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梓弓  作者: 長月 夜半
第一章 十六夜
13/57

腹ぺこ泥棒


 行き道から足を引っ張るお荷物だったわたしは、帰り道には文字通り荷物と化していた。


 100Mも行かないうちにへたばり、一番の若手という理由で爽やかナグに背負われて山を降りている。彼は血まみれだった騎士服を脱いで、替えのシャツにズボンという軽装。

 ナグの背中にぐったりと担がれているわたしの後ろには、騎士見習いがぴったりとくっついていた。


 不愉快な空気を醸し出していて、非常に鬱陶しい。


「アズサ殿……、私は視線で射殺されそうなのですが…」


「気のせいです。後ろの人は全身鎧ですよ?視線なんてわかりません。……そうだ、何かお喋りしましょうか。確か奥様がご懐妊だとか、おめでとうございます。予定日はいつ頃なんですか」


 いつの間にやら、ナグやその他の騎士たちに感じていた恐怖心がなくなっていた。不思議だが、これなら側で護衛してもらってもなんの問題もない。


 わたしの拒絶がなかったことに嬉しそうに笑いかけてくれたナグ。彼にわたしを背負うよう、命令したのはバルドだった。

 そのとたん、騎士見習いが負ぶると主張したのを拒否したわたしと、断固として騎士見習いの発言を許可しなかったバルドのナイスアシストにより不愉快な状況は回避できた。


 だが、自分の主張が通らず不満なのを隠そうともしない、不機嫌な空気をぶつけて来るあいつを誰か何とかしてほしい。


 ナグは無視を決めたわたしの話題転換にすぐに食いついてきた。彼の奥さん自慢につきあって会話に花を咲かせるわたし達以外は、ひたすら沈黙を守っている。

 奥さんとのなれ染めを嬉々として話すナグは、愛妻家だと誰にもわかる溺愛っぷりを披露。恥ずかし気も無く嫁自慢をして惚気ていた。


「こんなこと、アズサ殿やこの子達の前で言うのは気が引けるんだけどさ」


 と前置きをして彼は奥さんの悩みを話しだした。


 この子達を前にして話すもんじゃないと思ったなら話すなよ、と突っ込みたかったが時すでに遅し。彼はどうやら空気を読まない男のようだ。

 これでは奥さんも苦労しそうだ、と見知らぬ女性に向かって同情を覚える。


「子どもが出来る前から不安そうにはしていたんだけど、やっぱり自分の子が半獣だったらと考えてしまうらしいんだ。産み月が近くなってきて、最近じゃあ顔を合わせればそのことばかり。つわりも酷かったけど、未だに食欲がないらしくて心配なんだ。どうにかしてやりたいんだけど、半獣の子が出来る可能性はゼロではないし……」


「……ナグさんは?」


「え?何?」


「ナグさんは、自分の子が半獣として産まれてきたらどうするんですか?」


「ああ、うん、そうなんだ。そこは俺も悩んでるんだよ。どうやって説得しようかって。王都で半獣として産まれた子は、アニヤ様の処で保護されると決まっているだろ?それをどうしたらいいかと…」


 ナグは言うだけ言って押し黙った。横を歩く兄妹はナグの背中に背負われたこの位置からではその表情を窺えない。だが、心なしか先程より俯いているようにも思える。


 ……馬鹿ナグめ……。


 こうやって産まれた我が子を施設に送ることを何とも思っていない人の話を聞けば、わたしもかなし…


「アズサ殿だったら、どうやったら自分のところで育ててもいいって許可が下りるかわかるかい?今までそんな話がなかったか、アニヤ様に聞く事は出来ないかと考えていたんだ。今日は施設関係者の君たちと行動できるって聞いてたから、君らが知ってるか確認してみたいと思ってたのさ」


 お兄ちゃんとチビちゃんの頭がピクッと動き、わたしもナグの肩に回していた手に力がこもる。


「そういう人もいるんですか!?」


「えっ、いや、俺がそれを聞きたいんだけど。……やっぱり、いないのかなぁ。僕らの子を一時でも余所に預けるなんて考えただけでつらいんだけど…」


 後ろをバッと振り返って騎士見習いの背後、真面目な顔で黙々と歩いているバルドに声をかけた。


「バルドさん!今の話、聞いてましたか?今まで、半獣の子を自分で育てようとして交渉してきた保護者の方はいるんでしょうか」


 もともと厳つい顔をしているバルドの眉間に、深い皺が刻まれた。


「今までそういった案件が役所に持ち込まれたという話は、私のところに上がっておりません。それに、これまで騎士団員の家庭で半獣の子が産まれたという話自体ないと存じます。ですが、王女殿下との話し合いにおいてそういった話の想定がなされていたような……。申し訳ございません、今すぐに詳しい規定などをお伝えできません。各施設管理者に確認の後、お知らせ致します」


 一度言葉を切ったバルドは、私に話していた雰囲気を厳しいものに一変させてナグを見た。


「分かっていると思うが、その件についてこれ以上騒ぎ立てるような真似はするな。これはお前だけの問題では済まぬ。それに、陛下の騎士であるお前が陛下の賓客のお手を煩わせるなど、あってはならぬと肝に銘じろ。これ以上この方にお前が関わることを今後認めない」


「は、はいっ!了解であります!団長殿!!」


 ギラリとバルドに睨みつけられ、ナグは緊張して背筋を伸ばし、冷や汗をかいている。急な動きについて行けず、わたしが落ちそうなのにも気付いていない。

 施設管理者と言えばアニヤの事だ。あとでわたしからも是非聞きたい。


「ナグさん、もしよかったら奥様と一緒にこの子達の住む場所を見に来ませんか?あ、でも待って、一度アニヤさんに確認をとります!そうだ、離宮の主は王女様でしたね。ティアさんの許可も頂かないとだめでした。その許可が下りたら、の話ですけど、子ども達の様子を見たら何か変わることもあるかもしれませんよ?ね?」


 同意を求めて周囲を見回せば、わたしの言葉に兄妹もバルドも目をむいている。騎士団の人達にも緊張が走り、こちらへ耳をそばだてているようだ。


 わたしは何かおかしなことを言っただろうか?

 自分の子がお世話になるかもしれない場所なら見てみたいと思うのは当然だ。このナグの愛妻家っぷりじゃ、実際に自分のもとで育てる許可が下りなかったとき、引き離されるのは本当につらいんじゃないかとも思う。

 奥さんだって半獣の子達を見れば、普通の子と大して変わらないと分かるんじゃないかと淡い期待も込めて。それでマタニティブルーが少しでも改善するなら試してあげたいと思うし。


「いや、お話は嬉しいのですが、……アズサ様は今のお話を聞いてらっしゃいましたか?」


「え?話って?」


 首を傾げるわたしに、ナグは気まずそうに後ろをちらちら見ながらおどおどと話した。


「ですから、アズサ殿は国王陛下の賓客です。私などがお話をさせていただくのも畏れ多い事でした。今後はこのような無礼で、貴方様を煩わせることのないように致しますので……その…」


「……国王陛下の、ひんきゃくぅ?……わたしがですか」


 拉致被害者の間違いじゃないの、と呟いた言葉は、ナグには届かなかったようだ。彼は背後を気にしてそわそわしている。

 わたしはことさらにいい笑顔を作って、強引に話を持っていくことにした。この世界でわたしはやりたいようにやると決めたのだ。


「じゃあナグさん、わたしとお友達になりませんか?実はわたし、この国には来たばかりで知り合いが少ないんです。騎士団の他の方たちともお友達になって、色々な事を教えていただけたら嬉しいです」


 笑みを深めて『アニヤさんともお友達になってもらったんですよ』、と伝えると、団長の母という前例もあってか、断ることができなくなった彼は、目に涙を浮かべて周りの同僚達に助けを求め始めた。


「陛下は次回もわたしが子ども達を連れてシヤの泉に来る事を認めてくださっているので、その時にはまた騎士団の方にお世話になると思うんですよ。それが顔見知りの方であれば心強いと思ったんですけど、バルドさん、ダメですか?」


 これは本心である。

 子ども達に色々な物を見せてあげたいので、そのためには色んな人とお知り合いになっておきたいのだ。せめて世間話が出来る程度には仲良くなりたい。賓客扱いなんて御免こうむる。


 アニヤのわたしに対する扱いを思い出せば、歯がゆくて仕方がない。仲良くなりたい相手に誰かの命令で一線をしかれるなんてのも嫌だった。


 黙ってわたしの発言を聞いていたバルドは、わたしの後を無言でついてくる白銀のかたまりに目を向けた後、面白がるように口の端をもち上げて了承してくれた。


「そうですね、陛下が近日中の外出をお赦しになられたのであれば、ここへ護衛につく者たちはまたこの者達になるでしょう。アズサ殿がご自身の見分を広げるために必要な事と判断されるのでしたら、私の言葉は差し出口でございました。お許し下さい。陛下にはこの旨、私から伝えておきましょう」


 愉快そうに話すバルドの周囲では、騎士達が息を飲んで話の先行きを見守っていた。

 この後から、騎士達のわたしに対する言葉遣いが妙に丁寧になってしまう。やはり、撤回してもらったとはいえ団長の意思を無視することは出来なかったのか、と少し寂しく思った。


 ……まぁ、とにかく一度ナグの奥さんにもこんな話があるよぐらいのところから、話を持って行ってもらおうかな。


 お互いに話し合って、バルドやアニヤを通してやり取りするという事で話が終わるころには、もう馬車を停めたところまで着いていた。

 行き道にあれほど時間のかかった復路は、足手まといのわたしが歩いていなかったこともあってか1時間もかからずに下り終えてしまった。


 帰りの馬車では横にならせてもらえたので、ぐっすりと眠りこんでしまう。その夜にはまた熱が上がり、翌日も起き上がれずに寝て過ごした。

 熱で、と言うよりは身体が悲鳴を上げて、という筋肉痛や関節痛による痛みで起き上がれなかったのだが……。


 そんな感じでベッドから起き上がれなかったわたしは結局、美味しくはないが真心のこもったパン粥で回復をはかることとなった。


 何処から調べてきたのかバルドが翌日訪問してきた時に、食料について考えられる見解を教えてくれた結果、毒ではないとのこと。

 正確には毒ではないが、昔に比べ味や収穫量が落ちている事と栄養の低下、加えて薬草や毒草においてはその効果の低下と上昇が分かっているとのことだ。


 浄化されたシヤの泉周辺の調査に力を入れたい、と息巻く研究者がいるらしいので、今度の視察兼お掃除の時にはその人達も同行させてほしいと言われた。わたしの回復を待って予定が組まれるらしいのでいつ行くのかは、今はまだ未定だ。


 わたしがシヤの泉でお水だけでも汲んでくれば良かったと後悔したのは、起きるたびにチビちゃんやアニヤ、セバスから水やお茶を突き付けられた時のことであった。






 何だか外が騒がしい。


 熱の出たわたしは体調が戻るまでは、と言われて客間の一つを貸してもらい休んでいる。豪華な装飾を楽しむでもなく、昨日離宮に帰ってからひたすらベッドに潜っていたわたしの熱は大分下がっていると思う。

 甲斐甲斐しく空いた時間に世話を焼きに来てくれるチビちゃんやアニヤ、赤毛の子に、バネッサと色々な人に迷惑をかけてしまったのが申し訳ない。


 ここまで熱も下がったのだから本当なら起きてしまいたいところなのだが、如何せん。関節という関節が悲鳴を上げているこの状態を何と言えばいいだろう。まるで拷問を受けているような痛みに耐えるばかりで、立つことも出来そうになかった。


 うつうつとした気分でベッドに横たわり、楽な体勢を探しながら涙ぐんでいたわたしの部屋の扉が大きく開かれたのは、朝方のことだった。


「おい!起きてるか、お前!!」


 大音声に頭を上げようとして、ピキッとする。


「お、おきてるけど、起き上がれない……」


 ふんっ、と荒い鼻息をついたのはお兄ちゃんだ。何か怒らせるような事をしただろうか?不機嫌そうな声に首を傾げる。痛い。


「おいっ、こっちへ来い!往生際が悪いぞ!!」


「ひっ、ウッ、ウッ……」


 誰かの泣き声に何事かと思ってゆっくりと身体を扉に向けると、そこにはお兄ちゃんに襟首をつままれた男の子がぶら下がっているのが見えた。

 それは団子っ鼻がつんと持ちあがったカーキ色の髪をした小柄な男の子で、目から涙、鼻から垂れ下がった鼻水が糸を引いていた。

 体格的にもお兄ちゃんの方が大きいため、抵抗する事を諦めたような情けない顔でわたしを見ている。


「何が…」


「こらあっ!!あんたたち、いい加減にしなさい!」


 扉の向こうから手が伸びて、お兄ちゃんの頭に勢いよく拳が落ちた。


「ぷぎゃっ」


 お兄ちゃんの手からは男の子が落ちる。


「アズサは具合が悪くて寝ているんだって、何度言えば分かるのよ!!」


「あ、あの……?何があったのかな?」


 状況について行けず、恐る恐る訊ねるわたしに赤毛の子がバツの悪そうな顔をして溜め息をついた。


「もう、仕方ないわね。あんた、アズサにちゃんと説明しなさいよ」


「わかってるよ!そう思って、こいつをとっ捕まえて来たんだろうが!なんでオレが殴られたんだっ」


 拳骨をもらった場所をさすりながら、理不尽だ!と喚くお兄ちゃんと尻餅をついて見上げる男の子。赤毛の子が起き上がれないわたしの枕元まで来てくれた。

 どつきあいながらこちらへ来る男の子達に辟易した様子の赤毛のお姉ちゃんは、彼らを交互に見て溜め息を吐いている。


「アズサが寝てるのに、あんたがうるさいからよ」


 半眼になった彼女に睨まれるとお兄ちゃんは唸って口を尖らせていた。それを見ながら、もう一度溜め息を吐いた彼女は、仕方がなさそうに騒ぎの原因を話してくれる。


「食い意地の張った子が泥棒をしたそうよ。それで、今問い詰められて白状したところ」


「はい?……泥棒?何を盗ったの?」


 予想外の言葉に首を傾げる。

 彼女は気まずそうに視線を泳がせた後、『あなたの荷物』と、ぽそりと呟いた。


「わたしの荷物?わたしの荷物の中に子どもが欲しがるような物、入ってたっけ?」


 言いながら、荷物の置かれたチェストの上を見る。青いストライプのトートバッグが少しくたりと壁に倒れ掛かっていた。


「あたしも何を盗ったのかまでは聞いてないけど、この子が何か匂いがするって調べ始めて犯人探しが始まったの。その結果がコレよ」


 わたし達の視線が向くと、小さな男の子がビクッと肩をすくめた。

 怒り冷めやらぬといった様子のお兄ちゃんが後を引き継ごうと口を開いた時、扉から顔を出したチビちゃんが話にはいってきた。


「……あ、あの、あのね。にいちゃが、あま、あまいにおいが、するっていって」


 赤いスカーフをかぶったチビちゃんの後ろには、子どもの人だかりが出来ていた。


「甘い匂い?あ、アレか。まんまるバナナ!……そういえばベッドの下に置きっぱなしにしてたわ。アレ食べちゃったのね、……お腹壊してないといいけど」


 冷蔵庫にも入れずに床に放置していたし、投げつけた拍子に大分悲惨な変形を遂げていたと思う。

 わたしの言葉に赤毛の子が呆れた顔をした。


「アズサ、あんた自分の物はちゃんと自分で見張ってなさいよ。あんたがそんなだから、……泥棒なんて騒ぎが起こったのよ」


「うん、そうだね。ごめん、これからは気をつけるよ」


 放置していたこともすっかり忘れていたが、メイドさんの部屋は割とひんやりしていたので、それほど悪くなっていなかった事を祈ろう。

 気まずいながらもわたしが素直に謝ると、彼女は眉間にしわを寄せてスカートを握りしめた。


「!……あやまらないでよ。これは、ちょっと、八つ当たりだった。悪いのは、泥棒したこの子よ」


「違うよ、あなたの言ってる事は間違ってない。わたしがちゃんとしてればこの子は泥棒なんてしなくて済んだんだから」


 赤毛の女の子は責任感の強い子のようだ。それに、お兄ちゃんも。

 次に口を開いたのはお兄ちゃんだった。


「おい、お前、謝れよ!」


 怯えて青くなった男の子の肩をドンと突き飛ばすお兄ちゃん。それを受けても委縮してしまって動けずにいる団子っ鼻の男の子が涙ぐんでいた。

 7・8歳くらいの彼は震えあがって、がくがくプルプルしている。

 それを見て苦笑しながら、ゆっくりと話しかけた。


「わたしのお菓子、食べちゃったんだって?」


「そうだよ、こいつ朝飯の時間にいつもより早く部屋に戻ったと思ったら甘いにおいプンプンさせやがって。どっかで嗅いだ匂いだと思ったら、お前の部屋で嗅いだ匂いだって気付いて、それで……」


 わたしの質問に間髪いれずに答えたお兄ちゃんは、悔しそうに顔を歪めている。

 まずはこっちから落ち着かせた方がよさそうだ。


「ごめんね、わたしがちゃんとしてなかったから、大騒ぎにちゃって。お兄ちゃんがそんなにつらそうな顔しなくていいんだよ。悪いのはわたしだもん」


「悪いのはこいつだ!人のもん盗って食うなんて、……泥棒なんて!オレたち、それでなくてもアニヤに…」


 迷惑かけてるのに、と呟いた彼の声は小さかったけど、集まる子ども達みんなの耳に届いたらしい。息をのみ、気まずいような沈黙が降りた。


「うん、人の物を勝手に食べちゃうなんていけない事だよね。でも、この子も悪かったけど、わたしも悪かったんだよ。悪くなってるだろうから、捨てようと思って放置してたんだから」


「……捨てるもの?」


 正確にいえば消費期限まではまだ過ぎていなかったが、要冷蔵品だ。嘘はついてない。自分だけだったら食べていただろうけど。

 間の抜けた顔でツンと持ちあがった団子っ鼻の男の子がわたしを見た。


「そう、アレは冷やしておかないとすぐに腐っちゃう食べ物だったの。だから、わたしとしてはキミのお腹が心配というか……。ごめんね?」


 子どもの手の届くところに危険な物を置くのは大人の失態だ。勝手に人の物を盗る事も拾い食いも良くない事だけど、腐っているかも知れない物を放置したわたしは無責任だった。

 いつの間に無くなっていたのか思いだせないが、多分この部屋に移動するときに忘れてきたのだろう。


「そっか、捨てるものだったのか。……そりゃ、腹下してもこいつのせいだな」


 怒りが解けてちょっと声が明るくなったお兄ちゃんにほっとしていると。鼻にかかったような可愛い声が聞こえた。


「捨てちゃダメだよ!すんごい、おいしかったんだ。捨てるんなら、またアレ、ボクにちょうだい!」


 今までプルプルしてた子が瞳を輝かせて、おねだりしてくる。


 ……うん、ごめん、もうないんだアレ。わたしも大好きなんだけど、ここじゃバナナは手に入らないだろうな……。


 そんな事を考えていると、お兄ちゃんの怒りが再沸騰しそうになった。


「おっ前、懲りてねえな!!」


「き、キミ!?拾い食いはダメだよ!!それに、欲しい物があるときはちゃんと相手に欲しいって伝えてね。勝手に持っていかれた人は、悲しいし怒るからね?キミも、盗られたら嫌なものあるでしょ?どんな物でも、たとえ捨てられていても、欲しかったらちゃんとしないとだめ。それで手に入らなくても、どうやったら欲しい物が手に入るのか、自分で考えるんだよ。欲しかった物と同じじゃなくても、それと同じくらい嬉しい物が手に入ることだってあるんだから」


 早口でまくし立ててしまったが、通じただろうか。

 黙り込んだ男の子を前に、冷ややかな目をしているお兄ちゃんをどう鎮めようか悩んでいると、小さな声がかかった。


「……あたちも、あまいのたべたい…」


 視線を向けると、昨日洗濯物を楽しそうに踏みつけていた女の子が赤毛の子のスカートを引っ張りながらこちらを見上げている。

 欲しい物は欲しいと言え、といわれた事をすぐに実行する行動力ある女の子だ。


 ――…っかわいい!かわいいよ!!


 これまたぷるぷるしている女の子が可愛くてうっかり抱きしめたくなったが、腕を伸ばす前に痛みに顔をしかめ挫折した。せめてと思い、微笑んで女の子の気持ちに応える。


「おんなじのは作れないけど、別の甘いのなら作れるかも。今度、アニヤさんにやらせてもらえるか聞いてみるね」


 それを聞いてザワついたのは扉付近の男の子たち。遠巻きにしていた年長者の男の子も耳をそばだててそわそわしている。


「ダメよ。アズサ、あんたもそんなわがまま聞かないで。最近じゃ、実りが悪くて食べ物も高くなってるんだから。贅沢はダメ」


 それを聞いて部屋中の子ども達がシュンとしてしまった。


 ……お金か。ここじゃ円は使えないだろうな。金貨とかならイケたかもしれないけど、アルミや銅、紙じゃねぇ。


「やま、山に行ったら木の実がとれるよ!それじゃ作れない?」


 団子っ鼻くんが喰い下がり、わたしもそれに同意する。


「あー、それいいね。山の幸ならならタダだし」


 だけど、冷静な彼女は怒るでもなく静かに言い聞かせた。


「どうやって採りに行くのよ。あたしたちここから出られないでしょ」


 やっぱり、みんなこの屋敷から出た事が無いんだなぁ、と彼女の言葉を聞いて哀しくなる。

 世間的に忌避される存在ならば余計な軋轢を生まないように、閉じこもっている方を選択したのだろう。だけど……。


「わたしさ、また近いうちにシヤの泉に行くんだよね。泉の掃除もしたいの。だから、みんながお掃除を手伝ってくれると助かるんだけどな」


「アズサ、無理なこと言わないで。外になんて……」


 不安気に忠告してくる彼女の言葉を遮って、団子っ鼻くんが立候補してきた。


「ボク、いきたい!ボクなら鼻がいいからおいしいものすぐに見つけられるよ」


 ほら、あんたの話真に受けちゃったじゃない、と彼女が冷たい視線を送って来る。それを視線で受け止めて扉付近に集まっている子にも聞いてみた。


「他にも行きたい人いる?わたしがしたいのはお掃除だから、行く人には絶対手伝ってもらうことになるよ。でも、少しくらいならその近くで木の実探し出来るんじゃないかと思うんだ」


「「「いきたい!」」」 


 顔を見合わせた子ども達はあたしも、ボクも、と声を上げる。返事をしたのは小さい子達ばかり。気持ち、わたしの表情が引きつったのを彼女は見逃さなかった。


「本当にあんたって考えなしね。小さな子ばかり連れて泉の掃除なんて出来るの?」


「う、出来ない事はないけど……時間はかかるかも?」


 大きくため息を吐いた彼女は、少しのあいだ逡巡した後、みんなで話し合ってからもう一度話そうと言う事でその場を治めた。子ども達は彼女の言う事をちゃんと聞いて自分たちの仕事に戻って行く。


「ありがとう。助かったよ」


「……いいわ。この子の件ではこっちも悪かったと思ってるんだから。ほら、あんたも、言うことがあるでしょ」


 彼女は最後に残った団子っ鼻君の背を押して前に出す。すると、俯いてもじもじしていた男の子は小さな声で『ごめんなさい』と謝り、急いで駆けて行ってしまった。

 それを見送りながら、彼女にお願いをしてみる。


「もしお願いできるなら、あなたにも一緒に来てもらいたいな。あの子達をまとめるの、結構気力を使いそう……」


「……考えておく」






 みんなが去ってひと眠りした夕方、ドアの前に小さな木の実が置かれていたとアニヤが持ってきてくれた。それはプラムのような黄色い実で甘い香りがする果物だった。

 庭師のガルロックが時折、子ども達にご褒美としてあげているものだと教えて貰う。それを手の平でころころと転がして香りを堪能していると、扉の隙間からカーキ色の髪の毛が見え隠れしているのが見えた。

 その様子をみて微笑ましく思っていると、鼻にかかった可愛らしい声が聞こえてくる。


「……アズ、もう怒ってない?ボク、ボク、もう人のモノかってに盗ったり食べたりしないから。お山、連れてってね」


 アニヤと顔を見合わせて笑みを交わした後、彼を呼び寄せてちゃんと話すことが出来た。


 すっかり安心した男の子は、わたしにくれた木の実を見て涎を垂らしている。苦笑するアニヤに頼んで半分に切ってもらい、二人で食べることにした。


 甘くてさわやかな酸味のあるそのプラムは、この世界に来て初めて、心から美味しいと思える食べ物だった。



















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