているが老いを感じさせないその姿は物語に登場する騎士のようだった。


 ……かっこいい。かっこいいんだけど。


「ななな、なんで跪いてるんですか!やめてください、わたしなんかにそんなことしちゃダメですよ!」


 慌てて彼に立ってもらおうと一歩間を詰めると、セバスの手がわたしの左手をすくいあげた。


「いいえ、アズサ様は尊敬と敬愛に値するお方。ご自分の事をそのように仰られるものではありません。どうぞ、その深いお心のままに我が姫を宜しくお願い致します」


 左の手の甲に額を付ける様にして(こうべ)を垂れた彼の姿に困り果て、何も言えなくなってしまう。しばらく固まっていたわたしに落ち着き払った様子で立ちあがったセバスは、そのままわたしの手をとり、ティア王女の下までエスコートを続けてくれた。


 ……鼻血でそう。


 室内に入った後もゆでダコになった顔はしばらくもとに戻ってくれず、心配するティア王女を尻目に悪戯っぽい視線で微笑む初老の執事にノックアウト寸前のわたし。


 ……たらしだ!この(ヒト)、絶対たらしだよ!


 この人にはあまり近づかない方がいいと学んだ一幕だった。






「本当にお身体は大丈夫なのですか?」 


 なかなか赤面の治まらなかったわたしを心配して、ティア王女が小首を傾げて不安げに瞳を揺らしている。昼食の支度のためと言って席を外した、たらしの執事に代わって配膳に来たのはアニヤだ。

 わたしが落ち着いて食事が摂れるようにと、配慮してくれたのかもしれない。


 ……なんなんだ、あの人!惚れてまうやろ……!!


 ここへ来て、自分の好みが年上かもしれないと新しい扉を開いてしまった自分に衝撃を受けるが……。

 カッコイイに年齢は関係ない。うん、まったく関係なかった。

 妹はもちろん、わたしのことも何かと気遣ってくれるお兄ちゃんのかっこよさを含めて、紳士な男の人は素敵だと思う。力加減をもう少し覚えてくれたら完璧だ。


「平気です。ご心配おかけしました。でも、セバスさんにはもう少しフェロモンの放出を控えて頂けると助かります」


「ふぇろもん、ですか?」


 フェロモンについて彼女に語っていると、呆れた声のアニヤに止められる。


「王女殿下におかしな知識を植え込むのはやめとくれよ。まったくあのジジイはいい年して節操のない男だねぇ」


 溜め息を吐きつつ、カトラリーの配膳を終えたアニヤが、最後にわたしの目の前にコップに注がれた一杯の水を差しだす。不思議に思って見ていると対面に座るティア王女が水を勧めてきた。


「アズサ様、もしよろしければその水を一口飲んでいただけますか?」


 訳がわからないままにコップを手に取り、こくりと飲む。変わらぬ酸味に少し眉を寄せているとアニヤがスッとスプーンを差し出してきた。


「今度はその匙で10回ほどかき混ぜてからお飲み下さいませ」


 今度も言われたとおりに混ぜてから一口。


「何か変化はお感じになりますか?」


「へ?……いや、特に変わった事はない、かな?」


 わたしの返事を聞いて彼女がアニヤに視線を送ると、今度はテーブルに用意されていたフィンガーボウルをアニヤが手前に引きよせた。ボウルの中には薄めのお茶が入っている。殺菌効果があるお茶で指を洗うのは元の世界でも同じだ。よく、これを間違えて飲んでしまう失敗談も聞く。


「では、今度はそちらで指を綺麗になさってくださいませ。右手のみでかまいませんわ」


 素直に指を洗ってナフキンで手を拭った。


「ありがとうございます。申し訳ありませんが、今度は匙を使わず、指でコップの水を10回ほど混ぜてみてくださいませ」


 彼女はわたしに何をさせたいのだろうか?

 お行儀は悪いが、視線を投げかけたアニヤも頷いて許してくれたので、コップの中に指をつっこんでチャプチャプとこぼれないように気をつけながらかき混ぜた。体温で水が温くなったようだ。

 この感じで行くと、もしかしてこれを飲めと言われるのだろうか。……案の定。


「お手を拭いてお飲み下さいませ」


 にっこりとほほ笑む小悪魔なにゃんこ。


「ティアさんが可愛いから、わたしがどこまで言う事を聞くのか試してるんですか?多分、犯罪以外の事は大体やっちゃうと思いますよ」


「は?……はいぃ!?」


 お姫様らしからぬ声をあげるティア王女。アーモンド形の目を見開いて驚き、あわあわしている彼女が可愛らしい。


「何バカなこと言ってんだい。早くお飲みよ」


 『冗談です』と少し笑ってコップの中の水を口に含むと、さっきよりも生温く感じる水が舌先を滑りほのかな甘さを感じさせた。


「っ!?」


 驚きに目を疑う。


 味が、変わっている。

 もう一度口を付けて今度は多めの水を口に含んだ。コップの水はほとんどなくなり、口の中には無味無臭の水が流れ込み、そのまま喉を通りぬける。


「いかがですか?お味に変化はございます?」


「……酸っぱくない。……なんで」


 わたしが空になったコップを手にとって見ていると、アニヤがテーブルの上に配膳していたフルーツをわたしの皿に盛り付けて行く。大きめのフィンガーボールが用意され、今度は両手を洗うように促された。


「こちらの果物はしっかり洗ってありますので、そのままお召し上がりくださいませ。ただし、10数える間はアズサ様の手の中に置いていただきます」


「あ、これって昨日もらった実の時とおなじ?」


 ハッと気づいて顔を上げるとアニヤと視線が合う。


「そうさ。アズサがあんまり喜んで食べてたもんで、その事を王女殿下にお話したら一度試してみようって事になってね。さぁ、どれでも好きな果物から試してごらん」


 2人の気遣いに目頭が熱くなってきた。山ブドウの実を一粒取って手の中に握り込み言われたとおりに10数える。わたしがそれを口の中に含む様子を2人が固唾を飲んで見守っていた。

 瑞々しくぷつりと弾ける皮の感触と、噛むほどに甘さが広がる山ブドウを味わう。


「……すごく、おいしいです」


「まぁ、ではやはり、アズサ様ご自身のお身体に浄化のお力が備わっていらっしゃるのですわね!お兄様から、瘴気に侵された泉の水にアズサ様がお触れになった時の事を伺いましたの。アズサ様は、泉の水から瘴気を吸い上げご自身の魔力へと変換なさっていらしたと。ですから、アニヤから果実のお話を伺った時、もしや、と考えましたのよ」


「瘴気を、魔力にへんかん?」


「あんたが熱を出したそもそもの原因を、陛下は魔力酔いだと仰られただろう?魔力酔いってのは、どんな赤子でも必ず一度はかかる病でね。その原因とされているのが、魔素の過剰摂取さ。この世界では全ての物に魔素が含まれている。自身のもつ許容量を超えた魔素を取りこむと魔力酔いを起こすんだよ」


 赤ちゃんの場合は母乳や代用のミルク、植物から鉱物、水、大気に至るまで全てものに魔素がある。動物はもちろんのこと、人間にも。

 呼吸し、食事を摂り、水を飲む。そんな当たり前の行動の中で無意識のうちにわたし達は微量の魔素をこの身体の中に溜めている事になる。


「ただし、成長と共にその許容量は増えて行くからそう何度も起こすもんじゃない。大体は赤子のうちにかからなくなるね」


「今回、アズサ様はご自身の限界を超えて魔素をその身の内に取りこんでしまわれたために、熱を出されたのですわ。この度の事でアズサ様の魔力容量は格段に上がっていらっしゃるはず。……ですが、取り込まれた分だけ容量が増えて行く方は稀なのです。多くの者は一定量を超えると排出されるようになり、それ以後は魔力も増える事はないのですよ。……例外は、魔力を使いこなせる素質を持つ者、即ち、魔法使いの素養をお持ちの方のみ」


 2人に真剣な表情で見つめられるものの、何を返せばいいのか言葉に詰まる。


「ティアさんが何を言いたいのか、正直わからないんですけど…」


 困り果てて彼女を見返すと、目をパチパチと瞬いたティア王女が優しく微笑んだ。


「アズサ様には魔法使いの素質がお有りになる、と申し上げたのです。魔法使いと言っても、その人為(ひととなり)には大きな違いがあります。人である者もいれば、他種族の者もいる。いえ、正しくは純粋な人間の中に魔法使いはあまり生まれません。多くは他種族の者の中に魔力の強い者がいて、その種との交配によって人にも魔法を使える者が現れたのですから」


「それって、じゃあ、アニヤさんは……?」


 目を向けると彼女はニッと不敵な笑みを浮かべただけで、口を開かない。


「アニヤの事については、あまり詮索せずにいただけると嬉しいです。彼女は、人族に嫁ぐに当たって色々と制約をつけられているので」


 ティア王女の視線を受けると、一つ息を吐いたアニヤがこちらを向いた。


「あたしから話す事は何もないが、近くで過ごせば色々と分かることも増えるだろ。ゆっくりと分かりあえばいいじゃないか、あたしとあんたは友達なんだからね」


 彼女の言葉に胸が温まるのを感じて頷いていると、テーブルを挟んだ向かいのティア王女が黙り込んでいた。


「王女殿下、いかがされました?」


 アニヤの呼びかけにも硬い表情で、ぎこちなく首をふる。いぶかしげに見ていたアニヤだが、『では、お食事を』といってスープを注ぎ始めた。


「ティアさん」


「……はい」


 浮かない顔でそれでも平静を取り繕うとしているのが伝わってきた。


「わたし、この前アニヤさんに言われたんです。この世界の事を知ってもらいたい。色んな物を見て、色んな人と話をして、この国を好きになってもらいたいんだって」


 ふとすれば俯きそうだった彼女の顔が上向き、わたしを見つめ、そしてアニヤを見た。


「わたくしも、わたくしもそう思っております。アズサ様にわたくし達のこの国も、世界も好きになってもらえたら嬉しいです。わたくしの愛するものすべてを、アズサ様に知ってもらいたいと思っておりますわ」


「ティアさんの愛するものすべて、ですか?……それを知る為には、わたしはもっとあなたの事を知る必要がありますね」


「あ、わ、わたくし、はしたない事を申しました……。もうしわけ…」

 

「ティアさん」


 眉尻を下げて泣きそうな表情をする彼女の謝罪を遮り、ティア王女の瞳をみつめる。


「はい……」


「わたしと、お友達になってください。そして、わたしにあなたの知るこの世界の素晴らしさを教えてください。わたしが、この世界をもっともっと好きになるために」


「アズサ様……」


 揺れるアメジストの瞳に涙を浮かべて彼女が俯いた。涙の滴がぽろぽろとこぼれおちる。

 でも、次に彼女が顔を上げた時、その瞳にもう涙は見えなかった。喜びに溢れた笑顔でわたしの申し出に応えてくれる。


「わたくし、アズサ様とお友達になりたいです。わたくしの、初めてのお友達になってくださいますか?」


 『もちろん』と応えれば、また彼女の瞳から涙の粒が零れ落ちた。


 ……わたしとしては、もうティアさんとお友達になった気満々だったんだよ、とは言えない空気だよね。


 彼女自身にもちゃんとお友達認定されたのはとても嬉しい。

 そのあとは、食事しながら女子トークに花を咲かせる。調理されたものに手を入れるのは流石にためらわれたので、果物やパンを中心に食べたが、これからの食事についても、アニヤにアドバイスを受けて色々と改善していくことを決めたのだった。



















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